大分県立中津南高等学校
大分県中津市にある高等学校 ウィキペディアから
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大分県立中津南高等学校(おおいたけんりつ なかつみなみこうとうがっこう)は、大分県中津市高畑にある県立高等学校である。
大分県立中津南高等学校 | |
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北緯33度35分50.6秒 東経131度10分54.6秒 | |
過去の名称 |
中津尋常中学校 大分尋常中学校中津分校 大分県立中津尋常中学校 大分県中津中学校[要出典] 大分県立中津中学校 大分県立中津第一高等学校 大分県立中津西高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大分県 |
学区 | 大分県全域および福岡県の上毛中学校区と吉富中学校区 |
校訓 | 礼儀・誠実・進取・向上 |
設立年月日 | 1893年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D144210000120 |
所在地 | 〒871-0043 |
大分県中津市高畑2093 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
県内では大分上野丘高等学校に次いで二番目に古い高等学校である[1]。所在地は大分県最北(県最北にあるのに「南」高校なのは大分県立中津西高等学校時代の南校舎が母体となっているため)で、近くにある山国川の向こうは福岡県である。 地元では南高と呼ばれるのが一般的[2]。
中津市出身である福澤諭吉が『学問のすゝめ』を出版した明治時代、大分県でも教育に対する関心が高まっていた。1893年(明治26年)9月に私立のかたちで中津尋常中学校が建設され、1894年(明治27年)には大分県尋常中学校の分校となった。
第二次世界大戦後、新学制により、中津市内の旧中学校と旧高等女学校を統合し大分県立中津第一高等学校となり、1951年(昭和26年)には、学校名を大分県立中津西高等学校と改名。間もなく受験志望生が増え、大分県立中津北高等学校と大分県立中津南高等学校に組織・校舎が分割された。
礼儀・誠実・進取・向上[1]
校訓「礼儀・誠実・進取・向上」のもと、「知・徳・体」の調和のとれた全人教育を推進し、心身ともに健やかで心豊かな人間を育むとともに確かな学力を身につけさせ、これからの社会を担う高い志をもった人材を育成する[1]。
2023年9月現在、授業は月-水、金曜日が1-7限まで(50分授業)。木曜日は1-6限まで(50分授業)。朝自習は2023年4月より廃止された。第1・3週に土曜講座が行われている(1年は国語、数学、英語。2年から地歴、理科を含む。3年は国語、数学、英語、地歴、理科より3教科選択。各70分3時限)。[要出典]
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