株式会社宮城テレビ放送 (みやぎテレビほうそう、英 : Miyagi Television Broadcasting Co., Ltd. )は、宮城県 を放送対象地域 としたテレビジョン放送 事業を行っている特定地上基幹放送事業者 である。
概要 種類, 略称 ...
株式会社宮城テレビ放送Miyagi Television Broadcasting Co., Ltd.
宮城テレビ放送本社
種類
株式会社 略称
ミヤテレ、ミヤギテレビ、MMT 本社所在地
日本 〒 983-8611仙台市 宮城野区 日の出町1-5-33 設立
1970年 1月17日 業種
情報・通信業 法人番号
9370001006546 事業内容
放送法 に基づくテレビ 放送事業 各種イベントの企画・実施等 代表者
代表取締役社長 玉井忠幸 資本金
3億円 売上高
72億9,647万4,880円 (2023年3月期)[1] 営業利益
3億0,289万4,385円 (2023年3月期)[1] 経常利益
4億8,627万7,486円 (2023年3月期)[1] 純利益
2億5,300万6,000円 (2024年3月期)[2] 純資産
182億9,881万9,000円 (2024年3月期)[2] 総資産
200億9,734万5,000円 (2024年3月期)[2] 従業員数
107名(2021年3月現在) 主要株主
カメイ 22.5%読売新聞グループ本社 20.0%日本テレビ小鳩文化事業団 18.0%日本テレビホールディングス 10.7% (2023年3月1日時点)[3] 主要子会社
ミヤギテレビサービス 100% 関係する人物
亀井文蔵(創業者、初代社長) 務台猛雄(元相談役) 榧野信治(元常務取締役)[4] 根岸豊明 (元取締役) 伊藤和明(相談役) 外部リンク
https://www.mmt-tv.co.jp/ テンプレートを表示
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通称 ・コールネームはミヤギテレビ (デジタルテレビジョン)[注釈 1] 、愛称 は『ミヤテレ 』。NNN ・NNS 系列フルネットで、東北地方における日本テレビ 系列の基幹局である。
本社スタジオは仙台市 宮城野区 日の出町。営業・事業部門は別に仙台市青葉区 一番町 の仙台第一生命タワービル に拠点を置いている。
宮城野区に本社スタジオを置く唯一のテレビ局だが泉区 に本社スタジオの移転を予定している。
コールサイン はJOMM-DTV (仙台 24ch)、リモコンキーID はキー局の日本テレビと同じ「4 」。
カメイ 株式会社の持分法適用関連会社であり、同社の代表取締役名誉会長が代表取締役会長を務めている。
東北地方 の日本テレビ系列局では最後発ではあるが、東北ブロック基幹局として、東北6県(一部は新潟県 も含む)ネットの番組をいくつか制作している。
開局当初のMMTはANN に加盟していたが、東北地方の日本テレビ系列局のうち、同様にかつてANNに加盟していた福島中央テレビ 、テレビ岩手 とは違い、朝日新聞 ・テレビ朝日 との資本関係は今日に至るまで一切ない。
宮城県内民放テレビ局で唯一、社名に「テレビ」がつく[注釈 2] ほか、在仙放送局では唯一、放送局名に県名 が付く[注釈 3] 。
2023年(令和5年 )の年間視聴率 で世帯視聴率、個人全体視聴率とも三冠王を獲得した。特に世帯視聴率では11年連続だった。2023年度視聴率も世帯視聴率、個人全体視聴率とも三冠王を達成した。世帯視聴率は14年連続、個人全体視聴率も4年連続だった[5] 。
開局当初の略称は「MTB」 (M iyagi T elevision B roadcasting)、その後、コールサインJOMM -TVと親局のアナログチャンネルである34 chから「mm34」 に変更[注釈 4] 。現在の略称である「MMT」 (JOMM -(D)T V)は1985年 (昭和 60年)から使われている。ただし、ニュース番組などのタイトルに略称は用いていない[注釈 5] 。
本社・演奏所 - 〒983-8611仙台市宮城野区日の出町1丁目5-33
営業局・事業局 - 仙台市青葉区 一番町4丁目6-1 第一生命 タワービル14F
東京支社 - 東京都 中央区 築地 1丁目12-22 コンワビル4F
大阪支社 - 大阪市 北区 堂島 2丁目2-2 近鉄堂島ビル [注釈 6] 14F
MTS 株式会社ミヤギテレビサービス - 仙台市宮城野区日の出町1丁目5-33 宮城テレビ放送内
企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[8] [9] [10] [11]
2021年3月31日
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資本金 発行済株式総数 株主数
3億円 600,000株 12
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過去の資本構成
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資本金 授権資本 1株 発行済株式総数 株主数
3億円 12億円 500円 600,000株 32
