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日本の俳優 ウィキペディアから
くろべ すすむ 黒部 進 | |
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2016年 | |
本名 |
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生年月日 | 1939年10月22日(85歳) |
出生地 | 日本・富山県黒部市 |
身長 | 175 cm[1] |
血液型 | O型[1][2] |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画、テレビドラマ、舞台 |
活動期間 | 1963年 - |
活動内容 |
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配偶者 | 既婚 |
著名な家族 | 吉本多香美(長女) |
主な作品 | |
テレビドラマ
映画
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富山県[出典 4]黒部市出身[出典 5][注釈 1]。富山県立桜井高等学校[13]、中央大学[6]経済学部卒業[2][7][注釈 2]。 女優の吉本多香美は長女[出典 6]。
生家は農業を営み[14]、父は教師だった[15]。中央大学に合格して上京するが、東京の雰囲気に慣れると次第に遊びにはまってしまう[16]。中大四年時には芝居に興味を持ち始め、劇団表現座に身を置く[17][14]。やがて、家賃を滞納したことからホームレスとなってしまい、靴磨きで生計を立てる[18]。ある日、靴磨きの客として来た映画監督・山本嘉次郎から、東宝ニューフェイスの受験を勧められる[19][14]。1962年、第3回オール東宝ニュータレントに応募して同期23人中トップで合格した[7][14]ものの、黒部自身はホームレスゆえに通知先を友人宅にしていた[19]うえ、彼も不在がちでなかなか連絡がつかなかったため、やむを得ず不合格にされそうになるが、山本が親代わりを務めたことで無事に合格となった[19]。
合格後は俳優研修所に入り、日本舞踊、モダンバレエ、発声とセリフの稽古などで修業を積む[19][14]。研修所の同期には緑魔子がいた[19]。同所を最後に出た後、1963年には石坂洋次郎原作の青春文芸作『暁の合唱』で主演の星由里子の相手役としてデビュー[7][14]。出身地にちなみ、プロデューサー(藤本真澄=東宝映画初代社長)から「黒部 進」の芸名を与えられる[12][20]。しかし、『暁の合唱』撮影中は失敗の連続で信頼を失ってしまい、その後は「国際秘密警察シリーズ」などの悪役に転じた[21]。1964年、本多猪四郎監督『三大怪獣 地球最大の決戦』への出演をきっかけに東宝特撮の常連となる[7]。また、戦争大作『太平洋奇跡の作戦 キスカ』などにも出演した。
1966年、『ウルトラマン』の主人公であるハヤタ役として起用され[7][20]、同作は平均視聴率36.8パーセントを記録し、黒部も「正義のヒーロー」として一躍有名になる[3]。同作終了後は再び東宝映画数本に出演したが、1969年に退社し[10]、テレビに軸足を移す。同年の『燃えよ剣』(NET)では新選組隊士・永倉新八を演じたが、その後は時代劇や刑事ドラマ、特撮で主にゲストとして悪役を演じるようになった[22][20]。『西部警察』の悪役にスポットを当てたDVDソフトシリーズ「ダーティーキャラクターコレクション」では、八名信夫や阿藤快と並んでパッケージの表題を飾っている。一方、1977年の『小さなスーパーマン ガンバロン』では主人公・天堂輝の執事ムッシュ役を演じ、悪役とは違った一面を見せている[23]。
1990年代以降は特撮ブームの再燃により、特撮作品や関連番組、イベントなどへの登場が増え、一般ドラマでの役柄も広がった。2005年には『ウルトラマンマックス』(CBC)で約40年ぶりに防衛幹部役としてウルトラシリーズに本格レギュラー出演し、2006年の『ウルトラマンメビウス』ではテレビシリーズと劇場版で再びハヤタ役として出演(ウルトラマンの声も兼任)した。
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