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日本のテレビドラマシリーズ ウィキペディアから
『中学生日記』(ちゅうがくせいにっき)は、1972年4月9日から2012年3月16日まで放送されたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマである。
中学生次郎 ↓ 中学生時代 ↓ 高校生時代 ↓ われら高校生 ↓ 中学生群像 ↓ 中学生日記 | |
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ジャンル |
テレビドラマ 学園ドラマ 討論番組(一部のみ) ドキュメンタリー(一部のみ) |
脚本 |
(2003年度以降) 鈴木卓爾 佐々木正之 萩生田宏治 山本雄史 ほか |
出演者 |
湯浅実 東野英心 竹本孝之 近藤芳正 加藤晴彦 ほか (詳しくは#先生役、#中学生日記および前身番組に出演した人物を参照) |
オープニング |
Nycks「一瞬の青」(2001年度-2002年度) スキマスイッチ「石コロDays」(2011年度) |
製作 | |
制作 | NHK名古屋放送局 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1962年4月7日(注1)(注2) - 2012年3月16日(49年11カ月) |
放送時間 | #放送時間の変遷を参照 |
公式ホームページ | |
特記事項: 注1:「中学生次郎」として。放送期間は前身番組からの通算。 注2:1962年4月7日-1963年3月30日 「中学生次郎」。 1963年4月6日-1967年4月2日 「中学生時代」。 1967年4月8日-1968年3月30日 「高校生時代」。 1968年4月7日-1969年3月30日 「われら高校生」。 1969年4月13日-1972年3月26日 「中学生群像」。 1972年4月9日-2012年3月16日 「中学生日記」。 |
なお、本番組の系譜はそれに先立つ1962年4月7日から『中学生次郎』(ちゅうがくせいじろう)[1]のタイトルで放送が開始され、以後、『中学生時代』(ちゅうがくせいじだい)→『高校生時代』(こうこうせいじだい)→『われら高校生』(われらこうこうせい)→『中学生群像』(ちゅうがくせいぐんぞう)と番組タイトルを変えつつ本番組へと受け継がれており、本項目ではこれらの前身番組についても記述する。
名古屋市にある中学校および高校を舞台にしたテレビドラマのシリーズ。基本的にはシリーズ開始から終了まで中学校を舞台としたが、1967年度と1968年度の2年間のみは中学校ではなく、「高校生の問題も扱ってほしい」という視聴者の要望を受けて[2]、「高校生時代」→「われら高校生」として高校が舞台となったこともあった[2]。
NHK名古屋放送局管内で1960年から放送されていた地域放送「教育相談番組」の中の企画である、再現ドラマがシリーズの前身である。1961年の名古屋放送局テレビスタジオ完成に伴い、全国放送向けの制作枠が毎週1本新設されることになり、前述の再現ドラマを単独番組とする形で、1962年に「中学生次郎」の番組名でシリーズは開始された。当初の番組スタイルは再現ドラマパートと、有識者・保護者・生徒による討論パートの2部構成であり、番組タイトルの通り、中学2年生の主人公である次郎の、学校生活や私生活などの諸問題を検証していく。当初は中学生ではなく、母親を視聴対象とした番組であった。1963年の「中学生時代」からは主人公がエピソード毎に代わる、シリーズ終了まで続くスタイルとなり、1969年の「中学生群像」からは討論パートが廃止され、ドラマをメインとする構成となり、討論パートについては年に数回、30分全編を討論形式とするスタイルとして放送されるようになった。視聴対象も当初の母親から、中学生へと変化していった[3][2]。
開始当初から、教師同士の赤ちょうちんの場面が出るなど、長らく従来のホームドラマのような様相を呈していた。1990年代後半以降は視聴者の意向を受けて、次第に道徳的となっていった。
