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ガメラ
架空の怪獣 ウィキペディアから
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ガメラは、1965年に大映(現:KADOKAWA)が公開した怪獣映画『大怪獣ガメラ』に登場した同名のキャラクターを中心として以降に展開されてきたメディア・フランチャイズである。
シリーズの概要
要約
視点
→詳細は「§ 大映の倒産」を参照

ガメラシリーズは「倒産以前の旧大映時代」「再建して徳間グループに入っていた大映が製作した時代」「角川グループに入った大映が商号変更した角川ヘラルド - 角川映画時代」の3つに区分することができる。本シリーズの代表的な敵怪獣としては、ギャオスが知られる。
ガメラの生みの親の一人である永田雅一は「映画界の父」と称されるほど日本映画界への影響力が強く、大映自体も日本を代表する大手映画会社の一角であったものの、永田自身のワンマン的な放漫経営による興行網などの弱点[3]、当時の日本経済の不況、テレビ業界との競合も含めた映画業界自体の衰退の影響も相まって、シリーズの第1作目である『大怪獣ガメラ』の制作時にすでに経営上の窮地に陥っていた。このため、本作自体や『鯨神』も(「ガメラシリーズ」との関連性も持つ『宇宙人東京に現わる』が国内初の特撮カラー作品であったのにもかかわらず)経済的な理由から白黒作品になっている[4][5]。
しかし、ガメラシリーズの成功によって大映の経営状況が改善して「大魔神シリーズ」と「妖怪シリーズ」なども発足し、ガメラシリーズが実質的に大映や関連する各下請けスタジオを1971年の倒産まで支えていた[1]。しかし、2度にわたって権利会社が変更になったことに加え、付随する直接的・間接的な要因[注釈 2]などの経済的な理由などによって本シリーズを含む大映作品は大打撃を受けており[3]、「ガメラシリーズ」以降に発足した大映の看板特撮フランチャイズ[注釈 3]は続編や新作の企画がたび重なって中止になり、「大魔神」は予算の面から本格的な復活が難しくなっている[注釈 4]。また、大映の経営状況と大映作品の収益の悪化をもたらした原因の一つが(永田のワンマン体制などに起因する)興行網の脆弱さであるが[3]、この問題は倒産後に限られておらず、「ガメラシリーズ」も「妖怪シリーズ」も『ガメラ対深海怪獣ジグラ』がダイニチ映配提供となって以降はすべて他社配給や定額制動画配信サービスによる配信という供給手段を取っている[注釈 5][8]。
→「§ 他シリーズとの関係性」、および「§ 怪獣ブームと妖怪ブーム」も参照
一方で、怪獣や特撮といったジャンルのポテンシャルに早くから注目し、さらに『大怪獣ガメラ』およびその前身である『海魔獣ダゴラ』と『大群獣ネズラ』の制作を推進し[注釈 6]、『大怪獣ガメラ』の社内での不評を一転させたのも永田自身および永田の権力であった[8][2]。また、永田が主導した「六社協定」は各会社間のスタッフや特撮技術などの流出を制限しており、「ガメラシリーズ」と「ゴジラシリーズ」も含めた国内の怪獣ジャンルの動向自体にも影響を与えてきた側面がある。また、大映と「ガメラシリーズ」だけでなく東宝と「ゴジラシリーズ」も含めた日本映画界の衰退は当時の景気後退および隆盛するテレビ業界との競合にも起因しており、テレビ業界の発展に貢献したのも「ウルトラシリーズ」を筆頭とする「怪獣ブーム」と「妖怪ブーム」であった。これらのブームの背景には皮肉にも、日本映画界を救済しようとした永田の企図によって成し遂げられた「映画輸出振興協会」の設立と輸出品としての怪獣・特撮系作品に注目が集まってジャンル自体が拡大したことが関係しており[14][15]、また「ガメラ」と「ゴジラ」の両シリーズは「怪獣ブーム」に影響を与えただけでなく、円谷英二や湯浅憲明なども含めた両シリーズの関係者が「怪獣ブーム」にも貢献した。また、大映と東宝以外の映画会社の急速なジャンルへの参入はアイディアやイメージの枯渇を引き起こし、「映画輸出振興協会」からの融資の反動がより低リスクな「妖怪ブーム」の発足にも帰結している[5][6][16][7]。
なお、本シリーズは大映の倒産以前から「ゴジラシリーズ」との競合を避けようとしてきたが、倒産以降は新作の製作自体にもその傾向が見られ、(『ガメラ3D』が前身の企画の一つである『モンスター・ヴァース』も含めた)「ゴジラシリーズ」の動向が「ガメラシリーズ」の製作本数の少なさや諸企画の中止も含めた休眠に影響を与えてきた可能性がある[8]。また、徳間書店時代には社長の徳間康快が存命中にゴジラとのクロスオーバーへの意向を表明・東宝に打診したり[17][18]、後述の通り康快の死後の2002年に大映の版権を得たKADOKAWAからも東宝へとクロスオーバーが提案されたが[19][20]、結局は実現せず代わりに制作された『小さき勇者たち〜ガメラ〜』[21]では敵怪獣のジーダスに東宝のゴジラ[22]やトライスター ピクチャーズのゴジラ[23]やジラース[24]を含む東宝系統の怪獣を意識した意匠が込められた[注釈 7]。一方で、本シリーズは「ゴジラシリーズ」との「共存」を目指して出発したこともあり、村瀬継蔵を筆頭に両シリーズが製作面において関係者を共有してきたことも多い。また、昭和の倒産前から大映は倒産のきっかけの一つとなった興行網の弱さから東宝に配給を依存する事例が見られ[3]、徳間書店時代以降にも引き続き東宝によって大映系の作品が配給されてきた。本シリーズにおいては、平成3部作が東宝によって配給されているが、「ゴジラシリーズ」よりも大幅に配給規模が小さい「洋画系」での配給であった。しかし、東宝側から見ても本シリーズは決して「敵対」するようなライバルではないとされる[注釈 8][8][28]。

→詳細は「小さき勇者たち〜ガメラ〜 § 評価」を参照
その他にも、徳間書店時代の「平成ガメラ3部作」は日本特撮の最高峰と見なされる[31][32]など社会的にも高い評価を受け[注釈 9]、特撮ファンからの人気も高く、特撮界全体への影響力も大きいとされる一方で、関係者の嗜好ゆえの昭和シリーズと乖離した方向性[注釈 10][注釈 11][注釈 12]とガメラのキャラクター性と描写や子供の観客層への影響[注釈 13]には関係者の間でも第一作目の『ガメラ 大怪獣空中決戦』の製作段階の時点から企画の中止または監督である金子修介の降板も検討されたほどに賛否両論が激しく[注釈 11]、同社の経営難と諸事情に由来する悪影響を受けた興行成績[注釈 14]、『ガメラ3 邪神覚醒』における破壊描写が原因で結果的に打ち切りとなった[9]。そして、角川グループによる『小さき勇者たち〜ガメラ〜』は(平成3部作の人気の高さや続編を求める声、異なる方針のリブートにするリスクを制作側が把握した上で[39][23])シリーズの方向性[40]を修正する意図で制作されたが、平成3部作の方向性を望んだ客層から受け入れられずに興行的に失敗し、その後の「ガメラシリーズ」および「大魔神シリーズ」の展開に大きな悪影響を及ぼした[41][42][43]。また、長年の休眠の末に制作された『GAMERA -Rebirth-』でも「ガメラによる人的被害の回避」が制作方針の一つとして重視されている[44]。なお、平成3部作の脚本を務めた伊藤和典も「ゴジラシリーズ」を好んで昭和のガメラ作品を好まない部分があり、平成3部作の製作面でガメラ像や作風を巡った意見の相違を経験した一方で、2015年の50周年記念映像への感想として平成3部作の呪縛からの脱却を提言している[45]。
→「§ 未公開・製作中止作品」も参照
結果的に本シリーズは7~17年間に渡る休眠を4度経ており、複数回の打ち切りや続編や新作のキャンセルなどに直面してきた。長期の休眠だけでなく予算の都合から新作の宣伝費やマーケティング自体も限定されるために(「亀」がモデル故の好ましくない評価[46]やゴジラの模倣[6][47][48]などの誤解も含めて)知名度の低下の加速や、限定されたメディアからの注目度や関連書籍の売上など[49]による興行成績への二次的な悪影響[注釈 15]を受ける側面もある[8]。計12作存在する劇場作品において、それらの中の一作も経済的・スケジュール的な理由[16]および大映の倒産時の騒動[注釈 16]から完全な新規作品ではなくて過去作のストック・フッテージに依存している[8]。
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シリーズの歴史
要約
視点
大映時代
ガメラ以前
旧大映時代の「ガメラシリーズ」は、東宝製作の「ゴジラシリーズ」の成功に触発された当時の各映画会社がこぞって製作していた怪獣映画作品群の流れを受けて誕生したが、ガメラの考案者の一人である永田雅一の主導の下で大映は以前から(永田とウォルト・ディズニーの親交もあって)ディズニー作品などの海外作品の配給や新規の市場開拓を目指しており、特撮系作品への注力を行った。上述の通り、戦前に大日本映画製作株式会社が他会社と同様に日本軍からの命令で制作した戦意高揚用のプロパガンダ作品は戦後の日本特撮の形成にも影響を与えた。戦後になって永田の下で再編されて発足した大映は、戦争映画、妖怪や幽霊などを含めたファンタジーやホラー、『鉄の爪』などの怪人、パニック映画、歴史映画など多岐に渡るジャンルに着手した[55]。
そして、戦後の日本における最初期のSF特撮作品とされる1949年の『虹男』と『透明人間現わる』の制作や、日本最初の特撮カラー作品であり「ガメラシリーズ」とも関連性を有している『宇宙人東京に現わる』[注釈 17]、大映による初の巨大生物を描いた特撮作品の『鯨神』[注釈 18]などの特筆すべき特撮系作品のプロダクションも見られた[55]。また、海外作品の配給としては、1952年の戦後の日本初のモンスター映画の国内配給であり『ゴジラ』や怪獣映画というジャンル全体への影響でも知られる『キング・コング』と後続の1954年配給の『原子怪獣現わる』も含まれており[55]、後の「ガメラシリーズ」も両作品からの影響を受ける事となった[注釈 19]。
『虹男』と『透明人間現わる』の制作に携わっていて永田とは1930年代初頭からの交流があった円谷英二[15]や有川貞昌や荒木秀三郎は(公職追放や東宝争議などのためにに東宝を退職していたため)大映に入社しようとしていたが断念している[注釈 20]。この三名は後の「ゴジラシリーズ」や「ウルトラシリーズ」などに携わっており、特に円谷は「特撮の神様」と呼ばれることになる。円谷本人は「ガメラシリーズ」に携わることはなかったものの、円谷の仕事仲間や弟子や東宝や「ゴジラシリーズ」の関係者[注釈 21]は後に本シリーズおよび関連性のある大映作品群[注釈 22]との関わりを有することになり、湯浅憲明を含む昭和の「ガメラシリーズ」や大映特撮作品の関係者[注釈 23]が「ゴジラシリーズ」や「ウルトラシリーズ」などの円谷系作品群に関わる様にもなった。伊福部昭も「ガメラシリーズ」自体には参加しなかったが『鯨神』や『大魔神』への参加を行い、伊福部の門下には山内正もいる(ガメラマーチも参照)[55][7]。
1953年に永田雅一の主導により「六社協定」が締結し、それまで複数の大映作品[注釈 24]に携わってきた円谷英二の大映作品への参加もなくなり、上述の通り円谷と有川貞昌や荒木秀三郎は大映への入社を断念した[55][7]。
この「六社協定」の影響により、当時の主要な映画会社の間で関係者や技術などの共有が制限されて違反した場合には罰金が発生するため[8][3]、他社が東宝の「ゴジラシリーズ」の成功を安易に追従することができない状況にあった。騒動になりかけた一例として、日本電波映画による1968年のテレビドラマの『アゴン』が存在しており、ゴジラとの類似性によって東宝がクレームをつけたが、関沢新一と大橋史典の関与が判明したために取り下げたことがある。怪獣アゴンは大橋自身による『マグマ大使』に登場した怪獣アロンとの類似性が見られ[59]、『アゴン』と『マグマ大使』には(湯浅憲明と同門で『ガメラマーチ』の影響を受けている)関沢[60]と(『鯨神』などに携わってきた)大橋や(上述の通りガメラの考案者の可能性も指摘されている)うしおそうじ[61]も含めて「ガメラシリーズ」や「大魔神シリーズ」や『鯨神』等の大映特撮との関わりを持つメンバーが関与している[注釈 25]。
