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京浜急行電鉄株式会社(けいひんきゅうこうでんてつ、英: Keikyu Corporation[2])は、神奈川県横浜市に本社を置く鉄道会社である。略称は「京急」(けいきゅう)、「京急電鉄」(けいきゅうでんてつ)。日本の大手私鉄の一つで、東京都区部南部から神奈川県東部の三浦半島にかけて5つの鉄道路線を運営している[3]。
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査役会設置会社 |
市場情報 | |
略称 | 京急、京急電鉄、京浜急行、KHK |
本社所在地 |
日本 〒220-8625 神奈川県横浜市西区高島一丁目2番8号 (京急グループ本社) 北緯35度27分44.8秒 東経139度37分34.4秒 |
設立 | 1948年(昭和23年)6月1日[注 1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7010401009277 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 他 |
代表者 | |
資本金 |
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発行済株式総数 |
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売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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純資産 |
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総資産 |
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従業員数 |
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決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[1] |
主要株主 | |
主要子会社 | 京急グループを参照 |
関係する人物 | |
外部リンク |
www |
特記事項: |
東京証券取引所プライム市場に上場し、大手私鉄では東武鉄道と共に芙蓉グループ(みずほ銀行〈旧:富士銀行〉の融資系列かつメインバンク)を構成する企業の一つで[4]、京急グループの中核企業[5]である。
東京都区部南部から、羽田空港や、神奈川県川崎市、横浜市を経て三浦半島へ至る鉄道路線を運営している[3]。それに京浜急行バスを加えた交通事業のほか、グループ各社と連携して流通事業、サービス事業、不動産事業なども経営している[5]。これらは直接の収益確保のほかに、特に横浜市以南の京急線沿線地域の定住・交流人口の減少を防ぐことも意識している。
創立120周年を迎えた2018年には、通勤利用者の減少や、東京モノレールやリムジンバスに羽田空港アクセス線が加わり羽田空港アクセスの競合激化が予測されることから、「みさきまぐろきっぷ」「葉山女子旅きっぷ」といった企画乗車券の活用や、三浦市最南端に位置する城ヶ島の再開発などを通して訪日外国人を含む観光客の三浦半島への誘致を強化する経営戦略を表明している[6][7]。同年5月にはJR西日本グループの日本旅行と提携した[8]。その他、2018年3月には、京急沿線に営業網を持つ湘南信用金庫及び日本保証と不動産事業の空き家対策で提携[9]。同年11月には、神奈川県横須賀市および同市に二軍拠点を持つプロ野球球団の横浜DeNAベイスターズと三者連携協定を結んでいる[10]。2021年には、ヘリコプターによる三浦半島の遊覧飛行に向けてAirXと提携した[11]。
2019年9月には、神奈川県横浜市西区高島一丁目(みなとみらい地区内、横浜高速鉄道みなとみらい線新高島駅と隣接)に、京浜急行電鉄のほか複数のグループ企業(計11社)の本社機能の集約を目的として建設された京急グループ本社ビルが竣工[12]。同年9月17日に品川駅西口の東京都港区高輪から本社を移転した(その他のグループ企業についても同年9月から10月にかけて順次移転)[13][14]。なお、本社の移転については京急2100形1編成に貼られたステッカーで「横浜駅から この春、新たな感動が始まる」のスローガンとともに告知された。
