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日本国有鉄道の客車 ウィキペディアから
50系客車(50けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977年(昭和52年)より設計・製造された一般形客車の系列である(区分の経緯については#車両区分を参照)。
国鉄50系客車 | |
---|---|
50系客車で組成された列車 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 北海道旅客鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 四国旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 | 新潟鐵工所・富士重工業[1] |
種車 | スハ43・オハ46・スハフ42・オハフ45・スハネ16[注 1][2] |
製造年 | 1977年 - 1982年[3] |
製造数 | 953 両[3] |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
最高速度 | 95 km/h[4] |
車両定員 |
112 名(オハ50[5]・オハ51[6]) 92 名(オハフ50[7]・オハフ51[8]) |
荷重 |
荷物13 t(マニ50)[4] 荷物4 t・郵便4 t(スユニ50)[4] |
自重 |
27.3 t(オハ50)[4] 27.6 t(オハフ50)[4] 28.2 t(オハ51)[4] 29.8 t(オハフ51)[4] 28.6 t(マニ50)[4] 31.5 t(スユニ50)[4] |
全長 | 20,000 mm[4] |
車体長 | 19,500 mm[9] |
全幅 | 2,893 mm[4] |
車体幅 | 2,800 mm[9] |
全高 |
3,895 mm(オハ・オハフ)[4] 3,865 mm(マニ・スユニ)[4] |
車体高 | 3,650 mm[10] |
床面高さ | 1,240 mm[9] |
車体 | 鋼製[10] |
台車 |
TR230(オハ50・オハフ50・マニ50)[4] TR230A(オハ51・オハフ51)[4] TR47B(スユニ50)[4] |
固定軸距 |
2,000 mm(オハ・オハフ・マニ)[11] 2,450 mm(スユニ)[2] |
台車中心間距離 | 14,000 mm[4] |
制動装置 |
CL自動空気ブレーキ[12] 手ブレーキ(オハフ・マニ・スユニ)[4] |
本州以南用の50形と、北海道用の51形があるが、基本的な設計コンセプトは同一であるため本項ではこの両形式、さらに同一の車体構造を有する荷物車マニ50形と郵便・荷物合造車スユニ50形についても併せて解説を行う。
1970年代前半(昭和40年代)まで、地方都市圏(特に交流電化線区や非電化幹線)の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製造された鋼製客車が多数使用されていた。これらの車両は優等列車の電車化・気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので、10系以前の客車は登場後しばらくは程度の良い車両が優等列車に使用され[13]、後継車両の増備や置換えで捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた[注 2]。
昭和30年頃の時点で当時の国鉄は「加減速性能・表定速度・利便性能および運用効率において客車列車は電車や気動車と比較して大きく劣っており、いずれ廃れる輸送方式になる」と判断しており、その後実施された動力近代化計画はそれに基づいて、旅客列車については寝台列車などー部を除いて電車もしくは気動車に置き換えて座席客車を淘汰する方針だったことから、普通列車用の客車の製造については極めて消極的であった[注 3]。しかし当時の鋼製客車は製造後20年から40年以上を経て老朽化しており、保守上の問題と乗客からの不評を顕在化させていた。このため一部の鉄道管理局では、室内の両端、あるいはすべての座席をロングシートに改造し、つり革を設置することで収容定員の増加が図られていたが、狭いデッキや出入口はそのままであり、乗降の遅滞から運行遅延の原因となっていた。また自動扉をもたないこれらの客車は、走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていた。上記の問題を解決するために、新形車両の導入が求められていた。
輸送改善に際しては、当時行われていた荷物・郵便輸送への配慮と[注 4]、貨物輸送量の減少で機関車に余剰が発生していたこと、さらに組合側が客車列車の継続を要望していた(余剰人員が発生する電車化・気動車化に反対していた)ことから、動力近代化計画には矛盾するもののやむなく新形式客車を開発する方針が採られた[15]。座席客車の新規製造は[注 5]、当時でも時流を考慮しないような施策であったが、客車は動力装置が不要であるため、1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安くなることから[注 6][注 7]、地方部の通勤・通学時間帯に多く運行されていた比較的長編成の客車普通列車の置換え用として、余剰化した電気機関車やディーゼル機関車を有効活用することによって[注 8]、輸送力増強やサービス改善を低いイニシャルコストで行うために製造された車両群が本系列である[注 9][16][17]。
製造は全形式とも富士重工業(現・SUBARU)・新潟鐵工所(現・新潟トランシス)の2社が担当した。同時期に設計・製造されたキハ40系気動車・115系1000番台などとは、車体構造やアコモデーションなどで共通点が多い。
1979年(昭和54年)には鉄道友の会よりローレル賞を授与され[18]、オハフ50 1の車内に記念プレートが取付けられた[注 10]。
本形式の用途は通勤輸送を主目的とした車両であるが、室内は地方での需要を反映してセミクロスシートとした。通勤輸送に用いられる車両は通常通勤形にカテゴライズされるものであるが、当時の国鉄では「客室に出入口を有し、横型腰掛(ロングシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」を通勤形に定義していた[19]。一方で室内がセミクロスシートであることに着目すれば近郊形に近いが、近郊形は新性能電車独自の概念であるため、本形式は「通勤形でも近郊形でもない」として「一般形」の区分を採用した[注 11]。したがって、日本の国鉄・JRの客車において厳密な意味で通勤形や近郊形の区分を採用した客車は新製されていない。
普通鋼製で、本州以南向けの50形については工程の簡略化のため窓構造が従来の一段上昇窓から上段下降・下段上昇式の外ハメ窓(ユニット窓)とされた。すきま風や雨水による浸食防止と取付簡素化をはかって新設計のユニットサッシが採用されたため、12系客車など在来の車両で使用されているユニットサッシとの互換性はない[24]。従来の客車と同様に車端部に乗降口を配したデッキつきであるが、主として通勤通学時間帯に使うため、引き戸の幅を1,000 mmとした[24]。
車体色は、交流電気機関車と同様の赤2号の一色塗りで、屋根はねずみ色1号である。この塗装から「レッドトレイン」とも称されていた[25][26][27]。
車体断面は12系などとは異なり全幅が約100 mm小さく、裾絞りのないストレートな腰板を備える簡素な構造で、連結・解放作業を考慮して、車体妻面は3面構成の折妻構造とされた[24]。側構が薄くなったことで室内幅は従来の旧形客車より若干拡大し、窓側席肘掛の省略や座席寸法の見直しで必要な通路幅を確保している。
床下型の集中式冷房装置を想定し床面を高く設計している。AU75系集中式冷房装置の搭載を考慮した電車形の屋根断面、および構体構造で設計されているとする説もあるが、PDC化[注 12]された車両(キハ141系)を除き、それらが搭載された実績はない。新製時には製造コストと電源確保の問題から冷房装置は搭載されず、押込式通風装置が搭載された。
客用扉は、在来形客車で問題視されていた手動扉に代わり、幅を1,000 mmに拡大した片引戸で半自動操作も可能な自動扉とし、車軸からの速度検出による戸閉保安装置が追加された。ドアエンジンを動作させる圧縮空気は、空気圧を供給する空気圧縮機やその動力源も搭載されていないため、機関車から元空気溜管(Main Reservoir Pipe:MRP)を介して供給する必要がある。
車内のサービス用電源は従来通り各車に搭載された車軸発電機と蓄電池とされた。