永田自身が主導した「六社協定」によって大映自身も東宝系の特撮技術が使えない状況であり、(湯浅憲明も含めたガメラシリーズの関係者も携わりガメラシリーズの前身となった)『大海魔ダゴラ』と『大群獣ネズラ』の撮影に「生きた動物」を使うという方針を取った末に企画が失敗しただけでなく労働争議や組合問題や三上陸男達の健康問題にまで発展し、スタッフの一部は大映を経営状況の危うさもあって見限り、(ガメラの考案者という説もある)うしおそうじと大映の関係者達が発起人であるピー・プロダクションに移籍し、中でも田賀保は大映の倒産後に『宇宙怪獣ガメラ』などの大映系作品に参加した。上述の通り、横川寛人は「ガメラシリーズ」の前身である『大海魔ダゴラ』と『大群獣ネズラ』に纏わる『ネズラ1964』と『ヤツアシ』を制作しており[13]、『ネズラ1964』でもガメラシリーズの関係者と円谷の交流は描かれている[62]。なお、大映は「ガメラシリーズ」の発足後もネズラの造形物をガメラ作品で使用するように何度も要請したが、湯浅はその度に断っていたという[2]。
ガメラシリーズの発足
→「エキスプロダクション」も参照
第一作目である『大怪獣ガメラ』の製作の時点ですでに大映は経済的な危機に追い込まれており、本シリーズは宣伝費や配給規模[3]も含めた予算面や収益で非常に苦しんだ。『鯨神』と『大怪獣ガメラ』は1956年の日本初のカラー特撮作品である『宇宙人東京に現わる』[注釈 17]と異なり白黒であり[4]、制作陣の間でも「所詮はゴジラの二番煎じ」「たらい回しの末に湯浅憲明に放り投げられた[注釈 26]」「湯浅自身のキャリアも台無しにするだろう[注釈 27][2]」「安っぽい」「失敗は目に見えている」とさえされていた。しかし、周囲の反応と異なって永田雅一が評価をしただけでなく(永田が高評価を示した途端に他の関係者も一転して続々と同調を示したという[2])、本作の(湯浅自身も理由を把握できていない[2])予想外の大ヒットによって大映は多少であるが経済的に持ち直した。これによって、ガメラシリーズだけでなく(ガメラシリーズの影響を受けて発足した)「大魔神」シリーズや「妖怪シリーズ」等もドル箱として機能し始めた[8]。
→「§ 怪獣ブームと妖怪ブーム」、および「ヤンガリー」も参照
「ガメラ」および「大魔神」のシリーズ化、および特に「ガメラシリーズ」の成功後に「第一次怪獣ブーム」と呼ばれる特撮作品の急増が見られた要因の一つとして、『大怪獣ガメラ』のヒットによって大映の経営状況が改善されただけでなく、外貨獲得用の映画産業の支援も当時の日本政府による産業振興策の一環であり、怪獣映画の国外市場における需要が見込まれていたことも関係していた[14][15]。大映時代の配役には『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降は必ず外国人の少年(およびその家族)が登場し、より子供向けの作風になっただけでなく、主人公である日本人の少年とともに冒険するという特徴がある。これらは外国のバイヤーからの影響によるが、当時の日本政府が(前述の外貨獲得の手段としてだけでなく[14])景気後退や、円谷の『ウルトラシリーズ』も含めた[6]テレビの隆盛などの影響によって圧迫され低迷していた日本映画界の救済のために作品の海外輸出の増加を見込んで社団法人「映画輸出振興協会」を設立し、前作の『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』や『大魔神逆襲』などの大映作品や(円谷英二が関係していた)『大巨獣ガッパ』や『宇宙大怪獣ギララ』などの他社作品群がその融資を受けた事が関係している。この「映画輸出振興協会」の設立も、「政界の黒幕」という異名を持つほどに政界との強い繋がりを持っていた永田雅一の尽力によって実現した側面がある[16][15]。
方針として、ゴジラシリーズとの競争ではなく共存が念頭にあったとされる。後述の通り、六社協定の影響下にあったこともあって大映は「ガメラシリーズ」には円谷英二の助力をあえて受けなかった一方で、「ガメラシリーズ」や「大魔神」や『鯨神』や「妖怪シリーズ」などの大映特撮作品群には六社協定を超えて、(円谷英二の黙認の下で)村瀬継蔵を筆頭に『ゴジラ』をはじめとする東宝の特撮・怪獣作品に携わってきた面々や円谷の関係者や東宝の元社員など[注釈 28]が参加している[8]。ガメラシリーズの制作方針として、六社協定や予算面の事情に左右される中で、技術面や着ぐるみなどの材料の選択などの他にも、ガメラのキャラクター性や作品の方向性などにもゴジラシリーズとの差別化がとくに意識されており[注釈 29]、明確に方向性を変えることでガメラとゴジラの両シリーズが愛されるように目指したとされる[8][53]。なお、ガメラシリーズが子供向けとされる一方で、『大怪獣ガメラ』は冷戦[注釈 30]、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』は中央自動車道の建設を巡る政治的な軋轢[7]、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』では海洋汚染と海洋生物の搾取[54][66]をテーマとしている。
予算やアイディアとの戦い
「ガメラシリーズ」などの歴史は予算などの財政的な事情[67]や永田雅一の主導によって制定された六社協定に大きく左右されており、子供向けの方向性も財政上や配給体制などの弱点をカバーするための策として重視された[1]。プロダクションの体制とマーケティングの低迷が著しく、撮影に用いられた技術や資材、新怪獣などのアイディアやデザイン[68][8]、ストーリー展開や戦闘シーン、ロケーションの規模など多くの要素が制限され[6][54]、従業員への負担も加速していった[3][69]。
六社協定の影響で東宝以外の会社は東宝が確立した特撮の技術などを表立って使うことができない状況にあり、ガメラの直接火炎を吐いたり飛行したり「破壊神ではなく感情を持つ生物[注釈 31]」というキャラクター像、造形物の材料、特撮技術の利用方法など大映のガメラシリーズの製作面において大きく影響したとされる。日活や松竹が1967年の『大巨獣ガッパ』や『宇宙大怪獣ギララ』に円谷英二のチームを起用したのに対して[注釈 32]、大映だけは(円谷の知人であった大映の関係者が円谷に協力のオファーをする提案もしたが[4])あえて円谷の力を借りずにそれらよりも先に看板怪獣を製作し[注釈 33]、厳しい経営状況と六社協定の条件をクリアするためにゴジラシリーズとの差別化を念頭に置き、怪獣映画の「お約束」である「自衛隊や軍隊や兵器群」や「科学的な考察」の導入をあえて制限し、奇抜ながらも子供が共感を得やすく、子供が活躍し、ガメラと子供の絆[注釈 34]がキーポイントとなるという方向性を確立させた[8]。
「ゴジラシリーズ」との差別化や、限られた予算の中でストーリーを構築して特撮に費やされる費用を抑えるためだけでなく、子供をあえて登場させず湯浅憲明が監督しなかった『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』[注釈 35]の上映時に観客の子供たちが飽きて席を立つことが目立ったことに着目し、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』以降は子供が食事を取ったり奇抜なアイディアで状況を打開したり、ガメラが(東京オリンピックの影響もあって)鉄棒[2]や音楽を披露したり、『ガメラマーチ』をはじめとするガメラを応援するテーマソングを制作するなど、子供の観客が飽きずに関心・共感できる要素や演出を可能な限り導入したとされている[8]。
限られた状況で興行効果を増大させるために「良い映画ではなく当たる映画」としてビジネス的な観点も考慮しながら徹底的に子供向けに仕上げた事で好評を得る事に成功し[注釈 36]、ゴジラシリーズ[53]やウルトラシリーズや「怪獣映画」というジャンル自体がガメラシリーズから影響を受けるほどにアイコンとしてガメラが確立され[6]、多くのファンを獲得したとされる[8][70]。しかし、『大怪獣ガメラ』の予想外の成功で大映は一時的に持ち直したものの、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』のころには『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の四分の一弱、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の三分の一弱の予算に減少し、(例外もあるものの)その後も予算は下がり続けたとされる[8]。
なお、大映の経済状況から上記の通り敵怪獣のデザイン(操演に必要な人数を減らすなど)や能力などのアイディアが制限され、たとえば東宝のキングギドラのようなデザインの怪獣は作ることができず、バイラスの却下された能力の一つとしては絵コンテなどに記載されている電撃や飛行などの能力の他、酸性の粘液を敵の体内に注入して攻撃するというものもあり[8]、『ガメラ対大悪獣ギロン』には当初は「モンガ」と呼ばれる怪獣が登場する予定だったが、予算の都合で宇宙ギャオスに変更された[68]。また、予算ゆえにSFXも多用できないために子供向けにもかかわらず残酷な近接戦闘を増やし[注釈 37]、都市部の破壊などの場面も減少し[2][4]、ストーリー上におけるロケーションと話の規模自体が限定されることもあった[6]。また、『ガメラ対深海怪獣ジグラ』では当初に予定されていたガメラとジグラの戦闘シーンの一つも予算とスケジュールの影響で却下されている[54]。
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降は十分な宣伝費が確保できないため、そのような状況でも可能な限り注目度を高めるためにバイラス以降の敵怪獣(バイラス・ギロン・ジャイガー・ジグラ)の名前をすべて一般公募にした。ガメラの回転ジェットに関しても、本来は後の「平成ガメラ3部作」の様な高速回転をイメージしていたが、コンピューターがなかったために実現しなかった[2]。一方で、ガメラの飛行方法として回転ジェットではなく両脚からのジェット噴射による飛行方法も経費削減の結果として生まれたとされる[8]。また、大映が独自の特撮路線を歩んだ事で、昭和ガメラによって得られた特撮のノウハウも多いとされるが[4]、後述の通り大映の倒産によってこれらのノウハウは失われたともされている[45]。
なお、本郷功次郎などの大映出身の役者や新人女優のキャリア形成にも「ガメラシリーズ」や「大魔神シリーズ」などの特撮作品群の影響は大きかったが、本郷自身は特撮作品への参加が嫌で逃げ回っていたとされている[7]。上述の通り湯浅が特撮に関与せざるを得なかった理由の一つが的場徹の円谷プロダクションへの移籍や築地米三郎らの退社などによるスタッフの欠員であり、当時の大映が東宝のように安定して特撮作品を量産できなかった背景にも、会社の経営の悪化だけでなく、人員の不足が関係していたともされる[2]。
また、「ゴジラシリーズ」が多大な影響を持つ北米の市場を避けるためにヨーロッパの市場にビデオなどの商品展開を行う際に、欧州のバイヤーからの要望で外国人のキャストの起用が開始されたとされるが、それらのバイヤーは黒人の起用を望まなかったために黒人のキャラクターは昭和のガメラ作品にほとんど登場せず、これが原因で大映側が批判を受けることもあったとされている[8]。
大映の倒産
末期の大映
昭和シリーズは当初は『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』で終了する予定だったが、本作のヒットによって継続される事になるなど人気を博した[54]。そして、予算の減少が著しいにも関わらず、なりふり構わず子供の客層にアピールした事で人気を博した「ガメラシリーズ」の影響で大映は実質的に倒産が先送りになり、本シリーズが当時の大映を実際の倒産まで支えていたとされる。これによって、滞っていた給料が支払われて子供の教育費を工面できた社員や、倒産を免れた下請けスタジオなど多くの関係者が恩恵を受けた[1]。一方で、「ガメラシリーズ」の影響で発足した「大魔神」だが、1966年に大魔神作品を三本立て続けに製作したことも大映の経営をさらに圧迫する一因となったとされている[3]。
『ガメラ対深海怪獣ジグラ』の頃には湯浅憲明自身も社員監督から契約監督に変更されて残業代が支払われず、予算不足、人員の疲弊、労使交渉の激化などの生産体制の混乱が著しく、本作にはストーリー上の展開や整合性の欠落が目立ち[69]、怪獣同士の戦闘シーンの一つも撮影中止になった[54]。『ガメラ対深海怪獣ジグラ』の次に計画されていたのは通称『ガメラ対双頭怪獣W』という作品だった。NHKで放送された特別番組である『愛のヒーロー大怪獣ガメラ』では、番組の司会者が「ガメラは敵ではなく予算に耐えていた」という感想を述べている[67]。
