Loading AI tools
日本海にある島 ウィキペディアから
竹島(たけしま、英語: Takeshima)は、日本海の南西部、日本の隠岐諸島と韓国の鬱陵島の間に位置する岩山からなる島[2]。
日本、韓国、北朝鮮がともに領有権を主張しており、韓国・北朝鮮では独島(どくとう、ドクト、朝鮮語: 독도、英語: Dokdo)と呼称されている[2]他、中立の立場をとる第三国ではリアンクール岩礁(リアンクールがんしょう、英語: Liancourt Rocks)と呼ばれている。以前は人の住めない無人島であったが[2]、現在は韓国の沿岸警備隊が常駐し、実効支配がおこなわれている[3]。
男島(西島)、女島(東島)と周辺の岩礁群からなる総面積約0.20km2の竹島は、17世紀半ばに日本の領土権が確立され、1905年に島根県に編入された。第二次世界大戦後の1952年、韓国は「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島の領有と漁業轄権を主張。その後も、警備隊員の常駐、監視所の設置などを続けている[4]。
日本においては竹島と呼んでいる。また、幕末以前は「松島」と呼ばれ、鬱陵島が「竹島」[5]と呼ばれていた。少なくとも1876年には隠岐国の島嶼の一つとして「竹島(現在の鬱陵島)」「松島(現在の竹島)」の記載を見ることができる[6] [7]。
幕末から明治中期にかけて西洋の地図の流入による島名の混乱[8][9][10]があったが、1905年(明治38年)現在の竹島を正式に島根県へ編入した時より「竹島」と呼んでいる。
韓国・北朝鮮においては「独島(獨島、トクト[注 1]、독도、Dokdo)」と呼んでいる。韓国では、歴史書『太宗実録』太宗17年(1417年)の条に初出する「于山島」が現在の竹島であるとしており、一時1900年の大韓帝国「勅令第四十一号」にある「石島」という呼称に変わり、1906年までに「独島」という名称に変更したとしている。なお「独島」表記の初出は、日本海軍 防護巡洋艦 新高の1904年9月の日誌にある「韓人これを獨島と書し」という記録があり、この時鬱陵島の朝鮮人が独島と呼んでいたということがわかる[11]。
他の国では、中立的立場から「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。この名称は、1849年にヨーロッパで初めてこの島を発見したフランスの捕鯨船 Liancourt 号の船名にちなんでいる。
竹島は、北緯37度14分30秒、東経131度52分に位置する[注 2][12]。
女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなる。総面積は約0.21平方キロメートルで、東京ドーム5つほどの大きさである。最頂部は男島が海抜168メートル(北緯37度14分30.5秒 東経131度51分54.6秒)、女島が海抜98メートル(北緯37度14分26.8秒 東経131度52分10.5秒)。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、人の住みにくい環境である。
なお、日本の国土地理院が2007年12月に発行した竹島の2万5千分の1の地形図では二つの島について「東島」と「西島」と表記しているが[13]、隠岐の島町では資料の調査や聞き取り調査を行い、2つの島について「女島(めじま)(東島(ひがしじま))」と「男島(おじま)(西島(にしじま))」とするとともに岩礁や湾などの名称を定めて2013年6月に国土地理院に申請した[13][14]。
隠岐と竹島の距離は両島の一番近い所で約157キロメートル、鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近い所で約87キロメートルである[注 3]。
竹島は、現代からおよそ460万年前から250万年前(新生代第三紀の鮮新世)の海底火山活動により誕生した火山島であり[15]、水深約2,000mの海底から噴出した溶岩が硬化したことにより形成された[16]。朝鮮半島北部の白頭山から金剛山、鬱陵島、隠岐諸島へと連なる白頭火山帯の系列に属する[17]。竹島の火山活動は約250万年前に停止した[18]。当初は1つの島塊であったが、その後の風化と浸食により2つの小島とその周辺の数十の小岩礁の構成となった[19]。
