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浄土真宗の宗派のひとつ。本山は京都の真宗本廟(東本願寺) ウィキペディアから
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である[1][2]。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。
略称 | 大谷派, 東本願寺 |
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愛称 | 大派, お東 |
法人番号 | 6130005000927 |
法的地位 | 宗教法人 |
目的 | 宗祖親鸞聖人の立教開宗の精神に則り、教法を宣布し、儀式を執行し、その他教化に必要な事業を行い、もって同朋社会を実現することを目的とする。 |
本部 | 京都府京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754番地 |
宗務総長 | 木越 渉 |
加盟 | 真宗教団連合 |
ウェブサイト |
www |
阿弥陀如来一佛を本尊とし[3]、親鸞を宗祖とする[4]。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする[5]。
宗教法人の事務所は「真宗大谷派宗務所」と称し、京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754番地に置く[1]。法人の代表役員は、宗務総長が務める[1]。2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638[6]。大谷派に属する僧侶および門徒の首位にある「門首」の地位、宗務に関する行為については、門首の節を参照のこと。
浄土真宗系の教団で結成する「真宗教団連合」に加盟し、加盟団体と相互の連絡・提携を取る。また同連合の事務総局は2年ごとに移管し、真宗大谷派宗務所と浄土真宗本願寺派宗務所が交代で担当する[7]。
宗派名は「浄土真宗本願寺派」との区別の便宜上、大谷派は「お東」「大派」、本願寺派は「お西」「本派」と通称される。同様に、本山の通称[注釈 1]である「東本願寺」を宗派名の意で用いる場合もある。
但し寺号として正式に「東本願寺」を用いるのは東京の浅草にある東本願寺(旧東京本願寺)である。真宗大谷派は「本願寺」を解散させたため、寺院としての「東本願寺」ではなく宗派の礼拝所としての「真宗本廟」としている。そのため、本来の本山である「本願寺」は消滅し、末寺による集合体として存在する。なお、宗派の通称として本願寺派を西本願寺派と、大谷派を東本願寺派と俗用されていることがあるが、この表現を用いないのも大谷派と東本願寺派との混同を防ぐことになっている。
宗教法人としての規則は、『宗教法人「真宗大谷派」規則』[8]である。同規則第3条に、真宗大谷派の最高規定は『真宗大谷派宗憲』(以下、『宗憲』)[9]としている。また『宗憲』第5条において、『宗憲』を最高規範と定めている。本ページは、『宗憲』に定められている事項を中心に要約・引用し、記述する。
『宗憲』第2条に「本派は、宗祖親鸞聖人の立教開宗の精神に則り、教法を宣布し、儀式を執行し、その他教化に必要な事業を行い、もって同朋社会を実現することを目的とする。」と定める。
本願寺教団の成立から「本願寺」の東西分立による本願寺教団分裂までの歴史の詳細は、「本願寺の歴史」を参照。
明治14年(1881年)6月25日、公式の宗派名を「真宗大谷派」と定める[10]。当時の法主は第二十一代 嚴如[11]。
明治16年(1883年)9月、「大谷派寺法」を制定する[12]。法主が本山本願寺の住職[13]と真宗大谷派教導職の管長[14]を務めることが定まる。
昭和37年(1962年)7月、「同朋会運動」発足[15]。当時の宗務総長は訓覇信雄(訓覇信雄-くるべしんゆう)。
昭和44年(1969年)4月、第24代法主闡如が「私が兼務している法主・本願寺住職・管長のうち、管長職だけを長男光紹新門に譲る」と発表した「開申事件」を契機に、教義解釈や宗派運営の方針、財産問題等を巡り、大谷家と改革派が主導する真宗大谷派内局とが対立する。(詳細は「お東騒動」を参照。)
昭和56年(1981年)6月11日、新「真宗大谷派宗憲」(新宗憲)発布。宗憲改正にともない、「法主」を廃して「門首」を新たに設け、本願寺住職及び管長の役職を廃止した。
昭和62年(1987年)12月、内局(宗務総長及び参務で組織される。)は、宗教法人法に基づいて「宗教法人 本願寺[17]」を解散の登記[18]を行い、「宗教法人 真宗大谷派」に吸収合併する。当時の法主は、第二十四代法主 闡如。合併により真宗大谷派の本山としての礼拝施設となり、正式名称を「真宗本廟」と変更する。また、「東本願寺」の通称も公式に併用している。
この節の加筆が望まれています。 |
※本願寺の正式名称は「久遠実成阿弥陀本願寺」
以下は、真宗大谷派から離脱・独立した宗派で、これらは別の宗教法人・宗教団体である。
正依の聖教は、以下のとおりである。
