『第54回NHK紅白歌合戦 』(だいごじゅうよんかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、2003年 (平成 15年)12月31日 にNHKホール で行われた、通算54回目のNHK紅白歌合戦 。19時30分 - 21時20分および21時30分 - 23時45分にNHK で生放送 された。
12月1日 より東京 、大阪 、名古屋 の3地区で地上デジタルテレビ放送 (通称・地デジ)の本放送が始まり、紅白も今回より地デジでも放送開始。それまで、総合・BS2とBShiでは、テロップを別に挿入していた(後者では、16:9サイズを前提にした位置に表示するため)が、今回から第60回 (2009年 )までは全テレビ放送波でアナログ放送の4:3サイズの範囲内でのテロップ表示になった。
本紅白の裏番組 として、民放 で三つ巴の格闘技 中継が行われた。
放送まで
司会発表は11月13日 に行われた[1] 。
両組司会について、紅組が有働由美子 ・膳場貴子 、白組が阿部渉 ・高山哲哉 となり、第37回 (1986年 )以来の両組司会2人体制となったが、NHKアナウンサー 同士(両組司会4人全員アナウンサー)の両組司会2人体制は史上初である[1] [注 1] 。なお、有働・阿部はここ2年間も両組司会を担当しており3連投となった一方、膳場・高山は前回 共に審査員リポートを担当しており事実上の昇格という形になった[注 2] 。また、当時30歳の高山は男性アナウンサーの史上最年少司会記録を打ち立てた。
一方総合司会については、ここ2年間の担当者だった三宅民夫 から後輩の武内陶子 に交代となった。有働と武内は同期入局且つ神戸女学院大学 出身同士である(大学では武内が先輩であるが、大学在学中に2年間海外に留学していたため、帰国時に有働と同学年になった)。
当時NHK会長の海老沢勝二 は早い時期に「今年も司会はアナウンサーの起用」との方針を打ち出し、アンケート調査などで評判の良かった有働・阿部の両組司会続投を決定させつつ、隠し玉として膳場・高山を初起用した。総合司会については、武内を初起用しフレッシュ感を薫らせたという[1] 。
司会発表前、『スポーツニッポン 』(10月14日付)が「有働・阿部を軸に両組司会の人選が進んでいる」、『読売新聞 』(司会発表当日付)が「有働・阿部の両組司会続投および武内の総合司会初起用が決定」とそれぞれリークがされた。
前回設けられた「サポーター代表」は廃止された。一方、司会者や出場歌手の発表前、このポジションに翌年の大河ドラマ 『新選組! 』の出演者同士である優香 ・香取慎吾 (SMAP )らの起用が濃厚との報道がされた[2] 。
今回は曲順をギリギリまで公表しないと発表された[3] が、後に29日 に発表する可能性があると報道され[4] 、実際に29日に曲順が発表された[5] 。
有働・膳場と出場歌手で行った打ち合わせの際、有働と膳場の間で対立が見られたとの報道がされた[6] 。
当日のステージ
ゆずが「またあえる日まで」などをメドレーで披露した横浜松坂屋(現在はカトレヤプラザ伊勢佐木に改築)
倉木麻衣が「Stay by my side」を歌唱した東寺(教王護国寺)の五重塔
SMAPの大トリと史上初の完封 勝利
紅組トリは天童よしみ が務めた。歌唱した「美しい昔 」は外国曲であり、外国曲がトリとなるのは史上初である。なお、天童が紅組トリに起用されたことに関し、和田が「(紅組トリは)天童よりあゆ だろう」と番組側に苦言を呈した[14] 。
SMAP が初めて白組トリおよび大トリを担当(グループがトリを務めるのは史上初[注 5] )し、この年のオリコン 年間シングルチャート1位となった「世界に一つだけの花 」を歌唱した。この結果、SMAPは史上初のトップバッターとトリの双方を経験したグループとなったほか、同リーダーの中居は男性で初の組司会・トリ(大トリ)の双方経験者となった。また、本紅白がきっかけで翌週同曲はオリコン週間シングルチャートで1位に返り咲いた。なお、歌唱終了後のファンファーレにも同曲が使われた。
