芦屋市
兵庫県の市 ウィキペディアから
兵庫県の市 ウィキペディアから
阪神南県民センター管轄区域。北に六甲山地、南に大阪湾を臨んだ豊かな自然と、南に緩やかに傾斜する地形は、美しい景観と温暖な気候を形成する。国際観光文化都市に指定されている。阪神間モダニズムの中核に位置しており、山手の六麓荘町などを筆頭に日本有数の高級住宅街が広がる[1]。
兵庫県で二番目に面積が小さな自治体である。
兵庫県の市で唯一町村制以降合併を一切行っていない市でもある[注釈 1]。また、旧菟原郡で唯一神戸市に編入しなかった区画でもある[注釈 2]。
2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.92%増の93,238人であり、増減率は県下41市町中3位、49行政区域中5位。
芦屋市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 芦屋市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 芦屋市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
芦屋市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
阪急芦屋川駅から徒歩圏内にある東山町、山手町、三条町といった大正期に開発された山の手地区は、いずれも摂津国であり芦屋川や六甲山に近く、大阪湾を見渡すことのできる好立地にある。南傾斜地に建つ家々は成熟した文化を感じさせ、芦屋を代表する風光明媚な街並みが広がる。
昭和初期、市東北部に開発された六麓荘町は、駅から遠い立地を逆手に、運転手を有する富裕層向けの豪邸用地として造成された。地形に配慮した広い舗装道路や電線類を地中化した街には、広大な庭やテニスコート、プールなどが配された豪邸が次々と建築され、高級住宅地としての芦屋の名を一気に全国区に押し上げた。六麓荘町、及び奥池南町では現在も厳しい建築協定のもと、街の景観が守られている。芦屋川沿いにあり、海に近く、松林が点在する平田町や、浜芦屋町、松浜町なども歴史のある高級住宅地として名高い。
戦後になると、上記の町に隣接する朝日ケ丘町や岩園町、阪急線以南などで次々と宅地開発が行われ、住宅地としての芦屋の地位はさらに確立された。有料道路沿いにある奥池町や奥池南町は、通勤圏内にある別荘地として開発され、現在では(2016年)奥池町、奥池南町を併せて630世帯もの邸宅が建設され、関西の著名人たちも様々な邸宅を建設している。 昭和40年代には、朝日ケ丘町周辺でマンション建設ラッシュが、昭和50年代には芦屋浜の埋め立て地に高層マンションが次々に建設され、若い世代の流入が促進された。
昭和後期の国鉄〜JR芦屋駅前の再開発に伴い、駅周辺の商業施設が以前よりも充実すると、芦屋のイメージも一新され、大原町を中心にJR線沿いに利便性の高い住宅が供給され始めた。JR以南の地域でも宅地化、マンション建設が進んだ。
1995年の阪神・淡路大震災では、主にJR以南の地域で多くの家屋が倒壊、街の風景が一変するが、倒壊により空き地が目立った一帯に徐々に新しい家々が建築されるようになり、震災の10年後には、ほぼ、街も以前の落ち着きを取り戻した。また、2003年に入ると、埋立地の南芦屋浜の開発が進み、潮芦屋(愛称)ではヨットハーバーや人工砂浜のほか、日本初の係留施設付き邸宅が分譲され、芦屋に新しい表情が生まれた。この新しい町は、広い歩道と車道があり、電線類を地中化している。
住宅地で相続の際に広大な屋敷が集合住宅に立て替えられたり、敷地が細分化される傾向により、かつての高級住宅地としての芦屋の景観が徐々に変わりつつことが懸念される中、住宅地の景観保全に向けて、2006年、市議会で「建築物の制限に関する条例改正案」が審議され、六麓荘町における400平方メートル未満の土地売買の禁止、高さ10メートル以上の建物新築の禁止、さらに敷地面積400平方メートル以上の土地にのみ戸建住宅の新築が許可されるといった、全国に先駆けたいわゆる「豪邸条例」が可決された。この条例は2007年2月から施行されている。芦屋市では、この六麓荘町と奥池南町のみが、「豪邸条例」が施行されている。また、奥池南町では、もっとも規制が緩い地域で、敷地面積が500平方メートル以上とされている。
2015年には、芦屋らしい景観を守るための「芦屋市屋外広告物条例」が市議会本会議で可決、成立し、2016年7月より施行された。この条例では、京都市と同様に屋上広告物、アドバルーンの禁止、点滅式照明の全面禁止などが盛り込まれており、住宅地で突き出し看板の面積を1平方メートル以下に定めた点など、全国でもっとも厳しい規制となっている。また、市が建設を許可しないためパチンコ店が存在しない。
芦屋市では、一部の地域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町名読み | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前町名 | 備考 |
---|---|---|---|---|
朝日ケ丘町 | あさひがおかちょう | 1972年6月1日 | 住居表示実施と同時に、東端の一部区域を岩園町へ分離 | |
伊勢町 | いせちょう | 1968年5月1日 | ||
岩園町 | いわぞのちょう | 1970年5月1日 | 芦屋市道宮川線以北の地域は1972年6月1日に実施 | |
打出小槌町 | うちでこづちちょう | 1988年2月1日 | ||
打出町 | うちでちょう | 1968年5月1日 | 打出南宮町・打出大東町の国道43号以北の区域より成立 | |
大原町 | おおはらちょう | 1969年5月1日 | ||
大桝町 | おおますちょう | 1970年5月1日 | ||
奥池町 | おくいけちょう | 1980年9月1日 | ||
奥池南町 | おくいけみなみちょう | 1980年9月1日 | ||
奥山 | おくやま | |||
海洋町 | かいようちょう | |||
春日町 | かすがちょう | 1984年5月1日 | 打出春日町 | |
上宮川町 | かみみやがわちょう | 1969年5月1日 | ||
