1967年のテレビ(1967ねんのテレビ)では、1967年(昭和42年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
- 1月
- 2月
- 11日 - フジテレビが、この日放送の『ズバリ!当てましょう』で、自社制作において初のスタジオカラーカメラ(カラーVTR使用)による番組を制作・放送。第1弾は、クイズ番組で、同番組カラー放送第1回にちなんで、『カラーで当てましょう』という題が付けられた。[注 1]
- 20日 - NHK徳島放送局、UHF大電力放送の技術上の諸問題について実験、調査を行うため徳島教育テレビジョン実験局開局。日本初のUHF大電力局(第38チャンネル、映像出力最大30kW、空中線は双ループ16面3段、全方向、水平偏線)[7]。7月26日、電波技術審議会は実験結果のデータを総合して大電力のUHFの送受信とも技術的には可能、と答申。UHF親局免許を可能とした。翌年2月20日に本放送開始[8]。
- 期日不明 - 高知放送がカラー放送を開始。[9]
- 3月
- 1日 - この日、フジテレビの開局8周年記念の1つとして、この日の同系列の朝のワイド番組「小川宏ショー」が特別にカラーで生放送。これが、同局制作に於いて初のカラー生放送となった。この日は、1967年のパリのニューモードのファッションショーや、絵による子供の性格や知能テストの紹介等が放送された。[10]
- 3日 - フジテレビ系で開局8周年記念番組として、当時のフジテレビ系番組出演者による『世紀のバラエティ』をカラーで放送[11]。期首特番『オールスター春秋の祭典スペシャル』(1978年春 - 1982年秋)の母体となる。
- 27日
- 4月
- 1日
- 2日 - フジテレビ系でタツノコプロ制作のテレビアニメ『マッハGoGoGo』放送開始( - 1968年3月31日)。
- 3日
- NET、正式にカラー放送を開始(在京民放局では4局目)。[注 2][12][17]
- NHK、新年度の番組編成を開始。
- 九州朝日放送で月~金曜帯枠のローカルニュースショー『ティータイムショー』開始(1975年3月28日に一旦終了[19]し1980年10月6日に再発足。1983年8月5日まで続く) [20]。
- 5日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、東映制作による特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影』(横山光輝原作)が放送開始。日本初のカラー製作によるテレビ時代劇( - 1968年3月28日)。
- 8日 - NHKの園芸番組『趣味の園芸』放送開始(2022年現在も継続)[18]。
- 9日 - TBS系「タケダアワー」の特撮ドラマ『ウルトラマン』(円谷プロダクション制作)がこの日最終回(第39話)。ウルトラ兄弟の長兄・ゾフィー(CV:浦野光)が初登場。
- 10日 - 経営悪化のため前年から放送時間を5時間半に短縮していた東京12チャンネル(現・テレビ東京)が営業活動を再開、放送時間を9時間に拡大。番組は在京キー局やNHKから調達。翌日からはプロ野球ナイター中継を開始。6月5日には11時間40分、10月2日には15時間となる[16]。またこの日から平日18:45に海外アニメ再放送枠『マンガのくに』を開始、当初は15分枠だったが、1977年4月から30分枠に拡大、1980年3月限りで一旦休止、同年10月から国産アニメ再放送枠に変更し再スタート、1989年9月28日まで22年続く人気番組となった。
- 16日 - NETで放送していた医療情報番組『話題の医学』(NET:1960年6月 - 1967年3月31日)が放送局を東京12チャンネルへ移籍しこの日放送開始、50年近く続く長寿番組となる( - 2016年12月25日)。
- 26日 - TBSが初代6号中継車(カラー仕様)を導入(カメラには、前年Gスタで導入されたフィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを4台使用。)。導入日当日にこの中継車を使い、自系列で、川崎球場からのプロ野球ナイター中継「大洋 対 巨人」をカラーで放送。これを機に、自社でのカラー中継車を使った番組制作を、本格的に始める。[5][21][22]
- 30日 - TBS、前述の初代6号中継車の導入を受け、プロボクシング中継のカラー放送を本格的に開始。この日は自系列にて、世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「サンドロ・ロポポロ 対 藤猛」の試合を、蔵前国技館からカラーで中継[6][23]。関東地区にて39.9%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)[3]。
- 6月
- 7月
- 9月
- 10月
- 11月
- 12月
当時の郵政省による「テレビジョン放送用周波数の割り当て計画」の大幅修正により、UHFのうち、従来中継局のみ使用している第45チャンネルから第62チャンネルに加え、親局用として第33チャンネルから第44チャンネルの使用が新たに開放された(10月13日)。これによりUHF第1次チャンネルプランで新規UHF局の予備免許が下りる。なおこの時のテレビ単営民放については、“JO*H”のパターンで揃えられた。
予備免許が下りた日及び主な局は、以下の通り[45]。同一市区町村内で移転した場合は現所在地の記述を略す。
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(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[3]
- 第18回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.7%
- プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ベルナルド・カラバロ」(フジテレビ、7月4日)57.0%
- 連続テレビ小説 おはなはん(NHK総合、1月19日)55.7%
- プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ジョー・メデル」(フジテレビ、1月3日)53.9%
