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日本の俳優 (1944-) ウィキペディアから
高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年〈昭和19年〉2月10日[1] - )は、日本の俳優[1]、タレント、司会者、会社役員。千葉県木更津市出身。身長181cm、体重80kg、血液型はB型[1]。所属事務所はアイウエオ企画を経て、2019年2月1日から長女の真麻と共にグレープカンパニーに所属[2]。また、アイウエオ企画の取締役も兼任。愛称は、ナイスガイ。この愛称は、1962年に『週刊平凡』誌上で公募を行った上で決定された(応募総数14,532通のうち3,826通と圧倒的多数を占めたのが「ナイスガイ」だった)[3]。
たかはし ひでき 高橋 英樹 | |||||
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『近代映画』1962年6月号臨時増刊号より | |||||
生年月日 | 1944年2月10日(80歳) | ||||
出生地 | 日本・千葉県木更津市 | ||||
身長 | 181 cm | ||||
血液型 | B型 | ||||
職業 | 俳優・タレント・司会者・会社役員 | ||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||
活動期間 | 1961年 - | ||||
活動内容 |
1961年:『高原児』 1962年:『激流に生きる男』 1963年:『男の紋章』 1968年:時代劇初出演 1971年:『おらんだ左近事件帖』 1972年:『隼人が来る』 1973年:『国盗り物語』 1973年:『宮本武蔵』 1976年:『桃太郎侍』 1982年:『遠山の金さん』 1987年:『三匹が斬る!』 1991年:『次郎長三国志』 1998年:『影武者徳川家康』 2001年:『街の医者・神山治郎』シリーズ 2008年:『篤姫』 2011年:芸能生活50周年 | ||||
配偶者 | 小林亜紀子(1974年 - ) | ||||
著名な家族 | 高橋真麻(長女) | ||||
事務所 |
(アイウエオ企画→) グレープカンパニー | ||||
公式サイト | プロフィール | ||||
主な作品 | |||||
映画『上を向いて歩こう』 『星の瞳を持つ男』/『青い山脈』 『エデンの海』/『伊豆の踊り子』 『男の紋章シリーズ』 /『刺青一代』 『けんかえれじい』/『夢は夜ひらく』 『戦争と人間 第一部 運命の序曲』 『戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河』 『宮本武蔵』/『狼よ落日を斬れ』 テレビドラマ 『竜馬がゆく』/『鞍馬天狗』 『隼人が来る』/『おらんだ左近事件帖』 『国盗り物語』/『編笠十兵衛』 『桃太郎侍』/『花神』 『遠山の金さん』/『三匹が斬る!シリーズ』 『高橋英樹の船長シリーズ』 『西村京太郎トラベルミステリー』 『篤姫』/『坂の上の雲』 『リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜』 | |||||
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父親は教職者で、高校の校長を務めた[4][5]。9歳、8歳上の姉と6歳上の兄がいる[6]。
船橋市立二宮小学校、千葉市立検見川小学校、千葉市立緑町中学校を経て、私立市川高等学校入学[6]。
1961年、高校在学中に日活ニューフェース第5期として日活株式会社に入社。第5期の同期には、中尾彬や竜崎勝がいる。同年の映画『高原児』に端役でデビュー[7]。
1962年(昭和37年)、撮影所内で事故死した赤木圭一郎の代役的存在として、デビューから2作品目の『真昼の誘拐』で主要キャストに加わり[8]、『激流に生きる男』で初の主役を与えられた[8]。同年に日本大学芸術学部入学(翌年に中退[4])。
1963年(昭和38年)、その後代表作と言えるような作品に当たらなかったが[8]、『伊豆の踊子』では吉永小百合の相手役を務める。この年から『男の紋章』に始まる『男の紋章シリーズ』などの任侠映画の主演スターとして活躍するようになった[7]。以降日活退社まで出演作はほとんどが任侠モノとなった。
1966年(昭和41年)には青春映画『けんかえれじい』の主役・南部麒六を演じた。
