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東京都の区市町村歌一覧(とうきょうとのくしちょうそんかいちらん)は、日本の東京都に属する特別区および市町村で制定されている、もしくは過去に制定されていた区歌・市町村歌などの自治体歌やそれに準じた楽曲の一覧である。なお、一覧の順序は全国地方公共団体コード順による。
東京都区部の区歌については、区歌#東京都の特別区歌も参照のこと。
戦前の東京府において最初の市歌は、1907年(明治40年)に東京市が制定した「東京唱歌」とされているが[1]、この「東京唱歌」は市民の酷評に遭い短期間で有名無実化してしまった[2]。大正に入り、後藤新平東京市長が提唱した『東京市民読本』刊行に合わせ改めて市歌が制定されることになったが、結果発表は永田秀次郎市長に代替わりした1924年(大正13年)になってからで[3]、市歌としての制定は関東大震災のためさらに延期され1926年(大正15年)にようやく実現した[4]。
1943年(昭和18年)の東京都制により東京府と東京市は解体・再編されて東京都となり、旧東京市の行政区から継承された35特別区が戦後に再編されて現在の23区が成立した。各区は1949年(昭和24年)の新宿区を皮切りに、市歌に準じた区歌を制定するようになった。2020年(令和2年)現在は江東区を除く22区で区歌が制定されているが[5][6]、その江東区では2015年(平成27年)に民間で作成された音頭を「区民音頭」のような扱いで追認している[7]。中野区では2015年(平成27年)に1950年(昭和25年)制定の初代区歌を廃止して2代目の区歌を制定し[8]、大田区は2017年(平成29年)の合併70周年を記念して現行の区歌とは別にイメージソングを作成した[9][10]。
多摩地域では、東京市に次いで1917年(大正6年)に市制施行した八王子市が戦前から市歌を制定している。東京市、八王子市に続き、3番目に1940年(昭和15年)に市制施行した立川市が戦後の1957年(昭和32年)に市歌を制定した。また1950年(昭和25年)に市制施行した三鷹市が3年後の1953年(昭和28年)に市歌を制定している。1942年(昭和17年)に町制施行した東村山町(現・東村山市)が市制施行前の1961年(昭和36年)に「東村山音頭」を発表し、北多摩地域を中心に市民音頭のみを有する市が目立っていたが、その後は市制施行が相次ぐにつれ、市制○周年記念などの節目に市歌を制定する自治体が増加した。
島嶼部では八丈町が2014年(平成26年)に新しく町歌を制定したが全体の制定率は半数強に留まっており、ご当地ソングが町村歌の代わりに愛唱される場合もある。
東京23区内では唯一、正式な区歌が未制定となっている[5]。 区としては「今後の研究課題にする」としつつも、2019年時点で具体的な区歌制定の予定はない[5][6]。 江東区非公式愛唱歌として「深川」(作詞・作曲:岡野勇仁、歌唱:松平敬)が存在する[5]。 2013年4月26日と2016年10月14日に、墨田区の両国門天ホールで開催された「東京23区 区歌・愛唱歌を歌う」コンサートでは、他区の区歌・愛唱歌と並んで「深川」が演奏された(歌唱:松平敬、ピアノ伴奏:岡野勇仁)[21]。 なお江東区は、戦後に旧深川区(旧東京15区・深川地区)と旧城東区(亀戸地区)が合併して成立し、その後東京湾埋立地に夢の島や臨海副都心などの地区が発展したという歴史的経緯があり、江東区の代表として「深川」の曲を愛唱歌とすることに対しては旧城東区域の住民から批判もある[22](また2015年11月13日『タモリ倶楽部』で「江東区の区歌を勝手に作ろう」という企画が放送された際も「歌詞に具体的な地域性が乏しい」という批判があった[22])。このような江東区の歴史的・地域的事情に加え、多摩地域の東大和市では市歌制定の経緯をめぐって住民訴訟が起こされた例もあり(#市部の節を参照)、江東区も現状では区歌制定に消極的な姿勢である。
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