- 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、10月7日)52.9%
- ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)49.0%
- プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「フラッシュ・エロルデ×沼田義明」(TBS、6月15日)48.5%
- プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ウイリー・クワルトーア」(TBS、11月16日)47.9%
- ニュース(台風22号関連)(NHK総合、9月13日 7:00-7:20)44.4%
-
- 即日開票をかえりみて(第31回衆議院議員総選挙)(NHK総合、1月30日)43.5%
- カメラリポート(NHK総合、9月13日)43.5%
- スタジオ102(NHK総合、9月13日)43.2%
- ウルトラマン(TBS、3月26日)42.8%
- プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「沼田義明×小林弘」(TBS、12月14日)41.9%
- ザ・ガードマン(TBS、9月22日)40.5%
- てなもんや三度笠(TBS、1月1日)40.4%
- プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×サンドロ・ロボポロ」(TBS、4月30日)39.9%
- 即日開票当選者当確者写真紹介(第31回衆議院議員総選挙)(NHK総合、1月30日 7:20-8:00)39.0%
- メキシコ国際スポーツ大会フラッシュ(NHK総合、10月28日 8:05-8:13)38.1%
-
テレビドラマ
- NHK
- 日本テレビ系
- TBS系
- フジテレビ系
- NETテレビ系
子供向けドラマ
- NHK
- 日本テレビ系
- TBS系
- フジテレビ系
- NETテレビ系
注釈
当時の朝日新聞縮刷版、フジ・メディア・ホールディングスの株主用決算報告書に記載。
同局のカラー放送第一号は、アニメ『魔法使いサリー』の同年4月3日放送分の第18話「パパはにせもの」で、その放送の1週間前の前月(3月)27日に同予告のみが初めてカラーで放送された。ちなみに1984年に全国朝日放送(当時のテレビ朝日の正式社名)が発行した「テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年」の402ページでは、同局は同月23日に(関東電波管理局の)カラー放送化の落成検査に合格し、3日後の26日にマスターのカラー化工事を完成し、同日に火入れ式を行い、翌月(4月)の3日にカラー放送を開始したと記載されている。即ち、この予告編が放送された時点では既に、カラー本放送の落成検査に合格して、同免許を取得した状況で放送していることとなる。
ちなみに、両局共初のカラー番組は、この日午前7時45分から45分間に渡って同時ネットで放送された『開幕迫るモントリオール博』だった。[15]
設立発起人会は前年の12月7日。民放の公共的使命をいっそう認識し、特に教育放送を重視しようという要望が高まり団体を強化することになり再発足を決めた。主務官庁である文部省は民教協の活動を育成する方針をたて、1967年度下半期の教育テレビ放送実施委託費約5,300万円(内訳は社会教育番組制作費にネット料、電波料含めて約5,000万円、番組調査研究費約300万円)を計上、国会審議を経て決定された。放送五十年史資料編 251、252頁 日本放送協会編
略称はOHK。同じ略称を使用する岡山放送(1968年設立、1969年開局)とは無関係。
実際は全49話だが、第12話が欠番のため1話削減。
芸術祭参加番組。カラーで放送。放送五十年史資料編 805頁 日本放送協会編
当初は1966年5月15日に第20話として放送する予定だったが「怪獣が出ないうえにストーリーが難解」という理由で本放送が見送られていた(この時は放送日程を1週ずつ繰り上げとし、7月10日には次作『ウルトラマン』(1966年7月17日 - 1967年4月9日、全39回)の事前特番として『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』(杉並公会堂で収録)を急遽放送した)。
朝日放送が2000年に刊行した「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の「Ⅴ.大淀時代はじまる 4.カラー化とテレビ番組」内の「トップは『てなもんや三度笠』」(162~3ページ)及び「朝日放送の50年 Ⅱ 番組おもしろ史」の「藤田まこと、売り出す! 『てなもんや三度笠』」(51~61ページ)内に於いての「カラー番組の第1号に」に、その際の模様が記されている。但し、後者の文書内にカラー初放送の日付が12月7日と記されているが、この日は木曜日で、番組を放送する日ではないので誤り。正確には、「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分及び「朝日放送の50年 Ⅲ 資料集」の年表項目の1967年の「朝日放送の動き」(300ページ)に記されている「12月17日」(この日は番組を放送する日曜日)が正しい。更に「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分には、初カラーの第294話が同年11月10日にABCホールにて収録されたとあり、カラー・カメラは1969年6月までNEC製のそれが入るまでは、当時キー局のTBSも使用していたフィリップス社製のプランビコン式を使用していたと記されている。
演奏所(スタジオ)となる放送センターは当時長岡市に置かれた。
岡山県と香川県を民放テレビに限り同一エリアとしたのは1979年から。
現在のMBS毎日放送グループが、1951年9月のラジオ開局時から1958年5月末まで、同じ「新日本放送」の名称で放送を行っていたが、それとは別の会社である。但し東阪のテレビ腸捻転ネットが解消されるまでは、同じANN系列であった。
当初『夢みるアン』として放送開始される予定だった。