1972年の「中学生日記」より、名古屋市の公立中学校という設定の架空の中学校がドラマの舞台となり[2]、同年度から1981年度までは名古屋市立東南中学校、1982年度から2000年度までは名古屋市立名北中学校(めいほく-)、2001年度以降は名古屋市立東桜中学校(とうおう- [注釈 1])という、それぞれ架空の公立中学校を舞台とする中学生の学校生活や私生活などの諸問題を、毎回一話完結もしくは2 - 4話程度の連続ドラマを通して検証していく内容を基本としていたが、前述の通り討論形式での放送や、後継番組の「ティーンズプロジェクト フレ☆フレ」に近いスタイルでのドキュメンタリー形式での放送も年に数回実施されていた。なお、新作の放送期間は中学校における春休み・夏休み・冬休み期間中を除いた期間となっており、春休み・夏休み・冬休み期間中については過去に放送されたエピソードの再放送を実施していた。
出演していた中学生は「日記生」(にっきせい)と呼ばれていた[4][5][6]。1972年の「中学生日記」より、生徒役としてドラマに出演する中学生を名古屋近郊から募集するようになり[2]、毎年11月 - 12月に行われていた生徒役オーディションにより、当時名古屋近郊に在住していた小中学生の中から選出されていた他、番組後期には名古屋以外の地域に在住する中学生が日記生として出演する作品も制作されている(後述)。それらの日記生については、ほぼ全員が実名のままの役名で出演していた。
当番組の大きな特徴として、日記生の大半は番組出演当時においては芸能人ではなく、児童劇団や芸能事務所、モデルエージェンシーに所属していない素人の一般人を起用しており、オーディションによる選考基準は一般において重視される「演技力」を不問とするなど[7]、タレントにおける基準とは全く異なり[8]、「中学生力」を重視した選考が行われていた[9][注釈 2]。放送期間が長期に渡ったこともあり、番組後期のオーディションには世代を超えた受験者も多くみられ、世代を超えて共通の体験を持てる貴重な番組ともなっていた[11]。2008年度から番組終了までは番組サイト上で、生徒座席表と評してその週に放送される回に出演する日記生の簡単なプロフィールを、生徒手帳を模した様式で紹介していた[注釈 3]。
また、他の一般的な学園ドラマとは大きく異なっており、ドラマの制作にあたって、その時代に合わせて移り変わる、実際に教育現場で起きている問題および中学生の日常を忠実に反映させるために、予め日記生全員にアンケート並びに個別取材を実施し[12][13][14]、場合によっては現場の教職員や大学教授にも取材を施した。[注釈 4]それをもとに台本ならびにストーリーが作成されるという[8]、番組担当者が「ちょっと変わったドラマ」と評するほど[16]、ほかに類を見ない制作体制をとっており[12]、視聴者である中学生に共感されるようなリアリティを、芸能人ではない素人の演技により追及していく、いわば限りなくドキュメンタリー番組に近い教育ドラマが構成され、本番組の録画を教材として利用する中学校も多かった[17][10]。これにより、視聴者である中学生の共感を得続け、マンネリに陥ることなく、50年にも及ぶ長命を保つことができたといえる。50年間の日記生の総数は約5000人、作成されたドラマの総数は1500本を超える[12][13][18][3]。しかし、最終的には視聴者である中学生の嗜好が変化したことなどにより、番組は終焉を迎えた。
2005年に放送された「中学生日記 アーカイブス」で、1970年代以前に放送された素材テープ(2インチVTRと思われる)をNHKが保有していないことが明らかとされた。後に、同時期の少年ドラマシリーズ等と同様に、当時の熱狂的なファンがベータ規格の家庭用VTRに録り溜めたものが提供され、それを受けて幾つかの作品が再放送された。番組公開ライブラリーでも配信タイトルに含まれている。その中から2007年に「僕は、ここにいる。〜父と子の闘争日記〜」が制作されるきっかけとなった。なお、「中学生日記 アーカイブス」のタイトルはNHKが保有する過去のエピソード(主に2002年度以前作品)の再放送時にも使われていた。
1995年、第43回菊池寛賞を受賞。1996年に広島大学から「ペスタロッチー教育賞」が贈られた[19][17]。
番組開始から2002年度までは、群像劇形式で学校放送(小学校道徳)に似通った硬派な作風であり、「視聴対象である中学生、その保護者と教師に、中学生を取り巻く教育の現状を考えさせる事」を番組のコンセプトとしていた[10][20]。