かつては「京浜急行(けいひんきゅうこう)」を公式通称、「Keihin Electric Express Railway Co., Ltd.」[注釈 1]を英文社名としていたが、2007年(平成19年)12月1日よりポスター・チラシ類などにおいて「京急電鉄(けいきゅうでんてつ)」の名称[注釈 2]および新ロゴマーク、2010年(平成22年)10月21日[15]より「Keikyu Corporation」の英文社名を使用開始し、順次変更している。
過去の略称は前身である京浜電気鉄道時代の「京浜」が使われており、1963年(昭和38年)には湘南電気鉄道時代の一部の駅名であった「湘南 - 」を「京浜 - 」に統一させた。しかし、昭和30年代前半から子会社の名前などに「京急」を使うようになり、一時は「京浜」と「京急」の略称が混在していた。次第に「京急」の方が定着していったことから、1987年(昭和62年)6月1日には同年の国鉄分割民営化により発足した東日本旅客鉄道(JR東日本)及び同社が運行する京浜東北線との差別化も意識し、コーポレートアイデンティティ (CI) の一環として、それまで「京浜 - 」としていた10駅の駅名を「京急 - 」に改め[注釈 3]、略称を「京急」に統一した[16]。なお、「京急 - 」という名称は京浜急行電鉄の登録商標になっている。
ただし、「京急」の略称は定着したが、「京急電鉄」という呼び方については完全に定着した訳ではない。東海旅客鉄道(JR東海)は、東海道新幹線上り列車が品川駅に到着する際の乗り換え案内で「京浜急行線」という表現を2023年時点でも使用している[注釈 4]。報道機関では、NHKやTBSテレビなどがニュースや交通情報で「京浜急行」と表記することがある。
大師電気鉄道時代は3本線で円を作ることで川崎、その中に「大」を4つで「ダイシ」(大師)とする社紋を使用し、京浜電気鉄道となった後も継続して使用していた。その後、大東急時代を経て京浜急行電鉄として再出発する際に用意されたのが先代社紋で、社員への募集、会社組合双方からの選考委員による選定の後、杉浦非水による修正によって出来上がった。K、翅、車輪 からなる図案はそれぞれが京浜、急行、電鉄を表している[17]。
現在の社紋は経営の多角化によって従来の社紋が相応しくなくなってきたため、1958年(昭和33年)の創立60周年を契機に変更が検討され、1964年(昭和39年)5月に制定されたものである。図案は社内候補と東急エージェンシーに依頼したものから2案が選定され、これらをアレンジした数種から再検討、選定された。円が会社の主な事業である交通(鉄道・バス)を表し、中央の図形は京浜の「K」および「ケ」をスピーディかつ安定感を持った形に図案化したものである。また、この図形を円を突き破るように配置することで、困難を突破していく力強さを表している[17][18]。
ロゴマークは2000形電車の登場やウイング高輪のオープンといった節目があった1983年(昭和58年)頃から使われだした。当時は現在と違い水色が地色で「KEIKYU」の文字は白抜きであった上、ロゴ下部の文字が斜体で「 京浜急行 」と書かれていた。
コーポレートスローガンは創業90周年を迎えた1988年(昭和63年)に初めて制定され、当時は「めざす未来へ―ふれあい京急」であった。1998年(平成10年)の創業100周年と空港線羽田空港駅(現在の羽田空港第1・第2ターミナル駅)開業という大きな節目を前に「新しい出会いに夢のせて」に変わり、現在のコーポレートスローガンである「あんしんを羽ばたく力に」は、2008年(平成20年)の創業110周年に合わせて導入された3代目である。2代目まではロゴマークにもコーポレートスローガンを掲出していたが、2008年に色を反転した現行のロゴに変わった際、コーポレートスローガンは外された[18]。また、ロゴ下部の文字には「京急電鉄」と「京急グループ」のバリエーションがある[19]。
現在の京浜急行電鉄の元となったのは、1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅(後の六郷橋駅)から川崎大師近くの大師駅(現在の川崎大師駅)までの1435mmの標準軌で開通した大師電気鉄道である(現在の大師線の一部)。同社は日本で三番目、関東では最初の電気鉄道会社であった。創立時には安田財閥が人的・資金面で援助したこともあり、そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている。同年、京浜電気鉄道と社名を改めた。
東京市電との相互乗り入れを目論み、軌間を開業時の標準軌から一旦1372mmの馬車軌間へ改軌を行うが、後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために、再度、標準軌に改軌された。