「ナッソーの魅力」(#357 1967年7月16日放送)、「スコットランドの想い出」(#362 1967年8月20日放送)、「第18次取材ハイライト U.S.A.」(1967年9月10日放送)はモノクロ放送
この番組を制作している米NBCでは、第1話からカラーで制作・放映されている。
フィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを備えた中継車(同局初代6号、カラー仕様)を導入したことにより、本格的なカラー中継が実現した。
出典
朝日新聞 1967年1月3日 朝刊9ページ 1月3日テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
九州朝日放送三十年史 資料編108頁 九州朝日放送株式会社編
株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、254~5頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、338頁。
徳島新聞 1967年2月20日付朝刊2頁 広告(NHK徳島)
1967年3月1日 朝日新聞朝刊 P.9 テレビ欄 番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)、及び同日読売新聞朝刊 P.10 テレビ欄(読売新聞ヨミダス歴史館で閲覧)
1967年2月22日 読売新聞朝刊 P.10 テレビ欄記事「世紀のバラエティー フジテレビ・開局8周年の記念番組」(読売新聞ヨミダス歴史館で閲覧)
毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、482頁。
1967年4月1日 朝日新聞 大阪版及び西部版 共に朝刊P.9 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
熊本日日新聞 昭和50年3月28日14頁(ラジオ•テレビ欄)
九州朝日放送三十年史 360〜363頁 九州朝日放送株式会社編
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、246,338頁。
朝日新聞 1967年4月26日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1967年4月30日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1967年6月15日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
日本放送協会 編『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年、556頁。
朝日新聞 1967年9月2日 朝刊9ページ テレビ欄 記事「ドン・カルロ 初日をカラー録画で放送 イタリア歌劇団公演」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1967年9月24日 朝刊8ページ 9月24日テレビ欄 番組記事「日曜劇場 おたふく物語 36歳で舞込んだ縁談 童心を失わぬ下町の女」の記事に記載。(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
日本中央競馬会総務部(編集)『日本中央競馬会20年史』1976年、185頁。
朝日新聞 1967年11月12日 大阪版朝刊 P.11 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1967年11月16日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1967年11月26日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞 1967年12月14日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、161~3頁。
朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅱ 番組おもしろ史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、58~9頁。
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朝日新聞 1967年12月24日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1967年4月27日 朝刊 P.9 テレビ欄 番組表 及び 番組紹介記事「青春トリオを中心に 新番組 太陽のあいつ」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
朝日新聞大阪版 1967年4月8日 朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーで閲覧)
朝日新聞大阪版 1967年4月1日 朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1967年4月3日 朝刊10ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1967年10月5日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞社 聞蔵IIビジュアル 1967年6月6日 東京 朝刊 9P
朝日新聞社 聞蔵IIビジュアル 1967年7月11日 東京 朝刊 9P
朝日新聞社 聞蔵IIビジュアル 1967年8月22日 東京 朝刊 9P
朝日新聞社 聞蔵IIビジュアル 1967年9月5日 東京 朝刊 9P
朝日新聞 1967年12月31日 朝刊10ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、87頁。
日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、90頁。
朝日新聞 1967年4月26,30日 共に朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)