大映作品の上映には興行網の点から松竹や東宝や東映の映画館を利用せざるを得ず、大映の営業力と収益を制限させて大映の経営を圧迫した原因の一つとなった。業界全体においても有力者の一角であった永田雅一だったが、皮肉にも大映の低迷を招いたワンマン体制や映画産業への固執[71]、作品のクオリティーと製作至上主義の重視、狭量なビジネスモデルなどは、永田の数々の功績の結果や永田のテレビ嫌いが原因で加速した側面があり(永田雅一#大映社長としてを参照)[72]、この興行網という弱点もワンマン志向に影響を受けている[3]。また、永田雅一の息子であり「ガメラシリーズ」にも関与してきた永田秀雅の経営手腕も会社の窮地を救済するほどのものではなく、生前の湯浅憲明は永田雅一を「独裁者」、永田秀雅を「(会社を運営していくには)芸術的すぎる」と評していた[2]。
大映は後年に「大映興業株式会社」という直営の映画館の経営体制を取得しようとしていたが、優良物件はすでに他会社が獲得していたために叶わなかった[3]。大映が倒産する前の最後のシリーズ作品であった『ガメラ対深海怪獣ジグラ』は経済面から配給が日活との共同で行われたが、このような傾向は現在に至るまで続いている[注釈 5][50]。この他にも、大映作品の権利が徳間書店に移動して以降はシリーズの配給規模と興行収入をさらに制限する要素が存在しており、また、(『宇宙怪獣ガメラ』を除く)初の正式なリブート作品であった『ガメラ 大怪獣空中決戦』に関しては阪神大震災と地下鉄サリン事件による悪影響も受けている[注釈 38]。
これらの他にも、当時の大映に打撃を与えた複数の要因が存在しており、後述の通り(永田雅一自身やシリーズの関係者なども拡大に関与した「怪獣ブーム」の恩恵を受けた)テレビ業界との競合や景気後退などによる邦画界全体の衰退[6][5]、雅一の養女・太田雅子の夫である八代目市川雷蔵[注釈 39]の死去をはじめとする看板スターの喪失、「ガメラシリーズ」の制作体制にも影響を与えたベテランスタッフなどの退社[注釈 26]などの様々な逆風に晒されていた。
倒産
「ガメラシリーズ」によって支えられた大映であったが、1971年に『ガメラ対深海怪獣ジグラ』公開の数か月後に倒産することとなった。同社の解散は(『大怪獣ガメラ』の公開日であり後年に「ガメラの日」と呼ばれることになる)11月27日[74]に行われ[75]、12月21日に実際に倒産した[71]。
大映の倒産を知った湯浅は悔しさのあまり残されていたガメラや敵怪獣の着ぐるみや造形物などを自ら壊したため、現存する資料が少なくなったというエピソードが残されており、『宇宙怪獣ガメラ』も新規の着ぐるみや特撮シーンも経済的な理由から非常に限定された[8][53]。一方で倒産時の資料の損失には異説もあり、湯浅自身が資料を破壊したのではなく、倒産時に発生したスタッフや従業員の暴動が原因だとする指摘もある[54][76]。
倒産への懸念はスタッフに多大な心労を与えていたとされており、倒産の前年には『ガメラ対大魔獣ジャイガー』に携わっていたスタッフの一人が死亡している。また、永田によって主導された「六社協定」は大映自身の俳優陣などのキャリアにも悪影響を及ぼしており、(湯浅のデビュー作で湯浅が『大怪獣ガメラ』に携わるきっかけの一つにもなった)『幸せなら手をたたこう』[8]や『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』や『大魔神怒る』などに出演した丸井太郎が協定による制約の影響で『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』の公開の約半年後に自殺している[77][78] 。なお、永田の代表作の一つでありキャリアの転換点の一つとなった『羅生門』などに携わった黒澤明が大映倒産の翌日(12月22日)に自殺未遂を起こしている[71]。
倒産時の混乱によってネガの混同なども発生し、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』の上映時間が延長されたのもこの影響だとされている[4]。また、この影響によって「平成ガメラ3部作」の制作時にも徳間書店側に予算だけでなく特撮などのノウハウも残されておらず[45]、平成3部作の制作面においては後述の通り、湯浅憲明自身が携わった『ウルトラマン80』を中心とする「ウルトラシリーズ」[79]や「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」など多くの作品群を経て得られた知見やコネクションなどが影響した[79][45]。
また、大映は倒産に際して高橋二三への借金の返済ができない事態になり、高橋が日本脚本家連盟に未加盟だったこともあって、高橋が賃金を得られない状況も発生した。後に高橋は永田雅一を訪問してガメラに関する全権利を受け取ったとされる。しかし、徳間書店による1995年の『ガメラ 大怪獣空中決戦』の制作時には高橋に連絡がされず、徳間書店の「(自社は)旧大映とは異なるため、永田による(ガメラに関する全権利を高橋に付与するという旨の)決定は自社には適用されない」という主張に高橋は激怒し、高橋が(1991年のボックス・セットの制作に同意したこと以外は)旧来の全関係者との連絡を絶ってしまい、高橋とのコンビでシリーズを支え親交が深かった湯浅自身ですらこの余波で高橋と疎遠になってしまった[2]。
→「§ 怪獣ブームと妖怪ブーム」も参照
大映の倒産とガメラシリーズの中断後に、湯浅憲明はこれまでの経験を活かして(平成ガメラ3部作の製作面にも最も大きく影響を与えた作品の一つである『ウルトラマン80』を含む)「怪獣ブーム」の関連作品も含めてテレビ業界での手腕を発揮し、唐沢俊一は湯浅を「テレビ業界における最大のヒットメーカーの一人」と評している[80]。
日本映画界の凋落
低迷する日本の映画産業を永田雅一が救済しようとしたことが上述の「映画輸出振興協会」の設立および怪獣・特撮作品の輸出にも関連しているが[16][14][15]、日本映画界の没落は東京オリンピック[注釈 40]の人気や(「ウルトラシリーズ」を筆頭の一角として形成されて円谷英二や湯浅憲明や高橋二三といった「ガメラシリーズ」や「ゴジラシリーズ」などの関係者も関与した)「怪獣ブーム」などがテレビの隆盛に貢献した背景もある[6][5]。また、上述の通り永田のテレビ嫌いが大映のビジネスモデルの多様性や営業力や興行面のポテンシャルを制限する要因の一つにもなった[72]。
これらの他にも、日本映画界の方向性と大手各社の動向を左右した要因の一つとして二本立て興行の加速も存在しており、この背景にはアメリカ合衆国で1930年代に(映画会社と劇場の間で作品の配給と上映の独自性と流動性を加速させる制度である)「ブロック・ブッキング」[81]が独占禁止法に抵触すると判断されたことや、東宝争議[注釈 41]を経て新東宝が発足して日活と共にマーケットに参入したことによる劇場側への作品の供給量の増加、二本立て興行が推奨されると共に量産体制に影響を与える人件費やフィルムの賃貸料などの製作費の削減への会社毎のアプローチの差異も関連している[72]。
また、映画界とテレビ業界の競合に拍車を掛けた要因の一つが当時の日本経済の景気後退であった[6][5]。テレビの普及に伴って映画産業の業績の悪化が著しく、1969年の時点での映画館の観客動員数は1958年時と比較して3分の一にまで低下し、国内の映画館の半数が結果的に閉鎖に追い込まれた[5]。大手映画会社では大映が最も大きな被害を被ったが、競合他社も転換を余儀なくされた[71]。東宝および「ゴジラシリーズ」もこの悪影響を受けており、「ゴジラシリーズ」の中断、俳優陣のリストラと制作体制の変更が行われ[71]、新東宝の倒産、東映初代社長・大川博の死去、日活社長の堀久作の辞任などもこの時期に発生した[5][71]。永田[15]やガメラシリーズとの関係性[注釈 42]を有する日活も(金子修介のキャリア形成に影響を与えた)日活ロマンポルノに路線を変更している[71][82]。
なお、大映の倒産と「ガメラシリーズ」の中断が発生したのは「第二次怪獣ブーム」の開始年である1971年だったが、特撮界全体が第一次オイルショックの影響などによって悪影響を受けて低迷したために「第二次怪獣ブーム」自体も長続きしなかった[67]。
徳間グループ時代
平成3部作以前
大映は徳間書店グループ下の新会社として再建された。
1980年に(東宝が『メカゴジラの逆襲』を持ってゴジラシリーズを一時的に中断していたこともあって)9年ぶりの新作として公開された『宇宙怪獣ガメラ』は新規の着ぐるみや特撮シーンが非常に少なく、怪獣の映像の大部分を過去作品のストック・フッテージの再利用であるが、これは大映の倒産による経済面やスケジュール面[16]の問題があったことと(上述の通り湯浅[8][53]またはスタッフによる暴動[54][76]によって倒産時に着ぐるみやモデルなどが破壊されている)、『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』の成功の影響を受けたからだとされている。また、本作の制作に影響した各条件の中には音楽の使用権もあり、『ガメラマーチ』など過去の音楽が使用されていない[16]。本作は大映の倒産後の初作品であったが、怪獣映画というジャンル自体が下火に入っていたこともあり、本作も興行的な成功を収めることはできず[8][50]、新たにシリーズ化されることもなかった[55]。
また、上述の通り、大映の倒産後の永田による高橋二三とガメラに関する全権利を巡る合意を徳間書店は大映との無関係性を理由に認可せず、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の制作時にも高橋に連絡を取らなかったこともあり、高橋が旧来の全関係者との連絡を絶つ原因になった[2]。そして高橋は平成3部作とは別に1994年の公開を目指した作品『地球大破滅(ハルマゲドン)- ガメラVS.不死鳥(フェニックス)』のプロットを作成しており、映像化には至らなかったが1995年に出版された小説『ガメラ対不死鳥』の原案となった[83][84]。
1991年の『ミカドロイド』[注釈 43]の制作の折に、原口智生は大映(徳間書店)側から「Vシネマでガメラの復活企画がある」と聞かされているが、この「Vシネマのガメラ作品」は「平成ガメラ3部作」とは別の企画であったとされる[45]。
この他にも、『宇宙怪獣ガメラ』の実質的な続編である月刊マンガボーイズの漫画作品『大怪獣ガメラ』が存在しており、同作を担当した破李拳竜は湯浅の遺作である1996年の『コスプレ戦士キューティ・ナイト2 帝国屋の逆襲』にて「カプセル怪獣ガメラ」を演じている[85]。
なお、平成3部作の監督を務めた金子修介は1985年の『みんなあげちゃう♡』[86]に(ガッパの着ぐるみが現存していなかったことと大映と日活の関係性などから)ガメラを登場させることを考案していたが大映(徳間書店)に却下されている[注釈 42]。
平成3部作
徳間書店(大映)は、当時の徳間グループによるメディアミックス戦略の一環として「ゴジラシリーズ」に対抗し得る特撮映画を制作することを検討する。当初は「大魔神」または「妖怪シリーズ」の復活を検討していたが、人気や知名度や予算の都合上で難しく[注釈 4][41][9]、その結果、前述した通りの人気を持っていたガメラに着目し、新作の制作を決定した。
こうして制作された新たな『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、(金子修介たち自身[41]も含めて当時の「平成ゴジラシリーズ」に満足していないコアな特撮ファンも少なからずいたこともあり[注釈 44]、それまでの怪獣映画にはないリアリティを追求した脚本と大胆にCGを導入した映像が話題を呼び、当時の「ゴジラシリーズ」と比較しても半分以下[注釈 1]という限られた予算と東宝洋画系という限られた上映館数、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件[11]の影響を受けた側面もあって大ヒットには至らなかったものの[注釈 38]、各方面から高い評価を受けた[9]。これにより、往年のファンだけでなく新たなファンの獲得にも成功し、引き続き製作された2作品と合わせて後に「平成3部作」と呼ばれ、日本特撮の最高峰[31][32]と称され多数の受賞歴を持つ[注釈 9]など社会的にも高い評価と人気を得るに至った。また、すでにヒットメーカーとして知られていた金子修介(本編)と伊藤和典(脚本)だけでなく、特撮や造形などを担当した樋口真嗣、品田冬樹や原口智生の知名度も大きく上がった。また、この3部作は「ウルトラシリーズ」と「仮面ライダーシリーズ」を中心とした以降の特撮界全体に多大な影響を与えただけでなく、後年の『小さき勇者たち〜ガメラ〜』および東映の『デジモンテイマーズ』と円谷プロダクションの『ウルトラマンティガ』は『ガメラ 大怪獣空中決戦』の最初期の構想の一つ「小中ガメラ」が再利用されて制作された[96][97]。
