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名古屋鉄道が運行している特急列車 ウィキペディアから
名鉄特急(めいてつとっきゅう)では、名古屋鉄道(名鉄)の鉄道・軌道線で運行されている列車種別「ミュースカイ」・「快速特急(2代)」・「特急」について詳述する。また、過去に設定されていた列車(超特急「あさひ」や特急「北アルプス」など)や特急の変形というべき種別(「高速」、2003年3月までの「快速急行」など)についても解説する。
名鉄の「ミュースカイ (μSKY Limited Express)」・「快速特急(快速特別急行[1]:Rapid Limited Express)」・「特急(特別急行[1]:Limited Express)」列車は名古屋市と沿線各都市・空港・観光地を結ぶ路線に設定されている。このうち「ミュースカイ」は他社の全車座席指定列車に相当する「全車特別車」列車のみで運転され、「快速特急」と「特急」は基本的に特別車(指定席車両)に一般車(自由席車両)を連結した「一部特別車」(異制度混結)列車で運転される(2008年12月27日ダイヤ改正以降)。このほか、一部の「特急」列車には特別車(指定席)を連結しない「全車一般車」列車が存在する[1]。特別車へ乗車するためには、manaca・TOICAおよび、これらと相互利用が可能な交通系ICカードを含む乗車券(運賃)のほかに特別車両券(「ミューチケット」、旧称「座席指定券」)が必要である。
“特別車”と“一般車”の区別や「ミューチケット」の詳細などについては、下記「料金制度」の項を参照のこと。
常滑線・空港線の神宮前駅 - 中部国際空港駅間を無停車で運行し、名鉄名古屋駅と中部国際空港駅を最速28分(一部を除く)で結ぶ名鉄の最優等列車。2008年のダイヤ改正以降、名鉄で唯一の全車特別車列車である[2][注釈 1]。
空港線(常滑駅 - 中部国際空港駅間)開業に伴って登場した系統で、当初は全車特別車の「快速特急」として運行されていたが、2008年12月27日改正からは2000系を使用した定期列車は停車駅にかかわらず「ミュースカイ」という新種別となった。この際、早朝に存在した全車特別車の特急もミュースカイに統合したため、元・特急の各列車は神宮前駅 - 中部国際空港駅間の特急停車駅に特別停車している[2]。
2011年3月26日改正で名鉄岐阜駅 - 名鉄名古屋駅間の直通便が削減され、昼間帯は名鉄名古屋駅での折り返し運転となった。また、朝間帯に岐阜・新鵜沼方面から名古屋・中部国際空港方面への通勤対策として数本増発された。
2011年3月26日改正時点では、名古屋本線の名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅間と犬山線の新鵜沼駅 - 中部国際空港駅間の列車がそれぞれ1時間に1本ずつ設定されており、朝及び夕方ダイヤ以降は名鉄名古屋駅折り返し系統が名鉄岐阜駅まで延長運転を行っていた。このほか、中部国際空港行きにおいては広見線の新可児駅始発(平日3本、休日1本)[3]や各務原線の三柿野駅始発(508列車1本のみ。犬山駅 - 中部国際空港駅間は新可児駅始発列車と併結)[4]の列車、さらには上下線ともに区間運行の列車もあり、夕方の下りには「新鵜沼・新可児」行きの併結列車(平日は17時から21時台、休日は17時台から20時台(空港始発時間)にそれぞれ運行)、下り最終列車には柏森駅に特別停車する神宮前発新鵜沼行きがあった[5]。その後2021年5月22日改正で三柿野駅始発や夕方下りの「新鵜沼・新可児」行き併結列車、神宮前発新鵜沼行きの設定がなくなり、犬山線系統のミュースカイもほとんどが名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅間の運転に短縮された[6]。他方、新型コロナウイルス感染症(コロナ禍)による利用者減少に伴い、日中の一部列車の(多客時を除く)運休措置が2020年5月11日から2022年11月18日までの期間中に実施されていた[7][8][9]。
お盆や年末年始などには増発や車両増結がよく行われるほか、2017年までは毎年夏に岐阜の長良川で開催される全国花火大会の日には臨時のミュースカイが名鉄岐阜駅から神宮前駅まで運転されていた。
名古屋本線の全区間(名鉄岐阜駅 - 名鉄名古屋駅 - 豊橋駅間)を走破する系統であり、一般的に「本線特急」と呼ばれている。現在は基本的に岐阜発豊橋行きが新安城駅と国府駅を通過する「快速特急」、豊橋発岐阜行きがその2駅にも停車する「特急」で運転されている[12][注釈 2]。
この系統が初めに設定されたのは東西直通運転が始まった1948年5月のダイヤ改正である。以後、1965年の改正で毎時4本体制が確立し、併せて座席確保特急の運転も始まった。座席確保特急は当初国鉄乗り入れ車両のキハ8000系を使用した朝1往復のみであったが、1967年からは「座席特急」の名称で7000系・7500系・7700系使用の列車にも拡大した。
1977年3月から1990年10月までの間は、「特急」は座席指定とし、座席指定されない特急列車を「高速」と称した。昼間帯は「特急」と「高速」をそれぞれ毎時2本運転していた。
1990年10月の改正で「高速」が再び特急に統合され、一部指定席特急(1999年5月から指定席車を特別車に改称)が登場すると、昼間帯の運転はすべて一部指定席特急になった。旧特急は標準停車駅にのみ停まり(1992年から1999年までは一部が知立駅を特別通過)、旧高速は国府宮(1999年に標準停車駅に昇格)と新安城に特別停車するパターンが確立し、現行列車の原型が出来上がった。この時点では朝夕時間帯に全車指定席特急と全車一般席特急が残っていたが、1992年11月の改正でほとんどが一部指定席特急に変更され、この改正で1本だけとなった全車一般席特急は1995年4月の改正で「快速急行」(後述)に変更された。豊橋駅発着の全車指定席特急は1997年4月の改正で消滅している。
2005年の改正で新たに「快速特急」が創設され、標準停車駅にのみ停まる特急を「快速特急」に格上げし、新安城と国府(2000年3月より)に特別停車していた特急は、この両駅を正式停車駅に格上げした上で「特急」とした。この改正で新たに豊橋 - 中部国際空港間の特急を新設したため、本線特急は毎時3本となった。なお、後述する初代の快速特急とは異なり、今回創設された快速特急では、駅の発車標や旅客案内放送のみならず、車両側の種別表示についても「快速特急」および「快特」を用意した。
2008年12月の改正では豊橋 - 中部国際空港直通特急の昼間運用が廃止された一方、新たに本線東部 - 犬山線直通系統が創設され、本線全線を走破する特急は毎時2本になった。この改正以前は快速特急・特急とが別々に運転されていたが、以降は上り・下りで種別が異なる運用になった。豊橋発岐阜行きの快速特急は平日の朝と深夜に、岐阜発豊橋行きの特急は平日朝と全日の深夜にごく数本残っている。
2023年3月の改正では日中のパターンダイヤにおける急行が名鉄一宮駅での折り返しに短縮されたため、名古屋本線の全区間を走破する列車は本系統の毎時2本のみとなった。このとき平日朝の上り特急の新木曽川駅と笠松駅の特別通過(2008年12月の改正で朝以外パターンダイヤにて両駅への特別停車を実施、2011年3月の改正で標準停車駅に昇格する一方で平日朝の一部がいずれか一方を特別通過)が消滅している[13]。
使用車両は1200系、2200系の6両編成のほか、1200系に1800系、2200系に3100系・3150系・9100系を連結した8両編成が充当される[12]。2011年3月の改正より全日とも名鉄名古屋駅23時57分発(2021年5月の改正から2024年3月の改正まで23時52分発)東岡崎行きの全車一般車特急(438列車)が設定された[14]が、この列車には3000・9000番台の車両(6両編成)が使用されている。
