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静岡県の市 ウィキペディアから
熱海市(あたみし[1])は、静岡県最東部に位置する人口約3.3万人の市。熱海温泉などの温泉街がある。関東地方の神奈川県と接する。
伊豆半島の東側付け根に位置し、相模トラフがある相模灘に面する。
同じ相模灘に面する伊東市・湯河原町方面とは海岸に沿って地理的連続性を有するが、沼津市・函南町方面とは駿河湾水系との分水嶺となる急峻な丹那山地丹那トンネルによって隔てられている。
なお、相模灘にある初島も市域内となっている。
市域内はほとんどが丘陵であり、別荘地や住宅なども高台の上に建つ所が多く、道路も勾配の急な坂が多い。 海岸線もすぐに丘となる所がほとんどだが、中心部は埋め立てで砂浜海岸などが形成されている。
網代特別地域気象観測所(熱海市網代、標高67m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 25.1 (77.2) |
25.4 (77.7) |
26.0 (78.8) |
28.6 (83.5) |
32.1 (89.8) |
35.0 (95) |
36.0 (96.8) |
36.8 (98.2) |
36.7 (98.1) |
31.9 (89.4) |
26.5 (79.7) |
24.1 (75.4) |
36.8 (98.2) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.7 (51.3) |
11.3 (52.3) |
14.2 (57.6) |
18.8 (65.8) |
22.7 (72.9) |
25.0 (77) |
28.9 (84) |
30.2 (86.4) |
26.7 (80.1) |
21.8 (71.2) |
17.2 (63) |
12.9 (55.2) |
20.1 (68.2) |
日平均気温 °C (°F) | 7.0 (44.6) |
7.4 (45.3) |
10.1 (50.2) |
14.5 (58.1) |
18.5 (65.3) |
21.4 (70.5) |
25.2 (77.4) |
26.4 (79.5) |
23.3 (73.9) |
18.7 (65.7) |
14.0 (57.2) |
9.6 (49.3) |
16.3 (61.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.9 (39) |
4.0 (39.2) |
6.6 (43.9) |
10.9 (51.6) |
15.3 (59.5) |
18.8 (65.8) |
22.6 (72.7) |
23.8 (74.8) |
20.9 (69.6) |
16.1 (61) |
11.3 (52.3) |
6.6 (43.9) |
13.4 (56.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −3.1 (26.4) |
−4.5 (23.9) |
−2.4 (27.7) |
1.8 (35.2) |
6.0 (42.8) |
11.8 (53.2) |
13.5 (56.3) |
17.1 (62.8) |
13.4 (56.1) |
7.7 (45.9) |
2.4 (36.3) |
−2.7 (27.1) |
−4.5 (23.9) |
降水量 mm (inch) | 76.1 (2.996) |
82.0 (3.228) |
158.0 (6.22) |
168.1 (6.618) |
172.6 (6.795) |
251.5 (9.902) |
242.5 (9.547) |
186.0 (7.323) |
263.9 (10.39) |
237.3 (9.343) |
108.4 (4.268) |
66.3 (2.61) |
2,012.7 (79.24) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 6.6 | 7.6 | 12.1 | 11.3 | 11.2 | 13.9 | 12.3 | 9.6 | 13.1 | 11.8 | 8.9 | 6.9 | 125.2 |
% 湿度 | 59 | 60 | 64 | 67 | 72 | 80 | 80 | 79 | 78 | 73 | 69 | 62 | 70 |
平均月間日照時間 | 147.4 | 142.8 | 158.2 | 176.4 | 184.1 | 127.7 | 161.8 | 194.1 | 136.9 | 126.0 | 128.5 | 142.8 | 1,826.7 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1937年-現在)[2][3] |
熱海市は全国平均と比べて少子高齢化が進んでおり、人口も減少傾向にある。ただし、近隣の箱根町と同様に地方交付税の不交付団体であるため、過疎地域への指定は免れている。