太平洋戦争中の1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(いわゆる大東急)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の3社が分離・独立し、現在に至る。
期間 | 代表 | 備考 | |
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1898年2月25日 - 1903年12月5日 | 立川勇次郎 | ||
1903年12月5日 - 1904年10月23日 | 岩田作兵衛 | ||
1904年10月23日 - 1904年12月22日 | 雨宮敬次郎 | ||
期間 | 会長 | 社長 | 備考 |
1904年12月22日 - 1907年10月24日 | (stub) | 雨宮敬次郎 | 社長制を設ける。 |
1907年10月24日 - 1909年5月15日 | (stub) | 栗生武右衛門 | |
1909年5月15日 - 1910年8月5日 | (stub) | 三浦泰輔 | |
1910年8月5日 - 1918年6月28日 | (stub) | 青木正太郎 | |
1918年6月28日 - 1921年12月24日 | (stub) | 安田善三郎 | |
1921年12月24日 - 1923年10月18日 | (stub) | 安田善五郎 | |
1923年10月18日 - 1930年6月24日 | (stub) | 青木正太郎 | |
1930年6月24日 - 1939年4月1日 | 望月軍四郎 | 生野団六 | |
1939年4月1日 - 1941年11月25日 | (stub) | ||
1941年11月25日 - 1942年4月30日 | (stub) | 五島慶太 | |
期間 | 会長 | 社長 | 備考 |
1942年5月1日 - 1944年2月19日 | (stub) | 五島慶太 | 東京急行電鉄成立。 |
1944年2月24日 - 1944年12月27日 | (stub) | 篠原三千郎 | |
1944年12月28日 - 1945年3月12日 | 五島慶太 | ||
1945年3月12日 - 1944年8月20日 | 平山孝 | ||
1944年8月20日 - 1945年3月1日 | 小宮次郎 | ||
1945年3月1日 - 1946年6月27日 | 小林中 | ||
1946年6月27日 - 1947年9月9日 | (stub) | ||
1947年10月16日 - 1948年5月31日 | (stub) | 井田正一 | 東急社長は同年12月27日まで。 |
期間 | 代表 | 備考 | |
1948年6月1日 - 1948年12月23日 | 上田甲午郎 | 京浜急行電鉄を設立。 | |
期間 | 会長 | 社長 | 備考 |
1948年12月23日 - 1950年12月25日 | (stub) | 井田正一 | |
1950年12月25日 - 1964年2月25日 | (stub) | 田中百畝 | 田中百畝は社長在任中の1964年2月11日に死亡。 |
1964年2月25日 - 1964年5月23日 | (stub) | 三代目鈴木三郎助 | |
1964年5月23日 - 1969年11月22日 | (stub) | 佐藤晴雄 | |
1969年11月22日 - 1975年5月27日 | (stub) | 中川幸一 | |
1975年5月27日 - 1981年6月25日 | 中川幸一 | 片桐典徳 | |
1981年6月25日 - 1987年6月26日 | 片桐典徳 | 飯田道雄 | |
1987年6月26日 - 1991年6月27日 | 飯田道雄 | 芹沢守利 | |
1991年6月27日 - 1997年6月27日 | (stub) | 平松一朗 | |
1997年6月27日 - 2005年6月29日 | (stub) | 小谷昌 | |
2005年6月29日 - 2013年6月27日 | 小谷昌 | 石渡恒夫 | |
2013年6月27日 - 2022年3月31日 | 石渡恒夫 | 原田一之 | |
2022年4月1日 - | 原田一之 | 川俣幸宏[55] |
京急の路線全体、もしくは特に本線を指して京急線と呼ばれる。
以下は前身の京浜電気鉄道や湘南電気鉄道などの路線も含む。
総延長キロ数 : 87.0km
京浜急行電鉄の前身の一つである湘南電気鉄道にも「予定線」として以下の計画線が存在した。日ノ出町駅 - 桜木町駅間の建設予定地には、予定地に沿って道路や住宅が並んでいる。