1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太役でテレビドラマ初出演。同時に時代劇に初出演する[8]。その後、1969年の『鞍馬天狗』(NHK)や1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)にも出演し、時代劇俳優としての地位を確立する[8]。
その一方で映画界の斜陽、観客数減少に歯止めがかからず、日活は1971年(昭和46年)秋に低予算のポルノ映画制作に路線変更が決定する。当時、唯一の黒字会社だった東映岡田茂社長が[9]、"映画スター乗っ取り"を目論み[9]、熱心に東映に引き抜こうとしたのが英樹と渡哲也、関根恵子の3人だったが[9]、これには応じず、英樹は日活を離れ、本格的にテレビへ活躍の場を移す[8]。
1973年(昭和48年)、第11回ゴールデン・アロー賞大賞を受賞。同年、松竹作品の映画『宮本武蔵』(監督:加藤泰)に出演。以降も『狼よ落日を斬れ』では出演したが、1976年(昭和51年)以降は映画から離れた。
1976年(昭和51年)の『桃太郎侍』(日本テレビ系)、1982年(昭和57年)の『遠山の金さん』(テレビ朝日系)1987年(昭和62年)からは『三匹が斬る!』(テレビ朝日系)に出演し、いずれも代表作の1つとなった。
その後はテレビ・舞台を中心に活動し、時代劇のみならず現代劇作品やバラエティ番組への出演など多岐にわたる。
2010年(平成22年)6月に、総務省から「地デジ化応援隊」隊員のメンバーに選ばれ、他のメンバー5人[注釈 1]とともに、アナログテレビジョン放送終了までの1年間、アナログ放送終了に向け、地デジへの切り替えを呼び掛けた。
2011年(平成23年)、芸能生活50周年の節目にアニメーション作品『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』で、ポケモン・ゼクロム役としてアニメの声優を初担当[10]。同時に、声の出演ながら36年ぶりに映画に復帰することともなった[11]。
2012年(平成24年)4月、神奈川県横浜市に本社を置くブリーズベイホテルの名誉支配人に就任。
2013年(平成25年)3月16日、東京都台東区立浅草公会堂で行われた『第29回浅草芸能大賞授賞式』および『第30回浅草名人会』並びに平成24年度『スターの手型』顕彰式に出席。第29回浅草演芸大賞・大賞を受賞[12]。
2014年(平成25年)1月2日にテレビ東京で放送された新春ワイド時代劇『影武者徳川家康』で石田三成の家臣、島左近役で出演[13]。英樹は1998年(平成10年)4月 - 7月、テレビ朝日で同作品が連続ドラマとして放送された際、主人公である徳川家康と世良田二郎三郎の二役を演じている。ちなみにこの時の島左近役は寺田農だった[14]。
2019年1月31日付で娘の真麻と共にアイウエオ企画によるマネジメント契約を終了、翌2月1日よりグレープカンパニーに移籍。移籍の理由として「真麻の結婚を機に私達二人の仕事の面倒をずっと見てくれていた奥さんに好きな事ができる時間を少しプレゼントしようと言う事になりました」と明かしている[15]。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太を演じる。これが初の時代劇出演となり、以後多くの作品で起用される。特に司馬原作の作品では重要な役柄を演じており、司馬の存命中に大河ドラマとなった作品にはすべて出演している。
その後大河ドラマでは、1973年(昭和48年)の『国盗り物語』では織田信長を演じている(他の作品を含めて織田信長役について詳しくは後述)。1977年(昭和52年)の『花神』では司馬の肝煎りで河井継之助を、1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』では島津久光を演して芸域を広げている。また、2005年の宮尾登美子原作『義経』では奥州藤原氏の当主藤原秀衡を演じ、2008年の同じく宮尾登美子原作『篤姫』では久光の兄島津斉彬を演じた。2015年の『花燃ゆ』では、島津斉彬と次期将軍問題で対立していた井伊直弼を演じる。
先述の1973年の『国盗り物語』ではストーリー後半の主役である織田信長を演じ、当たり役となる。「自分は信長の生まれかわり」、「信長を演じる時は、台詞を覚えなくても自然と出てくる時がある」と公言するほど入れこみ、信長役が自らにとってターニングポイントだった事を認めている[16]。
