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沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町にあるアメリカ空軍基地 ウィキペディアから
嘉手納飛行場(かでなひこうじょう)は、沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町[1]の広大な面積に拡がる極東最大のアメリカ空軍基地。嘉手納空軍基地(Kadena Air Base=英語での正式名)、あるいは単に嘉手納基地と呼ばれることも多い。1945年4月、アメリカ軍やイギリス軍からなる連合国軍が沖縄戦で旧日本陸軍中飛行場を接収し、その後さらに拡張した基地である。
3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地、在日空軍最大の基地である。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。
第5空軍の第18航空団の拠点としてだけではなく、居住地区には、学校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、スーパーマーケット等、多種の米軍向け支援施設を包有し、国道58号西側の嘉手納マリーナ地区は、米軍人等の福利厚生施設でもある。
管理部隊名:第18航空団
使用部隊名:第18運用群、第18任務支援群、第18整備群、第18医療群、第18施設群、在沖米海軍艦隊活動司令部、第7艦隊哨戒飛行隊、等
嘉手納飛行場は通称「嘉手納基地」ともよばれるが、北側に隣接する嘉手納弾薬庫とは異なる。また、米軍占領下で沖縄に配備されたメースBの4カ所のミサイル基地が嘉手納サイトとよばれたのは、メースの制御司令塔が嘉手納基地内にあったためであり、実際は嘉手納基地からは離れている。
嘉手納基地では近年、外来機が膨大に増え、従来の嘉手納基地所属機種による事故だけではなく、外来機による落下物事故、緊急着陸も増えている。また嘉手納基地所属兵士の飲酒運転逮捕も、2019年の在日米軍のリバティー制度緩和以降に急速に増えている。
1982年2月26日、夜間飛行差し止め及び過去、将来の損害賠償等を国に求め那覇地裁沖縄支部に提訴。
1994年2月24日、1審判決。差し止め棄却、損害賠償は将来分却下、過去分認める(W値80以上、危険への接近分減額)。
1998年1月16日、控訴審判決。差し止め却下、W値75以上で過去分の損害賠償認める(但しⅠ類型)。国側の危険への接近論は棄却。健康被害は認めず。原告側に約13億円の支払いを命じた。
2000年3月27日、沖縄市、石川市、具志川市、北谷町、嘉手納町、読谷村の原告5,544人が、那覇地方裁判所沖縄支部に提訴。日本国政府に加え、アメリカ合衆国連邦政府も被告とする。予備的に、国に対し、地位協定に基づく合同委員会において外交交渉義務があることの確認を請求。約56億円の支払いを命じた2009年の二審判決が確定。
周辺住民2万2034人が夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めと騒音被害に対する損害賠償などを国に求めた「第3次嘉手納爆音訴訟」。原告2万2020人への総額約261億2577万円の支払いを命じた[21]。賠償の認定基準額を1審から減額し、飛行差し止め請求は1審と同様に退けた。原告側は上告したが、最高裁判所第三小法廷の戸倉三郎裁判長は2021年3月24日までに上告を退ける決定をし、2審判決が確定した[22]。
1996年、日米特別行動委員会(SACO)最終終報告で、嘉手納の住宅密集地に隣接する「海軍航空機の運用及び支援施設」を南側に移転することが掲げられ、日米合同委員会は2009年2月、海軍駐機場の移転に合意、2011年に工事開始し、2017年1月に新駐機場工事が完了。工事費と移転費用約157億円は日本政府が負担した[23]。しかし、今度は新駐機場ばかりか旧駐機場にも他の基地から飛来した外来機を駐機させるという問題が継続しておこるようになり[24]、負担軽減を唱えながらも、実質的な負担増加の実体に県民の不信感を招いた[25][26][27]。市町村や県の幾多の申し入れに、米軍は場所を間違えた[28]、部隊関係者と齟齬があった[29]、などと釈明しながらもまたしても旧駐機場を使用し、騒音や悪臭問題を引き起こした[30][31]。2020年1月10日、日米合同委員会は旧海軍駐機場にある建物を解体することで合意したが、どれほど効果があるのか不透明のままである[32][33]。
