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埼玉県の市 ウィキペディアから
新座市(にいざし)は、埼玉県の南部に位置する市。地名は隣接する志木市と共に新座郡に由来する。
埼玉県の最南端にあり、市のほぼ全域が武蔵野台地に位置する。東京都に隣接し、都心のベッドタウンとして住宅開発が進み、新座・朝霞・志木・和光の4市で形成する朝霞地区の中で最も人口が多い。新座駅北口では新座駅北口土地区画整理事業(2021年完了)、南口では新座駅南口第2土地区画整理事業(2019年完了)が行われており、市街地の整備が進む。さらに、北口では産業系企業誘致を目的として2016年に都市計画決定された大和田二・三丁目地区土地区画整理事業が2022年に完了した。また、都営地下鉄大江戸線の延伸によって馬場地区では新座中央駅(仮称)の建設が予定されており、大学・商業施設・医療施設などの整備が構想されている[1]。
柳瀬川が市内西部を、黒目川が市内東部を流れる。黒目川の栄地区付近に湧水(妙音沢)があり、市から特別保全地区に指定されている。粘土質の土壌であるため、付近に陶芸工房が存在していた。ほかにも、市内数か所に湧水地点がある。
旧石器時代の遺跡は、黒目川流域両岸の台地上に群在し、市場坂遺跡、池田遺跡、嵯峨山遺跡などでナイフ型石器や細石刃が出土している。縄文時代には、嵯峨山遺跡、池田遺跡、新座遺跡、鎧田遺跡などで大集落が形成された。各期の土器や建物跡などが発見されている。
弥生時代の遺跡は、柳瀬川や黒目川流域を中心に市内では14か所で発見されており、新開遺跡では竪穴建物跡と方形周溝墓が発掘されている。古墳時代の遺跡も市内14か所で確認されており、新座遺跡では近畿地方で盛行した叩き目調整の土器、新開遺跡では東海地方の系譜をひく瓢型壷が採集された。前述の方形周溝墓、周辺地域の古墳出現と併せ、これらは、人々の移動や交流、階層分化の動きを示している。
天平宝字2年(758年)、奈良朝廷は、新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国に移し、新羅郡を置いた。朝鮮半島では、新羅が唐と連合して百済・高句麗を滅ぼしたが、次第に唐と対立するようになり、多くの新羅人が渡来するようになったが、新羅と敵対関係にあった政権は新羅人を半島から僻遠の東国に居住させ、この地域の開発を進めるのが目的であった。新羅という名称は旧俗の号であったため[2]、平安時代になって新座郡(爾比久良、にいくら)と改称された[3]。承平年間(931年 - 938年)編纂の和名類聚抄で、新座郡の名前が初見される。和名類聚抄によれば、新座郡は志木郷と餘戸郷の2郷から成っていた。志木郷は現在の白子・新倉付近、餘戸郷は片山・大和田付近とする説が強い。
中世には、南東部は片山郷、北西部柳瀬川沿いは大和田郷であった。両郷の初見史料(金沢文庫文書、観経玄義分聞集)は、両郷が国衛領(公領)の郷として存在していたことを示している。逆に、荘園(私領)の存在を示す史料は見つかっていない。
この頃、片山郷(本市内片山地区)に片山氏があった。片山氏は開発領主として同郷を名字の地とした武蔵武士であり、源頼朝が武蔵を掌握した1180年頃、その旗下に入った。以降、鎌倉御家人としての道を歩み、1213年の和田合戦、1221年の承久の乱では幕府側につき活躍した。これにより、片山広忠は1222年に丹波和智庄(京都府船井郡和知町)の地頭職を給恩され、1238年より知行のため西遷した。また、片山秀康は伊勢阿下喜御厨の地頭となり子孫が西遷した。
1310年、時宗二祖の他阿真教上人が、片山に法台寺を開祖。この頃の文化財として、法台寺に伝わる名号板碑群があり、当時の新座地域に在住した往生衆の存在を捉えている。1486年には京都聖護院の道興が新座郡に来て、野寺鐘や野火止塚などを「廻国雑記」に記した。同記には、これ以外にも武蔵野各地や新座ゆかりの地名や人名が随所に見られ、中世新座を理解する上で貴重な史料である。
