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競輪に参加する選手 ウィキペディアから
競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技の競輪において賞金を獲得するプロフェッショナルスポーツ選手であり、経済産業省管轄の国家資格所持者である[1]。
選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模となる2,400人に上る。
競輪場が50〜60か所ほどあったピーク時には男女合わせて6千人以上もの選手がいた[注 1]こともあったが、相次ぐ競輪場の閉鎖や開催日の減少、団塊世代の選手の大量引退、日本競輪選手養成所の選手募集抑制などによって大きく減らし、2019年12月末時点で2,325人(うち女子135人)[3]にまで減らしたが、現在では毎年男女合わせて90名前後の新人選手がデビューしている(一方で毎年、男女合わせて代謝制度の対象選手も含めて80名ほどが引退している)こともあり、以下の通り2020年以降は選手数は増加に転じており、2024年には125期生(男子)・126期生(女子)がデビューし2,400人を超えた。このうち女子選手においても、2024年に初めて200名を超えた。
男女とも競輪選手になるには、国家試験である競輪選手資格検定(以下、資格検定)に合格する必要がある。資格検定に合格するには、日本競輪選手養成所[注 2](以下、養成所)に入所し、同所で研修・訓練を受けなければならない[注 3]。選手養成所の入所試験の合格倍率は、男子は概ね5〜6倍[9]・女子は概ね2〜3倍程度[10]であり、競艇選手を養成するボートレーサー養成所の20倍[11][注 4]、オートレース選手を養成するオートレース選手養成所の約40倍[13]と比較すると、公営競技の中では最も競争率が低い。
資格検定は年2回実施され、毎年度12月が第1回[14]、翌年3月が第2回の試験となり、選手候補生はそのいずれかを受験することになっている。ただし、12月の第1回試験については、原則として養成所から早期卒業候補者として特別に認められた場合のみ[注 5]受験が可能となっており、通常は3月の第2回試験を受験する。なお、12月の第1回試験の受験(ができそうな有望な)者がいなかった場合はその第1回は実施されず、翌年3月の第2回試験が当該年度の第1回試験として行われる[16]。また、2020年度以降は履修カリキュラムの進行が早くなったため、現状では第2回試験(年次によっては第1回試験)は2月上旬ないし中旬のいずれかで4日間かけて実施している[16]。
資格検定に合格し養成所を卒業したあと、全国いずれかの選手会に所属することで選手登録され、JKAより競輪選手であることを証明する選手登録証[注 6]を交付されることで、晴れて競輪選手となれる。
登録名は本名が原則だが、結婚などにより改姓しても登録名を変更せず旧姓(通称)のままで選手活動を続けることもできる。特に女子選手の場合は結婚によりほぼ改姓しているが、中には変更せず現状のまま(旧姓使用)としている選手も見られる。ただ、女子選手でも現姓に合わせて登録名を変更した選手も見られているほか、男子選手でも婿養子となりながらも選手名を変更せず旧姓で通している選手もいる。なお、競輪が始まった初期の頃の選手の中は、登録時の審査が甘かったこともありきょうだいの名前で選手登録し、それが通ったため引退までそれで通した選手もいた[注 7]。
現在では、男女ともに養成所を卒業したあと、5月に萬福寺(以下も参照)にて3泊4日の新人宿泊研修を受け、4月末から6月にかけて新人選手のみで行われる『競輪ルーキーシリーズ』が実質のデビュー戦となる(2020年より)[18]。そしてその成績を基に競走得点が算出され、それをもって下半期期初となる7月以降に本格デビューすることになっている。
なお、養成所での競走成績が優秀で養成所が定める「早期卒業基準」に該当し、かつ候補生自身早期卒業の意思がある場合は、特例で通常より半年早く1月にデビューすることも可能となっている[19]。
養成所の受験方法・在所時の生活などについては、日本競輪選手養成所の項目を参照のこと。
また、JKAでは男女問わず競輪選手を志望する人に対して、各種相談に応じている[20]ほか、性別、自転車競技経験の有無は問わず競輪選手に興味を持っている、ないしトラック自転車のスキルアップを目的とした人に対し、競技用自転車に乗って競輪場のバンク走行などが体験できる「トラックサイクリングキャンプ」[21]というイベントを年に数回実施しており(対象は中学生以上〜30歳までの男女。ただし開催は男女別で行われる)、実際に現役の競輪選手の中にも、このキャンプの参加経験者がいる[22]。さらにそれ以外にも、自転車競技未経験者で養成所受験を検討している人に対し、「JIKトレーニングキャンプ」(入所試験体験)を行っている[23]。
まず、競輪を開催する施行者(各競輪場)より委託を受けたJKA(旧・日本自転車振興会)の各地区本部がJKAあっせん[注 8]課に対しあっせん依頼を行い、あっせん課はスケジュールや脚質など公正に勘案した上で選手に対しあっせん通知メールを送信する。基本的に、毎月27日前後に2か月先の斡旋のメールが選手宛てに送信され、それを受信した選手はメールの内容(あっせん先の競輪場・開催期日など)を確認し、参加・不参加に関わらず意思表示をしたメールを返信することで、改めて開催施行者から参加通知メールが送信される[24][25][26]。これで施行者と選手との間で契約成立となる[注 9]。このように、選手側からすればあっせんは受け身の立場となるが、次の出走予定との間が長く空いてしまう場合や、中々あっせんのない競輪場で出走したい場合などで、選手の側から選手会を通してあっせんの要望を出すことも可能である(ただし、施行者側がそれを受け入れるかは別の話であり、選手の側からの希望は滅多に通らない)。
先頭誘導員のあっせんについても同様に、メールの送受信により契約となるが、競走参加依頼のものとは異なり不定期である[26]。
選手はあっせんされた競輪場へ前検日(開催前日)の13時(先頭誘導員の場合はレース当日朝9時)までに赴き[27]、選手登録証と通信機器を窓口に提出したあと、その日のうちに身体・車体など所定の検査を受けて「異常なし」と判断されれば、翌日以降の競走に参加できる。仮に身体や車体に「異常あり」と判断されればその場で契約解除となり競走には参加できず、規程により「前日検査不合格」により欠場という扱いとなる[注 10]。なお、配送を委託した部品や自転車が前検日に競輪場に届かず検査が受けられない場合なども契約解除となるが、選手の責任を問えないと判断された場合は通常の欠場扱いとなる[29]。