行先表示は、在来形客車のサボを掲示する方式を踏襲し、側面中央部窓下にサボ受を設けた。側面上部に自動行先表示器の取付準備工事が施工されていたが、PDC化された車両を除き、実際に搭載された車両はない。
旧来の国鉄形客車とは異なり、長距離列車よりも主に通勤通学時間帯における運用を考慮した車内設備とした。
座席配置は、デッキ付近をロングシート、客室中央をシートピッチ1,470 mmのクロスシートとしたセミクロスシートとした[24]。ボックスシート部のテーブルおよび窓側の肘掛は装備されていない。
デッキ・客室間の仕切扉も乗降の円滑化を図り1,200 mm幅の両引戸とし[24]、引き残しを少なくするため取手部分の戸袋を切り欠いているが、北海道向け51系およびオハフ50形のトイレ側は一般の片開き式とした。
暖房装置は、在来形客車と同様で機関車に搭載される蒸気発生装置 (SG) から暖房用蒸気の供給を受ける方式を採用したが、一部車両では電気暖房装置を併設する。
本系列のみで組成した編成で運用することを主眼においており、循環式汚物処理装置準備工事が施工されたトイレは緩急車にのみ設置とされた。
車掌が車内をこまめに巡回し、なおかつ在来形客車では不要であったドア開閉操作を行う点から編成中の緩急車数を従来よりも増やし[注 15]、緩急車も一端は車掌室、もう一端は業務用室とした上で乗務員扉を双方に設置し業務効率化を図った。
空気ブレーキは応答性が良好で、メンテナンスも容易な三圧式のCLブレーキを搭載する。応答時間短縮に効果のある電磁給排弁は付加されておらず最高速度は95 km/hに制限される。
この項では新製車両のみを示す。改造車については次項に記す。
本州以南向けのグループで1978年(昭和53年)から1982年(昭和57年)にかけて製造された。東北・北陸地区などに投入された車両は電気暖房を併設し車両番号が原番号+2000を付与されたほか、横軽対策が施工されていた。
車両形式 | 車両番号 | 製造メーカー | 落成日 | 除籍日 | 処遇 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 5 | 1988.8.11 | キハ33 1001に改造 | |||
オハ50 6 | 1988.7.5 | キハ33 1002に改造 | ||||
オハ50 11 | 1992.3.16 | 廃車 | ||||
オハ50 2031 | オハ50 5009に改造 | |||||
オハ50 2032 | オハ50 5010に改造 | |||||
オハ50 2039 | 1993.10.1 | 真岡鐵道に譲渡 | ||||
オハ50 75 | 1988.8.20 | オハ50 701に改造 | 「SL人吉」用改造(2018年現役) | |||
オハ50 89 | 1993.9.8 | オハ50 1089に改造 | ||||
オハ50 2105 | オハ50 5005に改造 | |||||
オハ50 2106 | オハ50 5006に改造 | |||||
オハ50 2107 | オハ50 5007に改造 | |||||
オハ50 2108 | オハ50 5011に改造 | |||||
オハ50 2109 | オハ50 5012に改造 | |||||
オハ50 180 | 1993.10.6 | オハ50 1180に改造 | ||||
オハ50 181 | 1993.3.3 | オハ50 1181に改造 | ||||
オハ50 182 | 1993.3.30 | オハ50 1182に改造 | ||||
オハ50 183 | 1993.1.14 | オハ50 1183に改造 | ||||
オハ50 189 | 1993.2.12 | オハ50 1189に改造 | ||||
オハ50 2198 | 1993.10.1 | 真岡鐵道に譲渡 | ||||
オハ50 2249 | オロ50 1に改造 | |||||
オハ50 2250 | オロ50 2に改造 | |||||
オハ50 2263 | オハ50 5013に改造 | |||||
オハ50 2264 | オハ50 5001に改造 | |||||
オハ50 2265 | オハ50 5002に改造 | |||||
オハ50 2266 | オハ50 5003に改造 | |||||
オハ50 2267 | オハ50 5004に改造 | |||||
オハ50 2268 | オハ50 5014に改造 | |||||
オハ50 2269 | オハ50 5015に改造 | |||||
オハ50 2270 | オハ50 5008に改造 | |||||
オハ50 2304 | 1988.4.25 | オニ50 2304に改造 | ||||
オハ50 2305 | 1988.4.25 | オニ50 2305に改造 | ||||
オハ50 2306 | 1988.5.16 | オニ50 2306に改造 | ||||
オハ50 2307 | 1988.5.16 | オニ50 2307に改造 | ||||
オハ50 2308 | 1988.5.31 | オニ50 2308に改造 | ||||
オハ50 2312 | 1988.4.14 | オニ50 2312に改造 | ||||
オハ50 2313 | 1988.4.14 | オニ50 2313に改造 | ||||
オハ50 2314 | 1988.5.23 | オニ50 2314に改造 | ||||
オハ50 2317 | 1988.5.23 | オニ50 2317に改造 | ||||
オハ50 2318 | 1988.6.3 | オニ50 2318に改造 | ||||
オハフ50形 | オハフ50 39 | 1988.8.20 | オハフ50 701に改造 | 「SL人吉」用改造(2018年現役) | ||
オハフ50 40 | 1988.8.20 | オハフ50 702に改造 | 「SL人吉」用改造(2018年現役) | |||
オハフ50 2041 | オハフ50 5010に改造 | |||||
オハフ50 2042 | オハフ50 5006に改造 | |||||
オハフ50 2043 | オハフ50 5007に改造 | |||||
オハフ50 2044 | オハフ50 5008に改造 | 2018年現在・「ノロッコ号」向け改造(オハテフ500-1) | ||||
オハフ50 2054 | 1993.10.1 | 真岡鐵道に譲渡 | ||||
オハフ50 68 | 1993.8.31 | 廃車 | 京都鉄道博物館に保存 | |||
オハフ50 100 | 1989.2 | 樽見鉄道に譲渡 | ||||
オハフ50 2162 | オハフ50 2501に改造 | |||||
オハフ50 2163 | オハフ50 2502に改造 | |||||
オハフ50 267 | 1989.2 | 樽見鉄道に譲渡 | ||||
オハフ50 269 | 1989.2 | 樽見鉄道に譲渡 | ||||
オハフ50 272 | 1992.4.8 | 廃車 | ||||
オハフ50 276 | 1993.6.30 | オハフ50 1276に改造 | ||||
オハフ50 277 | 1993.8.3 | オハフ50 1277に改造 | ||||
オハフ50 278 | 1993.9.18 | オハフ50 1278に改造 | ||||
オハフ50 279 | 1993.10.19 | オハフ50 1279に改造 | ||||
オハフ50 280 | 1991.4.26 | オハフ50 1280に改造 | ||||
オハフ50 281 | 1993.11.19 | オハフ50 1281に改造 | ||||
オハフ50 282 | 1993.12.10 | オハフ50 1282に改造 | ||||
オハフ50 283 | 1993.12.27 | オハフ50 1283に改造 | ||||
オハフ50 284 | 1994.1.18 | オハフ50 1284に改造 | ||||
オハフ50 285 | 1992.9.5 | オハフ50 1285に改造 | ||||
オハフ50 286 | 1992.10.30 | オハフ50 1286に改造 | ||||
オハフ50 287 | 1992.11.17 | オハフ50 1287に改造 | ||||
オハフ50 288 | 1992.12.10 | オハフ50 1288に改造 | ||||
オハフ50 2301 | 1995.11.16 | スヤ50 5001に改造 | 2018年現在・マヤ50 5001 | |||
オハフ50 2317 | 1988.5.31 | オニフ50 2317に改造 | ||||
オハフ50 2322 | 1988.6.3 | オニフ50 2322に改造 | ||||
オハフ50 2332 | オハフ50 5005に改造 | |||||
オハフ50 2376 | オロフ50 1に改造 | |||||
オハフ50 2377 | オロフ50 2に改造 | |||||
オハフ50 2378 | オロフ50 3に改造 | |||||
