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日本の俳優・映画監督・コメディアン ウィキペディアから
竹中 直人(たけなか なおと、1956年〈昭和31年〉3月20日[1][4] - )は、日本の俳優、映画監督、声優、タレント、コメディアン、歌手。
たけなか なおと 竹中 直人 | |||||||||||||||||||
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竹中直人(2012年) | |||||||||||||||||||
生年月日 | 1956年3月20日(68歳) | ||||||||||||||||||
出身地 | 日本・神奈川県横浜市金沢区 | ||||||||||||||||||
身長 | 168 cm | ||||||||||||||||||
血液型 | A型[1] | ||||||||||||||||||
職業 | 俳優・映画監督・声優・タレント・コメディアン・歌手 | ||||||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台・バラエティ | ||||||||||||||||||
活動期間 | 1983年[2] - | ||||||||||||||||||
配偶者 | 木之内みどり(1990年 - )[3] | ||||||||||||||||||
所属劇団 | 劇団青年座(1980年 - 1990年) | ||||||||||||||||||
事務所 | レディバード | ||||||||||||||||||
公式サイト | 公式プロフィール | ||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||
テレビドラマ 『秀吉』/『のだめカンタービレ』 『フリーター、家を買う。』 『都市伝説の女』/『軍師官兵衛』 『失恋ショコラティエ』 『ようこそ、わが家へ』 『仮面ライダーゴースト』 『あなたの番です』/『極主夫道』 『青天を衝け』 映画 『ヒルコ/妖怪ハンター』 『シコふんじゃった。』/『ヌードの夜』 『EAST MEETS WEST』 『GONIN』シリーズ /『Shall we ダンス?』 『完全なる飼育』シリーズ 『三文役者』/『ウォーターボーイズ』 『ピンポン』/『僕らのワンダフルデイズ』 海外映画 『新宿インシデント』/『マンハント』 『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』 監督兼出演 『無能の人』/『119』/『東京日和』 『連弾』/『山形スクリーム』 劇場アニメ 『機動警察パトレイバー2 the Movie』 『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』 『イノセンス』 『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』 洋画吹き替え 『バットマン フォーエヴァー』 『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』 『アベンジャーズ』シリーズ 海外アニメ 『アイス・エイジ』シリーズ 『シュレック』シリーズ 『長ぐつをはいたネコ』 | |||||||||||||||||||
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神奈川県横浜市[5]金沢区出身[6]。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業[7]。レディバード所属。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授[7]。妻は元アイドル歌手、女優の木之内みどり[3]。
神奈川県横浜市金沢区富岡にて、横浜市役所に勤務する地方公務員夫妻の一人息子として誕生する[8][9]。
幼少期は家で一人遊びすることを好む内気な性格であったが、両親と共にしばしば映画鑑賞に足を運んでいたことなどがきっかけで映画業界に関心を持つようになる[8]。横浜市立富岡小学校[10]後、関東学院六浦中学校入学を機に、内気な性格を克服すべく習得したモノマネ芸で同級生からの注目が集まるようになる[8]。関東学院六浦高等学校在籍時より自作で映画を撮るようになり、映画業界を本格的に志望するようになる[8][6]。しかし、高校卒業前後に母親が肺結核により54歳で死去したため、父子家庭となった[8][9]。
2浪して1976年に多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻に入学[5][11]。大学在学中は「映像演出研究会」に所属[12]。8ミリ映画の制作に没頭し、監督から出演までこなす。この時に地蔵が首を振って笑う「首振り地蔵の怪」という短編映画を撮影したが、皆に作品を馬鹿にされたため、「(笑いながら)ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と言ったところ大爆笑となったことが、のちに40年以上続く十八番ネタ“笑いながら怒る人”の起源となる[13]。
大学在学中の1977年、『ぎんざNOW!』(TBS)の「素人コメディアン道場」で第19代チャンピオンに輝く。その後、『TVジョッキー』(日本テレビ系)の素人参加コーナーにてモノマネ芸でチャンピオンとなり注目される[4]。1979年12月に、『欽ちゃんの仮装大賞』の第一回でモノマネを披露(タイトルは「松田優作のドラキュラ」)、番組初の不合格となる。
また大学生時代、在学していた大学がテレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』のロケの舞台になっていた関係で、同作の撮影の合間に井上純一ら生徒役の出演者の前に出て来てよくものまね芸を披露していたこともあった[14]。
