Loading AI tools
ウィキペディアから
全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(ぜんこくこうとうがっこうバレーボールせんばつゆうしょうたいかい)は、1970年から2010年までの41年間にわたり行われた高校バレーボールの大会。
開始年 | 1970年 |
---|---|
終了年 | 2010年 |
主催 |
日本バレーボール協会 全国高等学校体育連盟 産業経済新聞社 |
開催国 | 日本 |
チーム数 |
男女各53 (最終開催)チーム |
前回優勝 |
男子:東洋(初) 女子:東九州龍谷(3回目) |
最多優勝 |
男子:藤沢商(5回) 女子:八王子実践(5回) |
2011年から全日本バレーボール高等学校選手権大会に移行 |
「若さでアタック!春の高校バレー」というサブタイトルを大会名冒頭につけていたため、一般には「春の高校バレー」、「春高バレー」、またごくわずかながら「バレーの甲子園」と呼ばれていた。この全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(現称:全日本バレーボール高等学校選手権大会)は、インターハイ、国体と並ぶ高校バレーボールにとって重要な位置づけにある大会とされ数多くの日本代表選手を輩出する日本代表への登竜門とも云われた。
大会は多少の変動があったものの、概ね開催期間を春休みの3月20日から3月26日まで1週間とし、会場は原則として東京都渋谷区の国立代々木第1体育館を使っていた。過去には青山学院大学記念体育館や東京体育館(初期のころは東京都体育館が主会場だった時代あり)、駒沢屋内球技場をサブ会場としていた時期があったほか、2007年は代々木がアスベスト除去工事の関係上、インターハイリハーサルを兼ねてさいたまスーパーアリーナで行った。
全国大会への出場権は、当初地域ブロック単位の24校だったものの第3回から31校(東京は2校)、第7回から北海道が2校となり、32校に、第20回から各県代表に東京都は3校の51校、第25回から神奈川、大阪も2校になり、前年優勝校(地区予選免除)と地方大会で勝ち上がった学校の男女53校ずつ、計106校へ与えられた。地方大会は毎年1月から2月にかけて開催され、原則各都道府県1校ずつであったが、面積規模や高校数などを考慮し、東京都は(2校+開催地枠により)3校、大阪府、神奈川県、北海道は各2校とされた。北海道は南北地域代表、ほか3都府県は第1代表・第2代表であった。ただし、2007年の大会については特例で埼玉県にも「開催地代表」として県大会の準優勝校に出場権が与えられたため、54チームずつ(合計108校)としたことがある。
抽選会は3月初めに行われ、フジテレビが本社を移転してからは台場本社で行われた。最初に前回優勝校が第1シード、他の強豪3校が第2~4シード、東京都大会優勝校が第5シードとそれぞれ配置され2回戦から緒戦を行い、次に残りの代表校の抽選が行われた。但し、同地区で3校出場の東京都代表校同士は準決勝以降、2校出場の大阪、神奈川、北海道(及び2007年のみ埼玉県も)代表校同士、さらに前回優勝校と同地区代表校とはそれぞれ反対ブロックに配置され、前回優勝校が大阪府・神奈川県・北海道の場合は、同地区で3校出場となるため前述の東京都代表校と同じ扱いとした。
試合は地方大会、全国大会通じてトーナメント方式。3回戦までは3面、準々決勝は2面のコート(準々決勝日もコートは3面設置されているが、中央部のコートは使用せずシートでかぶせる)で同時に行われたが、準決勝と決勝戦はアリーナ全体をセンターコートにし1面のみで競技が行われた。それに伴い試合セット数も準々決勝までは3セット制(2セット先取)、準決勝と決勝戦は5セット制(3セット先取)であった。