国府宮神社でのはだか祭(2021・2022年は増結なし)など、沿線でイベントや平日の夕方ラッシュが行われる際は昼間および夕方以降にも車両増結が行われ、この日はほとんどの時間帯において8両での運転となる。2019年3月16日改正および2024年3月16日改正からは土休日においても夕方の一部列車で8両運転が行われるようになった。1999年5月の改正までは国府宮駅は特急の標準停車駅ではなかったために一部の列車(主に新安城駅を通過する系統)は通過していたが、はだか祭の開催日は日中を中心に臨時停車していた。また、臨時特急も名鉄一宮駅(当時は新一宮駅)発着で名古屋方面から運転されていた。
2008年12月のダイヤ改正で新設された系統で、犬山線と名古屋本線東部(新鵜沼駅 - 名鉄名古屋駅 - 豊橋駅)とを結び、昼間帯のパターンダイヤでは豊橋発新鵜沼行きが「快速特急」、新鵜沼発豊橋行きが「特急」で運転されている[12][注釈 2]。
この系統が設定された理由としては、空港需要が比較的多い本線西部区間に空港特急を毎時2本通した結果、本線東部の特急毎時2本を別系統に逃がす必要があったこと、ラッシュ時の輸送量が多い犬山線には8両編成の特急が必要とされたこと、犬山方面と豊橋方面という流路を創ることで新たな需要を喚起しようとしたこと、などが挙げられる[21]。
2023年3月改正までは休日の朝に3本、広見線・新可児発豊橋行きが設定されていた[22][13]。この列車の走行距離は111・1キロで、名鉄特急では当時最長の走行距離を走る列車であった[23]。この特急の3本のうち2本は広見線内は6両で運転され、犬山駅で岐阜寄りに2両増結される運用が組まれていた(残りの1本は犬山線・名古屋本線内も6両で運転された)。なお、2008年12月改正時から2011年3月改正までは平日の朝にも同じ経路の列車(74列車)が1本設定されていた[24]。
使用車両は本線特急と共通で、1200系、2200系による6両編成か、1200系+1800系、2200系+3100系・3150系・9100系の8両編成である[12]。
この系統が頻繁運転されるようになったのは2008年12月改正以降だが、それ以前の列車としては1993年8月改正で設定された「空港ライナー」があった。この列車は朝間帯に西春駅(名古屋空港へのバス連絡駅)に特別停車する特急として設定された列車の一つだったが、1996年4月改正で一部指定席特急に変更され、当時犬山線では唯一の一部指定席(後に一部特別車)特急だった。
設定時より各務原線へは定期列車は直通しないが、航空自衛隊岐阜基地で航空祭が開催される日にのみごく数本が各務原線三柿野駅まで区間延長されることがある。
ミュースカイ(旧・全車特別車「快速特急」)と同様、2005年1月の改正で登場した系統で、ミュースカイとあわせて『空港特急』とよく呼ばれている。名古屋本線西部と常滑線・空港線(名鉄岐阜駅 - 名鉄名古屋駅 - 中部国際空港駅)とを結ぶほか、1往復だけ犬山線の新鵜沼駅発着列車(280列車、423列車)が設定されている(休日は271列車の終着便のみ)[27]。
空港連絡を目的に設定された本系統だが、空港線開業以前にも1992年ダイヤ改正から前身というべき「特急」が存在し、昼間の運行はなく、午前中と夕方以降に運行していた。同列車は、常滑線内では太田川駅は全列車停車し、午前中の常滑発及び夕方以降の常滑行きは尾張横須賀駅・朝倉駅・新舞子駅・大野町駅に停車していた(尾張横須賀駅と新舞子駅は2000年ダイヤ改正から停車。榎戸駅 - 常滑駅間休止中は榎戸駅にも停車)[28]。2005年改正で大野町駅をのぞく各駅が標準停車駅となって全列車停車となり、大野町駅は特急通過駅に降格した。また、1997年から2001年には北アルプス号の間合い運用でキハ8500系の運用も存在した。2011年以降、この系統には特別停車駅はない。
登場当初は約半数が豊橋方面直通となっており、昼間帯は岐阜方面、豊橋方面が各1本ずつ運転されていた。2006年4月のダイヤ改正から2008年12月のダイヤ改正までは、夕方以降の列車は名鉄名古屋駅発着[29](2006年4月までは金山駅発着[30])だったが、この場合も、名古屋本線の一部特別車の特急との接続は、同方向ならば金山駅または神宮前駅で2分待つのみであった。なお、金山駅発着のものはその後も2011年3月改正まで平日朝に1往復設定されていた。
2008年12月の改正で豊橋方面直通系統が削減され、名古屋本線・常滑線・空港線の名鉄岐阜駅 - 中部国際空港駅間の運行に統一された。これにより昼間帯の運行本数は毎時2本に増発された。また、この改正で全車一般車特急が快速急行に変更され、いったん消滅した。
2011年3月の改正では朝間帯のミュースカイが増発されたため、それに対応する形で平日朝ラッシュにおける本系統の運行を取り止め、上述の快速急行を増発することで対応した(空港行きのみ。空港発はミュースカイの特急停車駅への特別停車で対応)。一方で、夜間に存在した中部国際空港発金山行き快速急行を、名鉄岐阜行きに改めたうえで全車一般車特急(441列車)[31]とし、本系統における全車一般車特急を復活させた。
車両編成数は基本的に6両編成である。平日夕ラッシュ時には8両編成での運転も一部で見られるが、夕方の岐阜行きは太田川駅で岐阜方に2両増結という措置がとられていて、夕ラッシュ時の岐阜行きは名鉄岐阜駅到着後に増結した2両を切り離す。このため、空港発はすべて太田川駅以南は6両で運転され、空港行きで8両編成で運転されるのは前述の平日朝の新鵜沼駅発の1本のみである。この列車は常滑線・空港線内の停車駅でホームが8両まで対応している駅が神宮前・太田川・常滑・中部国際空港の4駅のみのため(新舞子駅は上りのみ8両対応)、その他の駅では後ろ2両(7・8号車)はドアカットを行う。常滑線内停車駅のホーム長の関係上、ミュースカイや本線特急のような繁忙期の車両増結は行われず、後述のように臨時列車を増発して対応することが多い。
車両は、基本的に2200系で運転され、平日のラッシュ時の増結車には3100・3150・9100系が使われる[12]。2007年6月30日のダイヤ改正から2008年12月27日ダイヤ改正前における夕方以降の名鉄名古屋発着列車もすべて2200系での運行となっていた。また、2007年6月改正までは一部の列車が1200系で運転されていた。
2019年以降、愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)でイベントが開催される際に全車一般車特急および快速急行が名鉄名古屋駅・金山駅 - 中部国際空港駅間に臨時で設定されることがある[32]。
有料座席指定特急の端緒となった系統である。
名鉄名古屋駅 - 河和駅間を30分間隔で運転され、平日昼間帯の列車が全車一般車で運転されるほかは一部特別車で運転されている(早朝・深夜帯にのみ知多新線内海駅発着となる列車がある)[12]。また、朝と深夜には名古屋本線や犬山線との直通列車が存在するほか、平日の夕方のみ(17時台 - 20時台)津島線・尾西線の佐屋駅まで延長運転され、津島線・尾西線唯一の特急運転を実施している[33](折り返しは名鉄名古屋方面へ回送される)。深夜帯の上り2本は金山駅止まりとなる。
河和線の特急運転は戦前の知多鉄道時代から実施されていた。名鉄合併後は取り止められたが、1953年3月22日[34]には3900系を使用した臨時特急「南知多号」が運転され、1964年9月からは定期運転の特急列車が復活した。なお、1961年7月23日に運転された海水浴特急「内海号」(5500系使用)は名鉄における初の有料座席指定特急となった[35]。
以降も海水浴シーズンには「南知多号」「内海号」「ヤングビーチ号」などといった臨時特急が運転され、知多新線開業後は内海方面にも設定された。また、1990年代までは河和行きと内海行きを併結した列車も運転され、このときには知多半田駅で分割していた。列車愛称は定期列車にも付与され、1999年5月改正以前にみられた、7000系や7700系の白帯車による新鵜沼行き列車には犬山、新可児行き列車には日本ラインなどと表示されていた。
