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日米安全保障条約、日米地位協定に基づき日本国内に駐留するアメリカ軍 ウィキペディアから
在日米軍(ざいにちべいぐん、英: United States Forces Japan、略称:USFJ)または 駐日米軍 (ちゅうにちべいぐん) は、日本国との平和条約第6条a項・日米安全保障条約第6条および日米地位協定(旧日米行政協定)に基づき日本国内に駐留するアメリカ軍(米軍)である。
在日米軍 (駐日アメリカ軍) United States Forces Japan | |
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部隊章 | |
活動期間 |
1957年7月1日 - 現在 ( 67年 + 4か月 ) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
兵科 | 下位統合軍 |
兵力 | 35,688人 |
上級部隊 | アメリカインド太平洋軍 |
本部所在地 |
東京福生市 横田飛行場 |
ウェブサイト | www.usfj.mil |
指揮 | |
司令官 | スティーブン・ジョスト空軍中将[1] |
副司令官 | ジョージ B. ラウル4世海兵隊少将 |
最先任下士官 | リオン O. キャロウェイ空軍曹長 |
在日米軍は、在日アメリカ軍(ざいにちアメリカぐん)、駐日米軍(ちゅうにちべいぐん)、駐日アメリカ軍(ちゅうにちアメリカぐん)または条約などでは日本国における合衆国軍隊(にほんこくにおけるがっしゅうこくぐんたい)、日本国に維持されている合衆国軍隊(にほんこくにいじされているがっしゅうこくぐんたい)[2]ともいい、日米安全保障条約第6条及び日米地位協定により日本国内に駐留するアメリカ軍の総称である。宇宙軍を除く陸軍・海軍・空軍・海兵隊・沿岸警備隊が展開している。指揮系統としては、アメリカインド太平洋軍の傘下にある。
なお、日本国内には、日本国内にとって不法に占拠されている係争中の領土(北方領土等)を除き、米軍以外に駐留する軍隊および外国軍は存在しない[注 1]。
在日米軍司令官は第5空軍司令官が代々兼務しており、空軍中将が就いている。現任司令官は、リッキー・ラップ中将。前任者であるケビン・シュナイダー中将の後任として、2021年8月に就任した。
アメリカ海軍が使用する横須賀海軍施設(第7艦隊原子力空母「ロナルド・レーガン」母港)、厚木航空施設をはじめ、空軍・沿岸警備隊が使用する横田基地(在日米軍司令部・国連軍後方司令部が所在)、空軍三沢基地、海軍佐世保基地、空軍嘉手納基地、海兵隊岩国基地、陸軍キャンプ座間、トリイステーションなど、ロシア・中国・台湾・北朝鮮・韓国・フィリピン・ベトナムにも近い関係上、東アジア・東南アジア・東シナ海・南シナ海・太平洋方面の要所であり、アジア有事の際には最重要拠点としての役割を担う。
米軍施設(いわゆる基地)の提供と返還については、日米地位協定の第二条により規定される。占領期から米国により占領されていた区域を除くと、その設置は両国の同意が必要とされる。返還はすべての区域に関して両国の同意が必要とされる[4]。この「米軍基地」は、米軍以外の外国軍が自衛隊と共同訓練で使用することがあり[5]、米軍も外国軍隊と共同訓練で使うことがある[6]。
米軍は地位協定の第二条第四項(b)の決まりに基づき、日米合同委員会の合意があれば自衛隊基地や民用地などの日本の施政権下にある施設や区域を使用することができる[7] [4] [8] [9]。第五条と政府見解により、日本の施政権下にある空港と港を全面的に利用する権利が与えられている[10] [11]。
現在の展開兵力は、日本を母港とする第七艦隊艦船乗組員を含めて総計約5万人で、在韓米軍のほぼ倍の勢力である。
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1945年4月1日、米軍は、沖縄戦において沖縄本島に上陸したその日に大日本帝国陸軍沖縄北飛行場(読谷)と帝国陸軍航空隊中飛行場(嘉手納)を占領。嘉手納飛行場はその日のうちに米軍の不時着用飛行場として使用できるようになった[14]。東洋一と称された日本の陸軍伊江島飛行場も4月16日の占領後、2日で修理を終え沖縄攻略と本土空襲の出撃基地として機能を果たすようになった[15]。普天間飛行場は6月15日に造成に着手[16]。このようにして米軍基地は沖縄戦のさなかから続々と敷設されていった。
