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日本のサッカークラブ ウィキペディアから
サガン鳥栖(サガンとす、英: Sagan Tosu)は、日本の佐賀県鳥栖市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
841-0034[1] 佐賀県鳥栖市京町812[1] |
設立 | 2005年12月21日[2] |
業種 | サービス業 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 小柳智之[1] |
資本金 | 3億9,445万円(2021年8月時点) |
発行済株式総数 | 234,770株(令和4年1月末現在) |
売上高 | 22億6,758万円(2022年1月期)[3] |
経常利益 | ▲1億7,070万円 (2022年1月期)[3] |
純利益 | ▲2億2,094万円 (2022年1月期)[3] |
純資産 | ▲4億6,402万円 (2022年1月期)[3] |
従業員数 | 25名(令和4年1月31日現在)[3] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
ベストアメニティ(株) 47.92% 朝日I&Rホールディングス(株) 14.23% (株)サガテレビ 7.14% (株)イノセント 7.11% 澁谷食品 7.11% (令和4年1月31日現在)[3] |
関係する人物 | 井川幸広 |
外部リンク |
www |
1997年2月4日に創設され、1999年よりJリーグへ加盟している。ホームタウンの人口74,215人(推計人口、2022年2月1日現在)はJリーグの全60クラブの中で最も小さい[注 1]。ただし、県庁所在地の佐賀市でホームゲームを開催したり(2014年度まで)、佐賀市内にクラブのオフィシャルスポーツバー「THE Sagan」を開設したことがあるほか[4]、佐賀県第二の都市である唐津市に下部組織(U-15唐津)を設置したり、佐賀県全域でサッカースクールを開校するなど佐賀県全域での活動を行っている。さらには、同じ筑後川流域で鳥栖市と地理的に関連の深い福岡県筑後地方でも、鳥栖市が久留米市、小郡市などと組織する「筑後川流域クロスロード協議会」が共同してサガンを支援しているほか、スポンサーの一つであるブリヂストンが久留米市・朝倉市に設けた「ブリヂストン・サッカースクール」をサガンが運営するなど[5]、ホームタウン外での活動も行っている。
2016年のJリーグスタジアム観戦者調査報告書(鳥栖は2015年8月27日の対アルビレックス新潟戦で調査を実施)によると[6]、佐賀県外からの観戦者は31.4%で、これは2016年度に同様の調査を行ったJリーグ加盟40クラブ中で、鹿島アントラーズ・ガンバ大阪・東京ヴェルディに次ぐ4番目に多い数値となっている。また、県内の観戦者分布においても、佐賀市からの観戦者が県内観戦者の21.1%と、ホームタウンの鳥栖市と同じ比率となっている。
チーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かうことを表す[1]。また「佐賀の」にも通じている[1]。運営母体は1997年から1998年シーズン途中まで任意団体「サガン鳥栖FC」、1998年途中から2004年までは株式会社サガン鳥栖、2005年以降は株式会社サガンドリームスとなっている。また、セリエAの「ユベントス」と同じ抑揚で発音するのがJリーグ公認で統一されたアクセントとされている。
ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム[1]、練習場は鳥栖市北部グラウンドおよび鳥栖市陸上競技場[1]。詳細は下記#スタジアム・練習場項を参照。クラブマスコットは佐賀県の県鳥である「カチガラス」をモチーフとした「ウィントス」[1]。
1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時静岡県リーグ1部所属のPJMフューチャーズ(当時の本拠地は静岡県浜松市)の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『鳥栖フューチャーズ』(鳥栖F)に改名することとし、Jリーグ準会員としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、1997年1月にチーム運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議(1998年に破産廃止)。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする任意団体として「サガン鳥栖FC」が発足した[注 2]。
