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任天堂の家庭用ゲーム機 ウィキペディアから
ファミリーコンピュータ(Family Computer)[注釈 4]は、任天堂より1983年7月15日[4][5][注釈 5]に発売された家庭用ゲーム機[8]。日本国内での略称・略記はファミコン(Famicom)、FC。当時の発売価格は14,800円[7][9]。
メーカー | 任天堂 |
---|---|
種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第3世代 |
発売日 |
1983年7月15日 1985年10月18日 1986年2月 1986年9月1日 1986年 1987年 1987年 1987年 1989年 ※欧米ではNintendo Entertainment System、韓国では北米版NESをベースとしたHyundai Comboyとして発売された。タイでは、任天堂からライセンスを受けたFamily FR202が発売された。 |
CPU |
リコー製RP2A03 (Ricoh 2A03) |
対応メディア |
ロムカセット クイックディスク (ディスクシステム) コンパクトカセット (スタディボックス) (ファミリーベーシック) |
対応ストレージ |
任天堂公式では、コンパクトカセット[注釈 1]とディスクカード[注釈 2]がある。カセット内部に実装された、バッテリーバックアップ EEPROM[注釈 3]やターボファイルのような15ピン拡張コネクタを利用したサードパーティーによるものがある。 |
コントローラ入力 | ケーブル接続、15ピン拡張コネクタによる接続 |
外部接続 | 15ピン拡張コネクタ |
オンラインサービス |
ファミリーコンピュータ ネットワークシステム |
売上台数 |
1935万台[1] 3400万台[1] 6191万台[1] |
最高売上ソフト |
スーパーマリオブラザーズ /681万本[2] (FC・FCD版合計) スーパーマリオブラザーズ /4024万本[3] |
互換ハードウェア |
AV仕様ファミリーコンピュータ ファミコンテレビC1 ツインファミコン 編集ファミコン |
前世代ハードウェア | カラーテレビゲーム15 |
次世代ハードウェア | スーパーファミコン |
携帯型ゲーム機のゲーム&ウオッチを国内外で発売し約40億円の利益を出して事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した。同時代に発売されたゲーム機の中で最多出荷台数を記録し、日本において家庭用ゲーム機およびゲームソフトを販売する店を「ファミコンショップ」と呼称する[10]など商標の普通名称化がされるほど一般に認知され、出版や音楽などの他業種にも影響を与えた。
日本国外では中華民国(台湾)、香港でも一部を現地仕様に合わせた上で発売された。一方で北米のアメリカ合衆国及びカナダ、ヨーロッパのEC加盟諸国(当時)、オーストラリア、韓国[注釈 6]では主要部分の仕様が同一の“Nintendo Entertainment System”(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)として発売された[注釈 7]。
2003年に本体出荷は完了したが、一部のゲームソフトは後継ゲーム機にて復刻されている(#復刻版参照)。
最高売上本数を記録した『スーパーマリオブラザーズ』が発売された1985年から1986年が最も年間の出荷台数が多かった。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
当時、アーケードゲームで人気を博していた『ドンキーコング』が見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して、開発は1981年10月または11月頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって手の空いていた開発第二部(上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った[29][30]。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[31]。
開発コードネームは最初は「テレビゲーム」[32]、その後「ヤングコンピュータ」[32]など紆余曲折した。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村の妻が付けたという話もあるが[33]、上村本人はそれを否定し実際は自ら命名し、妻は略称の「ファミコン」を名付けたと証言した[32]。
当時の任天堂の販売戦略・設計思想としては次のような5つの要目があった[34]。
このように、デザイナーの自由な発想を満足させ、かつプレイヤー・オーディエンスともに満足させるものを提供するため、結果的にゲームに不要な部分は排除され、ゲーム専用機に絞ったことにより、汎用機と比較して高性能化を実現した。
当時の任天堂社長である山内溥は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており[注釈 8]、それを踏まえて上村らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体附属のコントローラにアタリのジョイスティック型ではなく十字キー型を選択した[35][36][注釈 9]。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした[38]。
