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愛媛県松山市にある地方銀行 ウィキペディアから
株式会社伊予銀行(いよぎんこう、英: The Iyo Bank,Ltd.)は、愛媛県松山市に本店を置く地方銀行。愛称は「いよぎん」。
(上)本店 (下)南側から見た本店(右側の低い建物が旧舘) | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
市場情報 | |
略称 | いよぎん |
本社所在地 |
日本 〒790-8514 愛媛県松山市南堀端町1番地 |
設立 |
1941年9月1日(株式会社伊豫合同銀行) 創業は1878年3月15日(第二十九国立銀行) |
業種 | 銀行業 |
法人番号 | 4500001000003 |
金融機関コード | 0174 |
SWIFTコード | IYOBJPJT |
事業内容 | 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など |
代表者 |
代表取締役頭取 三好賢治 代表取締役専務 長田浩 |
資本金 |
209億4,800万円 (2014年3月31日時点) |
発行済株式総数 |
3億2,377万5千株 (2014年3月31日時点) |
純利益 |
連結:189億22百万円 単独:185億2百万円 (2020年3月31日時点) |
純資産 |
連結:6,718億48百万円 単独:6,359億89百万円 (2020年3月31日時点) |
総資産 |
連結:7兆7,955億45百万円 単独:7兆7,649億71百万円 (2020年3月31日時点) |
従業員数 |
2,623人 (2023年3月31日時点) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 株式会社いよぎんホールディングス 100% |
外部リンク | https://www.iyobank.co.jp/ |
株式会社伊予銀行のデータ | |
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法人番号 | 4500001000003 |
店舗数 | 152か店 |
貸出金残高 | 4兆7,566億円 |
預金残高 | 5兆7,543億円 |
特記事項: (2020年3月31日現在) |
店舗網は愛媛県(旧伊予国)内を中心に、四国他県、瀬戸内海を挟んで向かい合う山陽地方、関西(大阪府と兵庫県)、九州北部(大分県と福岡県)、東京都、愛知県に展開している。インターネット支店も開設しているほか、海外ではシンガポールに支店、中華人民共和国の上海と香港に駐在員事務所を置いている[2]。
伊予銀行は、西宇和郡川之石浦(現在の八幡浜市)に愛媛県最初の銀行として設立された第二十九国立銀行に始まる。1877年7月に第二十国立銀行を東京府に設立した、旧宇和島藩主伊達宗城の命を受けた同行の今岡好謙と宇都宮綱條が川之石浦の矢野小十郎に、銀行設立を勧めたことが発端である[4]。川之石浦は天然の良港を有し、ハゼ漁や銅資源にも恵まれ、宇和島藩や吉田藩の参勤交代における交通の要衝として栄えた浦であった。矢野らは1875年に潤業会社を設立して、近在や野村地方の製糸業者を対象に貸金業を営んでいた。
矢野を中心に宇和島の旧士族や地主、商人、網元など12人は1877年9月7日、川之石浦への国立銀行設置を大蔵省に請願した。1878年1月29日付で開業免許が下付され、同年3月15日に開業した。初代頭取には清水一朗が就任した。四国に設立された銀行としては、高知県の第七国立銀行に次いで2番目であった[5]。
松山においても銀行設立の動きがあり、旧松山藩士族加藤彰と伊藤奚疑知両名は、銀行設立を奔走した。愛媛県権令岩村高俊は「士族は理屈はいっても資力乏しく商売も下手ならん。商人は熟練はあれども規則の事などは不得手なり。依ってこれを合併せば宜しからん」として、商人との協調による銀行設立を促したが、士族間の反対が強く、結局、士族のみの出資で1878年9月25日に開業した。初代頭取は小林信近であった。1880年時点で貸付先の64%を士族が占めており、士族授産銀行の性質が強かった[6]。
日本国内では国立銀行設立の動きが止まると、私立銀行設立が相次いだ。愛媛県内においては1891年に8行あった普通銀行は、1900年には46行まで激増した。こうした私立銀行は体制が十分ではなく国立銀行を母体とする銀行より財務基盤が弱く、次第に規制が強化されていった[7]。
しかし、1901年の金融恐慌や関東大震災の震災手形による不良債権の累積は愛媛県経済にも打撃を与え、その後の銀行数は次第に減少し、再編に進んでいくこととなる。大蔵省により地方の銀行合同が示達されると、愛媛県内の銀行も再編に向かった。1920年3月には、五十二銀行が八幡濱銀行を吸収合併し、南予地方への進出を果たした[8]。