熱海市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 熱海市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 熱海市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
熱海市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
古くからの湯治の地であり、元々の地名表記は「阿多美」(阿多美郷)であったが[4]、海から熱い湯が湧き出ていたことや「あつうみが崎」とも呼ばれていたことなどから、江戸時代までには「熱海」表記が定着した[5]。
熱海温泉は、奈良時代(749年)に箱根の万巻上人が、漁民を困らせていた海底火山の噴火を祈祷によって、陸地の火山(大湯間歇泉)へ移動させたという開湯伝説があり、そこに湯前神社(湯前権現)を作られたと伝わっている[5][6]。もちろん、単なる自然現象・自然災害である。 『伊豆風土記』の記述(713年)にも、大湯間歇泉を表現していると見られる箇所がある[6]。どちらも、湯前神社に祀られている神であるスクナビコナ神(少彦名神・少名毘古那神)に言及している。
また北部の伊豆山地区の伊豆山温泉(走り湯)は、699年(文武3年)に役小角(役行者)によって発見されたとする開湯伝説が伝わっており[7][8]、さらに北端の泉地区が関わっている湯河原温泉は、万葉集の歌にも詠まれるなど、総じてこの地域の温泉の起源は、古代に遡るほど古い。
またこの地域は、古くからの山岳霊場である十国峠(日金山)の影響下にある地域でもあり、伊豆山神社(伊豆山権現)も元々は、応神天皇・仁徳天皇の時代に松葉仙人が日金山に「伊豆山の浜辺に現れた神鏡」を祀る祠(現・日金山東光寺)を創ったのが起源とされ、数度の東遷を経て836年(承和3年)に現在地に落ち着いたと社伝で伝えている[9][10][11]。
そして源頼朝以来、伊豆山神社(伊豆山権現)が箱根神社(箱根権現)と共に「二所権現」に指定され、「二所詣」が行われるようになると、日金山は両社を結ぶ要所の霊場として発展し、各地からの参拝道も整備された[12][13][14][15]。
こうして戦国時代以前までは、源頼朝や鎌倉幕府3代将軍源実朝をはじめとする東国武士に崇敬された伊豆山神社(走湯神社, 伊豆山権現)の麓にある伊豆山温泉(走り湯)の方が有名であったが、伊豆山・箱根両権現の別当寺(神宮寺)所属の僧兵たちが小田原の北条氏側に加勢したことで、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の過程で一帯が焼き討ちに遭うなど多大な被害を被ることになった(江戸時代に再建)[16][17]。
他方の熱海温泉は、1593年(文禄2年)9月に関白・豊臣秀次が40日余り湯治に訪れ[6]、さらに1602年(慶長7年)と1604年(慶長9年)3月に徳川家康が湯治に訪れ、その後、江戸幕府3代将軍徳川家光が現在熱海市役所がある場所に湯治用の「御殿」(ごてん)を造らせたり、4代徳川家綱以降は熱海の湯を江戸城まで運ばせる「御汲湯」(おくみゆ)が行われるなど[18][19]、「将軍御用達の湯」として徳川家に愛用されるようになったため、江戸時代には「温泉番付」で行司役の一角を占めるほどに全国的な知名度と特権的格付けを獲得した。
江戸時代の熱海温泉は、「大湯」の周辺(現・熱海ニューフジヤホテル別館(アネックス)周辺)に27戸程度の「湯戸」(ゆこ)と呼ばれる引湯権を持った特権的な温泉宿が連なって湯治場が形成されていた。江戸時代の熱海村は幕府直轄地(天領)であり、江戸に滞在している大名・旗本やその親族も、幕府の許可を得て度々湯治に訪れた[20][21]。
(なお、「御殿」跡は明治維新後に熱海村の公有地となるが、三菱の岩崎弥太郎が1878年(明治11年)に買い取って宮内省へ提供し、1889年(明治22年)から1931年(昭和6年)まで、主に大正天皇の療養を目的とした、当時横浜・神戸に次ぐ3番目の御用邸である「熱海御用邸」が建てられていた[19]。その後熱海町へと払い下げられ、現在当地には市役所が立っている。)
既述の通り、熱海は江戸時代までには隣接する湯河原や箱根地域などと共に、江戸の西部近郊の温泉保養地としての地位を確立しており、江戸が東京になった明治以降もそれは変わりがなかった。そして特に、岩倉具視の命を受けた内務省の長与専斎が1886年(明治19年)に大湯間歇泉付近に日本初の温泉療養所「噏滊館(きゅうきかん)」を作った影響もあり、多くの政治家や政府高官が保養や会談のために熱海に訪れていたため、1889年(明治22年)には日本で最初に東京との市外電話が敷かれ、また同年には後の大正天皇のための「熱海御用邸」が竣工している[19]。