オハフ50 2380 | オハフ50 5001に改造 | |||||
オハフ50 2381 | オハフ50 5002に改造 | |||||
オハフ50 2390 | オハフ50 5003に改造 | |||||
オハフ50 2391 | オハフ50 5004に改造 | |||||
オハフ50 2392 | オハフ50 5011に改造 | |||||
オハフ50 2393 | オハフ50 5012に改造 | |||||
オハフ50 2394 | オハフ50 5013に改造 | |||||
オハフ50 2395 | オハフ50 5014に改造 | |||||
オハフ50 2396 | オハフ50 5015に改造 | |||||
オハフ50 2397 | オハフ50 5016に改造 | |||||
オハフ50 2398 | オハフ50 5009に改造 |
北海道用のグループで、客室窓を小型の一段上昇式二重窓とし、車軸発電機をベルト駆動からギア+シャフト駆動に変更するなどの酷寒地対策が施工される。台車は、軸ばねと枕ばねにゴム被覆コイルばね(エリゴばね)を使用し、ブレーキシリンダも厳冬期の整備のために車体取付に変えたTR230A形である[注 16]。
1978年(昭和53年)から1982年(昭和57年)にかけて製造されたが、1979年(昭和54年)までに製造された初期車 (オハ51・オハフ51ともに1 - 10が該当) は、車体側面戸袋窓が小型、オハフ51形では床下水タンクの装架位置が異なる。札幌圏で運用した車両には、機関車に出発合図を送るためのブザー回路[注 17]が追加された。
車両形式 | 車両番号 | 製造メーカー | 落成日 | 除籍日 | 処遇 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ51形 | オハ51 6 | 1991.3.20 | 廃車 | |||
オハ51 21 | 1991.3.20 | 廃車 | ||||
オハ51 35 | 1988.12.10 | オハ51 5001に改造 | ||||
オハ51 36 | 1988.12.19 | オハ51 5002に改造 | ||||
オハ51 37 | 1988.12.23 | オハ51 5003に改造 | ||||
オハ51 38 | 1988.12.29 | オハ51 5004に改造 | ||||
オハ51 41 | 1994.11.1 | 廃車 | ||||
オハ51 48 | 1994.11.1 | 廃車 | ||||
オハフ51形 | オハフ51 1 | 1992.3.17 | キハ141-6に改造 | |||
オハフ51 2 | 1993.1.30 | キハ141-12に改造 | ||||
オハフ51 3 | 1991.3.28 | キハ142-3に改造 | ||||
オハフ51 4 | 1998.6.14 | オクハテ510-1に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 5 | 1993.2.20 | キハ141-13に改造 | ||||
オハフ51 6 | 1993.7.2 | キハ142-14に改造 | ||||
オハフ51 7 | 1994.3.24 | キサハ144-101に改造 | ||||
オハフ51 9 | 1994.3.22 | キサハ144-102に改造 | ||||
オハフ51 10 | 1994.3.28 | キサハ144-103に改造 | ||||
オハフ51 11 | 1991.3.28 | キハ141-2に改造 | ||||
オハフ51 12 | 1993.1.27 | キハ141-11に改造 | ||||
オハフ51 13 | 1992.2.12 | キハ142-7に改造 | ||||
オハフ51 14 | 1992.11.14 | キハ142-11に改造 | ||||
オハフ51 15 | 1994.11.14 | キハ143-152に改造 | ||||
オハフ51 16 | 1991.9.23 | キハ141-4に改造 | ||||
オハフ51 20 | 1994.10.29 | キハ143-154に改造 | ||||
オハフ51 21 | 1993.1.13 | キハ142-12に改造 | ||||
オハフ51 22 | 1992.3.31 | キハ142-8に改造 | ||||
オハフ51 23 | 1993.5.31 | キハ141-14に改造 | ||||
オハフ51 24 | 1994.10.25 | キハ143-103に改造 | ||||
オハフ51 26 | 1993.3.19 | キハ142-13に改造 | ||||
オハフ51 27 | 1995.3.31 | キハ143-155に改造 | ||||
オハフ51 28 | 1999.6.7 | オハテフ510-2に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 29 | 1999.5.29 | オハテフ510-3に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 30 | 1995.1.10 | キハ142-201に改造 | ||||
オハフ51 32 | 1994.8.24 | キハ143-151に改造 | ||||
オハフ51 33 | 1994.3.30 | キサハ144-104に改造 | ||||
オハフ51 34 | 1995.1.31 | キハ143-104に改造 | ||||
オハフ51 35 | 1994.10.28 | キハ143-104に改造 | ||||
オハフ51 36 | 1994.8.27 | キハ143-101に改造 | ||||
オハフ51 39 | 1995.7.21 | キハ143-156に改造 | ||||
オハフ51 40 | 1991.3.30 | キハ142-3に改造 | ||||
オハフ51 41 | 1994.9.1 | キハ143-102に改造 | ||||
オハフ51 42 | 1992.6.16 | キハ142-9に改造 | ||||
オハフ51 43 | 1992.8.22 | キハ142-10に改造 | ||||
オハフ51 44 | 1990.3.12 | キハ141-1に改造 | ||||
オハフ51 45 | 1990.3.12 | キハ142-1に改造 | ||||
オハフ51 46 | 1991.3.28 | キハ141-3に改造 | ||||
オハフ51 47 | 1992.2.7 | キハ141-7に改造 | ||||
オハフ51 48 | 1992.7.10 | キハ141-9に改造 | ||||
オハフ51 49 | 1992.2.15 | キハ141-8に改造 | ||||
オハフ51 50 | 1991.8.19 | キハ142-4に改造 | ||||
オハフ51 51 | 1991.10.23 | キハ142-5に改造 | ||||
オハフ51 53 | 1991.12.20 | キハ141-5に改造 | ||||
オハフ51 54 | 1991.12.28 | キハ142-6に改造 | ||||
オハフ51 55 | 1992.9.26 | キハ141-10に改造 | ||||
オハフ51 56 | 1998.6.14 | オハテフ510-1に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 57 | 1998.6.14 | オハ510-1に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 58 | 1999.5.29 | オクハテ510-2に改造 | 「ノロッコ号」向け改造 | |||
オハフ51 60 | 1995.8.3 | キハ143-157に改造 | ||||
オハフ51 61 | 1989.11.21 | オハフ51 5001に改造 | ||||
オハフ51 62 | 1989.12.12 | オハフ51 5002に改造 | ||||
オハフ51 63 | 1989.12.26 | オハフ51 5003に改造 | ||||
オハフ51 64 | 1990.1.26 | オハフ51 5004に改造 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
0番台 | スユニ50 2001 | スハネ16 2086 | 長野 | 1978.6.21 | 1987.1.20 | 廃車 |
スユニ50 2002 | スハネ16 2132 | 1978.7.5 | 1987.1.20 | 廃車 | ||
スユニ50 2003 | スハネ16 2610 | 幡生 | 1978.6.30 | 1987.1.20 | 廃車 | |