優勝校には優勝カップと、コカ・コーラ社の賞品が副賞として贈呈された。また女子の優勝校には当該年の黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会の出場権が与えられた。
春高バレーは3月開催であるゆえ、3年生は既に高校を卒業して進学や就職を控えているため、大会に出場することができなかった。この影響もあり、卒業を控えた3年生の中には実業団等でプレーを続ける者が特に女子では少なくなく、インターハイまたは国体後にブランクが生じることで競技勘が鈍る(Vリーグの内定選手制度活用により入社前の1月から競技を行い、ブランクを少なくすることも可能ではある)のが問題になったことなどから、そうした選手がモチベーションを維持するためにも3年生が出られる大会新設を望む声が高まった。これを受け関係諸団体は、1月に開催する新たな選手権大会を作ることを決めた。なお、長年親しまれてきた「春高バレー」の愛称は継続され、1月の選手権大会に受け継がれた。変更内容は次のとおり。
なお1995年3月20日、第26回大会初日に地下鉄サリン事件が発生したがそのまま実施された。
参考:32校時代(1988年)
それまで3月下旬〜4月上旬であったが、選抜高校野球の日程を避けるため、1985年から3/21〜25に固定。
本大会が始まるまで、高校バレー全国大会は夏のインターハイと秋の国体のみであり、高校選手の強化面で問題があった。
1967年7月に、全国大会は年2回までとしてきた文部省(当時)の規制が緩和されたこともあり、日本バレーボール協会の前田豊副会長と松平康隆副理事長(当時)が新大会創設に奔走した[5][6]。フジサンケイグループの高校野球のようなアマチュアスポーツ事業を展開したいとの考えとも一致し1969年9月、フジテレビの鹿内信隆社長と前田との初会合を経て、準備期間わずか半年で本大会をスタートさせることになった[5]。
春高バレーコーチングキャラバンは、全日本経験者のコーチを全国大会出場をめざす高校に派遣し指導するとともにバレーボールのブームアップを行うプロジェクトのことである。馬運車を改造した最新の中継車を先頭に、フジテレビの取材・中継車が幌馬車(幌つきコーチ)隊のように、キャラバンを組んで取材に入ることに掛けて名づけられた。
原則、フジテレビ系列局のある都道府県の高校が対象だが第2回から山梨県の高校にも派遣されている。この企画は2001-2002年シーズンからはじまった。指導の様子は、各地区担当局エリアによる地上波(FNS28社及び日本テレビ系列の山梨放送の計29作品)・フジテレビONE(CS放送)・BSフジ(2009年を除く)で放送される。
2012年からは「バレーボールコーチングキャラバン」(略称コチキャラ)を開始した。全日本経験者のコーチを高校に派遣し指導する他に対象の高校生が地元の小中学生を対象に練習会を行う。
回 | 年 | 優勝校 | 準優勝校 | ベスト4校 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1970年 | 中大付(東京) | 崇徳(広島) | 大商大付(大阪) | 鹿児島玉龍(鹿児島) |
2 | 1971年 | 大商大付(大阪) | 日大山形(山形) | 崇徳(広島) | 鳥取工(鳥取) |
3 | 1972年 | 崇徳(広島) | 大商大付(大阪) | 釧路工(北海道) | 鹿児島玉龍(鹿児島) |
4 | 1973年 | 大商大付(大阪) | 崇徳(広島) | 宇部商(山口) | 博多(福岡) |
5 | 1974年 | 古河一(茨城) | 直方(福岡) | 大商大付(大阪) | 崇徳(広島) |
6 | 1975年 | 崇徳(広島) | 藤沢商(神奈川) | 駒大高(東京) | 大商大付(大阪) |
7 | 1976年 | 大商大付(大阪) | 崇徳(広島) | 弘前工(青森) | 中大付(東京) |
8 | 1977年 | 弘前工(青森) | 都城工(宮崎) | 大商大付(大阪) | 直方(福岡) |
