石丸 謙二郎(いしまる けんじろう、1953年〈昭和28年〉11月1日[1][2] - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名同じ。大分県大分市出身[1]。2006年1月1日より青年座映画放送部所属。身長173cm。血液型はA型[1]。
概要 いしまる けんじろう 石丸 謙二郎, 本名 ...
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大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業[3]。日本大学藝術学部演劇学科中退。
つかこうへいの事務所にスカウトされ、1977年に『いつも心に太陽を』で舞台デビュー。
落ち着いたトーンの声質で、1987年から『世界の車窓から』のナレーションを一貫して務め、知名度を得る。このことから鉄道に関連した作品への出演が多く、『仮面ライダー電王』ではオーナー役、『十津川警部シリーズ』(TBS系)では2017年から新たに亀井刑事(巡査部長)を演じている。日本テレビ系『ぶらり途中下車の旅』では常連旅人として出演しており、2015年11月28日放送分では、藤村俊二の代わりでナレーターも務めている。
朝起きて「せ・か・い」と言えばその日の健康状態がわかるという。
1974年に日本で初めてストリーキングを敢行したと自称しており、「『ストリーク!ストリーク!』と怒鳴りながら」、東京・原宿を走ったという[4]。なお、一般には同年3月12日に広島市で行われたものが日本人による初のストリーキングとされる。
祖父が関根大サーカスの団長だったこともあり幼い頃から体感を鍛えられていた。20歳頃から数年、アルバイトでピエロとしてサーカスに出演していた[5][6]。石丸のピエロ姿が同サーカス団のポスターに描かれたこともある[7]。
プライベートでは多趣味なアウトドア派。フリークライミングやウインドサーフィン、登山、ダンス、手品[8]などを趣味としている。また、ケイビング(スポーツとしての洞窟探検)も得意で、その技能を生かして『飛び出せ!科学くん』にゲスト出演を果たしている。
- 第11回芸能人サバイバルバトル(2003年3月23日放送)
- 当時49歳にして初出場。BURN OUT GUYSでは1分18秒66の好タイムで5位。BEACH FLAGSは2回戦進出。MONSTER BOXは記録なしに終わるも、QUICK MUSCLEでは初挑戦で100回。TAIL IMPOSSIBLEは第2レース進出と随所で健闘を見せるも、総合10位で脱落。
- 第12回芸能人サバイバルバトル(2003年9月26日放送)
- パワー系種目のWORK OUT GUYSでは1分23秒66で6位。BEACH FLAGSは1回戦敗退。前回記録なしだったMONSTER BOXは11段と記録を残し、QUICK MUSCLEでは前の組で野村将希がマークした125回を目標に挑むも、1回届かない124回に終わるも、SPIN OFFでは2回戦(初戦)でなかやまきんに君との競り合いを制すも、準決勝で池谷直樹に敗れた。BURN OUT GUYSは1分24秒01で8位。各種目でコツコツとポイントを稼ぐも総合9位で脱落。
- 第13回芸能人サバイバルバトル(2004年4月5日放送)
- BURN OUT GUYSは1分21秒52で9位。BEACH FLAGSは1回戦敗退。自己記録11段だったMONSTER BOXでは一気に3段更新し14段。SPIN OFFでは1回戦で野村、2回戦では球体の回転を利用した戦略で脇田寧人に勝利するも、準決勝で山﨑賢太に敗れた。QUICk MUSCLEは自己記録を30回更新する大健闘を見せ、154回で種目別4位。FINAL進出の当落線上に位置していたが、TAIL IMPOSSIBLEが第1レース敗退に終わり、総合9位で脱落。
- 第14回芸能人サバイバルバトル(2005年4月5日放送)
- SPIN OFFでは1回戦で川久保拓司に勝利するも、2回戦で山崎に敗れた。MONSTER BOXは13段。QUICK MUSCLEでは177回と自己記録を更新し、当時の芸能人記録ではケイン・コスギと並ぶ歴代第2位の記録をマークした。最終種目別順位は4位。POWER FORCEでは、1回戦でボビー・オロゴンとの2分にも及ぶ死闘を制し、2回戦ではこの種目のディフェンディングチャンピオンである野村との50代対決も勝利し準決勝進出。準決勝できんに君に敗れた。この種目終了時点で暫定総合6位にいたが、TAIL IMPOSSIBLEが第1レース敗退に終わったことが響き、総合8位で逆転でFINAL進出を逃した。
- 第16回芸能人サバイバルバトル(2006年3月29日放送)