なお、自衛隊が撮影に全面協力した特撮作品は「平成ガメラ3部作」が史上初であった。このため、3部作の劇中において航空自衛隊所属の戦闘機が撃墜される場面は存在しない[31]。また、低年齢層も視聴するゴジラシリーズ他の一般的な日本製怪獣・特撮映画と比較すると、「(効果音付きで)人が食べられる」「一般市民が襲われて多量の出血をともなって死亡する」「ミイラ化した死体が描写される」など残酷なシーンが見受けられるが、これは監督の金子が本シリーズの対象年齢を「小学校高学年辺り」としていることによる。
徳間書店の社長であった徳間康快は『ガメラ 大怪獣空中決戦』の制作時に『ゴジラ対ガメラ』も念頭にある事を表明しており、東宝にクロスオーバーを打診していたとされる[17][18][20]。
→詳細は「小さき勇者たち〜ガメラ〜 § 評価」を参照
しかし、様々な要素から平成3部作全体の興行成績は決して優れていたわけではなく[注釈 14]、配給規模だけでなく関連書籍や雑誌メディアなどにおける注目度も当時の「ゴジラシリーズ」と比較しても大きく限定されており、これらのメディアが本格的に注目し始めたのも『ガメラ2 レギオン襲来』以降であり、関連書籍からの収益も配給収入が反映される形で振るわなかった。平成3部作が子供の観客層からはあまり受け入れられなかっただけでなく[49]、それまでの興行成績を受けた末に『ガメラ3 邪神覚醒』の製作面が迷走し、結果として発生した『ガメラ2 レギオン襲来』から『ガメラ3 邪神覚醒』までの空白期間も、当時の『てれびくん』や『テレビランド』などの児童向け雑誌の読者層が3年周期で変化するという傾向と相性が良くなかったとされている[49]。
平成3部作の作風自体が子供のファンの増加にあまり寄与せずに敬遠された側面もあり[注釈 45][注釈 46]、当時のホラー作品の人気の高さに影響を受けて行われた『ガメラ3 邪神覚醒』での路線変更も功を奏さなかった。また、金子・伊藤・樋口は元からゴジラシリーズや他の東宝作品を好む一方で昭和ガメラを好まず[注釈 12]、湯浅憲明や高橋二三などの旧来のスタッフ[注釈 29]や旧大映(徳間書店)や営業側だけでなく平成3部作のスタッフの一部ともガメラのキャラクター性[注釈 47]を中心に様々な意見の相違が発生し[注釈 11]、第一作目である『ガメラ 大怪獣空中決戦』の制作時に企画中止または金子修介が降板させられる寸前にまで関係が悪化していたと金子自身が述べており、実際にクランクインが大きく遅延されている[注釈 49][9]。そして、『ガメラ3 邪神覚醒』にて人間の犠牲者を出し過ぎたことと[注釈 13]、金子らによる続編の構想に難点が存在し[注釈 50]、徳間書店による平成シリーズは打ち切りとなり[9]、徳間書店の経営難と徳間康快の死去をもって大映の各プロパティは角川書店に売却され、2度目の著作権譲渡を迎えた[41][3][8]。
この他にも平成3部作が賛否の議論を呼んだ点としては、とくに『2』における自衛隊の描写が「(自衛隊への)過度の賛美」と捉えれたことや[注釈 51]、『2』の終盤の(爽快ではなく今後の不安を示唆させる)描写も試写後の評価は二分されたという[45]。また、上述の通り、金子ら自身も含めて「平成ゴジラシリーズ」に満足していなかった特撮ファンも当時は少なからず存在していた一方で、金子は平成ガメラ3部作が「平成ゴジラシリーズ」を攻撃する材料として使われていることに懸念を抱いている[注釈 44]。
なお、庵野秀明による(関係者同士の諍いも含めた制作事情をフィーチャーした)ドキュメンタリー『GAMERA1999』と林家しん平による自主制作映画『ガメラ4 真実』、同じく自主制作映画である『The Slammie Bros. vs. Godzilla and Gamera』が存在する[25]。
角川映画(KADOKAWA)時代
平成3部作の終了後、ガメラシリーズはしばらく休眠期に入ったが、ゴジラシリーズが2004年をもってひとまずシリーズの完結を迎えたことで、テレビ特撮番組からのスピンオフではない純粋な「特撮(怪獣)映画」の新作が観られなくなることを危惧したファンから、再びガメラシリーズの復活を求める声が高まった。
→詳細は「小さき勇者たち〜ガメラ〜 § 評価」を参照
大映自体も2002年に角川書店に営業権が譲渡され、その営業権をもとに新たに株式会社角川大映映画が設立された。角川大映は後に「角川映画」に商号を変更し、ガメラだけでなく「大魔神」や「妖怪シリーズ」の復活も考慮された[41]。角川映画の社長の黒井和男は商号が変更された直後に「大魔神」の新たな企画と共に『ゴジラvsガメラ』を東宝に対して提案したが、両シリーズのクロスオーバーは実現しなかった[注釈 7][19][21][20]。同社は平成3部作の路線からの脱却と原点回帰を目指し[40]、「ガメラを子供たちに返す」というモットーの下で、徳間時代とは違った形でのガメラ復活を検討する。その結果、『ゴジラ FINAL WARS』を経て東宝がゴジラ映画の製作を休止したことを受けて[8][50]、2006年には『ガメラ 大怪獣空中決戦』の最初期の脚本を再利用した『小さき勇者たち〜ガメラ〜』を製作・上映した[注釈 52]。しかし、本作は本来の意図である子供や女性の観客からは好評を得たが[注釈 45][注釈 46]、平成3部作の方向性を好む客層には支持されずに興行的に失敗[113]となり[注釈 53]、本作の続編だけでなく、後述の通り、同時期に進行していたアニメ作品などや大魔神の企画[42]が中止されるなど、シリーズは再度の打ち切りに直面して新たな休眠に入った。『小さき勇者たち〜ガメラ〜』が失敗した場合の経済的余裕はまったくなかったとされており、平成3部作の人気が高いことは制作陣も把握していて平成3部作の続編または類似した路線の踏襲を求める声もあった一方で、平成3部作からの脱却の必要性が非常に大きかったとされている[41]。
2015年10月、ガメラ生誕50周年記念としてウェブサイトが公開され[114]、YouTubeにて記念映像『GAMERA』が公開された[115]。この映像は石井克人が監督し、男児の子役とその父親として宮藤官九郎が出演した[115]。第28回東京国際映画祭日本映画クラシックス部門でも、「ガメラ」生誕50周年記念スペシャル映像が上映された[115]。一方で「ガメラシリーズ」や「大魔神」シリーズにも携わってきた井上伸一郎[116]は実際の映画化を5年ほど模索し続けていたとされており[117]、石井も本映像をベースとした映画化を示唆していたが[118]、本格的な復活には至らなかった[43]。
2022年11月に『GAMERA -Rebirth-』の製作が発表され[119]、2023年9月7日にNetflixにて配信された[120]。本作は未制作に終わった企画をのぞけばシリーズ初のアニメ作品であり、また令和初およびシリーズ最長の空白期間である17年[注釈 54]の月日を経て作られた新規本編である。本作は(ガメラと子供が互いに助け合うという関係性も含めて)昭和シリーズを中核として過去の全作品を意識して構成されている[121]。本作における戦闘シーンの方針として「ガメラによる人的被害を出さない」が掲げられており、第1話と第2話でガメラがギャオスとジャイガーを昭和記念公園と多摩川の河川敷に放り投げたのもこのためであるとされる[44]。なお、金子修介もこの頃に独自の新作案を持ち込んでおり、冗談まじりながらも「ガメラが真珠湾を襲う」というアイディアに言及している[103]。シーズン5までの構想や実写化への展望が存在するとされている一方で[122]、本作にも人間などの3Dモデルのクオリティーの低さが目立つなど全体的な予算と(ENGIのCG部門の形成も同時進行で行われた側面もあるが)スケジュールの不足が指摘されており[123][121]、オープニングアニメーションも用意されておらず[124]、監督の瀬下寛之が構想していた戦闘シーンは半分またはそれ以上[121]に削減されており[122]、検討されたが使用されなかった怪獣の能力や生態に関する描写も少なくなく[125][126]、瀬下は全話に怪獣同士の戦闘シーンを導入すること自体が予算的にかなり無茶だったと述べている[44]。また、続編の製作が叶うのならば予算の増加による戦闘シーンの拡大を希望しており[127]、本作が知名度の回復も含めてフランチャイズの継続(復活)のきっかけになることを望んでいる[128]。
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ガメラシリーズ全作品リスト
映画作品
昭和版
平成3部作
新生版
平成3部作関連作品
生誕50周年記念映像
- 2015年 「ガメラ」生誕50周年記念映像『GAMERA』(監督:石井克人 / 出演:宮藤官九郎、高橋琉晟)[129]
- ニューヨーク・コミコン2015での初公開され、50周年記念特設サイトも開設された。2014年秋にKADOKAWAの井上伸一郎やプロデューサーの菊池剛に依頼され、「これは大変そうだと思いつつも、こんな機会はめったにあるものじゃない」と引き受けた石井は、井上の用意したプロットではなく「ゴジラシリーズ」などで実績を持つ都築雄二と相談して独自に作ったプロットを元に、ガメラとギャオスと新怪獣のデザイン案も描いた。石井としては「イリスと似ちゃうかもしれないという危惧もあって、けっこう悩みました」という[130]。
- 約4分強の内容の制作は、長編映画と同様の段取りに絵コンテやプレビズなど、より細かな作業を経てアニメに近いものとなり、美術監督である都築に因んで『宇宙兄弟』を意識した映像表現が念頭にあったとされる。怪獣はすべてCGで表現されている。CG制作のメインにオムニバス・ジャパンを推薦した都築は、CGチームにとって面倒な作業である、厳密にパースを合わせたレイアウトの作成にこだわった。また、舞台となった六本木はCG向けのデータが揃っていなかったため、美術部とCGチームによるロケハンが何度も行われたという[131]。
- 制作当時、宮藤は自分の撮る映画の準備中だったが、石井の出演依頼を快諾したという。また、石井は完成したばかりの本作品を「今はまだ映像を客観視できない」と評しながらも、「こうすれば怪獣映画は撮れるんだなという手ごたえは感じましたね」と評している[131]。
- 井上は5年ほど、ガメラの新作映画の製作を模索してきたとされている[117]。
未公開・製作中止作品
- 『ガメラ対氷人』
- 『ガメラ対大邪獣ガラシャープ』
- 大映の倒産によって中断された昭和シリーズの続編。1971年ごろに『ガメラ対深海怪獣ジグラ』に続く8作目として企画されていた『ガメラ対双頭怪獣W』を、1991年発売のLD-BOXの映像特典として、ハイライトシーンをイラストとミニチュアによるシミュレーション映像と称して映像化した幻の次回作。ストーリー原案は高橋二三、イラスト・怪獣デザインは井上章、監督は湯浅憲明。登場する怪獣は大邪獣「ガラシャープ」と幻のNG怪獣「マルコブカラッパ」である。
- 『空想科学読本』などで知られる近藤ゆたか[70]が挿絵を担当したストーリーではガラシャープの姿、能力、ストーリーの細部にシミュレーション映像とは差異が見られる[133]。
- 湯浅・高橋・八木正夫・徳間康快などが協力している書籍では、廃案された『ガメラ対双頭怪獣W』を再利用したプロットが掲載されており、「W」こと「ワイバーン」だけでなく、鯨神[注釈 18]、ネズラ、パイラ星人[注釈 17]も含めた歴代の大映の怪獣・宇宙人系のキャラクターの多くが登場する大規模な構想となっている[53]。
- 『宇宙怪獣ガメラ』の実質的な続編として設定された漫画作品『マンガボーイズコミックススペシャル:大怪獣ガメラ』にはオリジナル怪獣が複数登場しており、それらの中にはガラシャープ・マルコブカラッパ・ネズラ・パイラ星人[17]を意識したキャラクターも含まれている[注釈 56]。また、二次創作[137]である『ガメラ:最後の希望』でも多数のガラシャープと大型個体が登場している[138]。2006年の製作中止のアニメシリーズ『牙滅羅』でもガラシャープやマルコブカラッパの登場が検討されていた[139]。
- 宇宙怪獣ガメラの後続展開
- 1990年代のVシネマ作品
- 『地球大破滅(ハルマゲドン)- ガメラVS.不死鳥(フェニックス)』
- 高橋二三が平成3部作とは異なる独自のプロットを作成し、1994年の公開を目指していた。これが1995年の小説『ガメラ対不死鳥』の原案になった[83]。
- 高橋はこの原稿を複数の特撮関係者に送っており、その中には『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』を絶賛して高橋を激励して一緒に仕事がしたいと述べ(これによって高橋は「ゴジラシリーズ」への劣等感から解放されたという)、1980年代には「大魔神」の復活企画への参加も予定されていた本多猪四郎[140]も含まれていた(高橋二三#来歴・人物を参照)。
- 上述の通り、高橋はガメラの権利と『ガメラ 大怪獣空中決戦』の製作面を巡って徳間書店側との軋轢の結果、旧来のシリーズの全関係者との連絡を絶っていた[2]。
