横川駅 (広島県)
広島県広島市西区にある西日本旅客鉄道の駅(広島電鉄の停留場は別項目) ウィキペディアから
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横川駅(よこがわえき)は、広島県広島市西区横川町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
JR西日本の駅には、当駅を所属線[1]とする山陽本線と、当駅を起点とする可部線が乗り入れる[2]。 可部線は線路名称上は当駅を起点とするものの、全列車が広島駅まで乗り入れる。JRの駅番号は山陽本線がJR-R03、可部線がJR-B03。
広島電鉄の停留場には、横川線が乗り入れる。系統上7号線・8号線が乗り入れる。広島電鉄の駅番号はY5。
1905年(明治38年)2月5日、12人乗りの乗合バスが横川町 - 可部町間約15kmの運行を開始[3]、これは日本最初の国産乗合バスであった。なお、これよりも早い1903年(明治36年)9月20日に京都で乗合バスが運行され、後にバスの日に設定されたものの、使われた車両は6人乗りで現在の「バス」の法定義である「11人以上が乗れる車」の要件は満たしていない。
後に、このことを知った地域の横川商店街が「レトロバス復元の会」を設立。車体の復元が始まった。2004年3月の復元完成時に役割を終えた会は解散、同時に町興しに活用すべく「広島かよこバス活用委員会」を設立[4]。復元時に「かよこバス」と名付けた[3]。名前の由来は、レトロバス復元記念の土産物を開発に取り組んでいた活用委員会メンバーの可部の「か」に横川の「よこ」を取って「かよこ」という駄洒落から[4]。2004年から横川駅前には当時の車両を復元した物が展示されている[5]。
島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線の合わせて3面5線を持つ高架駅[24]。JRの特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。
直営駅である。ICOCA(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)が利用可能。
駅舎は南側と北側にある。2003年(平成15年)落成の南口の駅舎は地上に、1949年(昭和24年)に落成し2003年(平成15年)に改装された北口の駅舎は可部線の高架下にある。南北それぞれに改札口、南口にはみどりの券売機プラス[21] を備え、デイリーインもある。コンコースから各ホームへはエレベーターが設置されている。駅舎の西側には、南北連絡用の自由通路トンネルが設けられている。
JRの乗車券には、群馬県の信越本線横川駅(こちらは「よこかわ」と読む)と区別するため、「(陽)横川」と表記している[注釈 3]。
JR横川駅(南口)広場内東側にある。大屋根が停留場を覆うように設けられており、雨の日でも濡れずにJR横川駅へ乗換えができるよう電停にも屋根がついている。
両のりばとも、7号線広電本社前行きおよび8号線江波行き電車が停車する。これは、1つの列車が当停留場を境に7号線と8号線を交互に運転すること(俗に三角運用と呼ばれている)があるためである(一部時間帯を除く)。当停留場にはほとんどの場合単車が乗り入れているが、朝ラッシュ時には連接車の乗り入れも設定されている。朝ラッシュには係員が案内をし、集札員が中扉からの降車客の運賃収集を行う。
停留場直前の国道上にクロスオーバー線路を敷き、両ホームにおける入線と出発を可能にしている。1番線は線路の左右にホームが有り、1番ホームの向かい側を降車専用ホームにしている。降車専用ホームにはホーム番号は設定されていない。
なお、2003年3月26日までは、横川駅前交差点の東側に1面1線の片面ホームの形で存在していた(白島停留場と同様の構造)。
以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである。
年度 | 1日平均 乗車人員 | 年度毎 乗客数 | 年度毎 降車数 | 年度毎 発送貨物(t) | 年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|
1952年(昭和27年) | 6,399.9 | 2,335,973 | - | - | - |
1953年(昭和28年) | 5,783.5 | 2,110,993 | - | - | - |
1954年(昭和29年) | 5,507.1 | 2,010,079 | - | - | - |
1955年(昭和30年) | 5,265.8 | 1,927,269 | - | - | - |
1956年(昭和31年) | 5,528.9 | 2,018,060 | - | - | - |
1957年(昭和32年) | 5,714.4 | 2,085,762 | - | 26,555 | 71,997 |
1958年(昭和33年) | 5,788.1 | 2,112,673 | 2,088,830 | 23,865 | 76,418 |
1959年(昭和34年) | 5,957.8 | 2,180,562 | 2,169,209 | 23,145 | 81,463 |
1960年(昭和35年) | 6,100.3 | 2,226,625 | 2,208,286 | 21,173 | 78,671 |
1961年(昭和36年) | 5,529.2 | 2,018,167 | 1,982,341 | 28,733 | 79,054 |
1962年(昭和37年) | 5,319.8 | 1,941,711 | 1,916,864 | 19,584 | 79,354 |
以上の1日平均乗車人員は、年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。
年度 | 1日平均 乗車人員 | 年度毎 総数 | 定期券 総数 | 普通券 総数 | 年度毎 発送貨物(t) | 年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|---|
1963年(昭和38年) | 5,598.3 | 4,097,931 | 3,344,314 | 753,617 | - | - |
1964年(昭和39年) | 6,056.7 | 4,421,401 | 3,582,862 | 838,539 | 18,678 | 74,153 |