『国盗り物語』の後、しばらくは英樹に信長の強烈なイメージがついてまわり、イメージの払拭、また様々な経験を積むため、しばらくの間は数多く寄せられた信長役での出演依頼を断っていた。しかし、19年を経た1992年(平成4年)の正月時代劇『戦国最後の勝利者・徳川家康』(テレビ朝日系)で信長役のオファーを受け、1994年(平成6年)にはテレビ東京系『12時間超ワイドドラマ 織田信長』に出演、年輪を重ねたうえでの新たな信長像に挑んでいる。
それまでに任侠映画には多く出演したが、映画では1970年に『土忍記 風の天狗』に出演して時代劇初出演、民放では数々の時代劇に出演。1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)を皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立する。
『桃太郎侍』では主役を務めるも、当初の設定は「基本的に人を斬らず、諭して改心させる」というもので、長屋の喧嘩を諌めるような人情話もあり、放映当初の視聴率は芳しくなかった。ある日主題歌を歌っていた三波春夫とゴルフをしていた際、三波から「桃太郎、お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと。高橋さんはお派手がお似合いですよ。」と言われた。これをきっかけに、英樹の提案でそれまで原作に沿った“峰打ち”だったものを、大人数を斬り捨てる派手な殺陣に変え、クライマックスの衣装を黒の着流しから三波ばりの絵柄の入った派手なものにした。さらに登場の際には般若の面を被り、高倉健の任侠映画からヒントを得て[17]「ひとつ、人の世の生き血を啜り…」と、殺陣のさなかに口上を述べるように変えたところ、人気が急上昇し、その後番組は5年間にわたり継続された。
『遠山の金さん』では、「刀を持たない町人(に扮した遠山金四郎)の武器」として、濡らした手拭いを使った殺陣が人気となった。また『三匹が斬る!』では、役所広司、春風亭小朝とのコンビネーションが人気となり、1995年(平成7年)まで7シリーズが制作されている。英樹は6作目まで、リーダー格の「矢坂平四郎」役を演じた。
テレビ東京系の正月恒例の新春ワイド時代劇では、同番組の前身である『12時間超ワイドドラマ』と銘うたれていた1991年に『次郎長三国志』で初めて主演、1994年(平成6年)に上記の信長で再び出演している。
その後、2007年(平成19年)『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』では柳沢吉保を、また2009年(平成21年)には『寧々〜おんな太閤記』で徳川家康、さらに2010年(平成22年)には『柳生武芸帳』で柳生宗矩を演じている。
1973年(昭和48年)の『ぶらり信兵衛 道場破り』(原作・山本周五郎、フジテレビ系)のような軽妙な人情劇や、近年では2004年(平成16年)〜2007年(平成19年)の『慶次郎縁側日記』(NHK)など、殺陣よりも人間ドラマや推理劇をメインとした作品にも出演。
2009年(平成21年)には『坂の上の雲』でも児玉源太郎役を、また、2012年(平成24年)2月19日放送の『必殺仕事人2012』(ABC - テレビ朝日系)では人生初の悪役を演じるなど[18]、近年は主演以外でも活躍している。
一方で、既存の時代劇に懐疑的・批判的な一面もあり、「それなりのキャリアを積んだからといって “黄門様” になろうとは思わない」とも発言している。
現代劇作品にも、1968年(昭和43年)の『かみなり三代』(日本テレビ系)以降、1974年(昭和49年)の『6羽のかもめ』(フジテレビ系)、1979年(昭和54年)〜1981年(昭和56年)の『判決』(テレビ朝日系)など、時代劇作品と並行して数多く出演を続けており、近年は2時間サスペンスにも出演している。
2時間ドラマでは、特に1990年(平成2年)に初めて演じた西村京太郎作品の十津川警部役が知られている。2000年(平成12年)からはそれまでテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で十津川を演じていた三橋達也から役を引き継いた[注釈 2]。毎年新作が制作され、十津川を演じた本数は交代後33作に達している《2016年(平成28年)末現在》。