1896年(明治29年)に開通した豆相人車鉄道(熱海~小田原間)が、11年後の1907年(明治40年)には小型の蒸気機関車が牽引する軽便鉄道となり、交通の便がかなり改善されたことで、明治末から大正時代以降は、それまでの政治家・皇族といった一部の特権階級に限られていた従来の来遊客層に加え、学者・文人・実業家なども熱海に訪れるようになり、中には「双柿舎」を作った坪内逍遥や、後の「起雲閣」を作った内田信也(戦後には、谷崎潤一郎や志賀直哉なども)のように、そのまま熱海に別荘を設ける者も出てくるようになり、市街地も拡大されていった[22]。また、尾崎紅葉の『金色夜叉』、島崎藤村の『熱海土産』、芥川龍之介の『トロツコ』のように、熱海が文学作品の舞台としても扱われるようになり、庶民の認知度も高まるようになる。
1924年(大正13年)に省線の熱海線(国府津-熱海間)が開通し、さらに1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通して沼津と連結され、東海道線が(現・御殿場線のルートから)熱海を経由する現ルートへと切り替わったことで、交通の便が劇的に向上し、また関西方面からの来遊客も加わるようになったことで、これ以降熱海への来遊客は目覚しく増えるようになり、またその内容も湯治から団体旅行中心となり、それに対応すべく旅館・各種施設も増えたことで、熱海は「湯治場」から「温泉観光都市」へと変容していくことになる[24]。
1950年(昭和25年)4月13日には、市街地を焼失する「熱海大火」を経験するが、同年8月1日には「熱海国際観光温泉文化都市建設法」が公布され、国際観光温泉文化都市としての社会基盤を整えるべく、区画整理による市外中心部の再建、道路・港湾の整備、市庁舎・観光会館の建築、衛生施設の建設整備、市営住宅の建設などが進められたことで、3年後には大火以前の水準を回復し、超えることになる[24]。
1964年(昭和39年)10月1日には東海道新幹線が開通し、熱海駅は開業後10か月の1日平均乗降客数が8092人で、東京・新大阪・名古屋・京都についで第5位となる[24]。また、その前後の1960年代(昭和30-40年代)頃には、伊豆スカイライン・熱海ビーチライン・熱海新道・熱函道路といった各方面をつなぐ道路も整備され、熱海美術館・熱海城・熱海後楽園などの各種施設も開館するなど、より観光地としての地位を確固たるものにしていく。そして1969年(昭和44年)には、年間の観光客数がピークの532万人に達した[33]。
1970年代後半(昭和50年代)以降になると、海外旅行ブームや旅行形態の変化のあおりを受けつつ、観光客数(観光入込客数)は年間400万人台を漸減ないしは横ばいで推移していく[29]。他方で西洋風別荘やリゾートマンションが増えていき、特に1980年代後半~1990年代初頭のバブル景気においては、リゾートマンションが数多く作られた。東京近郊で新幹線と温泉・海・山が揃っているという立地条件の良さゆえに、21世紀以降も熱海ではリゾートマンションが他の地域と比べると継続的に作られ続けている。
しかし1990年代に入ると、バブル崩壊と景気低迷、企業の経費削減による団体旅行(社員旅行・慰安旅行)の減少・縮小や保養所の閉鎖、少子化、施設の老朽化などの影響もあり、観光客数(観光入込客数)は年間300万人台を漸減していくようになり、それに合わせて旅館の数も減少していく[29]。
2000年代に入ってもこの傾向は変わらず、2000年代後半には観光客数(観光入込客数)は年間200万人台にまで落ち込むが、東日本大震災があった2011年(平成23年)に250万人程度まで大きく落ち込んだ後は、反転して2015年(平成27年)に宿泊ベースで300万人台に戻った後も回復傾向にある[29]。理由・要因としては、
などにより、「古びた昭和の温泉街」から「お洒落で便利なリゾート地」へのより一層の脱皮が進んだこと(他方で、首都圏の都市部などと比べると再開発が緩やかなので、新旧の施設・店舗が混在しており、「レトロ」も熱海観光の売り文句の1つとなっている)や、
などを挙げることができる。
熱海市は別荘やリゾートマンションが多く(計1万戸以上)、住民票を熱海市へと移さずに二拠点生活者(デュアラー)となっている人数が、総人口の4分の1程度の規模(9000人程度)にものぼるため、彼らにも相応の行政サービスのコストを共に負担してもらうために、1976年(昭和51年)から全国でも珍しく別荘等所有税を導入している(年額は建物1平米当たり650円、合計数万円程度)[34]。
熱海では、戦前から大湯間歇泉周辺の源泉開発に伴う紛争を管理するために、「区有温泉」「町有温泉」制度を整備してきた歴史的経緯があり、1937年(昭和12年)に市制が施行された当初から、多くの源泉を所有・管理する「市有温泉(市営温泉)」制度が確立されていた[35]。
そのため、熱海市内の多くの地域(泉・市街地・南熱海の住宅地の大部分)では、市営温泉の供給網が整備されており、加入金(数十万円)と毎月の温泉料(1万5千円程度)を払うことで、自宅に温泉を引き込むことができる[35]。
2006年(平成18年)12月5日、熱海市の財政再建を期待されて当選した齊藤栄市長によって、「熱海市財政危機宣言」が発表された。その後、表現が強過ぎるとの各方面からの苦情・批判を受け、翌月の2007年(平成19年)1月25日に「熱海市財政再建スタート宣言」と改名している[36][37]。