岩石と地質構造の分析結果によると、竹島は単一の火山爆発によって形成されたものではなく、200万年以上の長い期間の断続的爆発と噴火によって形成された[20]。竹島は粗面岩、粗面安山岩、玄武岩質角礫岩、凝灰岩など計8種類の岩石によって構成されている[20]。竹島の下部は主に玄武岩質の集塊岩であり、上部は粗面岩質の集塊岩と凝灰岩が互層を形成している[20]。岩石の年代は、竹島下部を構成する玄武岩が約460万年前、女島にある火口跡を満たす粗面安山岩が約270万年前であり、島の北西部には約250万年前に貫入した粗面岩が分布している[20]。また火山堆積層が厚く積もった地点があり、断層が2箇所発見されている[20]。
竹島と鬱陵島の間の海底は、深く沈降する凹地(対馬海盆)となっている。
暖流の影響を多く受ける典型的な海洋性気候[21]。平均降水量は年間1,240mm程度であり、冬場の降水量が多い[21]。年平均気温は約12°C[21]。1月の平均気温は1°C、8月の平均気温は23°Cであり、世界平均と比較して温暖である[21]。年平均風速は4.3m/s[21]。冬と春は北西風、夏と秋は南西風の傾向があり、季節に応じた風向きがはっきりしている[21]。霧が多く、晴れの日は年45日程度、曇りの日は年160日程度、雨や雪の日は年150日程度である[22][23]。
鬱陵島と竹島(2003年〜2007年平均、鬱陵島気象台観測)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 4.88 (40.78) |
6.12 (43.02) |
9.06 (48.31) |
14.70 (58.46) |
18.62 (65.52) |
23.00 (73.4) |
24.52 (76.14) |
27.14 (80.85) |
22.84 (73.11) |
19.12 (66.42) |
14.16 (57.49) |
7.44 (45.39) |
15.967 (60.741) |
日平均気温 °C (°F) | 1.82 (35.28) |
2.94 (37.29) |
5.20 (41.36) |
10.62 (51.12) |
14.88 (58.78) |
19.36 (66.85) |
21.60 (70.88) |
23.88 (74.98) |
19.82 (67.68) |
15.66 (60.19) |
10.82 (51.48) |
4.52 (40.14) |
12.593 (54.669) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.40 (31.28) |
0.44 (32.79) |
2.30 (36.14) |
7.30 (45.14) |
11.68 (53.02) |
16.64 (61.95) |
19.44 (66.99) |
21.58 (70.84) |
17.62 (63.72) |
13.24 (55.83) |
8.38 (47.08) |
2.26 (36.07) |
10.04 (50.071) |
降水量 mm (inch) | 94.72 (3.7291) |
66.00 (2.5984) |
86.30 (3.3976) |
136.54 (5.3756) |
181.88 (7.1606) |
148.82 (5.8591) |
259.06 (10.1992) |
200.14 (7.8795) |
277.82 (10.9378) |
100.06 (3.9394) |
124.44 (4.8992) |
155.34 (6.1157) |
1,831.12 (72.0912) |
出典:大韓民国気象庁、2003年〜2007年 |
陸地は、わずかに草が生えるだけの岩石島であり、樹木の生育は少ない[24]。ただ、独島のマサキなどわずかに樹木の生育も確認できる。
竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、付近の海域はアジ・サバ・ワカメなど魚介類・藻類が豊富な好漁場である[24]。哺乳類ではシャチなどの鯨類も近海を通過している[25]。
竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ (Zalophus californianus japonicus) の主要な繁殖地の一つであった。竹島では海蝕洞に生息していたが、明治大正年間に大量捕獲が行われ[26]、戦後の1950年代には50〜60頭と少数の目撃例があり、韓国が竹島を実効支配して警備隊が常駐するようになり、1975年の目撃を最後に確証のある目撃例がなく、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは「絶滅」と記載されている[27][注 4]。気候変動や環境汚染などの理由のほか、韓国によって竹島が要塞化されたことなども絶滅要因の一つとして指摘されている[28]。具体的には、1970年代の韓国紙は竹島駐在の「警備隊員たちの銃撃で絶種」と報道しており、世界自然保護基金(WWF)の1977年度報告書では韓国人研究者さえ「最上の保護策は警備隊の島からの撤収だ」と主張しているという[27]。1976年には、東亜日報が、アシカの生殖器が韓国で人気の精力剤の材料だったため、乱獲によってアシカが絶滅の危機に瀕していることを報道している[29]。
江戸時代の竹島は、江戸幕府公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標ないし停泊地として利用されており、寛文5年以降は幕府の許可を得てアワビなどの好漁場としても活用していた[30]。
日本による竹島の明確な実効支配は、1903年、隠岐島西郷町出身の中井養三郎が竹島に漁舎を建てて移住し、ここに人夫を移して、アシカやアワビ、ナマコやワカメの漁獲を始めたことを端緒とする[31]。1904年9月29日、アシカの絶滅を危惧した中井は申請書「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を日本政府に提出し、日本海の孤島・竹島の領土編入と貸下げを内務省、外務省、農商務省の3省に対し、願い出た[30][31]。朝鮮の文献等を調査した上で無主地であることを確認した日本政府は、1905年1月28日竹島を島根県隠岐島庁へ編入する閣議決定をし、内務大臣芳川顕正が「内務大臣訓令」として告示を発布した[31]。これにより、竹島は正式に日本の領土となり、実効支配がここに始まった。中井養三郎は、島を調査し、その特徴を説明し、また、自身の調査によれば誰にも所有されたことがなく、それゆえ今後はおおいに活用していきたい旨を申請書に記している[31]。告示は、一次一級史料としては「北緯37度9分30秒、東経131度55分にある無人島」と経緯度による位置と現況が明示されたものであった[31]。
当時の島根県知事松永武吉はこれを受けて同年2月22日「島根県庶十一号」を発し、県に編入した[32]。以降、竹島での漁猟は島根県の許可制となった[30]。なお、島根県制定の「竹島の日」はこの「島根県庶十一号」を発した日にちなんでいる[31]。
これについては島根県告示のみで、国家として国際社会に伝わるような手続きをしていなかったが、告示内容の外国への通告は領土取得の絶対要件とは必ずしも考えられていない[33][注 5]。
アシカは動物園やサーカス団などに高値で売れた[34]。1905年には島根県知事による視察、1906年3月の県部長らの調査、1905年5月の官有地としての土地台帳への記載がなされ、1905年4月の県令によるアシカ漁の許可制、同年6月5日の中井ら4名に対する免許、さらに免許者からの土地使用料国庫納入がなされた[33]。1905年、日本海海戦に際してコンクリート製の監視所がつくられたといわれている[34]。
竹島での日本人の経済的な営みを記した記録に『竹島日誌』がある[34]。これは、隠岐郡五箇村の収入役であった八幡才太郎が60余年、ほぼ毎日書き綴った記録である[34]。この記録によれば、才太郎の弟の伊三郎はアワビの密集する瀬やワカメの生息地などを熟知しており、詳細な手書き地図を残している[34]。竹島のアワビについては、以下のような記録がある[34]。
竹島のアワビは、古来より最高級と賞賛され、都への献上品として使われた隠岐産のものよりもっと肉が厚かった。収穫量は多い日で200貫(750kg)にもなった。畳一畳分の岩にアワビが重なり、更に重なり合う状態で、採っているうちに、小舟が沈みそうになり、終いには着ている服を脱ぎ捨て海に飛び込み、泳いで船を引っ張った。