番組の全盛期である1975年度から1981年度にかけて風間先生役を演じた湯浅実は、『私が当番組への出演を開始した1975年頃には、全国平均2.8%の視聴率だった番組が、1982年時点では平均12%にも達するのだから、教育に対する関心の深さが知られる。「中学生日記」は昔はマニアの見る番組であったのだが、現在は立派な、そして大衆的市民権を得てしまったのである。』と述べていた[10]。番組の全盛期であった1970年代には最高視聴率は22%に達した[21]。
しかし、1996年度上期の視聴率は7.7%であり[17]、更に晩期には番組の視聴対象であるティーンズ世代の嗜好の変化ならびにテレビ離れが進んだ影響、後述する2003年度からの番組リニューアルに抵抗を感じた保護者及び教師の番組離れ[10]などにより、平均視聴率は1%台に落ち込んでいた[21][22]。
2003年度には番組開始当初からのコンセプトの転換を伴う、大幅な番組リニューアルが実施され、番組の作風に変化が生じた[23][10]。以後番組終了までは、それまでの群像劇形式の硬派な作品に加えて、若手の脚本家を起用し、日記生を物語の中心に据え、恋愛話(ラブコメ)・部活動など私生活・学校生活上の身近な出来事や、思春期(反抗期・第二次性徴期)特有の悩み、機能不全家族、アニメオタク、中二病、メル友と性暴力などをテーマに、時に喜劇調に、時にシリアスな演出を取り入れた作品も制作されるようになり[20][13][10]、番組制作手法についても、スタイリッシュな映像と音楽、ポップでコミカルな演出といった斬新な手法が扱われるようになった[20][10][23]。その変化の大きさは、「青春時代に中学生日記を見て育った大人が、昔見たイメージで今見てみるとあまりの違いにビックリする」と評されるほどのものであった[23]。このリニューアルに伴い、視聴対象は完全に中学生一本に絞り込まれた[20][10]。その背景には、これまでの予定調和的、教育的、道徳的なストーリーにとらわれず、「中学生に見てもらえる番組」を作りたいという制作者側の意図があったという[10]。以後、以下に示すような各種のテコ入れが番組終了まで繰り返されることになる。
リニューアルに伴い、中学生の主体的な参加がより一層求められるようになり[10]、2003年度 - 2004年度にかけては、夏休み・冬休み期間中を利用し、視聴者である中学生から脚本を募集し、採用された中学生の在学する中学校の生徒が日記生として出演する作品を「みんなでつくろう中学生日記」として、名古屋以外の地域の実在する中学校を舞台とし、その中学校の生徒達が日記生として出演する作品を「さすらい編」と題して放送したほか[20]、2008年度からはシリーズ史上初めて、同じく夏休み期間中を利用し、日記生としてドラマに出演する生徒役を名古屋近郊以外から募集する「全国オーディション」が開始され、以後2010年度を除いて毎年実施された[24][16][25]。
舞台が中学校であった時代については、番組開始から長年にわたり、番組で取り上げられる学年は中学2 - 3年生であり、2006年度までは高校1年生も中学3年生役として出演するというスタイルであったが、2005年度に実施された番組リニューアルでは、中学1年生についても取り上げられるようになった[26]。これに伴い、2年間の移行期間[注釈 5]を経て2007年度からは日記生が現役の中学生に統一され、2008年度からは「中学生日記に出演しているのは全員現役の中学生。みんなの“今のキモチ”を描きます。」が番組のキャッチフレーズとして掲げられる様になった。
生徒の制服についても、シリーズ開始から2008年度まで、男子は一貫して標準学生服(学ラン)で、女子は名古屋襟と言われる襟元が白色で広口のセーラー服であり、舞台が名古屋ということもあって男女の制服に付ける名札は東海3県の小中学校に特有の小判型縦書きというスタイルであったが、2009年度には女子の制服がリボン結びのセーラー服にリニューアルされ[27]、それに伴い、名札が左側に校章を配した長方形の横書きのものに改められている。なお、2010年6月より男子も夏服に限ってスラックスが従来の標準服からブレザー様のグレーにリニューアルした[28]。
2010年度にはより多くの10代に視聴してもらうための試みとして、同年4月から翌年3月の1年間にわたり、月替わりでゲストの著名人(主に先生役としてだが、例外もあり)を出演させる企画を実施した[13][29]。