スユニ50 2004 | スハネ16 56 | 1978.6.15 | 1987.1.20 | 廃車 | ||
スユニ50 2005 | スハネ16 2617 | 後藤 | 1978.6.23 | 1987.2.6 | 廃車 | |
スユニ50 2006 | スハ43 567 | 幡生 | 1978.9.7 | 1987.2.6 | 廃車 | |
スユニ50 2007 | スハ43 2218 | 1978.9.25 | 1987.2.6 | 廃車 | ||
スユニ50 2008 | スハネ16 25 | 後藤 | 1978.8.17 | 1987.2.6 | 廃車 | |
スユニ50 2009 | スハネ16 83 | 1978.9.26 | 1987.2.6 | 廃車 | ||
スユニ50 2010 | スハネ16 187 | 小倉 | 1978.9.18 | 1987.2.6 | 廃車 | |
スユニ50 2011 | スハネ16 188 | 1978.9.21 | 1987.2.6 | 廃車 | ||
スユニ50 2012 | スハフ42 2106 | 長野 | 1978.8.29 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2013 | スハフ42 2045 | 1978.9.11 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2014 | スハ43 418 | 名古屋 | 1978.7.31 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2015 | スハ43 419 | 1978.9.26 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2016 | スハネ16 43 | 幡生 | 1978.8.19 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2017 | スハ43 2015 | 名古屋 | 1979.12.25 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2018 | スハ43 2293 | 1980.1.31 | 2020.1.8 | 廃車 | ||
スユニ50 2019 | スハ43 2250 | 1980.3.13 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2020 | スハ43 2178 | 1980.3.29 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2021 | スハ43 572 | 後藤 | 1979.10.30 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2022 | スハ43 2429 | 名古屋 | 1979.12.24 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2023 | スハ43 2251 | 後藤 | 1980.2.18 | 1987.1.26 | 廃車 | |
スユニ50 2024 | スハ43 2232 | 1980.3.27 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2025 | スハ43 2431 | 幡生 | 1979.12.10 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2026 | スハ43 571 | 1979.10.27 | 1987.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2027 | スハ43 2253 | 長野 | 1980.1.25 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2028 | スハ43 2297 | 1980.5.2 | 1987.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2029 | スハ43 2328 | 1980.7.1 | 1987.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2030 | スハ43 2361 | 1980.3.28 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2031 | スハ43 587 | 小倉 | 1979.10 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2032 | スハ43 564 | 1980.1 | 1987.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2033 | スハ43 161 | 1980.3.14 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2034 | スハ43 569 | 幡生 | 1980.2.29 | 1987.1.26 | 廃車 | |
スユニ50 2035 | スハ43 596 | 1980.3.27 | 1987.1.26 | 廃車 | ||
スユニ50 2036 | オハ46 683 | 1980.10.31 | 1994.6.20 | 廃車 | ||
スユニ50 2037 | スハフ42 312 | 1980.11.29 | 2005.12.1 | 廃車 | ||
スユニ50 2038 | オハ46 387 | 小倉 | 1981.3.18 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2039 | スハフ42 275 | 後藤 | 1980.10.29 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2040 | スハ43 2355 | 1980.12.13 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2041 | スハフ42 2264 | 1981.2.16 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2042 | スハ43 2490 | 幡生 | 1980.9.17 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2043 | オハ46 684 | 小倉 | 1980.9.19 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2044 | スハフ42 2026 | 1980.12.12 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2045 | スハフ42 2236 | 鹿児島 | 1980.8.25 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2046 | スハフ42 2127 | 後藤 | 1981.3.30 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2047 | スハフ42 137 | 1981.11.27 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2048 | オハ46 10 | 1982.2.25 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2049 | オハ46 697 | 幡生 | 1982.2.1 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2050 | オハ46 694 | 1982.3.4 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2051 | スハ43 186 | 小倉 | 1981.8.27 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2052 | スハ43 235 | 1981.11.30 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2053 | オハフ45 20 | 1982.1.23 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2054 | スハ43 67 | 1981.8.19 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2055 | スハ43 175 | 1981.10.15 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2056 | スハ43 262 | 幡生 | 1981.10.15 | 1987.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2057 | スハフ42 2141 | 1981.12 | 1987.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2058 | スハ43 207 | 1981.8.18 | 1987.3.31 | 利用 | ||