これは、当時の財政赤字比率が30%を超え財政調整基金が底を突きかけていた熱海市の財政状況を、5年後をメドに再建させることを目指したものであり、実際に5年後の2011年(平成23年)には不良債務残高を24.1億円減少させ、財政調整基金残高を17.4億円増加させるなど、財政再建に成功している[38]。こうした手腕が評価され、齊藤栄市長は熱海市政史上初めて4期以上務める市長となった。
歴史的に見ても明治初期は現在の神奈川県西部とともに足柄県に属していたことからもわかるように、神奈川や東京の影響が大きく、いつの国勢調査においても、静岡県で唯一、関東大都市圏に含まれている[39]。 また、就業地別では、湯河原町・小田原市といった神奈川県西部方面への流動が、丹那トンネル以西の県東地区への流動を上回っているとともに、東京都区部・横浜市への流動が静岡市への流動を圧倒的に上回っている[40]。
主要駅の熱海駅は上述してきたような鉄道開発の経緯もあり、静岡県内の東海道本線の駅では唯一JR東日本の管轄となっている。 熱海駅発の東海道本線のほとんどの列車が横浜駅や東京駅まで乗り入れており、2015年(平成27年)の上野東京ライン開通後は、埼玉県の浦和駅や大宮駅を超え、栃木県の県庁所在地である宇都宮駅、群馬県の中心都市である高崎駅まで乗り入れる列車も多く設定されている。 このような事情から、静岡県内であっても中部地方よりも関東地方との連携が深いとされる。
熱海市最北部の泉地区は、千歳川(熱海市と湯河原町、また静岡県(伊豆国)と神奈川県(相模国)の境界となっている川)を中心とした「湯河原温泉」エリアの南部(「伊豆湯河原温泉」エリア)を構成しており、両者は一体的な関係にあるため、昭和時代から度々泉地区の湯河原町への編入合併が議論となってきたが、県をまたいだ編入合併となるため困難も多く実現には至っていない。 平成の大合併時には、熱海市と湯河原町、あるいは湯河原町および真鶴町と合併し、合併新市は神奈川県所属とする案が検討されたが、熱海市との合併を湯河原町が拒否し、湯河原町との合併を真鶴町が拒否するといった具合に、人口が少なく立場が弱い側が拒否する格好で不調に終わっている。
こうした地理的特性を抱えているため、1999年(平成11年)に開業したエフエム熱海は、2001年(平成13年)に放送エリアに湯河原町・真鶴町を加えた上でエフエム熱海湯河原と改名している。
また、神奈川県西部地域及び熱海市、計11市町の行政と観光関連事業者・団体が連携して滞在型の観光地づくりを目指す「箱根・湯河原・熱海・あしがら観光圏」[41]が、2010年(平成22年)4月28日に観光圏整備法によって国に認定された。
他方でテレビ電波に関しては、2011年(平成23年)からの全面地上デジタル放送化に伴って放送区域の規制が厳格化され、地元ケーブルテレビ局による「東京波」の再送信が静岡県内である熱海市では禁止になってしまったため(競合ローカル局が無いNHK関東広域、テレビ東京、tvk、TOKYO MXは除く)、真鶴町・湯河原町の中継局(小田原テレビ中継局・湯河原中継局)や東京スカイツリーからの「東京波」が山に妨げられて届かない熱海市内の一部地域(27%程度)では、地元ケーブルテレビ局による「東京波」再送信が停止された2018年(平成30年)10月以降は「東京波」が見られなくなり(NHK関東広域、テレビ東京、tvk、TOKYO MXを除く)、「テレビ電波の分断」が生じてしまっている。
現在のところ、どの隣接市町村とも合併は実施されていないが、上述のように平成の大合併の際には、市民アンケートの結果[42]を受けて、交流の深い湯河原町と合併して神奈川県に移籍することを検討した経緯があり、新聞などで報道され注目を浴びた。
熱海市街地では、住所に用いられている「町名」とは異なる名称・区分の「町内会」が存在しており、祭り・運動会・ゴミ収集など、コミュニティに関する事柄はこの「町内会」単位で行われることが多い。
町内会 | 町名 |
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海光町 | 海光町・春日町 |
東田原町 | 春日町 |
田原町 | 田原本町・春日町・東海岸町 |
田原本町 | 田原本町・咲見町 |
桃山台町 | 桃山町・林ガ丘町・(伊豆山) |
和光町(和光園) | 桃山町・林ガ丘町 |
林が丘西 | 林ガ丘町 |
汐見町 | 東海岸町 |
東町 | 東海岸町・咲見町・銀座町・渚町 |
咲見町 | 咲見町・林ガ丘町 |
温泉通り町 | 咲見町・上宿町 |
東銀座町 | 咲見町 |
銀座町 | 銀座町・渚町 |
浜町 | 銀座町・渚町 |
中央渚 | 渚町 |
友楽町 | 中央町・銀座町 |
本町 | 中央町・銀座町・上宿町 |
旭町 | 中央町・渚町 |
新宿町 | 中央町・上宿町・水口町 |
仲田町 | 上宿町・水口町 |
福道町 | 梅園町・福道町・水口町 |
西熱海本町 | 西熱海町 |
新西熱海 | 西熱海町 |