1980年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、汎用のICチップ[注釈 10]を流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。パソコンにしてもまだ黎明期にあり、高価な割にCPUやメモリの制約が厳しく、グラフィックやサウンドに至っては最低限の仕様とされていた。
それに対して、任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあった『ドンキーコング』のアーケード基板を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムICの開発を行った。山内は他社が真似をするのに1年間[39]もしくは3年間[35]はかかる性能を要求した。
カスタムICはリコー製のものを使用した。リコーが選ばれたのは以下の背景があった。
任天堂は当初カスタムチップのベースCPUにアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコーは自社がロックウェルからライセンス取得の見通しが立っていた6502を使うことを提案した[41]。リコーは「Z80のライセンス交渉には相当の時間を要するため、開発期間が長期化する恐れがある」[41]「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」ことから6502を勧め、任天堂でも検証の結果「面積をとるZ80よりも、音源電子回路と6502を一つのLSIに組み込んでカスタム化したLSIを採用することで低コスト化の課題が解決できる」[42]「新設計の画像表示用プロセッサとの相性が良い」ため6502を採用することになった[43]。
カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂などのゲームデザイナーの要望を取り入れた。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が高額になってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色数の削減や音源の性能を落とす必要が出てきたが、最終的な色の仕様などは宮本が決定した[44]。
なお、任天堂がリコーに「2年で300万台保証する」と約束した[45]ためにカスタムLSIの価格を抑えられたという話があるが、山内はこの話を否定している[46]。また任天堂の「2,000円で売ってほしい」という要求に対し、リコーが「100万台の生産を保証するなら可能であるが、それ以下であれば不可能である」と回答している[47][45]。
このようにコスト要因もあり、CPUの速度やメモリの容量が抑えられたため汎用性は低かったが、ゲームの表現力に必要で、コスト負担の比較的少ない要素を搭載[注釈 11]した周辺回路の機能により、汎用パーツによって構成されたハードウェアと比較して表現力を向上させることに成功した。こうしてグラフィック面に特化して設計されたことで、『スーパーマリオブラザーズ』などは1980年代前半のアーケードゲームと比べても遜色のないグラフィックを高いフレームレートで描画できた。
ビープ音やノイズ音しか搭載せず、メロディすら十分に奏でられない家庭用ゲーム機が普通であった当時、PSG準拠音源とPCM音源を搭載したことも革新的な出来事であった。
筐体のえんじと白を基調としたカラー配置は、「プラスチックの中で最も原価が安いものを選んだ」結果である[36]と言われていたが、ファミリーコンピュータの開発者である上村の話によると、実際のところはえんじ色は山内が好きな色で、当時山内が着ていたマフラーの色でもあり[32][33][48]、えんじ色を使用することは社長命令により決定した[32][49][50]。えんじ色以外の色およびデザインはデザイナーが決定した[32]。また筐体の素材に関しては、当初選択したコスト的には廉価だったスチール製のボディがあまりに脆かったため[49]強度的に勝るABS樹脂を使用したプラスチックになった[32]。
十字ボタン、Aボタン、Bボタン他をそなえたコントローラを、本体にコードで繋がった形で2つ持つ。後の据え置き型ゲーム機が本体外面に露出したコネクタにコントローラのコードを着脱する形を採ったのと異なり、本機ではコストダウンのため[32]コントローラのコードを本体から外すことができない。コントローラのコードは本体内部で主基板の小型のコネクタに接続され、脱落防止の支柱に絡められたのちに後部のグロメットから引き出されており、2つのコントローラは常に本体に繋がったままである。コントローラの側面にはぐるりと畝が、本体の両側面にはこれに勘合する溝が設けられ、使用しないコントローラを整頓しておくことができる。故障などでコントローラを交換するにはドライバーで本体を分解する必要があり、これは従来の玩具業界の慣行ではメーカーに送り返しての修理となる作業だが、本機では品薄と、早く修理を済ませてカセットの販売につなげたい玩具店の意向から店頭での交換が行われた[32]。さらには使用者自身による交換も行われ、ボタンを含むコントローラの外装パーツのみでの販売もされた。
家庭用ゲーム機が複数のコントローラを備える場合、1人目用、2人目用といった区別をせず同一のコントローラが複数使用されるのが通常だが、本機のコントローラは1人目用と2人目用でボタン数などの仕様が異なった。