1986年の『ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』へのレギュラー出演以来、様々なバラエティ番組やトーク番組にレギュラーまたはゲストとして出演している。きっかけの一つは、一人娘の真麻が小学生だった当時『とんねるずのみなさんのおかげです』の大ファンだったことから当番組のコントに出演した。また、当時自分の出演していた時代劇のポスターを見ていた小学生の子どもが発した「このおじさん、誰だろう?」また道を歩いていた時に女子高生から「今の人誰だっけ?」との言葉もきっかけだと語っている[4]。
上記のとんねるずの番組のコントでは、シャネルやルイ・ヴィトンの柄をあしらったスーツを着た嫌味な大物俳優を演じている。英樹自身もこの「ステレオタイプな大物俳優のパロディ」というコミカルな役どころを嬉々として演じたという。当時『とんねるずのオールナイトニッポン』で語られたところによると、その返礼として、とんねるずから真麻宛の「サイン色紙」が届けられたという。後年、真麻がフジテレビアナウンサーとなって以降は、番組のコーナーレギュラーに起用(「きたなトラン」や「モジモジ君HYPER」など)され、高橋親子との交友は続いている。
また、真麻が中学生の頃、SMAPの中居正広のファンになり、クラスで人気だったSMAPと父との共演を望み「どうしてパパはSMAPと共演できないの?」と言われた。これに奮起した英樹は自らABCのスタッフと出演交渉し、1995年(平成7年)に『キスした?SMAP』にゲスト出演している(7月8日放送分。ただし、この回に中居は出演していなかった)[4]。
下戸のため酒は嗜まず、酒の代わりにカルピスを飲んでいたが[19]、日活の若手スターとして活躍していた頃から、月20日間は銀座のクラブや京都に通い、石原裕次郎、小林旭といった先輩俳優にならって、後輩たちに奢りまくっていた。しかし、そうした「スター然」とした放蕩三昧の生活で、飲み代の支払いは全て「ツケ」で会社からの前借りを繰り返し、20代にして借金が当時の金額で3500万円ほどに膨れ上がっていた[注釈 3]。英樹は結婚後にこの事実を知るが、妻や妻の両親・家族は「借金も財産、信用のうち」とこれを寛大に受け入れる。その後、英樹は夜遊びをやめ、年間70本に及ぶテレビの仕事をこなし、2-6年ほどでこの借金を完済している[21][22]。
2003年(平成15年)7月〜9月に放送された『趣味悠々 鶴太郎流墨彩画塾』(NHK Eテレ)へ出演し、講師の片岡鶴太郎から手ほどきを受けた事をきっかけに日本画と書道を始め[23]、各所で個展を開催、自身の公式サイトでも書道作品の一部を公開している[24]。
若い頃は虚弱で、風邪をひきやすかった。当初は乾布摩擦を励行していたが、ある日、本で読んだ「たわしで身体を擦る」という健康法に興味を持ち、これを取り入れている。身体前面は自らが、背中は付き人に擦らせている。それが済むと、今度は両手で顔を思い切り100回ほど叩いて刺激を与えている。以来「亀の子たわし」を愛用し、仕事に入る直前には「気合を入れる」「1回血液を全身に廻らせて新たな役作りに入る」という意味合いで、この健康法を30年以上続けており、すっかり風邪をひかなくなったと語っている[25]。
一方で、テレビドラマでは『船長シリーズ』(土曜ワイド劇場)などで鉄道連絡船や長距離フェリーといった大型旅客船の船長役を演じているが、英樹自身は海上の乗り物に弱く、船酔いしやすい[26]。また、毎年春先になると、花粉症に悩まされるとのこと[27]。
59歳の頃には原因不明の“めまい”の症状に襲われ、以来しばらくの間、病院からテレビ局に直行するという生活を余儀なくされている。そんな時に出会ったのが同年代の芸術家である、宮崎県在住のガラス作家、黒木国昭と洋画家でフレスコ画の国内第一人者である絹谷幸二で、二人の制作現場を見せてもらう機会があり、そこで間近に作品に取り組む強いエネルギーに接する中で、いつしか症状も和らいでいったという。以来「海外旅行先でも真っ先に訪れるのは美術館。エネルギーをもらいに。」と語るほど、絵画や美術作品を愛好している[28]。
雑誌歴史人に、「高橋英樹の歴史通」を掲載しており、それらをまとめたものが、「高橋英樹のおもしろ日本史」として、出版される[29][30]。この本により、第2回野村胡堂文学賞特別賞を受賞する[31]。
浅丘ルリ子からはデビュー当時から公私にわたって面倒を見てもらい、撮影所からも近い調布市の浅丘宅に浅丘不在時にも頻繁に出入りし、浅丘の母親に作ってもらったり、ほぼ下宿状態であった、このことから浅丘には今でも頭が上がらないとのことである[36]。ちなみに『高原児』で浅丘と共演した時は、英樹は弟役にも関わらず、浅丘に「お兄さん役だと思った」と言われている[37]。