あっせんされた開催に対して出場・欠場ないし不参加の判断は自由であるが、最終的には期ごとに義務付けられている「最低出走回数」(A級では23回[30])は原則クリアしなければならず、特に男子はクリアできなければ級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ[注 11]、降級・降班となることもあるなど不利になる[注 12]。一方、女子(ガールズケイリン)は現状は全員がL級1班のため降格はないものの、男子同様に「最低出走回数」が定められており、最低出走回数に満たない場合、不足分は「修正用基準点数」(みなし競走得点)を加算することになるため競走得点が下がってしまい、欠場期間が長くなると47点未満となることもあり、場合によっては代謝制度の対象となるなど不利な状況となる[32][注 13]。
競走の公正確保(八百長防止)の観点から、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで[注 14]、選手全員が競輪場併設の選手宿舎[注 15]に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり[注 16]、携帯電話や通信機器など[注 17] も前検日に競輪場に必ず預けなければならない。競走参加中に、通信できない状態であっても通信機器を所持ないし届け忘れが発覚すれば競輪場から即日契約を解除され[33]、かつ一定期間のあっせん停止など厳しい処分が課せられ[34]、更に使用が発覚した場合にはより重い処分となり、過去には手島慶介などがこの処分を受けている[注 18]。
選手宿舎は、12畳1室で4人相部屋となっている。居室は概ね、共用の座敷(談話室、テレビ・冷蔵庫などが置かれる)と個別の就寝スペース(通称「巣箱」[35])で構成されており、就寝スペースはカーテンで仕切ることが可能。選手の宿舎内での生活は、基本的に、食事・風呂・トレーニング・同室の仲間との会話がほとんどである[36][37]。ただ、通信機能のない電子機器は持込可能なため、現在ではポータブルDVDプレイヤーで映画等を見る選手[38]や、未だにゲームボーイアドバンスでゲームを楽しむ選手もいる[注 19]。また、かつてはカメラの持ち込みについても禁止とはされていなかったため宿舎内の様子を帰宅後に自身のブログにアップしたりした選手もいたが、現在はカメラの持ち込みも禁止としている[39]。この宿舎内での選手の生活については、競輪業界に題材をとった漫画『ギャンブルレーサー』などに詳しい描写がある。
開催初日から最終日まで毎日1走する[注 21](6日間開催のGIレースでは、途中休み日を挟む)。レース終了後、競輪場にて選手登録証と印鑑を窓口に提出すると、賞金・手当が支給される[17][注 22]。ただ、レースで失格と判定されたり違反行為が発覚したときは、開催途中であってもその時点で競輪場からあっせん・参加の契約を解除(要するに“追放”)され即日帰郷となる。また一部のグレードレースでは、成績不良(勝ち上がり戦を敗退し、さらに敗者戦でも大きな着を取る)の選手については、最終日を待たず帰郷とすることもある[注 23]。このほか、出走したレースで落車し怪我を負ったり成績が振るわなかった場合、選手が自らの判断で以後の競走は棄権し途中帰郷することもある(ただし、途中欠場を頻繁に行うとペナルティが課される)。
競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2 - 3回ほど繰り返す。ただ、競輪は基本的にほぼ毎日全国どこかの競輪場で開催されているため、次に出場予定の開催まで長く間隔が空いていれば、他の出場予定の選手が欠場により欠員が生じる場合は数合わせで『追加』として、他にも開催中に出場選手が失格などで途中帰郷し選手数が不足した場合は『補充』として、それぞれイレギュラーであっせんを受けることもある[注 24]ため基本的に休みというものはなく、お盆や正月も関係なく開催があるため、競輪選手にお盆や正月はあってないようなものである。
ナショナルチームに所属し、普段は競輪・ガールズケイリンよりも国内外の自転車競技大会(トラックレース)出場に重きを置いている選手は、日本自転車競技連盟より練習拠点である伊豆ベロドローム周辺に在住することを義務づけられているほか、練習から食事までも徹底管理なされている[48]。
女子選手ではかつては競輪への競走参加以外に、国民スポーツ大会(旧国体)に所属する都道府県の代表として出場する選手もいたが、現在は制度改正により出場できなくなった[49]。
ほとんどの競輪選手には師匠がおり(師匠がいない選手[注 25]もいる)、基本的にはそれら師弟関係や先輩・後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。この辺りはアマチュアのロードレースチームと似ている。これがライン形成の元になる。ちなみに、師弟関係の締結については、特に決まりごとがあるわけではないが、中には専用の書類を交わしその書類に実印を押すことで正式な師弟関係の締結としているケースもある[50]。
練習内容は自転車競技選手と大差なく、競輪場や自転車競技場において周回走行やダッシュ、追いかけ合って先頭交代したりを繰り返す。このほか、「長距離を乗りこなして持久力をつけるため」や「身近に競輪場など練習できる場がないため」という理由で、公道を練習の場として活用する選手もいる[注 26]。また、大概の選手は登録地の都道府県にある競輪場ないし自転車競技場、サイクルスポーツセンターを練習拠点とするが、中には自宅との移動距離の関係で登録地ではない他の都道府県の競輪場などを練習拠点としている選手も見られる[注 27]。
走行練習のほかに、自転車だけでは鍛えられない部分を補うためにウエイトトレーニングなどを行う事も一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。
函館・青森・富山・福井など北日本及び北陸[注 28]の競輪場は、冬季は積雪等の理由でバンクが使用不能となるため本場開催を休止する。そのため、当該競輪場をホームバンクとする選手の多くはその間温暖な地域に移動して練習を行う。これを「冬季移動」と呼び、ラインの形成などにも影響する[51][52][53]。
選手の収入は、そのほとんどが、出走したレースでの着順に応じて支払われる賞金と手当である。なお、KEIRIN.JPなどで公表されている獲得賞金額は、本賞金のほか、副賞や手当も含んだ額となっており、KEIRINグランプリ・ガールズグランプリ・日本選手権競輪・オールガールズクラシックにおける選考用賞金額とは異なる。