1928年1月に銀行法が施行され、最低資本金制度が導入された。この結果、大量の無資格銀行が発生することとなり、32 行のうち16行の無資格銀行が生じて、銀行合同が図られた。第二十九銀行は1933年3月に宇和島銀行を吸収し、その後、大洲銀行や八幡濱商業銀行と合同して、豫州銀行を発足させた。1931年12月に大野銀行を買収した五十二銀行は、1937年12月に仲田銀行と合併し、松山五十二銀行となり、さらに、1932年に三津濱銀行を買収した[9]。
日中戦争(支那事変)の勃発により戦時経済の色彩が一層色濃くなると、政府は一県一行主義と呼ばれる銀行合同をさらに積極的に推進した。愛媛県内においては、豫州銀行が南予地方、松山五十二銀行が中予地方、そして1900年以来、東予地方の中心銀行であった今治商業銀行が東予と、それぞれの地域を基盤とした三行に糾合された[10]。
3行に集約された後も、一県一行体制への移行が模索された。そして1941年9月1日に今治商業銀行、松山五十二銀行、豫州銀行の3行が合併し、伊豫合同銀行が設立された。本店は旧松山五十二銀行本店に設置された[11]。命名は、日本銀行総裁結城豊太郎によるものである[12]。
1944年12月15日には、伊豫相互貯蓄銀行を合併し、一県一行主義が完成した[13]。
第二次世界大戦では、松山大空襲で本店や9支店が全焼するなど甚大な被害を受けたが、防空訓練の徹底等により重要書類の殆どは難を逃れた[14]。
1951年11月1日、創立10周年を迎えたのを機に伊豫銀行に改称した。「いよぎん」の愛称で親しまれていることや、愛媛県が旧国名の伊予国として全国的に知られていることを踏まえたものであった。
また、松山大空襲で本店を焼失して以降、日本銀行松山支店に間借りして本店を営業してきたが、戦後の体制整備が一段落したことを受け、官公庁や日本銀行松山支店などが周辺に位置する元榎町支店跡地に新本店を建設することとし、1952年10月に竣工した[12]。
1969年10月1日に大阪証券取引所二部に上場、1970年には一部に指定替えとなり、1971年に東京証券取引所一部に上場した[15]。
1990年代以降、ほぼ3年毎に大規模な本部の組織改正を実施している。
愛媛県内においては、高いシェアを有しており、個人金融資産運用商品等も品揃えている。みつはしちかこによるキャラクターを採用している。
2006年より、ATM(キャッシュカード使用)および「いよぎんダイレクト」(インターネットバンキング、モバイルバンキング)による本支店宛の振込手数料が無料化されている。
地盤とする愛媛県は大企業・中堅企業が少ないことから、中小企業への取組みが中心となっている。法人向け貸出金の主力は「ビジネスサポートローン」で、用途に応じて「A」から「F」の愛称がある。他に、新分野進出応援の「ニュービジネスファンド」、環境クリーン資金、介護ビジネスローン、一次産業向け「アグリフィッシャーローン」、商工会議所メンバーズローンなどを取り扱っている。
地方銀行として、他の金融機関との競合上、品揃えの意味合いが強い商品も多い。証券・国際業務は本店のほか東京地区に分室(資金為替室)を置いて行っている。
地元の主要産業として造船・海運関係(今治・波止浜地区)があり、与信の関係から国際業務には積極的に取り組んできた。近年は中国進出企業の支援に力を入れており、毎年4月と10月には広州交易会で商談会を開催している。
有価証券の含み益は2182億円(2007年3月末)であり、地方銀行ではトップクラスである。
愛媛県や県内主要市の指定金融機関となっている。愛媛県庁および松山市役所の庁内に支店、今治市、新居浜市の市役所庁内に出張所があるほか、四国中央市(三島・川之江)、大洲市、宇和島市など県内の市役所、町役場の多くに出納係を派遣している。
店舗の配置見直しを課題とし、2004年から店舗統廃合を行っている。
新居浜市で「伊予銀行の本店」と言うと、一般的には松山市の本店ではなく新居浜支店のことを指す。新居浜支店では、年末年始など、ご祝儀需要で新札需要が高まる時期に、新札出金専用のATMや両替機を用意している。 宇和島市でも同様に「本店」といえば宇和島支店をさす[注 1]。
広島県・岡山県・香川県にも複数の店舗を有しており、それらの地域は「準地元」と位置づけ、地元有力企業・中堅中小企業との取引を進めるなど地域密着を図っている。歴史ある店舗には開設時からの地元有力取引先も数多い。一方、四国以外では、三大都市圏の東京都内(東京(日本橋)・新宿)、関西圏(大阪(本町)・大阪北(十三)・堺・神戸(三宮)・姫路)、名古屋に支店を置いている。九州地区においては大分県も準地元に指定しており6店舗を展開。福岡県においては福岡市(博多)と北九州市に各1店舗開設している。その他、山口県周南市に店舗を開設している。
1996年5月に駐在員事務所から格上げして香港支店を設置したほか、2016年12月には同様に格上げしてシンガポール支店も設置した[17]。このほか駐在員事務所を上海とニューヨークに置いている。かつてはロンドンにも駐在員事務所を設置していた。