漁業者としては、日本人だけでなく鬱陵島から出稼ぎにきた朝鮮人(当時朝鮮半島は日本統治下であった)の海女のすがたもあった[34]。1935年の記録には給与150円とあり、男たちへの報酬が100円であったことを考慮すれば、かなりの高給であり、彼女たちの技量は高く評価されていたことがうかがえる[34]。
1941年、竹島は帝国海軍の軍用地となり、管轄が島根県から舞鶴鎮守府に引き継がれたため、竹島のアシカ漁・アワビ漁は停止を余儀なくされた[34]。戦後は漁の再開を望む声が高まり、1951年、橋岡忠重は「竹島漁労権報告書」および「嘆願書」を島根県に提出した。1954年6月には島根県監視船「しまかぜ」が竹島視察をおこなった[34]。
2013年2月、隠岐の島町在住の元小学校教員がかつて竹島で漁業をなりわいとしていた町内の人びとから聞き書きした絵本が自費出版された[35]。竹島が豊かな漁場であったことや連れ帰ったアシカ(メチ)と島の子どもたちとのふれあいが描かれている[35]。その後この絵本は、2017年に山陰中央新報社から出版された[36]。
竹島は日本が島根県へ編入した1905年以来、第二次世界大戦終結の1945年まで日本側が支配していたが、戦後、一時的に韓国の独島義勇守備隊と名乗る民兵組織が竹島に侵入した。独島義勇守備隊は近海の日本船舶を拿捕したり日本の海上保安庁巡視船へ機関銃を撃つなどした。その際、日本側は44人が死傷、3929人が韓国に強制連行された[37]。1950年6月8日独島現地で慶尚北道知事が参席するなか、1948年に独島爆撃事件で犠牲になった韓国漁民のための独島遭難漁民慰霊碑除幕式が挙行された。1953年4月からは韓国国家警察が竹島に常駐を開始した後は管理下となり、そのまま韓国が実効支配を続けている[38]。「実効支配」とは「主権が行使されている状態」のことであり、その点では韓国が竹島を支配していることになるが、日本側の資料によれば、国際法上は「領域主権が継続的かつ平穏に表示されている」という意味での実効支配が重視される[38]。したがって、継続的ないし適時に日本からの抗議がなされている竹島については「平穏」の条件を満たしておらず、そのような「事実上の占拠」や「事実上の支配」は「実効支配」とは呼ばないことがある[38]。
現在、韓国による支配が続いており、韓国政府は竹島を、海洋警察庁を傘下に持つ大韓民国海洋水産部の管理下に置き、軍に準ずる装備を持つ韓国国家警察慶北警察庁独島警備隊の武装警察官40名と、灯台管理のため海洋水産部職員3名を常駐させ、軍事要塞化を進めている。また韓国海軍や海洋警察庁が、その領海海域を常時武装監視し、日本側の接近を厳重に警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台、ヘリポート[39][40][41]、レーダー、船舶の接岸場、警備隊宿舎などを設置している。西島には竹島(独島)の韓国領有を主張する漁民2人が宿舎を建設し居住している。
1991年からは、キム・ソンド(朝: 김성도)、キム・シンヨル(朝: 김신열)夫婦の居住を認め、住所を独島里山20番地としている[42]。2005年4月には、韓国人の結婚式が竹島で初めて執り行われた他、独島防衛として992名の韓国人が竹島に戸籍を置いている。
2014年11月、韓国政府は竹島に計画していた災害時などの避難施設の建設を中止し入札公告を取り消したが、報道では関係閣僚会議で尹炳世外相が「(安倍政権を)刺激しかねない。日本との外交摩擦を避けるべきだ」との意見を出し中止が決まったという[43]。韓国の尹炳世外相は国会答弁で建設予定だった施設の入札を中止したことに関し、「独島は明白なわが国領土であり、日本がいかなる行動を取ろうと、われわれのやり方で領有権の行使を行えばよい」と述べ、外交的配慮によるものではないと強調している[44]。
2005年には島根県の竹島の日に反発した韓国政府は韓国人観光客の入島を解禁し、3月28日に一般観光客が初めて竹島に上陸した。2013年9月時点では、1日平均805人もの人が入島している[45]。鬱陵島から定期運航している観光船があり2時間程度で行くことができる。鬱陵島との間に水陸両用機による航空路を開設する計画もある[46]。
