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河野広貴
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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河野 広貴(かわの ひろき、1990年3月30日 - )は、神奈川県相模原市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。
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来歴
要約
視点
プロ入り前
兄の影響でサッカーを始め[4][5]、8歳からヴェルディ川崎(当時)の下部組織支部・ヴェルディSS相模原に所属。ドリブラーとして実力を磨いた[1]。2005年、セレクションを経て[6]ヴェルディユースに入団。2006年、城福浩監督率いるAFC U-17選手権に臨むU-16日本代表に追加招集されると[7]、決勝の北朝鮮戦で延長後半に決勝点となる2得点を挙げ[6]、日本の優勝に貢献[8][2]。翌2007年のU-17ワールドカップにも出場し、8月19日のハイチ戦で決勝点を挙げるなどスーパーサブとして活躍した[9]。
東京ヴェルディ
Jリーグでは、2007年8月5日の愛媛戦で2種登録選手として出場し[3]、2008年からは東京Vのトップチームに昇格を果たした[2]。ヴェルディSS相模原出身者としては初のトップ昇格である[6]。開幕戦の川崎戦でJ1初出場を果たし、プロ初先発の第5節・神戸戦でプロ初得点を挙げるなど活躍を見せ、7月にはプロA契約を結んだ[10]。当時のプレーはリオネル・メッシを彷彿させるとの評価もあった[1]。河野自身は、後に当時のプレーを振り返り「必要以上に甘やかされていた」「もっと早く移籍を決断しても良かった」と振り返っている[5]。
FC東京
2012年より自身のステップアップのため[11]FC東京へ完全移籍[12][13]。パスとドリブルの使い分けに苦心する中で[14][15][16]自身初となるAFCチャンピオンズリーグ出場を経験。しかし、ベンチ入りメンバーには入り続けていたものの[17][18]、負傷もあって[19][20] 出場は限られ、さらにランコ・ポポヴィッチ監督からは時に不慣れなボランチでのプレーを強いられた[16][5]。
2013年5月にはスペイン2部・CEサバデルの練習に帯同[21][22]。夏・冬の2度に渡って獲得の打診を受けたが[23]、FC東京からの慰留を受けて[24] 残留した。
2014年は移籍以来続いた苦闘の中で[25][16]培った味方との連携や対人守備と攻守の切り替えの向上[4][5]がマッシモ・フィッカデンティ新監督の目に留まり[26]、3トップ時にはウイングで[27][28]、2トップ時にはトップ下で[25]レギュラーを奪取。鋭い動き出しと得意のドリブル[29]、機知に富んだプレーで[26] 攻撃のリズムを作り[30]、精力的なプレスで守備陣を助けた[25][5]。
2015年は守備的戦術が深まる中[31]、相手の攻撃の起点のマークに注力しつつも[32] 守勢時にはポジションを落として守備的MFをサポート[33][31]。消耗の激しい役割を献身的にこなした[31]。
2016年、2nd第11節湘南戦の得点が同年9月の月間ベストゴールに選出された[34]。この得点を含め2ndステージではチーム最多得点を記録した。リーグ戦終了後の11月に左足関節関節鏡視下フットボーラーズアンクル形成の手術を受け[35] 天皇杯準々決勝を欠場。
サガン鳥栖
2017年8月9日、サガン鳥栖に完全移籍することが発表された[36]。8月19日、第23節の大宮アルディージャ戦で即スタメンを飾った。
東京ヴェルディ(第2期)
南葛SC
2021年3月1日、南葛SCへの完全移籍が発表された[39]。
2022年11月15日、退団が発表された[40]。
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エピソード
- 2009年、AFCアジアカップ最終予選に臨むA代表に背番号「100」で予備登録された。同予選において、AFCが固定番号制を採ったことによる[41]。
所属クラブ
- ユース経歴
- ヴェルディSS相模原ジュニア
- 1998年 - 2004年 ヴェルディSS相模原 (相模原市立田名中学校[42])
- 2005年 - 2007年 東京ヴェルディユース(光明学園相模原高等学校[42])
- 2007年 東京ヴェルディ (2種登録選手)
- プロ経歴
個人成績
- その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
- その他の国際大会
- 2016年
- AFCチャンピオンズリーグ2016・プレーオフ 1試合2得点
- 出場歴
- 2007年8月:Jリーグ初出場 - J2 第32節 vs 5日愛媛FC (愛媛県総合運動公園陸上競技場)[3]
- 2008年4月:Jリーグ初得点 - J1 第 6日 5節 vsヴィッセル神戸 (ホームズスタジアム神戸)
- 2011年8月27日:Jリーグ100試合出場 - J2 第26節 vsロアッソ熊本 (国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)
- 2016年8月13日:Jリーグ200試合出場 - J1 2nd第8節 vsヴィッセル神戸 (ノエビアスタジアム神戸)
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受賞歴
個人
- 月間ベストゴール賞 (2016年9月)[34]
代表歴
- U-15日本代表候補
- U-16日本代表
- AFC U-17選手権2006 - 優勝 (4試合2得点)
- U-17日本代表
- コパ・チーバス
- 国際ユースサッカーin新潟 (チーム事情により離脱)
- 2007 FIFA U-17ワールドカップ - グループリーグ敗退 (3試合1得点)
- U-19日本代表
- 第6回仙台カップ国際ユースサッカー大会 - 2位 (3試合1得点)
- AFC U-19選手権2008 - 準々決勝敗退 (3試合0得点)
- U-20日本代表
- カタール国際ユーストーナメント2009 - 3位 (4試合1得点)
- 第5回東アジア競技大会 - 準優勝 (3試合0得点)
脚注
関連項目
外部リンク
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