8月15日の敗戦後、(ポツダム宣言に基づいて)日本における施政権は全面的に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の制限下に置かれた(連合国軍占領下の日本)。日本の帝国陸軍および帝国海軍は全て解体され、それらの軍事基地は全てアメリカ軍に引き継がれた。連合国は日本を非軍事化しようと計画し、アメリカは1947年(昭和22年)の日本国憲法において非武装条項を主張した。 1949年(昭和24年)5月7日、吉田茂首相は外国人記者との会見の中で、講和条約締結後もアメリカ軍の日本駐留を希望すると言明する[17]。
1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発した後、駐日連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは事実上の限定的再軍備を容認し、準軍事的な組織として「警察予備隊」を設立するよう日本政府に指令した。警察予備隊は後に自衛隊へと発展していくこととなる。
1951年(昭和26年)に日本国との平和条約、通称:サンフランシスコ講和条約が連合国と日本の間で締結され、これにより小笠原諸島と沖縄以外の完全なる主権が正式に日本に返還された。それと同時に(同条約第6条a項但し書きを根拠として)日米両国は日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)に署名した。日米行政協定で在日米軍に付与される様々な便宜を提供する事となった。
1960年(昭和35年)、旧日米安保条約を失効させて、新たに日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(現行日米安保条約)が日米間で署名された。在日米軍は同条約第5条で日本の施政下にある領域に限定して、日米両国が各自の自国内の憲法上の規定及び議会の承認手続きに従って行動することが可能と定められた。(アメリカの場合、憲法に基づき、宣戦の権限は議会にしかない。アメリカ大統領に与えられた権限は60日以内の軍事行動であり、それを超える場合は議会の承認を必要としている)これは日本政府は日本全土における軍事基地の自由使用をも認め、後の思いやり予算の提供と増額に道を開き、在日米軍の地位は日米地位協定で規定された。この条約は両国のどちらかから終了が申し出られない限り[注 2]半永久的に有効である。
ベトナム戦争では、在日米軍の軍事基地、中でも特に沖縄の基地が重要な戦略・補給基地として用いられた[注 3]。アメリカ空軍の戦略爆撃機が、まだアメリカ政府の施政下にあった沖縄の基地に配備された。1960年代、1,200個の核兵器が沖縄の嘉手納基地に貯蔵されていた[18]。1970年には沖縄のアメリカ軍に対するコザ暴動が起こった。アメリカ軍は1972年(昭和47年)の沖縄返還までに全ての核兵器を沖縄から撤去した。
日本政府は2007年(平成19年)に接受国支援金として2173億円を支出した[19]。これは日本においては防衛費の一部として計上され思いやり予算と呼ばれる場合もある[20]。
アメリカ政府は駐留軍等労働者労務管理機構(LMO)を通じて、8,000人以上の基本労務契約「Master Labor Contract」(MLC)従業員、または諸機関労務協約「Indirect Hire Agreement」(IHA)従業員を沖縄で雇用している。なお、この数字には沖縄の契約従業員は含まれない。
2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の直後は、在日米軍各部隊はトモダチ作戦(Operation Tomodachi)を展開した一方、日本におけるアメリカ軍人や軍の文民従業員の家族9,720人が日本から主にアメリカへ脱出した(この理由については諸説ある)[21]。
2013年時点で、約5万人の米軍人とその家族約4万人、およびアメリカ国防総省が雇用する5500人のアメリカ文民が日本に滞在している。
これ以前については、「連合国軍占領下の日本#年表」参照
2019年3月末現在、在日米軍は、横田基地(Yokota Air Base、東京都)に司令部を置き、5万6,118人のアメリカ軍人が日本に駐留している[25]。このうち第7艦隊の東アジア太平洋地域の洋上要員は海軍と海兵隊計1万3,618人である[26]。この人数は2009年現在、約2万5000[27] とも2万8500[28] とも言われる在韓米軍兵力を上回るものである。