川西町 | かわにしちょう | 1970年5月1日 | ||
公光町 | きんみつちょう | 1970年5月1日 | ||
楠町 | くすのきちょう | 1969年5月1日 | 打出楠町 | |
呉川町 | くれがわちょう | 1968年5月1日 | ||
剣谷 | けんたに | |||
三条町 | さんじょうちょう | 1982年2月1日 | ||
三条南町 | さんじょうみなみちょう | 1969年5月1日 | ||
潮見町 | しおみちょう | 1981年3月1日 | ||
清水町 | しみずちょう | 1969年5月1日 | ||
城山 | しろやま | |||
親王塚町 | しんのうづかちょう | 1969年5月1日 | 打出親王塚町 | |
涼風町 | すずかぜちょう | |||
精道町 | せいどうちょう | 1968年5月1日 | ||
竹園町 | たけぞのちょう | 1968年5月1日 | ||
高浜町 | たかはまちょう | 1978年8月1日 | ||
大東町 | だいとうちょう | 1968年5月1日 | 打出大東町 | |
茶屋之町 | ちゃやのちょう | 1970年5月1日 | ||
月若町 | つきわかちょう | 1969年5月1日 | ||
津知町 | つぢちょう | 1970年5月1日 | ||
業平町 | なりひらちょう | 1969年5月1日 | ||
南宮町 | なんぐうちょう | 1968年5月1日 | 打出南宮町 | |
新浜町 | にいはまちょう | 1982年3月1日 | ||
西芦屋町 | にしあしやちょう | 1969年5月1日 | ||
西蔵町 | にしくらちょう | 1968年5月1日 | 打出西蔵町 | |
西山町 | にしやまちょう | 1982年2月1日 | ||
浜芦屋町 | はまあしやちょう | 1968年5月1日 | ||
浜風町 | はまかぜちょう | 1982年3月1日 | ||
浜町 | はまちょう | 1968年5月1日 | 打出浜町 | |
東芦屋町 | ひがしあしやちょう | 1979年8月1日 | ||
東山町 | ひがしやまちょう | 1979年8月1日 | ||
平田北町 | ひらたきたちょう | 1968年5月1日 | 平田町の国道43号以北の区域より成立 | |
平田町 | ひらたちょう | 1968年5月1日 | 国道43号線以北の区域を平田北町として分離 | |
船戸町 | ふなとちょう | 1969年5月1日 | ||
前田町 | まえだちょう | 1969年5月1日 | ||
松ノ内町 | まつのうちちょう | 1969年5月1日 | ||
松浜町 | まつはまちょう | 1968年5月1日 | ||
翠ケ丘町 | みどりがおかちょう | 1969年5月1日 | 打出翠ケ丘町 | |
緑町 | みどりちょう | 1981年3月1日 | ||
南浜町 | みなみはまちょう | |||
宮川町 | みやがわちょう | 1968年5月1日 | ||
宮塚町 | みやづかちょう | 1984年5月1日 | ||
山芦屋町 | やまあしやちょう | 1982年2月1日 | ||
山手町 | やまてちょう | 1979年8月1日 | ||
陽光町 | ようこうちょう | |||
六麓荘町 | ろくろくそうちょう | 1972年6月1日 | ||
若葉町 | わかばちょう | 1978年8月1日 | ||
若宮町 | わかみやちょう | 1968年5月1日 | 打出若宮町 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 大利市右衛門 | 1941年1月31日 | 1945年1月30日 |
2代 | 長岡喜十郎 | 1945年2月5日 | 1946年12月4日 |
3代 | 杉岡藤右衛門 | 1947年4月5日 | 1948年8月15日 |
4代 | 猿丸吉左衛門 | 1948年10月10日 | 1952年9月6日 |
5-7代 | 内海清 | 1952年9月16日 | 1964年9月15日 |
8-10代 | 渡辺万太郎 | 1964年9月16日 | 1975年3月31日 |
11-13代 | 松永精一郎 | 1975年4月27日 | 1987年4月26日 |
14代 | 山村康六 | 1987年4月27日 | 1991年4月26日 |
15-17代 | 北村春江 | 1991年4月27日 | 2003年6月10日 |
18-21代 | 山中健 | 2003年6月11日 | 2019年6月10日 |
22代 | 伊藤舞 | 2019年6月11日 | 2023年4月30日 |
23代 | 髙島崚輔 | 2023年5月1日 | 現職 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
青山暁 | 当 | 62 | 日本維新の会 | 新 | 16,067票 |
丸山巖 | 落 | 53 | 自由民主党 | 新 | 11,994票 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
幣原都 | 当 | 44 | 無所属 | 現 | 無投票 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
幣原都 | 当 | 40 | 無所属 | 新 | 15,854票 |
藤本俊 | 落 | 58 | 民主党 | 新 | 9,001票 |
海外
国内
この節の加筆が望まれています。 |
|
|
|
|
指定金融機関:三井住友銀行(旧・太陽神戸銀行~さくら銀行、西暦の偶数年7月~翌年の6月)、三菱UFJ銀行(旧・三和銀行、西暦の奇数年7月~翌年6月)2行による輪番制を長く敷いてきたが、2019年に三菱UFJ銀行が指定金融機関を辞退し、三井住友銀行単独となった[10]。
近隣の伊丹市には大阪国際空港が設置されている。芦屋市は空港地元自治体の連合である大阪国際空港周辺都市対策協議会(10市協)の一員である。このほか、神戸市にも神戸空港が設置されており、大阪(伊丹)と神戸どちらの空港へも近い。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.