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日本の漫画家 (1939-2022) ウィキペディアから
水島 新司(みずしま しんじ、1939年〈昭和14年〉4月10日[1] - 2022年〈令和4年〉1月10日)は、日本の漫画家。野球漫画の第一人者。代表作に『野球狂の詩』『ドカベン』『あぶさん』など。
1939年、新潟市の魚屋の家に生まれる[2]。父親がギャンブル好きで多額の借金を背負っていたため、金銭的に困窮した少年時代を送る。
中学は新潟市立白新中学校に通っており、当時同校に隣接していた新潟明訓高等学校への進学を希望していたものの、家庭の経済状況を勘案して高校進学を断念した。中学卒業後、父親が借金をしていた水産問屋に丁稚奉公に出されるが、そこで漫画家になることを決意。仕事後に睡眠時間を削って漫画を執筆していた。
1958年、大阪の貸本漫画出版社『日の丸文庫』の漫画短編誌『影』の新人漫画コンクールにデビュー作『深夜の客』を投稿する[3]。評価としては次点であったが、審査員の一人だった佐藤まさあきがその才能を評価し、入選を強硬に主張。特別に特選二席として表彰される。その表彰式で社長の山田秀三に漫画家になりたい旨を直訴、「一年以内に漫画家になる」という条件で家族を説得し来阪する。
山田宅に住み込み、日の丸文庫の編集の下働きの仕事をしながら寝る間を削って漫画を執筆、人気貸本漫画家となる。日の丸文庫では主にコメディ漫画を執筆。短編集『オッス!』シリーズや『水島新司爆笑シリーズ』、大阪のTV局制作ドラマ『番頭はんと丁稚どん』や『てなもんや三度笠』の漫画化などで人気を博す。
1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。
『週刊少年キング』で多くの短編作品を描くが、漫画家としての活動初期はサイクルサッカーなど野球以外のスポーツ漫画も多く手がけていた[注 1]。野球漫画を描かなかった理由は、打つ・走る・投げるなど本物に近い絵を描きたかったが、絵が下手だったので、一番好きな野球のジャンルを描ける自信が付くまで10年かかったためであるという[4]。
満を持して、本格的な野球漫画として1969年に『エースの条件』を発表。1970年からは『週刊少年サンデー』に『男どアホウ甲子園』、『週刊少年チャンピオン』に『銭っ子』を連載し、仕事の幅を広げる。特に『男どアホウ甲子園』は最初の大ヒットとなり、少年誌での人気を得る。
1972年からは『月刊少年マガジン』で『野球狂の詩』を読み切り不定期掲載、『週刊少年チャンピオン』で『ドカベン』を連載開始。1973年からは『ビッグコミックオリジナル』で『あぶさん』を連載開始。青年漫画にも進出する。『あぶさん』は2014年に完結するまで、41年にわたる長期連載となった。
水島自身やブレーンによる取材や資料集めの丁寧さを活かした「リアルな野球漫画」であった上記の連載作品はすべて人気を博し、野球漫画の第一人者の地位を確立する。特に柔道漫画として始まったが、『男どアホウ甲子園』終了に伴い、予定通り野球漫画へ転換した『ドカベン』は記録的大ヒットとなった。
以降、1975年に『男どアホウ甲子園』の続編『一球さん』を『週刊少年サンデー』に、1976年に『球道くん』を『マンガくん(少年ビッグコミック)』に発表。1977年には、当時、ブレーンを務めていた永谷脩と野球漫画専門誌『一球入魂』(新日本スポーツ企画)を創刊して編集長となり、『ある野球人の記録』(単行本では『白球の詩』)を連載する。
1977年ごろの、「知名人」(もしくは「著作家」)の所得番付で一位になったと、自ら語っている[5]。
1981年、9年続いた『ドカベン』連載終了の直後に、プロ野球機構そのものをすべてオリジナルで作る壮大で野心的な作品『光の小次郎』を『週刊少年マガジン』に発表。
