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横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日[1] - 2017年7月8日[2])は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身[1]。
両親とも学校の教員[1]。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる[1]。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している[1]。
小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす[1]。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される[1]。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学[1]。ただ本人は、それまでピアノは弾けても自分で五線紙に譜面を書くことは無かったという[1]。高校2年生の時に自ら「もうこの学校で勉強することは無くなった」ということを校長に打ち明けたところ、上京を勧められ、校長から直接父親に許可を取り付けた上で上京、国立音楽高校(現・国立音楽大学附属高等学校)に編入[1]。
高校卒業後、国立音楽大学作曲科入学[1]。映画音楽よりもマスメディア方面での音楽がやりたかったということで、学校の先生などしながらではなく作曲家一本で活動していきたいと思って教職課程は取らなかったという[1]。大学3年生の時に講師として大学に来た作曲家の服部正から、日曜日午前中の服部教室に来るよう誘われたことが縁で服部に師事[1]。大学卒業後、朝日放送のラジオドラマ『娘と私』で服部のアシスタント的な役割で作曲を手掛けた後、その後続作品『娘の四季』で作曲家として本格デビュー[1]。その後1958年、写譜を手伝っていた作曲家の宇野誠一郎の紹介でNHKの作品『神台村騒動記』の作曲を手掛けて自身テレビでの初仕事となり、以後続けてNHKにおいてレギュラーで作曲の仕事を務める。こういった縁から、本人は宇野も「大恩人」だと話している[1]。その後も主にテレビの付随音楽を手がける。本格的シンフォニック・サウンドが持ち味。
『超力戦隊オーレンジャー』においてサントラの海外オケ収録を行った際、「横山です」と挨拶したところ、女性演者の中に『聖闘士星矢』ファンが多くおり、「ヨコヤマ!!」と喝采が沸いたという。
「スーパー戦隊シリーズ」に関わった音楽担当者のうち、横山のみシリーズの作品の主題歌・挿入歌の両方の楽曲制作に関わっていない。
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