賞金額については、2015年度より全ての競輪場およびグレードにおいて統一されている[58][注 29]。賞金額は、売上額の上昇もあり、近年では2019年10月に増額されたあと、2021年4月に1年半ぶりに増額され、それ以降毎年度増額されている(増額率は年次により異なる)[61]。賞金額の最高はKEIRINグランプリ1着で、1億3300万円(2024年度。本賞金のみ[注 30])。なお、最低はA級3班チャレンジレース初日予選およびL級1班(ガールズケイリン)予選(初日・二日目とも)の7着46,000円である[62][63][注 31]。ちなみに同着の場合は、複数合算した上で等分され支給される(2名が1着同着の場合は、1着賞金と2着賞金を合算し、それを等分した金額となる)。なお、失格となった場合にはそのレースの賞金は支払われないことになっているほか、落車などで途中棄権した場合には未着着順(棄権が自分1人の場合は9着)の賞金から20%がカットされた額[66]が「落車棄権手当」という形で支給される[67][注 32]。
約款により、開催が初日に急遽中止となった場合は、その開催で実施予定であったS級戦、A級戦、L級戦(ガールズケイリン)におけるそれぞれの総賞金の30%が、出場各選手に対し均等に支払われる[68][注 33]が、仮に1レースでも実施していれば、同じく約款により、総賞金の75%以上が支払われる[69]。ただし、前もって中止が決まった場合は支払われない[68]。
賞金とは別に支給される各種手当については様々あるが、代表的なものとして、レースに出走すれば、レース毎に「出場手当」35,000円[70]及び「日当」6,000円[70]合わせて41,000円が(失格や棄権となっても)必ず支給される(前検日についても「日当」6,000円[70]が支給される)。これに加えて、レース中に雨や雪が降れば「天候不良による特別出走手当」(俗に言う「雨天敢闘賞[26]」)として3,000円が[70]、モーニング競輪に出走すれば「モーニング競輪手当」として4,000円が[70]、ナイター競輪に出走すれば「ナイター手当」として4,000円が[70]、ミッドナイト競輪に出走すれば「ミッドナイト競輪手当」として14,000円が[70]、正月三が日(実際には年末年始の特定開催となる)に出走すれば「(通称)正月手当」なども、出走のたびにそれぞれ支給される。そのほか、競輪場によっては規則により、「宿泊手当」や、自場でのGI開催に参加した選手に対しては「参加名誉賞」が、3日間開催で完全優勝ないしいずれも2着以内となった選手に対しては「優秀選手賞」が、開催執務委員長が特別に認めた場合には「特別賞」などが、それぞれ支給されることもある[67]。出走する選手以外にも、先頭誘導員資格を持つ選手がレースで先頭誘導員を務めれば、その都度誘導員手当[注 34]も支給される。これら手当も賞金の増額とともに増額されている。
賞金・手当とは別に、自宅から競走に参加した競輪場までの「交通費」も別途支給される[注 35](ただし自転車などの配送料は自己負担)。
各競輪場ごとに設定されているバンクレコード(各レース1着選手による残り半周のタイムの最速記録)を更新した選手に対しては、記録を達成した当日に主催者(開催執務委員長)から敢闘賞[注 36]が与えられることがある。例えば2014年に小田原のバンクレコードを更新したボティシャーに対しては2万3000円が支給された[73]ほか、2022年7月24日に自身が持っていた佐世保のバンクレコードを更新した中川誠一郎に対しても当日に目録が贈呈された[74]。また、タイ記録でも敢闘賞が贈られることがあり、2015年と2017年の深谷知広(川崎)には1万5000円が支給される[75]などした。
これらの賞金・手当は、原則として窓口で選手個々に帰宅時に現金で支給される[17]。そのため開催最終日には窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなく、実際に2019年の寬仁親王牌で優勝した村上博幸は、窓口で受け取った3000万円ほどの賞金を丸々鞄に詰め込んで帰宅の途についた[76](スーツケース1個あれば1億円が収まる)ほか、かつて吉岡稔真も雑誌の企画で植木通彦と対談した際、自宅近くで行われている競輪祭において「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語った[77]。ただし、高額の現金を持ち帰るのは強盗等の危険も伴うため[注 37]、選手が希望すれば、一部を現金で受け取り残金を銀行振込とすることも可能となっている[78][77]。なお、PIST6が行われているTIPSTAR DOME CHIBAでは、賞金・手当・交通費などは窓口で現金の手渡しは行わず、後日選手の銀行口座に全額とも振込されることになっている(そのため、帰宅するまで1円たりとも手にすることはできない)[79]。
2014年度までの賞金制度では売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクの競輪場が年ごとに増加していたことから、この影響から選手全体の賞金総額も過去と比べて大きく減少していた[80]。特に2017年は2007年以降の過去10年間で最低となる235億1,123万円であった[81]が、2018年は236億2,511万円となり10年以上ぶりで増加となり[80]、さらに2019年は10月以降全てのレースで賞金の増額が行われたこともあり247億1,581万円と、2014年当時の水準にまで回復した[82]。
選手個人の年間平均取得額は、2010年までは1,000万円以上あった[80]が、2011年は東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から大幅に減額され[83]888万円となった[84]ほか、同年の年間獲得賞金額1,000万円以上の選手は782人に留まり、過去30年間で最低となった(最多は1998年の3,196人)[84]。ただ、2012年以降は再び上昇基調が続いており、特に近年は毎年賞金が増額されていることもあって、2023年の平均取得額は同年12月31日時点での全登録選手2380名の平均取得額は1407万9345円(女子は全登録選手191名で916万9054円)となった[85]ほか、1億円以上取得者は6名と前年より1名減少したものの、1000万円以上取得者は1602名(うち女子は50名程度)となり2005年以来18年ぶりに1600人台となった(全2380名のうち67.3%。ちなみに2005年は全3736名のうち1633名であり43.8%であった)[86][87]。2018年7月にデビューした113期(男子)・114期(女子)からは別個でデビュー年における賞金取得額上位10人が公表されており、2023年では男子(123期)は浮島知稀(群馬、A2)がトップで885万6000円、女子(124期)は竹野百香(三重、L1)がトップで638万4000円であった[88]。