十字キー、Aボタン、Bボタンはゲーム中に主に使うボタンで、2つのコントローラそれぞれに備わっている。十字キーでキャラクターやカーソルを上下左右に動かし、Aボタンで攻撃などの主たる行動あるいはカーソルの指す事項の決定を指示し、Bボタンで防御などの補助的な行動あるいは決定した事項の取り消しを指示するようにプログラムされるのが一般的だった。横長の板状で左に十字キー、右にボタンを複数個配置した形態は、その後のゲーム機のコントローラの雛形となった。
1人目のプレイヤーのためのコントローラはコントローラI(Iコン、ワンコン)と呼ばれ、上述のボタンの他にSTARTボタン、SELECTボタンを備えた。タイトル画面においてSELECTボタンを押してゲームの種類・難易度を選択し、STARTボタンを押してゲーム開始、ゲーム中にSTARTボタンを押すとゲームが一時停止する、というのが典型的な使われ方だった。つまり、典型的な二人用ゲームでは1人目のプレイヤーしかゲームの開始や中断の操作ができなかった。この使われ方はそのようにプログラムするのが標準的だったに過ぎず、異なる機能を割り当てるゲームもあった。ただしゲーム中に誤って押さないようにAボタン・Bホタンに比べて小さく奥まっているため、ゲーム中に連打するような使い方には適さない。
2人目のプレイヤーのためのコントローラはコントローラII(IIコン、ツーコン)と呼ばれ、コントローラIに比べてSTARTボタン、SELECTボタンがない代わりにマイクロフォン(以下、マイク)を搭載している。マイクの脇にはボリュームがあり、右にスライドさせるほどマイクの感度が上がり、左一杯にスライドさせるとマイクがオフになった。しかし、このボリュームはスライドさせるたびに大きな雑音が出るようになったり、左一杯にスライドさせてもオフにならなかったりと故障が多かった。マイクがオフになっていなければ、マイクの拾った音声が拡声されてテレビから流れた他、音声認識機能はないがある一定以上の大きさの音声が入力されているかどうかをソフト側で判別できた[50][注釈 12]。本体の製造時期によってオン / オフの判別が逆にされたため、ゲームに有効なかたちでこの機能を利用するのは困難だったといわれる。マイクの機能は開発者が、新しい遊び方として将来カラオケのように音声で遊ぶ可能性を想定して、コントローラの一つに内蔵させたものである[52]。マイクの穴は23個あるように見えるが、左上の1つだけが内部まで貫通した実際の穴で、残りは穴を模した装飾である。
本機に付属する2つのコントローラの代わりに、本体前面の拡張端子に接続した外部コントローラを使用することもできた。外部コントローラは主に任天堂以外のメーカーから販売され、付属コントローラに準じた形態に連射機能などを付け加えたものや、付属と異なるジョイスティック形態にしたものがあった。本機は付属コントローラを取り外すことができないため、外部コントローラを接続するとコントローラが3つになるが、外部コントローラを操作しても付属のコントローラIの操作として扱われるゲームがほとんどだった。一部、3人・4人同時プレイに対応したゲームでは、外部コントローラの操作が付属コントローラとは別に扱われた。
Iコントローラーのボタンの数は十字キーを4キー分として8キーである。その後に発売されたゲーム機のコントローラと比較して決して多くなく、当時としてもアルカディアやインテレビジョンのようなテンキーを備えたコントローラには及ばなかったが、テンキーなしコントローラの中ではボタンが多い部類だった。
初期に製造されたコントローラA・Bボタンは四角いシリコンゴム製だったため連打がきかず、「にじり押し」と呼ばれる押し方[32]でボタンを酷使すると押し込まれたまま操作できなくなるトラブルが発生したことから[53]、1984年10月製造分から[11]耐久性を増した円形のプラスチック製ボタンへと改良がなされた[54][注釈 13]。コントローラーIのSTARTホタン、SELECTボタンにはこの改良がされず、ゴム製のままだった。また、コントローラのケーブルが灰色になっているロットもあったほか、円形のプラスチック製ボタンを搭載したコントローラだけを販売して取替をすすめるように指導したケースもあった。RFスイッチは黒いままである。
カセットは長方形で、下部の左右にへこみがある。電源スイッチを入れる前に、遊びたいカセットを本体の差込口に差し込み、完全に差し込んでから電源スイッチを入れる。遊び終わったあとはまず電源スイッチを切ってから本体のカセットイジェクト用レバー(取扱説明書ではイジェクト)をカセット側にスライドさせると、このへこみ部分が本体から押し上げられ、カセットが出てくる仕組みとなっている。
取扱説明書によると、電源オフ後にイジェクトを使用し、静かに抜き取ると指示があるが、イジェクトを使わず直接手で抜くこともできる(実際、AV仕様ファミコンではイジェクトは省略された)。イジェクト機構をわざわざ入れたのは、その仕掛けで子供が喜ぶのでは、という判断によるものである[55]。
なお任天堂が発売するカセットラベルは、全ソフト共通の模様がつけられ意匠が統一されていたが、のちに化粧箱と同じイラストをあしらうように改められ、最終的にはサードパーティー同様、ラベルの意匠は統一されなくなった。
カセットは作品によって色が違っており、色以外に独自の意匠を凝らしたものも存在した。特にアイレムのカセットではLEDが搭載され、通電中に点灯するという独自のギミックが特例として認められていた[56]。大容量のロムを採用した作品はカセット自体が大きくなっている。カセットの色やサイズがバラバラなのは自前でカセットを作っていたソフトメーカーもあったためである[56][50]。