竹島に入島するためには、「独島は韓国の領土」と書かれた紙に署名しなければならない[47]。韓国側発表によれば、2005年から2010年までの間で日本人観光客も70人程度上陸している[47]。また、韓国では竹島へ上陸して申請すれば「独島名誉住民」として登録され名誉住民票が発行される。現在、名誉住民の数は日本人を含め7万人を越えている[48]。
日本の外務省は日本人の渡航について、「韓国による竹島の不法占拠が続いている状況の中で、我が国国民が韓国の出入国手続に従って竹島に入域することは、当該国民が竹島において韓国側の管轄権に服することを認めたとか、竹島に対する韓国の領有権を認めたというような誤解を与えかねません。そのような入域を行わないよう、国民の皆様のご理解とご協力をお願いします。」としている[49]。また航路を運営するフェリー会社は日本人と判明した者へのチケット販売を行わない旨を告知している[50]。
韓国政府は2014年6月20日に竹島南西沖の日本領海内を含む海域で射撃訓練を行うと日本側に対して通告し、これに対して日本政府は在韓国大使館を通じて抗議するとともに訓練中止を要請した[51][52]。
菅義偉官房長官は韓国海軍が竹島沖海域で射撃訓練を始めたことについて「竹島の領有権に関する日本の立場に照らして絶対に受け入れられず、極めて遺憾だ」と述べた[53]。
韓国国防省副報道官は韓国軍が2014年11月に竹島周辺の海上で「外部勢力」による奇襲上陸を阻止する防衛訓練を実施すると明らかにし、韓国軍合同参謀本部は気象条件が良ければ海兵隊による島への上陸訓練も並行して行うことを表明した[54]。
第二次世界大戦中まで、朝鮮半島は日本の統治下にあり、そもそも韓国という国自体がなかったため領土問題は存在しなかった。日本は1951年9月、第二次世界大戦の戦後処理であるサンフランシスコ条約(1952年4月発効)で朝鮮半島などを放棄したが、竹島が日本の領土であることが確認された[55]。この時、韓国は北朝鮮との間で内戦(朝鮮戦争)を行っていたが、サンフランシスコ条約が発効する直前の1952年1月、アメリカが発効まで一時的に日本の施政権範囲を設定していたマッカーサー・ラインに倣い、一方的に李承晩ラインを設定し竹島を韓国側水域に含めた。翌1953年4月、朝鮮半島内戦中に独島義勇守備隊と名乗る民兵組織が常駐し、以来韓国は竹島の実効支配を強化している。日本は現在まで抗議を続けているが[56]、韓国側は領土問題は存在しないとして応じていない[57]。
この記事は、論調や文体が百科事典にふさわしくない可能性が指摘されています。 |
1994年発効の国連海洋法条約では、たがいにルールを決め、そのなかで海洋を有効活用しようという趣旨のもと[58]、排他的経済水域内(EEZ)の水産資源については沿岸国の管轄権も認め、その取り締まりも沿岸国が行えるものとしている[59]。このルールのもとでは、韓国漁船は日本のEEZ内においても操業可能となるが、その場合は、漁獲割当量や操業条件は日本が決めて、日本の許可を得て操業することとなる[59]。1999年の新日韓漁業協定は、こうした新しい精神のもとに締結されたものであるが、領有権問題は棚上げされたため、竹島周辺海域のEEZが曖昧なものとなってしまった一方、同海域は長崎県の肥前鳥島沖とともに、新しく「日韓暫定水域」が設置された[59]。新協定では、「日韓暫定水域」内の日韓両国の漁船がそれぞれ自国のルールにしたがって操業し、日本政府は日本の船を、韓国政府は韓国の船を取り締まり、相手国の取り締まりは実施せずに漁業資源保護のために両国が協力することが定められた[59]。
しかしながら、日本側がいくら自国に対し管理を厳しくしても、韓国側が協定を全然守ってくれていないのが現実である[58]。新協定の下、韓国側は強引に漁を行う韓国漁船によって漁場を独占し、日本漁船が竹島周辺から閉め出されるという異常事態が続いている[59]。たとえばズワイガニについては日韓で漁法が異なり、韓国は固定式の刺し網やカゴ漁が主であるが、日本は移動式の底引き網漁なので、日本漁船は韓国の刺し網を引っ掛ける恐れがあるため、漁場が競合すると、その水域に出ていくことができず、両者の調整がつかない場合は日本側が手をひかざるをえない状況がある[59]。そうすれば、空いた漁場を韓国漁船が独占してしまうのである[59]。日本は過去の乱獲の教訓から、漁期を短期に設定して水産資源の保護に努めているが、その種の意識に欠ける韓国は略奪式漁業で獲れるだけ獲る傾向があり、資源枯渇の危険にも無神経で、漁獲量が落ちれば日本のEEZにまで不法侵入して密漁におよぶ有り様である[59]。国際法に関しては、関係国間で解釈が異なることも少なくないが、竹島に関しては解釈の違いという限度を超えており、韓国当局は自国の密漁には目をつぶり、結果、決められた漁獲量よりはるかに多くの魚を乱獲している[58]。こういう状況にあっては、日本だけがルールを守っていればそれでよいということにはならない[58]。他国のルール違反、特に領土・領海侵犯については特に注意が必要であり、これについて、自衛力とアメリカとの同盟の強化によって侵犯を未然に防ぐ必要があるとの海洋政策の専門家による意見がある[58]。
