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日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
内 星龍(うち せいりゅう、2002年4月24日 - )は、大阪府吹田市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
吹田市立千里新田小学校2年生のときに『寺内メッツ』で野球を始め、吹田市立南千里中学校では硬式野球のクラブチームである『北大阪ボーイズ』に所属[2]。野手としてプレーしており、投手としては練習試合でたまに登板する程度であった[3]。
履正社高校でも外野手として入部したものの[3]、「中学のときからやっていて楽しかったし、『やりたいな』ってずっと思っていて」とかねてより希望していた投手への転向を申し出て[4]、1年秋に投手転向[5]。2年時(2019年)に右肩の故障で苦しい時期を過ごしたが、「投げ方というより球質にびっくりして。『軽く投げてあんなに凄いの?』って」と遠投の映像を見て衝撃を受けた山本由伸を参考に試行錯誤を重ねると[4]、3年春には最速146km/hを計測[6]。新型コロナウイルスの影響で夏の甲子園が中止となったが、3年夏の府大会代替大会で公式戦初登板[7]。その後、チームは甲子園球場で行われた交流試合に出場したが、自身の出場は無かった。8月に開催された『プロ志望高校生合同練習会』ではシート打撃で打者5人を無安打1四球に抑えた[8]。
2020年10月26日に行われたドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから6位指名を受け[9]、11月19日に契約金2500万円・年俸500万円(金額はいずれも推定)で仮契約した[5]。背番号は69[10]。
2021年はイースタン・リーグで2試合に登板[11]。オフに現状維持となる推定年俸500万円で契約を更改した[12]。
2022年はイースタン・リーグで15試合・23回1/3を投げて防御率8.49という成績であったが[13]、秋には最速152km/hを計測した[14]。オフに現状維持となる推定年俸500万円で契約を更改した[15]。
2023年は春季キャンプを一軍でスタートすると[16]、オープン戦では6試合の登板で防御率3.38を記録し[17]、リリーフとして初の開幕一軍入りを果たした[18]。開幕から7試合連続で登板機会が無かったものの[19]、4月9日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板。3イニングを4奪三振、走者を許さない完全投球と好投した[20]。同23日の北海道日本ハムファイターズ戦では同点の延長11回表に登板し、1イニングを無失点に抑えると、直後の攻撃でチームがサヨナラ勝ちを収めたことで内にプロ初勝利が記録された[21]。5月12日の埼玉西武ライオンズ戦では同点の延長10回裏に登板し、1イニングを3者凡退に抑えてプロ初ホールドを記録[22]。一時は勝ちパターンも任されるなど、シーズン終了まで一軍に帯同した[23]。この年は一軍で53試合に登板し、4勝2敗7ホールド・防御率2.28を記録[24]。シーズン終了後には今江敏晃新監督に先発転向を直訴し[23]、オフの契約更改では1400万円増となる推定年俸1900万円でサインし、翌年の先発転向も発表した[24]。
2024年は開幕ローテーション入りを果たし、開幕3試合目の西武戦でプロ初先発[25]。3回表に二死一・二塁から先制の適時打を許し[26]、続く外崎修汰にもレフトへのヒットを許すと、この打球を阿部寿樹が後逸。3点を失ったが[27]、4回以降は立ち直り[28]、6回3失点(自責点2)で勝敗は付かなかった[26]。その後はチームの戦略もあり、中10日[29]で4月11日のオリックス・バファローズ戦に先発。6回1失点に抑えながら、またも勝敗は付かなかったが[30]、4度目の先発登板となった同27日のロッテ戦[31]で7回1失点と好投し、プロ初の先発白星を挙げた[32]。その後も登板間隔が空くことによる登録抹消がありながら[33][34][35][36]、先発ローテーションの一角を担っていたが、9月15日の先発予定を体調不良により登板回避[37]。同日付で『NPB感染症特例』により出場選手登録を抹消され[38]、そのままシーズンを終えることとなり、この年は20試合の先発登板で6勝8敗・防御率3.58という成績であった[39]。
190cmの長身[40]から最速154km/hのストレート[41]、スプリット、スライダー、カーブを投じる[42]。
山本由伸にそっくりな投球フォームが特徴[43]。高校2年時に右肩を故障して挫折していた頃、「投げ方っていうより球質にびっくりして。『軽く投げてあんなすごいの?』って。それから由伸さんのことをいろいろ調べまくって、トレーニングの動画とかを参考にしながら、見よう見まねでやってましたね」と試合前練習で遠投する山本の映像を動画サイトで見たことが投球フォームを模倣するきっかけであった[4]。
父は元アマチュア野球の選手であり、近畿大学時代には二岡智宏とプレーし、社会人野球のヤマハでは外野手としてドラフト候補にも挙がったことがある[44]。
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