佐渡市
新潟県の市 ウィキペディアから
新潟県の市 ウィキペディアから
佐渡市(さどし)は、新潟県の佐渡島全域を市域とする市。2004年(平成16年)に島内の旧10市町村が合併し誕生した。
佐渡市は旧自治体の市町村域を基にした10の地区で構成される。市役所は地理的な中央部の金井地区に置かれているが、県や国の出先機関は主に相川地区に置かれ、商業の中心は佐和田地区[1]、本州と結ばれる玄関口は両津地区(両津港)及び小木地区(小木港)となっており、各地に機能が分散する。
「佐渡市歴史文化基本構想」による分類では、両津、河原田、小木、相川の4都市が近世・近代ともに発展を遂げた「拠点的都市」として位置づけられている[2]。
佐渡市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 佐渡市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 佐渡市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
佐渡市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
第二次世界大戦以降は人口減少が著しく、1970年(昭和45年)の国勢調査では島全体の人口が10万人を割った。
地区別の減少率[3]は、相川や両津、赤泊などで大きい一方、国中平野に位置しロードサイド店舗なども多く立地する佐和田は比較的小さい。
佐渡島内の自治体は佐渡市のみであり、島内に他の自治体はない。但し、航路で以下の自治体と結ばれている。
鎌倉幕府が守護代として、本間氏を佐渡に派遣。同時に佐渡に入った御家人の渋谷・藍原氏らとともに、戦国時代までこれらの諸氏が佐渡を支配する。
本間氏の分家が進み、河原田本間氏(本拠・河原田城)、羽茂本間氏(本拠・羽茂城)の勢力が惣領家(本拠・雑太城)をしのぐようになる。
越後の大大名、上杉謙信の死により混迷した佐渡を、謙信の跡を継いだ上杉景勝が平定し、本間氏は滅亡する。その後、本間氏の一族が酒田に移り、酒田本間氏となる。景勝が会津に移封後も、佐渡は引き続き上杉領となる。
江戸幕府が佐渡奉行所を置き、佐渡一国を支配する。佐渡金山から産出された金は、幕府の財政を潤した。明治時代になって、一国天領と呼ばれた。
航海技術の発展により、航路(北前船)の中継基地としての役割がなくなり、経済的に廃れる。
2021年(令和3年)12月21日に本庁舎整備工事が着工、2024年(令和6年)3月28日に全体が竣工し、防災拠点庁舎となる市役所新庁舎が建設され、旧本庁舎は大規模改修により第二庁舎となった[11]。なお、市役所の新庁舎(防災拠点庁舎)については全体の竣工前の2023年(令和5年)11月6日に開庁した[12]。
庁舎 | 所在地 |
---|---|
市役所(金井地区) | 〒952-1292 佐渡市千種232 |
両津支所 | 〒952-8501 佐渡市両津湊198 |
相川支所 | 〒952-1592 佐渡市相川栄町27 |
羽茂支所 | 〒952-0504 佐渡市羽茂本郷550 |
佐和田行政サービスセンター | 〒952-1393 佐渡市河原田本町394 |
新穂行政サービスセンター | 〒952-0106 佐渡市新穂瓜生屋501 |
畑野行政サービスセンター | 〒952-0206 佐渡市畑野甲533 |
真野行政サービスセンター | 〒952-0318 佐渡市真野新町489 |
小木行政サービスセンター | 〒952-0604 佐渡市小木町1940-1 |
赤泊行政サービスセンター | 〒952-0706 佐渡市赤泊2458 |
※2020年の選挙から定数21に変更。
※2020年の選挙から定数21に変更。
議員名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
中野洸 | 自由民主党 | 6 |
佐藤久雄 | 無所属 | 2 |
島の中央にある国中平野では稲作が盛んである。島内産のコシヒカリは「佐渡産コシヒカリ」として魚沼産、岩船産と並んで特別な銘柄が与えられている[13]。
果樹栽培も盛んであり、羽茂地区特産の柿「おけさ柿」(品種名:平核無)や、小木地区特産のイチジク「おぎビオレー」などが挙げられる[14]。 また、島の南岸は温暖な気候であることから、温州みかんの北限栽培地となっている。
