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職務中に何らかの原因で死亡すること ウィキペディアから
警察官[1]、消防官、自衛官、海上保安官などの公務員が職務・業務中の事故などが原因で死亡した場合に、殉職と呼ばれることが多い。また、かつては船舶や艦船の船長、艦長は沈没時には最後に退船したり、時には沈没をする船と運命を共にしたりすることが慣例化されており、その時に救助を拒否し死亡または自殺した場合には、殉職と表現されることがある[2]。
一般企業や工場においても、勤務・作業中の事故が原因で死亡した場合は殉職と呼び、この場合産業殉職者として顕彰会が建つ。大規模な土木工事では、黒部ダムで171名、東海道新幹線で210名、青函トンネルで34名など、多数の殉職者が出た。このような場合、完成後に施設近辺に慰霊碑を設ける事例も多い。また、労働安全が労働省(現厚生労働省)の取締りの所管外となってしまった鉱山業界においては、多数の殉職者をだす事故が度々発生した。特に石炭採掘では、坑内火災やガス中毒によって時に一度の事故で100名を超える殉職者を出すこともあり、石炭採掘の斜陽化に拍車をかけた。炭鉱事故の殉職者の中には、火災やガスの充満などで救出が困難により、坑内に置き去りとなった者もいる。また、それぞれの職種ごとに遺児への教育資金援助や慰霊式典を行なうため、殉職者の顕彰会が設けられている。
1947年の神奈川税務署員殉職事件後には、特殊な第三国人等に対する検査調査を行う税務職員への特別手当を支給することとする法案が出されるなど、殉職者が出ることによって一定の是正措置が取られることもあった[3]。
特殊な例としては、国内・国外で取材を行っていたジャーナリストが、テロリストやその国の軍隊に殺された例も殉職として扱われることがある(Category:殺害されたジャーナリストの項目も参照)。
「病死」の場合は殉職扱いとはならないが例外もある。
これらの事例は、いずれも公務・業務の遂行中に被爆あるいは発症したその因果関係が明確なためである。
自衛官・警察官・消防吏員・海上保安官・刑務官・入国警備官といった職務階級が明確な職業において、殉職に伴って在職階級から二段階昇任させる制度または慣行で、名誉・叙勲・その他の遺族に対する補償も進級した階級に基づきなされる。
この結果「二階級特進」が、しばしば「殉職」を表わす別称とされている。
特進とはかつての日本軍における軍人の「特別進級」の略称であり、現行憲法下の公務員の階級が上がることを昇任ということに照らせば不自然だが通俗的には特進という用語が用いられている。
なお、警察官の場合、巡査(-巡査長) - 巡査部長 - 警部補 - 警部 - 警視 - 警視正 - 警視長 - 警視監 - 警視総監という階級構成で、巡査のみ2階級上の特進先は巡査部長ではなく警部補となる。これは巡査長が階級的職位にすぎず、階級上は巡査と同格だからである。
ただし、近年の職務執行中の交通事故による殉職(取締活動中に前方不注意の自動車にはねられ死亡)の場合には、大半が1階級のみの昇任にとどまるとされている。
このほか、警視長が殉職し警視総監に特進した例は確認されていない。これは、警視以上は上級管理職で、最前線に出る例が非常に少ないためである。
特進については、日本軍において功績顕著な戦死者を二階級特進させた例に倣ったものである。
また、死亡退職金や遺族年金では、特進後の階級を基準とするため、算定にあたり遺族にとっても金銭面での待遇が有利になるという側面もある。
元々戦死者を進級させる習慣は無かったが、日露戦争において軍神とされた広瀬武夫海軍少佐・橘周太陸軍少佐が、死後それぞれ中佐に一階級進級したのが始まりとなった。
その後、第一次上海事変における爆弾三勇士を顕彰するため3人を工兵一等兵から工兵伍長へと二階級特進させ、それ以降、功績抜群の戦死者は全軍布告の上二階級特進という例ができた。また、1941年からは戦死と限らず「全軍に感動せしめる武功」を立てた者は下士官、兵であっても二階級特進が可能となる制度もできた[9]。