しかし、急遽設立したため事務所もなければスタッフもいなかった[注 3]。Jリーグはフロント要員として関連会社で役員を務めていた元横浜M常務の熊地洋二をスーパーバイザーとして派遣した。また、監督にC大阪元監督代行の楚輪博が就任した他、C大阪からは元コーチの坪田和美がヘッドコーチに、佐賀県出身の佐藤真一は鳥栖に期限付き移籍した。
また、浦和と京都から練習着が、地元高校からビブス、用具メーカーからボールがそれぞれ寄贈された。2月13日に開かれたリーグ理事会で、組織が承継されていないことから準会員の資格は失ったものの、鳥栖Fが所属していた旧JFLと、同年のナビスコカップへの参加が特例的に認められた[7]。選手については、鳥栖F解散から契約が宙に浮いていた8選手(高嵜理貴、鈴木俊、松田悦典、大森征之、森保洋、田中哲也、森純一、工藤圭司)と前述の佐藤らレンタル選手4人に加え、急遽行ったセレクションで獲得した8人の計20人となり、2月16日に新体制が発表された[8]。さらにシーズン開幕直前には戦力補充と経費削減のため、関連会社が選手の人件費を負担し、チームは勝利給や出場給のみ支給する社員選手の制度を検討。これに市内の生花店と電気工事店が協力し、北内耕成と関本恒一が加入した[9]。
1998年に「株式会社サガン鳥栖」として法人化(社長には引き続き中村が就任)[1]。また、1999年から発足したJリーグ ディビジョン2への入会も決まった。
鳥栖F解散に対する反省から、新法人は大口のスポンサーは設けず、小口の株主を多くすることによって経営の安定化を図った。しかし、法人化初年度から赤字続き[12] で随時小口の融資を集めて増資することで凌いだ結果、株主が多くなったことで経営の主導権争いや、会社の経営方針に対する株主や関係者からの批判が相次ぎ、狙いとは逆に経営の混乱が続いた。1998年オフにはJリーグから2年契約で斡旋されていた大口スポンサーとの契約が終了し次期運営予算が大幅に減少、主力選手を多数解雇する羽目となった[13]。新戦力は補充したものの、入団テストの際に提示した条件は月給にしておよそ10万円で、予算不足は明らかだった[14]。
当初から暫定的な社長就任であった中村の健康問題もあり、2001年9月には当時の監督であった高祖和弘がシーズン最終戦終了後に社長に就任する人事案を可決したが[15]、後に撤回[16]、年が明けた2002年に半年前から取締役に就任していた建設・解体会社社長の古賀照子が社長に就任した[17]。しかし、古賀は自分の方針に反対する幹部、職員などを大量に解雇しスタッフを一新したが、大口スポンサーの撤退が相次ぎ経営は厳しくなる一方で、同年11月には早くも古賀は辞任を表明するも[18]、結局留任するなど混迷をさらに深めた。
小菊昭雄新監督を迎えた。小菊のセレッソ大阪時代のコネクションにより西川潤、ヤン・ハンビン、森下怜哉、新井晴樹、山田寛人らの獲得に成功した。
永らくの間、鳥栖の戦力補強の特徴として、新卒の選手や試合になかなか出るチャンスの少なかった若手選手を積極的に補強し、試合に多く出場させるというものがあった。特に特別指定選手制度や期限付き移籍制度が導入されて以降はこれらを積極的に活用し、そのまま翌年以降の完全移籍(正式加入)につなげているケースも少なくなかった。かつては鳥栖に加入する選手は長らく「他のチームから採ってもらえなかった選手」が多い傾向があり[35]、特別指定選手も翌年以降の加入につながらなかったケースも多々あったが、ビジネスホテルとして使われていた建物を選手寮として借り上げる[75] など、環境も整備されつつある。
この理由として、鳥栖の財政力では多額の移籍金や契約金を投じた補強に頼れない点が挙げられる。鳥栖の人件費は、2014年で約11億7600万円[76] で、これはこの年のJ1所属18クラブ中14クラブ目であり、平均(約15億600万円)より低くなっている。このこともあり、若手を育てて主力に成長させるという方針により、指導スタッフを充実させて、徹底した走り込みをはじめとする猛練習に取り組んで鍛え上げている[35]。
特にシーズン開幕前の毎年1月から2月には、鳥栖市内にある標高133mの朝日山の山頂まで反復して登る290段の「早朝石段トレーニング」[77][78] をはじめとした1日3回の練習(3部練習)が連日続き[注 5]、このトレーニングの苛酷さは移籍選手も言及している[79]。この3部練習は松本育夫監督の時に導入されたが、松本は1979年(昭和54年)に日本ユース代表の監督を務めた時、夜間の体育館練習を含めた4部練習を休み無しで1ヶ月続けた経験を持つ[80]。なお、朝日山でのトレーニングは2015年を最後にチームとしては行っていないが、個人的に取り組んだり、移籍してきた選手がより鳥栖を知るために訪れるケースなどは見られている[81][82]。
新人選手に関しては2016年シーズン以降は特別指定選手から、下部組織の選手を2種登録する方向に変化が見られる。2015年以降大口スポンサー契約もあって経営が安定してきた[83] こともあり、代表クラスの選手を積極的に獲得するなどして総人件費は上昇し、2018年シーズンは26億7000万円、2019年シーズンは25億2800万円でこの年はリーグ8位となっている[84]。しかし大型スポンサーの撤退などが影響したことで18年度は5億8100万円、19年度はJリーグ史上最も巨額となる20億1400万円もの赤字を計上した[85]。そのため2020年の人件費は16人もの選手を引退または退団させ、前年の半分以下となる11億6900万円と大幅に圧縮している。
