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ドニー・イェン
香港の俳優、映画監督 ウィキペディアから
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ドニー・イェン(簡: 甄子丹、英: Donnie Yen, 1963年7月27日 - )は、香港の俳優、映画監督、映画プロデューサー、アクション監督、武術家、政治家。
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前妻との間に1995年に生まれた長男・甄文焯(Jeff)を筆頭に、2003年に再婚した妻・汪詩詩との間に長女・甄済如(Jasmine)と次男・甄済嘉(James)の三児がいる。妹は女優クリス・イェン(甄子菁)。
拳法は『咏春拳』が代表的。
2023年3月〜第14回中国人民政治協商会議委員のメンバー入りを果たす。
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来歴
要約
視点

幼少から少年時代
1963年7月27日、中国広東省広州市に生まれ、2歳の時に香港に渡り、11歳の時にアメリカのボストンに移住した。母は「傅式太極拳」直系の弟子で[1]、「中華武術研究所(Chinese Wushu Research Institute)」「麥寶嬋太極協會(Bow Sim Mark Tai Chi Arts Association)」創始者として知られる著名武術家・麦宝嬋(マク・ボウシム)、父は香港の新聞社・星島日報ボストン支局の編集員であった甄雲龍(クライスラー・イェン)。幼少の頃より父にピアノを[2]、9歳からは母に武術を学んだ[3]。
ボストン、チャイナタウンの映画館で功夫映画を観てはその動きをすぐに真似する子供で、特にブルース・リーをアイドル視していた[4]。彼と同じ黒い中華服を着て自作のヌンチャクを持って学校に通った[5]。
やがて多忙で不在がちな両親を尻目に不良少年となってしまい喧嘩三昧の日々を送っていたのを両親に心配され、 16歳の時にアメリカを離れて北京市業余体育学校(現:北京市什刹海体育運動学校)で2年近く武術を学ぶことになる[6]。 この時の師兄(師匠が同じで入門の早い先輩)には同い年のジェット・リーがいたが、1980年5月に『少林寺』の撮影に入っていたジェットとは[7]、ほとんど顔を合わせることはなかったという[8]。
修学後、ボストンへ帰る途中で立ち寄った香港で映画監督の袁和平(ユエン・ウーピン)に紹介されスクリーンテストを受けている[9]。帰国後は武術大会で優勝を獲得[10]、武術雑誌“INSIDE KUNG-FU”にて、1982年度最優秀武術家(Martial Artist of the year)に選ばれるなどした[11]。
映画界へ~乱高下の90年代
のちにウーピン監督から声がかかり『妖怪道士』という作品にスタントマンとして参加[注 1]、1984年の『ドラゴン酔太極拳』で香港映画界にデビューする。しかし2作目の『情逢敵手(原題)』に主演した後は、ボストンに戻り母の武館の助手を務めた[14]。
再び香港に渡ったのは3年後。その際には、演技を学ぶため無綫電視藝員訓練班(TVB俳優養成所)に加入[注 2]。1988年から1991年にかけてTVBのテレビドラマに出演すると同時に『タイガー刑事』、『クライム・キーパー 香港捜査官』、『タイガー・コネクション』等の撮影を通し、ウーピン監督のもとでアクション俳優そしてアクション指導として経験を積むことになった。
1992年にはツイ・ハーク監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』に、強敵の提督役で助演。映画の終盤で用いた武器「布棍」を考案し[15]、 ジェット・リーとの激しいアクションの設計にも参加したという[16]。 なおこの作品で香港電影金像奨(香港映画におけるアカデミー賞)の助演男優賞にノミネートされている[17]。続く『ドラゴン・イン/新龍門客棧』でも敵の宦官役で助演したが、主演作の方はいずれも予算の少ない作品がほとんどであった。
そんななか1995年に、ひとつの転機が訪れる。子供の頃から熱狂的なブルース・リーのファンである彼はブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』のリメイクTVドラマ『精武門』で主演。日本で発売された10枚組DVDBOX[18] の特典映像によるとドラマはアジア53もの国と地域で放映され22億人以上が視聴、ドニー・イェンの名は広く認知されることとなった。