カセットのパッケージは、紙製の化粧箱にカセット本体とマニュアルなど[注釈 14]を収めた樹脂製の内部トレイを収納した形のものが一般的である。ごく初期に発売されたソフトにはトレイが存在せず、カセットとほぼ同サイズの化粧箱に直接カセットが収納されていたが、こうした初期ソフトも再販時にはトレイを使うタイプの箱に変更されている。
箱のサイズはメーカーやソフトによって異なっており、標準サイズと比較して微妙に小さい場合もあれば、大型のマニュアルやカセット以外の付属品が存在する都合上、より大きな箱を使用したソフトも存在している。大型サイズのカセットも同様で、カセットに合わせた大型の箱が使われていた。ナムコ、タイトー、光栄などプラスチック製のハードケースを採用するメーカーも存在した。
ロム容量は、ローンチタイトルの『ドンキーコング』(1983年)で192キロビット(24キロバイト)[57]、最大は『メタルスレイダーグローリー』(1991年)の8メガビット(1メガバイト)[58][59]。
なお、家庭用ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取り替え式」は、1976年にフェアチャイルドセミコンダクターが発売した「Video Entertainment System」[注釈 15]が先駆けである。
ファミリーコンピュータの内蔵音源はカスタムLSI(RP2A03)の機能の一つである[42]。この音源により奏でられるBGMは、電子ゲームのようなピコピコというビープ音よりは格段に豊かな表現力を備えながらも、FM音源などと比べればまだ原始的な電子音じみている独特の音色であり、ゲームに対するイメージの1つを作り上げた。この音源はPSGとは異なり、PSGは狭義にはAY-3-8910またはその相当品のことであり、別設計である本機のpAPUは該当しない。
以下は仕様と実際のゲームでの使われ方を挙げる。
生成された音声はミキサーを通した後、さらにRFに変換されて出力される。この回路や部品が本体の製造時期によって異なるため、同じファミリーコンピュータであっても本体によって音量バランスや高音域などの出方が異なる。 なお、RF変換の際に高音域がかなり減退している。一部のサウンドトラック製作では音質追求のため、RF変換される前の信号を直接取り出すよう改造された本体を使って収録したもの[注釈 24]も存在する。
I/Oを含むアドレス空間が64kバイトしかなかったため、中期以降のファミリーコンピュータの歴史は、メモリサイズを確保するためのさまざまな工夫が施される。ディスクシステムの登場もその一環といえる。
その中でも最も多く使われた方法がMMC(Multi-Memory Controller)である。MMCはプログラムROMおよびキャラクタROMをバンクに分割し、必要に応じて切り替えるためのゲートアレイであり、カートリッジ内に搭載されている。MMCには実際に実用化されたものだけでも6種類が存在し、スクロール方向の制御などのPPUを補う機能のほか、バッテリーバックアップメモリ、割り込みを発生させるタイマカウンタ(ラスタースクロールなどで活用される)を搭載したものなどもあった。この方式は同社のゲームボーイにおいてもMBC(Memory Bank Controller)として使用されることになる。
MMCと類似のICはサードパーティー各社で開発されており、コナミのVRCチップ等がある。
本体の記憶域は「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された[64]。コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている[65]。
主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティ比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源[注釈 25]を搭載したハードウエアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。
また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウエアも相まって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行において大きな優位性を示した[注釈 26]。
仕様は下記の通り[66]。
1983年7月15日に発売された本機の本体カラーはえんじと白。型番はHVC-001。
1993年12月1日には新型機AV仕様ファミリーコンピュータ(エーブイしようファミリーコンピュータ)が発売された。型番はHVC-101。
この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来する。製品の箱にはAV仕様ファミコンの略称が記載された。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンやNEWファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多い。
当初は10月を目処に発売される予定だったが、RF出力からビデオ出力への仕様変更により延期された。北米にて先行発売されたNES-101では逆にAV出力が省かれ、RF出力のみとされた。
AV仕様ファミリーコンピュータはコストダウンを図った廉価機として発売されたものの、ディスクシステムなど従来の周辺機器がほぼ全て使用でき、取り扱いも容易となったことからレトロゲームの愛好者からは珍重された。
