Loading AI tools
朝日新聞出版発行の週刊誌 (1922-2023) ウィキペディアから
『週刊朝日』(しゅうかんあさひ)は、朝日新聞出版(2008年3月までは朝日新聞社)が発行していた週刊誌。1922年に創刊され[3]、『サンデー毎日』(毎日新聞出版)と並び、日本で最も歴史の長い総合週刊誌だったが、創刊101年後の2023年をもって休刊した。数十年にわたり毎週火曜日発売だった(首都圏など)。最盛期には153万9500部の発行部数を記録した。休刊直前の発行部数約7万4千部は『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)に次いで業界第8位だった[4][2]。
朝日新聞社内で『ロンドン・タイムズ』のようなニュース志向、『エコノミスト』のような経済誌、大衆向け情報誌の発行を目指し、1922年2月25日に創刊された[5]。創刊号の表紙はジョゼフ・ジョフル(ジョッフル元帥)の大阪朝日新聞社来訪時の写真だった。創刊当初は旬刊(上・中・下旬刊行)で5・15・25日発売、誌名も『旬刊朝日』だったが、1月遅れで『サンデー毎日』も発刊され、4月2日発売分(5号)から週刊化、誌名は『週刊朝日』に変更された。当時は四六4倍判、36ページ、定価10銭。内容は、創刊から2年半は、誌面をニュース、学芸及び家庭・娯楽、経済記事に三等分していたが、次第に『サンデー毎日』のような生活に関する記事が増える。
1922年7月には初の臨時増刊号『溢るる涼味』を発行。四六4倍判、72ページ、定価30銭で、20万部を即完売した[6]。
経済系週刊誌の『週刊東洋経済』(1895年に旬刊で創刊、1919年週刊化)や『週刊ダイヤモンド』(1913年に月刊誌として創刊、1946年旬刊化、1955年週刊化)の創刊は、週刊朝日やサンデー毎日より古い。
1931年の満州事変勃発以降は、他の右翼報道機関と同様に軍協力の性格を強め、日中戦争などで前線の軍への慰問品となることを目的とした記事も掲載される。1940年から新体制規格としてB5判サイズになる。
1941年秋に編集部を大阪から東京に移転。用紙が逼迫する頃までは、発行部数は35万部程度。1945年の第二次世界大戦終戦直後の時代には、ページ数は24ページ、発行部数は用紙割当て3万5千にヤミ紙を加えて9万5千部となる。
連合国の占領下の1946年から、連合国に媚びを売る目的から[要出典]アメリカン・コミックス「ブロンディ」を日英対訳式で連載。1947年10月26日号から、文学者辰野隆による連載対談「忘れ得ぬことども」が好評となり、部数が伸び始める。1948年の太宰治と山崎富栄の情死の際は、7月4日号の誌面ほとんどを山崎富栄の日記全文で埋め、この号は当時の発行部数13万部が3時間で売り切れた。
1950年4月2日号からは吉川英治『新・平家物語』連載が開始され、戦後の週刊誌小説最初のヒットとなる。連載対談のホストは高田保、浦松佐美太郎、獅子文六と続き、1951年から徳川夢声による「問答有用」が人気となった。
1953年には編集長の扇谷正造と編集部が、戦後第1回の菊池寛賞を受賞。この頃は部数が30万部程度だった。この前後に『週刊サンケイ』『週刊読売』『週刊東京』の新聞社系週刊誌が創刊されるが、朝日と毎日がトップで競合し、『週刊朝日』は1954年9月に100万部を突破。1956年からは獅子文六『大番』連載開始。この頃は発行部数の約4割が宅配であり、家庭の主婦も大きな読者層と捉えた編集方針とし、社会的な難しい問題を分かりやすく提供する「シュガーコート作戦」と呼んだ編集方法で、1958年新年号は153万9500部に達した[6]。扇谷はクォリティ誌を目指した『朝日ジャーナル』創刊準備に異動したが、編集方針の対立により1959年の創刊直前に更迭される。
その後は『週刊新潮』など出版社系週刊誌が台頭し、1977年には48万部(日本ABC協会)、現在は27万部弱(マガジンデータ2010[7]による)。新聞社発行週刊誌の中ではトップだが、総合週刊誌としては中ほどの売れ行きである。1988年8月26日号では、上野千鶴子のジェンダー論を取り上げた記事の見出しにおいて「おまんこ」の語が使用された[6]。
1973年3月9日号では「受験生に大もての上智大学三つの秘密」という受験特集を組む。同年3月23日号の「私立大学合格者高校別一覧 同志社大ほか」から毎年恒例の大学合格者ランキングの掲載が始まり、1976年4月2日号からは「東京大学合格者全氏名・出身高校別一覧」という特集が始まったが、「受験競争をあおる」との批判も根強かった。1986年を最後に東大合格速報・合格者全氏名掲載共に中止。その後、1988年には「全国450高校の私大合格者一覧」などの特集を掲載し、1994年と1995年には駿台予備学校のデータをもとに東大前期合格者数の高校別ランキングを掲載。2000年には「東大合格者高校別速報」が復活。2008年以後は東大・京大の合格発表に合わせて発売日をずらす対応を復活させ、2012年3月23日号では26年ぶりに合格者が表紙を飾った[8]。