大学在学中に自主映画の製作に携わったことで俳優を志し、1980年に卒業[7]後、「洋モノ」をやらないとの理由で劇団青年座に入団する[12][15]。
俳優だけでは一生食べていけないと感じ始めていた折にプロダクション人力舎の玉川善治から声を掛けられて[15]、1983年、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」に出演してグランドチャンピオンになり、デビュー[2][4]。普段は辛口な評論をする司会の横山やすしから絶賛され、その後バラエティ番組に多数出演する。1985年にはシティーボーイズ、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇/コントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(RGS)を結成[16]。
『東京イエローページ』(1989年 - 1990年)、『竹中直人の恋のバカンス』(1994年 - 1995年)、『デカメロン』(1997年)など、竹中を中心としたコント番組も放映されている。
映画やテレビドラマも当初は脇役での奇矯な演技が多かった(『痴漢電車・下着検札』〈1984年〉準主演では、全演技を得意の松本清張と松田優作の物真似で通している)が、次第にシリアスな役、小市民、悪役などへも役柄を広げていった。
劇団青年座を1990年に退団後、劇作家の岩松了と舞台「竹中直人の会」を開始、2002年までほぼ一年に一度のペースで公演を行う。
1996年、NHK大河ドラマ『秀吉』で主演の豊臣秀吉役に抜擢され、平均視聴率30.5%、最高視聴率37.4%の高視聴率を記録するヒット作となった[17][18]。その後、『熊本物語』(2002年)、テレビ朝日テレビドラマ『敵は本能寺にあり』(2007年12月放送)、18年後のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』(2014年放送)[17][18]、ゲーム『仁王2』(2020年発売・声優としてのちの豊臣秀吉である藤吉郎役)、映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(2024年7月公開)と6度にわたって秀吉を演じている[19][20]。また、2006年には豊臣秀吉をモチーフにして竹中が声を担当したパチスロ機「竹中直人のパチスロ太閤記」も制作されている[21]。
1999年、従来から形態模写の対象としていた遠藤周作を主人公としたTBSドラマ『夫の宿題』(遠藤夫人の回顧録が原作)に遠藤周作役で出演。
1991年、つげ義春の漫画『無能の人』を映画化する際、奥山和由に才能を見出されて主演を務めると共に監督にも抜擢され、同作が監督デビュー作となった[4]。
雑誌『キネマ旬報』に連載のエッセイ「少々おむづかりのご様子」が1992年のキネマ旬報読者賞を受賞するなど、エッセイストとして文筆活動を行う。
2004年には『唐辛子なあいつはダンプカー!』で初めて舞台の演出も手掛ける[24]。
歌手としても高橋幸宏プロデュースのアルバム『MERCI BOKU』、『イレイザーヘッド』などを発表。2006年7月、竹中直人&ワタナベイビーとして、「今夜はブギー・バック」をカバー(プロデュース・スチャダラパー)。
その他様々なラジオのパーソナリティやバラエティ番組などの司会を担当している。
2006年4月、母校である多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授に就任。本人の公式ホームページで、2010年4月11日に初めて明かした。
2012年、フランス観光親善大使に就任する[25]。
2021年7月23日の東京オリンピックの開会式への出演を辞退した。1985年発売のビデオの内容が視覚障害者を揶揄すると批判されて謝罪したことがあるため、竹中側から辞退を申し出た[26]。
幼少期はフランケンシュタインの怪物などのモンスターがヒーローであったといい、強くなくどこか屈折したものに憧れたという[4]。また、『帰ってきたウルトラマン』などの暗い照明の作品が好きであるという[4]。
スケジュール以外では仕事を断らない[13][27]。話の流れを知ってて演じるのが嫌い。明日のことを分からないで生きているのに、演じるときに把握してるのが嫌で台本は読み込まない[28]。
アクション作品の憧憬として、竹中のルーツはブルース・リーと指摘されているが、本人は心に残るアクションスターに千葉真一を挙げている[29]。
竹中は『TVジョッキー』でとんねるずの石橋貴明と出会い、以後親交が続いている[30]。
明石家さんまに自身が大好きだという泉昌之の『かっこいいスキヤキ』を渡したことがある[31]。
『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之とは30年来の親交があり、ドラマ化されるずっと以前より久住に「監督したい」と話していた[31]。
母方の家族は1942年に発生した横浜港ドイツ軍艦爆発事件の被害者遺族であった(事故に巻き込まれて死亡した行商人の一人が竹中の実の母方の祖父であった)が、竹中自身は母の存命時はこの事実を知ることはなかった[9]。
1989年の劇団青年座『写楽考』の海外公演でスペインに約1か月間滞在中、偶然出会った元アイドル歌手・女優の木之内みどりをお気に入りの喫茶店に誘ったことをきっかけに結婚相手として意識し、仕事でニューヨークへ向かった木之内を追いかけて同地にてプロポーズ。1990年に結婚した[3]。木之内との間に同年に一女を、1997年に一男をもうけている[34]。
テレビアニメ
発売日 | タイトル | B面 | 規格 | 規格品番 | ||
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ポリスター / Casablanca Records | ||||||