竹島を取り巻く海洋汚染については深刻な懸念がある。島に設置された下水処理システムは機能不全に陥っており、韓国沿岸警備隊や灯台駐在スタッフなど竹島住民によって生み出されたし尿も含む下水が直接海に投棄され、重大な水質汚濁が確認されている。海水は乳白色に染まり、海洋の植生は次第に消滅し、サンゴが死滅して珊瑚礁の石灰化が広がっている[60]。水の汚れはまた、周辺海域の生物多様性の損壊を招いている。 2004年11月には、異臭を発する1日8トンもの汚泥を連日日本海に投棄されていたことが報道された[60]。
韓国で、独島は日本のものであると主張した金完燮のコラムに誹謗中傷を書き込んだ者が不起訴処分になったという事例があった[61]。
1999年に創設された韓国に関する情報宣伝工作活動を行うことを目的とした韓国の民間組織 VANK (Voluntary Agency Network of Korea)に対し、韓国政府はこの組織のインターネット上の行動に対して公式に支援しており、李明博大統領は2008年に5000万ウォン(約328万円)の予算を公表している[62][63]。VANK は「世界に日本の「歴史歪曲」を知らせて国際社会における日本の地位を失墜させること」を目的としたディスカウントジャパン運動を行い[64]、サイバーデモと称する抗議活動を行っている。その手法は、世界の各機関への韓国側の主張の大量送信、英語版ウィキペディアの組織的編集[65]などである[注 6]。
また、VANK は韓国観光公社との共同事業として、韓国の歴史認識に基づいた『韓国観光広報小冊子』を発行し世界中の観光団体や学校などに発送したり、慶尚北道との共同事業として、竹島問題について組織的・計画的に情報宣伝工作を行うサイバー独島士官学校を設立、2009年の時点で生徒数は1万人を突破した[66]。
2021年の東京オリンピックでは、韓国の放送局SBSが開会式の中継で竹島を「独島」と表示した[67]。
韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民安龍福が松島(現在の竹島)を朝鮮の領土であることを認めさせるために日本に渡ったことが強調されている。また、小学、幼稚園児にも竹島の領有を教育しているほか“独島は我が領土”という歌も歌われている。このような領土意識の教育は、韓国領有の正当性を幼い頃から定着させる政府政策の一環である。
島根県議会は2005年に「竹島の日条例」を可決し、政府に問題解決へ向けた行動を促したが、韓国慶尚南道の馬山市は対抗して「独島の月」、さらに対馬に対する領有権を主張する目的で「対馬島の日」を制定した。「独島の月」は、1900年10月、大韓帝国が鬱陵島・竹嶼・石島を鬱島郡の管轄下に定めるとして領土確定をおこなった大韓帝国勅令第四十一条の発せられた月(10月)である。「対馬島の日」は15世紀の応永の外寇において朝鮮が対馬遠征軍を派遣した日(6月19日)である。
「独島」呼称の国際認知を目的とした韓国のキャンペーンは多方面で行われ、たとえば学術界においても、新規に発見された生物種の学名の名付けなどによって続行されている[68]。竹島では多くの新種微生物が発見されているが、2005年頃より韓国系生物学者によって、新規学名に「独島」が含まれるようになっている。新属としては、Dokdonia donghaensis (Yoon et al. 2005) ほか6種[69]、新種としては、Maribacter dokdonensis (Yoon et al. 2005) ほか11種の「独島」を含む学名が提唱された[70]。