9 | 1978年 | 藤沢商(神奈川) | 大商大付(大阪) | 東洋(東京) | 高知商(高知) |
10 | 1979年 | 藤沢商(神奈川) | 大商大付(大阪) | 東海大四(北海道) | 深谷(埼玉) |
11 | 1980年 | 藤沢商(神奈川) | 習志野(千葉) | 弘前工(青森) | 岐南工(岐阜) |
12 | 1981年 | 弘前工(青森) | 大商大付(大阪) | 藤嶺藤沢(神奈川) | 長浜商工(滋賀) |
13 | 1982年 | 藤沢商(神奈川) | 東洋(東京) | 東海大四(北海道) | 延岡工(宮崎) |
14 | 1983年 | 東亜学園(東京) | 直方(福岡) | 弘前工(青森) | 浜松湖東(静岡) |
15 | 1984年 | 崇徳(広島) | 法政二(神奈川) | 習志野(千葉) | 高輪(東京) |
16 | 1985年 | 習志野(千葉) | 東海大四(北海道) | 法政二(神奈川) | 浜松西(静岡) |
17 | 1986年 | 藤沢商(神奈川) | 東海大四(北海道) | 深谷(埼玉) | 美里工(沖縄) |
18 | 1987年 | 東海大四(北海道) | 藤沢商(神奈川) | 花園(京都) | 美里工(沖縄) |
19 | 1988年 | 崇徳(広島) | 社(兵庫) | 法政二(神奈川) | 美里工(沖縄) |
20 | 1989年 | 足利工大付(栃木) | 東亜学園(東京) | 市立船橋(千葉) | 都城工(宮崎) |
21 | 1990年 | 市立船橋(千葉) | 東北(宮城) | 東海大四(北海道) | 清風(大阪) |
22 | 1991年 | 花園(京都) | 東亜学園(東京) | 東海大四(北海道) | 釜利谷(神奈川) |
23 | 1992年 | 東海大四(北海道) | 深谷(埼玉) | 足利工大付(栃木) | 都城工(宮崎) |
24 | 1993年 | 釜利谷(神奈川) | 鎮西(熊本) | 東亜学園(東京) | 岡谷工(長野) |
25 | 1994年 | 東海大四(北海道) | 東亜学園(東京) | 岡谷工(長野) | 大分工(大分) |
26 | 1995年 | 深谷(埼玉) | 大商大高[7](大阪) | 東北(宮城) | 日川(山梨) |
27 | 1996年 | 鎮西(熊本) | 大商大高(大阪) | 福岡大大濠(福岡) | 深谷(埼玉) |
28 | 1997年 | 鎮西(熊本) | 釜利谷(神奈川) | 東海大四(北海道) | 岡谷工(長野) |
29 | 1998年 | 岡谷工(長野) | 秦野南が丘(神奈川) | 山形南(山形) | 西原(沖縄) |
30 | 1999年 | 岡谷工(長野) | 大商大高(大阪) | 西原(沖縄) | 法政二(神奈川) |
31 | 2000年 | 岡谷工(長野) | 深谷(埼玉) | 桐生市商(群馬) | 九州産(福岡) |
32 | 2001年 | 深谷(埼玉) | 足利工大付(栃木) | 橘(神奈川) | 洛陽工(京都) |
33 | 2002年 | 東北(宮城) | 岡谷工(長野) | 雄物川(秋田) | 深谷(埼玉) |
34 | 2003年 | 岡谷工(長野) | 鎮西(熊本) | 市立尼崎(兵庫) | 東北(宮城) |
35 | 2004年 | 佐世保南(長崎) | 東北(宮城) | 鎮西(熊本) | 東海大四(北海道) |
36 | 2005年 | 深谷(埼玉) | 東北(宮城) | 星城(愛知) | 別府鶴見丘(大分) |
37 | 2006年 | 深谷(埼玉) | 東北(宮城) | 岡谷工(長野) | 九産大九産(福岡) |
38 | 2007年 | 東亜学園(東京) | 鎮西(熊本) | 東京学館新潟(新潟) | 東北(宮城) |
39 | 2008年 | 東亜学園(東京) | 星城(愛知) | 姫路南(兵庫) | 東北(宮城) |
