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平安時代中期から後期の貴族、漢詩人、歌人、儒学者。藤原実綱の三男。従四位下・右中弁。子に藤原資経、藤原資光(-1132)、宗慶、増覚(興福寺、律師)、覚秀(延暦寺、阿闍梨)、増 ウィキペディアから
藤原 有信(ふじわら の ありのぶ)は、平安時代中期から後期にかけての貴族、漢詩人、歌人、儒学者。藤原北家真夏流、式部大輔・藤原実綱の三男。官位は従四位下・右中弁。日野有信とも。
文章生・文章得業生を経て対策に及第し、康平8年(1065年)後冷泉天皇の六位蔵人に補せられる。治暦4年(1068年)後冷泉天皇の崩御に伴って蔵人を去るが、同年従五位下に叙爵した。白河朝では、実仁親王の東宮学士を務める。
堀河朝に入ると、兵部権大輔・左衛門権佐を務めたのち、寛治6年(1092年)右少弁に任ぜられる。その後は寛治8年(1094年)左少弁、承徳2年(1098年)右中弁と弁官を歴任し、承徳3年(1099年)正月に従四位下至る。この間、中宮大進として、中宮・篤子内親王に仕えたほか、藤原師通や藤原全子など摂関家の家司も務めている。
※注記のないものは『弁官補任』による。
『尊卑分脈』による。
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