韓国政府によって鬱陵島に建設されている「独島博物館」の八道総図のレリーフが、本来の地図とは逆に、于山島の位置が鬱陵島の東(竹島の位置)に移動してあり、于山島を竹島とする韓国の主張に合うように捏造されていることが下條正男によって指摘され[71]、「博物館という公的機関による虚偽展示の影響は計り知れない」と批判していた[72]。このレリーフは竹島が韓国領だと視覚的に示すために作られた同館のシンボルであったが、2007年の産経新聞の取材に対して、同館研究員は、位置が違う理由について「来館者がより見やすいように」と説明する一方、「日本の研究者からクレームが多く、紛争の火種になるので近く撤去する予定だ。年内には別の展示に取り換える」と同館は誤りを認めたうえで、撤去予定である旨を答えた[72]。しかし2011年、水島総が「独島博物館」を訪問したところ、このレリーフがいまだ掲示されていることが伝えられた[73]。
韓国銀行は2007年に新しい高額紙幣100,000ウォンの図案を発表。表に大韓民国臨時政府主席の金九の肖像[74]、裏面に韓国国宝の古地図『大東輿地図』をあしらったが、原図にない独島を記入したため、韓国国内で「文化財の改竄」と批判があった。この紙幣は2009年1月に発行中止になったが、中止の理由は、当時の高額紙幣の10倍の額面であること、金九が南北統一政府の樹立を主張していたことから、保守系の李明博政権が問題視し見送ったとの指摘[75]があり、「文化財の改竄」が理由ではない。
大韓民国郵政事業本部は、竹島を題材とする切手を1954年、2002年、2004年の3回発行し、「独島の実効支配」を喧伝する材料にしている[76]。1954年の切手は普通切手で、当時日本の郵政省はこの切手を貼った韓国からの国際郵便物の受取拒否をしたといわれているが、実際には多くが日本で配達されたという指摘がある。
1954年9月15日、大韓民国は3種の竹島切手3000万枚を発行したが額面2ファン(圜)と5ファンの切手はそれぞれ500万枚、10ファンの切手は2000万枚が売れた。これに対して日本は、11月19日にこの切手を使った郵便物を取り扱わず、返送することを閣議決定し[77]、11月29日には外務省を通じて在日韓国代表部に抗議の口上書を出した[78]。こうした経緯から、外務省は、竹島切手を付した郵便物を受けないとしたが、万国郵便連合 (UPU) の規定の中にある「郵便物中継の自由保障」条項により、最終的には日本国内への配送を許容することにした。
2002年の切手はセットの一部であったため日本では認知されなかった。これは、『韓国訪問の年』の記念切手の一つとして発行したもので、図案に著名な観光地や民族舞踊なども含む20種にもおよぶ大セットであったため、日本では韓国切手収集家以外にはほとんど認知されていなかった。8月1日、「我が郷土特別切手シリーズ(내고향 특별우표 시리즈)」(全32種)の中の慶北編にも「独島切手」が含まれ、90万枚が発行された。その当時、日本政府は事態を把握しておらず、抗議はおこなわれなかった[79][80]。
2004年1月16日、大韓民国は竹島切手4種224万枚を発行した。これは「独島の自然」と題されたもので、日本のマスコミでも大きく報道された。日本の川口順子外務大臣が事前に趙世衡駐日大韓民国大使を呼んでこれに抗議し[79]、さらに尹永寛外交通商部長官(外務大臣に相当)に電話会談で発行中止を要請し[81]、さらに、竹島の領有権を主張する日本の立場を明らかにし、韓国の切手発行が万国郵便連合憲章の精神に背くとして、UPUに回章の措置をとった[80]。
大韓結核協会は、2006年のクリスマス・シールとして、「独島」(竹島)の自然を描いた「アイラブ独島(아이러브 독도)」を発行した[82]。
2014年1月改定の教員向けの学習指導要領解説書で竹島に関する記述が盛り込まれ、2018年3月告示の学習指導要領では、高校教育では「地理総合」、「歴史総合」、「公共」の3科目において竹島を扱うこととした[83]。
日本政府は竹島の領有権を裏付ける過去の行政文書や地元新聞記事などの歴史資料をデータベース化してインターネットで公開するとともに、領土に関する論文を英訳して発信することとしている[84][85]。郷土史などの歴史資料を集めて電子化したうえで編さんし、英語訳も付けるなどの広報活動を行うとともに、資料を学校教育にも役立てるとともに教員向けに特別の研修を実施する方針である[86]。