振込時には「その振込、ちょっとまって!」と振り込め詐欺を未然に防止するメッセージが表示される。預け入れ、引き出しは千円単位となる。預金間振替は振替元のキャッシュカードと振替相手先の通帳が必要である。生体認証対応ICキャッシュカードについては、2008年から取り扱い開始した。2022年1月20日、生体認証機能付ICキャッシュカードの対応を終了[18][19]。
四国の地方銀行、第二地方銀行としては初めて、2006年に大手コンビニATM運営2社(E-net、ローソンATM)との提携合意を発表し、2007年からサービス提供を開始した。引き出し、預け入れ、振込、残高照会が行えるが、通帳は使えない。阿波銀行(徳島県徳島市)・百十四銀行(香川県高松市)・四国銀行(高知県高知市)とATM相互出金無料提携している。また、山陰合同銀行(島根県松江市)・広島銀行(広島市)ともATM相互出金無料提携を行っている。
個人向けインターネットバンキングとモバイルバンキングを総称して「いよぎんダイレクト」と呼称される。
「インターネットEB(Electronic Bankingの略)」と呼ばれる法人向けインターネットバンキングサービスを、2005年から行っている。法人向けは外為のインターネットバンキングサービスも扱っている。外国送金・輸入信用状開設等の受付機能と外貨預金の照会機能等を備えている。
個人向けインターネットバンキングは2000年からサービスを開始している。モバイルバンキングは、当初NTTドコモのi-mode向けのみでスタートし、その後、FOMA、auのEZweb、SoftBankのY!Keitaiにも対応している。2021年4月19日、モバイルバンキングサービス終了[20][21]。
2021年11月22日、カード型ハードトークン(セキュリティトークン)の発行を終了。アプリ型トークンへ一本化した[22]。
2021年6月28日、アクセンチュアと共同開発した「AGENT」アプリを公開。銀行取引や各種手続きを同アプリへ集約[23]。2021年6月1日、「口座開設アプリ」サービス終了[24]。2021年9月30日、「いよぎんのアプリ」のサービス終了[25]。
各本部・営業店毎に、若手・中堅行員が中心で係毎の「QCサークル」、支店長代理以上が中心の「方針管理」が存在し、半年を1サイクルとして、毎回様々な職場内、業務上の問題点を洗い出し、対策を検討・実施し、改善度合い(効果)の確認を行っている。特にQCサークルについては、毎回活動の成果を中間期末や年度末に発表し、優秀な活動をしたと認められたサークルは、毎年10月の全行発表大会で発表を披露し頭取から直接表彰状とトロフィーを受け取る。銀行業務に無関係の関連会社社員にもTQC全行発表大会への強制参加が義務付けられている。
1998年の郵便番号7桁化に伴い、各地区のメイン店舗は下2桁が「14」となる郵便番号を取得した。電話番号も「14」で終わるか、途中に1と4が使われている店舗がある。また、毎月14日を「イヨ(伊予)の日」としてお客様感謝デーを実施する店舗が存在する。
伊予銀行 沿革・あゆみ より(年は就任年)
100%出資子会社のいよぎんスタッフサービスから派遣されていた職員を雇止めとしたことに対し、労働契約上の地位確認と謝罪、慰謝料を求める訴訟が起こされた。この派遣職員は、上司のパワーハラスメントに対し謝罪を要求したことから、13年に渉る勤続であり主要業務を担っていたにもかかわらず契約終了とされたとされる[35]。
本件訴訟につき、第一審の松山地裁、第二審の高松高裁ともに、派遣労働者と派遣先の伊予銀行との間に雇用契約は成立せず、派遣契約についても更新しないことに違法はないと判示(松山地裁平15.5.22判決、高松高裁平18.5.18判決)。原告は最高裁に上告したものの、棄却された(最高裁第二小法廷平21.3.27判決)[36]。なお、第二審では、派遣先での不適切な対応については、1万円の損害賠償が認められている。
同行では、預金開設者の中から抽選で地元産品を送るサービスを行っている。このサービスはおおむね好評だが、2010年にはこの懸賞として送られたヒラメによると見られる集団食中毒が発生している。
2014年11月、同行は元常務取締役の男性(死亡)が取引先から不正に資金を預かり、多額の借り入れもしていたと発表した[37]。この元常務は、取引先から3,000万円を受け取った際、偽造した銀行の預かり証を渡していたほか、別の取引先から1億円を借り入れていた。同行は詐欺や業務上横領の可能性もあるとして調査している[38][39]。
2016年11月8日午前5時過ぎ、福岡市地下鉄七隈線の延伸工事真上のはかた駅前通り(博多駅前2丁目交差点付近)で道路が陥没。負傷者は避難時に1名出たものの、奇跡的に重傷者は出なかった[40]。事故現場の真横にあった福岡支店が臨時休業を余儀なくされ、一週間後の同11月15日午前5時に道路が仮復旧され、翌16日より営業が再開された[41][42]。
スポーツ・文化活動も盛んで、男子テニス部、女子ソフトボール部が社会人リーグで活躍している。以前には男子野球部も存在した。
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