スユニ50 2059 | オハ46 11 | 名古屋 | 1982.12.11 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2060 | オハ46 44 | 1983.3.14 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2061 | スハフ42 97 | 幡生 | 1983.3.9 | 1986.3.31 | 廃車 | |
スユニ50 2062 | スハフ42 108 | 1982.12.25 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 2063 | スハフ42 112 | 1982.10.20 | 1986.3.31 | 廃車 | ||
500番台 | スユニ50 501 | オハ46 2535 | 長野 | 1978.9.17 | 1986.10.24 | 保存 |
スユニ50 502 | オハ46 2536 | 1978.10.19 | 1994.11.1 | 廃車 | ||
スユニ50 503 | スハ43 173 | 名古屋 | 1978.10.26 | 1987.2.18 | 廃車 | |
スユニ50 504 | スハ43 174 | 1978.11.17 | 2002.10.21 | 廃車 | ||
スユニ50 505 | スハ43 2285 | 幡生 | 1978.10.30 | 1987.3.20 | 保存 | |
スユニ50 506 | スハ43 68 | 1978.11.17 | 1987.2.18 | 廃車 | ||
スユニ50 507 | オハ46 686 | 長野 | 1980.11.12 | 1986.12.15 | 廃車 | |
スユニ50 508 | スハフ42 2087 | 1980.12.25 | 1986.12.15 | 廃車 | ||
スユニ50 509 | オハ46 383 | 名古屋 | 1980.10.16 | 1987.2.18 | 保存 | |
スユニ50 510 | スハ43 2353 | 1980.11.14 | 1987.2.18 | 保存 | ||
スユニ50 511 | スハ43 2478 | 1981.3.31 | 2018.9.30 | 廃車 | ||
スユニ50 512 | スハフ42 2308 | 1981.3.31 | 1987.2.18 | 利用 | ||
スユニ50 513 | スハ43 2639 | 長野 | 1981.10.27 | 1986.12.15 | 廃車 | |
スユニ50 514 | スハ43 2424 | 1981.10.27 | 2018.3.31 | 廃車 | ||
スユニ50 515 | スハ43 2635 | 1981.12 | 1986.12.15 | 廃車 | ||
スユニ50 516 | オハ46 2027 | 名古屋 | 1981.8.26 | 1986.12.15 | 廃車 | |
スユニ50 517 | オハ46 2028 | 1981.10.1 | 1986.12.15 | 保存 |
青函トンネルを含む津軽海峡線の快速「海峡」(青森 - 函館間)用に施工された改造である。50形・51形双方が種車とされたが、改造時期や内容に若干の差異があるほか、ともに車両番号は新たに番台区分された5000番台に改番された。2016年(平成28年)までに全車廃車となった。
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 5001 | オハ50 2264 | 2002.11.5 | 廃車 | ||
オハ50 5002 | オハ50 2265 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハ50 5003 | オハ50 2266 | 2016.3.31 | 廃車 | |||
オハ50 5004 | オハ50 2267 | 2003.10.31 | 廃車 | |||
オハ50 5005 | オハ50 2105 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハ50 5006 | オハ50 2106 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハ50 5007 | オハ50 2107 | 1996.3.29 | 廃車 | |||
オハ50 5008 | オハ50 2270 | 2002.11.30 | 廃車 | |||
オハ50 5009 | オハ50 2031 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハ50 5010 | オハ50 2032 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハ50 5011 | オハ50 2108 | 2002.11.30 | 廃車 | |||
オハ50 5012 | オハ50 2109 | 2002.11.30 | 廃車 | |||
オハ50 5013 | オハ50 2263 | 2003.6.17 | 廃車 | |||
オハ50 5014 | オハ50 2268 | 2002.10.21 | 廃車 | |||
オハ50 5015 | オハ50 2269 | 1996.3.29 | 廃車 | |||
オハフ50形 | オハフ50 5001 | オハフ50 2380 | 2002.12.31 | 廃車 | ||
オハフ50 5002 | オハフ50 2381 | 2002.12.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5003 | オハフ50 2390 | 2002.10.21 | 廃車 | |||
オハフ50 5004 | オハフ50 2391 | 2002.12.5 | 廃車 | |||
オハフ50 5005 | オハフ50 2332 | 2002.12.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5006 | オハフ50 2042 | 2002.12.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5007 | オハフ50 2043 | 2016.3.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5008 | オハフ50 2044 | 2004.6.25 | オハテフ500-51に再改造(2018年現役) | |||
オハフ50 5009 | オハフ50 2398 | 2002.12.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5010 | オハフ50 2041 | 2007.6.6 | 2007年まで保留車 | |||
オハフ50 5011 | オハフ50 2392 | 2003.6.17 | 廃車 | |||
オハフ50 5012 | オハフ50 2393 | 2003.6.17 | 廃車 | |||
オハフ50 5013 | オハフ50 2394 | 2003.6.17 | 廃車 | |||
オハフ50 5014 | オハフ50 2395 | 2002.10.21 | 廃車 | |||
オハフ50 5015 | オハフ50 2396 | 2002.12.31 | 廃車 | |||
オハフ50 5016 | オハフ50 2397 | 2002.12.5 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ51形 | オハ51 5001 | オハ51 35 | 1988.12.10 | 2003.10.31 | 廃車 | |