土沢 | 日金町 |
下松田町 | 日金町・緑ヶ丘町・西山町 |
笹良ヶ台町 | 笹良ヶ台町・緑ヶ丘町 |
つつじヶ丘町 | 相の原団地 |
梅園町 | 梅園町・相の原町 |
清水町 | 清水町・中央町 |
旭町二丁目 | 清水町・渚町 |
和田浜町 | 渚町 |
和田浜南町 | 和田浜南町・昭和町・渚町 |
下天神町 | 昭和町・清水町・水口町 |
天神町 | 昭和町 |
上天神町 | 昭和町・小嵐町 |
天神山 | 小嵐町 |
上小嵐町 | (上小嵐団地) |
小嵐町 | 小嵐町・桜町 |
桜町 | 桜町・和田町 |
上和田町 | 和田町 |
栄町 | 和田町・桜木町 |
錦町 | 和田町・桜木町・熱海 |
桜ヶ丘町 | 桜木町 |
上紅葉ガ丘町 | 紅葉ガ丘町 |
日向町 | 青葉町 |
和田山町 | 青葉町 |
前の沢町 | 山手町 |
ひばりヶ丘町 | (和田山市営団地) |
観光を中心とした産業が主軸で、平成17年度の国勢調査では次のような結果が出ている。
真鶴半島中央にある小田原テレビ中継局や、東京スカイツリー(さらに、泉地区では湯河原テレビ中継局)からは関東広域圏の放送電波(東京波・関東波)が、初島の熱海中継局や、玄岳北方の熱海網代テレビ中継局からは静岡ローカル放送局の放送電波(静岡波)が届くため、両方に開かれた地域であればアンテナ環境を整えるだけでどちらも視聴することができる。しかし山によって片方の電波が妨げられている地域では、他方の放送しか視聴することができない(ただし、静岡波(及び、静岡県内に競合ローカル局が無いNHK関東広域・テレビ東京・テレビ神奈川・TOKYO MX)に関しては、下述するように地元ケーブルテレビ局と契約すれば、どこでも視聴可能となる)。
関東・神奈川方面とのつながりが強い土地柄ゆえ、関東方面のテレビ電波(東京波)に対する需要が高く、それが山に妨げられている地域では、かつては地元ケーブルテレビ局と契約することでその視聴が可能だったが、2011年のデジタル化を機に地元静岡ローカル局との利害調整が行われ、地元局と競合する東京波(日本テレビ・テレビ朝日・TBSテレビ・フジテレビ)の区域外再放送が2018年9月をもって終了することとなった。それ以降は、東京波が山に妨げられている一部地域(27%程度[43])では、静岡波のみ視聴可能となる[44]。
東京波を良好に視聴できる地域は、湯河原テレビ中継局付近に立地している泉地区と、真鶴半島中央にある小田原テレビ中継局や東京スカイツリー方向に開かれている市街地の高層建築や市街地南岸部、多賀地区南部(下多賀)などをはじめとする沿岸部であり、視聴が困難な地域は、関東・神奈川方面(北東)に山を背負うことになる伊豆山地区、市街地西部・北部、多賀地区北部(上多賀)の内陸部など[43]。
市外局番は大部分がNTT西日本管内の0557(NTT西日本伊東MA)だが、奥湯河原に接する泉は0465(NTT東日本小田原MA)で、NTT東日本の管内になる。
市の中心に熱海駅が存在し、東海道新幹線と東海道本線、伊東線の接続駅となっている。ただし、市役所の最寄り駅は伊東線の来宮駅。
現在、東海道本線の鉄道資産としてはJR東日本が熱海駅の先の伊東線来宮駅(東海道本線上にはホームなし)まで保有しており、この先の丹那トンネル入口付近よりJR東海の資産となる。 来宮駅では東海道線にホームが設置されていないため、東海道本線は運行上熱海駅がJR東日本とJR東海の境界駅となる。 これにより熱海駅を境に横浜・東京方面と沼津・静岡方面の在来線運行の起点となっており、熱海駅発着の列車は多い。 また伊豆急行線の普通列車も熱海駅まで乗り入れており、同様に下田方面への起点ともなっている。
過去には東海道本線(当時の熱海線:国府津 - 熱海)が開業する前に、人車軌道・軽便鉄道として豆相人車鉄道→熱海鉄道が1895年 - 1923年の間存在した。また日本遊覧飛行鉄道という伊東市までを結ぶモノレールの敷設計画も戦前に存在し、戦後も熱海モノレールが計画され、当時の運輸省から免許が出されたが諸般の事情で工事ができず、結局幻のモノレールとなった。
熱海市街地では、以下の10箇所に市営駐車場が設けられている[46][47]。現在の指定管理者はタイムズ24[48][49]。
その他
熱海駅周辺。
マックスバリュ熱海店系の駐車場。
その他、咲見町・銀座町・中央町・渚町や、主要道路沿いを中心に、飲食店多数。
※は菓子店。
伊豆スカイライン沿いの山稜がフライト場になっている。
市街地のダイビングでは、1986年(昭和61年)1月30日に熱海港沖で沈んだ砂利運搬船「旭16号」(沈船)や、錦ヶ浦周辺の多賀火山の海底地形(小曽我洞窟、11月-3月の冬季限定)などが目玉スポットとなっている。
その他、熱函道路や伊豆スカイラインを経由してアクセスできる玄岳の反対側(西側山麓)には、
といった大規模別荘地もある。
熱海市内のリゾートマンション(温泉大浴場もしくは戸別温泉付きマンション)一覧。
名称 | 所在地 | 竣工年月 | 階数 | 戸数 |
---|---|---|---|---|