2009年(平成21年)度所属の選手の中には地元佐賀県の出身が1人もおらず(2007年まで所属していた蒲原達也が最後)、ホームタウンを置く都道府県の出身者がいないのはJリーグ36クラブ(当時)の中で唯一であった。その後も2種登録選手の田本宗平(2010年度)、月成大輝(2010-2011年度)、藤松航矢(2016-2017年度)、板橋洋青(2017年度)、特別指定選手の中島大貴(2015年度)以外には佐賀県出身選手のいない状態が続いていたが、2019年に樋口雄太が入団したことでようやく解消された。
2015年7月から3年半にわたり、Cygamesが支援していた。きっかけはホームタウンである佐賀県が、代表取締役社長渡邊耕一の出身地であるという縁から。2018年度のスポンサー収入は約23億円で、当時のJ1・18チーム中4位の多さだった。しかし、2019年1月にCygamesは理由を一切述べずに撤退。23年度のスポンサー収入はJ1ワースト2位の約10億円まで減った。また、当時の経営陣がCygamesとDHCといった大口スポンサーに、高額のスポンサー料を請求したことや、無断で元スペイン代表のフェルナンド・トーレスを獲得したことなどが裏目に出て、上記2つの大口スポンサーが撤退した。支出面では、2019年度に約20億円の赤字を計上。2020年度からは債務超過に陥った。その結果、運営会社はクラブ存続のため、「体力をつける」(小柳智之社長)ことを優先。人件費を削らざるを得なくなり、他クラブへの主力選手の移籍に加えて補強もままならなくなった[86][87][88]。
年 | 高卒 | 大卒 | 特別指定選手 | 2種登録選手 |
2004 | 高橋義希、下司隆士 | 加藤秀典、小井手翔太、奈良崎寛 | 田代有三 | |
---|---|---|---|---|
2005 | 中林洋次、長谷川豊喜 | 鈴木孝明 | ||
2006 | 金正訓、栫大嗣 | 浅井俊光、衛藤裕、蒲原達也、 廣瀬浩二、日高拓磨、藤田祥史 |
栗山裕貴†、三原雅俊 | |
2007 | 太田弦貴、副島貴司、栗山裕貴、 谷口堅三、ジョズエ |
赤星拓、内間安路、野崎陽介 | 河田晃兵 | |
2008 | 島嵜佑、下地奨、朴炡慧 | 河田晃兵、長谷川博一† | ||
2009 | サムエル | 渡邉将基、長谷川博一、武岡優斗、池田圭 | 河田晃兵、本城宏紀 | |
2010 | 藤田直之、呂成海、金民友 | 黒木晃平†、森本良、野田隆之介† | 守田創†、田本宗平、月成大輝、大本貴博 | |
2011 | 守田創 | 野田隆之介、奥田達朗 | 黒木晃平†、岡田翔平†、黒木恭平† | 月成大輝、藤翔伍 |
2012 | 黒木晃平、岡田翔平、黒木恭平 | 坂井達弥†、清武功暉†、藤嶋栄介†、岸田翔平† | ||
2013 | 平秀斗 | 坂井達弥、清武功暉、岸田翔平 | 藤嶋栄介†、福田晃斗†、山﨑凌吾† | |
2014 | 藤嶋栄介 | 福田晃斗†、山﨑凌吾† | ||
2015 | 笹原脩平、鎌田大地 | 福田晃斗、山﨑凌吾 | 中島大貴、永石拓海 | |
2016 | 辻周吾 | 三丸拡 | 石川啓人†、田川亨介†、藤松航矢 | |
2017 | 石川啓人、田川亨介 | 倉員宏人、藤松航矢、森山真伍、板橋洋青 | ||
2018 | 伊藤遼哉 | 石井快征†、松岡大起、平瀬大 | ||
2019 | 石井快征、金珉浩、松岡大起 | 樋口雄太 | 林大地† | 板橋洋青†、松岡大起†、本田風智† 大畑歩夢†、相良竜之介 |
2020 | 板橋洋青、本田風智、大畑歩夢 | 林大地、森下龍矢 | 松本大輔† | 兒玉澪王斗†、中野伸哉、相良竜之介†、永田倖大 |
2021 | 兒玉澪王斗、相良竜之介 | 松本大輔、今掛航貴 | 孫大河† | 中野伸哉†、安藤寿岐、福井太智 岡英輝、二田理央† |
ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム[1] であり、佐賀県総合運動場陸上競技場(佐賀市)でも不定期にホームゲームを開催している。また、2001年(第37節、甲府戦)に沖縄県総合運動公園陸上競技場(沖縄県沖縄市)で沖縄県初となるJリーグ公式戦を開催した。
練習場は鳥栖スタジアム北部グラウンド(鳥栖市北部グラウンド)[1]、鳥栖市陸上競技場[1] であるが、佐賀県総合運動場陸上競技場、小郡市陸上競技場(福岡県)も利用する[89]。また、2013年4月に鳥栖スタジアム北部グラウンド内にクラブハウスが完成した。
年度 | 鳥栖 | 佐賀陸 | その他 | Jリーグ杯 | 備考 |
1999 | 17 | 1 | なし | 鳥栖1 | |
2000 | 20 | 長崎1 | |||
2001 | 19 | 長崎1 沖縄県陸1 | |||