オハ51 5002 | オハ51 36 | 1988.12.19 | 2002.8.8 | 廃車 | ||
オハ51 5003 | オハ51 37 | 1988.12.23 | 2003.6.17 | 廃車 | ||
オハ51 5004 | オハ51 38 | 1988.12.29 | 2003.10.31 | 廃車 | ||
オハフ51形 | オハフ51 5001 | オハフ51 61 | 1989.11.21 | 2003.10.31 | 廃車 | |
オハフ51 5002 | オハフ51 62 | 1989.12.12 | 1999.8.16 | 事故廃車 | ||
オハフ51 5003 | オハフ51 63 | 1989.12.26 | 2016.3.31 | 廃車 | ||
オハフ51 5004 | オハフ51 64 | 1990.1.26 | 2016.3.31 | 廃車 |
札幌圏のラッシュ対策のため、1987年(昭和62年)に苗穂工場でオハ51 41に施工した改造。車体中央に1,000 mm幅の客用扉と客室との仕切り扉を増設して3扉化し、客室を前後2室に分けたほか、増設扉周辺の座席をロングシートに変更した。
改造は1両で終了し、その後3扉化改造は711系電車の一部で実施され、オハ51 41は1994年(平成6年)に廃車された。
1993年(平成5年)に釧網本線で運行されるトロッコ列車「くしろ湿原ノロッコ号」用として1両が改造された。1998年(平成10年)に従来車の老朽取替のため編成単位で改造され、続いて1999年(平成11年)には新たに運行開始された「富良野・美瑛ノロッコ号」用として2両が追加改造された。2018年(平成30年)4月1日現在、7両が現役で運用されている[40]。
オハ510形・オハテフ500形・オハテフ510形・オクハテ510形の4形式で構成され、510系とも呼称される[54]。「くしろ湿原ノロッコ号」用車両が緑色基調、「富良野・美瑛ノロッコ号」用車両が茶色基調の塗装となっている。
ワキ10000形改造のバーベキューカー(ナハ29000形)が存在した時期には、これと連結して運行されることもあった。
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ510形 | オハ510-1 | オハフ51 57 | 1998.6.14 | 2018年現在・現役 | ||
オハテフ510形 | オハテフ510-1 | オハフ51 56 | 1988.6.14 | 2018年現在・現役 | ||
オハテフ510-2 | オハフ51 28 | 1999.6.7 | 2018年現在・現役 | 「富良野・美瑛ノロッコ号」用 | ||
オハテフ510-51 | オハフ51 29 | 1999.5.29 | 2018年現在・現役 | 「富良野・美瑛ノロッコ号」用 | ||
オハテフ500形 | オハテフ500-51 | オハフ50 5008 | 2004.6.25 | 2018年現在・現役 | ||
オクハテ510形 | オクハテ510-1 | オハフ51 4 | 1998.6.14 | 2018年現在・現役 | ||
オクハテ510-2 | オハフ51 58 | 1999.5.29 | 2018年現在・現役 | 「富良野・美瑛ノロッコ号」用 |
余剰となったオハフ51形に施工した気動車化改造。道内で運用されたほか、JR東日本盛岡支社に譲渡された車両もある。
東急電鉄に譲渡された後については東急マニ50形客車のページを参照のこと。
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オニ50形 | オニ50 2304 | オハ50 2304 | 1988.4.25 | 1994.1.24 | 廃車 | |
オニ50 2305 | オハ50 2305 | 1988.4.25 | 1994.1.24 | 廃車 | ||
オニ50 2306 | オハ50 2306 | 1988.5.16 | 1991.1.24 | オハ50 3001に再改造 | ||
オニ50 2307 | オハ50 2307 | 1988.5.16 | 1994.1.24 | 廃車 | ||
オニ50 2308 | オハ50 2308 | 1988.5.31 | 1996.6.5 | 廃車 | ||
オニ50 2312 | オハ50 2312 | 1988.4.14 | 1996.6.5 | 廃車 | ||
オニ50 2313 | オハ50 2313 | 1988.4.14 | 1994.1.24 | 廃車 | ||
オニ50 2314 | オハ50 2314 | 1988.5.23 | 1991.1.24 | オハ50 3002に再改造 | ||
オニ50 2317 | オハ50 2317 | 1988.5.23 | 1996.6.5 | 廃車 | ||
オニ50 2318 | オハ50 2318 | 1988.6.3 | 1996.6.5 | 廃車 | ||
オニフ50形 | オニフ50 2317 | オハフ50 2317 | 1988.5.31 | 1996.6.5 | 廃車 | |
オニフ50 2322 | オハフ50 2322 | 1988.6.3 | 1996.6.5 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハフ50形 | オハフ50 2501 | オハフ50 2162 | 1997.3.12 | 2001.6.10 | 廃車 | |
オハフ50 2502 | オハフ50 2163 | 1994.4.4 | 2001.6.10 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 3001 | オニ50 2306 | 1994.1.24 | 1997.11.2 | 廃車 | |
オハ50 3002 | オニ50 2314 | 1994.1.24 | 1997.11.2 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
スヤ50形 | スヤ50 5001 | オハフ50 2301 | 1995.11.16 | 2003.7.1 | マヤ50 5001に再改造 | |
マヤ50形 | マヤ50 5001 | スヤ50 5001 | 2003.7.1 | 2018年現在・現役 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
マニ50形 | マニ50 5001 | マニ50 2230 | 1988.6.30 | 1999.9.16 | 廃車 | |
マニ50 5002 | マニ50 2256 | 1988.7.6 | 1999.9.16 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オロ50形 | オロ50 1 | オハ50 2249 | 1999.7.1 | 廃車 | ||
オロ50 2 | オハ50 2250 | 1999.7.1 | 廃車 | |||
オロフ50形 | オロフ50 1 | オハフ50 2376 | 1999.7.1 | 廃車 | ||
オロフ50 2 | オハフ50 2377 | 1999.7.1 | 廃車 | |||
オロフ50 3 | オハフ50 2378 | 1999.7.1 | 廃車 |
JR九州は2024年3月を以てSL人吉号の運行を終了し機関車は再引退したが、本番台の処遇は未定である。SL人吉号運行終了後の車両使用の例としては、2024年のゴールデンウィークに運転される久留米 - 由布院間の全車指定席の臨時快速「ゆふいん」に使われることが発表されたことが挙げられる。[88]
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 701 | オハ50 75 | 1988.8.20 | |||
オハフ50形 | オハフ50 701 | オハフ50 39 | 1988.8.20 | |||
オハフ50 702 | オハフ50 40 | 1988.8.20 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 1089 | オハ50 89 | 1993.9.8 | 1999.12.13 | 廃車 | |
オハ50 1180 | オハ50 180 | 1993.10.6 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハ50 1181 | オハ50 181 | 1993.3.3 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハ50 1182 | オハ50 182 | 1993.3.30 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハ50 1183 | オハ50 183 | 1993.1.14 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハ50 1189 | オハ50 189 | 1993.2.12 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50形 | オハフ50 1276 | オハフ50 276 | 1993.6.30 | 2002.3.22 | 廃車 | |