下記の経典を総称して「浄土三部経」と呼ぶ。
龍樹造
天親造
曇鸞撰
道綽撰
善導撰
源信撰
「正信念仏偈」(略称、「正信偈)」) - 『教行信証』の「行巻」の末尾にある、7言120句からなる偈文である。 |
以下の書籍・消息(手紙)は、『宗憲』に定められる「正依の聖教」には含まれないが、真宗大谷派の聖典である『真宗聖典』に収録され教化などに用いられる。
親鸞消息
唯円[注釈 15]
聖覚
著者不明[注釈 20]
源信[注釈 21]
源空(法然)
真宗大谷派の本山については、『宗憲』第3章「本山」に以下の通り規定されている[5]。 |
「本派の教義は、宗祖親鸞聖人が、佛説無量寿経に基づいて、顕浄土真実教行証文類[27]を撰述して開顕した本願[注釈 28] の名号を体とする往還二廻向[注釈 29] を要旨とする。」と『宗憲』第8条に定める。
真宗大谷派門首については、『宗憲』第4章「門首」に以下の通り規定されている[28]。 |
2020年現在、大谷暢裕門首(第二十六代・法名「修如」)。
大谷派における歴代の正式呼称に関する注意 歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首[注釈 31]」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。 親鸞のみ「宗祖」と呼称し、「聖人」と敬称する。 宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。 法名の表記は、真宗大谷派宗務所出版部発行の2010年版『真宗大谷派手帳』2頁による。 西暦は、1581年まではユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦。 |
名前 | 生年月日 | 継承年月日 | 委譲年月日 | 命日 | 備考 | 脚注 | |
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宗祖 | 親鸞 | 承安3年4月1日 (1173年5月14日) | --- | --- | 弘長2年11月28日 (1263年1月9日<[注釈 32]) | 第三代覺如により「宗祖」に定められる。 | |
※ | 覺信尼 | 元仁元年 (1224年)? | 建治3年 (1277年) | 弘安6年11月24日? (1283年12月14日?) | 「大谷廟堂」初代留守職。 | ||
第二代 | 如信 | 嘉禎元年 (1235年) | --- | --- | 正安2年1月4日 (1300年1月26日) | 第三代覺如により「第二代」に定められる。 | [注釈 33] |
※ | 覺惠 | 暦仁2年/延応元年頃 (1239年頃) | 弘安6年11月24日? (1283年12月14日?) | 徳治2年4月12日 (1307年5月14日) | 「大谷廟堂」第二代留守職。 | [注釈 34] | |
第三代 | 覺如 | 文永7年12月28日 (1271年2月9日) | 延慶3年 (1310年) | 貞和6年/観応元年 (1350年) | 観応2年[29]1月19日 (1351年2月15日) | 「本願寺」の実質的開基。 覺如は、退隠による委譲と存覺義絶による復職を繰返す[注釈 35]。 存覺は、本願寺留守職には復職せずに甥の善如に委譲する。 | [注釈 36][注釈 37][注釈 38] |
※ | 存覺 | 正応3年6月4日 (1290年7月11日) | 就任期間は脚注[注釈 35]を参照。 | 応安6年2月28日 (1373年3月22日) | |||
第四代 | 善如 | 正慶2年2月2日 (1333年2月16日) | 貞和6年/観応元年 (1350年) | 康応元年2月29日 (1389年3月27日) | |||
第五代 | 綽如 | 観応元年3月15日 (1350年4月22日) | 康応2年/明徳元年 (1390年) | 明徳4年4月24日 (1393年6月4日) | [注釈 39] | ||
第六代 | 巧如 | 永和2年 (1376年) | 応永元年 (1394年) | 永享8年 (1436年) | 永享12年10月14日 (1440年11月8日) | ||
第七代 | 存如 | 応永3年7月10日 (1396年8月13日) | 永享8年 (1436年) | 長禄元年6月18日 (1457年7月9日) | |||
第八代 | 蓮如[注釈 17] | 応永22年2月25日 (1415年4月4日) | 長禄元年6月18日 (1457年7月9日) | 延徳8年 (1489年) | 明応8年3月25日 (1499年5月5日) | 本願寺中興の祖。 | |
第九代 | 實如 | 長禄2年8月10日 (1458年9月17日) | 延徳8年 (1489年) | 大永5年2月2日 (1525年2月23日) | |||
第十代 | 證如 | 永正13年11月20日 (1516年12月13日) | 大永5年2月2日 (1525年2月23日) | 天文23年8月13日 (1554年9月9日) | |||