2005年1月の改正以前は河和発着、内海発着ともに新鵜沼駅まで直通運転されており、2007年6月改正まではすべて全車指定席車(全車特別車)で運転されていた。これが2007年6月の改正で新鵜沼駅 - 河和駅間(一部特別車)、名鉄名古屋駅 - 内海駅間(全車特別車)とするパターンに変更され、2008年12月の改正では昼間帯の運転を河和発着に統一、列車はすべて一部特別車に整理された。この改正で阿久比駅と青山駅が特急停車駅に昇格し、旧来の特急を「快速特急」としたが、快速特急は平日の朝数本のみの設定に留まった。その後、2011年3月の改正で「快速特急」は廃止され、運転系統も2008年改正以前のように河和・内海発着を交互に運転するパターンが基本となったが、2023年3月の改正で内海駅発着の列車は再び削減され、早朝・深夜の数本を除いて河和駅発着に統一された。
一部特別車特急は1200系、2200系による6両編成で運用される[12]。2008年12月の改正より運転されている佐屋行きの列車は全て6両編成であり、津島線・尾西線内において特急列車のドアカットは行われない。こちらも1200系、2200系によって運行されていたが、2024年3月改正以降は基本的に1200系で運用される。全車特別車時代には1000系が使用されたほか、1999年5月改正から2005年1月改正までは一部の列車に1600系も使用されていた。
全車一般車特急は4両編成であり、3300系、3500系、3700系、5000系、6000系、6500系、9500系といった4両固定編成か、3100系、3150系、6800系、9100系といった2両編成車両の連結によって運用される[12]。かつては1800系・1850系(2015年6月の運用変更まで)[36]、5700系・5300系(2019年3月のダイヤ改正まで)による運用もあった[37]。
2009・2010年夏の尾張津島天王祭開催時は、本来名古屋発の内海行きを1本だけ津島発に変更して対応した。
現在は平日早朝の285列車(吉良吉田駅始発、須ヶ口駅行き、全車一般車特急)1本のみが設定されている[42]。2023年3月改正以前の285列車は一部特別車で西尾駅始発であったほか、休日にも名鉄名古屋駅行きとして存在した[43]。285列車は2008年6月改正で往復1本体制となる前から全車指定席車(全車特別車)として運転されており、当時標準停車駅だった西幡豆駅、上横須賀駅、米津駅の3駅や碧海桜井駅(現、桜井駅)を特別通過していた(平日のみ[44]。1999年以前は知立駅も通過)。
現行ダイヤでは上り方面に設定はないが、2023年3月改正までは名鉄名古屋23:08発の西尾行き(434列車)が終日運行されていた[45](2008年12月改正時から2011年3月改正までは424列車で、始発駅も新鵜沼駅であった[46])。
西尾線・蒲郡線の特急運転は1958年3月10日に運転された観光特急「いでゆ号」(複電圧車3600形を使用)から始まった。これは同年4月に誕生した三河湾国定公園への観光輸送を目的に設定されたもので、1500V昇圧後は5500系を使用し、「三ヶ根号」に名を変えて運転された[47]。1964年9月改正からは名称を再度「三河湾号」に変更して毎日運転されるようになった[48]。
当初は栄生駅 - 蒲郡駅間に1日2往復のみ設定されていた[49]が、1966年3月からは昼間帯に毎時2本設定されるようになり[50]、直通先も本線西部、津島線と変遷したのち、1969年7月改正からは犬山線・広見線(一部は各務原線)方面へ直通するようになった[49]。この改正で三河湾と日本ラインという2つの観光地を直結する特急ルートが確立され[51]、蒲郡線は観光路線としての絶頂期を迎えた。
以降は運転本数の削減が進み、1992年11月の改正で蒲郡線内の特急は1日1往復に減便された。また、この改正で西尾線特急(毎時1本)は基本的に津島線・尾西線に乗り入れて佐屋駅まで直通するようになり、このパターンが2008年6月改正まで継続された。標準停車駅は形原駅、西浦駅、東幡豆駅、西幡豆駅、吉良吉田駅、上横須賀駅、西尾駅、米津駅、碧海桜井駅、南安城駅で、本線では鳴海駅に特別停車(2005年1月改正以前)し、直通先の津島線・尾西線では木田駅、勝幡駅、津島駅、日比野駅に停車していた(木田、勝幡の2駅は2001年に標準停車駅昇格)。その後、蒲郡線の特急は2005年1月の改正で廃止され、西尾線の特急も2008年6月改正で上述した1往復を除いて消滅し、現行体制に至った。
なお、特急がなくなった穴埋めとしてそれまで西尾駅 - 佐屋駅間に毎時1往復設定されていた急行[注釈 4]を毎時2往復に増発し、西尾から吉良吉田まで運転区間が延長された。
使用車両は3300系、3500系、3700系、9500系による4両固定編成である[12]。全車指定席車(全車特別車)時代には7000系白帯車(1999年まで)や7700系(7000系増結用)、8800系(1992年 - 2005年)、1000系(1989年 - 2000年、2005年 - 2008年)、1600系(1999年 - 2008年)が使用された。このうち1000系は吉良吉田駅のホームの都合上、西尾以南の運転に使用することができなかったため、8800系が引退した2005年以降、吉良吉田駅発着の列車はすべて1600系を使用していた。また6両編成の285列車には8800系(引退後は1600系)が充当された。2005年以降は1600系が検査などで離脱した際に2000系が代走に入ったこともある[注釈 5]。2005年までは8800系が使用されていたため、他の特急が120km/hで運行する名古屋本線内でも最高速度は110km/hのままであった。
2008年6月改正から2023年3月改正までの一部特別車特急時代は通常1200系6両編成が充当され、夜の西尾行きが西尾駅で停泊後、翌朝の須ケ口行き(休日は名古屋行き)として折り返していた。改正後に全車一般車特急となった後は新安城6:45発の普通吉良吉田行きの折り返しが充当される。
平日早朝の下りに快速特急(83列車)および特急(91列車)が各1本設定されている。両列車の違いは新安城駅に停車するか否かで、いずれも本宿駅と美合駅に特別停車する[42]。設定当初は2本とも快速特急だったが、2011年12月の改正より91列車が特急に変更された。当該列車は国府駅で伊奈駅発の普通と接続する。
現在は豊川線内各駅が快速特急停車駅となっているが[52][53]、2023年3月改正までは急行標準停車駅であり[54]、始発駅の豊川稲荷駅を含む豊川線内各駅の特急・快速特急は特別停車扱いであった[55]。
2005年1月のダイヤ改正以前には朝と夜の数本のみだが新岐阜駅・新鵜沼駅・新名古屋駅 - 豊川稲荷駅間に定期特急が毎時1本、全車特別車で運転されていた[56]。全車特別車特急の設定はその後削減され、2008年12月の改正以前の段階では平日1往復のみ(412列車、283列車)になっていた[57][注釈 6]。全車特別車特急は基本的に1000系によって運用されており、1600系による運用はごくわずかだった。なお、豊川線ではホームが6両までしか対応していないため、豊川線内で1000系の重連運用はできなかった(平日朝に見られた豊川稲荷発の8両編成の特急は、国府で増結していた)。
このほか、2005年1月改正から2011年3月改正までは平日朝のみ一部特別車特急が1往復(66列車→64列車、93列車)設定されていた[58][59][注釈 7]。2008年12月改正当時は93列車のみ美合駅に特別停車していたが、上下列車とも豊川線内では諏訪町駅にのみ停車していた[60]。この時の車両は2200系または1700‐2300系による6両編成で運用された。
2005年までは正月シーズン(1月1日から2月11日まで。2005年はダイヤ改正前日の1月28日までだった)に臨時特急(全車特別車)が各地(名鉄名古屋駅・名鉄岐阜駅・新鵜沼駅・新可児駅・佐屋駅)と豊川稲荷駅との間に多数設定されていた(1977年改正前の座席特急時代も含む)。かつては知立駅・東岡崎駅を通過するものもあった。また、1999年の正月までは7000系4連+7700系2連の白帯車6両編成の特急も頻繁に見かけることができたが、2006年以降は設定されていない。