オハフ50 1277 | オハフ50 277 | 1993.8.3 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50 1278 | オハフ50 278 | 1993.9.18 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50 1279 | オハフ50 279 | 1993.10.19 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50 1280 | オハフ50 280 | 1991.4.26 | 1995.10.5 | 廃車 | ||
オハフ50 1281 | オハフ50 281 | 1993.11.19 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50 1282 | オハフ50 282 | 1993.12.10 | 2002.3.22 | 廃車 | ||
オハフ50 1283 | オハフ50 283 | 1993.12.27 | 2001.11.27 | 廃車 | ||
オハフ50 1284 | オハフ50 284 | 1994.1.18 | 2001.11.27 | 廃車 | ||
オハフ50 1285 | オハフ50 285 | 1992.9.5 | 2001.11.27 | 廃車 | ||
オハフ50 1286 | オハフ50 286 | 1992.10.30 | 2001.11.27 | 廃車 | ||
オハフ50 1287 | オハフ50 287 | 1992.11.17 | 2001.11.27 | 廃車 | ||
オハフ50 1288 | オハフ50 288 | 1992.12.10 | 2001.11.27 | 廃車 |
形式 | 車両番号 | 種車 | 製造所 | 落成日 | 除籍日 | 処遇 |
---|---|---|---|---|---|---|
オハ50形 | オハ50 11 | オハ50 2198 | 1993年10月1日 | |||
オハ50 22 | オハ50 2039 | 1993年10月1日 | ||||
オハフ50形 | オハフ50 33 | オハフ50 2054 | 1993年10月1日 |
この節の加筆が望まれています。 |
以上の他、電車や単行気動車の導入、ダイヤの見直しなどによって余剰になったJR四国の本系列車両のインドネシア等海外への販売が検討されていた[95]が、実現していない。
1978年(昭和53年)3月、筑豊本線・芸備線において運用が開始された。同年7月からは常磐線(仙台地区)でも運用が開始された。その後も引き続き[注 28]、大都市周辺の幹線・亜幹線を中心に朝夕の輸送力列車を重点に運用され、線区によっては10両前後の長大編成も珍しくなかった。全車が出揃った1983年(昭和58年)4月時点で配置区は34区所にも及んだ。
この時点においても老朽化の進んだ旧型客車が大量に残存していたが、1982年(昭和57年)11月のダイヤ改正によって急行型電車および気動車に多くの余剰が発生したことから、追加の新造は中止された。
1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正では、郵便荷物輸送の縮小に伴って北陸本線、鹿児島本線などで電車化が推進されたほか、翌年の改正で東北本線南部においても715系投入を含めた電車化が推進されて、中・短距離の輸送力列車中心に運用されてきた運用方法は転換期を迎える。さらに非電化区間の気動車化も進められ、余剰化した本系列は旧型客車の置き換えに転用されて、比較的長距離の普通列車にも使用されるようになる。それらの転配で電気暖房車が電暖未使用の区所に移動される動きもあった。同時に短編成化も進み、朝夕以外は3 - 5両程度と機関車牽引列車としては非効率であり、ランニングコストの高い運用が常態化する[注 29]。また配置区の集約も行われ、奥羽本線・羽越本線など一部で広域運用も見られた。
1985年(昭和60年)3月14日のダイヤ改正で、それまでキハ58系気動車で運行されていた予讃本線・土讃本線・中村線(現・土佐くろしお鉄道中村線)経由高松 - 中村間夜行普通列車731D・764Dのうち、下り列車が運行区間を高知まで短縮の上、本系列による221列車として置換えられた(上りの764Dは廃止)。これは本系列では唯一、定期の夜行列車に使用された例である。
客車列車自体が減少していた時期で、異例な置換えでもあったが、新聞輸送の需要から下りのみ存続となった本列車は1988年(昭和63年)4月10日のダイヤ改正で再び気動車となり、本系列による定期夜行列車運用は3年あまりで終了した[注 30]。
1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正では、さらなる急行列車の削減によって捻出された電車および気動車に当系列が置き換えられたため、わずか車齢5年前後の当系列にも本格的な余剰車が発生[注 31]し、これらは津軽海峡線での運用を見越して冷房化・固定窓化などの改造を施工した上で函館運転所に転出した。
国鉄時代は事故廃車もなく、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化の際には、旅客車として製造されたすべての車両が東海旅客鉄道(JR東海)を除くJR旅客鉄道各社に承継されたが、JR各社は当初から国鉄が実施した動力近代化計画を継承して客車列車を廃止する方針だったことから、動力分散方式の後継車両が増備できるまでの暫定的な車両として継承されたにすぎなかった。なお、本来の用途が廃止されたマニ50形とスユニ50形は、少数が事業用として継承された以外は、ほとんどが廃車になった。
民営化後は、前述のように国鉄末期以降は各地で「短編成・高頻度」型のフリークエント・ダイヤへの転換[注 32]が相次ぐと、折り返し駅での機回し作業の必要がない電車・気動車への転換が進み、客車列車の本数は著しく減少した。また、急行列車の大幅な縮小によって余剰となった急行形車両が普通列車に転用されたため、早々と余剰車が発生する事態になった。さらには、民営化の際に貨物輸送が別会社(JR貨物)に転換したことで、「朝夕には客車列車を、昼間には貨車を牽引させて機関車を効率的に使用する」という客車列車最大のメリット手法が事実上消滅した。
JR化翌年の1988年(昭和63年)には、四国配置車に早くも大量の余剰車が発生する状況になり、他社においても余剰化が進行した。一部の車両がキハ141系・キハ33形への改造に充てられたものの、基本構造の違いのため改造費用が高額になったことから、ほとんどの車両は転用されずに1989年(平成元年)から淘汰されるようになり、製造後7年から12年という短期間で500両以上の車両が廃車された[注 33]。これらの車両はほとんど老朽化しておらず、単にフリークエントダイヤにそぐわなくなったことと非冷房だったための廃車だったが、当時は中古車両を海外譲渡するシステムが確立されておらず、早々と解体になった。
平成に入って急速かつ大量に淘汰が進んだのは、山陰本線にて、京都 - 園部間の電化と気動車への置換え[注 34]が行われたことが大きな要因である。民営化当初は京都 - 福知山間、豊岡 - 下関間で多数の客車が運用されていた[注 35]。1988年(昭和63年)10月1日の山陰本線・京都口ダイヤ改正により園部 - 福知山間は全廃されて、京都 - 園部間は草津線との運用も兼ねて朝夕の一部が残存したが、1989年(平成元年)3月の改正で山陰本線は12系客車化・草津線は電車化された。1990年(平成2年)3月には、京都口電化に伴う気動車の転属により、豊岡 - 益田間〈鳥取 - 出雲市間・浜田 - 益田間の一部を除く〉、1991年(平成3年)3月は益田以西の朝夕の一部を除いて気動車化され、50系客車が多数運用を離脱している。
1992年(平成4年)3月14日には播但線・朝夕運用の姫新線と山陰本線益田以西の普通列車がすべて気動車化された。同年4月1日には高徳線の普通列車が全列車気動車化されことにより、JR四国管内での本系列の定期運用は消滅した。同年6月上旬は鳥取 - 米子 - 出雲市に1往復ずつ残っていた50系客車も12系客車への置換えにより、JR西日本管内の定期運用も消滅した。両社では民営化から5年で本系列が消滅したことになる。