ACアダプタとRFスイッチは旧型機やスーパーファミコンとの共用が可能との理由で別売とされた。コントローラやAVケーブルなど旧型機に使用できないAV仕様ファミリーコンピュータ専用周辺機器にはNEW FFマークが付けられた。任天堂以外から発売されたNEW FFマーク付き周辺機器にはNewホリコマンダー等がある。
2003年9月25日をもってスーパーファミコンの廉価機「スーパーファミコンジュニア」とともに製造出荷を終えた。
旧型機(HVC-001)との主な変更点は以下のとおり。
最後に製造されたAV仕様ファミリーコンピュータは任天堂が保管し、2003年から2004年にかけて開催されたテレビゲームの展覧会『レベルX』では「ラスト・ファミリーコンピュータ」の名前で展示された。この本体の製造年月は2003年9月25日、製造番号はNH11033309である。
ファミコンボックスは、任天堂が開発し、1986年10月に交通公社トラベランド興業(のちのJTBトラベランド)より発売された業務用ファミリーコンピュータ[69]。販売価格は専用カセット10本込みで11万円、コインボックス式は12万円[70]。
本体内に最大15個のファミリーコンピュータ用ソフトを内蔵する(交換可能)。主にホテルや旅館に設置されており、本体側面に設置されているコインボックスにコインを入れると、本体に内蔵されたソフトを10分または20分間(ディップスイッチの設定による)遊ぶことができる。制限時間内であれば、リセットボタンを押すことで他のゲームに切り替えることができる。
制限時間1分前には時間切れを知らせるブザーが鳴らされ、さらにコインを入れるとプレイ時間が追加される。コインを追加しない場合はゲームの進捗にかかわらず「Time Up」と表示される画面に切り替わり、強制終了される。課金方式は設置者により他に2種類(フロントなどで客用の鍵を貸し出して運営する「ビジターキー方式」、および「CATV方式」)あるほか、フリープレイモードがあり、これらに設定した場合は制限時間はない。プレイ中以外は内蔵されたソフトのデモ画面を順番に繰り返して表示する。
附属のコントローラと光線銃はNESから流用され、ファミコンボックスのソフトもNESと同じ形状のカセットになっている(ただし、NESとの互換性はない)。 シャープ版の「ファミコンステーション」もあり、メニュー画面の任天堂ロゴが「SHARP」の文字に変更されているなどの違いがある。
2024年現在も一部の旅館などでファミコンボックスが稼動しており、実際に遊ぶことが出来る[71]。
類似品として北米市場には “Nintendo M82” が存在するが、こちらは店頭でゲームをテストプレイするための販促用デモ機であった。
1990年には後継機として、業務用向けスーパーファミコンのスーパーファミコンボックスがリリースされた。こちらも、2024年現在も一部の旅館などで稼動している。
2003年に本体出荷は完了したが、他機種やオンラインサービスを利用することで本機のゲームを遊ぶことができる。
なお、これらのソフトはエミュレーションにより原則として原作をほぼそのまま再現しているが、いわゆるポケモンショックの影響で画面の点滅表現などに対する基準が定められたことにより、画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられたりなど、基準にあわせた修正が加えられたソフトが多数ある。
型番のHVCはHome Video Computerの略である[32]。
1981年3月、シャープがオーブンレンジの発売を受けて「ファミコン」を民生用電気機械器具(家電)の区分で商標登録し、1983年10月には娯楽用具の区分でも商標登録した。その後任天堂は商標権の権利譲渡にて娯楽用具の区分での[要出典]「ファミコン」の商標をシャープから譲り受けた[32]。そのため、家電区分での「ファミコン」商標はシャープが今も保持している[80] [信頼性要検証]。
型番 | 名称 | 備考 |
---|---|---|
HVC-002 | ACアダプタ | ファミコン本体附属。AV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、スーパーファミコンJr.、バーチャルボーイ(ACアダプタタップが別途必要)に流用可能。 |
HVC-003 | RFスイッチ | ファミコン本体附属。テレビとRF接続するために使用。スーパーファミコンに流用可能。オプション使用でAV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンJr.、NINTENDO64にも使用可能。 |
HVC-004 | 75Ω / 300Ω変換器 | ファミコン本体附属。75Ω同軸ケーブルを300Ωフィーダ線に変換する。スーパーファミコンでも使用可能。 |
HVC-005 | 光線銃シリーズガン | ファミリーコンピュータ用の光線銃。 |
HVC-006 | 光線銃シリーズホルスター | ガンを腰に下げるホルスター。 |
HVC-007 | キーボード | ファミリーベーシックに附属するキーボード。 |
HVC-008 | データレコーダ | 対応ソフトのデータをカセットテープに保存できる。単三乾電池4本またはACアダプタ(ナショナル製 RD-9436)が必要。 |
HVC-012 | ファミリーコンピュータ ロボット | ゲームと連動して動かせるロボット。光線銃の技術を応用したもの。 |
HVC-021 | ディスクカード | ファミリーコンピュータ ディスクシステムの記録媒体。クイックディスクがもとになっている。書き換えができ、通常の黄色のものとシャッターが付いている青色のもの等がある。ディスクケースも付属されている。 |