やがて『ドラゴン危機一発'97』『ドニー・イェン COOL』などで映画制作、監督業にも進出。しかし折からのアジア通貨危機や香港映画界の縮小化、興行的失敗が重なり、一転、苦しい時期を迎えてしまう[19]。その後しばらくは、俳優としてではなくドイツや日本でアクション監督に徹する機会が増えていった。
遅咲きの2000年代
2000年代に入り、ハリウッド作品『ハイランダー/最終戦士』や『ブレイド2』で一部アクション指導をするとともに出演。あわせて、8年越しで全米公開された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアンモンキー』が初登場6位にランクインしたことや[20]、大陸の有名監督チャン・イーモウの『HERO』でジェット・リーと剣槍を交えたことは、その存在をもう一度認識させるきっかけとなった[21][22]。
香港映画界に戻った彼は2003年の『ツインズ・エフェクト』に共同監督兼アクション監督として携わりヒットを飛ばし、台湾の金馬奨において最優秀アクション設計賞と香港金像奨で最優秀アクション設計賞を初受賞[23][24]。
2005年にはウィルソン・イップ監督の『SPL/狼よ静かに死ね』で出演とアクション監督を兼任。警棒対ナイフの戦いや、新たにプロレス技関節技など総合格闘技の要素を取り入れ、映画サイトTwitch Film(現在はサイト名をScreen Anarchyに変更)創始者であるTodd Brownから「俳優、アクションコレオグラファー、そして武術家としてイェンの最高の仕事である」との評価を受けている[25]。また英字香港映画専門サイトLoveHKFilmの創設者Ross Chenは、2000年代の香港映画TOP 50で11位に選出。「『インファナル・アフェア』と『グリーン・デスティニー』を除くどの作品より新しい香港映画ファンを開拓した」と評した [注 3]。この映画でドニー・イェンは第25回香港電影金像奨にて再びトロフィーを手にしている[27]。
その後の2007年に公開された主演作『導火線 FLASH POINT』では、アクション監督として世界に先駆け本格的に総合格闘技を適合させ、公開前のインタビューで「将来MMAがアクション映画の主流になると考えたことはあるか」という問いに「成功した映画は新しいトレンドを生みだすものだ」と答えている[28]。この作品は、香港台湾のアクション設計賞に加え、世界中のアクション専門家、プロのスタントマン、スタント団体に所属するメンバーによって投票されるアメリカの“Taurus World Stunt Awards”でもベスト・アクション賞 外国映画部門(BEST ACTION IN A FOREIGN FILM)を受賞した[29]。
『イップ・マン』シリーズで「宇宙最強」に
2008年にはブルース・リーの師である葉問(イップ・マン)を描いた『イップ・マン 序章』がヒット。アクションだけでなくその演技力が認められて、香港電影金像奨の主演男優賞にノミネートされた。受賞は逃したが、同作は作品賞を獲得[30]。翌年の作品賞受賞作『孫文の義士団』のエンディングロールにおいては、オールスターキャストの中で最初にクレジットされている。
続く2010年には『イップ・マン序章』の続編『イップ・マン 葉問』が前作を超えるヒットを記録[31]、アジアにおけるトップスターの仲間入りを果たした[32]。また多くの映画やCMなどに出演したことから2009年度より数回に渡って香港芸能界年収ランキングの1位に立ったと報じられ[33][34][35]、いつの間にか「宇宙最強」というキャッチフレーズがつくとともに[36]、そのアクションは、中国名が甄子丹であることから「甄功夫」と称されるようになった[37]。
一時は多忙と身体への負担もあり「50歳になったら俳優業から引退する」とインタビューで話したものの[38]、その後にそれを否定[39]。49歳の誕生日には「僕は今年28歳だし」と笑顔で応対した[40]。近年はボランティア活動や支援にも積極的に参加しており、同日のバースディ会見で妻汪詩詩と設立したオンライン・ボランティア・プラットフォーム“go.asia”を発表、その意義と喜びを語る姿が伝えられている[40]。