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株主 株式数 比率
宮城県 60,000株 10.0%
亀井文蔵 [注釈 8] 48,000株 0 8.0%
佐藤源貞 46,200株 0 7.7%
読売新聞社 42,000株 0 7.0%
須田繁治 [注釈 9] 36,000株 0 6.0%
橘商事 33,000株 0 5.5%
能村裕 [注釈 10] 33,000株 0 5.5%
永井泰 [注釈 9] 33,000株 0 5.5%
今野幸治郎 [注釈 9] 33,000株 0 5.5%
山崎省吾 33,000株 0 5.5%
篠崎信一 [注釈 11] 24,000株 0 4.0%
宮本保 [注釈 9] 21,000株 0 3.5%
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資本金 授権資本 1株 発行済株式総数 株主数
3億円 12億円 500円 600,000株 25
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株主 株式数 比率
日本テレビ放送網 60,000株 10.00%
宮城県 60,000株 10.00%
亀井文蔵 [注釈 8] 60,000株 10.00%
竹島栄吉 [注釈 10] 45,000株 0 7.50%
読売新聞社 42,000株 0 7.00%
福島民友新聞社 42,000株 0 7.00%
亀井昭伍 40,600株 0 6.76%
須田繁治 [注釈 9] 36,000株 0 6.00%
橘商事 33,000株 0 5.50%
能村裕 [注釈 12] 33,000株 0 5.50%
日本テレビ放送網文化事業団 24,000株 0 4.00%
宮本保 [注釈 9] 21,000株 0 3.50%
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資本金 発行済株式総数 株主数
3億円 600,000株 22
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移行された番組は、日本テレビ系列は仙台放送から同系列を引き継いだ為、仙台放送9:東北放送1 であった。一方でNETテレビ系列は、東北放送が相当数放送していた関係で、東北放送8:仙台放送2 であった。ただし『モーニングショー 』など一部のワイドショー番組などは仙台放送で一時期放送された後に東北放送へ移行していた為、実際は東北放送5:仙台放送→東北放送3:仙台放送2 である。
東日本放送開局直前のプライムタイムクロスネット表(1975年9月) [15]
無印=同時ネット、★印=時差ネット
ミヤギテレビ10年史 (宮城テレビ放送10周年記念事業実行委員会社報編集委員会 編) 1980年発行、647ページ。
ミヤギテレビ20年のあゆみ (宮城テレビ放送社史編集委員会 編) 1991年発行、52ページ。
ミヤギテレビ30年のあゆみ (ミヤギテレビ開局30周年記念委員会総務広報小委員会 企画編集) 2000年10月発行、138ページ。
日本テレビ系列遅れネット番組
制作局の表記のない番組は日本テレビ 制作。
自社製作番組
宮城県広報番組
日曜サロン(1970年4月 - 1972年3月)
みんなの輪(1972年4月 - 1991年3月 土曜 10:15 - 10:30→日曜 9:00 - 9:30)
サンデー伊達スタ(1991年4月 - 1994年3月 月1回日曜 11:45 - 12:40)
熱中!ふるさとTV(1994年4月 - 1999年3月 月1回日曜 放送時間は数度変更)
みやぎ情報クルーズ ミューン
仙台市広報番組
おはよう仙台(1975年4月 - 1976年9月 土曜 8:00 - 8:15)
わがまち仙台(1976年10月 - 1986年6月 土曜夕方 放送時間は数度変更)
ジャンプアップ仙台(1986年7月 - 1995年3月 土曜 17:15 - 17:30)
知っとく仙台(1995年4月 - 1998年3月 土曜 17:15 - 17:30→日曜 11:40 - 11:55などに変更)
満美子とともに今日もほがらか→奥様新時代(月曜 - 金曜 11:45 - 12:00)
さわやかネットワーク
白い国紀行
伊東四朗のOH!先客万来
笑顔toえがお
ワイド生工場
フィアンセ来やんせ通りゃんせ
達人の釣り(1991年4月 - 10月)
モット!モット!TV(1991年10月 - 1995年3月、日曜 22:30 - 23:26)
ドッチラチン(日曜 8:00 - 9:00)
宮城県のスーパーエンドーチェーン 提供の子供番組。1989年9月に「中村敦夫のザ・サンデー」 立ち上げに伴い打ち切り。
ネットワーク・7 (土曜 10:00 - 10:30)
ベガスポ (日曜 16:55 - 17:20)
あッ!晴れテレビ (月曜 - 金曜 5:54 - 7:00⇒月曜 - 金曜 5:30 - 6:30)
なぜ?魅知国(東北6県ネット)
いろはのい・かっぺいのか(東北6県ネット)
かっぺいの旅びたし(東北6県ネット)
かっぺいのいったりきたり (東北6県ブロックネット)
輝け!青春
やまだひさしのJobcafeTV
みちのくインパルス (ミヤギテレビ・秋田テレビ (フジテレビ系列 )ほか東北6県ネットで放送)
炎のプチ達人!
