6羽のかもめ

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6羽のかもめ』(ろくわのかもめ)は1974年10月5日から1975年3月29日までフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。全26回。原案は倉本聰。実際におきているテレビ業界の裏側を痛烈に風刺したドラマ作品。

概要 ジャンル, 脚本 ...
6羽のかもめ
ジャンル テレビドラマ
脚本 石川俊子倉本聰
高際和雄
宮川一郎
斎藤憐
土橋成男
演出 富永卓二
大野三郎
出演者 淡島千景
高橋英樹
加東大介
長門裕之
山﨑努 ほか
オープニング 加藤登紀子「かもめ挽歌」
国・地域 日本
言語 日本語
製作
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
放送国・地域 日本
放送期間1974年10月5日 - 1975年3月29日
放送時間土曜 22:00 - 22:55
放送枠土曜劇場
放送分55分
回数26回
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概要

300人もの団員を抱える劇団であった劇団かもめ座の団員大量脱退により、6人に減ってしまったそのメンバー達が、芸能社会で悪戦苦闘しながらも生き残っていこうとするストーリー。本放送時キャッチコピーは「悲しいコメディ」。

テレビ業界や芸能界の内幕を描いた作品で、同業界内で話題騒然となり、最終回『さらばテレビジョン』では、国民の白痴化を防ぐために政府がテレビ禁止令を出すという劇中劇がメイン。クライマックスでは、放送作家(山崎努)がカメラに向かってテレビへの愛情と失望を叫ぶ。「テレビの仕事をしていたくせに、テレビを本気で愛さなかったあんた!テレビを金儲けとしか考えなかったあんた! テレビを決して懐かしんではいけない。懐かしむ資格のある者はテレビを愛し、戦ったことのあるヤツ。それから視聴者、楽しんでいた人たちだけだ」。この場面は、テレビ業界が視聴率競争に明け暮れるあまり番組の質が低下し俗悪化するという、テレビメディアが抱える病根を鋭く指摘した名シーンとして今もなお人気が高い作品。

原案は倉本聰。NHK大河ドラマ『勝海舟』を巡るトラブルによるテレビメディア不信がもとになっている。札幌市に転居後、偽名で発表した[1]

低視聴率に終わったが、テレビ業界や芸能界の内幕を描き、同業界内で話題となった。放送終了後の1977年には、本作品のスタッフおよび出演者にエランドール賞特別賞が授与された。

高橋英樹の現代劇での連続テレビドラマ初出演作品。また、加東大介の遺作でもある。加東は本作の撮影中に体調を崩して入院したが、医師から許可を得て病院から番組収録に通った。しかし、それは家族やマネージャーの山崎洋子が加東の余命が短いことを知らされ、最後の仕事をさせたいと医師に頼みこんで実現したものだった。

本作でテレビ局の制作局長を演じる中条静夫は、それまでと異なるコミカルな役柄に挑戦し話題となった。

スタッフ

  • 脚本:石川俊子(=倉本聰)(第1回~第3回、第5回、第7回~第11回、第13回、第14回、第16回、第20回、第25回、第26回)、高際和雄、宮川一郎、斎藤憐、土橋成男
  • 演出:富永卓二、大野三郎
  • 主題歌:「かもめ挽歌」(歌:加藤登紀子
    • 作詞・作曲:加藤登紀子/編曲:深町純

キャスト

ほか

受賞

  • 第12回ギャラクシー賞(1974年度・脚本)
  • エランドール賞(1977年・出演者および製作スタッフ)

サブタイトル

さらに見る 話数, 放送日 ...
話数放送日サブタイトル脚本演出
11974年10月5日6羽目石川俊子富永卓二
210月12日秋刀魚[2]
310月19日ゴシップ
410月26日婚姻届高際和雄
511月2日花三輪[2]
611月9日事務長大野三郎
711月16日ギックリ・カメラです石川俊子(倉本聰)
811月23日大問題[2]富永卓二
911月30日乾燥機[2]大野三郎
1012月7日花嫁の父[2]
1112月14日冬の将軍[2]倉本聰、高際和雄
1212月21日忘年会宮川一郎
1312月28日切符屋の熊[2]倉本聰富永卓二
141975年1月4日ひとり[2]
151月11日わたしはカモメ斎藤憐大野三郎
161月18日扶養家族[2]倉本聰富永卓二
171月25日再会斎藤憐大野三郎
182月1日転勤土橋成男富永卓二
192月8日オルゴール・メリイ倉本聰大野三郎
202月15日個人的事情[2]
212月22日恋はすまじ土橋成男富永卓二
223月1日大監督宮川一郎
233月8日非常識斎藤憐大野三郎
243月15日青春挽歌土橋成男富永卓二
253月22日死んで戴きます[2]倉本聰大野三郎
263月29日さらばテレビジョン[2]富永卓二
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DVD

参考文献

脚注

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