このほか、オリンピックでは、アトランタ大会から自転車競技にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、当初は大会毎に選手の中から代表を選び、その代表選手はオリンピック開催の数か月前から通常の競走を欠場した上で合宿を行っていた[注 38]。だが、それでは結果(メダル獲得)が伴わなかったこともあり、現在では日本自転車競技連盟より強化指定選手として指定された選手(ナショナルチーム)[91]は競輪・ガールズケイリンよりもオリンピック・世界選手権でのメダル獲得を目標に自転車競技にほぼ専念する形で世界選手権やワールドカップなど海外のレースに積極的に参戦している(ほかに海外合宿なども実施)。ナショナルチームの選手に対しては報奨金が支払われるが500万円程度であり[48]、単純に収入面だけを考えれば競輪・ガールズケイリンに専念する方が多く収入を得られるものの[注 39]、現在は先述の通り練習拠点である伊豆に生活拠点を移させることを義務付けた上で練習から食事まで徹底管理される体制となり自転車競技の練習に専念できるようになったことから、収入より名誉(メダル獲得)を選んでナショナルチーム入りを希望する選手も出てきている。特に大きな大会でメダルを獲得した場合は、更なる報奨金も支給される[注 40]。
一方で、選手は獲得賞金の約1割を選手会に支払うことになっており、その中から選手会運営費、全選手の年金や退職金が捻出されている。さらに賞金とは別に、選手は1走ごとに1万500円を選手会に納めることになっており、その内訳は7500円が退職金に、残りが年金などの共済金に充てられており[93]、これらは開催終了時に支給される賞金から源泉徴収される。
かつては、20年以上選手を務め上げれば引退する際に約2000万円の退職金が支払われ、またそれとは別に獲得賞金の一部を原資とした年間約120万円の年金が15年間支払われていた[94]が、売上額がピーク時から1/3程度にまで落ち込んだ現状では年金などの積立金は元本割れしているとされ、年金は2010年度から支給停止となり、また退職金も2014年時点で今後約20%カット予定とされた[93]。
選手は、個人でスポンサーを募ることも認められている。自転車関連のメーカーから現物支給を受けるケースや、かつてはレース時に着用するユニフォームにロゴを掲載する代わりにスポンサー料を受け取るケース[95][注 41]などがあった(ユニフォーム広告#その他も参照)。ただ、スポンサー名付きのユニフォームは2023年末をもって禁止となり、2024年年初以降はスポンサー名の付いたユニフォームは見られなくなった[96]。
歴代で年間最高獲得賞金額は、男子は脇本雄太の3億584万2300円(2022年)で、競輪のみならず公営競技初となる年間獲得賞金額3億円突破を達成した[97]。女子は柳原真緒の3095万5400円(2022年)。
競輪選手は男女ともレース中、競技規則に抵触するとペナルティとして違反点(正式には『競走違反点』)が課される。内訳は、「走行注意」(男子のみ制定)では2点が、「重大走行注意」では10点が、「失格」では30点が、それぞれ課される。これは抵触した回数ごとに加算されるため、同一レースで複数回付けられることもあり、場合によっては一人で「失格」を2つ以上与えられることもある[99][100]。これら違反点を短期間に繰り返し受けると、特に男子は級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ降格の可能性が高くなるほか、降格はない女子でも特別競走で選考除外されてしまうこともある[101]など、不利な状況となる。
累積違反点数が直近4か月間(なお、点数は毎月スライドする)で90点以上に達した場合には、関係団体(実際は日本競輪選手会)から訓練への参加通知が届き、「特別指導訓練」に参加しなければならなくなる。実施場所は日本サイクルスポーツセンターで期間は4泊5日、受講費を自腹で支払い当訓練に強制参加させられる[102]。その内容は競走参加中と同様に携帯電話や電子機器の持ち込みが不可(預かり)となり、飲酒も厳禁で、決められた時間や範囲以外の外出も禁止になる。
さらに、直近4か月間の累積違反点数が120点以上になると、JKAの規程により『あっせんをしない処置』[103](以下「あっせん処置」)という処罰の対象となる場合もあり、適用されると基本的に120点以上が1か月、150点以上が2か月、180点以上が3か月、といった間で出場へのあっせんが行なわれないことになり[102][104]、これは一定期間実戦から遠ざかり、かつ収入が途絶えることをそのまま意味している。なお競走における失格についても内容によってはこの措置が適用されることもある。競輪公式サイト「KEIRIN.JP」でも、毎月2回(上旬と中旬)『あっせんをしない処置に係る違反点数累積状況』として違反点数ワーストの順で90点以上の選手を公表している。
レース中以外でもペナルティが課される場合がある。選手側の都合による、いわゆる「ドタキャン」を防ぐために、1期間(半年間)で2回以上途中欠場ないし直前欠場[注 42]をすると、競走得点から3点が差し引かれることになっている[105]。
これとは別に、競走における失格の内容やドーピング違反のほか、逮捕されるなど私生活において特に悪質な行為に及んだと判断された選手については『あっせん停止』[106]という厳罰が下される[107]。これは最短1か月からの期間で長いものとなると1年間[107]という処分を受けることとなるが、あっせん停止にあたる事象を行なった選手について後日正式な処分が下るまで緊急にあっせんを止めたほうが適切と判断された場合には『あっせん保留』の措置が下される[108][109]。特に現状ではドーピングに対する処分は非常に厳しくなっており、ドーピングが発覚した伊藤成紀(90期)は日本アンチ・ドーピング機構より2018年7月から4年間の資格停止処分を下された[110][注 43]。
このほか、あっせん停止期間が過ぎた後もKEIRINグランプリなど特別競輪への参加や、追加あっせんを受ける権利などが一定期間取り消される[112]。さらに、特に短期間で違反点数を累積させる、あっせん停止に処される、ひと月でスタート牽制による重注が3回以上つけられる[113][104]などした選手については俗に「お寺行き」と呼ばれる特別指導訓練が課せられる。これは競輪の公式ホームページでは明らかにされていないものの、上述した漫画『ギャンブルレーサー』などで詳しい描写がなされているほか、対象となった選手[113][104]やチャリロト公式ホームページでも語られている[114]などしており、事実上公然のものとなっている。この「お寺行き」が命じられた場合には、京都府宇治市の黄檗宗大本山の萬福寺まで赴き、山内の施設において5泊6日の厳しい禅寺の修行を済ませなければならない。受講費用6万円のほか交通費も含めて自腹での参加であり、また期間中は座禅を組まされたり読経、周辺の掃除のほか、黄檗山から平等院まで6kmもの歩行訓練を課されるなど練習は全く行えないことから[113][104]、選手からも恐れられている。かつては萬福寺以外の寺院でも行われていたが、「厳しすぎる」などの理由で現在の「お寺行き」は萬福寺のみとなっている[113]。ちなみに、この修行は競輪選手に限定したものではないため、受講費を納めれば誰でも受講することができる[113]。