- 『ガメラ4』
- 平成3部作の興行成績と[注釈 14]、『ガメラ3 邪神覚醒』の作中において人間の犠牲者を大勢出してしまったことなどが起因して制作中止になり[注釈 13]、『ガメラ4 真実』と類似したプロットを持つとされる[9]。また、当時の徳間書店も経営難に直面しており、上述の通り徳間康快の死去(2000年)をもって大映の各プロパティは角川書店に売却された。
- 『小さき勇者たち〜ガメラ〜』の企画段階でも、角川側も平成3部作の人気の高さから3部作の続編または同じ世界観での次作を求める声は角川社の内外に存在しており、社内でも路線の変更への支持と反対は半々であったが、平成3部作の方向性と子供の観客層への影響など[注釈 13]に関しては関係者の間でも賛否両論が激しく、シリーズの方向性の修正の必要性、およびマーケットの変化に対応せずに限られた層をターゲットにしたままでは「ガメラというキャラクターが死んでしまう」という危機感が抱かれたこと[注釈 46]もあって平成3部作との決別への必要性が重視され[注釈 52][注釈 53]、3部作の続編や3部作を踏襲した作風は許可されず、該当する世界観上の4作目は作られずに終わった[23]。
- 金子修介は『ゴジラ-1.0』を監督した山崎貴から『ガメラ4』への展望を質問された際に、「『GAMERA -Rebirth-』が進展している際に企画を持ち込んだことがある」「アイディアはあるが呼ばれない」とコメントして山崎も金子のガメラ作品への参加意欲を示しており、金子は冗談ながらも「ガメラが真珠湾を襲う」というアイディアを明かしている[103][141]。
- 『ゴジラvsガメラ』
- 富山省吾#エピソードも参照。徳間書店時代に、生前の徳間康快が平成3部作の制作時にクロスオーバーへの興味を表明し、東宝に企画を打診したとされている[17][18]。その後、大映のプロパティーの商号が徳間書店から角川に譲渡された直後の2002年にも、当時の角川映画の社長であった黒井和男が「大魔神」のリメイク企画と共に発表し、東宝へとオファーされたが実現せず、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』[注釈 7]が代わりに制作された[17][19][21]。「ゴジラシリーズ」のプロデューサーを務めてきた富山省吾は、後年のインタビューにて「需要は把握しているが、製作する側にはメリットがない」と答えている[20]。
- 金子修介もクロスオーバーの製作を希望しており、「(ガメラが正義でゴジラが悪役だから)ゴジラ派である」と述べている[142]。
- 『小さき勇者たち〜ガメラ〜』の続編
- 本作は平成3部作からの脱却と原点回帰[40]を意図しており[注釈 53]、平成3部作の路線を望んだ客層から受け入れられずに興行的に失敗して[113]シリーズ化は実現しなかったが[注釈 11]、ジーダスの他にもオリジナルギャオスの影響で怪獣化した生物が存在することが明記されている[注釈 57]など続編を示唆させる要素は劇場公開当時から存在した[41][50]。
- 三池崇史による同時期の大魔神の企画も本作の影響で中止になったとされており[42]、結果として『大魔神カノン』に帰結し[43]、三池は2021年の『妖怪大戦争 ガーディアンズ』に大魔神を登場させ[87]、外伝小説である『平安百鬼譚』には「玄武」ことガメラが登場した[88][89]。
- 『ガメラ』(テレビアニメ)
- 『小さき勇者たち〜ガメラ〜』に合わせてカートゥーンネットワークにて2007年にテレビアニメが放送開始することがアナウンスされた[143][144]。
- 『牙滅羅』(テレビアニメ)
- 『ガメラ3D』
- #平成以降のゴジラシリーズも参照。坂野義光による『ゴジラ対ヘドラ』[注釈 59]に準ずる3Dのゴジラ作品が企画されたが頓挫し、坂野が次に企画した作品として『Follow the Whales 3D』『Jewellers 3D』と共に製作が予定されていた。内容は、ガメラが「ミドラ」と呼ばれる怪獣と戦うものだが、その更に前身のプロットでは、ガメラが怪獣「孫悟空[注釈 60]」と共に公害怪獣「ガイラ(ナマゴン)」に立ち向かうものであった[145][146]。これも頓挫し、再度坂野による3Dのゴジラ作品が企画されたが、今度はそれがハリウッドに採用され、2014年の『GODZILLA ゴジラ』となった[147]。
- 2015年の記念映像の前身および後続展開
- 井上伸一郎が5年間ほど新規のガメラ映画の製作を目指していたが実現せず、結果的に2015年の50周年記念映像の制作に帰結した[117]。監督の石井克人も以降の映画化の可能性を肯定しており、実現すれば2016年または2017年に公開されることを示唆していたが[118]、結局は実現には至らなかった[43]。上述の通り、ガメラシリーズは経済的な背景からゴジラシリーズとの競合を避けようとしてきた歴史があり、『ガメラ3D』が前身として存在しているなどガメラシリーズの影響を受けている「モンスター・ヴァース」が2014年から開始されており、後続展開としてもガメラシリーズの関係者[注釈 61]による『シン・ゴジラ』と『GODZILLA』が公開されている。
- 井上は上述の『大魔神カノン』や『Fukushima 50』[148]に携わった他、2015年に小説作品『聖獣戦記 白い影』を出版し、『GAMERA -Rebirth-』などにも携わっている[116]。
- その他
- 詳細不明の中止になった企画[74]。2014年にも新作の製作が示唆されたが[149]、これらの情報と(井上伸一郎の映画化の企図が前身である[117])2015年の記念映像との関係性は明らかになっていない。
- この他に、上述の通り金子修介は『ガメラ4』へのアイディアも有している他にも新たな企画をKADOKAWAに持ち込んでいるが『GAMERA -Rebirth-』の製作が既に進行していた[103][141]。
- 1996年には樋口真嗣が『ガメラ3』への参加に乗り気でなかったために『ガメラ2.5』という案も企画され、金子と伊藤も打ち合わせに参加していた。ガメラは登場せず、一体の幼体ギャオスと過疎化した農村の老人たちの戦いを描くという『トレマーズ』や2011年の『デンデラ』に似た内容だったとされている。その後、樋口が参加する予定だった押井守[注釈 62]の『ガルム戦記』が中止になり(同企画は2015年の『ガルム・ウォーズ』に引き継がれた)、樋口の『3』への参加が決定した[45]。この「2.5」という数字は『大怪獣激闘 ガメラ対バルゴン COMIC VERSION』や「シーギャオス」が登場する『ガメラ外伝 Ver 2.5』といった漫画作品にも見られる[151]。
- 映像化作品の他にも、企画段階で中止になったテレビゲーム用のプロジェクトも存在していたとされる[152]。
- 他社による作品においてガメラを登場させることが企画段階で検討された事例も存在し、平成3部作の発足にも間接的に影響を与えた『みんなあげちゃう♡』[注釈 42]、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』[106]、『Godzilla: Unleashed』、『大怪獣のあとしまつ』[153]などが挙げられる。
ゲスト出演
- 『ガメラ対セーラーファイター』
- 『コスプレ戦士キューティ・ナイト』Version1.3 / Version1.0
- 『コスプレ戦士キューティ・ナイト2 帝国屋の逆襲』
- 『妖怪大戦争ガーディアンズ外伝 平安百鬼譚』
- 『虚実妖怪百物語』
- 『プラモ改造武闘伝 ガン☆キッド』
- ガメラ自身およびガメラを強化した「キャノンガメラ」、敵役の巨大ロボット「スケルトンガメラ」が登場した[156]。
- その他
→「Dr.スランプの登場人物」および「MOVE (聖飢魔IIのアルバム)」も参照
- 他会社による様々な媒体や『愛のヒーロー大怪獣ガメラ』[67]や『ゴジラ・ガメラ・ウルトラマン!怪獣クイズだ大集合!!』などのバラエティ番組など[157][158]にガメラや敵怪獣や大魔神が(部分的なオマージュやパロディーとは異なる)直接的なキャラクターとしてゲスト登場しており、『13日の金曜日 完結編』や『マッドメン』のエピソードの一つなどガメラやガメラ作品が背景に小道具などとして登場する作品も散見される。
→「ガメラ (曖昧さ回避)」も参照
アニメ作品
漫画作品
- 1984年 『大怪獣ガメラ』〈永島書店〉
- 1994年 『大怪獣ガメラ』作:寺沢健一郎、画:破李拳竜(月刊マンガボーイズ 1994年11月号 - 1995年2月号掲載)
- 1994年 『おまかせ! ガメラくん』むさしのあつし(てれびくん連載)
- 1999年 『ガメラ2 レギオン襲来 COMIC VERSION』
- 1999年 『ガメラ対モルフォス』Moo.念平(『アニメージュ』1999年1月増刊号に読み切り掲載)[170]
- 1999年 『ガメラ外伝Ver2.5』 島村英靖(少年チャンピオン 1999年14号 - 15号掲載)
- 2003年 『大怪獣激闘 ガメラ対バルゴン COMIC VERSION』近藤和久
- 2006年 『ガメラ2006 HARDLINK』Ark Performance
- 2006年 『ガメラ~小さき勇者たち~プロローグ』
- 2023年 『GAMERA -Rebirth- コードテルソス』カンブリア爆発太郎(ヤングエースUP)
コミカライズ作品
- 『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』馬場秀夫『少年ブック』(集英社)の1967年正月増刊号付録
- 『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』中沢啓治 光文社発行の少年誌『少年』の1967年4月号別冊付録「少年コミックス」とB5判サイズの単行本
- 1968年 『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』井上智 秋田書店の漫画雑誌『別冊まんが王』とB5判サイズの単行本
- 『ガメラ対大悪獣ギロン』中沢啓治 別冊まんが王 1969年春季号
- 1970年 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』一峰大二 『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)とB5判サイズの単行本
- 『ガメラ対深海怪獣ジグラ』すずき勝利 別冊冒険王 1971年夏季号
- 1995年1月1日『大怪獣ガメラ1 伝説の巨大モンスター大出現!!の巻』槙村ただし (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年2月20日『大怪獣ガメラ2 大怪獣空中戦ガメラ対ギャオスの巻』浜田よしみ (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年2月1日『大怪獣ガメラ3 大怪獣決闘ガメラ対バルゴンの巻』小山田つとむ (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年3月25日『大怪獣ガメラ4 大怪獣宇宙戦ガメラ対バイラスの巻』槙村ただし (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年3月25日『大怪獣ガメラ5:大悪獣決闘ガメラ対ギロンの巻』はまだよしみ (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年4月25日『大怪獣ガメラ6:大魔獣激突ガメラ対ジャイガーの巻』小山田つとむ (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年4月25日『大怪獣ガメラ7 大怪獣深海戦ガメラ対ジグラの巻』槙村ただし (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 1995年4月25日『大怪獣ガメラ8:宇宙最強!!6大怪獣軍団と大乱戦の巻』はまだよしみ (徳間書店の少年キャプテンコミックススペシャル)
- 『別冊コロコロコミック』に掲載された平成ガメラ3部作の伊藤和典脚本に基づくコミカライズ版。公開に先立って読み切り掲載された。
- 1995年 『ガメラ 大怪獣空中決戦』たかや健二(てんとう虫コミックススペシャル発売)
- 1996年 『ガメラ2 レギオン襲来』てしろぎたかし(1996年6月てんとう虫コミックススペシャル発売)
- 1999年 4月号『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』Moo.念平(未単行本化)
