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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
河野 広貴(かわの ひろき、1990年3月30日 - )は、神奈川県相模原市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。
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名前 | ||||||
カタカナ | カワノ ヒロキ | |||||
ラテン文字 | KAWANO Hiroki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年3月30日(34歳) | |||||
出身地 | 神奈川県相模原市[1] | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (ST,WG)[2] / MF(OH)[3] | |||||
利き足 | 左足[2][4] | |||||
ユース | ||||||
2005-2007 | 東京ヴェルディ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2011 | 東京ヴェルディ | 114 | (19) | |||
2012-2017 | FC東京 | 102 | (13) | |||
2017-2019 | サガン鳥栖 | 9 | (0) | |||
2019 | → 東京ヴェルディ(loan) | 15 | (2) | |||
2020 | 東京ヴェルディ | 4 | (0) | |||
2021-2022 | 南葛SC | 5 | (0) | |||
通算 | 249 | (34) | ||||
代表歴 | ||||||
2006-2007 | 日本U-16/17 | 3 | (1) | |||
2008-2009 | 日本U-19/20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
兄の影響でサッカーを始め[4][5]、8歳からヴェルディ川崎(当時)の下部組織支部・ヴェルディSS相模原に所属。ドリブラーとして実力を磨いた[1]。2005年、セレクションを経て[6]ヴェルディユースに入団。2006年、城福浩監督率いるAFC U-17選手権に臨むU-16日本代表に追加招集されると[7]、決勝の北朝鮮戦で延長後半に決勝点となる2得点を挙げ[6]、日本の優勝に貢献[8][2]。翌2007年のU-17ワールドカップにも出場し、8月19日のハイチ戦で決勝点を挙げるなどスーパーサブとして活躍した[9]。
Jリーグでは、2007年8月5日の愛媛戦で2種登録選手として出場し[3]、2008年からは東京Vのトップチームに昇格を果たした[2]。ヴェルディSS相模原出身者としては初のトップ昇格である[6]。開幕戦の川崎戦でJ1初出場を果たし、プロ初先発の第5節・神戸戦でプロ初得点を挙げるなど活躍を見せ、7月にはプロA契約を結んだ[10]。当時のプレーはリオネル・メッシを彷彿させるとの評価もあった[1]。河野自身は、後に当時のプレーを振り返り「必要以上に甘やかされていた」「もっと早く移籍を決断しても良かった」と振り返っている[5]。
2012年より自身のステップアップのため[11]FC東京へ完全移籍[12][13]。パスとドリブルの使い分けに苦心する中で[14][15][16]自身初となるAFCチャンピオンズリーグ出場を経験。しかし、ベンチ入りメンバーには入り続けていたものの[17][18]、負傷もあって[19][20] 出場は限られ、さらにランコ・ポポヴィッチ監督からは時に不慣れなボランチでのプレーを強いられた[16][5]。
2013年5月にはスペイン2部・CEサバデルの練習に帯同[21][22]。夏・冬の2度に渡って獲得の打診を受けたが[23]、FC東京からの慰留を受けて[24] 残留した。
2014年は移籍以来続いた苦闘の中で[25][16]培った味方との連携や対人守備と攻守の切り替えの向上[4][5]がマッシモ・フィッカデンティ新監督の目に留まり[26]、3トップ時にはウイングで[27][28]、2トップ時にはトップ下で[25]レギュラーを奪取。鋭い動き出しと得意のドリブル[29]、機知に富んだプレーで[26] 攻撃のリズムを作り[30]、精力的なプレスで守備陣を助けた[25][5]。
2015年は守備的戦術が深まる中[31]、相手の攻撃の起点のマークに注力しつつも[32] 守勢時にはポジションを落として守備的MFをサポート[33][31]。消耗の激しい役割を献身的にこなした[31]。
2016年、2nd第11節湘南戦の得点が同年9月の月間ベストゴールに選出された[34]。この得点を含め2ndステージではチーム最多得点を記録した。リーグ戦終了後の11月に左足関節関節鏡視下フットボーラーズアンクル形成の手術を受け[35] 天皇杯準々決勝を欠場。
2017年8月9日、サガン鳥栖に完全移籍することが発表された[36]。8月19日、第23節の大宮アルディージャ戦で即スタメンを飾った。
2021年3月1日、南葛SCへの完全移籍が発表された[39]。
2022年11月15日、退団が発表された[40]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | 東京V | 32 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2008 | 33 | J1 | 17 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 22 | 2 | |
2009 | 7 | J2 | 35 | 6 | - | 1 | 0 | 36 | 6 | ||
2010 | 29 | 3 | - | 1 | 0 | 30 | 3 | ||||
2011 | 32 | 8 | - | 0 | 0 | 32 | 8 | ||||
2012 | FC東京 | 17 | J1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 |
2013 | 4 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
2014 | 30 | 6 | 6 | 1 | 3 | 3 | 39 | 10 | |||
2015 | 22 | 1 | 5 | 1 | 2 | 0 | 29 | 2 | |||
2016 | 29 | 5 | 4 | 0 | 2 | 0 | 35 | 5 | |||
2017 | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |||
鳥栖 | 7 | 7 | 0 | - | - | 7 | 0 | ||||
2018 | 2 | 0 | 6 | 0 | 3 | 1 | 11 | 1 | |||
2019 | 東京V | 33 | J2 | 15 | 2 | - | 1 | 0 | 16 | 2 | |
2020 | 7 | 4 | 0 | - | - | 4 | 0 | ||||
2021 | 南葛 | 37 | 関東2部 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||
2022 | 関東1部 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 128 | 15 | 32 | 2 | 12 | 4 | 172 | 21 | |
日本 | J2 | 116 | 19 | - | 3 | 0 | 119 | 19 | |||
日本 | 関東1部 | - | |||||||||
日本 | 関東2部 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||||
総通算 | 249 | 34 | 32 | 2 | 15 | 4 | 296 | 40 |
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