『男の紋章』への出演が決まった高橋は18歳の頃から一時、所属事務所の先輩女優である淡島千景と舞台作品で数多くの相手役を演じた二代目 尾上松緑の門弟となる。そこで1年のほぼ半分を松緑一座の舞台で「時代もの」を演じるための着付けや所作、基本動作、日本舞踊など基礎を徹底的に学んでいる[38]。
ちなみに二代目 尾上松緑は、第一回大河ドラマ『花の生涯』で主人公・井伊直弼を演じており、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』では英樹が同じく井伊直弼を演じている。師匠と同じ役を演じる事について英樹は、「非常に感慨深い」と語っている[39]。
公開年 | 年齢 | 作品名 | 制作(配給) | 備考 |
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1961年(昭和36年) | 17歳 | 高原児 | 日活映画 | |
真昼の誘拐 | 日活映画 | |||
ママ恋人がほしいの | 日活映画 | |||
どじょっこの歌 | 日活映画 | |||
1962年(昭和37年) | 18歳 | ひとつのいのち | 日活映画 | |
上を向いて歩こう | 日活映画 | |||
激流に生きる男 | 日活映画 | [注釈 5] | ||
若者に夢あり | 日活映画 | |||
若くて悪くて凄いこいつら | 日活映画 | |||
激しい河 | 日活映画 | |||
ひとりぽっちの二人だが | 日活映画 | |||
星の瞳を持つ男 | 日活映画 | |||
1963年(昭和38年) | 19歳 | 霧の夜の男 | 日活映画 | |
青い山脈 | 日活映画 | |||
海の鷹 | 日活映画 | |||
さすらいのトランペット | 日活映画 | |||
エデンの海 | 日活映画 | |||
アカシアの雨がやむとき | 日活映画 | |||
伊豆の踊り子 | 日活映画 | |||
男の紋章 | 日活映画 | |||
狼の王子 | 日活映画 | |||
続 男の紋章 | 日活映画 | |||
男の紋章 風雲双つ竜 | 日活映画 | |||
雨の中に消えて | 日活映画 | |||
1964年(昭和39年) | 20歳 | こんにちは20歳 | 日活映画 | |
人生劇場 | 日活映画 | |||
抜き射ちの竜 拳銃の歌 | 日活映画 | |||
何処へ | 日活映画 | |||
新 男の紋章 度胸一番 | 日活映画 | |||
帰郷 | 日活映画 | |||
俺たちの血が許さない | 日活映画 | |||
男の紋章 花と長脇差 | 日活映画 | |||
男の紋章 喧嘩状 | 日活映画 | |||
1965年(昭和40年) | 21歳 | 拳銃野郎 | 日活映画 | |
男の紋章 喧嘩街道 | 日活映画 | |||
涙をありがとう | 日活映画 | |||
渡世一代 | 日活映画 | |||
流転の掟 | 日活映画 | |||
秩父水滸伝 必殺剣 | 日活映画 | |||
男の紋章 俺は斬る | 日活映画 | |||
刺青一代 | 日活映画 | |||
殴りこみ関東政 | 日活映画 | |||
1966年(昭和41年) | 22歳 | 男の紋章 竜虎無情 | 日活映画 | |
鉄火場仁義 | 日活映画 | |||
日本仁侠伝 血祭り喧嘩状 | 日活映画 | |||
任侠八方破れ | 日活映画 | |||
日本任侠伝 花の渡世人 | 日活映画 | |||
殺るかやられるか | 日活映画 | |||
けんかえれじい | 日活映画 | |||
新遊侠伝 | 日活映画 | |||
1967年(昭和42年) | 23歳 | 夢は夜ひらく | 日活映画 | |
新・男の紋章 若親分誕生 | 日活映画 | |||
秩父水滸伝 影を斬る剣 | 日活映画 | |||
燃える雲 | 日活映画 | |||
関東も広うござんす | 日活映画 | |||
対決 | 日活映画 | |||
爆破3秒前 | 日活映画 | |||
関東刑務所帰り | 日活映画 | |||
君は恋人 | 日活映画 | |||
血斗 | 日活映画 | |||
1968年(昭和43年) | 24歳 | 遊侠三国志 鉄火の花道 | 日活映画 | |
残侠無情 | 日活映画 | |||
明治血風邪録 鷹と狼 | 日活映画 | |||