1990年代半ばまでは海水浴シーズン(7月中旬から8月中旬まで)に臨時特急(全車特別車)が各地(新名古屋駅・新岐阜駅・新鵜沼駅・新可児駅・佐屋駅・森上駅)と河和・内海駅との間に多数設定されていた。太田川駅・知多半田駅・知多武豊駅を通過するものもあった。河和から名古屋方面行きでは富貴駅を通過するものもあった。
毎年夏に開催される全国選抜長良川中日花火大会と長良川全国花火大会の日の夜、各務原線経由で名鉄岐阜発新可児行きのミュースカイが片道1本のみ臨時運行される。この列車は従来は特急であったが、2009年度からはミュースカイに変更となった。2011年現在は他の系統と同じく2000系で運転されるが、特急だったころは1000系や7000系白帯車で運転されており、すべて全車特別車(1999年以前は全車指定席)であった。2012年度以降は設定されていない。
各務原線内の停車駅は急行停車駅から切通駅を除いたもので岐阜駅 - 犬山駅間の所要時分は急行とあまり変わらない。広見線内の停車駅は、定期運行されている「ミュースカイ」・「特急」と同じである。かつては花フェスタ95ぎふが開催されたときなどに新可児発岐阜行きの臨時特急も運転され、六軒駅と名電各務原駅と可児川駅を通過していたこともある。名鉄名古屋駅や金山駅を通らない珍しい特急である。
なお、2008年8月30日には臨時列車として当時7000系の元白帯車で唯一現存していた7011編成により、岐阜発新可児行きの全車一般車特急「日本ライン号」が運転された(このときは各務原線内は三柿野駅のみ停車)。
高山本線との直通運転については「高山本線直通列車」の項を参照のこと。
名古屋本線東部(豊橋線)を建設した愛知電気鉄道(愛電)が太平洋戦争前に運行していた列車で、1日1往復のみ設定されていた[62]。
愛電は1927年(昭和2年)から神宮前駅 - 吉田(現・豊橋)駅間を特急63分、急行72分で結ぶ高速運転[注釈 8]を実施していたが、1930年(昭和5年)9月20日のダイヤ改正で特急を所要60分、急行を所要70分に短縮した上に、特急と同じ停車駅ながら3分速い所要57分で全線を走破する「超特急」を上位種別として新たに設定した[63]。運用にはデハ3300形が使用された[62]。超特急の表定速度は65.7 km/hに達し、当時は日本一の速度を誇っていた[注釈 9]。
当初この列車に愛称はなかった[注釈 10]が、同年10月1日より鉄道省で運行開始された「燕」号がツバメのテールマークを掲げていたことに倣い、「あさひ」の愛称と朝日(旭日)のヘッドマークが後に用意された[65][注釈 11]。
停車駅(当時の特急と同じ[35])
「超特急」の列車種別を掲げた運行は1935年(昭和10年)頃までで、1936年(昭和11年)時点のダイヤでは特急に統合されていた[66]。
かつては三河線にも特急が設定されていた。
三河線と名古屋本線との直通運転が開始されたのは1950年9月改正からで、この時に大浜港駅 - 新岐阜駅間の直通特急(三河線内は普通)が1日2往復設定された[67]。これは1950年10月から運行開始された東海道本線の快速列車に対抗するため、国鉄に先んじて設定されたものだった[68]が、この時点ではまだ知立駅が現在の配線になっておらず、直通運転は知立連絡線を介して実施しており、列車の折り返しに8分を要していた[49]。また、車両は三河線で使用されていたHL車を使用した。この直通運転は好評で、1955年9月改正からは三河平坂駅、猿投駅始発も登場し、山線からの直通運転も実現した[69]。
1959年4月1日に現在の知立駅が開業し、配線が変更された。この変更で三河線と名古屋本線との直通運転が容易になったため、同時に実施したダイヤ改正で碧南駅(一部は三河吉田駅) - 栄生駅間[69]の直通特急(三河線内は急行)が昼間帯に毎時1本設定された[70]。
1964年9月改正からは運転区間を碧南駅 - 新一宮駅間(三河線内は各駅停車)に、列車を5000系・5200系に変更し、「快速特急」の標示板を掲げて運転された[71]。種別ではなく愛称としてだが、この列車が「快速特急」という名称を名鉄で初めて使用した事例となった[72]。
1966年3月改正からは三河線内でも特急運転を開始し、引き続き「快速特急」を掲げて運転された[70][注釈 12]。特急運転区間は碧南駅 - 知立駅、知立駅 - 豊田市駅間で、吉良吉田駅 - 碧南駅、豊田市駅 - 西中金駅間は各駅に停車した[73]。1968年8月改正からは刈谷市駅(1969年7月改正からは三河高浜駅[69])始発着列車が毎時2本新設され、津島線、尾西線(弥富・森上方面)へと直通運転するようになった(森上方面は1969年7月改正から津島駅以北を準急に種別変更)[74]。
三河線の特急運転は1960年代が最盛期で、以降は本数削減に転じていく。1974年9月改正で朝夕の津島行き特急(三河線内普通、津島線内急行)[69]などを残して直通特急が大減便され、1977年3月改正で定期特急は全廃された[70]。
三河線の臨時特急としては、臨時急行「かえで号」(三河線内の停車駅は豊田市駅、平戸橋駅のみ)[75]を特急化した「かえで号」が1967年から三河線西中金方面に運転されていた[76]ほか、1970年以降は「みかわ号」「ラインパーク号」などといった三河線・犬山線直通の座席指定特急が季節運転されていた。
季節臨時特急の停車駅(1984年3月20日改正[77])
三河線・犬山線直通の季節臨時特急は列車名を変えながら1991年10月まで(碧南方面は1990年12月まで)運転されており[69]、初期の『名鉄電車・バス時刻表』には季節運転ダイヤが掲載されていた。
「たかやま」の間合い運用として、キハ8000系を使用した座席指定特急が1965年12月改正で新設された[78]。以後、同列車による間合い運用特急が1988年まで設定され[79]、後継車両のキハ8500系による間合い運用も1991年5月改正から1993年8月改正まで、および1995年4月改正から「北アルプス」が廃止された2001年まで設定されていた[80]。なお、名鉄線内での間合い運用では自由席車を含めた「全車特別車(1990年までは座席指定特急、1999年までは全車指定席)」として運行された。
キハ8000系のころは原則としてヘッドマークを無表示としていたが、「犬山うかい」号のみ専用の愛称板が用意されていた[80]。キハ8500系では前面の「北アルプス」の表示が通常の操作では変更できないため、間合い運用中も「北アルプス」の表示を掲示していた。また、北アルプスでは喫煙車となっていた車両(キハ8500系の場合は2号車)も間合い運用では全車禁煙であった。
定期運用はなかったが、正月の初詣臨時特急としてキハ8000系が豊川線豊川稲荷駅まで乗り入れたことがある[35]。
名鉄路線網の中では孤立路線となっている瀬戸線にも1966年3月改正から1977年3月改正までの間、料金不要の「特急」列車が存在していた。運転区間は当時の名古屋側のターミナル駅であった大津町[注釈 15] - 尾張瀬戸駅(平日朝ラッシュ時のみ堀川駅まで運転)間で、クロスシートを装備した900形-2300形(3編成、後に900形-2320形の4編成も加わる)に、パノラマカーと同様の「逆さ富士」型行先・種別表示器とミュージックホーンを取り付け、スカーレットに白帯の特急用塗装を施して運行していた。1973年(昭和48年)には、本線で運行していたHL制御車の3700系(5編成)を600V仕様に改造し、900形と同様の塗装に変更して使用した(「逆さ富士」などは取り付けていない)。編成は普通列車と同じく2両編成で、全区間の所要時間は約30分であった。1977年3月改正で、本線系統各線では座席指定特急以外の特急が「高速」に改称されたが、瀬戸線では「急行」に改称され、瀬戸線特急は消滅した。