第十一代 | 顯如 | 天文12年1月7日 (1543年2月10日) | 天文23年8月13日 (1554年9月9日) | 文禄元年[注釈 40]11月24日 (1592年12月27日) | →「石山合戦」も参照 | ||
以降、東本願寺歴代 | [注釈 41] | ||||||
第十二代 | 敎如 | 永禄元年9月16日 (1558年10月27日) (1558年11月6日[30]) | 文禄元年11月24日 (1592年12月27日) | 慶長19年10月5日 (1614年11月6日) | 文禄2年(1593年)閏9月16日、豊臣秀吉の命により一旦退隠させられる。 慶長7年(1602年)、徳川家康より烏丸六条に寺地を寄進され本願寺を分立して復職する。 | ||
第十三代 | 宣如 | 慶長7年 (1602年) | 慶長19年10月5日 (1614年11月6日) | 承応2年12月 (1654年1 - 2月) | 万治元年7月25日 (1658年8月23日) | ||
第十四代 | 琢如[注釈 42] | 寛永元年 (1625年) | 承応2年12月 (1654年1 - 2月) | 寛文4年11月 (1664年12月 - 1665年1月) | 寛文11年4月14日 (1671年5月22日) | ||
第十五代 | 常如 | 寛永18年 (1641年) | 寛文4年11月 (1664年12月 - 1665年1月) | 延宝7年 (1679年) | 元禄7年5月22日 (1694年6月14日) | ||
第十六代 | 一如 | 慶安2年 (1649年) | 延宝7年 (1679年) | 元禄13年4月12日 (1700年5月30日) | |||
第十七代 | 眞如 | 天和2年 (1682年) | 元禄13年4月12日 (1700年5月30日) | 延享元年10月2日 (1744年11月5日) | |||
第十八代 | 從如 | 享保5年 (1720年) | 延享元年10月2日 (1744年11月5日) | 宝暦10年7月11日 (1760年8月21日) | |||
第十九代 | 乘如 | 延享元年 (1744年) | 宝暦10年7月11日 (1760年8月21日) | 寛政4年2月22日 (1792年3月14日) | |||
第二十代 | 逹如 | 安永9年 (1780年) | 寛政4年2月22日 (1792年3月14日) | 弘化3年5月22日 (1846年6月15日) | 慶応元年11月4日 (1865年12月21日) | ||
第二十一代 | 嚴如[11] | 文化14年3月7日 (1817年4月22日) | 弘化3年5月22日 (1846年6月15日) | 明治22年10月7日 (1889年10月7日) | 明治27年1月15日 (1894年1月15日) | ||
第二十二代 | 現如 | 嘉永5年7月27日 (1852年9月10日) | 明治22年10月7日 (1889年10月7日) | 明治41年11月 (1908年11月) | 大正12年2月8日 (1923年2月8日) | →「本願寺道路」も参照 | |
第二十三代 | 彰如 | 明治8年2月27日 (1875年2月27日) | 明治41年11月 (1908年11月) | 大正14年9月 (1925年9月) | 昭和18年2月6日 (1943年2月6日) | ||
第二十四代 | 闡如 | 明治36年10月1日 (1903年10月1日) | 大正14年9月 (1925年9月) | 平成5年4月13日 (1993年4月13日) | 闡如の没後は、お東騒動による教団内部の混乱によって後継門首不在となる。 | ||
※ | 大谷演慧 (闡教) | 大正3年11月14日 (1914年11月14日) | 平成5年4月17日 (1993年4月17日) | 平成8年7月31日 (1996年7月31日) | 平成20年1月28日 (2008年1月28日) | 門首不在期間は、鍵役の大谷演慧が「門首代行」を務める。 | |
第二十五代 | 大谷暢顯 (淨如) | 昭和5年3月27日 (1930年3月27日) | 平成8年7月31日 (1996年7月31日) | 令和2年6月30日 (2020年6月30日) | - | 前門首。 | |
第二十六代 | 大谷暢裕 (修如) | 昭和26年8月17日 (1951年8月17日) | 令和2年7月1日 (2020年7月1日) | 現職 | - | 現門首。 |
藤原鎌足 (中臣 鎌足) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
