履正社中学校・高等学校
大阪府豊中市にある私立中学校・高校 ウィキペディアから
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履正社中学校・高等学校(りせいしゃちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Riseisha Junior and Senior High School)は、大阪府豊中市長興寺南4丁目に所在する私立中学校・高等学校。
履正社中学校・高等学校 | |
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旧校舎(2008年)※新校舎が2017年に完成 | |
北緯34度46分30.8秒 東経135度28分49.6秒 | |
過去の名称 |
大阪福島商業高等学校 履正社中学校(旧制) 大阪福島商業学校 履正社学園豊中中学校・履正社高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人履正社 |
校訓 |
履正不畏 勤勞愛好 報本反始 |
設立年月日 | 1922年3月31日 |
創立記念日 | 4月20日 |
創立者 | 釜谷善藏 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 |
併設型(外部混合有) (旧6ヵ年特進コースは現在、集約文理S・I・II類)[1] |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
集約文理コース(S類・I類・II類・) 普通コース(III類)[2] |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C127310000513 中学校) D127310000799 (高等学校) | (
高校コード | 27509D |
所在地 | 〒561-0874 |
外部リンク | 履正社中学校・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
中学校においては、他の高校への進学を目指すコース(「3ヵ年独立コース」)と、中高一貫教育を提供するコース(「学藝コース」)を設置し、高等学校においては、他の中学から外部進学する生徒と第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。学校法人履正社が運営している。
現在の履正社学園の発祥は、1922年(大正11年)、大阪府福島区海老江上2丁目(現・北区上福島1丁目)に創立された大阪府福島商業学校[注釈 1]であり、姉妹校として1940年(昭和15年)、 西淀川区加島町(現・淀川区加島)神崎川畔に設立された履正社中学校(旧制)が起源のひとつとなっている。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、学制改革により旧制中学校が廃止されて新制の履正社高等学校となり、1955年(昭和30年)、校名を大阪福島商業高校と改称する。
1972年(昭和47年)普通科を設置し、以後進学校としての道に進んでいく。1982年(昭和57年)商業科募集停止。1983年(昭和58年)、創立60周年を機に大阪福島商業高校を履正社高等学校と改称する。
1985年(昭和60年)、履正社学園豊中中学校を開校。
2000年(平成12年)、中学・高校ともに男女共学となる。高校に「国際特進コース」を設置し、中学に「6ヵ年特進コース」を新設、旧制履正社中学校以来の中高一貫教育が実現する。
2023年(令和5年)、履正社学園豊中中学校を履正社中学校と改称する。また、6ヵ年特進コースを学藝コースと改め、新たにカリキュラムを一新し、言語技術教育を西日本で初めて開始する。
創立以来、建学の精神を「履正不畏」「勤労愛好」「報本反始」としている[3]。
高校では、「集約文理コース」(S類(超難関国立大学を目指す)、I類(難関国公立大学を目指す)、II類(難関私立大学を目指す))、「普通コース」(難関私立大学を目指す。強化クラブは本コースにある)が設置されている[2]。I類では、2016年度より高校入試成績上位者約43名で編成される「スーパークラス」が編成されていた。
放課後には進学講座または部活動に出席することができる。
社会科部や理科部、空手部などには合宿もある。鉄道研究会は、2011年度に部に格上げされた。空手部は文化祭時に板割りなどの演舞を行う。
部活動 普通コースIII類以外を対象とした部活動。対外試合を目的としたり、大阪高体連に加盟したりするものではない
強化クラブは以下の通りで、所属できるのは高校のIII類の生徒のみである。
進学実績が、1990年代後半より急激に数字の上では向上したが、学校が一部の優秀な生徒に、有名大学の入試を数多く受験させ、学校側が全額受験料を負担して合格実績を水増ししていたことが背景にある。このことについて学校側は、2007年(平成19年)7月23日付けの読売新聞上で、「経済的支援が必要な生徒への奨学金のようなもの。合格実績を上積みした認識はなく、今後も続ける」と説明。
昭和初期には大阪の学校では珍しく、修学旅行で満州国へ行っていた。ルートとしては大阪から下関まで急行で行き、そこから船で釜山へ渡り、そこから朝鮮にて朝鮮神宮・朝鮮総督府・南大門などの観光をして満州へ入り、同国の観光をするといった経路であった。これを当時は朝鮮・満州の名前から取って、鮮満旅行と呼んでいた。後に大東亜戦争(太平洋戦争)が進むにつれ、反日運動が激化したために打ち切られることになったが、1925年(大正14年)から1936年(昭和11年)まで11回実施され、771名の生徒が参加した。
1944年(昭和19年)、戦時下の影響により大阪府福島商業学校は廃校することとなった。戦局が悪化に伴い当局では工業教育が重視され、商業学校は工業学校に転換せよと政府から命令があったにもかかわらず、創立者の釜谷理事長が強固に反対したためである。これは釜谷理事長は戦時下でも商業は必要であると考えていたからである。
かつて、学校内で合宿を行うことがあり、その宿舎として、敷地内にはブルートレイン(国鉄20系客車の3段寝台車)の車両が置かれていた[18]。現在は解体されて無くなっている。
ブルトレの名前は「正夢号」で、1987年(昭和62年)、国鉄(現・JR)より、大阪・長野間を走っていた急行「ちくま」号の最後尾車両を学校が1600万円で購入したものであった。車掌室に畳を敷き、教師の宿泊室に、さらに冷暖房、水洗トイレ、外に3台シャワー室を取り付けて使用した。中は3段ベッドで定員は48人、ちょうど1クラス分であった。1987年に、NHKや全国版の新聞でこの合宿が報道されている。
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