- 1995年3月25日 『ガメラ大怪獣空中決戦大百科』(立風書房) (立風書房) (『大怪獣空中決戦』の漫画化も含む)
- 2006年 『ガメラ~小さき勇者たち~プロローグ』津島直人(特撮エース15号、未単行本化)[49]
- 2023年 『GAMERA-Rebirth-』貴島煉瓦(タテスクコミック)
アメコミック作品
ゲーム作品
- 『大怪獣ガメラ伝説: Macintosh&Windowsマシン対応』 (ナツメ社CD-ROMブック)
- Macintosh&Windows CD-ROM用。
- 1995年3月3日 『ガメラ 大怪獣空中決戦』(メーカー:エンジェル)
- ゲームボーイ用のシミュレーション作品でスーパーゲームボーイにも対応しており、テレビ画面上にプレイ画面を表示させることも可能だった。平成3部作の世界観ながらも、ギャオス、スーパーギャオス( 『ガメラ 大怪獣空中決戦』に登場したギャオスの呼称とは別)、バイラス、ギロン、偽ガメラなどの敵怪獣との戦闘が行われる[49]。
- 1995年3月22日 『ガメラ - ザ・タイム・アドベンチャー -』(メーカー:バンダイ)
- プレイディア用。
- 1995年6月30日 『ガメラ ギャオス撃滅作戦』(メーカー:サミー)
- 1997年4月25日 『ガメラ2000』(メーカー:デジタルフロンティア)
- PlayStation用。タイトルの「2000」はゲームの舞台となる時代が西暦2000年であることから。ストーリー・設定は平成ガメラシリーズに基づいており、「世界各地で大発生した多数のギャオスやギャオスの亜種との戦い」という『G3』を先どったような内容である。ゲームは画面の奥を前方と見なす3Dシューティングで、プレイヤーが直接コントロールするのはガメラではなく戦闘機。ガメラはプレイヤー機の援護役として自機のロックオンに合わせてホーミング弾を放つ。なお、2Pでガメラだけを操作することもできる。当時、同じ3Dシューティングの名作『パンツァードラグーン』に似たゲーム、と評されることが多かった。漫才コンビ「パックンマックン」のパックンが実写ムービーデモに出演したり主人公の一人を演じている[49]。
- 製作はタイトーが協力し、タイトーサウンドチームのZUNTATAが担当した音楽は高く評価されている[49]。
- 1998年 『The Tower II』(メーカー:OPeNBooK→オープンブック9003)。Classic Mac OS、Windows用。このゲームのプラグインマップに、『ガメラ3』とタイアップした「京都駅ビル GIII」がある。
- 1999年3月25日 『ガメラ ドリームバトル』(メーカー:セガ)
- 2012年 『ガメラバトル』(メーカー:角川コンテンツゲート、ORATTA アイテム:課金制〈通信費は別途かかる〉)
- 2015年11月 『ガメラ対モンギア』(メーカー:セガ)
- 『モンスターギア』のコラボイベント[174]。
- 2017年10月19日 『巨影都市』(開発元:グランゼーラ、発売元:バンダイナムコエンターテインメント)
- PlayStation 4用。本作品において、ガメラは人類の脅威「巨影」の一体として登場する。
- 2023年 『青鬼オンライン』
- 『GAMERA -Rebirth-』とのコラボレーションが行われた[175]。
- 2023-2024年 『ゴジラバトルライン』
- 2025年 『ギガバッシュ(英語版)』
- ガメラ(Rebirth版)と敵怪獣がプレイアブルキャラクターとして登場する[27]。
カードゲーム
- 2024年 『UNION ARENA(ユニオンアリーナ)』
- 『GAMERA -Rebirth-』とのコラボレーションが行われた[177]。
小説作品
- 1995年 『ガメラ-大怪獣空中決戦』著:伊藤和典、イラスト:開田裕治・樋口真嗣、小学館 スーパークエスト文庫。1995年6月1日 初版第1刷。
- 1995年 『ガメラVS不死鳥(フェニックス)―愛と感動の怪獣戦争(バトル)』著:高橋二三、イラスト:柳柊二、小学館 スーパークエスト文庫。1995年5月1日 初版第1刷[84]。
- 2006年 『僕とトトの物語—映画『小さき勇者たち ガメラ』(角川文庫、2006年発行、ISBN 4043818017)
- 2006年 『ともだち 小さき勇者たち〜ガメラ〜』(エンターブレイン、2006年発行、ISBN 4757728050)
- 2015年 『怪獣文藝の逆襲』
- 2023-24年 『小説 GAMERA -Rebirth-』上下巻(瀬下寛之、じん、角川文庫)
ソノシートのオリジナル音声ドラマ
ムック
メイキングソフト
CM
パチンコ・パチスロ
- パチンコ
- 以下、いずれもメーカーはサミーによる製造。
- 2001年 『CRガメラR』
- 2001年 『CRガメラS』
- 2006年 『CRガメラエクストリームバトル』(型式名:CRガメラ+2X)
- 2009年 『CRガメラTHE BATTLE PACHINKO』(型式名:CRガメラHVJ)
- 以下、メーカーがタイヨーエレックによる製造。
- 2015年 『CRガメラ』
- パチスロ
- 以下、いずれもメーカーはフィールズがロデオブランド(現在はフィールズと提携を解消)で製造。
- 2000年 『ガメラ』(4号機)
- 2001年 『オオガメラ』(4号機)
- 2004年 『ガメラハイグレードビジョン』(4号機)
- 2010年 『ガメラZS』(5号機)
- 以下、メーカーがサミーによる製造。
- 2021年 『パチスロガメラ』(6号機)
- 2024年 『パチスロ ガメラ2』(6号機)
その他
- 1995年 『ガメラ 大怪獣空中決戦 Movie The Ride』(タイトー)
- 『ガメラ 大怪獣空中決戦』に基づいた体感型のアトラクション映像。上映時間は約3分であり、巡回上映されていた。観客は空母「アヴァロン」に搭載された垂直離着陸機であるガンシップの搭乗員となり、捕獲されたが輸送直前に脱走したギャオスをガメラと共に追撃する。ナビゲーターとして平成3部作の草薙浅黄を務めた藤谷文子が出演[49]。
- 2006年 切手
→「日本の特殊切手一覧」も参照
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他シリーズとの関係性
要約
視点
上述の通り、「ガメラシリーズ」の発足は「大魔神シリーズ」、加藤保憲[注釈 43]も登場した「妖怪シリーズ」、楳図かずお作品の映画化、『大怪獣ヨンガリ』の制作、エキスプロダクションの設立などにも帰結しており[7]、『コスプレ戦士キューティ・ナイト2 帝国屋の逆襲』などともコラボレーションを行っている[85][79]。一方で、本シリーズは他社の作品群との関連性も有している場合が散見される。また、上述の通りこれらのシリーズのキャラクターがゲスト登場する外部作品やテレビ番組[157][158]も散見される[注釈 65]。
調布市ではガメラ・大魔神・水木しげるによる『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』のキャラクター群をイメージキャラクターに設定しており、駅の構内やマンホールなど至るところにこれらのキャラクター達が描かれたり関連道具が展示されており、町の応援キャラクターである「ガチョラ」はガメラに因んでデザイン・命名されている[192][29]。また、これらのキャラクターや(「ガメラシリーズ」と間接的に関係性を有している)山村貞子のプロップなどが同時に展示される場合も見られた[173]。
キングコング
上述の通り、大映は1952年に戦後の日本における最初のモンスター映画の国内配給である『キング・コング』のリバイバル上映を行い、1954年にも『原子怪獣現わる』を配給しており、『大怪獣ガメラ』を含めて特に昭和の本シリーズはこの両作品から影響[注釈 19][注釈 67]を受けている[55][25]。
1976年版の『キングコング』で使用された ピーター・カレンによるキングコングの鳴き声は、『小さき勇者たち〜ガメラ〜』のガメラの声の一部に使われている[193]。『極地からの怪物 大カマキリの脅威』で使用された生物の鳴き声も、1976年の『キングコング』や『小さき勇者たち〜ガメラ〜』のガメラ、『怪獣大決戦ヤンガリー』のヤンガリーなどに使われている。
国内作品群
ゴジラシリーズとの競合
→「ガメラ (架空の怪獣) § 海外での評価」も参照
大映の経済的状況から発生した知名度の格差も相まって、とくに国外では「ガメラシリーズ」は「ゴジラシリーズ」の模倣であるという批判に頻繁に曝されてきたが[47][48]、上述の通りに両シリーズおよび「ウルトラシリーズ」は関係者の共有も含めて互いに影響し合ってきた経歴を持ち[6][194]、正式な映画作品として『ゴジラvsガメラ』が企画されたこともあった[21][20]。また、『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス[注釈 68]』や『ファイヤーマン』などの円谷プロ作品や[195][196]、『大巨獣ガッパ』『宇宙大怪獣ギララ』[注釈 69][注釈 42]などの各社作品にも「ガメラシリーズ」との関連性が見られる。
一方で、大映の経済状況は『大怪獣ガメラ』が制作された時点で危機的な状態であったこともあり、本シリーズの展開には「ゴジラシリーズ」との競合性が常に影響を及ぼしてきた。大映が倒産する前からビデオの配給において「ゴジラシリーズ」との競合の回避が図られてきただけでなく、徳間書店による1980年の『宇宙怪獣ガメラ』や(『ゴジラvsガメラ』のオファーが採用されなかったことを受けて制作された)KADOKAWAによる2006年の『小さき勇者たち〜ガメラ〜』は、『メカゴジラの逆襲』や『ゴジラ FINAL WARS』の興行結果の不振によって東宝がゴジラ作品の製作を休止していた時期に製作された[8][50][21]。また、「平成ゴジラシリーズ」は本来は『ゴジラvsメカゴジラ』を最終作と予定されていたがトライスター ピクチャーズによる『GODZILLA』の延期でシリーズが延長されており[197]、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の製作の開始も『ゴジラvsメカゴジラ』の公開前後と合致していた[41][198]。「平成ガメラ3部作」の配給も東宝洋画系であり、「ゴジラシリーズ」の配給を行っていた東宝邦画系よりも上映館数も大幅に少なかった。2015年がガメラの生誕50周年であったが、本来は映画化を目指していたものの新規の映画作品は製作されておらず[117][43]、一方で「ゴジラシリーズ」は、『ガメラ3D』が前身の企画として存在し金子修介も「平成ガメラ3部作」との類似性を認識している『モンスター・ヴァース』が2014年から開始され[147][199]、以降も樋口真嗣自身による『シン・ゴジラ』などの劇場公開作品および定額制動画配信サービスの両方において継続的に展開されている。2023年に(『GODZILLA』3部作を手掛けた瀬下寛之による)『GAMERA -Rebirth-』が配信されたNetflixにおいても、『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』が2021年に配信されていた。
また、『宇宙怪獣ガメラ』と『ガメラ3 邪神覚醒』と『小さき勇者たち〜ガメラ〜』が制作・公開された時期は「ゴジラシリーズ」の休眠および怪獣映画というジャンル自体の人気が低迷している時期(「怪獣映画の冬」)でもあったとされている[8][50][52]。
さらに、大映の経営状況を圧迫した顕著な原因の一つである興行網の弱さゆえに、大映作品の配給には松竹や東宝や東映の映画館の利用が必須であり、大映がこの状況を改善するために「大映興業株式会社」の発足を狙っても、他会社との競合ゆえに優良物件を得られることはなく[3]、上述の通り大映の倒産後も大映の各フランチャイズは東宝を含む他会社の配給体制に依存してきた。
昭和のゴジラシリーズ
上述の通り、永田雅一と円谷英二は1930年代初頭からの交流があり[15]、円谷・有川貞昌・荒木秀三郎は公職追放や東宝争議などを経て『虹男』と『透明人間現わる』の撮影をもって大映に入社しようとしていたが結果的に断念している。永田雅一の主導による「六社協定」の締結以降は円谷が大映作品に関与することもなくなったが、上述の通り円谷の関係者には「ガメラシリーズ」に後に関与することになる面々がおり[注釈 21]、「ガメラシリーズ」やその他の大映特撮の関係者[注釈 23]も「ゴジラシリーズ」や「ウルトラシリーズ」に関わることになっていった[55][7]。また、上述の通り『鯨神』や「大魔神」などに携わった伊福部昭の門下には山内正なども含まれている[7]。なお、永田が日本映画界の救済を目的としたことが輸出品としての怪獣・特撮作品の国外での人気の確立に帰結した側面もあるが、円谷が関係した『大巨獣ガッパ』と『宇宙大怪獣ギララ』は「映画輸出振興協会」からの融資を受けたものの、東宝は意図的に融資を受けず、「ゴジラシリーズ」の制作にも同協会からの支援は行われなかった[16][14][15]。