ザ・パームショア熱海 | 東海岸町 | 2017年 (平成29年) 10月 | 14階 | 47戸 |
ザ・クレストタワー熱海 | 春日町 | 2017年 (平成29年) 1月 | 29階/地下2階 | 335戸 |
レーベン熱海ザ・マスター | 渚町 | 2014年 (平成26年) 8月 | 10階 | 23戸 |
レーベンリゾシア ヴェスティブルー | 泉 | 2012年 (平成24年) 2月 | 7階/地下1階 | 221戸 |
レーベンリゾシア熱海シーサイドタワー | 銀座町 | 2011年 (平成23年) 9月 | 20階 | 120戸 |
東急リゾートヴィラ熱海青翠 | 梅園町 | 2011年 (平成23年) 1月 | 15階 | 183戸 |
アデニウム熱海濱ノ離宮 | 東海岸町 | 2009年 (平成21年) 6月 | 14階/地下1階 | 71戸 |
ラグゼシア熱海静漣閣 | 清水町 | 2009年 (平成21年) 2月 | 10階 | 153戸 |
ルネス熱海ブルーシア | 伊豆山 | 2007年 (平成19年) 8月 | 11階/地下1階 | 138戸 |
コッコラーレ熱海 | 咲見町 | 2007年 (平成19年) 6月 | 10階/地下1階 | 25戸 |
ゼファー熱海ビーチタワー | 東海岸町 | 2007年 (平成19年) 2月 | 19階 | 76戸 |
アデニウム熱海翠光園 | 咲見町 | 2006年 (平成18年) 8月 | 10階/地下2階 | 121戸 |
アデニウム熱海オーシャンスイート | 春日町 | 2006年 (平成18年) 3月 | 15階/地下2階 | 95戸 |
レアージュ熱海 | 田原本町 | 2006年 (平成18年) 1月 | 13階/地下2階 | 47戸 |
デュピア熱海 | 東海岸町 | 2003年 (平成15年) 8月 | 14階/地下1階 | 47戸 |
ゼファー熱海ビューステージ | 咲見町 | 2003年 (平成15年) 3月 | 13階/地下3階 | 67戸 |
ベルシエル熱海 | 林ガ丘町 | 2003年 (平成15年) 2月 | 7階/地下1階 | 69戸 |
熱海ベイフロント | 東海岸町 | 2003年 (平成15年) 1月 | 14階 | 38戸 |
ソフィア熱海デイサス | 咲見町 | 2002年 (平成14年) 10月 | 13階/地下2階 | 141戸 |
マイキャッスル熱海 | 水口町 | 2002年 (平成14年) 4月 | 11階/地下1階 | 76戸 |
ジェイグレイス熱海 | 上宿町 | 2002年 (平成14年) 2月 | 10階/地下1階 | 53戸 |
フォーシーズンズ・ガーデン熱海八方苑 | 水口町 | 2000年 (平成12年) 11月 | 11階 | 166戸 |
ゼファー熱海シーヒルズ | 田原本町 | 2000年 (平成12年) 3月 | 10階/地下2階 | 38戸 |
ソフィア熱海ビューヒルズ | 海光町 | 1998年 (平成10年) 6月 | 16階 | 100戸 |
熱海シティヴィラ咲見町 | 咲見町 | 1996年 (平成8年) 8月 | 15階/地下1階 | 101戸 |
ダイアパレス湯河原グランヒルズ二番館 | 泉 | 1994年 (平成6年) 8月 | 14階/地下2階 | 168戸 |
朝日フレール熱海 | 咲見町 | 1994年 (平成6年) 1月 | 16階 | 95戸 |
ライオンズマンション湯河原千歳川 | 泉 | 1993年 (平成5年) 12月 | 9階/地下1階 | 148戸 |
ロイヤルリゾート南熱海 | 下多賀 | 1993年 (平成5年) 8月 | 9階 | 35戸 |
ロイヤルガーデン熱海伊豆山 | 伊豆山 | 1993年 (平成5年) 6月 | 7階 | 32戸 |
タオコート熱海 | 梅園町 | 1993年 (平成5年) 3月 | 9階 | 72戸 |
ドメーヌ熱海伊豆山 | 伊豆山 | 1993年 (平成5年) 3月 | 9階/地下2階 | 111戸 |
ダイアパレス湯河原グランヒルズ一番館 | 泉 | 1993年 (平成5年) 2月 | 8階/地下1階 | 56戸 |
シーサイドヴィラ南熱海 | 上多賀 | 1993年 (平成5年) 1月 | 10階 | 79戸 |
熱海竹の沢ビバリーハイツ | 西熱海町 | 1993年 (平成5年) 1月 | 11階/地下1階 | 76戸 |
ロイヤルヴァンベール熱海伊豆多賀 | 下多賀 | 1992年 (平成4年) 12月 | 8階 | 51戸 |
コスモ熱海林ヶ丘 | 林ガ丘町 | 1992年 (平成4年) 11月 | 13階 | 56戸 |
サンライフ熱海 | 西山町 | 1992年 (平成4年) 11月 | 7階 | 41戸 |
パークセレノ熱海 | 西山町 | 1992年 (平成4年) 9月 | 15階 | 113戸 |
スコーレ熱海 | 伊豆山 | 1992年 (平成4年) 7月 | 12階 | 29戸 |
ライオンズマンション熱海の丘 | 伊豆山 | 1992年 (平成4年) 4月 | 9階 | 24戸 |