GIAHS(世界農業遺産)のPRの一環として2020年12月に「あつまれ どうぶつの森」にて「さどが島」が公開された[15]。
富山湾と並ぶ国内有数の寒ブリの産地であり、両津湾には多くの定置網が設置されている[16]。金沢市の市場などに多く出荷されるほか、島内では通年で楽しめるご当地グルメとしてブリカツ丼が広く提供されている[16]。 加茂湖の牡蠣養殖や、「南蛮エビ」と呼ばれる甘エビ、イカ、ズワイガニ、いごねりなども有名である。
かつては金銀山が分布し、相川金銀山を中心に栄えていたが、採掘量減少のため、1951年(昭和26年)以降は大規模採掘は行われなくなり、1989年(平成元年)、三菱金属株式会社(現・三菱マテリアル)の撤退に伴い、閉山した。 現在は坑内の一部が見学できるほか、近代遺産が残されており、観光スポットとなっている。
古代から多くの貴族、武士が流刑となり、中央の文化を伝えたため、多くの文化財がある。また、夏場は各地の海岸が海水浴場となる。 佐渡の年間観光客入込数は、1991年(平成3年)の121万人をピークとして漸減しており、リピーターの確保が今後の課題となる。
2005年(平成17年)より、お笑いとインターネットを活用した民間主導による地域情報化・地域活性のための多角的な取組みとして佐渡、お笑い島計画を導入・実施。 2005年から2008年までの3年間にお笑い芸人が半年間佐渡に住みながら島内を行脚し、交流の模様を動画やブログにて発信することで、佐渡の魅力を継続的に伝えていった。
佐渡市には、3つの火力発電所(両津・相川・双日佐和田火力)と4つの水力発電所(新保川・水沢・梅津・白瀬)、計7つの発電所があり、島内に電気を独自供給している。本土からのケーブルによる電気供給形式ではない[17]。
新潟県は電源周波数50Hzの東北電力ネットワークの事業地域だが、佐渡市は電源周波数60Hzで供給されている(同県、妙高市と糸魚川市の一部も60Hz[18])。
都市ガスは、両津地区の一部で佐渡ガスが供給している。地形上の制約もあり、大半の地区ではLPガスを使用する。
島内には上水道4地区、簡易水道40地区、小規模水道が2地区が存在する。
2018年1月28日に、島内で凍結した水道管の破裂によるによる大規模断水が発生し、一時は島内の24,112世帯のうち4割を超える10,656世帯で断水の被害が生じた[19]。
市外局番は全域0259(佐渡MA)。
バスは1913年(大正2年)には秀明館が両津 - 相川を開業、1916年(大正5年)には高津昇之助(後の小木自動車)が小木 - 河原田を開業、1918年(大正7年)に渡部七十郎(後の佐渡自動車商会→扶桑自動車商会)が両津 - 相川、両津 - 新町 - 河原田を開業、1923年(大正12年)に羽茂自動車が河原田 - 小木を開業、1924年(大正13年)に細野卯八が松ヶ崎 - 新町を、1925年(大正14年)には河口菊蔵が多田 - 畑野を、山松商会が馬首 - 両津 - 河崎を、植田豊吉(後の丸一自動車)が両津 - 相川をそれぞれ開業している。
その後、小木自動車と羽茂自動車が合併し、前佐渡自動車を設立。細野卯八と河口菊蔵が赤泊自動車を設立。扶桑自動車商会と丸一自動車と前佐渡自動車が合併し、佐州合同自動車(後に佐渡乗合自動車に改称)を設立している。1937年(昭和12年)に佐渡乗合自動車は新潟合同自動車と合併し、1943年(昭和18年)の陸運統制令に基づく統合で、新潟交通となった。
戦後、国鉄(国鉄バス)が佐渡島内の路線バス事業に参入する計画があったが、実現に至らなかった。
両津地区秋津には島唯一の空港である佐渡空港があるが2021年2月現在、定期空路は存在しない。
1958年(昭和33年)に新潟空港の場外飛行場として供用を開始し、翌1959年(昭和34年)から同空港との間の定期空路が就航。1971年(昭和46年)から県に移管し、空港として独立した。滑走路は延長890m、幅員25mと短く制限表面も狭隘なため、離着陸できるのは小型機に限定されており、ジェット機や中型機以上の機体は乗り入れられない。
佐渡 - 新潟間の定期コミューター空路は1996年(平成8年)以降、新潟県内を本拠とする旭伸航空が運航していたが、慢性的な赤字や同社の運航要員が高齢化するなどした影響から、2008年(平成20年)9月30日をもって運航を休止、同社は事実上解散となった。その後約3年間、空港は民間小型機の離着陸や救急搬送などに使用されるのみだった。