- 新種目REVOLUTIONでは、第1組で最初に脱落しノーポイント。SPIN OFFでは1回戦で知幸に敗れ、この種目初の1回戦敗退に終わる。MONSTER BOXも自己記録に届かない13段に終わり、3種目終了時点で総合最下位となり、逆転の生き残りを懸けたQUICK MUSCLEでは開始1分で100回を超えるハイペースで、あわや200回を目前とした矢先、195回目をカウントした瞬間に左膝と左肘が競技台につき、失格の判定。競技後のインタビューでは「もうやるとこまでいこうと思ったらズルっとね、200(回)を目指したから膝ついたと思うんだよね、もうしょうがないです。次は、一気に大きいところ狙います。」「ここ(コロッセオ)にいるとね、凄い嬉しいんだよな。ここが大好きだからね⋯」とコメントを残し、この種目終了時点で脱落が決定。脱落のインタビューでは「もっと暴れたかったっていう気持ちがすごいあるね。帰りたくないね⋯」と悔しさをあらわにした。
- 第17回芸能人サバイバルバトル(2006年10月4日放送)
- SPIN OFFではまたも1回戦敗退を喫し、MONSTER BOXでは13段。QUICK MUSCLEは185回の自己新記録で4位。TAIL IMPOSSIBLEで第1レース敗退に終わり、総合11位で脱落。
- 第18回芸能人サバイバルバトル(2007年10月5日放送)
- BEACH FLAGSは1回戦敗退。SPIN OFFでは1回戦でレイザーラモンHGに勝利するも、2回戦でワッキーに敗れた。MONSTER BOXは野村将希の棄権により、トップバッターで登場。11段を成功するも、13段でロイター板の踏み込みが甘く、初めて失敗に終わった。MUSCLE GYMでは佐藤弘道が持っていた芸能人記録(215回)を3回上回る218回をマークし、一時芸能人記録を作った。最終的な種目別順位は6位で、総合では10位で脱落。
ファイナル進出経験こそないものの、8~10位と安定した成績を残すことが多く、TAIL IMPOSSIBLE開始前まではファイナリストの当落線上にいることも多々あった。SPIN OFFでは前述の通り、球体の回転を活かしたテクニックで当種目で後にNo.1になったきんに君とワッキーに勝利した経験がある。QUICK MUSCLEでも初挑戦以降毎回自己記録を更新し、一時は芸能人歴代2位タイの記録を作っていた。MUSCLE GYMでの初挑戦での218回は、歴代の初挑戦記録で知幸(241回)、きんに君(227回)に次ぐ3位である。
初出場の第11回以降、年齢が1つ年上の野村将希と毎回自己記録更新などに挑んでおり、野村が跳び箱を成功した際には共に喜び、野村がトーナメント種目で敗退した際には悔しがる様子を見せていた。
- 芸能人サバイバルバトル
さらに見る 大会, 放送日 ...
大会 | 放送日 | 総合順位 |
第11回 | 2003年3月23日 | 10位 |
第12回 | 2003年9月26日 | 9位 |
第13回 | 2004年4月5日 | 9位 |
第14回 | 2005年4月8日 | 8位 |
第16回 | 2006年3月29日 | 14位 |
第17回 | 2006年10月4日 | 11位 |
第18回 | 2007年10月5日 | 10位 |
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TBS系『SASUKE』『スポーツマンNo.1決定戦』の常連出場者で、野村将希と自己記録の更新に挑んでおり、両名の克己心を自らのモチベーションにする若手芸能人も少なくない。また、初回出演時には局からのオファーではなく「自ら葉書を出して応募した」一般応募枠であることを明言している。SASUKEには過去16回出場し、1st STAGEクリアこそないものの、1stの最終エリアまでは2回到達している。
オリジナルビデオ
- 新Zero WOMAN 0課の女再び…(2004年)
ドキュメンタリー
- 富士山 絶景の秘密〜知られざる火山の物語(2012年1月1日、NHK-BSプレミアム) - メインナビゲーター
- 世界大探検ミステリー 地下の絶景をめぐる旅(2013年11月3日、BS-TBS) - メインナビゲーター
- 草刈民代 日本バレエの母を求めて〜エリアナ・パヴロバの波乱の生涯と謎〜(2014年6月29日、BS朝日) - ナレーション
- 天空の頂に 槍ヶ岳 山小屋100年物語(2018年2月5日、長野朝日放送 / 2019年1月2日、テレビ朝日) - ナレーション
- 舞台女優 黒柳徹子 さよなら・最後のステージ(2018年12月15日、テレビ朝日) - ナレーション
- 鉄道伝説SP(BSフジ)
- 消えゆく時代を彩った鉄道たち 2017春(2017年5月7日)
- さようなら 時代を彩った鉄道たち 2018春(2018年3月11日)
- -平成から新時代へ-引退と誕生2019(2019年4月14日)
- 時代を走る鉄道たち2020春(2020年4月26日)[22]
『スーツアクター 高岩成二 先人より継承し、共に創造す』、2023年8月22日発行、高岩成二、株式会社イーストプレス、P54。
“サーカス博覧会”. 原爆の図丸木美術館. 2024年11月7日閲覧。