番組最終年度となった2011年度にも大幅な番組リニューアルが行われた。「中学生自身が作る中学生応援番組」をキャッチフレーズに掲げ、番組主題歌に2010年度の番組企画で視聴者である全国の中学生から募集した「中学生の今のキモチ」を基に作詞された、スキマスイッチの「石コロDays」を[30][31]、教師役には若手人気俳優の風間俊介と、番組の視聴対象であるティーンズ世代に人気のある人物を起用し、番組のメインであるドラマには日記生からのアンケート・取材結果に加え、新たに番組サイトにおいて、視聴者に向けて「台本のタネ」の募集が開始され、それも台本に反映させるスタイルとするなど、ティーンズ世代の新規取り込みを狙った。しかし、同年度の名古屋地区視聴率(ビデオリサーチ)は引き続き1%前後と低迷していた[32][33][34][35]。この結果を受けて、名古屋局は同年秋、次年度の生徒役募集を行わず50周年を機に大幅刷新を検討中である旨を、番組サイトで公表した[36]。ディレクターとして20年近くに亘り番組制作に携わった、NHK名古屋児童劇団事務局長の大久保晋作は「1番難しい時期の中学生の思いや疑問を伝える場所だったので、形が変わってもその精神を引き継いでいってほしい」と述べ、半世紀にわたる名古屋局の長寿番組で起こった異変に、地元の中日新聞もこれを「打ち切りの危機」と報ずるなど、波紋が広がった[35]。
同年12月5日、2012年3月に番組を終了し中学生向け番組を別途継続する旨が、全国紙等で報道される。番組終了に至った経緯を名古屋局関係者は『「中学生の、中学生による、中学生のための番組」として長年親しまれてきたが、近年は肝心の中学生の番組離れが止まらず、継続は困難と判断した』とした[37]。
そして2012年1月18日、NHK名古屋放送局から同年3月16日での番組終了が正式に発表され[22]、『中学生日記 最終回スペシャル「命」』を以て1962年の『中学生次郎』から続いたNHK名古屋放送局制作の中高生向けテレビドラマシリーズは50年の歴史に幕を下ろした。同年4月6日からは後継番組として、毎週金曜日 18:55-19:25に、同じく名古屋放送局制作の視聴者参加の中高生を取り上げる密着ドキュメント番組のシリーズの新番組『ティーンズプロジェクト フレ☆フレ』が開始されたが、2014年3月をもって終了した[10]。
晩年の生徒役オーディション応募者の志望動機は学校生活での満足感が得られず、達成感を得たいというものが多かった[11]。番組の終了に対する感想について、弁護士の中村和雄は「中学生が見なくなったから終了ということですが、いまの中学生が、学校生活で満足しているわけはないし、どうして見なくなったのでしょう。中学生が抱いている問題点と番組における問題設定がずれてきているのでしょうか。直面する問題点を真面目に考えることを避けるようになっているのでしょうか。それとも、中学生はそもそもテレビを見なくなっているのでしょうか。原因をぜひ中学生たちから教えて欲しい。」と述べている[38]。
また、放送終了時点の番組チーフプロデューサーであった滝沢昌弘は、「学園ドラマは刺激的なテーマを扱うものが多いんですが、中学生日記では、あえて普通の中学生が何を思い、何を感じているのかを描くことに挑戦してきました。結果的には、それが子供たちの支持を集められなくなったということかもしれません」と述べている[21]。
更に、桃山学院大学及び立命館大学の非常勤講師、授業担当講師を務める王令薇[39]が2021年3月25日に京都大学において発表した論文では、『2002年度の「ゆとり教育」の本格的実施と、校内暴力や非行といった青少年問題の沈静化を背景に、「ぶつからない親子関係」「抑圧する学校から楽しい学校へ」へと中学生を取り巻く環境が変化し、中学生が不安定な心理状態やストレスの症状を持つことは少なくなり、穏やかになったものの、むしろ新たに、中学生の勉強離れや学力低下が問題として提起され始めた。この変化により、番組開始当初からのコンセプトであった「受験競争」と「選別教育」といった教育制度の問題並びに家庭教育の問題を提起するというそれまでの枠組みが成り立たなくなり、この時点で当番組の役割は既に終わっていた。