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藤原 有定(ふじわら の ありさだ)は、平安時代後期の貴族。藤原北家真夏流(日野家)、式部大輔・藤原実綱の四男。官位は従五位上・淡路守。
始め右大臣・藤原俊家の二合(年官の一つ)によって縫殿助に任ぜられる。俊家は、有定の姉妹がその子・宗俊に嫁いでいるので、義兄弟の父にあたる。3人の兄らが皆蔵人に補せられたのに対して、有定は蔵人に補せられることなく従五位下に叙爵され、皇太子実仁親王の春宮少進に任ぜられた。
しかし、応徳2年(1085年)11月、実仁親王が15歳で夭折すると官職を失う。その後、有定は淡路守に任官。寛治8年(1094年)正月に治国が賞されて従五位上に叙せられた。同年3月、病を患って日野に参籠するが、18日に卒去した[1]。享年52[2]。
舅にあたる藤原宗忠と親しく、有定の死去にあたって宗忠はひどく悲しんだという[1]。橘為仲とも交流があったようで、『金葉和歌集』には為仲が奥州に下る折に詠んだ歌が入集している[3]。
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