特別訓練やあっせん処置およびあっせん停止などの処分対象になると、その間の収入が途絶えてしまう。また、練習不足の他にもレース勘の維持などという面や、体調管理にも悪影響を与えるため、競走への復帰後もしばらくの間は成績下降などの「後遺症」が表れることも少なくない。なお特別指導訓練の対象選手は、その累積違反点数と共に一定期間毎に競輪公式サイト「KEIRIN.JP」にて一覧で公表されており、あっせん停止の対象選手についてはJKAが広報などで公示する[107]。
その他にも、競走参加中における競輪場からのペナルティもあり、レース毎に「規定時間」(スタートから第一周回のホームストレッチラインまでのタイム[注 44] で計測)が設けられており、第一周回のホームストレッチライン通過時にこれを超過すると「タイムオーバー」となり賞金は50%カットされる[115][116]。その他、無断欠場による費用請求、レースでの失格による契約解除による強制欠場(即日帰郷)、中長期のあっせん停止または拒否[注 45]などもあり、特に無断欠場や悪質失格(誘導員早期追い抜き、暴走、敢闘精神欠如など)を起こした場合はJKAに報告され、改めて全体的な処分が検討されることになる。
なお、これらとは別に日本競輪選手会が問題を起こした選手に対し、自粛欠場を要請する形で独自のペナルティを課すこともある(『SS11』、『松本整』の項目も参照)。
2021年10月よりTIPSTAR DOME CHIBAで行われている250競走「PIST6」においては、通常の競走と同様に失格、重大走行注意、走行注意のペナルティが与えられることがあるが、通常の競走とは競走形態、ルール、使用機材などが異なることから、PIST6においては罰金を支払う形(厳密には賞金ないし特別手当の減額)となっており、PIST6におけるペナルティは競輪の級班別審査には影響しない。ただし、ペーサー早期追い抜きや1周目完了前の並び順変更など、レースの秩序を乱す重大反則を犯しての失格となった場合は、通常競輪を含めたあっせん停止の処分となるため級班別審査に影響が出る[118]。
男子は、実力に応じて大きくS級・A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。
S級のSは「スーパースター」の略とされている[119]。
女子は現状クラス分けがないため、レーサーパンツは全員が黒のレーサーパンツ、横のラインは虹色(左右でカラーリングは異なる)である。
競輪独特の選手の評価制度として、競走得点によって評価されるということが挙げられる。
それぞれのレースには、着順ごとに得点が設定されている。例えばFI開催・S級5レース制の場合、予選は1着102点、準決勝は1着111点、決勝は118点と設定されており、これらはPIST6を除くすべての競輪競走に設定されている。いずれも、着位が1つ下がるごとに競走得点は2点下がる。同じ級別・開催ごとのレース数においては、どの競輪場においても競走得点の設定は同一である。
選手が一定期間内に「ゴール」した全レースにおける獲得競走得点の平均が表示される。なお、ゴールしなかった(欠場・途中棄権・失格)レースは、競走得点の計算に参入せず、出走レース数(分母)にもカウントされない。
出走表などに特に断りなく競走得点と書かれる場合、それは直近4か月の平均競走得点を示しているが、さらに詳しく言うと、現開催の月を含め、遡った3か月前の月初から、現開催の開始前までの得点が記載される。9月の開催であれば、6月1日から前開催までの平均得点である。初日特選のメンバー選出、翌日の勝ち上がりの決定、男子のレースの場合は9車立ての4・6・8番車の決定及び7車立ての6番車の決定、ミッドナイト競輪の場合は全車番の決定に用いられる。3か月前の月初以降未出走だった場合は0.00点として扱われる。
一方、上記のクラス分けには、評価期間中(6か月)の平均競走得点を算出し、それより期間内の失格1回につき3点をその競走得点よりマイナスした評価点においてランク付けがなされる。
特別競輪における選手選出は、それぞれ定められた一定期間の平均競走得点を使用する。
また、下記のいわゆる代謝制度における評価は、今期、前期、前々期までの3期それぞれの平均競走得点をさらに平均して順位を決定する。
A級1班および2班の選手が3開催連続して「完全優勝」[注 47]を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時にS級2班に特別昇級する。また同様に、A級3班の選手がチャレンジ戦で3開催連続して「完全優勝」[注 47]を達成した場合も、級班選考期間に関わらず即時にA級2班に特別昇班する[注 48]。なお、これら特別昇級ないし特別昇班については、略して「特昇」とも呼ぶ。
2008年1月から導入されたA級3班によるチャレンジ戦のシステムとなって以降、デビュー(117期以降は、原則として「競輪ルーキーシリーズ」を経たあとの本格デビュー。早期卒業者は「競輪ルーキーシリーズ」には出場せず即本格デビュー)から無傷の18連勝(6場所連続完全優勝)でS級入りを果たしたのは、深谷知広[127][128]、寺崎浩平[125]、山口拳矢[129][注 49]、吉田有希[131]、上野雅彦[132]、中野慎詞[133][注 50]の6名のみである(2024年の125期まで)。このほか、高橋晋也はデビュー2場所目(デビュー場所は1・1・3着)から通算7場所・20連勝[注 51]でS級に特昇している。なお、117期より開始した新人戦「競輪ルーキーシリーズ」においては特別昇班の対象外としており、新人は全員が本格デビュー戦はチャレンジ戦からのスタートである[130]。
また、毎年6月と12月に、いずれかの開設記念の最終日(4日目)において、A級1・2班の成績上位9名から特別昇級3名、並びにA級3班から特別昇班3名、それぞれの枠を争う単発レース「レインボーカップ」が行われている(A級戦は通常1レース7車立てだが、「レインボーカップ」は9車立てで行われている。いずれも上位3着までの3名がレース翌日付で特昇する)。