その後鹿児島県に本社を置く新日本航空が運航に名乗りを上げ、2011年7月29日から佐渡 - 新潟間の空路が再び運行されるようになったが、2014年3月28日、同社は安定運航に向けた体制整備のためとして同空路を無期限休止することを発表した。
なお佐渡空港については長年に渡り、滑走路の延伸・拡張や東京国際空港(羽田空港)など、大都市圏との空路開設に関する構想が何度か浮上しており、2008年10月にはATR 72型機を用いた佐渡空港〜新潟空港〜羽田空港のデモフライトが行われるなどした[20] が具体化には至らなかった。しかし、その後は成田空港を利用した格安航空会社(LCC)が検討されるようになり、2021年現在はトキエアによって構想が進められている。
かつて、1922年(大正11年)改正の鉄道敷設法別表第56号における「佐渡国夷ヨリ河原田ヲ経テ相川ニ至ル鉄道」として「夷(両津) - 河原田 - 相川」の路線を営業区間とする佐渡鉄道(仮称)が計画されたものの、未開業のまま終わっている。
島内は路線バスと定期観光バスが主要な交通手段となっており、いずれも全路線が新潟交通グループの新潟交通佐渡によって運営されている。また、JTB時刻表には、両津港バス停が中心駅として記載されている。
バスがワンマン化される以前は、各市町村の主要バス停留所には係員が配置され、鉄道等と同様「駅」と呼ばれていた。窓口では乗車券・定期券のほか、佐渡汽船や新潟港 -新潟駅間のバス、さらに国鉄へそのまま1枚で乗り継ぎ可能な乗車・乗船券も発売されていた。現在も主要バス停付近の交差点名には「駅前」の名称が残っている。
島内に高速道路はない。
一般国道は、国道350号の1路線が、両津、金井、佐和田、真野、羽茂、小木地区を経由して、島内を縦貫する。尚、佐渡汽船の両津航路と小木航路が、この350号の連絡航路となっている。
離島という地理条件上、島外との交通の基幹は航路に頼ることとなる。島内には両津港、小木港の2つの重要港湾がある。新潟県本土側とは佐渡汽船が運航する、以下の2航路により結ばれている。両津航路はカーフェリー「おけさ丸」「ときわ丸」とジェット推進式全没型水中翼船(ジェットフォイル)「つばさ」「すいせい」、小木航路はカーフェリー「こがね丸」により運航される。この他に赤泊港と二見港がある。
小木航路は慢性的な赤字に悩まされており、かつてはカーフェリー2隻体制だったものの、2008年(平成20年)からは1隻体制となって運航本数を減便し、冬季間は全便運休となっている(航路の詳細は佐渡汽船を参照)。2015年から2020年までは高速カーフェリー「あかね」1隻による運航となったが、2021年からはジェットフォイル1隻に変更となり、2023年より再びカーフェリー1隻での運航となった(詳細は佐渡汽船#直江津航路を参照)。
2018年までは、上記2航路に加え、「両泊航路」と呼ばれる赤泊港(佐渡市赤泊地区)と、寺泊港(長岡市寺泊地域)を結ぶ航路があった。2005年(平成17年)6月まではカーフェリー、それ以後は高速船「あいびす」により運航されていた。自動車を利用する場合は関東地方から最も近く、利便性が高い航路ではあるものの、両港とも港湾施設の規模が小さく、船も小型のものに限られたため冬季は欠航となるケースが著しく多く、2009年(平成21年)以降は冬季間は全便運休となっていた(詳細は佐渡汽船#寺泊航路を参照)。
かつて、戦後から1970年代にかけて、小木港と柏崎港を結ぶ航路が断続的に運航されていたが、不採算などの影響で既に廃止されている。また1975年(昭和50年)には、佐渡と能登半島、立山連峰を広域観光圏とする構想の一環として、小木港と石川県珠洲市の飯田港を結ぶ航路が開設された。当時の小木町と珠洲市が航路開設を機に姉妹都市となるなど観光の基幹として期待されたものの、オイルショック後の不況や、利用客の伸び悩みなどもあり、1978年(昭和53年)をもって廃止された。
この他、小木港を拠点として観光船を運航する力屋観光汽船が島内外へのチャーター航路を運航している。
詳細は佐渡島#出身関連著名人を参照。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.