熱海ベネフィス | 和田浜南町 | 1992年 (平成4年) 3月 | 10階 | 89戸 |
ライオンズマンション熱海マリンビュー | 海光町 | 1992年 (平成4年) 2月 | 8階/地下1階 | 68戸 |
ロイヤルヴィラ熱海 | 西熱海町 | 1992年 (平成4年) 1月 | 13階 | 103戸 |
サンヴェール熱海伊豆山 | 伊豆山 | 1992年 (平成4年) 1月 | 12階/地下1階 | 88戸 |
ライオンズマンション湯河原千歳川 | 泉 | 1991年 (平成3年) 12月 | 9階 | 148戸 |
サンハロー湯河原 | 泉 | 1991年 (平成3年) 11月 | 6階 | 24戸 |
エムロード熱海 | 梅園町 | 1991年 (平成3年) 11月 | 9階 | 67戸 |
レジーナ・ヴィラ熱海 | 水口町 | 1991年 (平成3年) 11月 | 8階 | 36戸 |
ライオンズマンション湯河原万葉公園 | 泉 | 1991年 (平成3年) 10月 | 9階/地下1階 | 61戸 |
プチモンド熱海 | 熱海 | 1991年 (平成3年) 10月 | 6階/地下2階 | 56戸 |
ナイスステージ熱海リゾート銀月 | 福道町 | 1991年 (平成3年) 7月 | 9階/地下1階 | 53戸 |
ベルクレール熱海 | 水口町 | 1991年 (平成3年) 7月 | 10階 | 87戸 |
ライオンズマンション熱海梅園第2 | 水口町 | 1991年 (平成3年) 7月 | 10階 | 43戸 |
ピアレス熱海 | 下多賀 | 1991年 (平成3年) 7月 | 7階 | 69戸 |
ヴィンテージ熱海桃山 | 伊豆山 | 1991年 (平成3年) 5月 | 14階/地下1階 | 85戸 |
ライオンズマンション熱海伊豆山 | 伊豆山 | 1991年 (平成3年) 4月 | 5階/地下1階 | 28戸 |
ライオンズヒルズ熱海 | 桜木町 | 1991年 (平成3年) 2月 | 10階 | 58戸 |
アーバンヒルズ熱海 | 咲見町 | 1990年 (平成2年) 11月 | 7階/地下1階 | 59戸 |
ラ・ヴィ熱海 | 林ガ丘町 | 1990年 (平成2年) 10月 | 18階 | 124戸 |
朝日フレール熱海聖ヶ丘 | 泉 | 1990年 (平成2年) 9月 | 9階 | 33戸 |
別邸桜乃庄 | 桜木町 | 1990年 (平成2年) 9月 | 6階 | 25戸 |
スパックス熱海伊豆山 | 伊豆山 | 1990年 (平成2年) 7月 | 10階 | 113戸 |
ライオンズマンション熱海梅園 | 水口町 | 1990年 (平成2年) 6月 | 7階 | 40戸 |
ライオンズマンション湯河原第5 | 泉 | 1990年 (平成2年) 3月 | 6階 | 25戸 |
ガウス熱海桃山 | 桃山町 | 1990年 (平成2年) 3月 | 5階 | 15戸 |
スカイリゾート南熱海 | 下多賀 | 1990年 (平成2年) 2月 | 8階 | 24戸 |
グランフェスタ熱海 | 梅園町 | 1990年 (平成2年) 2月 | 5階 | 23戸 |
Uハウゼ熱海桃山 | 桃山町 | 1990年 (平成2年) 1月 | 5階 | 11戸 |
熱海パサニアクラブ | 熱海 | 1989年 (平成元年) 10月 | 28階 | 280戸 |
ライオンズマンション南熱海 | 下多賀 | 1989年 (平成元年) 8月 | 10階 | 47戸 |
ファンシーパレス熱海 | 水口町 | 1989年 (平成元年) 7月 | 4階 | 19戸 |
シーサイドパレス南熱海 | 下多賀 | 1987年 (昭和62年) 7月 | 9階 | 58戸 |
エンゼルシーサイド南熱海 | 上多賀 | 1987年 (昭和62年) 3月 | 10階 | 260戸 |
カミリアシーホワイト熱海 | 昭和町 | 1984年 (昭和59年) 5月 | 5階 | 29戸 |
フジタ第二熱海マンション | 東海岸町 | 1982年 (昭和57年) 12月 | 8階 | 148戸 |
熱海リゾート伊豆山 | 伊豆山 | 1978年 (昭和53年) 9月 | 8階 | 88戸 |
ヴィラ南熱海 | 網代 | 1978年 (昭和53年) 8月 | 2階 | 92戸 |
咲見町ハイツ | 咲見町 | 1978年 (昭和53年) 6月 | 14階 | 187戸 |
熱海ターガスマンション | 上多賀 | 1977年 (昭和52年) 3月 | 10階 | 157戸 |
マンション南熱海 | 網代 | 1977年 (昭和52年) 2月 | 10階/地下1階 | 289戸 |
フジタ熱海マンション | 東海岸町 | 1976年 (昭和51年) 12月 | 12階 | 53戸 |
熱海スカイハイツ | 春日町 | 1976年 (昭和51年) 4月 | 8階 | 120戸 |
プレジデント熱海 | 桜木町 | 1976年 (昭和51年) 4月 | 6階 | 50戸 |
熱海プラザ | 春日町 | 1976年 (昭和51年) 2月 | 14階/地下1階 | 288戸 |