2002 | 22 | 2 | - | (不出場) | |
2003 | 21 | 1 | |||
2004 | |||||
2005 | |||||
2006 | 22 | 2 | |||
2007 | |||||
2008 | 20 | 1 | 鳥栖=命名権の採用により「ベアスタ」に | ||
2009 | 24 | 2 | |||
2010 | 17 | 1 | |||
2011 | 19 | 0 | |||
2012 | 14 | 3 | ベアスタ3 | ||
2013 | 17 | 0 | |||
2014 | ベアスタ1 佐賀陸2 | ||||
2015 | ベアスタ3 | ||||
2016 | |||||
2017 | |||||
2018 | |||||
2019 | 駅スタ3 | 鳥栖=命名権スポンサー交代により「駅スタ」に 佐賀陸=施設名の変更に伴いSAGAスタに[注 6] | |||
2020 | 駅スタ2 |
「サガン鳥栖」としてのエンブレムは2015年のもので3代目になる。
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 木村情報技術 | K 木村情報技術 | 2020年11月 - [95] | |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | エックスモバイル | X-mobile エックスモバイル | 2022年 - [96] | 左側に掲出 |
アニマル・ワン | アニマル・ワン Aspire for The Best | 2023年 - [97] | 右側に掲出 | |
背中上部 | Octochain Fintech Limited | ZOOMEX | 2023年 - | 2022年7月 - 同年10月は背中下部[98] |
背中下部 | ベストアメニティ | ベストアメニティ | 2023年 - [99] | 2010年 - 2013年はパンツ (「BEST AMENITY」表記) |
袖 | SUMCO | SUMCO | 2009年 - 2011年 2022年 - [100] | 2008年はパンツ前面 |
パンツ前面 | 原泰久 | キングダム KINGDOM | 2021年 - [101] | |
パンツ背面 | モラージュ佐賀 (双日商業開発) | mallaɢe | 2020年11月 - 同年12月 2021年3月 - [102] |
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
練習着胸 | 関家具 | 家具産地 大川 関家具 |
---|---|---|
練習着背中 | なし | - |
練習着袖 | なし | - |
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出チーム |
胸 | ベストアメニティ | ベストアメニティ | U-18 |
---|---|---|---|
背中 | なし | - | - |
袖 | 花屋敷 | 花やしき | U-12・U-15・U-15唐津・U-18 |
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1997 | - | 解禁前 | DIREC TV | 解禁前 | - | - | 解禁前 | NIKE | |
1998 | - | ||||||||
1999 | |||||||||
2000 | 東洋新薬 | ||||||||
2001 | アサヒ緑健 | ||||||||
2002 | - | ||||||||
2003 | - | DELL'ERBA | |||||||
2004 | PRINCESS TENKO | 市制50周年 TOSU | 参勤交代の湯 | ||||||
2005 | - | - / CREEK&RIVER | - / Value Link | - / エイチ・エス証券 | Mizuno | ||||
2006 | - / BBIQ ビビック[注 9] | BRIDGESTONE | saganтino Supported by UMBRO | バランスセラピー | UMBRO | ||||
2007 | BBIQ ビビック | - | BTU | ||||||
2008 | DHC | BBIQ ビビック | SUMCO | ||||||
2009 | SUMCO | - | |||||||
2010 | BEST AMENITY | ||||||||
2011 | |||||||||
2012 | 佐賀新聞 | ||||||||
2013 | Warrior Sports | ||||||||
2014 | Glass One | B | |||||||
2015 | 九州人気観光地No.1 ハウステンボス / Cygames (7月 - ) | New Balance | |||||||
2016 | Cygames | - | |||||||
2017 | |||||||||
