Loading AI tools
日本の女優 (1979-) ウィキペディアから
東風 万智子(こち まちこ、1979年10月30日 - )は、日本の女優。クリオネ所属。大阪府大東市出身[1][2][3](鳥取県鳥取市生まれ)。
旧芸名は真中 瞳(まなか ひとみ)。
二人姉妹の長女として生まれ、父親と母親は共に公務員で、妹は5歳年下であった。同居していた祖母と母親の仲が悪かったが、祖母、母親それぞれから溺愛されたゆえ、どちらにも気を使わなければならなかった[4]。子供の頃は家族の中に自分の居場所がないように感じていて、常に人の顔色を窺っていた。両親の別居に伴い、小学6年で叔母の家に預けられると、中学2年の時に離婚したため、高校3年まで叔母の家で暮らした。
小学校時代の成績はトップクラスで、自分から立候補して色々なクラス委員をやった。小学4年の時に学校のお楽しみ会で脚本・演出を担当した創作ミュージカルが好評を得たことで芝居の面白さに目覚め、中学2年の時に見たドラマ「この世の果て」に感動して本気で女優を目指すようになる。中学卒業後は進学せずに女優を目指すつもりであったが、周囲の説得で大阪女学院高校に進学。進学後初めて受けたCMオーディションは最終選考まで残ったが落選。ひたすらオーディションを受けるも落ち続けたがそれでも女優を諦められず、上京して埼玉女子短期大学英語科[2]に進学した19歳の時にオーディションに合格、渡辺プロダクションのレッスン生となった。女優のほかにバラエティー番組もやるという条件で[2]、歌や演技、ダンスなどのレッスンに励んでいたが、ある日言われるままにドラマのオーディションを受けると合格。
1999年に日本テレビのバラエティー番組『進ぬ!電波少年』にて真中 瞳[注 1]の芸名でデビューし、番組の企画「電波少年的ハルマゲドン2」「電波少年的80日間世界一周」でブレイク。ハルマゲドンでは1人暮らしをしていた埼玉県のアパートから土屋敏男プロデューサーに目隠しをされて東京都内の広場に連れて行かれ[2]、初対面の男性と3ヶ月間も有刺鉄線で囲まれた核シェルターで共同生活を送り[5]、別れ際には男性に「ねえ、キスしようか」と言って舌を絡ませる大胆なキスシーンを演じてお茶の間の度肝を抜き、一躍有名になった[6]。コラムニストのナンシー関は「ここ10年に見たテレビの中で一番困ったと言っていいシーンなのだ。市原悦子のセーラー服シーンより、浅香光代の脂肪吸引手術シーンより『困』」と振り返っている[7]。世界一周ではチューヤンとのコンビで、ヒッチハイク経験者・チューヤン顔負けの図抜けたサバイバル精神を発揮[8]。旅費が尽きるとフランス・パリでモデル料がたった3000円にもかかわらず[6]ヌードモデルとして働いたり、病気になったチューヤンの治療費を稼ぐためにタイでホステスにも果敢に挑戦[8]。身体を張って八面六臂の大活躍で、大注目を集めた[8]。
2000年にテレビ朝日系ニュース番組『ニュースステーション』の金曜日のスポーツキャスターに抜擢されると、同年にはドラマ『編集王』(フジテレビ系)で女優デビュー。短大は仕事のスケジュールがきつくなったことで事務所と相談し、ニュースステーション出演が決まる前に中退した[2]。原稿を読むのも、取材するのも初体験で、スポーツの現場を訪れるのは月に1、2度で、当然のことながらインタビューするのは初対面の選手ばかりであった[2]。10月にJリーグの試合を国立競技場で取材したが、実はサッカーの試合を見るのはこの時が2回目であった[2]。小・中・高校と続けたバレーボール以外のスポーツは、ルールから勉強する状態であった[2]。2000年のシドニーオリンピックでは0泊3日の弾丸取材を敢行し[9]、2002年のソルトレークシティオリンピックではメインキャスターを務めた[10]。
2001年には映画「ココニイルコト」で初めて主演を務め、第26回報知映画賞最優秀新人賞をはじめ6つの映画賞を受賞する。同年にはこれまでの半生をつづったエッセイ「ワタシハココニイル」(幻冬舎)を刊行。映画の撮影終了直後に書き始め、構成にも頭を抱えながら約2ヶ月も文章と格闘し、原稿用紙236枚にしたためた力作であった[4]。以後はドラマ、映画、舞台などで活躍するが、2006年夏に所属事務所であったワタナベエンターテインメントを辞める。元々「海外に住んで、英語を勉強してみたい」という昔からの夢があり、オーストラリアに約1年半語学留学[11]。レストランのウェイトレスのアルバイトと語学学校の生徒を両立し、帰国後は大阪の実家に戻った[11]。家族から特に急き立てられることもなく、高校を卒業してすぐに上京していたこともあり、ゆっくりと家族と過ごすことができた[11]。活動休止中は芸能界復帰の気持ちが薄く[11]、都内でOLとしても働き[12][13][14]、電話対応やお茶汲み、掃除をしたりしていた[11]。2009年に入ると、旧事務所のプロフィール欄から名前が削除され、一部報道では引退したと伝えられていた[15]。
2009年には芸名を東風 万智子(こち まちこ)に変え、同年10月15日から19日にかけて墨田区アサヒ・アートスクエアで上演された音楽朗読劇「HYPNAGOGIA」に出演し、復帰していたことが報じられた[16]。新しい芸名は、本名の読みが「まちこ」のため、芸名も同じ読みに合わせた結果決まったという[17]。また、菅原道真が太宰府に流され、京都を離れる際に詠んだ和歌「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」にもインスパイアを受けて名付けられている[11]。 なお、芸名は「こちまちこ」と回文になる。
真中瞳 名義
東風万智子 名義
真中瞳 名義
東風万智子 名義
真中瞳 名義
東風万智子 名義
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.