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日本の俳優 ウィキペディアから
円谷 浩(つぶらや ひろし、1964年3月8日[1][2][4] - 2001年7月24日[5][6])は、日本の元俳優。本名、円谷 寛(読み同一)[1][7][6]。
東京都世田谷区出身[7]。堀越高等学校卒業[1][4][7]。円谷プロダクション芸能部を経て[6]、楡プロダクションに所属していた[1]。
ウルトラシリーズなどの特撮番組で知られる円谷プロダクションの創業家一族であり、祖父は円谷英二、父は円谷一[4]。また、円谷昌弘(円谷プロダクション第5代社長)、円谷英明(円谷プロダクション第6代社長)を兄にもち、妹には円谷一美(旧名:又紀仁美、シンガーソングライター)がいる。
高校在学中に、松田聖子主演『野菊の墓』(東映)のオーディションを受けるが、最終選考の手前で落選[8]。しかしオーディションでの緊張感が忘れられず、本格的に役者を志す[8]。高校卒業後、円谷プロダクションに入社。同プロダクション芸能部所属となり、1982年にテレビドラマ『特捜最前線』(テレビ朝日)のゲスト出演でデビュー[6]。『高校聖夫婦』(TBS)の準レギュラーを経て、1984年には『宇宙刑事シャイダー』(テレビ朝日)で初主演を果たす[6]。アクション俳優でないにもかかわらず、主人公・沢村大役を体当たりで演じた。
1985年に出演したNHK新大型時代劇『真田太平記』が転機となり、以降は活躍の場を京都中心とし時代劇への出演が増える[6]。映画では、1991年に夢枕獏原作『超高層ハンティング』(松竹)で、人知れず突然変異した人間と戦うサイコシストのリーダーを演じ、『宇宙刑事シャイダー』のパイロットも手掛けた澤井信一郎監督『福沢諭吉』(東映)にも出演した[7]。
1989年『ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟』(TBS)では、ウルトラマン=ハヤタ隊員役の黒部進をモデルとした黒河進役で出演する[7][6]。パック・イン・ビデオから発売された、円谷プロ作品の集大成・再編集ビデオ『THEウルトラ伝説』シリーズでは、円谷昌弘の発案でナレーションを担当[6]。『ウルトラマンティガ』(毎日放送)の番外編的かつ円谷プロ黎明期へのオマージュ的なエピソードである「ウルトラの星」(第49話)では『ウルトラQ』の本編撮影を演出する父・円谷一の役を演じた[6]。その後、『ウルトラマンダイナ』のミヤタ参謀、『ウルトラマンガイア』の田端健二と、一連の平成ウルトラシリーズでも重要な役を務めた[6]。
俳優活動の中心であった東映京都撮影所時代には、撮影が終わるとスタッフや共演者と飲酒することが日常的だった。この影響から結果として肝機能障害を発症し[9]、2000年に体調不良を理由に俳優を引退[10]。同年4月より円谷プロダクション芸能部マネージャーを務めていたが[10]、翌2001年7月24日、神奈川県相模原市の病院で肝不全のため逝去。37歳没[5]。
死後に発売されたゲーム作品『宇宙刑事魂』では、『宇宙刑事シャイダー』の沢村大 / シャイダー 役をかわむら拓央が代演している。
趣味は、球技[4]。高校時代は、バレーボール部に所属していた[8][6]。
俳優の神谷まさひろは高校の同級生で、『宇宙刑事シャイダー』の第5話「突然! なまけもの」に神谷がゲスト出演したのはその時の縁だと思うと神谷は述べている[11]。
『宇宙刑事シャイダー』の撮影現場では役名にちなみ、「大」「大ちゃん」などの愛称で親しまれていた[8]。アクション監督の金田治からはなぜか「ダイスケ」と呼ばれ、後年誕生した自身の息子に「大介」と名付けたという[12]。
『宇宙刑事シャイダー』最終回スペシャルにおいて、シャイダーのスーツを初めて着用[10][13]。シャイダーのアクションを担当した清水朗にポージングを習い、本編を含めスチール写真など全てを演じた[10]。
小西博之とは友人であった。小西によると『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』で円谷に捧げる意味で自分の役名を「日向浩」に変更してもらったという[14]。
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