定恵 (中臣真人) | 藤原不比等 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原武智麻呂 | 藤原房前 〈藤原北家〉 | 藤原宇合 | 藤原麻呂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原鳥養 | 藤原永手 | 藤原真楯 | 藤原清河 | 藤原魚名 | 藤原御楯 | 藤原楓麻呂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原真永 | 藤原永継 | 藤原内麻呂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原真夏 〈真夏流〉 | 藤原冬嗣 〈藤原北家嫡流〉 | 藤原秋継 | 藤原桜麻呂 | 藤原福当麻呂 | 藤原長岡 | 藤原率 | 藤原愛発 | 藤原大津 | 藤原衛 | 藤原助 | 藤原収 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原吉備雄 | 藤原越雄 | 藤原是雄 | 藤原多雄 | 藤原濱雄 | 藤原恒雄 | 藤原平雄 | 藤原松雄 | 藤原栢雄 | 藤原竹雄 | 藤原椿雄 | 藤原輔房 | 藤原関雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原家宗 | 藤原門宗 | 藤原貞則 | 藤原飽永 | 藤原益友 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原弘蔭 | 藤原継蔭 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原繁時 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原輔道 | 藤原輔忠 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原有国 (日野有国) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原広業 | 藤原資業 (日野資業) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原家経 | 藤原実綱 (日野実綱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原正家 | 藤原有綱 | 藤原有信 (日野有信) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原俊信 | 藤原実義 | 日野実光 | 藤原宗光 (日野宗光) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日野資長 〈日野家嫡流[注釈 43]〉 | 藤原経尹[31] (日野経尹) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤原範綱[注釈 44][31] (日野範綱) | 藤原宗業[31] (日野宗業) | 藤原有範[31] (日野有範) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(九条兼実の娘)[注釈 45] | 宗祖親鸞 | 恵信尼[注釈 46] | 尋有 | 兼有 | 有意 | 行兼 | 藤原信綱 (日野信綱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
印信[32] (範意) | 小黒女房 | 慈信房善鸞[注釈 47] | 信連房明信 | 益方入道有房 (道性) | 高野禅尼 | 小野宮禅念 | 覺信尼 | 藤原広綱 (日野広綱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二代如信 | 唯善[注釈 48] | 覺恵 | 光玉尼[注釈 49][33] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第三代覺如宗昭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
存覺光玄 〈真宗木辺派〉 | 從覺慈俊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第四代善如俊玄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第五代綽如時藝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第六代巧如玄康 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第七代存如圓兼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第八代蓮如兼壽 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
順如 | 蓮乘 | 蓮綱 | 蓮誓 | 第九代實如光兼 | 蓮淳 | 蓮悟 | 實悟 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