なお、上記の特急用塗装は本線用の各車両と同時期にスカーレット一色へ塗り替えが進められ、1978年(昭和53年)3月の瀬戸線1,500V昇圧時に900形などの廃車によって白帯塗装の車両は一旦消滅したが、1982年(昭和57年)の7000系「特急専用車」改造に際し、再び特急用塗装の通称「白帯車」として復活した。
1967年8月改正[82]から1974年9月白紙改正[83](一部路線・時間帯では1970年12月改正[84])までの間は「急行」を廃止して「特急」・「準急」・「普通」の3本立てによる輸送を行っており、名古屋本線と直通輸送を行っている各線(西尾線・蒲郡線・三河線・常滑線・河和線・各務原線・広見線・八百津線・犬山線・津島線・尾西線)や廃止された挙母線に、それまでの「急行」に代わって「特急」が日中毎時1 - 4本設定されていた。停車パターンは複雑で、運転系統によって特別停車や特別通過が頻発し、ペアを組む支線の組み合わせもダイヤ改正で大胆に変更された。
これら支線直通特急には7000系・7700系や5500系などの特急用車両に限らず、もともとは支線への直通特急用として造られた吊り掛け駆動の7300系や3780系をはじめとして旧型車(AL車・HL車)のほとんども日常的に使用されていた。ただし、座席指定制の特急には旧型車は使用されず、高性能車・冷房車・クロスシート車など一定の条件を満たした車両のみを使用していた[注釈 16]。
この特急政策はモータリゼーションが急速に進行していた名古屋都市圏に対し、速達性を最重要視することで鉄道利用の巻き返しを図るべく実施されたものだった。しかし、普通停車駅の停車本数が2時間に1本になるなど、小駅の利便性が犠牲になっており、目的の駅に向かうのに反対方面の優等停車駅からUターンした方が早いなどといったダイヤに批判が相次いだ。主要駅間の速達性、利便性確保の点では一定の成果があったものの、全体的には小駅利用客の鉄道離れがより目立つ結果となり、1970年(昭和45年)12月改正以降は普通列車の増発、「急行」の復活、支線区の特急廃止といった方針転換を迫られることになる[84]。
1967年(昭和42年)8月22日改正[85](尾西線(森上方面)のみ1968年(昭和43年)5月12日改正[86])
1969年7月改正から設定されていた種別で、知立駅を通過することで表定速度は全区間で78.8km/h、新名古屋 - 豊橋間では81.6km/hに達し、全区間を所要時間76分、新名古屋 - 豊橋間を50分で結んだ[87]。
正式な種別として快速特急が名鉄に登場したのはこれが初めてだったが、現在運転している快速特急とは異なり、当時の車両設備には「快速特急」および「快特」の表示が用意されていなかったため、駅の時刻表などの掲示や駅案内放送、車内放送などの案内上は「快速特急」としつつも、車両の表示は特急と同じ「特」で対応していた[88]。1970年12月改正で廃止された[12]。
なお、知立駅を通過する特急は1992年11月白紙改正から1999年5月改正までの間にも再び設定されたが、この時には快速特急とは名乗らず、特急の特別通過扱いとなっていた。
1984年12月改正から1992年11月白紙改正まで[89]、新鵜沼駅 - 河和駅・内海駅間で運行されていた特急である[90][91]。車両はすべて8800系(パノラマDX)を使用し、座席指定料金も他よりは高く500円(デラックス座席指定料金、1989年(平成元年)より520円)であった[92]。
なお8800系と7000系(パノラマカー)などによって「デラックス座席指定料金」・「普通の座席指定料金」の両方の編成を併結した列車も、正月の初詣輸送(豊川特急)などで見られた[93]。
しかしながら、バブル経済の崩壊によって不況となったことや、後になって登場した1000系「パノラマsuper」と8800系の設備の差が少なかったことからデラックス料金は1992年(平成4年)に廃止され、8800系も普通の座席指定料金が適用される様になった。
8800系は4編成のうち3編成の中間車を一般的な座席に改造した上で引き続き西尾線・津島線などで使用されたが、2005年1月改正で引退した。
2005年1月白紙改正から2011年3月改正まで存在した系統で、名古屋本線東部から中部国際空港への利用を意図して設定されていた。
常滑線・空港線と名古屋本線との分岐駅は神宮前駅だが、折り返しは西隣りの金山駅で行っていた。これは配線の問題もさることながら、神宮前駅で名鉄岐阜行特急と、方向転換を行う金山駅で豊橋行/空港行特急とそれぞれ接続させ、3方面への輸送を相互に補完する目的があった[95]。ただし、これでは豊橋方面と常滑方面とを乗り通す乗客に金山駅 - 神宮前駅間の往復乗車を強いることになるため、本系統の設定を機に金山駅 - 神宮前駅間を往復し空港方面と豊橋方面とで直通運用する列車に乗車する場合に限り、同区間を区間外乗車として運賃を徴収しない特例が新たに設けられた[96]。
しかし、設定以降も依然として本線東部からの輸送人員は空港方面よりも名古屋への利用が多くを占めていたため、空港旅客の多かった豊橋5時53分発の261列車を除き、日中毎時1本あったこの系統は2008年12月改正で廃止された[21][94]。残された261列車も2011年3月改正をもって廃止された。
車両は2007年6月改正までは基本的に1200系を使用していたが、同改正から2008年12月改正までは2往復(豊橋駅12時15分発と13時15分発)を除いて2200系が使用されていた。廃止時点で設定されていた1本は2200系または1700系での運転で、全区間6両での運転であった。
2008年12月改正まで設定のあった昼間帯の列車の中には平日に限り名古屋本線内を8両で運転される列車が存在し、豊橋駅9時15分発と10時15分発は金山駅まで8両で運転され、同駅で名鉄岐阜方2両を切り離し、中部国際空港駅16時発は金山駅で名鉄岐阜方に2両増結という運用が組まれていた。
北アルプス | |
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キハ8500系「北アルプス」 (1992年、高山駅) | |
概要 | |
国 | 日本 |
種類 | 特別急行列車 |
現況 | 廃止 |
前身 | 急行「たかやま」 |
運行開始 | 1970年7月15日(急行「北アルプス」) |
運行終了 | 2001年10月1日 |
運営者 |
名古屋鉄道(名鉄) 日本国有鉄道(国鉄)→ 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道(1987年 - 1990年) 富山地方鉄道(1970年 - 1984年) |
路線 | |
起点 | 新名古屋駅(1997年 - 2001年) |
終点 | 高山駅(1990年 - 2001年) |
営業距離 | 149.2km(新名古屋駅 - 高山駅) |
運行間隔 | 1往復 |
使用路線 |
名鉄:名古屋本線、犬山線 JR東海:高山本線 |
車内サービス | |
クラス | 普通車 |
技術 | |
車両 | キハ8500系(新川検車区) |
軌間 | 1,067 mm |
電化 |
直流1,500 V(新名古屋 - 新鵜沼間)[注釈 17] 非電化(新鵜沼 - 高山間) |
最高速度 | 110km/h(キハ8500系) |
2001年10月のダイヤ改正によって廃止されるまで、名鉄犬山線 - 国鉄→JR東海高山本線間の直通優等列車として、同社唯一の気動車特急列車「北アルプス」が存在した。運転区間は何度か変化したが、末期は新名古屋駅(→名鉄名古屋駅) - 高山駅間を運行して、JRの特急列車「ひだ」の補完的な役割を果たしていた。また、1972年9月27日から廃止されるまで、列車は犬山橋北側から分岐する連絡線(事実上の新鵜沼駅/鵜沼駅各構内)を通過し高山本線に入線していたことから、JR線内にあたる鵜沼 - 美濃太田間も名鉄に所属する乗務員(甲種内燃車運転士と車掌)が担当し、美濃太田駅で国鉄→JR東海の乗務員と交代していた。また、名鉄自体も運行当時は末端区間に非電化区間を有していたが、この区間は近郊形気動車で運転されていたものの、この列車が通過する名鉄線は全て電化区間であった。