2015年、日本政府は前年度から民間に委託して1,500点あまりの資料を調査し、実効支配してきたことを示す資料をまとめた報告書を、内閣官房領土・主権対策企画調整室のホームページで公表した[87]。
新藤義孝衆議院議員は「日本の領土を主張する資料は、国がきちんと管理する体制を整えるべきだ」と述べ、国が資料保存に積極的に関与する仕組みが必要だとの認識を示している[88]。
竹島を所属とする島根県は、2005年に「竹島の日」を定めたほか、竹島資料室を設け、2007年には Web竹島問題研究所 を開設した[89]。2019年の竹島の日「国際司法裁判所による竹島問題の解決」と題する特別展示を行った。そのなかで島根県は、単独提訴によって、黙認を回避し、時効を止めること、日本が韓国の主張に同意していないことを国際社会に知らしめること、および日本の意思を韓国に知らしめることが可能であり、また、竹島問題は歴史問題ではなく、国際法上の解決が求められることを訴えることができることを指摘している[38]。
日本の新左翼の中核派の影響下にあるとされる、東日本旅客鉄道(JR東日本)の労働組合の国鉄千葉動力車労働組合は、2008年の新学習指導要領の解説書で竹島を「日本固有の領土」と教えるよう求めると発表したことについて、「日本政府が、帝国主義的領土略奪と国益主義・排外主義の扇動で危機を突破しようとする許し難い攻撃である」と批判し、「日韓労働者連帯の立場から、怒りを込めて弾劾する。日本政府は解説書を撤回し、今後一切、独島強奪策動を中止せよ」と宣言した[90]。
また、小沢一郎の国際担当秘書であった韓国人金淑賢は、自民党政府時代に日本が領有権を主張していたのは支持率低下を防ぐためだと述べた[91]。
2021年8月、日韓近代史資料集が閉鎖する。
在日韓国人2世で元東京大学教授の姜尚中は、2010年1月2日、韓国MBCの取材に「独島は韓国が実効支配してるじゃないか。だから日本は戦争をしない限り、独島を実効支配することは不可能です。日本が竹島だと主張しても、放っておいてかまいません。私達が我々の領土を実効支配しているからね」と述べ[92]、また同年3月10日、韓国中央日報の取材を受けて、「日本から独島問題を巡る妄言が出てきても、韓国は実効的支配をしているため感情的に対応する必要はない」と韓国側に立った主張を行っている[93][94]。
また、在日本朝鮮人総聯合会の関連団体である在日本朝鮮留学生同盟(留学同)は、日本の領有権主張について反対の声明を発している[95]。
Google の提供する Google マップにて竹島について日本語で「ウルルン郡」という記述があることに関し、自民党の佐藤正久参議院議員により質問主意書が提出され、政府は2012年3月17日、「閲覧者に対し竹島が韓国領であるかのような誤解を与えるもので、わが国の立場に照らし受け入れられない」とする答弁書を決定した。
また、Google マップにおいて、竹島が韓国領として表記されているとして、島根県が Google日本法人に対し、「閲覧者に対し、韓国領であるとの誤解を与える虞がある」として、表記を改めるよう、2012年6月15日付で要望書を提出している[110]。
Appleが独自に提供する iOS 用の地図サービスでは、当初「独島」だけの表記だったが、日本からの抗議を受け「竹島」「独島」「リアンクール岩礁」の併記に変更された[111]。
2007年秋の Xbox 360 アップデートにおいてユーザーのプロフィール機能が強化された。この際住所の項目には「独島」と入力することができるのに対して、「竹島」と入力すると登録できない。これが一部の利用者の反感を買い、Xbox 360 のボイコットが発生、問題になったため後日「竹島」も入力できるように変更された[112]。
アメリカのオレゴン州自動車管理局のホームページ朝鮮語版における運転マニュアルに、翻訳者である韓国系アメリカ人が「独島は韓国の領土である」といった記述を数ページにわたって追加した。日本の外務省はオレゴン州政府に対し公式に抗議した。オレゴン州政府は遺憾の意を表明しこのような表現を認めたことはないと釈明、当局は直ちに閲覧中止にし、当該ファイルをウェブサイト上から削除した。翻訳者の韓国系アメリカ人は「韓国系の住民が見る物であるので問題はない」と話した[注 7][113][114][115][116]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.