昭和のいのち | 日活映画 | |||
嵐の果し状 | 日活映画 | |||
鮮血の賭場 | 日活映画 | |||
三匹の悪党 | 日活映画 | |||
1969年(昭和44年) | 25歳 | 地獄の破門状 | 日活映画 | |
代紋 男で死にたい | 日活映画 | |||
さくら盃 義兄弟 | ニューセンチュリー映画 | |||
昇り竜 鉄火肌 | 日活映画 | |||
年上の女 | 日活映画 | |||
博徒百人 | 日活映画 | |||
代紋 地獄の盃 | 日活映画 | |||
日本残侠伝 | 日活映画 | |||
さくら盃 任侠 | ニューセンチュリー映画 | |||
博徒百人 任侠道 | 日活映画 | |||
荒い海 | 日活映画 | |||
侠花列伝 襲名賭博 | 日活映画 | |||
刺客列伝 | 日活映画 | |||
喧嘩博徒 地獄の花道 | 日活映画 | |||
1970年(昭和45年) | 26歳 | 牡丹と竜 | 日活映画 | |
あばれ丁半 | 日活映画 | |||
戦争と人間 第一部 運命の序曲 | 日活映画 | |||
土忍記 風の天狗 | 日活映画 | |||
1971年(昭和46年) | 27歳 | 渡世人 命の捨て場 | 日活映画 | |
逆縁三つ盃 | 日活映画 | |||
戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河 | 日活映画 | |||
1972年(昭和47年) | 28歳 | 人生劇場 青春愛欲残侠篇 | 松竹映画 | |
1973年(昭和48年) | 29歳 | 宮本武蔵 | 松竹映画 | |
戦争と人間 完結篇 | 日活映画 | |||
1974年(昭和49年) | 30歳 | 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒涛篇 | 松竹映画 | |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 昭和枯れすすき | 松竹映画 | |
1988年(昭和63年) | 44歳 | アナザー・ウェイ ―D機関情報― | タキエンタープライズ映画 | |
2006年(平成18年) | 62歳 | シャーロットのおくりもの | UIP映画 | 馬のアイク役(日本語吹き替え) |
2011年(平成23年) | 67歳 | 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム | 東宝映画 | ゼクロム役(声の出演) |
2017年(平成29年) | 73歳 | ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜 | ワーナー・ブラザース映画 | 志島一心 / ハートランド王役(声の出演) |
公開年 | 年齢 | 作品名 | 舞台名 |
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1968年(昭和43年) | 24歳 | 花の生涯 | 明治座 |
1970年(昭和45年) | 26歳 | 散りぬるを | 明治座 |
1970年(昭和45年) | 26歳 | 浅間追分 | 明治座 |
1971年(昭和46年) | 27歳 | 旅姿鼠小僧 | 南座 |
1971年(昭和46年) | 27歳 | 京の蛍火 | 南座 |
1971年(昭和46年) | 27歳 | 燃えるみちのく | 明治座 |
1971年(昭和46年) | 27歳 | つばくろは帰る | 明治座 |
1971年(昭和46年) | 27歳 | 京の蛍火 | 明治座 |
1972年(昭和47年) | 28歳 | 尾張のつむじ風 | 南座 |
1972年(昭和47年) | 28歳 | 月夜鴉 | 南座 |
1972年(昭和47年) | 28歳 | いろは匂へど | 明治座 |
1972年(昭和47年) | 28歳 | 鞍馬天狗 | 明治座 |
1973年(昭和48年) | 29歳 | 織田信長 | 明治座 |
1973年(昭和48年) | 29歳 | 瞼の母 | 明治座 |
1973年(昭和48年) | 29歳 | 浪花女 | 明治座 |
1974年(昭和49年) | 30歳 | 小袖源氏 | 明治座 |
1974年(昭和49年) | 30歳 | しぐれ茶屋おりく | 明治座 |
