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竹内 久人(たけうち ひさと、1955年5月10日 - )は、岐阜県羽島郡笠松町出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第37期生。
競輪学校の在校競走成績は第2位。同校卒業記念レースでは優勝した。
1976年5月20日、ホームバンクだった岐阜競輪場でデビューし初勝利。その後の2走も勝ち、デビュー場所で完全優勝を果たした。
特別競輪(GI)の常連選手として活躍し、決勝の通算進出歴は実に11回。しかしなかなか表彰台(3着以内)に上がれなかった。中でも1983年の第36回日本選手権競輪(前橋競輪場)では、カマシを打った石川浩史の番手でレースを進め、最終バック付近では、3番手に10車身近くの差をつけていたことから優勝は濃厚と見られたが、中野浩一が2角付近から捲りを放ち、4角で優勝の井上茂徳、3位の亀川修一を引き連れ、竹内を捲り切ってしまった。結果、竹内は4着に終わった。しかし、1987年の競輪祭は最後のGI決勝進出となったが、最終2センター8番手から捲り追込みを放って3着に入り、悲願の表彰台入りを果たした。
2000年代に入ると、S級とA級を行ったり来たりする『エレベーター選手』となってしまったが、2006年、実子の公亮(86期、引退)とともにS級にランクされ、史上初となる「親子同時S級選手」となった。また同年7月12日の松阪競輪場で通算400勝を達成。ただ、その翌年下期でA級陥落が決まったこともあり、現役引退を決意。
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