40 | 2009年 | 都城工(宮崎) | 東福岡(福岡) | 弥栄(神奈川) | 東亜学園(東京) |
41 | 2010年 | 東洋(東京) | 鎮西(熊本) | 雄物川(秋田) | 宮崎工(宮崎) |
回 | 年 | 優勝校 | 準優勝校 | ベスト4校 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1970年 | 岡崎女子(愛知) | 習志野(千葉) | 博多女子商(福岡) | 照国(鹿児島) |
2 | 1971年 | 高田(岩手) | 角館南(秋田) | 久喜(埼玉) | 宇部女子(山口) |
3 | 1972年 | 中津南 (大分) | 中村(東京) | 諏訪二葉(長野) | 安来(島根) |
4 | 1973年 | 八王子実践(東京) | 富岡東(徳島) | 市立尼崎(兵庫) | 今治明徳(愛媛) |
5 | 1974年 | 八王子実践(東京) | 博多女子商 (福岡) | 習志野(千葉) | 臼杵(大分) |
6 | 1975年 | 就実(岡山) | 中村(東京) | 八王子実践(東京) | 大分女子(大分) |
7 | 1976年 | 泉州(大阪) | 成安女子(京都) | 岡崎女子(愛知) | 博多女子商(福岡) |
8 | 1977年 | 博多女子商 (福岡) | 就実(岡山) | 泉州(大阪) | 大阪女子短大付(大阪) |
9 | 1978年 | 妹背牛商(北海道) | 宇都宮女子商(栃木) | 松蔭(東京) | 中村(東京) |
10 | 1979年 | 香川(山口) | 成安女子(京都) | 旭川実(北海道) | 妹背牛商(北海道) |
11 | 1980年 | 成安女子(京都) | 宇都宮女子商(栃木) | 香川(山口) | 八王子実践(東京) |
12 | 1981年 | 就実(岡山) | 宇都宮女子商(栃木) | 妹背牛商(北海道) | 古川商(宮城) |
13 | 1982年 | 四天王寺(大阪) | 就実(岡山) | 古川商(宮城) | 氷上農(兵庫) |
14 | 1983年 | 八王子実践(東京) | 氷上農(兵庫) | 旭川実(北海道) | 大成女子(茨城) |
15 | 1984年 | 四天王寺(大阪) | 共栄学園(東京) | 八王子実践(東京) | 扇城(大分) |
16 | 1985年 | 古川商(宮城) | 八王子実践(東京) | 愛泉(大阪) | 就実(岡山) |
17 | 1986年 | 古川商(宮城) | 旭川実(北海道) | 中村(東京) | 氷上(兵庫) |
18 | 1987年 | 扇城(大分) | 大阪女子短大付(大阪) | 増穂商(山梨) | 八王子実践(東京) |
19 | 1988年 | 旭川実(北海道) | 熊本信愛女学院(熊本) | 氷上(兵庫) | 三田尻女子(山口) |
20 | 1989年 | 順心女子学園(東京) | 就実(岡山) | 古川商(宮城) | 川越商(埼玉) |
21 | 1990年 | 八王子実践(東京) | 扇城(大分) | 共栄学園(東京) | 博多女子[8](福岡) |
22 | 1991年 | 氷上(兵庫) | 大阪女子短大付(大阪) | 八王子実践(東京) | 成安女子(京都) |
23 | 1992年 | 帝国女子(大阪) | 氷上(兵庫) | 市立船橋(千葉) | 九州文化学園(長崎) |
24 | 1993年 | 八王子実践(東京) | 國學院栃木(栃木) | 淑徳学園(東京) | 博多女子(福岡) |
25 | 1994年 | 大阪国際滝井[9](大阪) | 九州文化学園(長崎) | 八王子実践(東京) | 北嵯峨(京都) |
26 | 1995年 | 共栄学園(東京) | 八王子実践(東京) | 春日部共栄(埼玉) | 淑徳学園(東京) |
27 | 1996年 | 古川商(宮城) | 熊本信愛女学院(熊本) | 成徳学園(東京) | 奈良白藤(奈良) |