本多猪四郎が『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』を絶賛して高橋二三を激励して一緒に仕事がしたいと伝えたエピソードもあり、本多と高橋は後述の『ガメラ対不死鳥』の際にも交流を行い、1980年代には本多が「大魔神」を制作する話もあった[16][200][140]。
昭和の「ゴジラシリーズ」の後期には「ガメラシリーズ」からの影響を受けた複数の特徴が存在しており、より正義の味方的な立ち位置になったゴジラ、怪獣と人間の精神的な交流、人間との交流を特色とする「ミニラ」や東宝自身の亀をモチーフにした怪獣の「カメーバ」の登場[7][201]、(『モンスター・ヴァース』の前身である『ガメラ3D』の製作を予定していた坂野義光による)『ゴジラ対ヘドラ』におけるゴジラの飛行[7]、作風の変化[注釈 70]、より奇抜になった敵怪獣、(湯浅憲明と同門で『ガメラマーチ』の影響を受けている)関沢新一による『怪獣マーチ』の導入、円谷英二がキリスト教への信仰ゆえに嫌っていたにもかかわらず増加した怪獣の流血描写などが「ガメラシリーズ」からの影響として指摘されている[7][8][53][194][6][67]。また、生物を餌とせずにエネルギーを栄養源とするガメラの設定も、後のゴジラ作品よりも先行している[104]。
平成以降のゴジラシリーズ
上述の通り、「平成ガメラ3部作」は日本特撮の最高峰と見なされ[31][32]、「ゴジラシリーズ」や「ウルトラシリーズ」や「仮面ライダーシリーズ」など以降の特撮界全体への影響も多大であったとされている[6][79]。平成3部作が人気を博した理由の一つとして、金子修介自身も含む熱心な特撮ファンの中には当時の「平成ゴジラシリーズ」に満足していなかった人々[注釈 44]が少なからず存在したこともあったと評されている[41]。一方で、平成3部作の作風と方針には金子たちの「ゴジラシリーズ」や他の東宝特撮を好むが対照的に(昭和の)ガメラ作品やガメラのキャラクター性などを好まない趣向が作用しており[注釈 10]、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の企画段階から企画の頓挫や金子の降板にも帰結しかねない程の軋轢や賛否両論が多く存在し、これが『小さき勇者たち〜ガメラ〜』の制作方針にも多大な影響を及ぼした[41][9]。
『ゴジラvsスペースゴジラ』[202]、『ゴジラvsデストロイア』[202]、『ゴジラ2000 ミレニアム』[194][202]、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』[194]、金子自身による『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』[194][7]、樋口真嗣自身の『シン・ゴジラ』[7][203]、『ゴジラ-1.0』[204]などの東宝主体の作品に「平成ガメラ3部作」の影響が指摘されている他にも、後述の通りレジェンダリー・ピクチャーズによる「モンスター・ヴァース」は前身の企画の一つとして『ガメラ3D』が存在したなどの影響力が見られる[147][199][205]。また、ガメラの声のエフェクトが『ゴジラvsキングギドラ』においてゴジラザウルスの鳴き声に流用されている[111]。
徳間書店やKADOKAWAによる『ゴジラvsガメラ』のオファーが実現しなかったために制作された『小さき勇者たち〜ガメラ〜』[21][20]の主要な敵怪獣の「ジーダス」には意図的にゴジラ[22]やトライスター ピクチャーズのゴジラ[23]やジラース[24]を含む東宝系統の怪獣を意識した意匠が込められた[注釈 7]。また、トライスター ピクチャーズの『GODZILLA』の関連作品である『ゴジラ ザ・シリーズ』の商品展開でも両シリーズのフィギュアが同時販売されている[206]。
上述の「モンスター・ヴァース」には、前身の企画の一つとして(『ゴジラ対ヘドラ』でガメラを意識してゴジラを飛行させた坂野義光による[7])『ガメラ3D』が存在していた[147]。渡辺謙も出演しており[207]、このシリーズにおけるゴジラや敵怪獣や登場キャラクター[208]の設定や描写には金子修介作品(平成ガメラシリーズおよび『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』)との類似点が指摘され、金子自身も類似性を認識している[199][45][209]。また、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のコンセプトアートの一つにはガメラに酷似した怪獣またはガメラ自身が描かれており[210]。また、ジャレッド・クリシェフスキーによれば、『ゴジラxコング 新たなる帝国』に登場した冷凍怪獣のシーモ(Shimo)は製作段階でバルゴンの影響を受けているとされる[211]。
令和初の作品である『GAMERA -Rebirth-』においては、スマートフォン用のアプリゲーム『ゴジラバトルライン』との公式コラボレーションが実現し、ガメラ(昭和版とRebirth版)とギャオス(昭和版とRebirth版)[212]とギロン(Rebirth版)[176]がプレイアブルキャラクターとして参戦している[注釈 71]。上記の2002年の際とは逆に、今回は東宝側が角川側にコラボレーションを提案した[26]。また、対戦型のアクションゲームである『ギガバッシュ(英語版)』においてもゴジラやウルトラマンなどとの共演が実現している[27]。
昭和のウルトラシリーズ
上述の通り、円谷英二は永田雅一との付き合いも長く[15]、円谷と有川貞昌は一度は大映に入社しようとしており[55][7]、2021年の作品『ネズラ1964』にはモデル名こそ名言されていないが円谷を意識したキャラクター(古谷敏演)が登場している[62]。そして後には大映側からも円谷側の作品に関与する事例が出始め[注釈 23]、湯浅憲明は『ウルトラマン80』や『アニメちゃん』や『コメットさん』に携わっている[8]。
ガメラと同様に「第一次怪獣ブーム」を経て「巨大な特撮ヒーロー」として確立された円谷系の「ウルトラマン」もデビューの時期は近く、『大怪獣ガメラ』の翌年には(大映から円谷プロダクションに移籍した的場徹なども参加した)『ウルトラQ』が放送開始され、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の公開も『ウルトラマン』の放送開始よりも数ヵ月の差だが先行している。そして、「ウルトラシリーズ」が「ガメラシリーズ」から受けただろう影響も指摘されている[6]。
『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』は『宇宙怪獣ガメラ』の製作に影響を与え、実相寺は『帝都物語』や『ウルトラマンマックス』にも参加している[213][214]。
平成以降のウルトラ・仮面ライダー・スーパー戦隊シリーズ
→「ウルトラエッグ § タマゴラスシリーズ」も参照
「平成ガメラ3部作」の後続の「ウルトラシリーズ」と「仮面ライダーシリーズ」への影響は特に大きいとされ、長谷川圭一は「(平成ガメラ3部作がなかったら)以降の「ウルトラシリーズ」と「仮面ライダーシリーズ」は今の形にはならなかった」と述べている[79]。平成3部作の製作を経て得られた特撮の知見や技術が以降の様々な作品で使われており、たとえば「バタンコ」と呼ばれるビルを倒壊させる仕掛けも「ガメラ用語」とされている。また、「ガメラシリーズ」のキャラクターを意識したキャラクターが導入される事例も見られる。
→「ウルトラマンガイアの登場怪獣」および「ウルトラマンダイナの登場怪獣」も参照
「平成ガメラ3部作」は、かつて頓挫して上述の実相寺昭雄に引き継がれた『ウルトラQ』の企画を経ており、これが『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の前身となった。この没企画には企画段階も含めれば金子・伊藤・樋口の全員が携わっており、他にはじんのひろあきや島田満なども関与していた[79]。
平成3部作の特撮技術には、大映の倒産と共に知見などが失われたこともあり[45]、湯浅憲明らも携わっていた『ウルトラマン80』のノウハウが特に大きく活かされている他、後述の通り『ウルトラマンパワード』などの他のウルトラシリーズ作品も各関係者の集合の契機になった。その後、『ウルトラマンティガ』などの制作に平成ガメラ3部作を経験したスタッフも携わり始めて「ウルトラ特撮」がレベルアップしたとされている[79]。
湯浅の遺作であり「湯浅博士」というキャラクターでも登場している『コスプレ戦士キューティ・ナイト2 帝国屋の逆襲』には「カプセル怪獣ガメラ」がゲスト出演しており、月刊マンガボーイズにて『大怪獣ガメラ』に携わった破李拳竜がガメラを演じていた[85]。「カプセル怪獣」という呼称は『ウルトラセブン』にて同名の称号を持つ怪獣に使われている[79]。
『ウルトラマン対仮面ライダー』は「平成ガメラ3部作」に影響を与えた作品群の一つとして挙げられており、この作品には三池敏夫、松本肇、林方谷が参加しており、樋口真嗣も本作に強く刺激を受けている[45]。また、寒河江弘が『ガメラ 大怪獣空中決戦』に参加したきっかけは『仮面ライダーJ』と『超獣戦隊ライブマン』に共に参加した林方谷の影響であり、林自身は『ガメラ対深海怪獣ジグラ』などにも携わってきた[45]。
これら以外にも、「平成ガメラ3部作」には『ウルトラマン80』以来となる特撮テレビシリーズの『電光超人グリッドマン』の影響もあるとされ[45]、長谷川圭一などの「平成ガメラ3部作」の関係者と上述の鷺巣詩郎は『SSSS.GRIDMAN』などに参加している。
上述の実相寺昭雄も携わっていた『ウルトラマンマックス』では、金子修介が担当した第11話「バラージの預言」にて、テレビ上でのオンエア限定版にてガメラとゴジラの玩具が登場し、平成ガメラ3部作で草薙浅黄役を務めた藤谷文子も客演している[214]。この場面は角川と東宝が共に了承して実現したものの、DVDには収録しないという条件下で制作されており、本放送後は一部の再放送でノーカット版が使用されたに止まっている[49]。
『小さき勇者たち〜ガメラ〜』は「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」で知られる田﨑竜太の監督作品であり、本作には制作上の関連性がある(小さき勇者たち〜ガメラ〜#他の映画・テレビ作品との関連性も参照)。また、本作の興行結果が原因で中止になった三池崇史の大魔神の企画が再利用された『大魔神カノン』[42][43]にも三池敏夫や鈴村展弘[74]などの「仮面ライダーシリーズ」や「スーパー戦隊シリーズ」の関係者が関与している[215]。鈴村は田﨑の後輩でもあり、鈴村の関係者が撮影する予定だった詳細不明のガメラ作品が製作中止になっている[74]。
共演事例
→「ガメラ対大魔獣ジャイガー § 宣伝興行」も参照
『ゴジラ・ガメラ・ウルトラマン!怪獣クイズだ大集合!!』の様にガメラや大魔神や他シリーズのキャラクターたちに焦点を当てたりパロディーとして登場させたテレビ番組も見られたり[157][158]、雑誌上の企画や外部作品やイベントなど[216]で共演歴が存在する[注釈 65]。
この他にも、後述の通り『ガメラ3D』が前身の企画の一つである「モンスター・ヴァース」も含めて「ゴジラシリーズ」内でガメラを意識した描写が何度か見られたり[注釈 7]、『大怪獣東京に現わる』[25]のように多数の作品に見られる両キャラクターへのオマージュ[注釈 72]の他にも、(東宝側が逆にオファーした)『ゴジラバトルライン』[26]、『ギガバッシュ(英語版)』[27]、『ガメラ ドリームバトル』[3]、(『ガメラ:宇宙の守護神』のオリジナル版を出版したダークホースコミックスによる)『Insane issue 1』[220]の様に直接の本編やシリーズ作品ではないが「ガメラ」「ゴジラ」「ウルトラシリーズ」などの版権元や関係者が携わっている事例[注釈 73]や外部作品[注釈 65]や雑誌上の特集などで両キャラクターの直接的または疑似的な共演歴が度々見られた[216]。
怪獣ブームと妖怪ブーム