曲順発表前、『サンケイスポーツ 』(2003年12月18日付)が「白組トリおよび大トリの候補にはSMAPが急浮上。従来通り演歌勢からのトリ選出の場合は出場40回目の北島三郎 の起用が濃厚」、『日刊スポーツ 』(2003年12月25日付)が「SMAPの白組トリおよび大トリが決定。紅組トリには和田アキ子(この年デビュー35周年)、浜崎あゆみ(歌手デビュー5周年。同日『第45回日本レコード大賞 』で史上初となる3年連続での大賞受賞を達成)、小林幸子(25年連続出場達成)らが有力視されている」とトリについてのリークを行った。なお紅組トリの候補に挙がった浜崎については、カウントダウンコンサートを掛け持ちしていた。
前回好評だった『爆笑オンエアバトル』方式が会場審査全体に拡大し、球数で会場審査が争われた。審査方式は会場審査(2票)とBSデジタルハイビジョンまたは地デジの双方向機能を用いた「デジタルお茶の間審査員」の投票(2票)と特別審査員の11名(11票)の合計15票で争われた。結果はSMAPの大トリ効果で白組が15-0で紅白初の完封勝利(ストレート勝利) (会場審査では紅組:520、白組:1946(内訳、1階席→紅組:107、白組:300、2階席→紅組:196、白組:882、3階席→紅組:217、白組:764)、デジタルお茶の間審査員は紅組:17518、白組:52340、特別審査員は紅組:0、白組:11といずれも白組が優勢)であった(それから20年後の2023年 ・第74回 に於いて紅組が完封(ストレート)勝利(この時のスコアは3-0)を収めている)。これに伴い、日本野鳥の会 (1981年〜1985年・1992年)・麻布大学 野鳥研究部(1993年〜2002年)と続いた双眼鏡 を使っての計測が姿を消すことになった[15] 。
恒例である最後の勝敗を決める両組司会のボール投げは、過去2年間から司会をしている有働・阿部が行った。しかし、先述の通り白組が15-0と紅白初の完封勝利だったので、有働は一球も投げられず、騒然としていた(有働本人は後にこのことが「傷に残っています 」と発言した)。
エンディングの「蛍の光 」の大合唱では、今回から第56回 (2005年 )までバックコーラスが出演しなくなった。
初出場 、 返り咲き 。
選考を巡って
倉木麻衣 、愛内里菜 の2組のビーイング アーティストが初出場。愛内は巨大な衣装で登場した。後の会見で「今後は小林 ・美川 ・愛内の衣装対決になれたら嬉しいです」と答えている。また、倉木にとっては初のテレビ生放送出演であり、京都市 の東寺 からの中継という特別待遇での出演であった。
森山良子 ・森山直太朗 の親子競演が実現。親子が単独出場歌手として同じ回に出場するのは第7回 (1956年 )の鈴木正夫 ・鈴木三重子 以来となる[16] 。
今回は紅組・白組の垣根を越えたアーティスト競演があった[17] 。
『爆笑オンエアバトル 』の常連でもあるはなわ とテツandトモ が出場し競演した。同じく『爆笑オンエアバトル』の常連であるダンディ坂野 もCDを発売して紅白を狙ったが出場歌手としては不選出となり、応援ゲストとして登場した。
坂本冬美 が同年4月 に1年ぶりに歌手活動を再開、前年は不出場だった紅白を第52回 (2001年 )以来2年ぶりに復帰出場を果たす。デビュー曲「あばれ太鼓」を歌唱したが、坂本は歌の最後で感極まって涙声となるシーンがあった。
この年期間限定で再結成していたSPEED (同メンバーの上原多香子 がこの年下期の連続テレビ小説『てるてる家族』にヒロインの姉・岩田夏子役で出演)の再出場が有力視されていたが、実現しなかった。
宇多田ヒカル は制作活動のため、この年デビュー25周年を迎えたサザンオールスターズ は余力がないため、松任谷由実 は休養のため、矢沢永吉 は渡米のため、吉田拓郎 はコンサート活動のため、それぞれ出場を辞退した[18] 。
『スポーツニッポン』(10月14日付)が「西城秀樹 の返り咲き出場が有力」と報じたが、実現せず。
この年「RUI」名義で発表したシングル 「月のしずく 」(この年自身が出演した映画『黄泉がえり 』の主題歌)が大ヒットした柴咲コウ に対し、番組側は夏頃から出演交渉を行ったが、本人が辞退した。関係者は辞退の理由について、「柴咲自身はやはり自分を女優 として考えている。RUIはあくまで映画の役柄。紅白には日本 を代表する歌手の方々が出られるので、その場所に自分がいるのは失礼だとの思いからじゃないでしょうか」と語った[19] 。