圓如光融 | 慶寿院 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十代證如光敎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十一代顯如光佐 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十二代敎如光壽[注釈 50] 〈東本願寺法主〉 | 顯尊佐超[34] 〈興正寺〉 | 准如光昭[35] 〈西本願寺宗主〉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十三代宣如光從 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十四代琢如光瑛 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十五代常如光晴 | 第十六代一如光海 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十七代眞如光性 | 一圓海慧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十九代乘如光遍 | 第十八代從如光超 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二十代逹如光朗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二十一代嚴如光勝 | 和子[注釈 51] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二十二代現如光瑩 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二十三代彰如光演 | 章子[注釈 52] | 大谷瑩潤 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第二十四代闡如光暢 | 智子[注釈 53] | 大谷暢慶 | 大谷演慧[注釈 54] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大谷光紹 | 大谷暢順 | 第二十五代大谷暢顯(淨如) | 大谷暢道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大谷暢裕[注釈 55] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大谷裕[注釈 56] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
略系図出典
上記の基本方針に従い、種々の教化活動・社会活動・諸事業を展開している。
運営は、「中央」と「地方」の組織により行われる。それぞれの組織は、以下に示す通り三権分立(宗務機関〈「行政府」に相当〉・立法機関〈「立法府」に相当〉・司法機関〈「司法府」に相当〉)の形態を取る。
「宗会」は、大谷派の最高議決機関であり、すべての予算、決算、条例案などを議決する。また、宗務総長を指名する(門首が認証する)。「宗議会」と、「参議会」の両議院で構成する。宗議会には、参議会に対する宗議会の優越が宗憲で定められている。
宗議会は、各教区の僧侶から選出される議員(65人以内)で組織する。宗議会には、その議長、副議長及び宗議会で互選した者の合計10人の参与会員で組織する参与会が置かれている。
参議会は、各教区の門徒から選出される議員(65人以内)で組織する。参議会には、その議長、副議長及び参議会で互選した者の合計10人の常務会員で組織する常務会が置かれている。
「内局」は、大谷派の宗務執行機関であり、宗会により指名された「宗務総長」、および五人の「参務」で組織する。
宗務総長は、真宗大谷派の教師の中から、宗会が指名し、門首がこれを認証する。この指名は、他のすべての議案に先だって、これを行うとする。また、宗教法人たる真宗大谷派の代表役員となる。参務は、真宗大谷派の教師の中から、宗務総長が任命し、宗務総長は、参務を罷免することができる。
2015年現在の宗務総長は、里雄 康意(大垣教区第17組 緑林寺住職)。
参務は、但馬弘 (55) =石川県小松市、興宗寺住職▽木越渉 (57) =石川県かほく市、光専寺住職▽富田泰成 (62) =愛知県稲沢市、妙用寺住職▽望月慶子 (73) =兵庫県洲本市、浄泉寺衆徒▽三島多聞 (70) =岐阜県高山市、真蓮寺住職[36]。
内局の職務は、以下の通りである。
「董理院」は、宗義に関する重要事項を審議し、及び宗務総長の申報により、宗義に関する言説についての正否を判ずる。 董理院は、董理10人以内で組織する。 董理は、講師及び嗣講の中から、宗務総長が任命する。任期は4年。
「審問院」は、大谷派の秩序を保持し、同派の規定による申立及び係争又は紛争に関する事項並びに僧侶の懲戒に関する事項について監察、提訴及び審決を行う。
審問院には、大谷派の教師の中から、宗議会の同意を得た者について、内局がこれを指名した審問院長を1人置く。審問院長は門首が認証する。
国内を30の「教区」に分け、その下に420の「組」に分ける。また、海外に3つの「開教区」を設ける。
地方の宗務を運営するため、全国を教区に分け、各教区に教務所長を置き、教務所を設けている。
教区の宗務機関として、教務所長を委員長とする教区教化委員会を置く。
教区の議決機関として、教区会(教区に各組から選出される僧侶の代表で組織する)と教区門徒会(各組門徒会から互選された代表者である「教区門徒会員」で組織する)を置く。