ほかにも、オリンピックおよび世界選手権において、自転車競技トラック種目で3位までに入賞(メダル獲得)した場合も特昇する例外規程が設けられている[135](ワールドカップ、ネーションズカップは対象外)。ただし、A級選手がオリンピックや世界選手権に代表として派遣されることは(実力面から見て)レアケースであり、2022年の世界選手権男子スクラッチにて銀メダルを獲得した窪木一茂が、この例外規程により2022年10月15日付でS級2班へ特別昇級した初のケースとなった[136][137]。
S級特別昇級の最高齢記録は、3開催連続の完全優勝・レインボーカップ共に、大竹慎吾が保持している(2022年6月時点)。
特別昇級ないし特別昇班してから3期の間(最長1年半)は、降級および降班しない(昇級・昇班は可能)。
男子は、A級3班で通算3期(1年半)の成績が相当な下位となった場合には、「競輪に係る業務の方法に関する規程」第83条第1項第3号[138]に基づき、1回につき30人を上限(2015年後期より[139])に、その対象選手に対して次の期初すぐにあっせん保留の処分を下し、出走を取りやめさせることができるとされている。これが俗に『代謝』と呼ばれている制度であり、この制度を適用することで、新人選手に活躍の場を与えているほか、競走のレベルの維持を図っている。年2回、6月末と12月末が締めであり、適用が決定した選手においては、その翌月以降決まっていたあっせんは全て強制的に欠場(理由は「その他欠場」)扱いとされるため、事実上の戦力外通告である。なお、制度上はJKAが一定期間調査および審議をしたのち選手登録を強制的に消除することにはなっているが[140]、実際のところは対象となった選手が自ら引退手続きを取る(所属する日本競輪選手会各支部において、退会届を提出し選手登録証を返納する)ことで「自主的な引退」という扱いになっている[141]。過去の名選手でも高原永伍などは、この代謝で引退を余儀なくされるまで現役生活を継続した。
女子は現状では昇降級の制度がないため、全員がL級1班である。ただし、男子同様に代謝制度があり(2014年後期より導入)[142][143] 、通算3期(1年半)の成績が相当な下位となった場合などで、各期ごとに1回につき3人を上限に、対象選手に対して次の期初すぐに強制的にあっせん保留の処分を下して出走を取りやめさせることで、最終的に選手側としては自主的に引退手続きを取らざるを得なくなる。特に女子では競走レベルが上がっていることに加え選手数が少ないこともあり上位選手と下位選手の実力差が著しく、デビュー後最短の3期(1年半)で代謝対象になり引退に追い込まれてしまう『ストレート代謝』も2020年ごろから目立つようになっている。
なお、この代謝制度は必ず行わなければならないものではなく、実際に新型コロナウイルスが蔓延し始めた2020年は上期に第74回日本選手権競輪を始め多くの開催が中止ないしは開催途中で打ち切りとなり選手の収入面に大きな影響が出た[144]ことから、同年7月では代謝制度の適用を見送っている[145]。
男子のS級からA級2班の選手に対しては、自身による失格の場合を除く競走中の落車などによる怪我で31日間以上の治療を受けた場合、「選手の級班決定に係る特別措置」(いわゆる『公傷制度』)が適用され、長期欠場により期間中の出走本数が不足となった場合でも級班を維持できる措置があるが、男子のA級3班と女子にはこの特別措置の適用はない(これ以上降格することがないため)。そのため男子のA級3班ないし女子では怪我により長期欠場した場合、これまでは『代謝制度』の対象となることもあり選手によってはやむなく強制引退させられていたケースもあったが[146]、2024年上期よりその救済措置として『再チャレンジ検定制度』が導入された[147]。代謝制度の対象となった選手のうち申請資格の条件を満たす選手が申請を行ったうえで、養成所にあるJKA250にて男子は1000mタイムトライアル、女子は500mタイムトライアルをそれぞれ2回計測し、1回でも男子は1分9秒以内、女子は38秒以内をクリアすれば、代謝制度の対象から除外され(あっせん保留の解除)即レース復帰ができるほか、過去審査対象3期はリセットされ、競走復帰した期は新たに1期目としての審査対象とすることとなった(ただし『再チャレンジ検定制度』の受験は1回のみとされている)[148]。
過去には「男子B級および女子選手にして競走成績を続けて15回、出走実員数の半ば<端数を生じた場合は切り上げ>に達しない着位[注 52] となった場合は、登録をまっ消する」という『十五連敗制度』という現在の代謝制度に通ずる制度(日本自転車振興会登録事務細則・第十二条)があったが[149]、トップ選手であってもB級に陥落したあと怪我から復帰後に15連敗すれば登録消除となったため、のちに現在の『再チャレンジ検定制度』のような救済制度もできた。ただ、特に女子選手の間でクビがかかった選手のために協力して上位の着順に引き上げるという『互助的な八百長』があった模様で、この制度による登録消除となった対象選手の数が減少していったこともあり有名無実化していった[150]。そのため、それらの問題を解消すべく1968年10月より新得点制度が導入された[151]。
「250競走」出走資格を持っている選手は、代謝の対象になる場合でも当該期末まで、普通の競輪とPIST6の両方に出走できる。ただし普通の競輪で代謝の対象になったからと言って、PIST6のみで現役を続行することはできない。これは、選手全員に取得および保有が義務付けられている『競輪選手資格』があくまで普通の競輪のみに出走することを前提としており、PIST6の出走資格は選手資格を持つ者が、追加の講習を受けて取得するもの、かつ選手資格を失うと同時にPIST6の出走資格も失うと定義づけられているためである。
競輪選手のクラス分けは、創成期はA級・B級・C級による3層制であったが、C級の不人気もあり間もなくA級・B級の2層制となり、まず2層8班制(A級1 - 4班、B級1 - 4班)となり、のち2層7班制(A級1 - 5班、B級1・2班)へと再編され、その体系が長く続いた。だが、A級が5班あったことで弊害が多く出てきたこと、ファン離れが深刻となったため、競輪プログラム改革構想(通称「KPK」)の実施により、1983年よりS級・A級・B級の3層9班制(S級1 - 3班、A級1 - 4班、B級1・2班)に移行した。ただ、この体系の維持も限界に達したことから、2002年4月よりS級・A級の2層5班制(S級1 - 2班、A級1 - 3班)へと改組された。
2008年前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、A級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA級3班同士のみとなった(「チャレンジ戦」。そのため、現在のA級3班はKPK実施時のB級と同じような位置づけ)。また、特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への特別昇班となっている。