HVC-022 | ディスクドライブ | ファミリーコンピュータ ディスクシステムの読み込み装置。専用ACアダプタ、もしくは単二乾電池6本で駆動する。 |
HVC-023 | RAMアダプタ | ディスクドライブとファミリーコンピュータ本体を接続する機器。 |
HVC-025 | ディスクドライブ専用ACアダプタ | ディスクドライブの電源の一つ。DC端子が現在主流のタイプではない特殊なACアダプタ。 |
HVC-026 | RF延長コード | RFケーブルを2メートル延長することができる。 |
HVC-027 | カードクリーナー | ディスクカードをクリーニングする機器。 |
HVC-028 | カートリッジ | ディスクカードをクリーニングする機器。 |
HVC-029 | クリーニングスプレー | クリーニングカードに吹きかけて使用する洗浄液。 |
HVC-030 | クリーニングカード | ディスクドライブのディスクヘッドをクリーニングする機器。 |
HVC-031 | 3Dシステムスコープ | 対応ソフトの映像を立体的に見ることができる。 |
HVC-032 | 3Dシステムアダプタ | 3Dシステムとファミリーコンピュータを接続するアダプタ。 |
HVC-035 | ネットワークアダプタ | ディスクシステムを利用して、ファミリーコンピュータネットワークシステムに接続できる。未発売。 |
HVC-037 | ネットワークアダプタ専用ACアダプタ | ネットワークアダプタの電源。専用ACアダプタ。未発売。 |
HVC-050 | 通信アダプタ | ファミリーコンピュータネットワークシステムに接続でき、株取引や馬券購入などが可能。 |
HVC-051 | 通信コントローラ | 通信アダプタに附属するコントローラ。横長でテンキー状のボタンが付いているのが特徴。通常のゲームソフトにも使用できる。 |
HVC-053 | モジュラーケーブル | 電話線。市販品で代用可能。NINTENDO64のモデムや、ニンテンドーゲームキューブのモデムアダプタにも附属している。 |
HVC-054 | テレフォンスイッチ | 電話線を分岐させることができる機器。市販品で代用可能。 |
カセット | ファミリーコンピュータのソフト媒体のROMカセット。 | |
HVC-BS | ファミリーベーシック | ファミリーコンピュータで簡単なプログラムの作成などが出来る機器。1984年6月21日発売。 |
HVC-102 | コントローラ | 本体専用のコントローラ。本体に2つ同梱。初代ファミリーコンピュータには使用できない。初代ファミリーコンピュータ専用のものと大きく形状が変わり、スーパーファミコン同様、I / IIコントローラの区別がなくなった他、マイクが削除されている。 |
HVC-103 | RFモジュレータ | AV仕様ファミリーコンピュータ専用のRFモジュレータ。RFスイッチを接続するために使用する。 |
SHVC-007 | モノラルAVケーブル | 本体とテレビを接続するためのケーブル。スーパーファミコン、NINTENDO64、ニンテンドーゲームキューブと共用。本来はスーパーファミコンの周辺機器。 |
SHVC-008 | ステレオAVケーブル | 本体とテレビを接続するためのケーブル。このケーブルを使用してもステレオ音声にはならない。スーパーファミコン、NINTENDO64、ニンテンドーゲームキューブと共用。本来はスーパーファミコンの周辺機器。 |
NUS-009 | RFスイッチUV | RFスイッチの改良版。スーパーファミコン、NINTENDO64と共用。本来はNINTENDO64の周辺機器。 |
発売元 | 型番 | 名称 | 備考 |
---|---|---|---|
シャープ | ツインファミコン立体システム | 内容物はファミコン3Dシステムとほぼ同じもので、通常のファミリーコンピュータでも使用可能。 | |
HAL研究所 | ジョイレーダー | 無線通信 | |
ホリ電機 | GR-7 | ゲームリピーター | |
SD-1 | S.D.ステーション | ヘッドホン出力のほか、テープレコーダーを接続しデータレコーダ代わりに利用できる。ヘッドホン付属。 | |
MB-7 | マルチボックス | 無線通信 | |
アスキー | AS-TF03 | ターボファイル | 外部記録媒体。電源は乾電池。 |
AS-TF21 | ターボファイルII | 外部記録媒体。電源は乾電池。 | |
AS-2088-FC | アスキースティック | セイミツ製のレバー・ボタンと金属製ボディを採用したジョイスティック。 | |
AS-7749-FC | アスキースティック TURBO JR. | 連射機能を搭載した、小型ジョイスティック。 | |
AS-3339-FC | アスキースティックII ターボ | ||
AS-5014-FC | アスキースティックL5 | 片手コンローラー。 | |
カプコン | CAP-IM HC01 | 実戦麻雀コントローラII | 井出洋介名人の実戦麻雀II用コントローラ。 |
コナミ | JE506 | ハイパーショット | ハイパーオリンピック用コントローラ。 |
RJ250 | ドレミッコ用キーボード | キーボード型コントローラ。 | |
スピタル産業 | AX-1 | マルチアダプタ | 連射ユニット。 |
ファミリーキング | |||
ファミリーチャンプ ターボ | |||
セタ | SW01 | ワイヤレスコマンダー | |
タイトー | アルカノイド専用パドルコントローラ | ||
ハドソン | HC62-3 | ハドソンジョイスティック | 操縦桿型の直線スティック(Aボタンをスティック上部にも配置)を採用したジョイスティック。 |