ビジネス面では2013年3月に香港の大手メディアグループであるメディア・アジア・グループ(寰亜総芸集団)と組み自らの制作会社「超級英雄電影公司(Super Hero Films)」を立ちあげ、出演はもちろんのこと、自らの経験を若い映画人に引き継ぎたいとアクション映画製作に意欲を見せた[41][42]。またこの年に行われた中国の女性ジャーナリスト・楊瀾(ヤン・ラン)との独占インタビューで、2009年に米国籍から離脱したことを明らかにしている[43]。
2014年には春節(旧正月)映画として公開されたオールスター3Dファミリー映画『モンキー・マジック 孫悟空誕生』で孫悟空に扮し、「公開初日の興業収入」「1日あたりの興業収入」「元旦に最も稼いだ映画」で当時の記録を更新[44]。中国国内だけで200億円の興行収入をあげる大ヒットとなった[45]。同年公開の主演功夫(カンフー)映画『カンフー・ジャングル』においては、アクション監督として香港電影金像奨で4度目の最優秀アクション設計賞を受賞。
さらなる広がり
翌2015年は、ヒット作イップ・マンシリーズの第3弾である『イップ・マン 継承』がクリスマス・イブに公開。香港ではわずか8日間で2015年香港映画年間興行収入第2位を売上げるスタートを切り[46]、歴代華語映画興収記録においても総合4位にランクイン[47]。その他の国でも記録を更新するメガヒットとなった[48][49]。自身の代表作となったこの映画への思い入れは深く、「功夫映画と武侠映画は異なるし、現代アクションについてはまだアイディアがたくさんある」としたうえで、「イップ・マン以上の役は想像もつかないので、これを僕の最後の功夫映画にしたい」と語っている[50]。
2016年には『グリーン・デスティニー』の続編『Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー』に出演。本作は制作したネットフリックスからオリジナルコンテンツとして世界同時にストリーミング配信された[51]。
続いてチアルート・イムウェ役として参加したスター・ウォーズシリーズの実写スピンオフである『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』が12月に公開。それに先駆けた2016年11月30日にはアメリカハリウッドにあるチャイニーズ・シアターに手形・足形を残し[52]、セレモニーではルーカスフィルム社長のキャスリーン・ケネディが祝辞を述べ、ウォルト・ディズニー・スタジオの会長アラン・F・ホルン、社長アラン・バーグマンも出席した[53]。
また、2017年2月に日本公開したヴィン・ディーゼル主演『トリプルX』の続編にあたる『トリプルX:再起動』にも出演[54]。2018年5月には新たに制作会社「超級子彈影業(Super Bullet Pictures)を創立した[55]。
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谷垣健治との協働
日本のアクション監督谷垣健治とは、95年のTVドラマ『精武門』で谷垣がスタントマンとして現場についた時から共同作業が始まった。以来谷垣はドニー・イェンがアクション監督を担当するドラマや映画の多くに日本人スタントチームを率いてアクション指導として参加、ドニーアクションを多方面から支える人物のひとりである[56]。
彼は「映画に関して教えてくれたのはやっぱりドニー。僕の思想とか映画の作り方とか9割ぐらいはドニーから教わった感じがしますよね」と2012年11月16日23:00~23:50に放送されたNHKBSの番組『地球テレビ エル・ムンド』にて語り、一方のドニーもアクション監督を務めた釈由美子主演『修羅雪姫』特別プレミアム版DVD[57] の特典映像インタビューで、長年にわたり自分を信じバックアップしてくれた「KENJI TANIGAKI-SAN」に感謝を捧げ、「僕の知識を彼に受け継いで欲しい、彼なら将来日本で屈指のアクション監督になれるはず、世界的な活躍も期待できる」と言葉を残している。
ほかにも、幾度となく撮影を共にした下村勇二や大内貴仁 、吉田浩之など、日本や世界の第一線で活躍するアクション監督、スタントコーディネーター、スタントマンで影響を受けた日本人は数多い[58]。
またドニー・イェンがアクション監督をつとめる際のアクションチームには日本のほかに香港中国アメリカ、シンガポールなど多国籍なメンバーが集まり、固定、流動的メンバーに関わらず彼等は「甄家班(イェン・アクションチーム)」と呼ばれる[56]。彼はその中でも最古参であり、ドニーが自ら主演する「燃えよデブゴン TOKYO MISSION(原題:肥龍過江)」(2020年)で監督を谷垣に任せた(詳しい経緯は該当作品項目の「エピソード」を参照)。