同じく2008年前期より、S級では1班(定員220名)の中で前年のKEIRINグランプリに出走した9名と、それ以外も含めた前年の獲得賞金額上位18名までが、特別に1班の上位格付けとして『S級S班』と格付けされるようになった。のち2012年前期より前年のKEIRINグランプリ出場者9名のみに限定されたが、S班はいわばトップ中のトップであり、このS班の9名に対しては特別競輪(GI・GII)の出場権利の保証が与えられる(ただしあっせん停止ないしあっせん保留期間中は除く)。
かつては新人選手は最下級であるB級2班格付けからのスタートであったが、KPK実施から76期(1995年デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果に基づき正式デビュー時にA級1班からB級2班に格付けされていた。だが、「新人リーグ」はファンには好評ではなかったことから76期をもって「新人リーグ」は廃止され、77期以降の新人はKPK導入前と同じく、全員最下班であるB級2班(2002年以降はA級3班)格付けでレースデビューする現在の形態となった。2020年の117期・118期からは、4月下旬から6月にかけて、同期内のみで行うトーナメント「競輪ルーキーシリーズ」が4節実施されており(実質の「新人リーグ」の復活)、これが実戦デビューとなる。ルーキーシリーズのレース結果にも競走得点が設定されているので、その得点を持って7月からのA級チャレンジ戦での"本格デビュー"となる。
KEIRINグランプリ07から適用された。当初は「SSカップみのり」・「SSシリーズ風光る」というS班選手を対象としたレースを開催していた関係で定員は18名であり、また「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であった。だが、2009年は同年1月25日にS班であった手島慶介が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「SSシリーズ風光る」において出場人数が揃わなくなったことから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」[155] と規定が改正され、これにより選考時の次点であった岡部芳幸が5月1日付で2009年のS級S班に追加選出された。グランプリ出場の9名を除く9名はグランプリシリーズ初日(12月28日)の第1レース「SSカップみのり」に出走となる[156]。その後、2011年をもって上記のS班選手を対象としたレースを廃止したため、2012年以降はKEIRINグランプリ出場9名がそのままS班とされている。
なお武田豊樹はS級S班だった2013年の後期をあっせん停止によりほとんど出走していなかったが、2014年の後期はS級1班に格付けされたことから、S級S班から降格しても3期(適用期間の関係で実質1年間)はS級1班が保証されることになる。
上記の選手は全て日本競輪選手養成所(養成所。前身は日本競輪学校、前々身は日本サイクリストセンター)が創設される前に選手となった、いわゆる「期前選手」であり、1日で2走することもあった時代にデビューしたことも関係している[44]。1日1走のみ[注 21]、またS級が創設され2層6班制(ただしS級創設時は3層9班制)となった現状では、1000勝到達はまず不可能となっている。なお、養成所(前身、前々身時代も含む)卒業生で最多勝は加藤晶(5期)の989勝[157]。
2024年12月31日時点における現役選手で、最多勝利数は小嶋敬二で、同日時点で841勝(同年12月24日に引退した神山雄一郎は通算909勝)。
なお、ガールズケイリンにおいては、複数名の選手がデビューから10年以内に500勝を達成している[158]ことから、将来的に1000勝達成選手が誕生する可能性がある。
競輪選手も自転車競技選手という側面を持つことから、短距離・中距離問わず各種の自転車競技に参加している選手が多く見られている。
元々はプロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、1996年アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。ただ、競輪選手であっても世界選手権などでは好成績を残せていないことから、現在では男女とも競輪選手を中心にJCFから「強化指定選手」[159]として指定された選手はナショナルチームに加入し、通常は競輪よりも世界選手権やオリンピックでのメダル獲得を念頭に自転車競技を優先して活躍するケースも見られるようになっている。なお、自転車競技を優先させている選手においては、本業の競輪に関しては『公休』扱いとするなど特別な配慮がなされており、GIなど特別レースにおいても出走回数不足を理由に選考除外されることはない。
以下全て、名前の後ろに*印の付いた選手は女子選手である。
以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。
高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。特に、日本競輪選手養成所入所試験における受験資格の中で年齢制限(上限)が撤廃された93期以降で転向する者が増えている。
引退後ないし、選手活動を継続しながら政治家となった競輪選手もいる。
競輪選手は、数あるプロスポーツの中で、選手寿命が長い部類に入る。
過去には68歳の選手がレースに出走したこともあるなど、60歳を超えても現役を続けた選手は過去に何人も存在している(2024年12月時点の現役60代選手は9名)。また、50歳代の選手はそれほど珍しいものではなく、2024年上期(1月 - 6月)では、山口富生、室井健一、内藤宣彦、志智俊夫、武田豊樹、島田竜二、香川雄介、新田康仁の8名が50歳代ながら最上位のS級1班格付けとなっている。過去には、2004年に当時45歳であった松本整がGIレースである高松宮記念杯競輪を優勝し話題となった[注 55]。ほかにも、例えば松谷秀幸は前職のプロ野球選手としてのキャリアは僅か6年に留まり一軍の試合には出場することなく現役を終えたが、のち2009年に競輪選手としてデビューしてからは既に15年が経過しているだけでなく40歳代となってもS級1班格付けであるなど、セカンドキャリアである競輪選手としての期間の方が長くなっている。
また、親子(女子選手も含む)ともに現役選手という例が複数あるほか、1955年生まれの竹内久人(2007年7月引退)とその長男である竹内公亮(2022年11月引退)や、1984年のロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉(2011年6月引退)とその長男である坂本貴史は、親子で同時にS級に在籍したことがある(竹内親子は2006年、坂本親子は2010年 - 2011年上期)。ガールズケイリンでも、高松美代子が54歳11か月まで、門脇真由美が50歳9か月までそれぞれ現役を続けたほか、加瀬加奈子や奥井迪など40歳代の現役選手もいる。