2018 | - | ||||||||
2019 | - | ||||||||
2020 | 佐賀新聞[注 10] / K 木村情報技術 | 竹下の ブラックモンブラン | 竹下のMilcook ミルクック | - / sojitz | - / 家具産地 大川 関家具 | - / mallaɢe | |||
2021 | K 木村情報技術 | PRIDE OF 17[注 11] | - | キングダム KINGDOM | - / mallaɢe | ||||
2022 | K 木村情報技術 | X-mobile エックスモバイル | TOKYO TOKEN | Jasmy | - / ZOOMEX | SUMCO | mallaɢe | ||
2023 | アニマル・ワン Aspire for The Best | ZOOMEX | ベストアメニティ |
サガン鳥栖のアカデミーはU-18(第2種)、U-15・U-15唐津(第3種)、U-12(第4種)の育成部門「ユースセクション」と、普及部門「サッカースクール」で構成されている[104]。U-18は鳥栖市ではなく佐賀市高木瀬町の佐賀市健康運動センター サッカー・ラグビー場(2014年完成)を練習拠点としている[105]。また全寮制であり、健康運動センターそばと鳥栖市酒井西町の2カ所に選手寮を設けている[106]。U-15の2チームとU-12は特定の練習拠点は所持していない。
U-18は2017年からプリンスリーグ九州に所属している。それまでは県リーグ所属で、トップリーグであるプレミアリーグの所属経験は無かった。トップへの昇格もユース1期生の古川隆志(2000年昇格)以外にはほぼ出場機会を得られなかった赤司大輔(2001年昇格)、守田創(2010年昇格)の2人のみで、日本代表を複数輩出した大分ユースやコンスタントにトップに選手を送り出している福岡ユースなど近隣のチームに対し育成力で後塵を拝していたが、2017年に年代別の代表経験のある石川啓人、田川亨介の2人がトップ昇格を果たした。この時、クラブ社長の竹原稔は「やっとここまできた。」とコメントしている[107]。その後、2019年には日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で初の決勝進出を果たし準優勝[108]。さらに3回目の挑戦となるプレミアリーグ参入プレーオフで仙台ユースを制しプレミア昇格を果たした[109]。
U-15の2チームは共に九州ユース (U-15)サッカーリーグに所属している。U-15唐津は県西部でのファン掘り起しを狙うクラブと中学世代の育成拠点を求める地元の思いから2007年に発足している[110]。2017年にU-15が第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝を果たし、全カテゴリーを通じて鳥栖に初の全国タイトルをもたらした[111]。また、同年には高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会も制し、U-15世代の二冠を達成した。
クラブ設立から長期間に渡り育成部門は低迷していたが、クラブ経営が安定してからは県の支援なども活用して海外遠征も積極的に行っており[112]、チーム単位や選手個人でイタリア・韓国・オーストリアなどでトレーニングを行ったり現地大会に参加したりしている。2018年にはオランダ・エールディヴィジに所属するアヤックスと育成アカデミーのシステム、指導者、選手のレベルアップを目的としたパートナーシップ契約(3年契約)を締結[113]。同年、龍谷高等学校を運営する佐賀龍谷学園との間で龍谷高校がU-18に所属する選手を入学金免除且つ公式大会出場の際に出席扱いとする特待生として受け入れる協定を結ぶ[114]、2020年にはECCと提携し日常会話にサッカーで使用する英会話を織り交ぜたオリジナルカリキュラムのレッスンをU-18の選手を対象に行う[115] など育成年代の体制強化を進めている。
またサッカースクールは鳥栖市内3カ所(鳥栖・北部・商工センター)のほか、基山・佐賀・川副・小城・武雄など県内各地で実施しているほか、県外の久留米市にもスクールを開校している。ただしクラブ本拠地のある県以外でのスクール開校はJリーグ規約に反するため、スポンサーでもあるブリヂストンがサッカースクールを開設して、それをサガン鳥栖が運営管理を受託する形での実施が特例として認められている[116]。
なお、他クラブがサポーターナンバーを「12」としているのに対し、サガン鳥栖は「17」を同ナンバーとしている。これには、スタメン11人の選手と控え選手5人の計16名(制定当時。現在は18名)の「次」として「共に戦う17番目の選手」という意味合いもある[117]。