2020年3月末現在、73駅[62]を営業している(泉岳寺駅を含む)。
京浜急行電鉄は、都営地下鉄との間で泉岳寺駅を境に浅草線に乗り入れ直通運転を実施している。東京都内にも路線がありながら、東京メトロとの直接の乗換駅はない[注釈 10]。
は、右欄の乗降人員と比較して増()、減()を表す。
順位 | 駅名 | 路線名 | 2015年度 | 2010年度 | 2005年度 | 2000年度 | 特記事項 |
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1 | 横浜駅 | ■本線 | 316,478 | 311,022 | 306,494 | 297,427 | 各社局線総合では世界第5位 |
2 | 品川駅 | ■本線 | 272,500 | 250,414 | 240,469 | ||
3 | 泉岳寺駅 | ■本線 | 182,372 | 158,974 | 152,026 | 都営地下鉄浅草線の直通人員含む | |
4 | 上大岡駅 | ■本線 | 143,299 | 141,742 | 135,901 | 128,793 | |
5 | 京急川崎駅 | ■本線 ■大師線 |
122,931 | 115,036 | 108,019 | ||
6 | 羽田空港第1・第2ターミナル駅 | ■空港線 | 83,431 | 74,884 | 70,691 | ||
7 | 金沢文庫駅 | ■本線 | 69,870 | 72,532 | 73,650 | 68,806 | 他路線と接続しない単独駅として第1位。 |
8 | 横須賀中央駅 | ■本線 | 67,278 | 68,232 | 70,776 | ||
9 | 金沢八景駅 | ■本線 ■逗子線 |
57,353 | 53,907 | 52,205 | 54,902 | |
10 | 京急蒲田駅 | ■本線 ■空港線 |
53,397 | 47,313 | 45,428 | ||
11 | 平和島駅 | ■本線 | 46,493 | 44,505 | 43,475 | ||
12 | 京急久里浜駅 | ■久里浜線 | 43,608 | 44,158 | 44,017 | ||
13 | 追浜駅 | ■本線 | 41,160 | 40,205 | 43,399 | ||
14 | 青物横丁駅 | ■本線 | 40,067 | 44,564 | 38,140 | ||
15 | 杉田駅 | ■本線 | 34,648 | 33,761 | 32,228 | 28,800 | |
駅長所在駅は品川・平和島・京急蒲田・羽田空港第1・第2ターミナル・京急川崎・川崎大師・京急鶴見・神奈川新町・横浜・日ノ出町・上大岡・金沢文庫・追浜・横須賀中央・京急久里浜・三浦海岸の16駅。駅長所在駅ごとに管区が置かれ、泉岳寺駅とここに挙げた16駅以外の駅は、いずれかの駅長に属する被管理駅となっている。なお、京急ステーションサービスへの委託時代は駅長もその他の駅係員同様、同社の社員であった[63]。
都営地下鉄浅草線(泉岳寺以北)、京成電鉄押上線・本線(青砥以東)・東成田線・成田スカイアクセス線、北総鉄道北総線、芝山鉄道芝山鉄道線との直通運転を行っており、基本的には泉岳寺駅・品川駅 - 三浦海岸方面の線内完結の優等列車および、京成線や都営浅草線からの羽田空港アクセス列車が主軸といえる。
乗り入れ車両は8両編成のため、普通列車の停車駅の有効長の関係で空港線と逗子線以外は普通としては運転されず[64]、京急線内では急行・特急・快特・エアポート快特として運転される。おおよその目安として、品川駅 - 浦賀駅間の普通、空港線系統・本線系統の快特と羽田空港第1・第2ターミナル駅 - 逗子・葉山駅間のエアポート急行が、それぞれ10分間隔で運行されている[65]。そのほかに、普通が品川駅 - 京急蒲田駅間で20分間隔[65]、エアポート快特が京成線方面 - 羽田空港間に40分間隔で運行されている[65]。
基本的に信号は駅の信号室で取り扱う[注釈 11]。そのため事故などでダイヤが乱れた場合は各信号室の判断による運行が行われ、運行中に種別・行先・接続列車等を臨機応変に変更することで、運転再開及び回復までの時間短縮を図っている。インターネット上ではこのような運行形態を指して「行っとけ(逝っとけ)ダイヤ」という通称が用いられる事もある[66]。
