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日本の俳優、男性声優 (1967-) ウィキペディアから
桐本 拓哉(きりもと たくや、1967年7月27日[4] - )は、日本の俳優、声優。岐阜県出身[2]。青二プロダクション所属[2]。旧芸名は桐本 琢󠄀也[注 1](読みは同じ)。
子供時代、映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で主演を務めていたロバート・デニーロ、『ゴッドファーザー』に出演していたアル・パチーノなどメソッド演技法の演技を取り入れた俳優たちに憧れを抱いていたという[5]。
その憧憬は、中学、高校時代になっても色褪せることはなく、高校時代はマットペイントに興味を持ち、美術大学への進学を考えていた[5]。その道は選ばず、高校卒業後、名城大学商学部に進学[5]。その時にシネマ研究会に入り、演出、演者として多くの自主映画に参加したことで、演じる側に関心を持ち、演技への手応えも感じるようになったという[5]。
この頃、俳優への興味を強めた淡い青春のエピソードがあり、当時、大学の図書館で司書だった女性に好意を寄せ、図書館に通い詰める[5]。しかし女性を見つめている訳にはいかず、「演技の勉強になれば」と映画関連の書籍を読んでいた[5]。その中に、「メソッド演技法」を提唱していたスタニスラフスキー作の書籍『俳優修業』があり、内容に魅了され、心を動かされ、俳優への想いは揺るがないものになったという[5]。
「俳優の道に生きる」と心に決めて、3回生の終わりに劇座[注 2][2]に入団[5]。時には友人には「俳優になれるのはほんの一握り。現実をわかっていない」と言われ、喧嘩にもなった[5]。しかし友人の指摘は理解できるものでもあり、シネマ研究会にも俳優を目指していたメンバーは少なく、職業としての俳優は「狭き門だ」ということも自覚していたという[5]。
同大学卒業後、様々な訓練所を渡り歩き、出会った友人に誘われ、吉本興業に所属[2][5]。
その後、舞台俳優として実績を積むため、1995年に劇団青年座に入団[6]して、アルバイトをしながら俳優を目指した[5]。苦しんでいた時期も長く、自分のやりたいことと求められることの歯車が噛み合わず、悔しさ、ジレンマを抱えながら、下積みの時代を過ごしていた[5]。しかし俳優を諦めようと思ったことはなく、オーディションを受け続けており、当時は「俳優で食べていけるようになるまでに10年かかった」とのちに思い返していた[5]。その時に「挑戦し続けていれば必ず何かが掴める」といった確信に近いものがあったことから明るい表情で語っていた[5]。職業としての声優がそれであり、シネマ研究会の映画製作では、演技を撮影した後、音声をアフレコで入れていた[5]。その経験を積んでいたこともあり、声優としての演技力に注目され、キャスティングの人物たちの目に留まり、職業としての声優が増えていったという[5]。
2006年には青年座映画放送所属となり[7]、2009年まで在籍していた。同年6月に青二プロダクションに所属[8]。
海外ドラマや洋画の吹き替えが多く、主にブラッドリー・クーパーやヒョンビン、ソ・ジソブなどの吹き替えを担当している。
『アイアンマン』の機内上映版ではロバート・ダウニー・Jr演ずるトニー・スターク役を担当していた[11]。桐本によると劇場公開版にも続投が予定されていたが諸事情で登板が叶わなかったといい、この件に関して「とても残念でした」と回想している[12]。自身の出演した音源で本編を鑑賞できていないことから、機内上映版の音源が陽の目を見ることを待ち望んでいるとも明かしている[13]。なお、2019年時点ではロバートの吹き替えについて「今となっては藤原さんのRDJ」とコメントしており、藤原には敬意を表している[14]。
太字はメインキャラクター。
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