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ドニー・イェンとハリウッド
要約
視点
1999年から2000年にかけ、ユエン・ウーピンがアクション指導を務めた『マトリックス』シリーズや『グリーン・デスティニー』がアメリカでヒットしたこともあり、クエンティン・タランティーノ監督がミラマックスに推薦した事で、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアンモンキー』(1993年作)の全米公開が実現 [59]。2001年10月12日に“Iron Monkey”として1,225館で公開され、初登場でボックスオフィスの6位にランクインした [20]。この公開準備期間中にミラマックスと契約を交わしたドニーは初めてのハリウッド作品『ハイランダー/最終戦士』に出演している。
その後のギレルモ・デル・トロ監督、ウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド2』でのスノーマン役は、一部アクション指導として参加する予定だったところを、請われて急遽決まったものであった[60]。そのスノーマンの最期が曖昧になってしまったことについては、監督のデル・トロが「ドニーの次の仕事が決まっていてとにかく時間がなかった」と『ブレイド2』ブルーレイ版スチールブック仕様[61] に収録されたコメンタリーで話している。
この作品の現場と担当したアクションの仕上がりについてドニー・イェンは、カメラアングルをはじめ撮影のコントロールやシーン編集までの一切を取り仕切る香港での職責とあまりにも違う当時のハリウッドシステムに落胆し、動作設計がカメラの不慣れさや編集で壊されてしまったといい「この映画を見ると、とてつもなくアマチュアの人がプロの創ったものを処理しているという感じがする。残念だ」と著書に記した[注 4]。 その後も、両者の違いについては事あるごとに語っている [62][63]。
同時期に撮影したジャッキー・チェン主演の『シャンハイ・ナイト』にゲスト出演して以降香港に戻った彼は、ハリウッドからの出演依頼を辞退し[64]、2012年にはヒットシリーズ『エクスペンダブルズ2』のオファーを断わったことが報道されている[65]。
しかし2013年には、“Iron Monkey”公開以来親交のあった元ミラマックスのハーヴェイ・ワインスタインからの熱心なラブコールに応え、『グリーン・デスティニー』の続編である『Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー』への出演をカンヌ映画祭で発表[66]。これを機にハリウッドの大手事務所「クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー(Creative Artists Agency)」とも契約を交わした事が伝えられた[67]。
そのことについては「ハリウッドに参戦するつもりはないよ。ここ(香港)で映画を快適に撮ってるし、僕の家はここにあるもの。定期的にオファーは届いてる、例えばエクスペンダブルズ1や2。それには感謝しているけれど、ただその他大勢の役のために3カ月費やしたくはないので丁重にお断りした。でもCAAは僕の所へやって来たんだ、世界最高のエージェンシーに手伝ってもらってもいいよね。それがLAに戻るということにはならないよ、だって、ここが僕のホームなんだから」と語った[68]。
2015年8月にはスター・ウォーズシリーズの実写スピンオフである『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』に出演することが発表された[69]。その直後の雑誌の取材に対して、自身の出演作の多くに暴力シーンがあると前提し「そろそろ自分の子供たちに観せることのできる映画を撮ってもいい頃だ。スター・ウォーズはファミリー映画だし子供たちも気に入ると思う」と話した[70]。また、別のインタビューでは「ハリウッド映画に出ることが僕の目標や考えている事ではない、ハリウッド作にも良くない作品はあるよね」と答え、将来香港とハリウッドとはコラボレーションできるだろう、それでよりよい作品を生み出せると語っている[71]。
2023年の第95回米国アカデミー賞授賞式でプレゼンターを務めることについて、ドニー・イェンが香港で2019年に巻き起こった民主化運動を「あれは抗議ではなく暴動だった」とGQに語ったことや中国共産党との関係を理由に降板を求める運動が巻き起こり、8万4000を超える署名が集まった[72]。