また通常ダイヤ以外に、貸切イベント列車を運行することがある。2017年までも企業からの申し込みに対応してサイクルトレインなどを走らせていたが、個人の同窓会や結婚式などの受け付けも2017年10月から始めた(実施は最短で3か月後)。土・日曜日のみで、午前中の品川駅発→浦賀駅または三浦海岸駅着か、夕方の大師線往復(京急川崎駅発着)が利用できる[67]。
品川駅と三崎口駅を結ぶ長い路線でありながら、乗車に際して座席指定券が必要となる「モーニング・ウィング号」「イブニング・ウィング号」、休日の快特の一部列車に設定される「ウィング・シート」のほかは、別料金を徴収する優等列車はない。
京急の現有車両の主な特徴としては、営業車のほぼ全てで大まかな車内のデザインが統一され、ほぼ全車がアルミ製、ステンレス製の交流モーター車であるなど車両の標準化と近代化が進んでいる点である。
現有車両は沿線の金沢八景駅山側に立地する東急車輛製造[注釈 12]、およびその後身の総合車両製作所と川崎車両(旧・川崎車輛→川崎重工業車両カンパニー)の2メーカー製で、総合車両製作所(東急車輛製造を含む)と川崎車両でそれぞれほぼ半々の割合で製造されている。なお東急車輛製造および総合車両製作所が無かった戦前は、汽車製造(汽車会社。現・川崎車両)に多く発注されていたほか、終戦直後には当時鉄道車両の生産経験がなかった三井造船(三井E&S造船を経て現・三菱重工マリタイムシステムズ)に発注した例もあった。
2019年9月30日時点で798両を保有する。各形式の詳細、使用線区、運用などについてはそれぞれの記事を参照されたい。
経営・技術面など多方面から範としたアメリカのパシフィック電鉄の影響から、創業以来の伝統として車体広告車などの例外を除いて車体は赤く塗装されており、会社のイメージカラーにもなっている。塗色のパターンは幾度か変遷があり、現在では、窓下に白帯が入るものと窓周りが白く塗られているものがある。2007年3月に登場した1000形6次車(ステンレス車体)より、車体幕板と腰板に赤色のラッピングを施し、さらに窓下に白帯を入れアクセントとした外装となり[68]、2015年度製造の15次車の6両編成まで継続された。同年度製造の15次車4両編成(1800番台)以降は、赤色に窓周り白色のラッピングが窓枠及び客室扉と乗務員室扉の周りを除いた車体側面全体に拡大され[69][70]、さらに2017年度に導入された17次車からはステンレス車体に全面塗装が施されることになり、5次車以来となる全面塗装車体で導入されることになった[71]。
2014年の西武9000系電車「RED LUCKY TRAIN」を始め、2017年からの羽田空港 - 東京都心間の利便性をアピールする車体広告など、各地の鉄道会社においても積極的に営業活動を行っており、京急の電車に広く見られる赤地に白帯のデザインを再現したラッピング車両が全国各地で見られるようになっている[72](「広報」の節も参照)。日本以外でも、友好鉄道協定を結んでいる台湾鉄路管理局において、2016年5月12日より同年10月12日までの期間にEMU700型電車第1編成においてラッピングで再現された[73][74][75]。
視認性の問題から行先表示に3色LED表示器は導入しなかったが、フルカラー・白色LEDが実用化され視認性に特に問題なかったこと、多くの色を表現でき種別案内が色で可能になったこと、行先の増加や運転系統の変化に伴い幕交換が多数発生している現状を踏まえ、2005年(平成17年)以降製造車両から本格採用した。2010年3月頃よりフルカラー・白色LED行先表示(日本語・英語を交互表示)が搭載されている。また、列車無線装置の機器スペースの都合で、前面のみをフルカラーLEDに交換した編成が出現しており、600形、2100形、1500形などが該当する。800形の全廃後は、在籍車両の正面の行先表示器はすべてLED式となっている。
相互直通運転を行っている京成電鉄とは異なり、駅名の「京急」は省略しない(「京急川崎」など)。以前は「京急」(1987年までは「京浜」)を省略していたが、神奈川新町などを正式駅名表記とするようになった頃から省略しなくなった。
方向幕搭載車は、過去は白地に黒文字、800形以降は黒地に白抜き文字の表示であったが、2002年以降から白地に黒文字のローマ字入りに交換が開始され、現在はすべて完了している。かつて使用していた行先板での表記の名残りから「新町(神奈川新町)」「文庫(金沢文庫)」など省略駅名を表示していたが、現在は羽田空港第1・第2ターミナル駅行を「羽田空港」と表示するのを唯一の例外として、京急線内の駅についてはすべての車両が正式な駅名を表示するようになっている。
特殊な表示形態として以下のものがある。