名鉄線内でも社線内特急券を購入すれば「北アルプス」に乗車できたが、利用できる乗車券は普通乗車券に限られ、3・3・SUNフリーきっぷなどのフリー乗車券[注釈 18]や定期・回数乗車券などでは社線内特急券を購入しても一切乗車できなかった[97][注釈 19]。直通する場合の運賃・料金は、名鉄各駅 - 新鵜沼駅間・鵜沼駅 - JR各駅間を合算していた。また、新幹線とJR在来線の特急を乗り継ぐ場合に適用される在来線特急料金の割引制度については、「北アルプス」は対象外であった。
「北アルプス」の利用者自体も廃止直前の10年間のうちにバブル崩壊による景気悪化や東海北陸自動車道の延伸の進捗などもあって半減し、2000年10月に高速バス(ひだ高山号)の運行開始後、「北アルプス」とグループ内で併存する状況となり[98]、さらには最初で最後に大手私鉄が特急形気動車を保有している非効率さもあり、2001年9月30日限りで廃止された[98]。
なお、名古屋 - 美濃太田間の鉄道路線については改正鉄道敷設法別表第72号に「愛知県名古屋ヨリ岐阜県太田ニ至ル鉄道」として記載されたほか、1961年の都市交通審議会第5号でも「(1985年度までを目処に)国鉄高山線の名古屋直結に関しては水分橋[注釈 20] - 大曽根(中央本線)間に新線を建設し、かつ鵜沼 - 水分橋間の名古屋鉄道[注釈 21]を利用して高山線を大曽根に乗り入れさせる路線について検討すべきである。」と答申された[101]が、この路線は実現していない(未成線)。
準急(急行)「たかやま」の時代は中間車2両を2両の先頭車(片方は一等車→グリーン車)で挟んだ4両編成を基本とし、需要に応じて増結していた。
立山乗り入れ時代は高山駅以南では6両編成で運転し、以北は普通車のみの3両編成で運転していた(飛騨古川止まりの場合、終点まで6両のまま運転)。
廃止時点ではキハ8500系による3両編成が基本で、多客期には増結が行われていた。1999年からは特急「ひだ」(通常4両編成)と常時併結されていたが、「ひだ」の編成はここでは省略する。
北アルプス | ||||||
← 新名古屋 高山 →
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事故などで一部特別車車両が不足した場合、一部の運用を全車一般車に切り替えて運転が再開されることがある[105][106][注釈 30]。
座席指定特急、全車指定席特急、全車特別車特急、一部特別車特急の特別車、北アルプスなど
座席確保特急、「白帯車」など
一般特急、全車一般席車特急、全車一般車特急、一部特別車特急の一般車など
名鉄の特急列車では、「特別車」・「一般車」という区分けを使用している。
特別車両券「ミューチケット」は元来、特急の「座席指定券」[注釈 31]として料金を徴収していたが、「座席定員制列車(車両)」という名目上、満席の「指定席車」に「座席指定券」を所持しない旅客を乗せてはならず、座れない乗客に料金を請求・徴収するのも制度上問題があった。また、JRやその他の会社で行われている「特急券」として料金を徴収する方法では料金不要を前提とした「一般車」を連結している以上、乗客に混乱を来たすため適当ではない。
そこで、1999年(平成11年)5月のダイヤ改正より「指定席車」をすべて「特別車」に変更し、料金の名目も「座席指定(確保)の対価」から「特別車両の利用料金」に改めるなど、座席の有無に関わらず「特別車」の乗客全員から問題なく料金を徴収できるよう、座席など(使用車両)の設備統一と旅客制度の整備を行った。また、英語表記も「RESERVED」(指定席車)から「FIRST CLASS CAR」(特別車: 直訳すると一等車)に変更された[107][注釈 32]。ただし、施設柄初めて名鉄を利用する人が多い中部国際空港駅では「指定席」「自由席」の表記もある。
特別車を利用するには、乗車前に特別車両券「ミューチケット」を購入する必要がある(規定はすべて2024年3月16日現在)。
ミューチケットの料金は年齢(大人・子供)・距離・区間に関わらず一律450円であるが、車内で購入した場合は500円となる。後述の乗継制度もある。前売券は年末年始など特別に告知(指定)する場合を除き、乗車日1か月前の同じ日の窓口営業開始時刻から(ネット予約サービスは午前5時10分から)発売を開始する[注釈 33]。ミューチケット購入の専用ダイヤルは設けていない[注釈 34]が、2019年(令和元年)5月18日からネット予約サービスを開始している。[108]。
特別車は全列車とも座席指定制となっている。ただし、車内にて車掌に申し出て料金の精算を行う場合は空席がある場合に限り、車内料金500円を支払うことにより座席指定を受けることが出来る。但し満席の場合は座席指定を受けられない為、デッキ又は通路への立席利用となるがその場合でもミューチケットは必要となる。
特別車の座席はリクライニングシートで、車両端部にある乗降口と中間の客室とは仕切り壁と引き戸で区分されている。トイレはミュースカイ・特急及び快速特急共各列車に1箇所[注釈 35]ずつ設置している。
ミューチケットは有人駅(弥富・赤池を除く)の出札窓口・名鉄名古屋駅サービスセンターおよび特別車停車駅のタッチパネル式券売機で購入でき、現金の他、manacaおよびTOICAやICOCA など10種類の相互利用ICカードで購入することもできる。一部の駅に設置されている藍色の新型券売機では、シートマップで座席を指定して購入することができる。
ミューチケットは券面に指定された列車・区間のみ有効である。したがって、指定列車に乗り遅れた場合は新たに買い直す必要がある[注釈 36]。なお、列車や区間などの変更は券面の発車時刻前であれば1回に限りできる。(ネット予約サービスの場合は2回迄)[109]乗車列車・区間や乗車券と間違えて購入した場合は、有人窓口で無手数料の発行替え・返金(誤購入の取扱い)を受けられる。
使用後(降車時)のミューチケットは、自動改札機前(出口側)に設置されている回収ボックスへ投入するか、自動改札機に乗車券又はのりこし精算券と一緒に投入すれば回収される[注釈 37]。
2024年3月16日から450円に値上げし、車内での購入は500円となった。また、車内購入時、座席に空きがあれば、座席指定する事が出来る様になる(但し満席だと座席指定は出来ない。)。また、特別車のネット予約サービスで、名鉄ミューズカードのポイントを決済に使う事や乗り継ぎμチケットの購入が可能になる(この場合クレジットカードの併用が出来ない。)ほか、閑散時間帯(平日9時台~16時台と土休日の全時間帯)を名鉄ネット予約サービスで購入した場合、閑散時間帯割引料金が適用されて300円となる[110]。ただし、中部国際空港駅発着の場合は閑散時間帯割引料金の対象外で終日450円(車内料金500円)となるので注意が必要。
「一般車」は、乗車券・定期券・回数券などの運賃のみで利用可能である。車両は片側両開き3扉で、座席は転換式クロスシートまたはロングシートである(6500系の一部は固定クロスシート)。また、一部特別車編成(後述)の4号車は冷房温度の設定を多少高めにした「弱冷房車」となっている。
現在の快速特急・特急はすべて一般車を併結しており「一部特別車特急(快速特急)」もしくは「全車一般車特急」として設定・運行されている。「一部特別車特急」は、1990年にJR東海の東海道本線と競合する名古屋本線に設定された列車が起源であり、中部国際空港へのアクセス路線である空港線開業後は、接続する常滑線とともに設定され[注釈 38]、後に各路線へと波及した。一般車は各編成の岐阜方6両編成の3 - 6号車、8両編成の3 - 8号車に併結されている。