嘉手納の住宅密集地上空で嘉手納基地がパラシュート降下訓練をおこなっている問題 (写真6) について、パラシュート降下訓練は日米がSACO合意で基本的な訓練場所を伊江島補助飛行場と合意しており、また地元や県も反対しているにもかかわらず、嘉手納基地が夜間も降下訓練をおこなっている[34]。
2019年10月29日、米軍は日米間の協定に基づいて安全に嘉手納基地で夜間のパラシュート訓練をおこなったとして公式に画像を公開したが[35]、実際には同日午前中も河野太郎防衛相が中止要請を申し入れていた。その夜の訓練強行に対して、河野大臣は「同盟に影響を与えかねない大変遺憾な出来事だ」[36]「少なくとも、アメリカ側から、しっかりとした説明がなされていないという認識だ。ゆゆしき問題と言わざるをえない」と米軍側の対応を批判している[37]。
消火剤の流出問題やジェット燃料の流出が、頻繁に起こっている[38]。また特に近年重大な問題となっているのが、PFOSとPFASの流出源としての嘉手納基地問題である。PFASは、発がん性が指摘される残留性有害物質「永遠に残る化学物質」(Forever Chemicals) と呼ばれており、除去、浄化などの対応が極めて困難な有害物質である。特に濃度が高かったのが、滑走路脇を流れる大工廻川で、基準値の約20倍の濃度が検出されている[39]。
2016年1月、米空軍は嘉手納基地の汚染に関連する8,725ページの事故報告、環境調査、電子メールを公開した。1990年代半ばから2015年8月までの日付のついた文書は、日本の米軍基地の汚染を詳述する最近の情報としては初めての事例である。その報告書は、1998年から2015年の間に約415件の環境事故をリストしているが、そのほとんどが日本側には報告されていなかった[40]。また、1972年に沖縄が日本統治に復帰する前、嘉手納基地と隣接する知花弾薬庫 (現在の嘉手納弾薬庫) には、800発の核弾頭と数千トンのマスタード、VX、サリンガスという地球上で最大の大量破壊兵器が保管されていたことがわかっている[41]。
アメリカ軍専用施設があることによって、基地周辺整備資金あるいは基地交付金、調整交付金という名目で、国から周辺自治体に補助金が支払われる。また、アメリカ軍基地への協力という国策への貢献を政府が評価して、振興策が提起されることもある。通称「軍雇用員」と呼ばれる日本の民間人雇用者は、アメリカ軍が採否を決定し人件費は日本政府が負担する。基地内アスベスト対策も対応が遅れた[49]。
2019年、嘉手納基地で働く日本人従業員11人とアメリカ軍キャンプ瑞慶覧で働く日本人従業員1人が出勤停止など不当な処分を受けたとして、雇用主の日本国を相手に処分の撤回などを求める訴訟を31日、那覇地裁に起こした[50]。
嘉手納基地を管理・運営していた米空軍第313航空師団 (現在の第18航空団) の年次報告記録によると、核兵器の組み立てと搬出入を専門とする第12航空貯蔵中隊と、核兵器・弾薬を管理する第7戦術貯蔵中隊の両中隊が嘉手納基地に配備され[51]、核爆弾の実弾を使った搬出入訓練は1957年の前半だけでも少なくとも約150回も行われていたことが明らかになっている[52]。
1957年3月には、嘉手納基地を核戦争の出撃拠点と想定した大規模演習「ホワイトホース」を実施している。広島に投下された原爆の100倍以上の破壊力を持つという水素水爆 Mark 15 や爆撃機搭載用 Mark 6 など複数種類の核爆弾が用いられている。訓練では搬出の迅速さがもとめられ、59回の Mark 15 搭載に平均1時間14分[53]、84回の MK-6 搭載に平均1時間5分[53]、といった訓練の「成果」も記録されている。
また1962年、最初の核弾頭(マーク28)を搭載した巡航ミサイル「メースB」の配備が始まる。嘉手納基地を拠点とする第5空軍第498戦術ミサイル群 (498th Tactical Missile Group) の管理下で、以下の四カ所での配備が行われた。1959年の時点では、米空軍はMGM-1マタドールの配備場所としてブラディ空軍基地 (福岡第一飛行場) と芦屋空軍基地が想定されていたが、核兵器配備への反対を考慮し、沖縄に配備することになった。当時のミサイルサイト決定について、1960年の米空軍第313航空師団の記録には「ここ (沖縄) では、住民は核兵器の導入に日本人と同じように激しく反対するかもしれないが、島々は米国の完全な支配下にあり、彼らはそれについて何もできない」と記されている[54]。