28 | 1997年 | 四天王寺(大阪) | 古川商(宮城) | 仙台育英(宮城) | 桐生西(群馬) |
29 | 1998年 | 四天王寺(大阪) | 古川商(宮城) | 成徳学園(東京) | 大阪国際滝井(大阪) |
30 | 1999年 | 古川商(宮城) | 大成女子(茨城) | 四天王寺(大阪) | 成徳学園(東京) |
31 | 2000年 | 九州文化学園(長崎) | 八王子実践(東京) | 古川商(宮城) | 共栄学園(東京) |
32 | 2001年 | 三田尻女子(山口) | 九州文化学園(長崎) | 古川商(宮城) | 八王子実践(東京) |
33 | 2002年 | 成徳学園(東京) | 三田尻女子(山口) | 共栄学園(東京) | 九州文化学園(長崎) |
34 | 2003年 | 成徳学園(東京) | 文京学院大女子(東京) | 高松北(香川) | 京都橘(京都) |
35 | 2004年 | 九州文化学園(長崎) | 下北沢成徳[10](東京) | 誠英[11](山口) | 共栄学園(東京) |
36 | 2005年 | 共栄学園(東京) | 九州文化学園(長崎) | 東九州龍谷[12](大分) | 誠英(山口) |
37 | 2006年 | 東九州龍谷(大分) | 京都橘(京都) | 鹿屋中央(鹿児島) | 大阪国際滝井(大阪) |
38 | 2007年 | 大阪国際滝井(大阪) | 東九州龍谷(大分) | 鹿屋中央(鹿児島) | 共栄学園(東京) |
39 | 2008年 | 東九州龍谷(大分) | 古川学園[13](宮城) | 誠英(山口) | 大阪国際滝井(大阪) |
40 | 2009年 | 東九州龍谷(大分) | 古川学園(宮城) | 八王子実践(東京) | 市立船橋(千葉) |
41 | 2010年 | 東九州龍谷(大分) | 古川学園(宮城) | 共栄学園(東京) | 鹿児島女子(鹿児島) |
日本文化出版「月刊バレーボール」が制定している賞。インターネットによる投票で印象に残ったチームを決めて「感動大賞」を贈る。
この感動大賞はインターハイやバスケットボール・ウィンターカップでも同様に制定されている。
この節の加筆が望まれています。 |
全国大会においては、フジテレビ系列各局が中継・放送している。準決勝・決勝のみ全国ネットで放送される(準決勝までは、勝ち進んでいる場合当該地区の局は独自制作する場合がある。また、一部放送されない地域も存在する)。2006年より中継映像が全試合ハイビジョン制作になる。
地方予選大会においては、各地域のフジテレビ系列各局と一部の独立UHF局が地方大会決勝戦を中継・放送する。
担当都道府県 | 参加民放社名 | 放送系列 | 備考 | 担当都道府県 | 参加民放社名 | 放送系列 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東京都 | フジテレビ | FNS | 主幹局 | 大阪府 | 関西テレビ | FNS | ||
茨城県 | 滋賀県 | |||||||
栃木県 | 京都府 | |||||||
群馬県 | 奈良県 | |||||||
埼玉県 | 和歌山県 | |||||||
千葉県 | 兵庫県 | |||||||
神奈川県 | 鳥取県 | 山陰中央テレビ | ||||||
北海道 | 北海道文化放送 | 島根県 | ||||||
岩手県 | 岩手めんこいテレビ | 広島県 | テレビ新広島 | |||||
宮城県 | 仙台放送 | 岡山県 | 岡山放送 | [16] | ||||
秋田県 | 秋田テレビ | 香川県 | ||||||
山形県 | さくらんぼテレビ | 愛媛県 | テレビ愛媛 | |||||
福島県 | 福島テレビ | 高知県 | 高知さんさんテレビ | |||||
新潟県 | 新潟総合テレビ | 福岡県 | テレビ西日本 | |||||