モバ☆スタ (東北6県ブロックネット)
COLOR TV
花まる電家 (東北6県ブロックネット)
ブカツの天使
炎のとれたて!キッチン
オナジ空ノシタ。 みんなどこかで、つながっている〜絆〜
ツナガッテルかーい!(2009年7月 - 9月、東北6県ブロックネット)
見たい!住みたい!wakuwakuマンション (不定期)
元祖あばれ寿司 (2002年 - 2008年、毎年8月放送)
ミヤギのテレビ。ミヤテレ (番宣番組)
希望のしるし
月刊 元気一番"生"テレビ (東北地方+新潟県 7県ブロックネット)
スタイルe! (東北6県ブロックネット、東日本大震災の影響で打ち切り)
ニュース
★印はVTRネット、無印は同時ネット、☆は先行ネット
ほか多数。
MTB・mm34時代にネットされていた日本テレビ系列の番組
◇の番組はMMTになってからもネット。☆は現在も放送中。
NETテレビ系列
東北放送から
★印は一時期仙台放送でも放送されていた番組
仙台放送から
※はアナウンス部長経験者。
2024年4月現在
異動したアナウンサー
男性
1986年
三雲茂晴 ※(2012年より報道制作局へ異動、報道制作局次長・情報センター長)
1989年
1991年
木村賢治(報道記者)
水本豊 (ミヤギテレビサービス社長)
2008年
女性
過去に在籍したアナウンサー
男性
1970年
安斎良勝(開局当時MTB時代に在籍、元アナウンサー、アナログ放送終了時の特別エンディングのナレーター担当)
沖津省己※(元IBC岩手放送 、退職後はコミュニティFMで民謡 番組などを担当[32] )
1972年
竹鼻純 (2008年定年退職後、2012年9月までミヤギテレビ解説委員、同年10月から2016年まではベガルタ仙台 役員)
1979年
2013年
女性
1978年
1987年
1990年
1995年
1998年
藤村由紀子 ( - 2003年・2005年-2008年在籍、現在はぐっどもーにんぐ所属[34] )
2001年
2003年
深井ゆきえ (ミヤギテレビ編成部を経て退職、現在はフリーアナウンサーとして活動)
2006年
浜本徳子 ( - 2012年9月在籍、退職後は地元の東京都内にある広告代理店で勤務)
2010年
2012年
2022年
入社年度不明
小林なをみ
涌井えり子
連美奈(退職後の1990年からテレビ金沢 、1992年から中京テレビと同じ日本テレビ系列に在籍)
黒沼真里(現在はぐっどもーにんぐ 所属[36] )
野口真知子(旧姓:石川、在籍中に『おはようリクエスト』等を担当、金曜日担当のため「きんたんまちこ」がニックネーム、退職後はアート の世界で国内でもトップクラスにいる)
工藤牧子 (旧姓:加賀谷、在籍中に『ズームイン!!朝!』第2代宮城担当キャスターを歴任。結婚後は地元の秋田県秋田市に戻り秋田放送 等でフリーアナウンサーとして活動)
武井千恵子 (退職後はテレビ埼玉 を経て、フリー)
鈴木智子
宮城県(東北)で、仙台放送 についで2番目に大きいスタジオ。2005年 (平成 17年)12月1日 の地上デジタルテレビ放送 の開始によりこのスタジオが地上デジタル放送対応になり、「OH!バンデス 」で使われるようになった。2008年 (平成20年)10月からは「月刊 元気一番"生"テレビ 」のリモートサブにも使われていた。その前からも「ちょっとブレイクタイム 」で使用していた。2010年 (平成22年)4月からは「ミヤテレスタジアム 」のセットも設置し、現在も使用している。
2005年 (平成17年)11月30日 まで「OH!バンデス」で使用していたスタジオ。地デジ開始後も「月刊 元気一番"生"テレビ」のリモートサブとしてしばらく使用されていた。現在は「ちょっとブレイクタイム 」で使用されている。2009年 (平成21年)11月29日 放送の「おしゃれイズム 」(ゲストは東北楽天 ・岩隈久志 投手)ではこのスタジオが使われたが、ハイビジョン放送設備が無いため標準画質での収録だった。
ミヤギテレビ情報センター(ニュースセンター)内にある報道専用のスタジオ。NNNミヤギテレビニュース やミヤギnews every. を除く、全国ニュースのローカルパート部分で使用されている。
デジタルテレビ
日本テレビ系列のリモコンキーID 地図
コールサイン - JOMM-DTV
コールネーム - ミヤギテレビデジタルテレビジョン
リモコンキーID - 4
アナログテレビ
2012年3月31日停波
コールサイン - JOMM-TV コールネーム - ミヤギテレビ
完全移行以前に廃止されたアナログ中継局
