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日本の政治家 ウィキペディアから
東京都目黒区生まれ。石油会社に勤めていた父の転勤により、千葉県市原市や宮城県仙台市で住んだ後、小学2年生の時に東京都に戻り、以後東京で育つ。麻布中学校・高等学校、東京大学法学部卒業後、郵政省入省。縁戚(父方の曾祖母の弟)に池田勇人元首相がいた影響から幼少より政治家を志す。
郵政省を退官後、2000年の第42回総選挙に東京5区から自由党公認で立候補したが、民主党の手塚仁雄に敗北。衆議院議員・高橋嘉信の政策秘書を経て、2001年の第19回参院選に東京都選挙区から再び自由党公認で立候補し、次点で落選。2003年の第43回総選挙では再度東京5区から無所属で出馬するも落選した。
その後、自由民主党総合政策研究所の研究員を経て、2005年の第44回総選挙では地縁・血縁の全くない福岡1区から自由民主党公認で立候補。民主党の松本龍に惜敗したが、比例復活で初当選した。同じ福岡県選出の麻生太郎に近く、2006年自由民主党総裁選挙では麻生の推薦人名簿に名を連ね、2007年12月には麻生派に入会した。2009年の第45回総選挙では福岡1区から再度立候補するも落選。直後に離党した[1]。2009年12月に東京福祉大学特任教授に就任。2011年12月に退職。
2012年に、東海大志塾(大村秀章愛知県知事)、未来政治塾(嘉田由紀子滋賀県知事)などの政治塾に参加後、平沼赳夫らの太陽の党に参加[2]。同年の第46回総選挙では日本維新の会の公認を受けて千葉6区から出馬したが落選した。翌2013年の第23回参院選でも日本維新の会の公認を受けて比例区から出馬したが、同党の獲得議席数6に対して候補者名得票は党の名簿登載者中27位に留まり落選した[3]。
日本維新の会の分党後は次世代の党に参加。2014年12月14日執行予定の第47回総選挙で、次世代の党の公認候補として再び千葉6区から出馬したが[4]、落選。2015年12月18日、次世代の党を離党[5]。
2016年、シンクタンク「日本政策総合研究所」を設立し、理事長を務める。
2017年9月中旬、親交のある若狭勝から第48回衆議院議員総選挙への立候補を打診される[6]。10月3日、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。遠藤は同党公認で千葉6区から出馬することが明らかとなった[7]。10月22日、衆院選執行。候補者4人中3位の得票数で落選。
2021年10月18日、翌日告示の第49回衆議院議員総選挙において埼玉4区から立候補すると表明。上田清司参院議員が設立を目指した新党に参加予定であったが、結成が見送られたため無所属で立候補した[8]。結果は得票率5.72%で落選の上、供託金没収となった。
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