これとは別に、現在5,078人のアメリカ人軍属がアメリカ国防総省により日本で雇用されている。軍人と軍属の家族は4万4,289人にのぼる。
所在 | 軍人 | 軍属 | 家族 | 合計 |
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本土 | 2万2,078 | 2,770 | 2万4,406 | 4万9,254 |
沖縄県 | 2万2,772 | 2,308 | 1万9,883 | 4万4,963 |
合計 | 4万4,850 | 5,078 | 4万4,289 | 9万4,217 |
在日米陸軍(ざいにちべいりくぐん、英語: US Army Japan、略称:USARJ)は、キャンプ座間(神奈川県座間市・相模原市)に司令部がある。
USARJは、第9戦域支援コマンドから改編された第1軍団前方司令部、在日米陸軍基地管理本部(旧第17地域支援群)、第10地域支援群(沖縄、トリイステーション[注 5])などを主要な部隊としている。第1軍団前方司令部は2007年12月に新設されたもので、在日米陸軍司令官は第1軍団前方司令部の指揮を執るとともに、第1軍団副司令官を兼任している[31]。平時には実戦部隊をほとんど持たないが、有事には第1軍団本隊が進出し、陸軍/統合任務部隊を構成するものと考えられている。
また、青山墓地近くに星条旗新聞の極東支社や第5空軍司令部東京管理センター、陸軍東京監理施設、軍情報機関関連施設などが置かれる在日米軍の中枢の一つ「赤坂プレスセンター」(別名ハーディバラックス、麻布米軍ヘリ基地)が所在する。
在日米海軍(ざいにちべいかいぐん、英語: US Naval Force Japan、略称:USNFJ)は、横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)に司令部がある。日本に展開するアメリカ海軍部隊の部隊管理を管轄しているが、作戦指揮権はない。
在日米空軍(ざいにちべいくうぐん、英語: US Air Force Japan、略称:USAFJ)は、横田基地に司令部がある。在日米空軍司令官は、第5空軍司令官とともに、在日米軍全体の司令官をも兼務している[31]。ただし在日米空軍司令部は基本的に部隊管理のみを担当し、作戦統制は太平洋空軍のケニー司令部(ヒッカム空軍基地)が行なう。このため横田基地には、USAFJの部隊や航空自衛隊との調整のために第13空軍第1分遣隊が設置されていたが、第13空軍の閉隊にともないその機能も第5空軍が担うことになった。
在日米海兵隊には、実戦部隊である第3海兵遠征軍(英語: 3rd Marine Expeditionary Force、略称:3MEF)と、基地部隊である在日米海兵隊基地部隊(英語: Marine Corps Bases Japan、略称:MCBJ)の二系統がある。両者は組織図上では別個の組織だが、同一の司令官によって指揮されることで指揮系統を統一している。在日米海兵隊の各司令部はいずれも沖縄県のキャンプ・バトラー内に設置されており、第3海兵遠征軍司令部はうるま市のキャンプ・コートニー、基地部隊司令部は宜野湾市を中心に周辺自治体にまたがるキャンプ・フォスターに設置されている。 また、岩国にも海兵隊岩国基地がある。
なお、第3海兵遠征軍と基地部隊の兼任司令官には通常海兵隊中将が補せられるが、この中将は沖縄に駐留する全アメリカ軍の代表者である在沖米四軍調整官(英語: Okinawa Area Coordinator、略称:OAC)も兼務することとなっている。
沿岸警備隊は、空軍横田基地内に沿岸警備隊極東支部(英語: U.S. Coast Guard Activities Far East)が置かれている[32][33]。過去には南鳥島、硫黄島などにロラン局や通信所が設置されていた。
2020年3月31日現在、日米地位協定第2条第1項 (a)に基づき、米国が管理する『在日米軍施設・区域(専用施設)』(以下、『専用施設』と略す)78施設263.176km2が13都道府県に置かれている[34][注 6][注 7]。これに、日米地位協定第2条第4項 (b) による、日本が管理し、米軍が使用する・または有事の場合に一時利用可能な施設・区域を加えた『在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)』(以下、『米軍施設』と略す)を加えると、合計131施設で、総面積は980.402km2となる[35][注 8]。