2013年 (平成 25年)9月26日 に埼玉西武ライオンズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの試合が西武ドームで行われ、楽天がマジック1で迎えた第22回戦の最中に、当時のアナウンサーだった加藤智也を含む当局の関係者が誤って進入禁止とされているバックスクリーンエリアへ入り込み、試合が一時中断してしまった上、さらに「当局へ抗議する」などといった批判の内容がSNSで掲載されてしまう事態に至った[38] [39] 。同年より日本テレビ出身で、同関連会社 から当局の代表取締役社長へ就任した伊藤和明(当時)を含む役員もこの件に触れたり、謝罪が行われていたかは不明。
注釈
ただし、箱根駅伝中継 での制作協力クレジットは、「宮城テレビ」と表示される。
ただし、英文社名も含めれば仙台放送 も社名に「Television」がつく(Sendai Television Incorporated)。
他5局は、県庁所在地都市名(NHK仙台放送局・仙台放送・エフエム仙台)や地域・地方名(東北放送・東日本放送)が付く。
例:「NNNミヤギテレビニュース」など。なお、1990年前後の一時期には「NNN MMTニュース」が使われていた。また、1996年頃までOPやEDでは「MTB」が、使われていた。
系列局側でクレジットを出す場合は「ミヤギテレビ」表記を使用する例がある。実例として、2016年(平成28年)6月11日のプロ野球「楽天 vs 広島」を広島テレビとの2局ネットで中継した際、実況と映像は同時ネットしたが、テロップ類は両社で別々に表示したためか、広島テレビ側では「ミヤギテレビ」のロゴを使用した(前年に広島主催の同カード中継した際はの制作協力クレジットは「ミヤテレ」のロゴ表記だった)。また、自社でも「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」の大会ロゴやニュースサイトなどでは引き続き「ミヤギテレビ」のロゴを使用している。
なお、ミテ は、ミヤギテレビの公式サイトで当面の間見ることができた。
第266話以降を放送。第1話から第150話までは仙台放送で放送された後打ち切りとなり、第151話から第266話までの115話分が県内で未放送。
なおNTV 版『キユーピー3分クッキング 』はMTB開局後も引き続き仙台放送でネットされたが1975年6月28日をもって終了。のちにtbcで自社製作版がスタートしている(現在tbcではCBC 版が放送中)。
育児休暇中であった安斎の穴埋めとなるべく契約アナとして入社。当初は安斎の育休期間内の穴埋め勤務だったが安斎が2011年4月に仕事復帰した。しかし、2010年10月に深井が産休・育休期間に入ってしまったため、2012年3月まで勤務した。
出典
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、263頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2015年12月10日、258頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、191頁。
日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、196頁。
日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年3月)」『月刊民放』第10巻第6号、日本民間放送連盟、1980年6月1日、50頁、NDLJP :3470934/26 。
ミヤギテレビ開局30周年記念委員会総務広報小委員会 企画・編集『ミヤギテレビ30年のあゆみ』宮城テレビ放送、2000年、34,130頁。
『福島民報』1978年12月16日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1979年12月1日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1979年12月23日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1981年4月25日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1981年7月25日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1983年2月11日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1983年10月8日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1985年3月17日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1991年4月16日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1992年4月28日付朝刊、テレビ欄。
河北新報 マイクロフィルム1970年10月分のテレビ欄で確認。