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日本の漫画家、イラストレーター (1937-2024) ウィキペディアから
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月20日 - 2024年〈令和6年〉9月30日)は、日本の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。 タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。東京市目黒区出身。
山藤が「週刊朝日」の仕事に関わるようになったのは1972年からであるが、初の仕事は表紙イラストであった。しかし、山藤の表紙イラストは読者から不評で、1974年の6月限りで終了の憂き目に遭う。とはいえ一方で惜しむ声もあったため、巻末ページにイラストを持っていくという形で継続された。「ブラック・アングル」の本連載開始が1976年となったのは、胃炎のために1年延びたからである(テスト連載は1974年からスタートし、同年末で終了)。以降、山藤は「週刊誌を裏から開かせる男」という呼び名を奉られることになる。
「ブラック・アングル」の特徴はイラストを黒枠で囲んだ点にあるが、テスト連載時代は赤色などで囲んでいた事もあった。初期は野坂昭如から批判めいた手紙が届いたり、王貞治が「バットで頭を叩き割ってやる」といきり立っていたという噂を聞かされたりした。
山藤は、夕刊紙『夕刊フジ』(産経新聞社)の百回連載エッセーのイラストをしばしば担当した。作家やエッセーストなどが100回前後、原稿用紙3枚程度の文章を書く欄であり、山藤は毎回、本文に関連して工夫をこらしたイラストをつけた。
4か月間休む暇もないハードな仕事であり、当初、依頼に対しては返事を渋った。しかし、文化部から、それ以前に『週刊文春』で行った野坂昭如との競作『エロトピア』の調子で願いたいとの話を受け、(方向性が見えたため)引き受けることにしたという(『食わせろ!!』講談社 1986年(景山民夫との共著)による)。
1980年の中島梓「にんげん動物園」以降は、山藤が相手の作家を指名している。
組んだ相手の作家(等)、タイトル、連載年その他は以下の通りである。
なお、1976年1月に刊行された丸谷才一『男のポケット』(新潮社)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは和田誠が担当している。また、1977年に刊行された田辺聖子『ラーメン煮えたもご存じない』(新潮社)も、夕刊フジに101回を超えて連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは高橋孟が担当している。また、1981年12月に刊行された阿佐田哲也『ぎゃんぶる百華』(角川書店)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは黒鉄ヒロシが担当している。また、1982年1月に刊行された小林信彦『笑学百科』(新潮社)も、夕刊フジに101回連載されたコラムをまとめたものだが、イラストは峰岸達が担当している。
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