メース基地 | 備考 | |||
1 | 嘉手納第1サイト | ボロー・ポイント射撃場 | 読谷村 | 返還済 |
2 | 嘉手納第2サイト | ホワイト・ビーチ地区 | 現うるま市 | 返還済 |
3 | 嘉手納第3サイト | ギンバル訓練場 | 金武町 | 返還済 |
4 | 嘉手納第4サイト | 恩納サイト | 恩納村 | 返還済 |
CLR | 123.300 | 235.000 | |
---|---|---|---|
GND | 118.500 | 275.800 | |
TWR | 126.200 | 236.600 | 315.800 |
APP/DEP(北方面) | 119.100 | 335.800 | |
APP/DEP(南方面) | 126.500 | 258.300 | |
18 WG COMD POST | 311.000 | 355.200 | |
AIRLIFT COMD POST | 128.000 | 349.400 | |
PTD | 131.400 | 266.000 | |
BASE OPS | 266.000 | ||
MET | 344.600 | ||
ATIS | 124.200 | 280.500 |
沖縄周辺の空域の航空管制については、沖縄の施政権返還後も、「日本国政府がこれらの飛行場へのレーダー進入管制業務を提供できるまでの暫定期間中、これらの飛行場に対する進入管制業務を行う」として、当飛行場設置の沖縄進入管制区("Okinawa Approach Control"、通称「嘉手納ラプコン」。当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約1500m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場、普天間飛行場の各管制圏を除く。)の管制官が担当してきた。
2000年3月16日にコーエン米国防長官(当時)が当管制区の日本への移管方針を表明し[55]、2004年12月10日の日米合同委員会にて3年後(2007年度)をめどに日本への移管が決定され[56]、同12月15日から国土交通省所属の航空管制官の訓練が開始された[57]。もっとも、管制方式の違いを主因として管制官の訓練に時間を要したことにより移管は遅れた。
2010年同3月31日午前0時(日本時)に移管されることが決定された[58]。現在は国土交通省所管の那覇進入管制区(当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約4900m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場、普天間飛行場の各管制圏を除く。)となっている。
2013年、嘉手納ラプコン返還後も、那覇ターミナル管制所で米軍関係者が管制業務に携わり続け、米軍の飛行のための「アライバル・セクター」という空域が存在していることが分かった。米軍機が普天間飛行場や嘉手納基地に着陸する際、米軍関係者の退役軍人が那覇ターミナル管制所で管制業務を実施する。また米軍の訓練実施のため「アルトラブ」と呼ばれる一時的な空域制限も年間千回近く発生していることを明らかにした[59]。
局名 | 種別 | 識別信号 | 周波数 | 運用時間 |
---|---|---|---|---|
嘉手納 | VOR | KAD | 112.000 | 24時間 |
TACAN | - | 1018.000 |
この節の加筆が望まれています。 |
アメリカ合衆国国防総省の公表した「2015会計年度・基地構造報告」によれば、最も資産価値の高い在外基地(75億ドル。第2位は横須賀海軍施設の74億ドル、第3位は陸軍グラーフェンヴェーア航空基地の65億ドル)。
那覇空港の滑走路がトラブル等で使用不可能な場合、当飛行場へのダイバートが実施されることが稀にある[60]。この場合、当飛行場に着陸しても降機できず、那覇空港が復旧し再度離陸するまで待機することになる。
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