形式呼称は、京成電鉄や東京都交通局および小田急電鉄と同様に「…系」ではなく「…形」を使用し、相互乗り入れを行う各事業者の車両と形式番号が重複しないように2000番台より若い数字を用いる(京成車は3000番台、都営車は5000番台、北総車は7000番台、千葉ニュータウン鉄道車は9000番台。なお、大東急時代は元京浜電鉄・湘南電鉄の車両に5000番台が振られていたが、京急の分離独立時に5000を引いて一斉に改番した)。また、京急では必ずしも編成を固定しておらず、1500形を中心に現在でも編成替えが多く行われていることから編成を表す「…F」(「編成」を意味する英単語Formationの頭文字)などの呼称は用いられていない。さらに、京急線内では車両形式と編成を表す記号も使用されており、一例を挙げると、2代目1000形の8両編成では「8V」などと呼称されている(出典:『京急ダイヤ100年史』)。
都営地下鉄線に乗り入れる列車は、片側3扉で、貫通扉を備え、火災などの非常時に運転室正面から脱出可能な編成に限定される。現在、この条件を満たすのは1500形・600形・新1000形とその派生型である。なお2100形は貫通扉を備え、非常時には正面から避難できる構造で直通規格を満たしてはいるが、泉岳寺駅までの線内運用となっている。ただし、臨時列車や車両展示などで浅草線走行記録はある。800形などの片側4扉車両は、品川駅以南の運用であった。
先頭車両(制御車)は事業用車両クト1形が廃車された2010年度以降は全て電動車となっており、他社局からの乗り入れ車両についても原則的に先頭台車は重量の重く安定している電動台車に限定している[76][77]。これは国鉄三河島事故・鶴見事故以降、京急線内では脱線事故などの際に転覆事故へと被害を拡大させないこと、車輪とレールの半・導体膜が破壊され短絡感度が良くなり[78]、軌道回路の正確な検知を行うことで素早く確実な分岐器の転換・信号の開通・踏切の動作が求められているためである。ただし、過去には京成の3500形や旧3000系列(3200形・3300形)などの先頭付随台車(6M車)の車両(改造前に、主に夏季の海水浴や正月の初詣臨時列車で使用された)や、当時先頭車が電動車でなかった北総7000形(北総・公団線(現・北総線)の2期線開通直後の一時期)が例外的に入線した時期もあった。
ボルスタレス台車は走行安定性の観点から現在に至るまで採用されておらず[注釈 13]、ダイレクトマウント式のボルスタ(枕ばり)付き台車を採用している。軸箱支持装置についても円筒案内式が多くを占めており、これ以外の採用例は2代目800形のペデスタル式や3代目600形の軸梁式程度である。標準軌であること、ボルスタ式なので曲線入り口での台車回転に心皿と側受の制動がかかる一方で曲線区間中は乗り心地を悪くするフランジ横圧が弱いこと、車軸支持の摩擦が少なく位置決め剛性が高いこと、軸ばねのストロークが大き目でばね定数が低目であること等で走行安定性と乗り心地および粘着の高いバランスを追求している所が京急特有の乗り心地の原因だと言われている。
ドイツの電気機器メーカー「シーメンス」社製VVVF制御装置[注釈 14]やノルウェー製座席、スウェーデン製座席カバーを使用するなど、日本以外からの技術導入も積極的である。
起動加速度は全車両で3.3 - 3.5km/h/s と高めに設定されている一方、直流モーターを使用する車両は弱め界磁制御の領域を広く取るなどして高速性能も確保している。
かつて運行していた週末座席指定特急では禁煙プレートに号車札を差し込み、灰皿を置いて喫煙可能にしていた名残で、3代目600形まで独特の形をしていた禁煙プレートを採用していた。
1988年に、関東地方の大手私鉄では初めて全車両の冷房化を達成した[注釈 15]。
なお総合車両製作所製の電車の製造銘板には、同社の対外通称である「J-TREC」のロゴを記載することを大手私鉄中唯一認めておらず[要出典]、漢字で「総合車両製作所」とだけ記されている。
地下鉄乗り入れを行う車両のうちアクセス特急に対応しているのは、車上情報管理装置に誤通過防止機能(停車予告機能)の搭載を行った編成のみが運用に入る。 原則600形と新1000形10次車以降(1800番台は2編成を幌で貫通連結して運用に入る)の車両に限られている[79]
京浜急行電鉄分離独立後に在籍した過去の車両は以下の通り。いずれも廃車時の形式。東急統合時と1965年、1966年に改番が実施され、製造時とは形式名が変更されている車両が多い。*印は保存車、または譲渡車が現存する車両を示す。
開業期から京浜急行電鉄成立以前までに下記3形式の木造車両が在籍した。形式はいずれも製造時のもの。一部は京急分離独立後にも在籍していた。このほか、大師電気鉄道開業時から大正時代まで木造2軸電車が在籍していた。