東日本地区でも1993年(平成5年)3月18日に羽越本線新津 - 酒田間の普通列車がすべて電車または気動車に、同年7月20日に同線酒田 - 秋田間の普通列車がすべて701系に置き換えられ、同年12月1日には奥羽本線山形 - 秋田間・追分 - 青森間・八戸線[注 36]の本系列、および12系客車を使用した普通列車がすべて701系と気動車に置換えられた。
1994年(平成6年)に入る[注 37]と12月3日のダイヤ改正で東北本線のうち一ノ関 - 盛岡間、男鹿線、函館本線の普通列車がすべて電車・気動車化され、この時点で51形一般仕様車は営業運転を終了した。1995年(平成7年)4月20日には日豊本線、同年11月30日に磐越西線、1996年(平成8年)3月30日には東北本線の盛岡以北でも本系列の運用が終了したことにより、本州地区における本系列の一般仕様車の定期運用が消滅した。
1997年(平成9年)3月22日のダイヤ改正では、山陰本線から急行「だいせん」の快速区間を除き12系客車の普通列車運用が終了し[97]、1999年(平成11年)10月2日に「だいせん」も気動車化されたことで、JRグループでの客車による普通列車は、津軽海峡線の快速「海峡」とJR九州管内の一部のみとなった。本系列の運用が残存していた九州地区では、1995年(平成7年)4月20日のダイヤ改正以降、筑豊地区での運用は朝夕ラッシュ時の2往復のみに縮小された[98]。その後、1999年(平成11年)12月4日に行われた久大本線普通列車の完全気動車化によって、本系列の運用範囲は鹿児島本線の門司港 - 折尾間と筑豊本線の若松 - 飯塚間のみとなった。
その後、2001年(平成13年)10月6日に筑豊本線の折尾 - 桂川間(福北ゆたか線)が交流電化されたことにより、本系列の運用は終了することになった[99]。直方車両センター配置の本系列14両は12系客車12両とともにすべて廃車となり、本系列の一般仕様車はこれを最後にすべて廃車となった[100]。
一般仕様車の全廃後は快速「海峡」が本系列最後の定期列車であったが、2002年(平成14年)11月30日で列車自体が廃止されて定期運用は消滅。その後はJR北海道の「ノロッコ号」やJR九州の「SL人吉」といった観光を主目的とした不定期列車での運用が20年以上続いている[80]。
鉄道車両の置き換えは老朽化の進んだ旧形車両を新形車両に代替するのが通例であるが、本形式は一部の例外を除いて冷房装置がなく、夏季の車内環境が劣悪だったことや、短編成化によって高コストになったことから本形式は先んじて淘汰が進んだ。西日本や四国では製造から10年前後、本形式よりも20年ほど前に製造された冷房車両(キハ58系など)に置き換えられて、昭和30年台に製造されたキハ20系列と並んで廃車・解体されていった。時代背景が異なるものの、本形式よりはるかに接客設備が劣っていた70系客車でさえ転属や改造を行なって20年以上使用されたことを考慮すると、日本の鉄道史でも特異な例といえる。
画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
スユニ50 517 | 北海道常呂郡佐呂間町字永代町65-1 佐呂間町交通公園[101] (湧網線佐呂間駅跡) |
||
オハ51 6 | 北海道旭川市東川町 | 車体のみ製材所で施設の一部として使用[102]。 | |
オハ51 21 | 北海道旭川市永山北2条6丁目1-51 輝運輸 |
車体のみ施設の一部として使用。 | |
スユニ50 505 | 北海道三笠市幌内町 三笠鉄道村[103] |
||
スユニ50 501 | 北海道小樽市手宮1丁目3-6 小樽市総合博物館 |
||
オハ51 5 オハ51 41 オハ51 48 |
北海道二海郡八雲町 八雲駅付近個人宅[102] |
「リバーサイドトレイン」の愛称が付けられ、車体のみ施設の一部として使用。オハ51 48は車体を半分に切断されている。 | |
オハ51 3 オハフ51 3 など |
北海道二海郡八雲町 | 国道5号バイパス付近に51形計6両が半切りで放置されていたが、現存するかは不明[102]。 | |
オハ51 5002 | 北海道亀田郡七飯町東大沼 流山温泉 |
流山温泉無料休憩所で使用されていたが、現存するかは不明[102]。 | |
オハ50 5003 オハ51 5001 オハ51 5004 |
北海道函館市西桔梗町218-43 ききょう幼稚園[102] |
車体のみが利用されている。 | |
オハ51 11 | 北海道上磯郡木古内町大平[102] | ||
オハフ51 5002 | 北海道上磯郡木古内町大平 | 資材置き場で利用[102]。 | |
スユニ50 509 スユニ50 510 |
青森県青森市柳川1丁目112-15地先 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 |
船内で保存されている[104]。 | |
オハフ50 68 | 京都府京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館 |
梅小路蒸気機関車館時代より、扇形機関庫隣で休憩室として使用されている[102][105][106]。 | |
マニ50 2036 | 兵庫県三田市あかしあ台5丁目1 はじかみ池公園 |
D51 25およびヨ8682と連結され保存されており、「夢サンディ号」の愛称が与えられている[107]。緑色に塗り替えられ長年にわたり内部を子供の遊び場として利用されてきたが、2019年(平成31年 / 令和元年)に閉鎖[108]。その後、同年内に現役時代の青色に戻された。 | |
オハフ50 66 オハフ50 211 オハフ50 218 オハフ50 240 |
和歌山県東牟婁郡串本町 浦島ハーバーホテル |
敷地内で[102]更衣室・コインランドリーや物置として利用されていたが、同ホテルが2016年(平成28年)3月31日限りで閉館し、その後の動向は不明[102]。[109] | |
オハフ50 272 | 徳島県小松島市小松島町 小松島ステーションパーク[102]SL広場 (小松島駅跡) |
C12 280と連結して保存されている。2009年(平成21年)に整備され青色に塗り替えられた。 | |
オハフ50 180 | 香川県高松市朝日新町15 高松卸センター[102] |
2001年(平成13年)にブルートレイン風の青色に塗り替えられている。 | |
スユニ50 2058 | 香川県高松市木太町1813-1 高畠小児科医院 |
車体のみ施設の一部として使用。 | |
オハ50 11 | 高知県高知市桟橋通6丁目9−1 わんぱーくこうち[102] |
休憩所として使用。 | |
オハフ50 189 | 高知県香南市赤岡町大東2246-3 技研製作所第三工場[102][110]※見学には事前予約が必要 |
同社が実施する「記念の森プロジェクト」にて利用された後、「RED HILL 1967」の鉄道近接工法の例として用いられている。JR四国の一般形気動車と同じ色に塗られている。 | |
オハフ50 1276 | 福岡県直方市大字頓野550-1 汽車倶楽部 ※非公開 |
敷地内で保管されている[102]。 | |
保存後に解体された車両 | |||
スユニ50 515 | 北海道枝幸郡枝幸町 | そろばん教室として使用されていたが、2008年(平成20年)ごろに解体。 | |
スユニ50 512 | 北海道旭川市神居町台場 | ドライブイン古譚荘の土産物店として使用されていた。スハフ44 16とキ751も同地に置かれていた[103]。 | |
オハ51 33 | 北海道洞爺村 | そば処来夢人(キムンド)で利用されていた[102]。 | |
オハフ51 5001 オハ51 5003 |
北海道七飯町 流山温泉 |
JR北海道の関連会社が経営する流山温泉で使用されていた[102]。(2016年〈平成28年〉8月ごろ解体?) | |
マニ50 2166 | 石川県松任市藤の木町 | 農家の木材倉庫として使用されていた[103]。 | |
オハフ50 223 オハフ50 241 オハフ50 243 |
京都府京都市 嵯峨駅前 |
223はレンタサイクル営業所、241は喫茶店、243はみやげ店として利用されていた[102]。 | |
オハ50 51 オハ50 52 オハ50 130 オハ50 132 オハ50 143 オハ50 145 オハ50 147 オハ50 148 オハ50 151 オハ50 170 |
山口県防府市 | カラオケ列車として使用されていた[102]。 | |
オハ50 2253 | 高知県南国市 | 同市内にあるひまわり幼稚園で利用されていた[102]。 |
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