1993年7月16日号から、ダウンタウンの松本人志によるコラム「オフオフ・ダウンタウン」を連載開始。『遺書』『松本』のタイトルで書籍化され、2冊の累計で400万部以上の記録的ベストセラーになる[9]。
1996年、素人の女子大生をモデルにするなど、「芸能人への登竜門」として注目されていた篠山紀信撮影の表紙が終了し、リニューアルが行われた[10]。
1998年1月18日には「週刊朝日テーマソング」として河北秀也の作詞、菅原進の作曲、ビリー・バンバンの歌唱による「TUESDAY'S LOVE」が発表された。同曲は当時、本誌のテレビCMにも起用されていた。当初は8センチCDで発表され一般発売されなかったが、2009年8月に発売された『40周年記念ベストアルバム テーマ・ソング コレクション』に収録された[11]。
最終ページには1976年1月から山藤章二の風刺漫画「山藤章二のブラックアングル」が掲載されていたが、2021年12月3日号をもって終了した[12]。2023年4月14日号からは傑作選の連載が始まり[13]、同年6月2日号では創刊以来初めて「ブラックアングル」のキャラクターが表紙を飾った[14]。
2023年1月19日、朝日新聞出版は本誌を同年5月末で休刊にすることを発表した[15][16][17]。
朝日新聞出版によると、2022年12月現在、平均発行部数は74,125部であり、朝日新聞出版自体の業績は書籍事業のベストセラーなどにより堅調だが、年々週刊誌市場が縮小していることを挙げている。今後は同じ朝日新聞出版が発行する週刊誌「AERA」とそのウェブ版である「AERA.dot(アエラドット)」の連携強化・ブランディング強化、並びに書籍部門に注力することにしたという。これに伴い、当雑誌の定期購読の新規申し込みも終了された[15]。
『朝日新聞』掲載の「朝日歌壇」にも当雑誌の休刊を惜しむ歌が掲載された[18]。
2023年5月30日発売の「2023年6月9日休刊特別増大号」をもって休刊した[19][1]。最終号の表紙は実際の編集スタッフらが在りし日の編集部を演ずるという異例の写真で飾られた[19]。
この休刊号は売り切れ店舗が続出したことから、週刊雑誌としては極めて異例の増刷・重版が行われ、同6月12日の公式ツイッターには「どうか週刊朝日を覚えておいてください」とのつぶやきを発したほどである[20]。
長年山藤章二が担当し、2021年から松尾貴史に引き継がれていた「似顔絵塾」のコーナーは、ライバル誌の『サンデー毎日』に移籍した。
横尾忠則の連載エッセイ「シン・老人のナイショ話」は、『週刊新潮』に「曖昧礼讃ときどきドンマイ」とタイトルを改め移籍した[21][22][23][24][25]。
また今後、別冊や増刊号の類は『週刊朝日ムック』(朝日脳活マガジンハレやか、小説トリッパー、司馬遼太郎シリーズ、歴史道他)や『AERA増刊号』(季刊サザエさん、甲子園特集他)などの形で継続発行する[26]。
休刊10カ月後の2024年3月、101年間の通巻5843号から選りすぐった記事を再録した書籍『週刊朝日101年史』を刊行[27]。開高健「ベトナム戦記」などを担当した元編集長永山義高、司馬遼太郎「街道をゆく」の最後の担当者村井重俊らが寄稿し、元副編集長の岩田一平が編集した。予約した人だけの限定販売だったが、好評につき予定外の重版をした。
100号ごとの節目の号は以下のとおり[28](別冊や増刊を含む通しの号数)。
初期の号では絵画が表紙を飾ることが多かった[28]。1970年代以後は少なくなったが、近年では1997年〜1999年に安野光雅の絵画が表紙を飾っていた。
素人女性の公募モデルが表紙を飾る企画は1980年〜1996年に女子大生を対象とした「女子大生表紙シリーズ」として行われ、ここから当時熊本大学の学生だった宮崎美子を始めとする多数の芸能人を輩出したため、「芸能人の登竜門」とも評された[10]。2000年代には「美少女モデルシリーズ」として行われた。2012年に「女子大生表紙シリーズ」が復活。2013年は対象を高校生・大学院生にまで拡大[29]。2014年は女子だけではなく男子も対象となり、2014年8月22日号にて初の男子学生モデルが登場した[30]。
1992年11月13日号の表紙では、関東版と関西版とで2パターンの表紙が用意された(表紙を飾ったのは宮沢りえで、それぞれ異なるカットの写真を使用)。これは創刊以来初のことであった[31]。
1993年10月8日号の表紙では「71年間ご愛読ありがとうございました。」と書かれ休刊を示唆されたが、翌10月15日号の表紙は「新装刊 これは、週刊朝日ではありません。」と書かれ、表紙ロゴの変更(当時)をPRした[9]。2008年2月16日増大号の表紙では「85年間、ご愛読ありがとうございました。」と大きく書かれ、左隅に小さく「次号からもよろしくお願いいたします。」と書かれていた。