1965年(昭和40年) | 6,834.2 | 4,988,954 | 4,017,120 | 971,834 | 13,859 | 66,023 |
1966年(昭和41年) | 6,750.0 | 4,927,474 | 4,018,480 | 908,994 | 7,687 | 68,158 |
1967年(昭和42年) | 6,776.8 | 4,960,623 | 3,954,334 | 1,006,289 | 10,407 | 76,459 |
1968年(昭和43年) | 6,165.1 | 4,500,533 | 3,469,088 | 1,031,445 | - | - |
1969年(昭和44年) | 5,967.8 | 4,356,463 | 3,356,418 | 1,000,045 | - | - |
1970年(昭和45年) | 6,209.4 | 4,532,835 | 3,375,512 | 1,157,323 | - | - |
1971年(昭和46年) | 6,305.2 | 4,615,424 | 3,352,004 | 1,263,420 | - | - |
1972年(昭和47年) | 6,423.2 | 4,688,907 | 3,233,512 | 1,455,395 | - | - |
1973年(昭和48年) | 7,306.5 | 5,333,770 | 3,408,290 | 1,925,480 | - | - |
1974年(昭和49年) | 8,239.1 | 6,014,529 | 3,711,488 | 2,303,041 | - | - |
1975年(昭和50年) | 9,767.1 | 7,149,491 | 3,741,790 | 3,407,701 | - | - |
1976年(昭和51年) | 9,539.1 | 6,963,513 | 4,030,328 | 2,933,185 | - | - |
1977年(昭和52年) | 9,278.5 | 6,773,331 | 3,986,980 | 2,786,351 | - | - |
1978年(昭和53年) | 9,353.8 | 6,828,295 | 4,135,530 | 2,692,765 | - | - |
以上の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にしたものである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1979年(昭和54年) | 8,894 |
1980年(昭和55年) | 8,889 |
1981年(昭和56年) | 8,811 |
1982年(昭和57年) | 8,875 |
1983年(昭和58年) | 8,977 |
1984年(昭和59年) | 9,285 |
1985年(昭和60年) | 9,860 |
1986年(昭和61年) | 10,299 |
1987年(昭和62年) | 12,200 |
1988年(昭和63年) | 12,582 |
1989年(平成 元年) | 13,309 |
1990年(平成 2年) | 14,478 |
1991年(平成 3年) | 15,301 |
1992年(平成 4年) | 16,312 |
1993年(平成 5年) | 16,942 |
1994年(平成 6年) | 16,386 |
1995年(平成 7年) | 15,624 |
1996年(平成 8年) | 15,524 |
1997年(平成 9年) | 15,131 |
1998年(平成10年) | 14,949 |
1999年(平成11年) | 14,868 |
2000年(平成12年) | 14,679 |
2001年(平成13年) | 14,384 |
2002年(平成14年) | 14,283 |
2003年(平成15年) | 15,001 |
2004年(平成16年) | 15,875 |
2005年(平成17年) | 16,499 |
2006年(平成18年) | 16,714 |
2007年(平成19年) | 17,168 |
2008年(平成20年) | 17,562 |
2009年(平成21年) | 17,696 |
2010年(平成22年) | 17,635 |
2011年(平成23年) | 17,751 |
2012年(平成24年) | 17,856 |
2013年(平成25年) | 18,249 |
2014年(平成26年) | 17,762 |
2015年(平成27年) | 16,758 |
2016年(平成28年) | 16,901 |
2017年(平成29年) | 17,016 |
2018年(平成30年) | 16,867 |
2019年(令和 元年) | 17,024 |
2020年(令和 2年) | 13,364 |
2021年(令和 3年) | 13,586 |
2022年(令和 4年) | 14,562 |
JRの駅としては広島市の中心である紙屋町に最も近かったため、もともと通勤客の利用が多かったが、2003年(平成15年)の広島電鉄7号線運行開始以来、顕著に増加の趨勢がみられる。1日平均乗車人員は、広島県では第3位である(広島市では第2位)。
広島電鉄でのJRとの乗換客数は5,000人となっている(7号線開業前の値)[29]。
広島地区のバス路線は、基本的に、市内線(主に旧市内(中区・西区・南区の3区と東区の一部)だけを走る路線)と郊外線(広島バスセンターまたは広島駅・八丁堀と旧市内の外を結ぶ路線)に大別され、これらはバス停も別々になっている。
横川駅においても、市内線は南口ロータリー内、郊外線は国道183号(2008年(平成20年)4月1日に道路管理者が国土交通省から広島市に移管されたことに伴い、国道54号から変更された)上と分かれて設置されている。ただし、広島駅と違い、横川駅では可部街道を通る広島電鉄、広島交通のバスはロータリーに入らない。
なお、郊外線バス停の市内線乗り場(広島バスが郊外線と同方向に向かう22号線乗り場として使用)としての名称は、上りが「横川3丁目」、下りが「横川1丁目」と同じバス停に「横川駅前」バス停乗り場が併設されている。
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