廃車後の地方私鉄への譲渡先は、東京急行電鉄や西武鉄道と比べると多くないが、特筆すべき譲渡先としては高松琴平電気鉄道が挙げられ、木造車時代から平成に入って引退した車両まで数多くの車両が譲渡されている。
運転保安装置は全線で乗り入れ先各線と共通の1号型ATSを採用していたが、2009年(平成21年)2月14日よりC-ATSに更新した[80][81]。検車区は久里浜の車両管理区を中心に金沢検車区と新町検車区を加え計3か所を有する。
路線はかつての軌道線や地方鉄道に由来するため地上を走行する区間が多かったが、各地で立体交差化が進んでいる。近年は弘明寺駅 - 上大岡駅間の高架化や空港線の一部地下化、京急蒲田駅付近の高架化が行われた。特に京急蒲田駅周辺では第一京浜や環状八号線に跨るため慢性的な交通渋滞の要因となっていたことから、早急な高架化を実現するために大部分で直接高架工法を導入して連続立体交差事業が行われ[82][83]、2012年(平成24年)10月には事業区間全線が高架化[84]。2017年(平成29年)3月に事業全体が完了した[85]。2021年7月現在で進行中の事業は、大師線地下化第1期、品川駅付近連続立体交差化である[1]。
待避駅では列車衝突の防止および信号現示の効率化のため、待避線に安全側線を設けることを基本としている。これにより、待避列車に対しYY現示(警戒)でなくY現示(注意)で進入させることができ、また後続列車に対しても場内信号機にG現示(進行)を早く出すことができる[78]。
大規模な駅では発車時刻や行先などを表示する発車標のLED式表示装置、液晶式表示装置への更新が行われている。また品川駅、京急蒲田駅、羽田空港第3ターミナル駅、羽田空港第1・第2ターミナル駅、横浜駅などでは外国人の利用客を意識して日本語、英語のみならず中国語、韓国語の表示にも対応している。
品川駅1番線、京急蒲田駅1,4番線、羽田空港第3ターミナル駅、羽田空港第1・第2ターミナル駅、京急川崎駅3番線、横浜駅では自動放送装置も導入されている。ドア数や車両数の違いや分割・併合の多さ、先着などの案内が複雑なため主要駅への自動放送装置導入には消極的であったが、詳細なアナウンスができるシステムが構築され、駅員によるアナウンスと遜色のない細やかな情報が提供されることが特徴である。
その他、接近する列車の種別が表示される簡易案内装置が多くの駅で導入されている。あくまで接近列車の種別を示すもので、JRの東京圏輸送管理システム (ATOS) のように次発列車の時刻・種別を案内するものではない。当初は機械式であったが、現在はLED式となっている。また、併せて列車接近自動放送(通過・停車別)が導入されている駅も多いが、内容は非常に簡易的である(例:「まもなく、上り、快特が、到着致します。危険ですから、黄色い線の内側に、下がって、お待ちください。」)。
また、2008年(平成20年)11月18日より「京急駅メロディ大募集」として同年7月に一般公募により決定したご当地ソングが京急線内主要17駅(品川・青物横丁・立会川・平和島・京急蒲田・羽田空港(現:羽田空港第1・第2ターミナル)・京急川崎・横浜・上大岡・金沢文庫・金沢八景・新逗子(現:逗子・葉山)・横須賀中央・堀ノ内・浦賀・京急久里浜・三崎口の各駅)で、接近メロディとして使用が開始されている(後に生麦・羽田空港第3ターミナル・港町・井土ヶ谷・追浜・三浦海岸の各駅や、期間限定で梅屋敷・川崎大師の両駅でも採用された。それぞれの駅の採用曲は「発車メロディ#京浜急行電鉄」の項目を参照)。メロディはスイッチの制作で、編曲は塩塚博が手掛けた(品川駅と羽田空港第1・第2ターミナル駅の『赤い電車』は除く)。なお、ご当地ソングを鉄道事業者が採用している例はこれが初めてではなく、既に西日本鉄道(西鉄)で行っているが、西鉄では列車車内でのメロディでの採用に対して京急では駅の案内で使用している点が異なる。
ホームで駅員が監視業務をしていない駅では車掌がワイヤレスマイクを通じて駅ホームスピーカーを使い(一部の京成車は車外スピーカーで直接)、種別、行先、ドア閉めの告知をしており、笛や発車ブザーによる発車案内は主要駅を除き省略されている[86]。通過待ちをする列車の乗務員はホームに立ち通過監視を行うのが慣習になっているほか、車掌による発車時のホーム監視は8両編成以下の場合乗務員室扉を開けて行っていたが(ホームドア設置駅を除く)、近年は安全のため乗務員扉を閉め窓から監視するようになっている。また監視に集中することから、車掌と駅員の間での敬礼は行われない。
また、車両は羽田空港・浦賀・逗子・葉山・三崎口寄りを1号車とし、品川寄りを大きい数字(12両編成の場合12号車、8両編成の場合8号車)としている。
