東久留米駅
東京都東久留米市にある西武鉄道の駅 ウィキペディアから
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東久留米駅(ひがしくるめえき)は、東京都東久留米市東本町にある、西武鉄道池袋線の駅。駅番号はSI14。
戦後直後の京王井の頭線には、吉祥寺駅から西武新宿線田無駅を経由して当駅まで延伸する計画が存在した[13]。この延伸計画は、その後頓挫してしまったが、現在では、当駅から井の頭線の起点の渋谷駅へは、東京メトロ副都心線を経由して、乗換えなしに向かうことができている。
1938年中島飛行機は現在の武蔵野市にエンジン工場を建設。武蔵野工場と名付けた。1943年9月には軍需工場の指定をうける。その関連施設として現在の西東京市谷戸に田無鋳鍛工場を建設した。1939年に独立し中島航空金属株式会社が設立される[4]。当初鋳物製造に必要な砂を馬車で運んでいた[14]が至近の東久留米駅まで線路 (2.84km) を敷設することを計画。1944年8月認可を受けている(正式名称は東久留米駅構外線)。小型の蒸気機関車(元熊延鉄道3号機)により砂を運んでいたという。しかし1年で敗戦を迎える[4]。その後中島航空金属は清算会社瑞穂産業となり専用線用地を京王帝都電鉄に売却しようとする。これに対し西武鉄道は無断で専用線を売却することに抗議。ついに訴訟に持ち込まれることになる。結局は和解により売却話はなくなった[15]。
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。駅舎の出入口は東口と西口に加え、連絡通路で結ばれる形で北口(東口・西口が開設されるまでの旧来の駅前広場)がある[16]。また、橋上駅舎の西口側には富士山を見られる「富士見テラス」が設置されていたが、耐震性の問題から撤去されることになった[17](1994年の建設当時、同駅の西口昇降施設は建築基準法に定める建築確認申請がなされていないことが明らかとなり、富士見テラスを支える壁面の基準耐力の不足が確認されたため、2021年10月から利用を制限していた[18]。その後、富士見テラス部の耐震強化工事を行うには基礎からの補強が必要になり、工事難易度や費用の観点から2022年9月29日に東久留米市が除却を決定した[17])。
元々は貨物列車の発着に対応するべく側線が設けられており、島式ホームの形態であった[19]。1970年に現行の相対式とされたが[6]、側線の跡地がホームの外側に残っている。これは「東久留米駅構外線」の名称で戦時中にあった中島飛行機関連工場への専用線の名残りであり、ひばりが丘団地の建設資材を運んだ時期もあった。専用線跡は一部が公有化されて遊歩道「たての緑道」となり[20] 、また上部に送電線が通っている。
エスカレーターは東口・西口地上部と改札外コンコース間に各1基、北口地上部と連絡通路間に2基および改札内コンコースと各ホーム間に各1基の合計6基、エレベーターは東口・西口・北口に各1基、改札内コンコースと各ホーム間に各1基の合計5基が設置されている。
トイレは2階改札内と西口改札外1階にあり、いずれも多機能トイレを併設している[16]。
(出典:西武鉄道:駅構内図)
1949年に建設された木造の北口駅舎は、高橋留美子の漫画『めぞん一刻』に登場する「時計坂駅」のモデルとなった[21]。その駅舎も老朽化に伴い建て替えが行われた。
本格的な改修工事は2009年6月から始まった。その間の同年8月1日には、駅前商店街で開催されたイベントに合わせて同日12時から17時の間に限り駅名標を駅舎がモデルとなった『時計坂駅』に変更した[22][23]。その後、2010年1月に北口改札は閉鎖されて、北口駅舎も解体された[24]。
駅舎跡地には2010年5月29日に「Emio東久留米」が開業した[12]。
2023年(令和5年)度の1日平均乗降人員は50,217人である[西武 1]。西武鉄道全92駅中16位。2009年度までは、東隣のひばりヶ丘駅と同様に微増傾向であった。石神井公園駅~所沢駅間で最も乗降客数が少ないが、朝のラッシュ時は通勤急行・快速・通勤準急・準急が停車する。
近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表のとおりである。
年度 | 1日平均 乗降人員[26] |
1日平均 乗車人員[27] |
出典 |
---|---|---|---|
1990年(平成 | 2年)21,860 | [* 1] | |
1991年(平成 | 3年)21,984 | [* 2] | |
1992年(平成 | 4年)22,074 | [* 3] | |
1993年(平成 | 5年)21,975 | [* 4] | |
1994年(平成 | 6年)22,395 | [* 5] | |
1995年(平成 | 7年)22,582 | [* 6] | |
1996年(平成 | 8年)22,962 | [* 7] | |
1997年(平成 | 9年)23,170 | [* 8] | |
1998年(平成10年) | 23,701 | [* 9] | |
1999年(平成11年) | 23,959 | [* 10] | |
2000年(平成12年) | 24,033 | [* 11] | |
2001年(平成13年) | [西武 2]47,798 | 24,216 | [* 12] |
2002年(平成14年) | [西武 3]47,719 | 24,148 | [* 13] |
2003年(平成15年) | 48,673 | 24,607 | [* 14] |
2004年(平成16年) | 48,983 | 24,759 | [* 15] |
2005年(平成17年) | 49,205 | 24,874 | [* 16] |
2006年(平成18年) | 49,754 | 25,121 | [* 17] |
2007年(平成19年) | 50,840 | 25,642 | [* 18] |
2008年(平成20年) | 51,791 | 26,063 | [* 19] |
2009年(平成21年) | 52,302 | 26,288 | [* 20] |
2010年(平成22年) | 52,275 | 26,129 | [* 21] |
2011年(平成23年) | 51,808 | 25,858 | [* 22] |
2012年(平成24年) | 52,520 | 26,214 | [* 23] |
2013年(平成25年) | 53,547 | 26,751 | [* 24] |
2014年(平成26年) | 52,953 | 26,463 | [* 25] |
2015年(平成27年) | 53,984 | 26,973 | [* 26] |
2016年(平成28年) | 54,386 | 27,192 | [* 27] |
2017年(平成29年) | 54,949 | 27,458 | [* 28] |
2018年(平成30年) | 55,076 | 27,515 | [* 29] |
2019年(令和元年) | 54,968 | 27,470 | [* 30] |
2020年(令和 | 2年)[西武 4]41,462 | ||
2021年(令和 | 3年)[西武 5]44,425 | ||
2022年(令和 | 4年)[西武 6]48,688 | ||
2023年(令和 | 5年)[西武 1]50,217 |
西口ロータリーから市役所方向に一直線に延びている道路は「まろにえ富士見通り」と呼ばれ、駅2階にある「富士見テラス」からこの通りの方向を見ると、天候にもよるが富士山がはっきり見え[10]、関東の富士見百景に選出されている[28]。また、毎年冬至前後には、日没の頃にここから富士山を望むと、夕日が富士山の山頂にかかって沈んでいく「ダイヤモンド富士」と呼ばれる現象が見られる[29]。
2007年元日付読売新聞東京本社版の1面カラー写真に「富士見テラス」から撮影された富士山が採用された。
駅周辺は土地区画整理事業によってマンションが多数建設された。
2023年4月1日より、新座市コミュニティバス「にいバス」が当駅東口へ乗り入れを開始した[30]。運行は東武バスが受託、にいバスを除く一般路線は西武バスにより運行されており、全路線が当駅を起・終点とする。
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