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平安時代中期から後期の貴族、歌人、漢詩人。藤原資業の次男。正四位下・式部大輔。 ウィキペディアから
藤原 実綱(ふじわら の さねつな)は、平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人、漢詩人。従三位・藤原資業の次男。官位は正四位下・式部大輔。別称、日野実綱。
後一条朝の万寿年間(1024年-1028年)に文章得業生となり、長元元年(1028年)父の藤原資業に次いで二代続けて対策に及第する。長元2年(1029年)若くして大学助に任ぜられ、長元4年(1031年)六位蔵人に補せられる。
後朱雀朝に入ると、従五位下・宮内大輔に叙任され、長暦元年(1037年)親仁親王が東宮に立てられると東宮学士を兼ねる。長暦4年(1040年)には左衛門権佐にも任ぜられている。
寛徳2年(1045年)親仁親王が即位(後冷泉天皇)すると正五位下に叙せられ、翌寛徳3年(1046年)五位蔵人に補せられるとともに大学頭も兼ねた。また、永承4年(1049年)従四位下、永承5年(1050年)正四位下と後冷泉朝の前期に急速に昇進を果たす。のち、永承6年(1051年)文章博士、康平5年(1063年)式部権大輔、康平6年(1064年)式部大輔と学者として諸官を歴任した。
その後、後冷泉朝・後三条朝・白河朝の三朝約20年近くに亘って式部大輔兼文章博士を務めたが、位階は正四位下に留まり公卿昇進は果たせなかった。またこの間の治暦3年(1068年)には能因を従えて伊予守として現地に赴任している。永保2年(1082年)3月23日卒去。享年71。最終官位は式部大輔兼文章博士正四位下。
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