日本高等学校野球連盟
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公益財団法人日本高等学校野球連盟(にほんこうとうがっこうやきゅうれんめい、英語表記:Japan High School Baseball Federation)は、日本の高校野球(男子[1])の統轄組織で、47都道府県の高等学校野球連盟が加盟している。また、公益財団法人全日本大学野球連盟とともに、上部組織として公益財団法人日本学生野球協会を構成している。高野連の2019年7月3日の発表によれば、5月末時点での全国の加盟校数と野球部の部員数は、部員数は、14万3867人、加盟校数は、3957校。
団体種類 | 公益財団法人 |
---|---|
設立 | 2011年(平成23年)4月1日 |
所在地 |
大阪府大阪市西区江戸堀一丁目22番25号 中澤佐伯記念野球会館内 |
法人番号 | 6120005015208 |
起源 |
全国中等学校野球連盟 :1946年(昭和21年)2月 -1947年(昭和22年)3月 全国高等学校野球連盟 :1947年(昭和22年)4月 -1963年(昭和38年)2月 財団法人日本高等学校野球連盟 :1963年(昭和38年)2月 -2012年(平成24年)3月31日 |
主要人物 | 会長 寶馨 |
活動地域 | 日本及び日本国外 |
活動内容 | 高校野球の統括 |
基本財産 |
土地8,532万120円 2016年(平成28年)2月29日現在 |
ウェブサイト |
www |
略称は日本高野連(にほんこうやれん)または単に高野連(こうやれん)とも。
大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)以前の全国中等学校優勝野球大会は朝日新聞社(大阪朝日新聞。現・朝日新聞大阪本社)、選抜中等学校野球大会は大阪毎日新聞社(現・毎日新聞大阪本社)がそれぞれ単独で主催していたが、戦後に再開するにあたって、両新聞社とは別の運営組織が必要になった。このため朝日新聞社元社長上野精一が毎日新聞社取締役大阪本社代表本田親男を誘って、全国中等学校野球連盟を立ち上げることにし、1946年(昭和21年)に発足した。
なお、この当時の朝日新聞社代表取締役野村秀雄と毎日新聞社社長高田元三郎は共に東京本社(旧:東京朝日・東京日日)出身で、中学野球運営に関するノウハウを持ち合わせていなかった。朝日新聞前社長の村山長挙と、毎日新聞前社長の高石真五郎および元社長の奥村信太郎は大東亜戦争中に帝國政府・陸海軍の発表報道(大本営発表)しか伝えられなかった責任を取っていずれも辞任していた。
初期の中野連では、運営の最前線は上野と、京都帝国大学名誉教授で後に2代会長に就く中澤良夫が担った。一方、本田は甲子園球場の接収を解除させるべく、後の3代会長佐伯達夫や代議士の松本瀧藏らと共に、占領軍との交渉に当たった。その結果、1946年の優勝大会こそ西宮球場での開催となったものの、翌1947年(昭和22年)のセンバツから甲子園での開催を再開することができた。
同年、大東亜戦争終結に伴う戦後改革の一環として、学制改革が実施される。旧制中学が高校、国民学校高等科が新制中学へ改組されると、中等学校野球連盟は新制高校を対象とすることになり、全国高等学校野球連盟と改称した。
さらに1963年(昭和38年)には文部省(現:文部科学省)から財団法人として認可され、同時に名称を改称した。
本部は一貫して大阪府大阪市に置かれている。これは、朝日新聞社[注 1]・毎日新聞社(初代)[注 2]のどちらも大阪に本社を置いていたことと、2大全国大会の開催地である阪神甲子園球場に最も近い大都市であることが理由とされている。一方、日本学生野球協会と全日本大学野球連盟は東京都に本部を置いている。
常任理事会と9の地区理事会で構成される全国理事会、評議員会、複数の委員会から構成。
代 | 氏名 | 在任時期 | 野球殿堂 |
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初代 | 上野精一 | 1946年(昭和21年) - 1948年(昭和23年) | |
第2代 | 中澤良夫 | 1948年(昭和23年) - 1966年(昭和41年) | 1991年(平成3年) |
第3代 | 佐伯達夫 | 1967年(昭和42年) - 1980年(昭和55年) | 1981年(昭和56年) |