上述の通り、ガメラの生みの親の一角である永田雅一が主導した「六社協定」の影響で東宝以外の会社は「ゴジラシリーズ」の成功を安易に追従できない状況に置かれていたが、大映による1962年の『鯨神』と1965年の『大怪獣ガメラ』以降に他会社による怪獣作品が(特撮の技術やノウハウなどを有していないはずにも関わらず)急増しており、大映が円谷英二の協力を得ることを敢えて避けた一方で、『大巨獣ガッパ』と『宇宙大怪獣ギララ』も含めて円谷や円谷のチームが他会社に「六社協定」を回避して協力していただろうことは村瀬継蔵等の当時の特撮関係者からは明らかだったという[8]。そして、前述の通り、政界への政界への影響力も強い永田雅一が日本映画の海外への輸出を促進させるために「映画輸出振興協会」の設立に尽力したのも日本映画界の復興を目的としており[16]、日本政府も外貨獲得の手段として怪獣・特撮作品に着目していたことも相まって、「ガメラ」と「大魔神」のシリーズ化も含めて1966-1967年に政府による税金を用いた融資を経て怪獣作品が量産され、「第一次怪獣ブーム」が発足した[14][15]。なお、永田による外貨獲得のための邦画の輸出の企図は1950年代に遡り、当時の永田は戦後の経済復興として邦画の可能性に着目していた[223]。なお、永田のキャリアの重要な一角として知られる『羅生門』は高い評価を受けた一方で海外市場での興行は決して優れておらず、大映自身の妖怪系の特撮作品も含めて、(怪獣系作品以外の)「映画輸出振興協会」によって融資を受けた作品群の輸出の多くも赤字に終わったが、この背景としては文化的な馴染みや知名度の低さが影響を及ぼした可能性がある[15]。
一方で、「怪獣ブーム」の一角を担ったガメラシリーズと大魔神シリーズだが、主要な映画会社の五社が特にガメラシリーズの成功後に一斉に怪獣系作品に傾倒したためにイメージやアイディアが枯渇し始め、1968年に怪獣映画を製作していたのは大映と東宝だけであった。また、海外市場の開拓のための日本政府からの補助金に頼っていた「怪獣ブーム」の反動が大きく、東京オリンピック[注釈 40]の影響や『ウルトラシリーズ』などの人気作品によってテレビ業界が隆盛したことによって、競合関係に置かれていた日本映画界全体が予算の減少も含めて制作環境の激変を経て停滞し始め、最終的には「怪獣映画」というジャンルも含めた映画業界全体の低迷と大映自身や新東宝などの倒産にも影響を及ぼした[6][7][5]。
「第一次怪獣ブーム」と「第二次怪獣ブーム」の貢献者には大映とピープロダクションの出身者も含めたガメラシリーズの直接的・間接的な多数の関係者が携わっており[注釈 74]、またこれらの「怪獣ブーム」を大映特撮と共に構成した作品群の中には、関係者の共有や製作面の事情も含めてガメラシリーズと直接的・間接的な関連性を持つ物も多数含まれており、「ゴジラシリーズ[注釈 75]」や「ウルトラシリーズ」や「仮面ライダーシリーズ」以外にも、下記のドラマ版『悪魔くん』(鬼太郎#他作品への登場も参照)[224]、『アイアンキング』[注釈 76]、円谷英二のチームも携わった『大巨獣ガッパ』と『宇宙大怪獣ギララ』[注釈 69][注釈 42]と『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』[注釈 68]、『ファイヤーマン』[注釈 77]、大映とピープロダクションの関係者の作品群[注釈 78]、『デビルマン』[注釈 79]、『ジャイアントロボ』[注釈 80]。また、「第二次怪獣ブーム」の終焉のきっかけの一つになった『マジンガーZ』も、『虚実妖怪百物語』でも言及されており[155]、『ゴッドマジンガー』は大魔神からの影響を受けている[140]。
→「§ 他シリーズとの関係性」、および「鬼太郎 § 他作品への登場」も参照
また、(「第一次怪獣ブーム」の影響を受けた)水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』、楳図かずお作品を筆頭とする怪奇作品の人気が高まっており(妖怪ブーム)[229]、特に「第一次怪獣ブーム」の一角であり(1989年のアニメ版と共に大映の大魔神を意識したキャラクターも登場した)ドラマ版『悪魔くん』は水木自身の『ゲゲゲの鬼太郎』フランチャイズも含めてテレビ業界全体への影響力が顕著であったなど注目度も高く[224]、各映画会社もより小規模な小道具類で事足りる妖怪系作品に注目した。大映も水木と楳図とのタイアップを行い、「ガメラシリーズ」や「大魔神シリーズ」の関係者も携わって「妖怪シリーズ」などを制作し、「妖怪ブーム」の形成に貢献した[7]。
上述の通り、湯浅は大映の倒産後はテレビ業界に集中することとなり、平成ガメラ3部作への影響も大きい『ウルトラマン80』を含む「ウルトラシリーズ」の関連作品なども含めた数多くの作品を手掛け、唐沢俊一が「テレビ業界における最大のヒットメーカーの一人」と評するほどにキャリアを形成した[80]。
スタジオジブリ
→「巨神兵東京に現わる」も参照
徳間書店の時代は本シリーズもスタジオジブリも共に徳間書店のプロパティであったため、、平成3部作がジブリ系作品から配給面での影響を受けたり、上述の『ゴジラ対ガメラ』を提案した徳間康快の経歴として東宝によって配給された『もののけ姫』などがあり[18]、『巨神兵東京に現わる』では『ガメラ 大怪獣空中決戦』で使用された東京タワーの造形物を再利用することも企図されており、結果的には『巨神兵東京に現わる』の公開時にいくつかの劇場で東京タワーのモデルが展示されたこともあった[41][230]。『式日』[203]もスタジオジブリ系の作品であり、企画段階も含めてガメラシリーズの関係者(徳間康快、藤谷文子、庵野秀明、川井憲次、尾上克郎、林田裕至、伊藤進一、樋口真嗣など)が関与している[231]。また、KADOKAWA時代ではあるが、『GAMERA -Rebirth-』のキャラクターデザインも田中直哉と片塰満則の影響でジブリ作品に近い要素が取り入れられた[232]。
なお、宮崎駿も子供の頃に劇場で『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』を鑑賞しており、その子供向けの荒唐無稽さなストーリーが強く印象に残ったことを(『ガメラ対モルフォス』も掲載された[170])アニメージュでのインタビューにて明かしているが[16]、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』も『未来少年コナン』も共に『トム・ソーヤーの冒険』の影響を受けていて、『ガメラ対バイラス』と『未来少年コナン』にはプロット上の類似性が見られる[233]。
ホラー系作品
→「山村貞子 § 評価と大衆文化への影響」、および「学校の怪談 (映画) § 『学校の怪談3』(1997年)」も参照
『ガメラ3 邪神覚醒』の作風は明確にホラー映画を意識しており、この理由として前2作の興行成績と、当時は「怪獣映画」というジャンルの人気自体に陰りが出ていたこと、対照的に子供たちの間でホラー作品が人気であったことが関係しており、金子修介や平成3部作の関係者も携わったり後に「ガメラシリーズ」と間接的に関係性を持つことになった『リングシリーズ』や『学校の怪談シリーズ』の他にも『ほんとにあった怖い話』などの人気の影響を受けている[52]。また、イリスのデザインも含めて『デビルマン』を意識している部分もあるとされる[226]。
『学校の怪談3』は金子が監督を務めただけでなく「平成ガメラ3部作」の関係者の関与も多く見られ、『ガメラ3 邪神覚醒』が『学校の怪談』を意識した背景には市川南の影響力もあった[52]。後年のインタビューにて、金子はサンダンス・カンパニーの古澤利夫との交流もあって、もし『ガメラ 大怪獣空中決戦』がなかったら第1作目の『学校の怪談』を担当する予定だったと述べており、『学校の怪談3』を金子が監督した経歴として、『ガメラ3 邪神覚醒』の制作の延期と平山秀幸が『愛を乞うひと』の撮影で多忙になったことが関係しているとされる[45]。
平成3部作の関係者の作品
「平成ガメラ3部作」で得られたノウハウや経験などは3部作の関係者自身の後続の作品群にも活かされている。
金子修介は3部作の以降も上述の『ウルトラマンマックス』も含めた「ウルトラシリーズ[注釈 81]」『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』『学校の怪談3』『クロスファイア』『あずみ2 Death or Love』『神の左手 悪魔の右手[注釈 82]』「デスノートシリーズ」『スカイハイ2』などの特撮技術を用いた作品を手掛けている。また、上述の通り金子の作品である『みんなあげちゃう♡』にもガメラを登場させることが検討されていた。同作には樋口真嗣も関与しただけでなく金子は当初は伊藤和典に脚本をオファーしており、同作の制作を経て金子は円谷プロダクションとのコネクションを有することになって結果的に平成ガメラ3部作の制作に影響を及ぼした『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の企画に繋がったことからも、金子は『みんなあげちゃう♡』も平成3部作に繋がる作品群の一つとして挙げている[注釈 42]。
樋口真嗣の後続作品にも平成ガメラ3部作の影響が見られる作品は散見され、たとえば『シン・ゴジラ』、『シン・ウルトラマン』[203]、『巨神兵東京に現わる』、『ローレライ』、『日本沈没』、(ギャオスが諫山創の巨人のイメージに影響を与えた)『進撃の巨人』[235]などが含まれる[7]。
また、これまで「ガメラシリーズ」や『大魔神カノン』などに携わってきた井上伸一郎によると、井上が製作総指揮を務め三池敏夫なども参加した『Fukushima 50』には平成ガメラ3部作へのオマージュが込められているとされる[148]。
高橋留美子作品
後述の通り、金子修介と伊藤和典と押井守は『うる星やつら』を筆頭に「平成ガメラ3部作」の以前から交流があり、実際に『うる星やつら』のいくつかの描写は平成3部作に応用されており、押井が『G2』の撮影に参加する予定もあった[150]。金子たちの交流だけでなく、『うる星やつら』には実際にガメラやギャオスや大魔神が何度かゲスト登場している[181][183][236]。
『犬夜叉』でも「玄武」の回転攻撃がガメラの描写と類似しており、劇場版『紅蓮の蓬莱島』にも玄武をモチーフにした巨大で火球を吐く亀型の剛羅が登場している[237]。そして『虚実妖怪百物語』では、ガメラと大魔神とダイモンが犬夜叉や殺生丸と僅かながらも共演している[155]。『鯨神』や『大魔神』の音楽を担当し、山内正なども教えた伊福部昭の生徒の一人は『犬夜叉』や『ゲゲゲの鬼太郎』等を担当してきた和田薫である[7]。
デジモンシリーズ
『小さき勇者たち〜ガメラ〜』と『デジモンテイマーズ』[96]と『ウルトラマンティガ』の脚本に影響を与えた「小中ガメラ」は小中千昭・小中和哉兄弟が(伊藤和典らが携わる以前の)『ガメラ 大怪獣空中決戦』の最初期の脚本であり(小中兄弟による物と岡田惠和による物が存在した)、『GAMERA -Rebirth-』にも「小中ガメラ」とのプロット上の複数の類似性が見られる[45][97]。
また、『ガメラ3 邪神覚醒』は『デジモンアドベンチャー』と同日に封切られており、前者の関係者は後者に強く感銘を受けたとされている(ガメラ3 邪神覚醒#評価を参照)。
その他
上述の通り、大映の倒産によって徳間書店には特撮のノウハウが残されていなかったとされており、「平成ガメラ3部作」の制作には各関係者の過去の作品群での経験や知見や交流の経歴が活かされている。上述の「(湯浅憲明も携わった『ウルトラマン80』やを中心とする)「ウルトラシリーズ」および『みんなあげちゃう♡』[注釈 42]、「仮面ライダーシリーズ」、『超獣戦隊ライブマン』、『電光超人グリッドマン』、『帝都物語』や『ミカドロイド』[注釈 43]の他にも、『うる星やつら』と押井守の関連企画[注釈 83]、「ゴジラシリーズ」[注釈 84]、ガイナックス(旧DAICON FILM)作品[注釈 85]、『ゼイラム』および『未来の想い出』、『ガンヘッド』、『孔雀王 アシュラ伝説』、『妖獣大戦』などが「平成3部作に繋がる作品」の代表として挙げられている[45]。
なお、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の企画の初期(「小中ガメラ」)には『進め!電波少年』とのコラボレーションが検討され、「バウバウ」がマスコット怪獣として本作への登場も考案されていた[97]。
この他にも、「平成ガメラ3部作」は『戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED』とのコラボレーション企画の『ガメラ 大怪獣絶唱』を行っており、非公式ではあるが『ガメラ3 邪神覚醒』の後のストーリーが展開されている[238][239]。
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脚注
参考文献
外部リンク
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