『米軍施設』の総面積の35%は北海道、19%は沖縄県に所在している。『専用施設』に限った場合は、70%が沖縄県に所在している。特に『専用施設』が集中している沖縄県は、『専用施設』が県面積の8%を占めており、負担の軽減が課題となっている[36]。
米軍基地には米兵以外にも多数の基地従業員が働いており駐留軍等労働者と呼ぶ。また、基地施設以外にも、広大な管制空域、訓練空域、訓練水域が米軍に提供されており(公海、公空を含む)、日本国およびその国民の利用には制約が課せられている場合がある。
俗に「米軍基地はアメリカ領」といわれることがあるが、日米安保条約・地位協定により使用権が認められているものであって、れっきとした日本領である[39]。割譲地でも租借地でもないので、施設内に入ったからといってアメリカ合衆国に入国したことにはならない。しかし、日米地位協定の第三条では、合衆国はいわゆる基地で「それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」としており、第十六条で日本国の法令を「尊重」するとしているものの、日本政府の見解や実際の運用では、米軍の運用に日本の法令は「一般に」適用されず、(地位協定の合意のもとではあるが)日本の主権が及ばない状況にある[40][41]。
横田基地、厚木基地、嘉手納基地などをはじめとして、多くの基地が住宅地域の付近にあるため、付近住民らは航空機の騒音や、地域住民に対する様々な犯罪に対する不満を表明している[42][43][44]。また、軍需品横流しや基地内売店の商品の転売も問題となっている。
在日米軍が起こす事件・事故の数は、防衛施設庁が提出した資料によると、1952年から2007年までに公務内外で在日米兵が起こした事件事故件数は20万件、日本人が巻き込まれて死亡した人数は1,076人である。2010年に公開された外務省文書によれば、復帰前も1965年の時点で年間1000件に上っていた[45]。また、1985年から2004年までに在日米軍の起こした事件・事故で軍法会議にかけられた者は1名で、懲戒処分者は318人である。これについて日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は「多数の事件・事故が起きているのに(二十年間で)軍事裁判はたったの一件。米軍の犯罪は野放しにされている」と述べた[46]。
機密解除された米国の公文書によると、2008年5月17日までに、日本は在日米軍関係者の犯罪について、1953年に「重要な案件以外、日本側は裁判権を放棄する」密約に合意し、その後5年間に起きた約13000件の事件のうち、実際に裁判を行ったのは約400件で、97%の裁判権を放棄していたことが判明した(在日米軍裁判権放棄密約事件)[71]。また、1958年、日米安全保障条約改定にあたり、米側は岸信介首相に、密約が結ばれている裁判権放棄を公的に表明するよう要求したが、国民からの批判を恐れ、岸は認めなかった。
在日米軍赤坂プレスセンターにはヘリポート「麻布ヘリ基地」があり、頻繁に発着陸する危険および騒音に対して、近隣住民からは返還運動も出ている。六本木トンネルの工事中、ヘリポートが縮小を余儀なくされると、1983年から都立青山公園の南側の敷地4,300m²を東京都が代替地として貸与したが、1993年トンネルが完成した後も、公園の敷地は返却されなかった。2007年1月12日代替地4,700m²の返還と緊急時や災害時のヘリポート利用を条件に同地の返還を断念することを東京都と米軍は合意した。返還される代替地は青山公園の一部として追加整備されるが[72]、結果的にアメリカ軍は使い道の乏しい遊休地を手放す代わりに、青山公園の南側を潰してヘリポートを大幅に拡張することになった。
沖縄県の在日米軍基地については、沖縄県の面積が日本の国土面積に対し占める割合は1%以下と小さいのにもかかわらず、 在日米軍専用施設面積の74%(なお、この場合の『米軍専用施設』の定義については、#施設を参照)が、沖縄県に集中している事で、本土と比べて不公平だとする意見や、在日米軍基地の必要性についても疑問視する意見が、沖縄県には多数ある。また、在日米軍基地近隣の騒音問題がある。