特別ゲストとしてスティーヴィー・ワンダー と交渉を行い、順調に進んでいると報道されていたが出演はなかった。同じくCHAGE&ASKA の出演も有力視されたが実現に至らなかった[20] 。
演奏ゲスト
澤田勝秋 、澤田勝成 :長山洋子の三味線伴奏。
ウェイウェイ・ウー :一青窈の二胡 伴奏。
押尾コータロー :島谷ひとみのギター伴奏。
平安隆 :「紅白RING SHOW」の三線 伴奏。
西石垣光広 :同上の太鼓伴奏。
慶田盛大介 :同上の指笛伴奏。
宮川泰 :エンディング「蛍の光 」で指揮担当。
裏番組「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 」(TBS 系)でのボブ・サップ VS曙 の関東地区における瞬間視聴率が、紅白開始時1分間の例外を除けば調査開始以来初めて紅白歌合戦の瞬間視聴率を4分間上回った(この時に紅白で出ていたのは長渕剛であった)。「K-1」は瞬間最高視聴率で43.0%(関東地区、ビデオリサーチ 調べ)を記録した[21] 。なお、関西地区では3分間、名古屋地区では2分間、「K-1」の瞬間視聴率が紅白歌合戦を上回っている[22] 。
さらに見る 時刻, 紅白 ...
時刻 紅白 K-1 差
22時59分 43.0% 33.1% 9.1%
23時00分 37.8% 38.7% -0.9%
23時01分 35.8% 42.4% -6.6%
23時02分 35.5% 43.0% -7.5%
23時03分 35.8% 42.0% -6.2%
23時04分 44.7% 23.5% 21.2%
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注釈
第37回では、出場歌手+NHKアナウンサーによる両組司会だった。
膳場はここ2年間、有働に並ぶ紅組司会の候補とマスコミに報じられていた。
翌1991年 12月の『音楽達人倶楽部 』には出演した。
紅白のトリは元々「ソロ歌手でなくてはいけない」との慣例があり、過去には第43回 (1992年 )にて紅組トリに由紀さおり ・安田祥子 、白組トリおよび大トリに同回で解散のステージとなっていたチェッカーズ と紅・白共にグループを起用する構想が挙がっていたが、この慣例があったために双方共に見送りとなった経緯がある(紅組トリに関しては、由紀が単独出場してトリで歌唱し、安田が舞台裏でコーラスをするという形となった)。今回のSMAPの事例を機に以後、グループのトリ起用も普通に行われていくようになるが、2021年までに紅組でソロ歌手以外でトリを務めたのはDREAMS COME TRUE といきものがかり のみで、女性のみで構成されるグループ(乃木坂46 をはじめとする坂道シリーズなど)のトリは未だ実現していない。
18:40 - 18:45は『NHKプレマップ』、18:45 - 18:59:55はローカルニュース、18:59:55 - 19:30は『NHKニュース7 』。
紅組司会については、有働と膳場の同僚で今回まで3年連続でラジオ実況を担当した小野に交代。なお当初は有働が続投する予定だったが、同年起こったNHKの不祥事により当時NHK会長の海老沢の肝煎りだった有働の起用案が流れ、有働の後輩である小野に変更となったとの報道もある。
総合司会については、武内の先輩である堀尾正明 に交代(なお、武内は翌年産休入りした)。
アメリカ総局勤務時代の第59回 (2008年 )にはアイルランド から中継出演したエンヤ のリポート・曲紹介を担当。第63回の総合司会に決まった直後、「この9年間、大晦日 は毎年紅白を視聴し『進行が遅れている』等と思いながら観ていたこともあった」と語っている(『女性セブン 』2013年1月1日号でのインタビュー)。
出典
2003年12月30日 日刊スポーツ 芸能面 など各紙芸能面より
“野鳥の会”紅白落選! 、スポニチアネックス、2003年12月26日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
はなわ&テツトモが合体 、スポニチアネックス、2003年12月18日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)