クラブ経営が行き詰まり、クラブ解散が濃厚となった2004年(平成16年)9月、佐賀県と県内各市町村は、県内の企業・団体などと共同でサガンの後援団体・「佐賀県プロサッカー振興協議会」を立ち上げた。この会では、サガンを県民参加型のクラブ運営にするため、ホームゲーム(鳥栖スタジアム、佐賀県総合運動場陸上競技場で開催)に各市町村の市民を招待するほか、サガンの選手を招いた少年サッカー教室や各種イベントを展開するというもの。また、2005年(平成17年)のシーズン開幕前には鳥栖スタジアムにこの会の事務所を移転させた。クラブ事務所との併設となり、チームとの連携をより強化することになった。
2014年12月現在、52の企業・団体などが会員となっている。[118]
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サガン鳥栖の決算は、つぎのとおり。
年度 | リーグ | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
2005 | J2 | 428 | 143 | 148 | 102 | 35 | 702 | 506 | 249 | 196 | -274 | -332 |
2006 | J2 | 705 | 281 | 152 | 108 | 164 | 821 | 613 | 376 | 208 | -116 | -112 |
2007 | J2 | 572 | 237 | 136 | 117 | 82 | 775 | 545 | 377 | 230 | -203 | -205 |
2008 | J2 | 702 | 263 | 170 | 121 | 148 | 695 | 468 | 317 | 227 | 7 | 5 |
2009 | J2 | 676 | 278 | 174 | 110 | 114 | 755 | 560 | 313 | 195 | -79 | 0 |
2010 | J2 | 816 | 194 | 155 | 74 | 393 | 829 | 659 | 290 | 170 | -14 | 2 |
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2011 | J2 | 689 | 253 | 166 | 99 | 37 | 135 | 826 | 353 | 48 | 101 | 20 | 0 | 304 | -137 | -357 |
2012 | J1 | 1454 | 493 | 495 | 202 | 45 | 219 | 1362 | 610 | 116 | 75 | 20 | 0 | 541 | 93 | 90 |
2013 | J1 | 1704 | 632 | 548 | 234 | 74 | 216 | 2039 | 1012 | 273 | 129 | 23 | 0 | 602 | -335 | -299 |
2014 | J1 | 1885 | 789 | 535 | 222 | 72 | 267 | 2266 | 1176 | 250 | 120 | 38 | 0 | 682 | -381 | -360 |
2015 | J1 | 2489 | 1203 | 576 | 193 | 91 | 426 | 2432 | 1105 | 245 | 126 | 43 | 0 | 913 | 57 | 3 |
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2016 | J1 | 2766 | 1631 | 553 | 190 | 95 | 152 | 145 | 2785 | 1476 | 272 | 153 | 53 | 0 | 103 | 728 | -19 | 9 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016
金額の単位: 百万円
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年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
2005 | 151 | 311 | -159 | 161 |
2006 | 312 | 308 | 3 | 294 |
2007 | 201 | 152 | 49 | 419 |
2008 | 215 | 89 | 126 | 454 |
2009 | 233 | 176 | 58 | 455 |
2010 | 240 | 81 | 59 | 454 |
2011 | 241 | 539 | -298 | 455 |
2012 | 441 | 349 | 92 | 605 |
2013 | 217 | 425 | -207 | 605 |
2014 | 421 | 419 | 2 | 890 |
2015 | 840 | 834 | 6 | 889 |
2016 | 1041 | 1026 | 15 | 889 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 2017 2018 2019 金額の単位: 百万円
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