2010年5月に、毎日新聞と琉球新報が、沖縄県民を対象に行ったアンケートによると、海兵隊の駐留については、「必要ない」が71%で、「必要だ」は15%になった。在日米軍専用施設の約74%が沖縄に集中していることに関しては、「整理縮小すべきだ」が50%、「撤去すべきだ」が41%だった。日本駐留を定めた日米安保条約については「平和友好条約に改めるべきだ」が55%、「破棄すべきだ」14%、「維持すべきだ」は7%だった[73]。なお2012年にNHK放送文化研究所の河野啓が行った調査では「沖縄への基地集中はおかしい」と考える県民は全体の78%または86%にものぼった。米軍基地を撤廃すべきか、本土並みにすべきか、現状のままとすべきか、もっと増やすべきかとのアンケートにおいては、基地の撤廃を望む県民は県民全体では2番目に多い意見で、70歳以上では29%、30代では23%となっているが、20代では10%にすぎなかった。これは全国と同レベルの数字である。「本土並みに」と言う意見が一番多くおおよそ50-60%であるが、「現状のままでよい」は40代から70代までは15%前後だが、30代では23%、20代では33%となっている。「必要」「やむをえない」とも、全国の方が多く、「必要+やむをえない」が 71%と沖縄の 56%を上回まわっていた[74]。
また、普天間飛行場の返還に伴う代替施設として、日本政府は沖縄本島北東部の名護市辺野古にある海兵隊基地キャンプ・シュワブの沖合を埋め立てる新飛行場計画を1997年から進めている。これに対する沖縄県内の意見は賛否に大きく分かれ、地域経済の振興などを重視する受入容認派は2014年に続いて2018年名護市長選挙でも勝利したが、基地負担の軽減などを求める反対派は2014年沖縄県知事選挙や2018年沖縄県知事選挙で勝利し、地域行政の展開や国との関係にも深く関わる政治問題となって長期化している。
米軍関係車両専用のナンバープレートは、ひらがなの位置に Y (日本国内で調達された私有車両)、E (非課税車両)、A (オートバイ・軽自動車)などのアルファベットが書いてあるのが特徴で、「Yナンバー」と呼ばれている。米軍関係車両の登録台数は60000台弱程度で、そのうちの約27000台が沖縄ナンバーである。その他、八戸ナンバーは空軍三沢基地関係、多摩・八王子ナンバーは空軍横田基地関係、横浜ナンバーは海軍横須賀基地等の関係、相模ナンバーは海軍厚木基地、陸軍キャンプ座間等の関係、山口ナンバーは海兵隊岩国基地関係と推測できる。絶対的な登録台数は少ないが、静岡県御殿場市に駐留する海兵隊キャンプ富士の要員が登録している私有車両は、沼津ナンバーである。平成17年9月より駐留軍要員(米軍人・軍属)にも、基地の外に居住して私有車の登録を希望する際は、車庫証明の取得が義務付けられた。これによって今では湘南・品川・川崎のYナンバーがある。車検証上の所有者の住所欄には、所有者が所属する基地の所在地を記載し、使用の本拠の位置には、実際に住んでいる(駐車している)基地外の日本の住所を記載している。
また、自動車税が国民の2割に免除されていたり、ガソリン代に含まれる税が免除(計算の関係で基地内のガソリンスタンド内のみ適用)されるなど不公平な点も多いとされているが、自動車税に関してはYナンバーの車が基地の外と、基地の中の道路を走る割合を元に課税されているために、異なる税額との解釈もある。
公務中の米軍車両は、高速道路や有料道路の通行料が免除される(フリーパスではなく、料金所では公務通行であることを証明する書類を提出し、後で日本政府が料金を負担する)。米軍人ならびに軍属やその家族が日本国内を遠方に旅行する場合、ヨコタツアーズなどの基地福利厚生部門が通行料金免除となる(toll included。“exempt”ではない)という触れ込みで公用車扱い(日本陸運登録なし)のレンタカーを貸し出すことが容認されていたが、現在この記述は全軍のホームページからは消えている。空港・基地間連絡バスを運用している。
米軍関係車両が交通事故を起こした場合、日本の警察だけではなく在日米軍の憲兵隊も検分に現れる。この事故が公務中であったことが米軍によって“証明”された場合、加害者軍人の身柄は米軍に移るため、それに対する日本の警察権・司法権・裁判権行使は日米地位協定第十七条に基づいて行われる(治外法権)。
軍公用車両のナンバープレート表示については上記の限りではなく、日本の書式と全く異なる米国フォーマットのもの、及びむき出しのプレートに黒にペイントされた簡易プレートを装着している(大まかな書式については日本のナンバープレート#駐留米軍車両を参照)。これらの車両は日本の道路運送車両法、道路交通法の適用外であるため、米国仕様のブレーキ、テールランプとウインカーが兼用(赤色もしくは白色点滅)のものも走行している。
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