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日本の漫画家 (1957-) ウィキペディアから
高橋 留美子(たかはし るみこ、1957年〈昭和32年〉10月10日[2] - )は、日本の漫画家。女性。有限会社るーみっくプロダクション代表取締役。新潟県新潟市出身[2]。血液型A型[2]。
1978年『勝手なやつら』でデビュー。代表作に『うる星やつら』『めぞん一刻』『らんま1/2』『犬夜叉』『境界のRINNE』など。特にラブコメディを得意としており、そのキャラクター造形は「萌え」の原型の一つとも言われている[3]。
少年漫画の分野における女性漫画家の草分け的存在で、代表作はいずれもTVアニメ化されヒットを記録、長期シリーズ化され、単行本の世界累計発行部数は1995年に1億部、2017年には2億部を突破した[4]。その独特の世界観はしばしば「るーみっくわーるど」と称され、作品集のタイトルにも用いられている。
新潟市中央区古町で産婦人科医院を開業していた高橋家の末っ子(2男1女の長女)として生まれる。
父・高橋光雄(1920年6月19日生まれ、1945年新潟医科大学卒業)は新潟県の医学者で俳人の中田瑞穂(俳号「中田みづほ」)、高野素十に俳句を学んだ「高橋卯木」の俳号を持つ俳人であり、河童を題材にした水墨画を好んで描く画家でもあった[5][6]。
医院の創設者である曽祖父・高橋辰五郎は明治時代に大阪の産婦人科医、緒方正清(緒方洪庵の義理の孫)の下で研修し、帰郷後は新潟県の近代産婆(助産師)教育に貢献している[7]。また辰五郎は日本で初めて「助産婦」の名称を緒方とともに提唱した[注釈 1][8][9]。
幼少期から兄の持ち物であった少年漫画を愛読し、中学の頃から漫画を描くようになり、『週刊少年サンデー』・『月刊漫画ガロ』などに作品の投稿を始める。
高校在学中、同級生であった近藤ようこと共に漫画研究会を設立、同級生にはアニメーターの後藤真砂子もいた。またこの頃から筒井康隆を愛読するようになり、影響を受けてスラップスティックなSF作品を描いていた。2年生の時に40枚ほどの作品を『週刊少年マガジン』に投稿するも落選、一時は漫画家になるのを諦めたという。
高校卒業後は「ダメな子供だから、親元にいたらダメになる一方だ」という父の考え[10] で独立し上京。大学(日本女子大学)では同人作家としても活動し、目白花子と漫画研究会「(没)」を設立[11]。会誌『びびっと』上などで作品を発表していた。その一方で大学1年生の終わり頃から劇画村塾に入学し小池一夫に師事、小池に「お前はプロになれる」と声をかけられすぐに特別研修生となる[12]。
在学中の1978年、投稿作「勝手なやつら」で第2回小学館新人コミック大賞少年部門佳作を受賞(同期の漫画家に早見純がいる)。少年誌でSF的な作品を描こうとして編集者に何度も制止された経験を持つ吾妻ひでおは、当時この作品を読み「マンガが帰ってきた」と感動し、『週刊少年サンデー』の掲載号を3冊も買ったという[13]。
1978年サンデー39号よりSFコメディ『うる星やつら』の連載を開始。約1年半の不定期連載の後、大学卒業を機に同人作家から本格的に漫画家に転身することとなり、1980年春から同作品の週刊連載を開始。
さらに1980年秋から並行して、青年誌『ビッグコミックスピリッツ』にて『めぞん一刻』を、連載開始(当初は月刊、のち月2回、1986年4月より週刊)。デビュー直後は画力が低かったものの、この頃から画力が安定し現在の絵柄を確立した。1987年まで2つの人気作品の連載をこなし、少年誌&青年誌という作風の広さから知名度を高めた。
1987年冬に『うる星やつら』、春に『めぞん一刻』の両作品が相次いで終了し、同年夏から格闘技を題材にしたコメディ『らんま1/2』の連載を開始、この作品は「子供が読んでも楽しい漫画を」[14] と、より低年齢層を意識して描かれ、ギャグ要素が初期の『うる星やつら』並みに強い作品となった。同年春に『1ポンドの福音』の連載を開始し、不定期連載となる。
1996年冬に『らんま1/2』を終了し、同年秋から『犬夜叉』の連載を開始。かねてから興味のあった伝奇ものの本格連載で、この作品ではギャグ要素を減らしたシリアスな路線を取った。
2008年夏に『犬夜叉』を連載終了。翌2009年春から連載を開始した『境界のRINNE』では、バトル要素を残しつつ、原点であるギャグ要素やコメディ色を強めに戻しよりハートフルな作風が描かれている[15]。2017年冬に同作品の連載を終了し[16]、2019年春からは再びシリアスな怪奇ロマン長編『MAO』の連載を開始している[17]。
