山野太一
日本のプロ野球選手 (1999-) ウィキペディアから
山野 太一(やまの たいち、1999年3月24日 - )は、山口県吉敷郡小郡町(現:山口市)出身[1]のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。
経歴
要約
視点
プロ入り前
小学1年生の時に地元の野球チーム、小郡少年野球団に入り野球を始めた[3]。高川学園中学校では高川学園リトルシニアに所属していたが[4]、同級生に比べても体が小さく、投手志望だったがセンターを守っていた[5]。高川学園高等学校に進学してからは1年生の時には160cmしかなかった身長が3年生になると170cmまで伸び、野球の実力も伸びていった[5]。エースとして3年夏の山口県大会で優勝し、創部初の甲子園出場を決めた[6]。しかし初戦の履正社高等学校戦で敗れた。対戦投手の寺島成輝との実力の差を痛感し、寺島がドラフト1位でヤクルトにプロ入りしたのを見て、いつか投げ勝ちたいとプロ入りを意識するようになった[7]。
東北福祉大学に入学すると、1年春から先発起用されて仙台六大学リーグにて6戦4勝0敗と活躍し[5]、新人賞を受賞[8]。1年秋は左肩を痛め1試合のみの登板だった[5]。2年秋は相手のマークもあり好成績を残せなかったが[5]、3年春には5試合(36回)を投げ5勝、51奪三振、防御率0.00の成績を残しチームを3季連続優勝に導いた。個人としてはリーグMVP、最優秀投手賞、ベストナインの三冠に輝いた[6]。大学の同学年に元山飛優[9]、1学年上に津森宥紀[10]、中学・高校・大学の1学年後輩には椋木蓮がいる[8]。大学では大塚光二が監督を務め指導を受けていた[7]。
2020年10月26日に開催されたプロ野球ドラフト会議においてヤクルトから2位指名を受け、11月24日に契約金7000万円、年俸1100万円で仮契約を結んだ[11]。背番号は21[11]。また元山もヤクルトから4位指名を受け入団した[11]。
ヤクルト時代
2021年は4月1日の対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初先発を果たすが、守備の乱れなどが絡み1回1/3を7失点で降板した[12]。7回にチームが追い付き、黒星はつかなかった[13]。その後は上半身のコンディション不良により一軍登板なしでシーズンを終えた[14]。
2022年は一軍での登板機会はなく、シーズン終了後の10月18日に育成再契約を前提とした戦力外通告を受けた[15]。11月16日に育成選手として再契約した。背番号は013[16]。
2023年は、7月13日までにイースタン・リーグで10試合に登板し、2勝2敗、防御率1.52と結果を残し、7月14日に支配下登録された[17]。背番号は26[17]。8月1日の巨人戦で852日ぶり2度目の一軍登板として先発し7回を被安打4・無失点の好投でプロ初勝利を挙げた[18]。
2024年は、6月12日の福岡ソフトバンクホークス戦でシーズン初登板し、ルーキーの鈴木叶とのバッテリーで7回5安打1失点の好投を見せ勝利を挙げた[19]。その後は1回1/3を9失点で降板する試合もある[20]などなかなか勝利を挙げられず、一時は中継ぎで起用されていたが[21]、9月13日の巨人戦では先発としてプロ入り後最長となる8回104球を投げ4安打2失点で本拠地神宮球場での初勝利を挙げた[22]。シーズン最終戦となる10月5日の広島東洋カープ戦にも先発した[23]。この年の最終的な成績は14試合(10先発)の登板で3勝4敗、防御率6.08となり、12月6日に500万円増の推定年俸1400万円で契約を更改した[24]。
選手としての特徴・人物
相手打者がタイミングの取りにくいゆったりとした投球フォームから[5]、最速150km/hの直球とスライダー等、多彩な変化球を投げる[25]。大学時代は公式戦70回連続無失点を記録し、リーグ通算22勝0敗と圧巻の成績を残した[26]。
愛称は「山ちゃん」[27]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2024年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2024年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2021年4月1日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、1回1/3を7失点で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、1回裏に桑原将志から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2023年8月1日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、7回4安打無失点2奪三振[18][28]
- 打撃記録
背番号
登場曲
- 「Love Me Do」ザ・ビートルズ(2021年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
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