HC62-4 | ジョイカード MK.II | ||
HAL研究所 | ジョイボール | ||
ジョイペア | マルチタップ | ||
バンダイ | データック | ||
ファミリートレーナー専用マットコントローラ | |||
ハイパーショット | スペースシャドー専用銃型コントローラ。 | ||
スーパーコントローラーII | 4段階調節可能な連射機能・コマ送り機能・ボタンロック機能など複数の機能と液晶画面を装備した高機能コントローラ。 | ||
カラオケスタジオ専用マイク | |||
おえかキッズ専用ペンタブ | |||
ホリ電機 | HFC-07 | Newホリコマンダー | |
HJ-7 | ジョイスティック7 Mark II | ||
HJ-8 | ウイングコマンダー | ||
HJ-17 | 4プレイヤーズアダプタ | マルチタップ | |
TRK-7 | ホリトラック | ||
マイコンソフト | XE-1 PRO FC | ジョイスティック | |
X-F1 | ジョイスティック変換コネクタ | アタリ仕様のコネクタを変換するアダプタ。 | |
ヨネザワ | パーティタップ | ギミア・ぶれいく 史上最強のクイズ王決定戦用コントローラ。 | |
ココナッツジャパン | CJPC-102 | パチンココントローラー | |
パックスコーポレーション | パワーグローブ | ||
本体と同時発売したローンチタイトルは『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』の3本[8]であるが、ほどなくして『五目ならべ 連珠』と『麻雀』が発売され、その名の通り「家族みんなで楽しめる[64]」ラインアップが揃った。その直後に発売された『マリオブラザーズ』の後は2か月以上新作が途絶えていたものの、既出のアクションゲーム4本は全てアーケード版で実績のある移植作であり、雑誌評価でも好評価を得ていた[注釈 30]。このようにアーケードで既に知名度のあるソフトウェアを移植する手法は宣伝費の削減に貢献した[30]。
1984年7月に発売されたハドソンの『ロードランナー』が140万本、同年11月に発売されたナムコの『ゼビウス』が127万本を販売すると、タイトー、コナミ、カプコン、ジャレコなどが相次いで参入した[注釈 31]。そして、1985年9月に発売された任天堂の『スーパーマリオブラザーズ』でファミリーコンピュータの人気は決定付けられ、これら三本のソフトはハードウェアの普及にも貢献した。
ハードウェアの普及に伴って、ゲームのジャンルも多様化していき、1986年にエニックスから発売されたファミリーコンピュータ初のロールプレイングゲーム[注釈 32]である『ドラゴンクエスト』は150万本を販売し、後にシリーズ化され、そのいずれも初作を超える販売数となった。またパズルゲームでは1988年発売の『テトリス』が181万本、1990年発売の『ドクターマリオ』が153万本を販売し、これらはファミリーコンピュータ発売当初の「家族みんなで楽しめる」の通り、子どもだけでなく大人も楽しめるゲームであった。
ソフトの発売タイトル本数はナムコが83本で1位、2位はコナミで59本、3位はバンダイで58本、4位は任天堂で51本、5位はタイトーで49本である[80]。
最後の任天堂公式ソフトは1994年6月14日発売の『高橋名人の冒険島IV』である。
成人向け要素を含むために任天堂の許諾を得られないゲームタイトルは1990年前後よりハッカーインターナショナルから発売されていた。
また全年齢対象のゲームタイトルの発売は2000年代に始まり、2007年にCS番組『TVゲームジェネレーション 8bitの魂』内の企画で2人用ゲームの『ミスタースプラッシュ!』が作成された際には「13年ぶりの新作ソフト」と称された[91]。これは翌年発売の同番組のDVDボックスにROMデータが(初回限定版では実物のパッケージとマニュアルも)収録され、一部のショップでは限定特典として実物のファミコン用ROMと基板が自作キットの形(カセットの外装は無し)で付属した[92]。
その後2018年頃にはWindowsでのソフト開発を解説する同人誌が登場し[93]、自作ソフトを書き込めるカートリッジが販売される[94]など、開発の敷居は下がっている。
一方で日本を除く東アジアを中心に任天堂へライセンス料を払わずに、日本で発売されたファミリーコンピュータ用ソフトをそのまま違法コピーしたものやPCエンジン・スーパーファミコン・アーケードゲームなどから勝手に移植されたゲームなどの海賊版ソフトが出廻った。中には日本製ゲームのパッケージデザインをそのまま盗作しているものもあった。
1991年9月25日に神奈川県警神奈川警察署は80種類のファミコンソフトを内蔵した台湾製の「80インワン」を販売していた人物を著作権法違反の疑いで書類送検している[95]。
ファミリーコンピュータは人気を獲得して以降、ゲームで遊ぶ人々のみならず、出版・音楽・映像・証券業界、教育・医療関係者、果ては国会議員など様々な人々のビジネスや研究・議論に影響を与えていった。
ファミリーコンピュータが発売された1983年は家庭用ゲーム機、並びに低価格帯のコンピュータの市場はまだ黎明期で、複数のメーカーが争っていた[注釈 33]。ファミリーコンピュータは家庭用ゲーム機業界内の後発商品であり、発売時はマスメディアにも大きく取り上げられなかった[32]。
単純に定価だけ比較すれば、同日に発売されたSG-1000と同程度、ほぼ同時期に発売のカセットビジョンJr.と比べれば3倍近い価格だった。同年に日本で発売された主な「家庭用テレビゲーム専用機」に限っても(すなわちテレビにつながないCRT一体型機種や、キーボードの付いたゲームパソコン類を除けば)、2万円を超えるものはAtari 2800くらいしかなかった。つまり価格は競合製品と同水準だった。