地方宗務審査機関として、各組にて住職が互選した査察委員で構成される紛議調停委員会を教区に設け、宗務上の紛議について審査調停する。
連区
また、全国を5つの「連区」に分け、国内各教区の広域的な連携をはかり、各地域における聞法・弘教活動を一層推進することを目的として、連区制が定められている。
開教を必要とする地に開教区を設け、これに開教監督を置き、開教監督部を設けている。
地域的偏頗はあるものの下記の通りほぼ全国に、各教区・開教区における教法の聞信・宣布の拠点として、国内に51寺院・海外に2寺院が「別院」として設置される。
設立の経緯は、下記の通りである。
別院に住職1人を置き、「門首」がこれに当る。ただし、「門首」以外の者を住職とすることもできる。また、別院に「輪番」1人を置き、住職の職務を代掌し、宗教法人である別院の代表役員となる。
別院に院議会が置かれ、輪番が選定した院議会議員が置かれる。また、院議会に常議員会が置かれ、院議会で院議員の互選で選定される。
「教区」を「組」(そ)に分け、普通寺院、教会その他の所属団体を分属させている。ただし別院は、教区又は開教区の所属とする。組には、組長と数名の副組長を置く。
組の宗務機関として、組会で選出される組長を委員長とする「組教化委員会」を置く。
組の議決機関として、「組会[37]」と「組門徒会[38]」を置く。
教区・別院
北海道教区(北海道)
東北教区(東北)
東京教区(茨城県・群馬県・栃木県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・山梨県・長野県)
三条教区(新潟県東部・北部)
高田教区(新潟県西部)
なお、三条教区と高田教区は統合し、新潟教区となることが決定している。
富山教区(富山県東部)
高岡教区(富山県西部)
能登教区(石川県能登地域)
金沢教区(石川県南部)
小松教区(石川県小松市、および周辺地域)
大聖寺教区(石川県加賀市、および周辺地域)
小松教区並びに大聖寺教区については、2021年4月12日、13の両日、2023年7月に合併し「小松大聖寺教区」となることを両教区会と門徒会で議決し、正式に決まった[39]。
福井教区(福井県・岐阜県郡上市の一部)
岐阜高山教区(岐阜県広域)
大垣教区(岐阜県西部)
岡崎教区(静岡県・愛知県東部)
名古屋教区(愛知県西部)
三重教区(三重県)
長浜教区(滋賀県北部・福井県敦賀市)
長浜教区は2024年度に京都教区に吸収合併されることが2022年に決定している。合併後は特別区として存続し、長浜教務所は支所として存続する。
京都教区(福井県若狭地域・滋賀県〈北部を除く〉・京都府・兵庫県北部・鳥取県・島根県)
大阪教区(大阪府・兵庫県南東部・奈良県・和歌山県)
山陽教区(兵庫県南西部・岡山県・広島県・山口県)
四国教区(香川県・愛媛県・徳島県・高知県)
九州教区(九州・沖縄)
福岡都市圏の門徒に向けた仏事サポートセンター福岡として2021年に福岡市内に新設。
準開教区
沖縄開教本部 - 沖縄別院内[41]
海外開教区
ハワイ開教区
ハワイ開教監督部 - 東本願寺ハワイ別院内
北米開教区
北米開教監督部[42] - 244 South San Pedro St.,#304[43] Los Angeles, CA 90012 U.S.A.(位置情報)
南米開教区
南米開教監督部 - 東本願寺南米本願寺内
戦前に存在した別院
真宗大谷派付設の研究機関。2017年9月現在の教学研究所長は、楠信生(北海道教学研究所元所長・北海道教区第17組 幸福寺住職[44])。ちなみに本願寺派の教学研究調査機関の名称は、「本願寺教学伝道研究所」である[45]。
真宗教化センター しんらん交流館2F 大谷ホールを会場として「東本願寺日曜講演」[46]や、「しんらん交流館市民講座」を開催している。
所在地 - 京都市下京区諏訪町通六条下る上柳町199 真宗教化センター しんらん交流館2F(位置情報)
真宗大谷派の研究交流施設。2017年現在の所長は、本多弘之(東京教区第1組 本龍寺住職)。
「親鸞思想の解明」・「親鸞聖人ご命日のつどい」などの開催、情報誌『アンジャリ』(年2回刊行)、機関紙『親鸞仏教センター通信』(年4回刊行)、研究誌『現代と親鸞』(年2回刊行)を発行している[47]。
所在地 - 東京都文京区湯島2丁目19-11(位置情報)
以下は、東本願寺出版(真宗大谷派宗務所出版部)発行[48]の主な刊行物である。
連合会事務局…真宗大谷派宗務所教育部内
1965年(昭和40年)、真宗大谷派関係の学校連合会として結成される。
2005年(平成17年)11月20日、大谷ホールにて「真宗大谷派学校連合会結成40周年記念フォーラム」を開催する。
大学院
大学
短期大学
高等学校
小・中学校
その他
真宗大谷派が設立した学校法人[58]。
同宗派関係の保育園・幼稚園・児童福祉施設は約500園あり、「社団法人大谷保育協会」に加盟している。
協会事務局 - 真宗大谷派宗務所教育部内
教育テーマ - 「ともに生きともに育ちあう保育を実践しよう」
その他の学事施設
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