長野県 | 長野放送 | 佐賀県 | サガテレビ | |||||
静岡県 | テレビ静岡 | 長崎県 | テレビ長崎 | |||||
愛知県 | 東海テレビ | 熊本県 | テレビ熊本 | |||||
岐阜県 | 鹿児島県 | 鹿児島テレビ | ||||||
三重県 | 沖縄県 | 沖縄テレビ | ||||||
富山県 | 富山テレビ | 大分県 | テレビ大分 | FNS/NNS | ||||
石川県 | 石川テレビ | 宮崎県 | テレビ宮崎 | FNS/NNN /ANN | ||||
福井県 | 福井テレビ |
担当都道府県 | 民放社名 | 中継終了年次 | 引き継いだ社名 | 備考 |
---|---|---|---|---|
青森県 | 青森テレビ | 1980年代初期 | 青森放送 | 番組編成上の都合で移行 |
岩手県 | IBC岩手放送 | - | 岩手めんこいテレビ | 系列局開局による移行 |
山形県 | 山形テレビ | - | テレビユー山形 | FNS脱退で主催参加と中継を終了 |
テレビユー山形 | - | さくらんぼテレビ | 系列局開局による移行 | |
広島県 | 広島テレビ放送 | 1975年 | テレビ新広島 | 参加時はNNS・FNSクロスネットだったが、 NNS番組との兼ね合いで放送は少なく、 1971年は放送がなかった クロスネット最終年の1975年は 男子決勝戦を1日遅れで放送した一方 女子の決勝は放送しなかった[17] →系列局開局による移行 |
山口県 | 山口放送 | - | テレビ山口 | テレビ山口のテレビ朝日系脱退 (番組購入は継続) →山口放送への移行に伴う |
高知県 | 高知放送 | - | 高知さんさんテレビ | 系列局開局による移行 |
九州各県の中継参加各局は、テレビ長崎を除いて日本テレビ系・フジテレビ系・NETテレビ→テレビ朝日系の3系列(テレビ長崎のみ日テレ・フジの2系列)[18]に加盟し開局したが、いずれもフジテレビの番組を軸に編成を組んでいたことや、日本テレビが高校サッカー中継の開始当初、各地の系列局がラテ兼営VHF第1局でない、あるいはクロスネット局である場合に、TBS系列局へ優先的にネットさせたことなどから、高校生球技4大大会〈野球・サッカー・ラグビー・バレーボール〉はこの大会のみを放送し、日本テレビの高校サッカーとNET→テレビ朝日(朝日放送テレビ・ネットチェンジ後の1975年から〉の夏の高校野球選手権[19](鹿児島のみ鹿児島放送の開局まで鹿児島テレビが担当し『熱闘甲子園』も放送した)は県大会も含めて[20]TBS系ラテ兼営VHF第1局で放送していた。いわゆる「平成新局」が誕生せず、TBS系ラテ兼営VHF第1局(宮崎放送)+フジテレビ系がメインの3系列クロスネットのUHF第2局〈テレビ宮崎〉の組み合わせが生き残った宮崎県は、現在も宮崎放送が野球・サッカー(日本テレビ系列の男子・TBS系列の女子決勝とも)・ラグビーを担当し、テレビ宮崎はバレーボールだけを中継している(バスケットボールは決勝戦のみかつテレビ朝日系列フルネット局のみの放送であることや、地上波中継の定例化後に宮崎県代表が決勝に進出した実績がないことから、どちらの局でも放送されていない)。
フジテレビは長年バレーボール中継に携わっているが、1995年秋のワールドカップ以降はジャニーズ事務所の新グループのお披露目・プロモーションの場を兼ねるようになっており、当大会でもそのグループ(グループ内ユニットを含む)の楽曲を次のワールドカップ開催年まで使用するのが慣例となっている(慣例が定着し切れていなかった1997年と、2005年バレーボール・ワールドグランプリ中継におけるNEWSメンバーとフジ女性アナ〈いずれも当時〉による不祥事の影響があった2006年は除く)。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.