1983年には自身が今まで描いてきた高校野球漫画の集大成作品『大甲子園』を『週刊少年チャンピオン』に発表。『ドカベン』を中心に『野球狂の詩』『男どアホウ甲子園』『一球さん』『球道くん』『ダントツ』などの人気漫画から、それまで意識して描かなかった登場キャラクターを全員集めた高校3年の夏の大会を描いた。スター・システムを採用したクロスオーバー作品の先駆けでもあり、多くのヒット作品をもつ水島ならではの展開であった。
その一方で、ベテランの域に入った『あぶさん』が代打本塁打だけで落合博満と本塁打王争い(1982年)をするなど、架空の選手がプロ野球記録や日本新記録を更新する荒唐無稽な描写が目立つようになり、「リアルな野球漫画」から現実離れした作風へ変化したことを批判する読者も増えた。
以降は1984年に『極道くん』(週刊少年マガジン)、1987年に『へい!ジャンボ』のリメイク『虹を呼ぶ男』(週刊少年チャンピオン)、1988年に『野球狂の詩』の番外編的作品『ストッパー』(コミックバーガー)、1990年に高校野球漫画の総決算『おはようKジロー』(週刊少年チャンピオン)を、1993年の『平成野球草子』(ビッグゴールド)をそれぞれ連載するが、やや低迷期に入る。
清原和博の希望もあって、1995年に『ドカベン プロ野球編』(週刊少年チャンピオン)を、リメイクブームの風潮から1997年に『野球狂の詩 平成編』(ミスターマガジン)を連載開始。講談社との関係は『極道くん』連載終了前後に、たけし軍団によるフライデー襲撃事件が発生し、水島の息子である新太郎が連座していたことから、しばらく関係が途絶えていた[注 2]が、本作で和解している。また、これらは2000年に『新・野球狂の詩』(モーニング)、2004年に『ドカベン スーパースターズ編』とタイトルを改め、長期連載となる。
2005年10月・11月に、8週連続(モーニングでは予告編含め9週)で『週刊少年チャンピオン』と『週刊モーニング』による、出版社を超えたコラボレーション企画として、『ドカベン スーパースターズ編』の東京スーパースターズと『新・野球狂の詩』の札幌華生堂メッツが日本シリーズで対決した。
2000年代に入ってから、連載は講談社の『野球狂の詩』、小学館の『あぶさん』、秋田書店の『ドカベン』だけになっていたが、上記の単行本化である『野球狂の詩VS.ドカベン』(2006年2月刊)を最後に、小学館と秋田書店だけになった。
2007年、漫画家生活50周年を迎え、『週刊少年チャンピオン』では漫画家生活50周年の企画として、連載中の『ドカベン』を巻頭カラーに、水島と同郷の高橋留美子の他、秋本治やさいとう・たかを、かわぐちかいじ、あだち充、井上雄彦、満田拓也、藤子不二雄A、森川ジョージ、高橋ヒロシなど沢山の漫画家からの寄せ書きとイラストが掲載された。また、王貞治、長嶋茂雄、ビートたけし、爆笑問題、松井秀喜、城島健司など野球関係者や芸能人からもメッセージが寄せられた。
2012年、『ドカベン』シリーズ40周年を記念し、最終章『ドカベン ドリームトーナメント編』連載開始。2018年に大団円を迎えた。週刊少年誌に連載する漫画家としてはあだち充を12歳も上回り、現役最長老であった。2014年2月には『あぶさん』も976回の連載を終了している。
2020年12月1日、同日付で63年間の漫画家生活から引退することを発表[6]。最終作は2018年8月に発表した『あぶさん』の読み切り作品。
2022年1月10日、肺炎のため、東京都内の病院で死去[7][8][9]。82歳没。喪主は妻・修子[10]。『ドカベン』シリーズに登場した松坂大輔は、水島の逝去にあたって「漫画『ドカベン』に、自分が初めて出た時の喜びは、今でも忘れません…」とコメントした[11]。他にも多くのプロ野球関係者・漫画関係者が追悼のコメントを述べている。
テレビアニメ化等のメディア展開や、CMなどのパロディといった作品の二次利用も多く見られたが、長男の新太郎がマネージャーを務めるようになった2010年代以降はそれらの利用にも消極的になっていった。また、現時点では作品の電子書籍化も行われていない[12]。
五十音順。ただし、シリーズ物はそのシリーズ順。
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