しかしながら、当時の社会情勢において青少年と放送との関係が注目され、とりわけ「青少年の健全育成のための番組を充実させる」という要請の強まりと、それに伴う2003年度のリニューアルで番組コンセプトをそれまでの「教育問題への提起」から「青少年の健全育成のための番組」に転換させたことにより、この時点での番組打ち切りこそ免れたものの、当番組は制作者側によって中学生向けの番組として捉えられていくと同時に、それまで当番組を熱心に視聴し続けてきた親や教師などの大人の視聴者が、「内容がわかりにくい」「ついていけない」「演出がふざけすぎ」という理由から次第に番組から離れてゆき、中学生日記の教育議論への影響がほとんど果たせなくなり、リニューアルによって期待された青少年の健全育成への積極的な効果並びに中学生世代の取り込みについても、前者については2013年2月に開催された国際エミー賞において、2011年9月2日放送の吃音をテーマとした「シリーズ転校生 僕と君のメロディ」が同賞子どもシリーズドラマ部門を受賞するなどの[40]放送関係者からの評価の高さとは裏腹に、後者については若者の関心の低迷により達成されたとは言い難く、「中学生日記は大人向けの番組」という世間一般の認識を番組終了まで変えることはできず、それが最終的な当番組の終了につながった。』と論じている[10]。
2012年4月16日を以て、過去の放送作品のデータベースを含む番組サイトは全て削除されており、NHKオンデマンドについても配信タイトルから抹消された。その後、NHKアーカイブスサイト内に番組の概略(「テレビ60年 特選コレクション」ページ)や関係者のインタビューなどのページが開設されており、過去の番組という扱いとなっている。
番組公式サイトのインターネットアーカイブでは、1972年度から2005年度までの放送作品のデータベースをたどることができる。(中学生日記およびその前身番組の作品リストを参照)
2013年2月5日放送のNHK BSプレミアム「プレミアムアーカイブス ドラマもまた報道である」内において、1983年4月24日初回放送「やつのパンツをねらえ!!」が再放送された[41]。
2013年2月に開催された国際エミー賞において、2011年9月2日放送の吃音をテーマとした「シリーズ転校生 僕と君のメロディ」が同賞子どもシリーズドラマ部門を受賞した[40]。この受賞記念として、同年3月2日17時から「僕と君のメロディ」が総合テレビで再放送された。総合テレビでの放送は10年ぶりだった。
2019年にNHK-FMの連続ラジオドラマである青春アドベンチャー枠にて『元・中学生日記』のタイトルで放送した。
2023年7月17日の午後11:45~午後11:50から5分間のドラマとトークを組み合わせた番組『高校生日記』を放映開始。7月の日曜日もしくは月曜日の深夜帯に数回連続、NHK総合名古屋ローカルで放送。オーディションで選ばれた高校生が出演するミニドラマと、高校生が抱える悩みに香音と土佐兄弟が耳を傾けるトークコーナーで構成される番組[42]。
いずれもEテレでの全国放送(映像送出は名古屋放送局から行われていた。ただし、字幕放送・副音声解説放送テロップは東京・渋谷の放送センターから出していたことから名古屋局から放送素材を一旦東京へ送った後に送出する形となっていた。2002年度までは総合テレビで放送していた。
番組名 | 期間 | 初回放送時間 | 再放送時間 |
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中学生次郎 | 1962年 | 4月 - 1963年 3月総合 土曜09:00-09:30(30分) | |
中学生時代 | 1963年 | 4月 - 1966年 3月||
1966年 | 4月 - 1967年 4月総合 日曜11:00-11:30(30分) | 総合 水曜17:00-17:30(30分) | |
高校生時代 | 1967年 | 4月 - 1968年 3月総合 土曜11:15-11:50(35分) | 総合 日曜13:25-14:00(35分) |
われら高校生 | 1968年 | 4月 - 1968年10月総合 日曜13:25-14:00(35分) | |
1968年11月 - 1969年 | 3月総合 日曜13:00-13:35(35分) | ||
中学生群像 | 1969年 | 4月 - 1970年 3月総合 日曜13:00-13:30(30分) | |
1970年 | 4月 - 1972年 3月総合 日曜13:05-13:35(30分) | ||
中学生日記 | 1972年 | 4月 - 1983年 3月||
1983年 | 4月 - 1985年 3月総合 日曜13:00-13:30(30分) | ||
1985年 | 4月 - 1986年 3月総合 金曜17:30-18:00(30分) | ||