「全車一般車」特急は毎日の深夜時間帯に名古屋本線の上下線と常滑・空港線の上りの最終列車として名鉄名古屋駅発東岡崎行きと中部国際空港駅発名鉄岐阜行きの2本存在するほか、平日昼間帯にのみ、河和線・知多新線にも設定されている。定期列車以外では、事故などの理由でダイヤが大幅に乱れた時などに、普段は特急列車に使用しない車両を代用して「全車一般車」特急を運行することもある(本線用の全形式を状況に応じて運行)[注釈 39]。
早朝・深夜の豊橋発着の急行など車両運用や特急列車の折り返しの都合で、特別車両を連結した一部特別車編成が快速特急・特急以外の定期列車に使用されている。この場合は、特別車は監督官庁の指導により回送(乗客を乗せず締切)扱いとしている[注釈 40]が、2021年3月15日より一部の急行として運転する列車ではミューチケットを購入して特別車に乗車できるようになった(車両側面の種別表示は締切のまま)[111]。
間合い運用は特別車両(当時は指定席車両)と一般車両(同一般席車両)とを併結した1200系の運用が開始された1991年10月21日改正当時から存在し、平日早朝6本・深夜2本、休日早朝5本・深夜2本の急行間合い運用が設定され、指定席車を閉鎖して運行した[112]。
特別車両券(料金)には旅客の利用形態に合わせて、乗継・回数割引・定期割引の各割引制度がある。
特別車両券(料金)は1乗車乗切り制が基本であるが、指定駅で60分以内に2列車を乗り継ぐ場合は、同時購入する場合に限って「乗継ミューチケット」を発売する。
2019年5月18日から開始したネット予約サービスでは発売していなかったが、2024年3月16日より発売するようになった[113]。
回数特別車両券には、通常の「回数ミューチケット」と使用日時などを限定した「時差・土休回数ミューチケット」がある。乗車前に窓口などで座席を指定した「ミューチケット」と引き換えて使用する(引き換えずに乗車した場合、座席の指定は受けられない)。
ミュー定期券は、通勤・通学定期乗車券の利用者を対象に平日一往復の同一区間・同一座席を確保するもので、定期特別車両券と呼べるものである。平日の往復利用に限ると割引率(往復20日間・40回乗車で約7.1%割引)は「回数ミューチケット」(約9.1%割引)と比べて低い設定だが、同一列車の座席を通常発売日前の乗車分も含め、1か月間一括して確保できるメリットがある。2019年5月18日から開始されたネット予約サービスではミュー定期券の発売を行わなかった。運賃改定に伴い、2024年3月15日で発売を終了した[113]。
閑散時間帯割引料金は、平日の9時台から16時台及び土休日の終日に乗車駅を発車する列車に適用され、名鉄ネット予約サービスで購入した場合のみ対象となる。ただし、中部国際空港駅が発着となる場合は適用されない[113]。
※なお、「北アルプス」の社線内急行・特急料金は、当時の座席指定・特別車両料金と同額。
2008年12月改正では、すべての「快速特急」・「特急」を一部特別車編成に統一するため、それまで全車一般車特急として運転されていた朝の名鉄一宮駅発中部国際空港行き(6500列車)[注釈 41]と常滑・空港線の上り最終列車でもある夜の中部国際空港駅発金山行き(8301列車)[注釈 42]の2本を、停車駅据え置きで「快速急行」に改称した[注釈 43]。そのため、急行の派生形として位置付けられている他線区とは異なり、常滑・空港線系統の快速急行は実質的に全車一般車特急に当たる運用を行っている。車両の種別表示は他線区の快速急行と同じく「白い背景に青い快急の文字」[121]、英語表記は初代快速急行と同じく「Rapid Express」である。
その後、2011年3月改正では平日朝ラッシュ時の中部国際空港駅発着の一部特別車特急の運転が取り止めとなったため、代替列車として中部国際空港行きの快速急行が増発された。一方で、名鉄岐阜駅方面への最終列車繰り下げのため、夜間の中部国際空港駅発金山行き快速急行(2301E列車[122])は名鉄岐阜駅まで区間延長され、全車一般車特急としての運行に戻された(441列車)[31]。これらの変更により、長らく常滑・空港線系統の快速急行は朝間帯の下りのみの設定となっていたが、2024年3月改正で深夜帯に上り列車が再び設定された(2323E列車)[123]。
2024年3月改正現在、下りは平日5本・休日2本、上りは平日・休日とも1本のみ設定されている[124]。全区間を快速急行で運行するのは名鉄一宮駅始発の500E列車(平日・休日)と800E列車(平日のみ)、栄生駅始発の600E列車のみで[125]、他の列車は下りは名鉄名古屋駅まで、上りは神宮前駅より先は急行となる[124]。
車両は全列車が3000系列または9000系列での運行となっている。以前は新鵜沼始発の670E列車には6000系列、500E列車には5300・5700系が投入されていた。500E列車と600E列車、720E列車が全区間4両、774E列車は新鵜沼 - 太田川間が8両、太田川 - 中部国際空港間が6両、それ以外は全区間6両での運転となっている。
2019年以降、愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)でイベントが開催される際に全車一般車特急および快速急行が常滑線・空港線に臨時で設定されることがある[32]。
これまで間合い運用時の対応として特急用車両を快速急行以下に使用する場合、特別車は締切扱いにして運行していたが、早朝通勤時間帯の着席サービス拡大のため、2021年(令和3年)3月15日より平日ダイヤの新鵜沼駅始発2本(674列車、676A列車)に限って特別車を開放し、急行列車における特別車の営業を開始した。ただし駅の行先表示器や時刻表が対応しておらず、車両側面行先表示器も『締切』表示のままであった[128]。その後、2023年3月改正で一部特別車特急を急行に格下げする形で一部特別車急行が追加された[13]。追加された列車は名古屋本線全線通しで運行する1往復(611列車、614列車)で[121]、下りは豊橋駅における始発列車でもある。元々特急であった列車に前後を走っていた急行を統合したために、途中の駅で待避せず終着駅まで先着する。
使用車両は1200系または2200系による一部特別車編成である[121]。
なお、一部特別車急行は中部国際空港アクセスの初期運行計画で構想されていたことがある[131]。初期構想の毎時設定本数は特急3本・急行3本とされ[132]、その内訳は特急が新岐阜・犬山方面からの全車特別車各1本および豊橋方面(金山折返し)からの一部特別車1本で計3本、急行が岐阜または犬山方面からの計3本でそのうち1本に特別車を連結するというものであった[131]。しかしこの計画は2200系の製造決定により特急4本・急行2本に変更され[133]、急行の特別車運用は中止となった。
名鉄では元来、速達サービスを行う特急に対して特別な料金を徴収していなかったが、1970年ごろより徐々に座席を確保(指定)した「座席指定特急」の運行本数が増加し、車両も7000系などが共通で使用されたため、従来の運賃のみで乗車できる「特急」(「一般特急」と通称された)との区別が付きにくく、誤乗による『座席指定料金』の徴収が地元紙や一部革新系の国会議員に指摘されるなど、当時の社会問題ともなっていた。
このため、1977年3月20日のダイヤ改正からは「特急」を「座席指定特急」のみに限定し、「一般特急」は「高速」という新種別に改められた[134][注釈 44]。
「一般特急」から変更された当初は名古屋本線、犬山線、常滑線など多くの路線に高速が設定されていたが、1982年3月改正以降は支線系統や区間運転列車が順次急行に格下げ・整理されたため、同改正以降は基本的に名古屋本線にのみ高速が設定されていた[92]。
しかし、1990年10月29日改正を機に特急政策が大幅に変更され、名古屋本線の特急のほとんどが指定席と一般席を併結して運行するようになり、一般席に相当する高速は再び特急に統合されて発展的に解消することとなった。以降、今日まで名鉄では「高速」という列車種別を使用していない[72]。