1st | 1984年5月25日 | レスラー[注釈 1] | 齢のすぎゆくままに (As age goes by) | EP | 7P-101 | |
2nd | 1985年4月25日 | 24,000回のタカシ 〜After 24,000th Kiss〜 | イースト・リバー・ブルース 〜EAST RIVER OLD BLUES〜 | EP | 7P-116 | |
ポニーキャニオン | ||||||
3rd | 1994年10月1日 | ポストマンパットのうた | ポストマンパットのうた〈カラオケ〉 | 8cmCD | PCDG-00063 | |
CT | PCSG-00037 | |||||
アゲント・コンシピオ | ||||||
4th | 1995年5月1日 | ドクトクくん[注釈 2] | おぼえてること | 8cmCD | COCDS-9305 | |
イーストウエスト・ジャパン | ||||||
5th | 1997年10月25日 | 君に星が降る | 君に星が降る (口笛ヴァージョン) | 8cmCD | AMDM-6215 | |
6th | 1998年9月1日 | 日曜日の食事 | 日曜日の食事 (マーチ・バージョン) | 8cmCD | AMDM-6255 |
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |||
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アルファレコード | ||||||
1st | 1984年9月25日 | かわったかたちのいし | LP | ALR-28062 | ||
CT | ALC-28057 | |||||
ポリスター / Casablanca Records | ||||||
2nd | 1985年5月25日 | 24HOURS | LP | 28P-82 | ||
2003年2月26日 | 24HOURS+レスラー | CD | PSCR-6110 | |||
アゲント・コンシピオ | ||||||
3rd | 1996年10月18日 | イレイザーヘッド | CD | AGCA-10001 | ||
4th | MERCI BOKU | CD | AGCA-10002 | |||
イーストウエスト・ジャパン | ||||||
5th | 1997年11月25日 | Siesta? | CD | AMCM-4343 | ||
ビクターエンタテインメント | ||||||
6th | 2011年7月20日 | 竹中直人のオレンジ気分 | CD+DVD (初回限定盤) | VIZL-424 | ||
CD (通常盤) | VICL-63764 | |||||
COME TRUE RECORDS | ||||||
7th | 2017年4月19日 | ママとカントリービール | CD+DVD (初回限定盤) | CTR-17041 | ||
CD (通常盤) | CTR-17042 |
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | |||
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アゲント・コンシピオ | ||||||
1st | 1996年10月18日 | MERCI BOKU,UNPEU BOKU〜LIVE IN JAPAN | CD | AGCA-10003 |
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
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1995年6月21日 | GRAND PRIX | 東京スカパラダイスオーケストラ | 「PIT#1」 | |
「Skung-fu Man '95」 | ||||
1997年4月25日 | デカメロン | 竹中直人 with 東京スカパラダイスオーケストラ | 「デカメロン」 | TBS系『デカメロン』オープニングテーマ |
「海、山、恋だ若大将!!(加山雄三メドレー*美しいヴィーナス〜小さな恋人〜君の瞳の青空〜ブライトホーン)」 | ||||
2000年11月22日 | 口笛とウクレレ | 関口和之 featuring 竹中直人 | 「BITTERSWEET SAMBA」 | |
「雨にぬれても」 | ||||
「MOON RIVER」 | ||||
「LOVE」 | ||||
「私の青空」 | ||||
「慕情」 | ||||
2004年12月10日 | 唐辛子なあいつはバンドマン | MEN'S 5 | 「そっちの方がスゲェー!!」 | メインボーカルとして参加。 |
「俺は唐辛子」 | ||||
2006年5月31日 | 友情のエール | YELL FROM NIPPON | 「友情のエール」 | |
2006年7月5日 | 今夜はブギー・バック | 竹中直人&ワタナベイビー | 「今夜はブギー・バック」 | 映画『男はソレを我慢できない』主題歌 |
2008年4月23日 | 口笛とウクレレ2 | 関口和之 featuring 竹中直人、分山貴美子 | 「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ〜overture〜」 | |
「ヴィーナス」 | ||||
「幸せの黄色いリボン」 | ||||
「夏の日の恋」 | ||||
「ぼくの伯父さん」 | ||||
「蘇州夜曲」 | ||||
「カーマは気まぐれ」 | ||||
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」 | ||||
「La Mer」 | ||||
2016年9月21日 | 再建設的 | いとうせいこう & リビルダーズ | 「恋のマラカニアン」 |
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