高橋の作品の多くは英語や他のヨーロッパ言語に翻訳されている。高橋は、なぜ自分の作品が英語話者に人気があるのかはわからないと語った。
高橋とその作品に影響を受けたと述べているアーティストには、『スコット・ピルグリム』を著したカナダのブライアン・リー・オマリー[29]、アメリカ合衆国のコリーン・クーヴァー[30]、中国系オーストラリア人のクイニー・チャン[31]、タイのウィスット・ポンニミットがいる[32]。スコットランドのロックバンド、ウルセイ・ヤツラは、高橋のヒット作『うる星やつら』に因んで名付けられた[33]。『シャンティ』シリーズのクリエイターであるマット・ボゾンは、彼の作品に大きな影響を与えたものとして『らんま1/2』を挙げた[34]。2015年、「犬夜叉」に一部インスピレーションを得たインド映画「プリ」。ヴィジャイ(俳優)が半虎鬼、高橋留美子「犬夜叉」に似た強力な虎鬼を父に演じる。[35]
2016年、コミックスアライアンスは、高橋を生涯の功労を認めるに値する12人の女性漫画家の内の1人として挙げた[36]。
自身を「未だに中二病」というほどオタク症で、中学・高校とずっと漫画を描き続けてきた。友達や同級生にもプロの漫画家がたくさんいる。そうした環境で、少女漫画よりは少年漫画をずっと読んできた[37]。サンデーの当時の編集長は高橋のことを「すごいのが来た、天才だ」と評し、デビュー。大学の漫画研究会出身で、初の連載でヒットという極めて稀な例であった[38]。
影響を受けた漫画家として「赤塚先生や藤子先生に影響を受けてマンガを始めた」と述べ、憧れとしてちばてつやや永井豪、池上遼一を挙げた。本人曰く「実は池上遼一先生に会うためにマンガ家になったといっても過言ではないんです(笑)」と語っている[39]。
2018年現在は小学館新人コミック大賞の審査員も務めている[40]。
作詞家の岩里祐穂は高校時代の同級生。
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「るーみっくわーるど」は、もともとは『うる星やつら』に付けられたキャッチコピーであり、『めぞん一刻』を共に立ち上げた2人目の担当編集者が考えたことがきっかけで生み出された。そのため、それ以前は「爆笑モンスターギャグ」というキャッチコピーだった[44]。これをきっかけに、作品集のタイトルおよび世界観を総括した言葉としても用いられるようになった。
ギャグやコメディ作品で、両手の中指と薬指を曲げ、親指と人差し指と小指を伸ばしたポーズが良く出てくる[44]。「ちゅどーんポーズ」[45]、「るーみっくポーズ」[要出典]、「るーみっくサイン」[要出典]などと呼ばれる。これは、キャラクターがぶん殴られて吹っ飛ばされるドタバタシーンなどで、痛そうに見えないように「余裕」を見せるということで用いている[44]。"I love you"を意味するハンドサイン(en:ILY signを参照)と同じ手の形であるが[44]、それは偶然の一致で、"I love you"の意味は後から知ったと高橋は語っている[44]。
※は単行本未収録作品。
週刊少年サンデー創刊50周年記念として、「高橋留美子展 It's a Rumic World」が2008年7月から2010年3月まで全国各地で開催された。
会場では主に『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『らんま1/2』、『犬夜叉』を中心としたカラーイラスト原画や、あだち充、青山剛昌など有名作家34人が『うる星やつら』のラムを描いた「My Lum」等が展示された。また、これに伴い『うる星やつら』・『らんま1/2』・『犬夜叉』3作品のオリジナル短編アニメーションが新規製作され、会場内で上映された。この3作品のアニメはDVD『It's a Rumic World スペシャルアニメBOX』(2010年1月29日発売、完全予約限定商品)に収録されている。さらに、同年10月20日にこれら3作品が単巻Blu-ray、DVDで発売された。
アシスタントは山本貴嗣を除いて全て女性である(ただし上条はデビュー後性別を公表していない)。
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