フェアモントビュー伊豆 | 泉 | 1975年 (昭和50年) 12月 | 5階 | 78戸 |
プラザ伊豆山 | 伊豆山 | 1975年 (昭和50年) 10月 | 12階 | 247戸 |
ブルーシー熱海 | 熱海 | 1975年 (昭和50年) 8月 | 6階 | 102戸 |
シャトーテル赤根崎 | 上多賀 | 1975年 (昭和50年) 7月 | 12階 | 389戸 |
オーシャンビュー赤根崎 | 上多賀 | 1975年 (昭和50年) 7月 | 13階/地下1階 | 90戸 |
マンションベルエア | 伊豆山 | 1975年 (昭和50年) 5月 | 10階 | 54戸 |
紅葉ガ丘ガーデンハイツ | 紅葉ガ丘町 | 1975年 (昭和50年) 2月 | 16階 | 110戸 |
熱海クリフサイド | 海光町 | 1975年 (昭和50年) 2月 | 15階 | 298戸 |
ハイネス来の宮熱海グリーンサイド | 福道町 | 1975年 (昭和50年) 1月 | 12階 | 116戸 |
熱海サニーハイツ | 海光町 | 1974年 (昭和49年) 12月 | 13階 | 439戸 |
パラシオン熱海 | 和田浜南町 | 1974年 (昭和49年) 11月 | 11階 | 82戸 |
熱海第一ビラ | 春日町 | 1974年 (昭和49年) 9月 | 11階 | 122戸 |
湯河原サニーハイツ | 泉 | 1974年 (昭和49年) 8月 | 9階 | 141戸 |
メゾン紅葉 | 東海岸町 | 1974年 (昭和49年) 7月 | 10階 | 30戸 |
マンハイム熱海* | 紅葉ガ丘町 | 1974年 (昭和49年) 4月 | 9階 | 106戸 |
メゾンド渚 | 渚町 | 1973年 (昭和48年) 12月 | 8階 | 29戸 |
ビラ自然郷マンション | 上多賀 | 1973年 (昭和48年) 12月 | 7階 | 90戸 |
東熱海第二シーサイドハイツ | 泉 | 1973年 (昭和48年) 11月 | 6階 | 46戸 |
熱海パークマンション | 桜木町 | 1972年 (昭和47年) 12月 | 8階/地下1階 | 204戸 |
東熱海シーサイドハイツ | 泉 | 1971年 (昭和46年) 12月 | 6階 | 43戸 |
白鳥マンション | 下多賀 | 1967年 (昭和42年) 10月 | 11階 | 79戸 |
熱海ハイプラザ | 小嵐町 | 1966年 (昭和41年) 2月 | 18階 | 88戸 |
桃山マンション | 桃山町 | 1965年 (昭和40年) 11月 | 11階 | 59戸 |
野中山マンション | 咲見町 | 1965年 (昭和40年) 2月 | 6階 | 181戸 |
伊豆山コーポラス | 海光町 | 1964年 (昭和39年) 3月 | 7階 | 40戸 |
松ヶ丘マンション | 林ガ丘町 | 1963年 (昭和38年) 2月 | 4階 | 16戸 |
熱海パンシオン | 海光町 | 1962年 (昭和37年) 11月 | 5階 | 33戸 |
熱海アビタシオン | 伊豆山 | 1962年 (昭和37年) 8月 | 7階/地下1階 | 83戸 |
名称 | 所在地 | 竣工年月 | 階数 | 戸数 |
---|---|---|---|---|
中銀ライフケア熱海 第三伊豆山 23号館 | 伊豆山 | 1992年 (平成4年) 2月 | 16階 | 165戸 |
中銀ライフケア熱海 水口 22号館 | 水口町 | 1991年 (平成3年) 2月 | 14階 | 253戸 |
ケアリゾート熱海 | 熱海 | 1989年 (平成元年) 3月 | 6階/地下1階 | 191戸 |
中銀ライフケア熱海 咲見 20号館 | 咲見町 | 1986年 (昭和61年) 10月 | 5階/地下1階 | 114戸 |
中銀ライフケア熱海 第二伊豆山 18号館 | 伊豆山 | 1985年 (昭和60年) 12月 | 11階 | 223戸 |
中銀ライフケア熱海 梅園台 16号館 | 相の原町 | 1983年 (昭和58年) 4月 | 14階 | 294戸 |
中銀ライフケア熱海 南熱海 15号館 | 網代 | 1980年 (昭和55年) 11月 | 5階/地下1階 | 136戸 |
中銀ライフケア熱海 伊豆山 12号館 | 伊豆山 | 1976年 (昭和51年) 11月 | 5階/地下1階 | 327戸 |
中銀ライフケア熱海 来の宮 10号館 | 梅園町 | 1974年 (昭和49年) 8月 | 9階/地下1階 | 258戸 |
中銀ライフケア熱海 白石 8号館 | 上多賀 | 1973年 (昭和48年) 8月 | 11階 | 146戸 |
中銀ライフケア熱海 梅園 7号館 | 梅園町 | 1973年 (昭和48年) 1月 | 10階 | 86戸 |
近年ではテレビドラマに限らず、バラエティ番組等でも熱海を紹介する番組が増加傾向にある。
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