このように、競輪選手の寿命が長い要因として、競輪競技の特性が上げられる。競輪競技は自転車というツールを用いて行うため、他の競技と違って骨(つま先・踵)や関節(足首・膝)へ負担がかかりにくい競技と言われる。陸上競技を始め、野球、サッカー、相撲等の選手は自らの足を使ってハードに動き回るため、長年の酷使によって(また地面・アスファルトからの衝撃によって)筋肉より先に骨や関節を痛めてしまう場合が多く、30歳代半ばで足首や膝、股関節、肩、肘、腰に限界が来てしまいやすい反面、競輪選手の場合、自転車というツールが体への負担をサポートしてくれるため、落車等で怪我をしない限り体への負担は軽いことが挙げられる。
さらに、他のプロスポーツでは致命的なハンデとなる加齢による(個人差もあるが多くは30歳代半ばを境に急激に訪れる)ハイパワーでの持久力の低下についても、競輪選手は追い込み戦法と呼ばれる戦術をとることで致命的なハンデとはならない状況を生み出せる、といった競輪競技ならではの特殊性があり、これも選手寿命を長くしている要因である。これはラインを組んでいる選手を自分の前に走らせ、最後の直線まで先頭選手を自分の風除けとすることで、持久力の消費を極端に少なくする戦法である(スリップストリーム現象により後方選手は風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れることにより、最終局面でハイパワーを維持できる距離が単純計算で2倍以上となる[注 56])。したがって、たいていの選手は加齢による持久力低下とともに、レース戦術を追い込み戦法に変えていくことになる。
ただ一方で、競輪選手(に限らず自転車競技選手全般に言える)は自転車に乗る姿勢から腰や内臓(特に腹部)には負担がかかりやすく、慢性的に腰痛やヘルニアに悩まされている選手は多い[165]。例えばアトランタ五輪で銅メダルを獲得した十文字貴信は、晩年は酷い腰痛に悩まされた上に落車して大怪我を負った影響から1年以上にわたる長期欠場を余儀なくされ、最終的にレースに復帰することなく引退した[166](引退後はラーメン店を経営)。ほかに、膝痛に悩まされている選手も見られる[167]。
他にも、一日の間で自転車に乗っている時間が長いため、特に女子選手で「股ズレ」[注 57]に悩まされている選手が多く、沖美穂が大学院在学中に修士論文を纏める際に女子選手100人を対象にアンケートを実施したところ、8割が股ズレの悩みを抱えており、更に全体の半数が再発を重ねるなど深刻な実態が浮かび上がった[168]。
2024年2月時点における現役選手で、最年長かつ(日本競輪学校時代を含む)養成所最年長期選手は、1962年5月23日生まれの佐々木浩三(50期・佐賀)。
その他の主な記録はこちら(127 - 129頁)(2020年12月31日時点)を、ガールズケイリンの記録はこちら参照のこと。
競輪選手の労働組合または職能団体にあたる組織として、日本競輪選手会がある。
昭和期には日本競輪選手会に反発した一部の選手らで結成された『全国競輪選手会』があった(1972年に日本競輪選手会と合併)ほか、平成期にも一部のトップ選手らで設立した『SS11』が2013年12月に日本競輪選手会から脱退し新たな選手会組織として機能させることを表明していたが後に撤回している。
昭和の時代には1949年から1964年まで「女子競輪」が開催されており、女性の競輪選手も多数存在した。
女子競輪は人気薄などの事情から廃止されたが、のち平成に入り、2012年(平成24年)から女子競輪が「ガールズケイリン」として復活し、女性の競輪選手も48年ぶりに復活した。
また、2014年4月の田口守と三輪梓乃を始めとして、これまで数多くの競輪選手同士での結婚も見られているほか、ガールズケイリン選手の中には産休・出産後にレースに復帰し活躍を続けている選手もいる。
選手の中には開催指導員という肩書を持つ者もいる。これは主にベテランの選手の中から競輪場毎に1名ずつ選ばれるもので、当該競輪場の本場開催の際に必ず競輪場に詰め、毎レースの様子を確認すると共に、審判の判定に不服を持つ選手への説明を行うなど、選手と主催者の間の仲介役を務める。そのため、競輪場には必ず指導員の控室が設けられており、選手への説明用に審判カメラの映像を見るためのモニター等が設置されている[179]。代わりに、開催指導員となった選手は原則として当該競輪場での開催に出走することはない[180]。ただし、当該競輪場とは別の施行者の主催による借り上げ開催の場合(ミッドナイト競輪でよく見られる)は、その借り上げた施行者の競輪場を担当する開催指導員の選手が開催指導員を務めるため、例外的に出走することもある[181]。誘導員資格を持っていても開催指導員となっている場合は同様にその競輪場で誘導員をすることはないが、やはり借り上げ開催の場合は例外的に誘導員を務めることもある[182]。
競輪では、2輪の自転車を使用している手前、レース中の選手・自転車同士の接触や、雨天時の濡れた路面でのスリップなどにより落車が発生することが少なくなく、その結果選手生命を縮めるほどの大きな怪我を負うことや、最悪の場合死亡する(殉職)例もある。
しかし、選手の安全装備についてはヘルメットの装着が義務化されている[186]程度で、その他のプロテクター等については選手が任意に装着するものとされている。ただし、ヘルメットやシューズなどについては最長使用期間が定められており、長期にわたって同じものを使い続けることはできない[187]。
競輪で使用できるヘルメットは、他の自転車部品同様にNJS規格に適合したものとされており、2020年現在は主にアライヘルメットとDICプラスチック(DICの子会社)の2社が供給している[188]。
プロテクターは基本的に上半身(ユニフォームの下)に装着するが、特に規格化はされておらず、選手によってはオートバイ用のものを改造したり、複数のプロテクターを合体させたりしている者もいる。ただ自力型の選手は、プロテクターの重量増を嫌ってあまり装着しないため、使用するのは主にマーク屋の選手だという[189]。なお下半身については、落車時に衣服が車輪に巻き込まれて起こる事故を防止する観点の競走実施規則上レーサーパンツ(下着は着用可)・短靴・靴下もしくはシューズカバー以外の着用が認められていないため[190](レース前のいわゆる「脚見せ」では、冬季はロングパンツを穿いて走行する選手もいる)、プロテクター類の装着は事実上困難である。
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