なお、戦死にあたっては、部内で進級の要件と規定されている、当該階級での勤務年数である「実役停年」を満たしていないものでも必ず進級するとは限らなかった。
また、大佐が中将になる例は少なく、将官には二階級特進が認められていないため少将が大将に進級する例はなかった。
海軍では大将が戦死した場合には元帥の称号を与えた例がある(旧日本軍には他国と違い元帥の階級が明治時代に廃止されたため存在せず、以降は「元帥」は陸海軍大将に与えられる称号としてのみ存在した)。戦後の自衛隊では追加の称号授与は行われていない。
旧陸軍では下士官の航空特攻での戦死者には最大「四階級特進」まで規定されていた(陸軍伍長から陸軍少尉へ)[要出典][注 1]。
しかし、テストパイロットの殉職など訓練中・公務中の死亡である殉職と、戦闘での死亡である戦死とは明確に一線を画しており、外地で公務中に死亡するなど戦死に準ずると判断された場合を除いては、殉職者は最大でも一階級昇進どまりであり、二階級特進した例はない。
第二次世界大戦中には、大学などの研究機関も「科学戦」を行っているとして研究者が二階級特進した例がある。1944年8月に実験中に事故で死亡した東京帝国大学理学部の助手の例では、大学助手判任官から助教授に任官、高等官六等に叙せられた[11]。
自衛官が殉職した場合は「特別昇任」として一階級もしくは二階級昇任することが多い。朝霞自衛官殺害事件で殉職した一場哲雄士長は二曹に二階級特進した。
2003年11月29日、日本政府はイラクにおいてテロリストにより射殺された日本大使館の外交官(参事官・三等書記官の2名)に対して二階級特進に相当する職階の昇進(参事官→大使・三等書記官→一等書記官)を行った。
国家公務員を見渡しても警察官・自衛官・海上保安官・刑務官・入国警備官以外には職務階級制度そのものが存在しないこともあり、外交官では前例のないことであったが、これは任地のカントリーリスクが際立って高い状況などを勘案してのものであったといえる。
これ以外にも、消防吏員・消防団員など多数が殉職しているとされている。
消防団員は非常勤の特別職地方公務員であり、災害時以外は各自の職業があるため、氏名は原則として公表されていない。
(おもな特進の事例)
この節で記載した事件・事故は、官公庁職員・民間企業の従業員に責任が帰さないものである。ほかにも多数の事例がある。(Category:警察官が殉職した事件・事故も参照)
公務員が殉職した場合(および負傷した場合)で特に功績が認められたときには、賞恤金(しょうじゅつきん)が支給されることがある。
毎週放送の刑事ドラマにおいて、レギュラー出演している刑事の登場人物が作中で犯人などに殺害され、その回限りでその人物は死亡したものとしてレギュラー出演を終了し降板することがあり、一般的に殉職と呼ばれる。
1972年(昭和47年)7月21日から放送された『太陽にほえろ!』では"マカロニ"こと早見淳刑事を演じた萩原健一が最後の出演回で殉職する形で同作品から降板することを要望し、1973年(昭和48年)7月13日の放送で早見刑事が殉職し降板した[27]。これ以降、同作品は新人刑事が登場したのち一定期間出演後に殉職するパターンを繰り返し長期間継続した[28]。
『西部警察』[29]をはじめ、主に1970年代から1980年代の他の刑事ドラマでも殉職の手法が使用され、『警視庁殺人課』のように作中に登場する主要な刑事すべてが殉職する作品もある[30]。特に1979年(昭和54年)は8月の時点で既に4番組で4人が殉職[31]したことで、「刑事ドラマの殉職が大流行である」と記事になったことがある[32]。
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