1974年(昭和49年) | 30歳 | 秋風三国峠 | 明治座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 織田信長 | 新歌舞伎座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 笛吹き銀次郎 | 新歌舞伎座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 京の蛍火 | 新歌舞伎座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | みちのく戦記 | 明治座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 月形半平太 | 明治座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | 通天閣界隈 | 明治座 |
1975年(昭和50年) | 31歳 | あばれ狼 | 明治座 |
1976年(昭和51年) | 32歳 | 武蔵坊弁慶 | 新歌舞伎座 |
1976年(昭和51年) | 32歳 | 花と龍 | 新歌舞伎座 |
1977年(昭和52年) | 33歳 | 真田太平記 | 明治座 |
1977年(昭和52年) | 33歳 | 花と龍 | 明治座 |
1977年(昭和52年) | 33歳 | 秋色おどり絵巻 | 明治座 |
1978年(昭和53年) | 34歳 | 織田信長 | 御園座 |
1978年(昭和53年) | 34歳 | 花と龍 | 御園座 |
1978年(昭和53年) | 34歳 | 宮本武蔵〜千本杉の巻〜 | 明治座 |
1978年(昭和53年) | 34歳 | 鬼平犯科帳 狐火 | 明治座 |
1978年(昭和53年) | 34歳 | 秋色おどり絵巻〜舞踏劇〜桃太郎侍 | 明治座 |
1979年(昭和54年) | 35歳 | 真田太平記 | 御園座 |
1979年(昭和54年) | 35歳 | 月形半平太 | 御園座 |
1979年(昭和54年) | 35歳 | 宮本武蔵〜般若野の巻〜蓮台寺野の巻 | 明治座 |
1979年(昭和54年) | 35歳 | 男の紋章 | 明治座 |
1979年(昭和54年) | 35歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
1980年(昭和55年) | 36歳 | 武田信玄 | 明治座 |
1980年(昭和55年) | 36歳 | 人生劇場 | 明治座 |
1980年(昭和55年) | 36歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
1981年(昭和56年) | 37歳 | 雪燃える | 明治座 |
1981年(昭和56年) | 37歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
1982年(昭和57年) | 38歳 | 藍染川 | 明治座 |
1982年(昭和57年) | 38歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
1983年(昭和58年) | 39歳 | 武蔵坊弁慶 | 明治座 |
1983年(昭和58年) | 39歳 | 遠山の金さん | 明治座 |
1984年(昭和59年) | 40歳 | 伊達の十郎左 | 明治座 |
1984年(昭和59年) | 40歳 | 遠山の金さん〜江戸の母子草〜 | 明治座 |
1984年(昭和59年) | 40歳 | 遠山の金さん〜江戸の母子草〜 | 明治座 |
1985年(昭和60年) | 41歳 | 江戸育ち〜源太郎ぶし | 明治座 |
1985年(昭和60年) | 41歳 | 遠山の金さん〜琉球恨み花〜 | 明治座 |
1985年(昭和60年) | 41歳 | 武田信玄 | 明治座 |
1985年(昭和60年) | 41歳 | 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 | 明治座 |
1985年(昭和60年) | 41歳 | エピローグ 秋 愛の詩 | 明治座 |
1986年(昭和61年) | 42歳 | 細川忠興 愛と哀しみの連舞 | 明治座 |
1986年(昭和61年) | 42歳 | 遠山の金さん〜敵討紅葉加賀染〜 | 明治座 |