1986年 | 4月 - 1987年 3月総合 金曜17:25-17:55(30分) | ||
1987年 | 4月 - 1989年 3月総合 金曜17:30-18:00(30分) | ||
1989年 | 4月 - 1990年 3月総合 土曜17:30-18:00(30分) | ||
1990年 | 4月 - 1992年 3月教育 木曜18:00-18:30(30分) | ||
1992年 | 4月 - 1993年 3月教育 金曜18:30-19:00(30分) | ||
1993年 | 4月 - 1995年 3月教育 木曜18:30-19:00(30分) | ||
1995年 | 4月 - 1999年 3月教育 木曜18:50-19:20(30分) | ||
1999年 | 4月 - 2000年 3月教育 日曜19:10-19:40(30分) | ||
2000年 | 4月 - 2001年 3月総合 日曜08:30-08:57(27分) | 教育 日曜18:25-18:55(30分) | |
2001年 | 4月 - 2002年 3月総合 日曜08:25-08:52(27分) | ||
2002年 | 4月 - 2003年 3月総合 日曜08:25-08:54(29分) | ||
2003年 | 4月 - 2004年 3月教育 土曜19:25-19:55(30分) | 教育 土曜10:30-11:00(30分) | |
2004年 | 4月 - 2005年 3月教育 月曜19:00-19:30(30分) | 教育 土曜10:00-10:30(30分) | |
2005年 | 4月 - 2007年 3月教育 土曜10:45-11:15(30分) | ||
2007年 | 4月 - 2008年 3月教育 土曜21:30-22:00(30分) | ||
2008年 | 4月 - 2009年 3月教育 土曜19:15-19:45(30分) | 教育 土曜14:00-14:30(30分) | |
2009年 | 4月 - 2010年 3月教育 土曜12:30-13:00(30分) | ||
2010年 | 4月 - 2011年 3月教育 土曜13:00-13:30(30分) | ||
2011年 | 4月 - 2012年 3月教育 金曜19:25-19:55(30分) | 教育 土曜12:30-13:00(30分) |
2010年度は、月替わりでゲストの先生(11月は卒業生・2月は天使)が出演した。
金剛地は2007年2月にゲスト出演の後、2007年度から準レギュラーに昇格。
後述の条件があるため、生徒役のほとんどは愛知県出身もしくは愛知県で学生時代を過ごした人物である。
2011年度からは番組キャラクターとして「チュッキー」(声:中根江深)と「ニッキー」(声:YO!YO!YOSUKE)が登場した。中学生のみんなのキモチが集まる場所「チューボーランド」の住人という設定で、番組終了までオープニングとエンディングでの掛け合いなどで登場した。
2003年度-2006年度の4年間は、ドラマ本編開始前にその日放送されるドラマのテーマについての意見・感想を語る、オープニングメッセージが存在した。2003年度は前年度までに中学校を卒業した著名人が担当し、「元中学生・○○(○○には担当する著名人の名前が入る)」として[53][54]、本人の中学校時代のエピソード、卒業生として今、後輩の中学生達に伝えたいことを交えて紹介した。2004年度-2006年度はその回の主役を務める日記生もしくは先生役が担当した[注釈 6]。
2001年度までの通常放送では主題歌は設けられておらず、エンドロール時にオリジナルのBGMが流れることが多い。他には2010年1月9日放送の「内申アップ大作戦」のエンドロール時においてはいきものがかりの「Happy Smile Again」が使用されるなど、ティーンズ世代に人気のある歌手の楽曲が使用されることもあった。
ノベライズ:橋本美香&羽生健太
2002年にNHKソフトウェアより、2001年前後とそれ以前に放映された作品を1話ずつ収録したVHSビデオソフトが数巻発売された。
2008年に毎日コミュニケーションズより、2007年度に放送された「いじめ、なくしたい!」シリーズ6話分を付録DVDに綴じ込んだ「NHK中学生日記DVDブックいじめ、なくしたい!」が発売されている。
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