2008年6月13日増大号では、漫画・アニメのキャラクターとして初めて島耕作が「表紙の人」となった(麻生太郎と共に)。ただし厳密には、1966年2月11日号で曽我町子と共にQ太郎(人形)が、1972年6月9日号で『天才バカボン』のキャラクターが、1989年2月24日号で手塚治虫と共にアトムが表紙を飾っている。以後、以下のキャラクター・架空の機体が表紙を飾っている。
2017年12月29日号では、創刊以来初めてネコ(岩合光昭の撮影)が表紙を飾った[33][34]。この号は発売直後から爆発的な売れ行きとなり、各地の書店で売り切れが相次いだ。以後、毎年12月にネコが表紙の「ネコ特集号」が発行されることが恒例となっていた[35][36]。本誌の休刊に伴い、2022年12月23日号[37]が最後の「ネコ特集号」となった。
2018年6月8日号では、創刊以来初めてイヌ(秋田犬保存会からアリーナ・ザギトワに贈られた秋田犬「マサル」)が表紙を飾った[38]。
ジャニー喜多川(2019年7月9日に死去)の追悼特集を組んだ2019年7月26日号では、ジャニーズ事務所所属のタレントが表紙を飾った過去の『週刊朝日』の表紙のいくつかを縮小して掲載した[39]。
扇谷正造が編集長となった1951年に、書評欄「週刊図書館」を開始。当初の執筆者陣は浦松佐美太郎を中心に、臼井吉見、河盛好蔵、坂西志保、中野好夫で、無署名の形だった。浦松はイギリス書評、特に週刊書評新聞『タイムズ文藝付録』を愛読しており、このスタイルを取り入れて「週刊図書館」は日本で最初の本格的な書評となったと丸谷才一は評している。人気も高いもので、扇谷は「取り上げられると再販確実、誉めてあれば三版確実と言われました」とのちに述べている。その後の書評者としては、昭和30年代には江藤淳、奥野健男、開高健、中島健蔵、中村光夫、昭和40年代は伊東光晴、大江健三郎、尾崎秀樹、根本順吉、橋川文三、平野謙、福田定良、宮崎義一、中村雄二郎らがいた。1988年に署名入り書評となる。1993年に掲載書評の代表作を集めた『週刊図書館40年』(全3巻 朝日新聞社)[67]が刊行された。
連載などの書籍化(一部)
朝日新聞出版が発行している季刊の小説雑誌[68]。週刊朝日別冊[69]。3・6・9・12月の年4回発行[68]。1995年6月創刊[70]。「小説トリッパー」という誌名は、創刊に当たって糸井重里によりネーミングされた[71]。朝日新人文学賞が誌上で発表されていた[72]。
2009年から2021年まで毎年12月末に誌上で発表していた歴史小説・時代小説を対象としたランキング。
2019年までは10作品を選ぶ「歴史・時代小説ベスト10」だったが、2020年からは3作品を選ぶ「歴史・時代小説ベスト3」にリニューアルした[73]。
文芸評論家や書評家、新聞・雑誌の書評担当者、編集者、書店員などを対象にアンケートを実施[73]。
前年11月から今年10月までに刊行された歴史小説・時代小説の中から、1人3作ずつ推薦した作品を集計し順位を決定する[73]。
2022年のランキングは発表されず、翌年に本誌の休刊が決定したため第13回をもって終了した。
歴代1位作品
回(年) | 受賞者 | 受賞作 | 刊行 | 出版社 |
---|---|---|---|---|
第1回(2009年) | 高田郁 | 『八朔の雪 みをつくし料理帖』[74] | 2009年5月 | 角川春樹事務所 |
第2回(2010年) | 富樫倫太郎 | 『早雲の軍配者』[75] | 2010年2月 | 中央公論新社 |
第3回(2011年) | 山本兼一 | 『銀の島』[76] | 2011年6月 | 朝日新聞出版 |
第4回(2012年) | 冲方丁 | 『光圀伝』[77] | 2012年9月 | 角川書店 |
第5回(2013年) | 和田竜 | 『村上海賊の娘』【上・下】[78] | 2013年10月 | 新潮社 |
第6回(2014年) | 宮部みゆき | 『荒神』[79] | 2014年8月 | 朝日新聞出版 |
第7回(2015年) | 飯嶋和一 | 『狗賓童子の島』[80] | 2015年1月 | 小学館 |
第8回(2016年) | 垣根涼介 | 『室町無頼』[81] | 2016年8月 | 新潮社 |
第9回(2017年) | 荒山徹 | 『白村江』[82] | 2016年12月 | PHP研究所 |
第10回(2018年) | 飯嶋和一 | 『星夜航行』【上・下】[83] | 2018年6月 | 新潮社 |
第11回(2019年) | 今村翔吾 | 『八本目の槍』[82] | 2019年7月 | 新潮社 |
第12回(2020年) | 今村翔吾 | 『じんかん』[73] | 2020年5月 | 講談社 |
第13回(2021年) | 米澤穂信 | 『黒牢城』[73] | 2021年6月 | KADOKAWA |
(カッコ内は就任年、出来事、その後の役職など)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.