第4代 | 牧野直隆 | 1981年(昭和56年) - 2002年(平成14年) | 1996年(平成8年) |
第5代 | 脇村春夫 | 2002年(平成14年) - 2008年(平成20年) | 2019年(平成31年) |
第6代 | 奥島孝康 | 2008年(平成20年) - 2015年(平成27年) | |
第7代 | 八田英二 | 2015年(平成27年) - 2021年(令和3年)11月 | |
第8代 | 寶馨 | 2021年(令和3年)12月 - 現職 |
高野連は高校生らしさ、公平性等を理由に、用具の使用制限を行っているが、主に安全面、健康面の配慮として、都度使用の解禁を行っている。
熱中症対策として[8]。ミズノが夏の最高気温32℃の炎天下で白と黒のスパイクの内部温度を調べた結果、白スパイクは調査開始から1時間後も40度台前半と、黒スパイクより10度ほど低かった[10]。解禁後に行われた2020年甲子園高校野球交流試合では、出場32校中14校が白スパイクを使用し、使用率44%[10]、2021年8月の第103回全国高等学校野球選手権大会では48校中41校が白スパイクを使用し、使用率90%となり短期間で普及した[11]。
顎ガード付きヘルメット(フェイスガード)は、NPBでは2019年頃から普及していたが、大手スポーツ用品メーカーが「現時点でSGマーク付きのフェースガードの商品化は考えていない」という姿勢であったため、「SGマークがなければ事故が起きた際に補償もできず、現状のままではフェースガードを認めることはできない」と使用を禁止した[13]。全日本野球協会アマチュア野球規則委員会も2019年3月、高野連などにヘルメットの改造を禁止するよう通達で徹底を求めていた[13]。一方で、安全のために導入を求める声も上がっていた[13]。2022年に顎ガード付きヘルメットがSGマークの対象となったことから「打者、走者は顎ガードつきヘルメットを使用することができる。使用する場合は、ヘルメット本体と顎ガードは同色とする。 (規則 3.08)」と規則が改正され、使用が解禁された[14]。解禁後、最初の全国大会である、2022年3月19日から開催された第94回選抜高等学校野球大会では、32校中15校が顎ガード付きヘルメットを採用した[14]。
この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 (2012年9月) |
第94回選抜高等学校野球大会(2022年3月)の開会式と閉会式において、寶馨高野連会長が挨拶で引用した。これは、短くしたバージョンで、元の佐伯達夫の文は、「技の巧拙にあらず、勝敗にあらず。若人が己の持つ熱と力の総てを傾注し尽くして、汚れなき無心の白球を、清純な無我の境地で、一心不乱に追い続けることこそ高校野球の生命である。」である。
2012年(平成24年)時点では、規定で認めていない。しかし2008年(平成20年)、当時の渡海紀三朗文部科学大臣はアメリカでは女子選手も一緒にプレーしているという事例を挙げた上で女子の公式戦出場について検討または女子の練習参加を認めるべきとの認識を示した[21]。
なお、1995年(平成7年)には全国高等学校女子硬式野球連盟という組織が別に作られ、2012年(平成24年)時点で全国で6校が加盟、全国大会も行われている[22][23]
日本野球機構(NPB)・日本プロ野球選手会と日本高野連の3組織によって2003年から開催されているプロアマの選手交流。当初プロ選手が高校球児にメッセージ冊子を送ることから始まり、毎年12月に複数県で現役選手やOBが直接技術指導をしたり講演などを行っている[30][31]。
学校法人芦屋学園は2014年度(平成26年度)から中学・高校・大学一貫の硬式野球チーム「芦屋学園ベースボールクラブ」を創設して関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズ傘下の育成チームとして活動することになった[32][33][34]。日本高校野球連盟に加盟しないため甲子園大会などの公式戦への参加や高野連加盟校の野球部との試合はできないが、社会人クラブチームや専門学校チームと「チャレンジリーグ」を創設する予定で、また、プロアマ規定の適用はなく実力があれば学年を問わず関西独立リーグの試合にも出場できるという[35][36][37]。
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