戦国時代には、滝山領に組み込まれ、北条氏照の支配下となった。
近世初頭には、大和田村、中野村、片山村の3か村が存在していたが、1661年、野火止新田の開発により、野火止、北野、菅沢、西堀の4か村が成立した。さらに、元禄年間(1688年 - 1703年)までに片山村が石神、堀之内、栗原、十二天、中沢、上片山(下中沢)、野寺、辻、原ヶ谷戸、下片山の10か村に分かれた。大和田村、中野村は芝山氏が知行し、片山村は「片山七騎」と呼ばれる中下級家臣の知行となった。1655年、松平信綱が安松金右衛門に命じて、玉川上水を分流し新河岸川に至る野火止用水を完成させた。
2010年(平成22年)現在の平均年齢は、43.18歳(男42.34歳、女44.02歳)である。
新座市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 新座市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 新座市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
新座市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
氏名 | 会派名 |
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平松大佑 | 無所属県民会議 |
安藤友貴 | 埼玉県議会公明党議員団 |
志木駅(志木市との境目にあり、所在は新座市)を中心に市街地が広がり、ショッピングセンターや銀行の支店などがある。国道254号(川越街道)沿いには、ロードサイド型店舗やレストランなどが並ぶ。
「新座に(原稿を)持っていく」という表現が出版業界で多用される[要出典]ほど印刷・製本関係の工場が多く、野火止用水と黒目川にはさまれた地域に工場や倉庫が列を成している。近年[いつ?]印刷技術の変化、通信メディアの発達とともに工場群もその役目が変わり移転転業が多くなり、市では工場跡地の活用をめぐって条例を定めるなどの対策をしている。
かつては0424地域からの110番や119番電話は、新座市内からの発信でも一旦警視庁・東京消防庁に入電されていたが、1993年11月に改善され、直接埼玉県内につながるようになった。
郵便番号は市内全域が「352-00xx」である。
このほか、市内の駅ではないものの、東武東上線柳瀬川駅(志木市)が市北西部に、西武池袋線保谷駅、ひばりヶ丘駅(いずれも東京都西東京市)、東久留米駅(同東久留米市)、清瀬駅(同清瀬市)が市南東部から南西部周辺にかけて近接している。なお、駅はないものの、西武池袋線は東久留米駅 - 清瀬駅間で市域を通過している。また、市域のこの区間内に2か所の踏切が存在する。
新座市は最寄駅から1 km以上離れた鉄道空白地帯が広く存在する。そこで、都営地下鉄大江戸線を光が丘駅(東京都練馬区)から当市南東部を経て東所沢駅(所沢市)に延伸することが構想されており、延伸促進期成同盟会が結成されている。また、市役所内にも地下鉄12号線延伸促進室が設置されている。市内では新座中央駅(仮称)を設置し、商業施設や公園、学校、防災設備などを整備することが計画されている[10][11]。
市内に東武バスウエスト新座営業事務所と、かつて清瀬市にあった「西武バス清瀬営業所」が移転した西武バス新座営業所がある。
当市内を運行する市外のバス営業所として、西武バス上石神井営業所・西武バス所沢営業所・国際興業バス西浦和営業所がある。
前述のように新座市内では鉄道駅から離れた地域も多く、それらの地域ではバスの利用が多い。志木駅を起点として当市内で完結する路線のほか、新座駅はじめ市内各地より朝霞駅・朝霞台駅・大泉学園駅・ひばりヶ丘駅・東久留米駅・清瀬駅・所沢駅・東所沢駅・武蔵関駅・上石神井駅・吉祥寺駅との連絡路線が多数運行されている。
(降車取扱いのみ)
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