1986年(昭和61年) | 42歳 | エピローグ 川 春秋 | 明治座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | 武田信玄 | 新歌舞伎座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵 | 新歌舞伎座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | 舞踏伊達男五月晴れ | 新歌舞伎座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | 国盗り物語 | 明治座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | 遠山の金さん〜伊勢写遠山日記〜 | 明治座 |
1987年(昭和62年) | 43歳 | エピローグ 秋燈記 | 明治座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | 男の紋章 | 新歌舞伎座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | 遠山の金さん〜琉球恨み花〜 | 新歌舞伎座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | オンステージ さつきに詩う | 新歌舞伎座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | 熊谷直実〜16年は夢のまた夢〜 | 明治座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | 遠山の金さん〜晴舞台遠山策略〜 | 明治座 |
1988年(昭和63年) | 44歳 | エピローグ 秋想譜 | 明治座 |
1989年(平成元年) | 45歳 | 花と龍 | 新歌舞伎座 |
1989年(平成元年) | 45歳 | 遠山の金さん〜晴舞台遠山策略〜 | 新歌舞伎座 |
1989年(平成元年) | 45歳 | オンステージ やよいに詩う | 新歌舞伎座 |
1989年(平成元年) | 45歳 | 北の風物語 | 明治座 |
1990年(平成2年) | 46歳 | 伊達の十郎左 | 新歌舞伎座 |
1990年(平成2年) | 46歳 | オンステージ やよいに詩う | 新歌舞伎座 |
1990年(平成2年) | 46歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
1990年(平成2年) | 46歳 | 桃太郎侍 | 中日劇場 |
1991年(平成3年) | 47歳 | 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 | 巡業 |
1991年(平成3年) | 47歳 | エピローグ 夏祭花の賑〜 | 巡業 |
1992年(平成4年) | 48歳 | 桃太郎侍 | 梅田コマ |
1992年(平成4年) | 48歳 | 遠山の金さん〜天保おんな忠臣蔵〜 | 中日劇場 |
1993年(平成5年) | 49歳 | あした吹く風 | 明治座 |
1993年(平成5年) | 49歳 | 帰って来た桃太郎侍 | 劇場飛天 |
1994年(平成6年) | 50歳 | ぶらり信兵衛〜紫陽花の唄〜 | 明治座 |
1994年(平成6年) | 50歳 | あした吹く風 | 中日劇場 |
1995年(平成7年) | 51歳 | 風流夢大名 | 明治座 |
1996年(平成8年) | 52歳 | 雪の夢 華のゆめ | 明治座 |
1997年(平成9年) | 53歳 | 桃太郎侍〜夢の子守唄が聞こえる〜 | 明治座 |
1997年(平成9年) | 53歳 | 風流夢大名 | 劇場飛天 |
1998年(平成10年) | 54歳 | 風流夢大名 | 明治座 |
1999年(平成11年) | 55歳 | 桃太郎侍〜夢の子守唄が聞こえる〜 | 松竹座 |
1999年(平成11年) | 55歳 | 天翔ける夢〜長州を破った男〜 | 明治座 |
2000年(平成12年) | 56歳 | 男の紋章 | 明治座 |
2000年(平成12年) | 56歳 | 桃太郎侍 | 明治座 |
2001年(平成13年) | 57歳 | いのち燃ゆるとき〜開化のおんなたち〜 | 明治座 |
2005年(平成17年) | 61歳 | 恋ぶみ屋一葉 | 新橋演舞場 |
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