ちなみに種別板は「特急」(白地に赤文字・当時)に準ずる種別をイメージして、白地に青文字で「高速」(縦書き)、種別幕は急行と同じく、当初は白地に青の1文字「高」、その後、青地に白抜き「高」で表記し、従来車(6000系など)への追加も同様[注釈 45]であった。また、パノラマカーの行先表示器(逆さ富士板・ブック式)の種別欄には「高」「速」を別々に印刷した縦に細長いシール(青地に黄文字)を「回」の位置に貼付(横書き)していた。
名古屋本線には全線を走破する「豊橋高速」(新岐阜駅 - 豊橋駅間、一部は豊川線直通の「豊川高速[注釈 46]」)と「美合高速」(新岐阜駅 - 美合駅間)の2系統が設定されていた[136]。「豊橋高速」は1948年5月白紙改正以来設定されていた一般特急を改めたものであり、「高速」が存在した全期間において定期運用されていた唯一の系統でもある[137]。一方、「美合高速」は1974年9月白紙改正で新設された東岡崎駅・美合駅発着の一般特急を高速に改めたもの[138]だが、1982年3月改正で急行に格下げされ[136][138]、1985年3月改正以降は豊川線直通急行となっている[69]。
1974年9月の白紙改正以前は頻繁に直通系統を変えていた常滑線・河和線 - 犬山線・各務原線・広見線直通特急だが、同改正で河和線系統が新鵜沼駅折返しとなり[注釈 48]、常滑線系統の一般特急が各1本各務原線・広見線に直通する形に整理された[143]。これらの列車は1977年3月改正で「高速」に改められるが、1982年3月改正以降は急行に変更された[136][143]。
1983年3月改正で新設された急行列車(平日朝夕各1本、746A列車と3770A列車[145])は沿線に移転した日本福祉大学の学生輸送を目的としており、通常の急行より停車駅を大幅に減らしていたため、“快速急行”と通称されていた[146]。その停車駅の少なさから“河和線版「高速」”と形容される事もあった[91]が、1988年7月改正で実際に種別を「高速」に改めた[147](列車番号もそれぞれ746H、3770Hに変更[148])。停車駅は“快速急行”時代と同じ[149]で、1990年10月改正の「高速」廃止後も急行の特別通過扱いで存続し[150]、1992年11月白紙改正で通常の急行停車駅に変更された[151]。その後も列車筋そのものは比較的後年まで残っていた。
かつて豊川線では正月ダイヤとして毎年1月に臨時ダイヤを設定していたが、同ダイヤで臨時増発された線内折り返し運転の優等列車に「高速」が用いられていたことがある[138]。同列車は1990年以降は「全車一般車特急」[138]、1996年以降は「快速急行」として運転され[160]、1999年正月の運転を最後に廃止された[138][注釈 49]。
かつて常滑線では常滑競艇開催時に臨時運転される列車がダイヤに設定されていたが、この列車が「高速」を名乗ったことがある。当初は通常の急行より停車駅が大幅に少ないにもかかわらず「急行」として運転されていた[161]が、1988年7月改正で同じような状態だった河和線“快速急行”とともに「高速」に改められた。同改正時点では平日・休日ともに新名古屋駅始発が10時台に2本(1016H列車、1018H列車)、常滑駅始発が16時台に2本(1627H列車、1725H列車)、計2往復設定されていた[162]。
1990年10月改正後は再び急行表記に戻されるが停車駅・列車番号は据え置かれた(常滑駅発1627H列車は廃止)[163]。新名古屋駅始発列車の2本がその後特急に昇格[注釈 50]したのに対し、常滑駅始発列車(1725H列車)は2001年10月改正で特別通過が廃止され、通常の急行列車に降格した[166](1999年5月改正からは大江駅にも特別停車していた[167])。
なお、臨時列車そのものは2005年1月白紙改正で消滅している。
1977年(登場時)から1980年代前半までは、当時1500V線に在籍した車両であればほとんどの車両が充当されたが、以降は『高速』の運行線区が限定されるに従って、5000番台・7000番台の高性能車や6000番台の通勤形車での運用へと徐々に収斂されていった。
1995年当時、名古屋本線の平日朝ラッシュ時に設定されていた新岐阜駅 - 豊橋駅間の特急列車(80列車)は途中の東岡崎駅で3500系から1200系に車両交換を行う運用がされており、3500系運用区間は当時唯一の「全車一般席特急」であった[168]。1995年4月改正でこの列車は東岡崎駅を境に分割され、指定席車がない新岐阜駅 - 東岡崎駅間の列車(800列車)の種別を「快速急行」に改めた。これにより特急は「全車指定席」か「一部指定席」の列車のみとなった[168]。
また、新一宮駅 - 常滑駅間[注釈 52]の上りにも快速急行が3本新設された[168]。方向幕の色は「オレンジの背景に白抜きの快急の文字」(この種別のみ当初から2文字表記)であった[121]。JR東海道本線との競争にさらされていた名古屋本線(名岐間)において、「途中駅からも始発でゆったり」というキャッチコピーで設定されたこの快速急行は1996年4月改正、1997年4月改正を経て8本まで増発されたが、利用率は伸び悩み、結局1999年5月改正で廃止された[169]。
新岐阜駅 - 東岡崎駅間の快速急行(800列車、末期は700列車)は新一宮駅始発系統廃止後も残り、唯一の設定となっていたが、2003年3月改正で1200系による一部特別車の特急(76列車)に格上げされたため、快速急行は一旦消滅した[169]。
使用車両は800列車が3500系の8両編成、新一宮駅始発系統が1800・1850系の2両編成で[168]、1996年4月改正以降は新一宮駅始発系統が4両に増強されたため、1800・1850系に加えて、3500系も使用された。
2005年1月改正で列車種別の細分化をした際に改正前の「急行」のうち、基本停車駅のみに停車する(特別停車をしない)ものを改称する形で「快速急行」の種別が復活した。2005年1月改正時点での急行との違いは名古屋本線の栄生駅と大里駅、常滑線の大江駅を通過する点のみで、2003年まで設定されていたものとは異なり、「特急」よりは「急行」に近い位置付けとなった(2008年12月改正以降の常滑・空港線系統を除く)。
1990年(平成2年)10月29日に名鉄が「一部指定席」特急を運行開始した際、運輸省(現、国土交通省)中部運輸局から「指定席」車両と「一般席」車両の区分を明確にする様に指示がなされ、「指定席車」には1000系・8800系と7000系・7700系の特急仕様車(白帯車)のみ使用することとなった[93]。
しかしながら、1991年(平成3年)当時は「全車指定席」特急用の編成が十分に揃わず、正月の豊川稲荷参拝客輸送には編成数が不足したため、波動需要の特例として7500系など6両固定編成の「一般席」用車両を使用することとなり、その列車を「新春ライナー」と名付けて種別も今までにない「ライナー」とした。「特急」より車両設備が見劣りするため、当時の「座席指定券」310円の料金に対して200円と割安な「座席確保券」の料金を新たに設定した[注釈 53][89]。
「新春ライナー」は1993年(平成5年)の正月まで設定されたが、1000系などの特急車両の増備が進んだため、1994年(平成6年)以降は姿を消している[93]。設定がなくなった後も一部(前後駅など)の駅では2005年ダイヤ改正前まで反転フラップ式発車標に「ライナー」のコマが残っていた。
既記の「北アルプス」・「新春ライナー」などは除く。
名岐鉄道・愛知電気鉄道共、自社路線が主要都市に達した時点から順次特急運転を開始していった。
1930年代後半から「西部線」と「東部線」を統合して1つの運行形態に改める計画が起こった。西部線のターミナルは、長らく郊外の押切町駅と名古屋市電に乗り入れた柳橋駅との二重ターミナルであったが、これを改めて鉄道省(後の日本国有鉄道)の名古屋駅付近の地下に新ターミナル駅を設けることとなった。
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