2019年1月28日、羽田空港国際線ターミナル駅(現:羽田空港第3ターミナル駅)に、目の錯覚を利用した「錯視サイン」を全国の駅で初めて導入している[87]。
自動券売機は現在すべてがタッチパネル式多機能券売機となっているが、PASMOの導入に合わせてPASMO対応への改造が行われた。一部には定期券発行機能(新規含む)が搭載され、利便性向上を図っている。2010年7月下旬から品川駅を皮切りに、自動券売機が順次更新されている。1994年(平成6年)4月1日には独自のストアードフェアシステムを導入し、対応するルトランカードの販売・利用が開始された[88]。一方でパスネットの利用開始は機器更新が間に合わず、2000年(平成12年)10月14日のサービス開始時には導入せず[88]2001年(平成13年)以降の予定としていたが、羽田空港駅(現:羽田空港第1・第2ターミナル駅)開業に伴う乗客増加に対応すべく、2000年12月20日に前倒しで導入した(ただし導入当時は対応自動改札機が限定されていた)。
大人普通旅客運賃(小児は、IC運賃は全区間75円均一、切符利用の場合は半額・10円未満の端数切り上げ)。2023年(令和5年)10月1日改定[89][90]。
キロ程 (km) | 運賃(円) | |
---|---|---|
IC | 切符 | |
1 - 3 | 150 | 150 |
4 - 6 | 180 | 180 |
7 - 10 | 228 | 230 |
11 - 15 | 277 | 280 |
16 - 20 | 313 | 320 |
21 - 25 | 347 | 350 |
26 - 30 | 403 | 410 |
31 - 35 | 455 | 460 |
36 - 40 | 510 | 510 |
41 - 45 | 566 | 570 |
46 - 50 | 650 | 650 |
51 - 55 | 667 | 670 |
56 - 60 | 710 | 710 |
61 - 67 | 740 | 740 |
このほか、品川駅・八丁畷駅・横浜駅で京急線とJR線の初乗り区間同士を利用する場合、大人・小児とも10円(八丁畷乗り換えに限り大人は20円)の割引が適用される。
このほかにも有人改札口で硬券による入場券および初乗り運賃の乗車券を発売していたが、2012年2月現在は京急線全線で硬券の発売は終了している。
羽田空港への路線が就航している日本国内の空港(新千歳・大阪(伊丹)・広島・北九州・那覇)にも券売機が設置されており、羽田空港第1・第2ターミナル駅からの乗車券を購入することができる。2016年3月15日より、全日本空輸(ANA)が運営するANAマイレージクラブと連携し、この券売機できっぷを買うとANAのマイルが貯まる「京急ANAのマイルきっぷ」の発売を開始している[92]。
京急線は、沿線に三浦半島、横浜といった観光地や羽田空港を擁し、観光客を始めとする利用者に向けて様々な割引乗車券(企画乗車券)を発売している。
一部の乗車券は、京急沿線おでかけサービス『newcal』サイト内の「デジタル乗車券」のみの発売で、紙式乗車券の発売は行わない乗車券がある。
なお、ここでは単に「羽田空港駅」と記した場合、羽田空港第3ターミナル駅と羽田空港第1・第2ターミナル駅の両方が含まれる。
以下の乗車券はPASMOでのみ発売する。定期券が搭載されていないカードのPASMOのみ使用可能である。いずれも泉岳寺駅では発売していない[97]。
なお、『なぎさ』と『Haneiro KEIKYU』は京急各線全駅以外に、都営地下鉄及び京成線の主要駅にて配布している。
空港線の羽田空港延長後は、地方からの羽田空港到着便利用者を対象として、京急沿線とつながりのない中国地方など遠隔地の放送局の番組に複数社提供社として名を連ねたり、スポットCMを出稿したりした例があり、過去に札幌テレビでは『ズームイン!!朝!』の7時半以降のローカルセールス枠のスポンサー(複数社のうちの一つ)となったことがある。
京急本体やグループ各社と、グループ外企業と連携するオープンイノベーションを推進するため、ベンチャー企業への出資枠を新設した。初年度の2018年度は1億円[117][118]。
2010年代ごろから過酷な労働環境が問題となっている[119]。知人に京急乗務員がいる利用者からは「13連勤手取り14万円電鉄」と揶揄されないような賃金体系と労働環境を確保するようにと国土交通省へ意見が上がっており、それに対して京急では働き方改革等を推進していくとした[120]。
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