その中でファミリーコンピュータは当初はアーケードゲームが家庭でできることをセールスポイントにし、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことを特徴として、製品パッケージにも「家庭用カセット式ビデオゲーム」と銘打った。発売当初はPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの[97][注釈 34]、1984年1月末ごろには出荷停止中にもかかわらず、他のゲーム機を購入せず、ファミリーコンピュータの入荷を待つ客が登場するぐらい人気が出始めた[32]。
その後は以下の理由により、徐々に人気を向上させていった。
1988年までにおける6歳から17歳の男性の家庭用TVゲーム機の所有率は85%であったが、その85%の内、80%をファミリーコンピュータが占めており[110]、他を圧倒していた[注釈 40][注釈 41]。また80年代末の時点で世帯普及率は約4分の1で小中学生の子どもを持つ家庭のほとんどが本機を所有していた[113]。また男性だけでなく特に『スーパーマリオブラザーズ』は女性(少女)も遊ぶ機会があり、『スーパーマリオブラザーズ』のゲーム画面を見て「かわいい」と評する人もいた[32]。
結果、リコーの半導体事業はファミリーコンピュータの好調な売れ行きのおかげで好転し、4年で黒字転換した[97]。
アメリカで発売されたNESも、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた[注釈 42]。
一方で1985年の『スーパーマリオブラザーズ』発売による爆発的なファミコンブームのおかげで本体が常に品薄状態になり、小売店によっては売れ残ったソフトをセットにして売る、いわゆる抱き合わせ商法を行う店もあった[注釈 43]。また1988年にエニックスから発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の時には販売店へ長蛇の列ができ、学校を休んで購入する者や購入したものから盗む行為が行われ社会問題となった[115]。
こうして、ファミリーコンピュータはその影響力の大きさから早々に「ファミコン」が普通名称化し、テレビゲームの事情に疎い年配層を中心にテレビゲームそのもの(特にゲームハード)を指す代名詞として用いられた。
『スーパーマリオブラザーズ』の人気によって、他業界で関連商品やサービスが展開され、ゲーム業界とともに発展していった。
その影響力の大きさと他のゲーム機と比して圧倒的な普及率の高さゆえに当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至った。 そのため、これら変化に伴い、1980年代後半には子どもを対象とした研究が行われた。
1986年2月12日の衆議院予算委員会で公明党の矢追秀彦がブラウン管を使用したOA機器の普及に伴う労働者の健康対策に関する質問に関連して、ファミリーコンピュータを「徹夜しかねないほど、おもしろい」と言及したうえで、厚生省が健康対策を講じていないことを批判、それに対して、文部大臣の海部俊樹は「目の疲労だけでなく精神的な影響の考慮も必要」、厚生大臣の今井勇も「TVゲームが目に与える影響を検討していく」と答弁した[135]。
同年3月7日の同じく衆議院予算委員会で共産党の藤田スミはファミコンの広範囲の普及による、子どもたちへの目や精神面に与える影響についておよびコンピュータ支援教育の子どもに与えるデメリットに関して本格的に取り組まない理由を質問し、文部大臣の海部俊樹は今後精神科医も交えて会議していくことに了承した。 また、藤田はゲームの長時間プレイにソフト供給側などの業界に指導をするように求め、通産省は文部省と協力して対策していくと答弁した。[136]
2011年に地上デジタルテレビ放送への完全移行が行われたことによって、アナログチューナー付きの新品テレビが姿を消した。ファミリーコンピュータはアナログテレビの電波信号を使って出力する仕組みであり、デジタルチューナーには対応していないので使用することができない(コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンは問題ない)。これは他のRF接続にしか対応していないレトロゲーム機でも起きている問題である。これはアナログ放送でも、ケーブルテレビなどで1chと2chが同時に使われている場合があり、似たような問題が起こっている。
アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱えるRCA端子が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古いビデオデッキや市販のコンバーターなどを変換用に使うなどである。一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込み、AV接続対応に改造する業者も存在する。
ファミリーコンピュータ(AV仕様を含む)において、KRIKzzが開発した「RGB Blaster」とメガドライブ2用のSCARTケーブルかHD Retrovisionのコンポーネントケーブルを用いて、RetroTINKやOSSCなどのHDMIアップスケーラーを用いることで、無改造でRGB出力することができる[137]。
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