一部ネットで伝えられた誤報
2010年9月20日、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権をめぐり日中関係の緊張が高まっているなか、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』にオマージュを捧げた続編的映画『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』の香港プレミア試写会が行われた。そこに香港での仕事を終えた藤原紀香がサプライズ登場し華を添え、映画を鑑賞。その後『香港メディアが伝えたところによると、日本の人気女優藤原紀香に直接「釣魚島(尖閣諸島)は中国領だ」と述べた』というニュースが日本で配信された[73]。
しかしその日本の記事ではニュースの出典メディアが明記されていないうえ、実際には藤原のいない場で、彼女の突然の登場について「バツが悪いか」と聞かれたドニーが「みんな役者なんだし、バツは悪くないよ」と答え、「あの島は僕らのモノだよ、(この映画で共演したスー・チーに)君は劇中で日本語セリフをしゃべっていて日本語ができるんだから、彼女にそう言ってやれよ(それは政治的な意味かと突っ込む記者に)南丫島(ラマ島、香港の離島)のことだよ、歴史は歴史真実は真実さ」と笑って話したと試写会翌日の9月21日多くの香港中国のマスコミに報道されている[注 5][75]。また同作品がアウト・オブ・コンペとして上映された第67回ヴェネツィア国際映画祭の記者会見では「これはエンターティメントです、政治ニュースを忘れて観て欲しい」と強調した[注 6]。
2011年4月1日には、香港で行われたジャッキー・チェンを中心に香港スターが集結した東日本大震災支援コンサート『愛は国境を越える 311チャリティーイベント(愛心無國界311燭光晚會)』に参加[77]。日本に対し通訳を交えながらも、最後にはドニー自身が日本語で「頑張って下さい」と励ましの言葉を送っている。
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出演作品
要約
視点
※アクションを設計する役割の表記に関しては様々な名称があるが時代や作品によって統一性に欠けるため、このフィルモグラフィーではアクション指導とアクション監督に分けて表すこととする。なお本編クレジットに名前があったもののみ明記したが、著書や多くのインタビュー記事によると『タイガー刑事』以降、少なくとも自身のアクションシーンについては大部分を自分で動きを設計、またはアイディアを出している。
映画
TVドラマ
CM
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出演以外の作品
映画
TVドラマ
その他
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主な受賞歴
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日本語吹き替え
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』以降、大塚芳忠が専属(フィックス)に近い形で大半の作品を担当しており、『シャクラ』の日本版予告編ナレーションを担当した際には「ドニー・イェンの日本語吹替でお馴染みの声優」と評されるほどに定着している[84]。
書籍
- 『ドニー・イェン アクション・ブック』(翻訳:浦川とめ、監修:谷垣健治、キネマ旬報社 2005年 ISBN 978-4873762593)
- 『問・丹心』(2010年10月繁体中文 ISBN 978-9626729366/2011年簡体中文 ISBN 978-7539946115)
- 『甄功夫』(2011年7月 ISBN 978-9881544919)
- 『甄子丹.葉問電影回顧』(2019年12月,香港三聯書店 ISBN 978-9620445866)
関連書籍
- 『香港電影 燃えよ!!スタントマン』谷垣健治(1998年 小学館 ISBN 978-4093851039)
- 『アクション映画バカ一代』谷垣健治(2013年 洋泉社 ISBN 978-4800301024)
脚注
関連項目
外部リンク
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